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2020-04

計画出産 - 2013.12.09 Mon

12月6日
ずっと思っていたことではあり、私らの時代とは違うことも重々承知。
それでも「これで良いのか?」ということは私自身の2回目の出産から感じていた。
遙か33年前に話は遡る。
息子の出産は「Semmelweissfrauenklinik」といって、産褥熱を発見したセンメルヴァイスが設立した産院。
当時、Gebärstuhl(お産をする椅子)などがそこで開発され、人気を博した。私は使わなかったが…
9月、予定日を過ぎての検診から帰宅し、動いた方が出産に近付くから、と四つん這いになってキッチンや風呂場の雑巾がけをしていた。あれ?破水??と思い、ウィーン女性の友人で破水を経験した人に相談したら「ワイングラスを倒したみたいな感じ」と言う。あ、そうかもしれない、と病院に電話をしたら「患者運搬車」が来た。エレベータの壊れた日本で言う4階に住んでいたので、ちゃんと担架で。一応救急車と同じ音声の出る赤いランプも車体の上に乗せて、病院に戻った・・そして、破水ではなさそうだが、もう予定日をとっくに(1週間以上)過ぎているので、と入院になった。後になり、その女性が言った「ワイングラス」は2分の1リットルのグラス、私が連想したのは8分の1リットルのグラスであったことが判明。
折角サンドイッチを作りかけていたのに…(Genzgasseにある日本の食パンに似た触感のパンを売る唯一の店で購入して)
絶食だそうな。そして夜が明けたら点滴が始まる(誘発剤の)。
勿論夫も同伴で、分娩は夫も白衣を着て当然のごとく手伝わされた。
誘発剤を使った以外は自然分娩と同じ。開き始めるまで時間がかかったが、ごく普通に進み、3750gの男の子が生まれた。周囲が全部現地の赤ちゃんだったので、同じような普通の大きさに感じた。
さて、2人目は日本。
総合病院だが、産科に秀でている、という評判の地元の病院。
息子を追いかけ回し、ハードな日常。一仕事を終えて息子も寝かしつけ、やれやれ…とひと息。ソファに座ってテレビを見ていたらイヤな予感。トイレに行けば大出血。まだ「申し込み」をしただけで初診も受けていない妊娠3ヶ月の初め。
当時まだ56歳の母(何て若い!!)はピアノの生徒のレッスン中だったが、タクシーを呼びに行ってくれ、私に同伴してくれた。
内診後(その時点では入院ではなかったと思う)台から降りるや、不気味な色の液体がザ〜〜〜っと出た。その時の医師曰く、「胞状奇胎でしょう」と・・
さぁ、大変だ!!
入院となった。
上の子は夫の実家が預かってくれる、と言う。(有難いことだった)
翌朝「胞状奇胎」について尋ねると、どうやら誤診だった模様。(今になって思うのだけど、もしやあの時は双子で片方が流れた??と又うるさい私。完全な一卵性双生児の場合、片方は脳も左右逆で、完全な左利きのことが多い、と何かで読んだことがある。娘は完全なる左利き。ヴァイオリンの弓も何度も右手に持たせても左手に持ち替えてしまう。本能のなせる業。ピアノとて右手が高音向かって走る感情の高揚、ほとばしり。だから楽器演奏は不自然と捉え、親からは敢えてさせず。プロとして考えた場合に、です)
切迫流産として長い入院生活を送った。
安定期に入ると、本当に安定。
臨月。
何も問題は無いのに、「計画分娩、無痛分娩にします」と医師に言われた。えっ!?!?1人目は普通に産んだのですが、と言えども「30歳を過ぎて、普通分娩なら保証はしませんよ!」と言い切られた。そんな馬鹿な…けれども「保証はない」と言われてしまうと…。今の私なら、あれこれあれこれ反論したろうが、当時は「お医者様」だった。例えば処方される薬1つにしても、患者がどのような薬なのか、副作用は、など尋ねることはタブー視されていた頃。それから12-3年経って「飲んでいる薬の分かる本」なんていうものが出版され始め、医薬分業。今は本当に有難いことだ。
さて、そのモルモット、もとい、無痛分娩。
朝8時に病院に出向き、腸を空にする。腰椎に麻酔を入れるための注射針を打ち込む。けれども、麻酔を注入するのは子宮が7センチだか8センチだか開いてからだ、と言う。え〜〜〜っ!?!?私の場合は、そこ迄開くのに時間がかかるんですけど…と上の子の経験を言っても駄目。普通分娩には切り替えられない、と言う。
結局その7センチだか8センチだか開き始めたのは夕方4時頃だったと思う。
もう、このまま産ませてください、と言えども、順番があるし駄目だとのこと。
テンポとしては可成り遅い。後から入ってきた妊婦さんがどんどん分娩室に運ばれて行く。う〜〜ん、順番ねぇ…体質は考慮しないのね…と不満。
やがてどうも「いきみ」のような腹圧を感じ、助産師さんを呼ぶと、「全開です!」「全開です!」「こちらが先です!」と・・・でも先に前の人が入ってしまった。全く痛くもなくいきみも感じず、麻酔で麻痺したお腹のまま待つ。
やっと分娩室に運ばれ、「いきめますか?」とな…「全く分かりません」と答えると「そうでしょうね」との返事。どうやら麻酔を増やしたらしい。それでも「はい、いきんでください!」の命令にいきむが、息子の時の記憶があるので、何も力が入っていないに等しい。医師と助産師がお腹をぐ〜〜〜っと押して、胎児を押し出した。夕方5時5分。

・・・・・・・という嫌な思い出。もう時効。

*******************************
ここで現在に話が戻る。
娘が(多分家族の都合で)「計画出産」を選んだ時、私の時代が蘇り、とても不安になった。
ただ、皆さん「昔と今は違いますよ」と仰る。
本気でいきんで押し出した子と、医師たちが押し出した子と、我が家で違いを感じたのは全く医学的根拠がある訳ではないので、これ以上は書かない。

12月8日
朝5時頃、娘が破水したみたいだ、と娘婿が言う。車を借りてよいですか?ということだったらしいが、破水をしていたら、私の「軽」は余りに震動を直撃するし、座り心地も悪い(らしい)。
夫が起きて、病院へ送って行った。結局破水ではなく、グラフ(胎児の心拍や子宮の収縮などの)を録って帰された。

12月9日
朝4時頃、娘が私のドアをノック。「痛みが来ている」と。それも定期的に…
そりゃぁ大変だ、と又しても夫を起こす。可哀想に(夫が)…その日は午後からゲネプロ、夜本番を控え、前日の睡眠不足もあり、充分寝ておきたかったろうに。娘婿は当直で留守。一体何のための「計画出産」??と、気の短い私は思う。
毎回入院荷物を車に一応積んで行く。今日ばかりは絶対お産に繋がるよう、もし帰される、などと言われた場合には私から強く入院希望を申し出よう、と同乗した。予定日を1週間以上過ぎているのだから。(嫌われそうな今どきの婆で構いませんって…今さら…)
到着し、私が娘に付き添う。7時になり夫は車を駐車場に入れる。
現在のことを余り書いてはいけないが、いや…本当に当直明けの先生方は大変だと思う。看護師さんたちも。心なしか「億劫さ」「苛立ち」が伝わってくる。自然分娩の人達は容赦なく次々と居るのだろうから…。又しても一旦帰宅して予約時間に来い、と言う助産師だか看護師だか。一旦帰ったらそのまま直ぐに出発です!居させてください、と頼んだ。やっと9時頃主治医が来てくださり(元々予約受診)、今日の診察次第で入院するかもしれなかったことや、子宮口が開きにくければ何かそれ用の(聴き取れなかったが)何かを注入し、「開くスピード」を上げる。(今はそんな魔術があるのですか!?)無痛分娩のための管も刺す。それを2日間位やりつつ様子を見、3日目に促進剤を入れる方向で態勢を組みましょう、とのこと。やれやれ…これで入院。一安心!!
でも、私に体質が似ていたら、子宮口が軟らかくなりさえすれば今晩か明日のうちに産まれるのでは?と、又してもドシロウトの直感。
私の母も子宮口が固く、私の時も妹の時も大変苦労した。そのような「すぐれもの」は無かった時代。所謂「陣痛微弱」と言われたが(母も私も)、子宮が固いから生理痛も酷かったのだろう。その体質は娘も全く同じに引き継いだ。
母は私を自宅でお産婆さんが取り上げてくれたが、まる2日かかったらしい。陣痛が弱いので「まだまだだね」とすぐに帰ってしまって心細い上、私の父方祖母(つまり母の姑)には「あんた、騒ぎすぎだわ」と叱られ続けたという。妹はその6年後、近所の産婦人科で産まれたが、余りの陣痛の弱さに「昼飯に出てくる」と医師も看護師も全員居なくなり、その間に母は「いきみ」が来て、医師が戻って診た時には「全開だ」「全開だ」と医師の方が慌てた、といつも聞かされた。

9時頃、他院でこれまた当直明けの娘婿到着。
あぁ、医師って大変なんだなぁ…と思う。しかも、その疲れて到着した婿に、私は言いたいことは言う人なので。何たる人非人!!

(普通分娩を待つ母親らしき人、羨ましく見えたことも否めない)

甚だ疲れた。
娘さんは頑張っているのに?・・・そりゃぁ当然のことです。
誰だって(過去における人類の人数だけ)妊婦自身が頑張って産み、産まれてくるものなのだから。
こんなことを平気で書いているから嫌われる婆。今さらであります。

今度の月曜にやっと私は消化器科に行きますが、何よりこの1年近い倦怠感を何とかして欲しい。


余りに鮮やかな色だったので、車窓よりガラケーでカシャ!!
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プロフィール

奥 千絵子

Author:奥 千絵子
★上の画像は2001年にCDにして約3枚分を収録したものを,2006年に2枚組としてリリースしたCD「樂の音に寄せて」です.『レコード芸術』2007年1月号で「特選盤」として取り上げられました.戸倉新樹教授によるライナーノートは医学生にもお薦めです.その他のCDや著書はWebsite「本館」からお入りください.このブログも「本館」のDIARYです.
★このブログの"Grüß Gott !" (文字化けの場合はGruess Gott!)は墺・南独の時間を問わない挨拶です.Website「本館」のDIARYです.出版CDや著書の詳細は「本館」のメニューからお入りください.
Website「別館」もあります. 著書「ピアノと向きあう」の説明を補うサイトです.よく頂く質問に説明を記載しています.
★上記著書については今井顕 氏によるKINOKUNIYA書評空間WEBLOG を是非ご一読くださいませ.
Auch auf Deutsch schrieb ich…
★【膠原病の記録】余りに医療のカテゴリーがが増えてしまったので目下整理中です.大変複雑な病気の経験が同じ病の方々への参考となりましたら幸いです.
「乳癌と膠原病(皮膚筋炎・多発性筋炎)」「膠原病(退院後)」 ,その他の医療の話(自分以外も含めて)は「医療・病院関係」,に取り敢えず分けました.
平成12.12.12.病院での復帰リサイタルは演奏動画入り記録です。
★恩師のことは55年間を遡り少しずつ記載するつもりです。目下のところはこれだけです.
★コメントも大歓迎です。SPAM防止上、確認後に公開しております。ご理解をお願い致します.
★このブログや大元のサイトへの感想やお問い合わせはservus2008@gmail.com宛に@を半角に直して送信願います.
【BGM】
Robert Stolzメドレー
演奏:東京カンマーコレーゲン 
室内楽アレンジ:奥 千絵子
ショパン:華麗なる大円舞曲Op.18
演奏:奥千絵子 ショパンのワルツは上の画像の2枚組CD「樂の音に寄せて」に入っております.
★Copyrights©1997-2020 Chieko Oku All rights reserved.
制作・著作:奥千絵子
★遙か下方に設置のカウンターは、サイトを複数回お訪ね下さいましても1日を1回とカウントし、又、私を入れない設定になっております。



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