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2020-09

『大ピアニストは語る』 - 2013.09.19 Thu

本当に貴重な本なのです。
250ページ以上に小さな文字でびっしり記載された、「大ピアニストは語る」(原田光子訳)。
絶版になっている様ですが、ネットで検索すると、Amazonのユーズド商品や、別なオークションで求められるようです。
我が家にも「貸し出し用」として複数冊があるはず・・

これらが書かれた時代ですら・・・と思います。現代はこれだけレベルアップした時代ですので、この本に書かれていることは、特に専門に進まれる、或いは進まれた方々のみならず、アマチュアであっても可成りのレベルを目標とする場合には当然の事とすら感じます。でも、常に読み返して反芻すべき内容であることも事実です。

因みにこの本は、戦後に音楽雑誌に連載されたものを後に一冊に纏められて出版されたものです。(※訂正へ)
私の母は旧字体の漢字で書かれたものを持っていました。
そうとは知らない私は、大学時代に、当時東京創元社から新しく出版されなおされたものを、たまたま購入しました。
繰り返し繰り返し読んだ大学時代でした。
恩師たちからは特に具体的な指導を受けたことがなく、この本を読んでは(ある部分は暗記するほど)自分の練習に生かしたものでした。

翻訳者の原田光子さんは30代で亡くなられ、約3年半の間に多くの著作物を出版された方です。

※訂正
野村光一氏のあとがきに代わる「解説」から、ほんの終わりの部分を少し引用して訂正します(昭和44年1月のものです);
 今度「ミュージックライブラリー」に収められた「大ピアニストは語る」は、かつて一度雑誌「レコード音楽」に掲載されたが、それが後に一纏めにされて昭和十七年三月に出版されたものである。
 しかも、その際、これを一冊の書物に纏めることを原田さんに勧めたのがわたしだったので、さらに後年彼女の死後「創元文庫」に納められた時、その因縁から、文庫本の巻末に解説する役目を仰せつかるることになったのである。昭和二十八年七月のことであった。
 しかるに今般この書が東京創元新社の新しい音楽叢書の一冊として再発行されることになったので、また右の解説をほとんどそのまま転用することにした。まったく因縁浅からずというものである。(後略)



その本の存在を、我が生徒たちにも知らせよう、と2005年夏に行った勉強会のレジュメに、ほんの少しの抜粋を書きました。

著作権がどうなるか、ネットに披露してよいものかどうかは全く分からないのですが、是非多くの方々に知って欲しいと思う本なので、ふと思い出して、まだ9ヴァージョンだったパソコンの中を探してみました。
ありました。


2005年7月31日のレジュメより

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【過去の巨匠たちの言葉】

私が口を酸っぱくして言っても、なかなか効き目がありませんので、畏れ多くも巨匠達の言葉を借りる事に致します。
但し、ある人には当てはまっても、別な人は考慮に入れない方が良い、という一見すると相異なることの様に、全く正反対の事の様に思われる(誤解される)内容もありますので、今日は、間違いなく誰にでも読んで頂きたいほんの数箇所に留めます。
折に触れて、少しずつ紹介して行きたいと思います。

注:この書物の中で「学生」と訳されている単語は、おそらく原著では「Studierende」の様な単語、すなわち「学習者」という様に書かれているのではないか、と私は推測しています。

☆エミール・フォン・ザウアー
「テクニックについての話」(生まれつき個人差がある事もかなり書いているのではありますが、共通する部分。)
* テクニックが進んでくれば音階やアルペジオやチェルニーなどの練習曲を必要としない段階に到達する。わたしはもう何年もそれらの練習をしない。しかし何卒わたしがテクニックの練習なしでゆこうとしているのでは思わないでほしい。私は有名な傑作作品中の困難な箇所を取りだして、何度も何度も繰り返して練習している。
* 演奏会ピアニストには忍耐が必要である。指は鋼鉄のごとく強靱で、同時に柳の枝のごとき柔軟さがなければならない。わたしは力を養成する上に「クライネ・ピシュナー」と「ピシュナー練習曲」の効果を信じている。演奏の速度は力の有無より、指の自然な弾力に関係する。


☆フェルッチョ・ブゾーニ
「細部の磨きの重要性についての話」
わたしは数年前にすばらしい色彩のステンド硝子の製作家として謳われていた、ある有名な芸術家に逢ったことがあった。この人は同時代の人々からステンド硝子の製作者としては世界の第一人者として認められていて(中略)、彼は言う。「芸術的に真の傑作品といわれているステンドグラスが、もし過ってこなごなに破壊されたとしても、残された唯一の小さな破片をよく検討することによって、ありし日のその窓全体を充分に評価することが可能である」
すぐれたピアノの演奏においては、すべての細かい部分がきわめて重要である。

「音を聞くことの重要性について」
大部分の学生があまり注意を払わないことで、音楽修業上の進歩の成果がひとえにかかっている、とまで強調したい、非常に重大なことがある。それは音をよく聞くことの必要ということである。練習中の一音たりとも聞き逃すべからず。すなわち自らの演奏する音に適当した知的な分析が行えるように、耳をよく開いて聞くことである。(中略)わたしの演奏会で、わたし以上に集中してよく聞いている人は聴衆の中には一人もない。わたしはすべての音を聞き漏らすまじと努力し、演奏中のわたしの全神経は作曲家の要求とわたしの解釈の指示するところに従って、ただ一点に集中されているので、他のことは一切意識しない。またわたしは演奏を進歩させる機会のために、心を終始緊張させていなくてはならぬことを学んだ。新しい表現の美を求めているので、公開の席上での演奏中にさえ、まるで天からの啓示のごとく閃いて、ふと新しい細部表現の手法を思い付くことが可能なのである。


☆アルトゥール・ルービンシュタイン
ピアノの修業には二つの道がある。最善の道は、いうところのピアニズムを忘れて、演奏する音楽の神髄に徹し、自らの音楽の思惟の充分な表現を発見し、他人に喜びを与えようと試みることである。もう一つの手がかりは別に珍しいものではないが、ピアニスティックな諸効果——すなわち絢爛さや速度やその他——が、音楽そのものが単にその演奏者の能力を示す手段に至る点にまで集中することである。だから学習の第一歩は、まず己がなにを成就しようとしているのか確かめることが必要なのである。


☆ロベール・カサドジュ
速度と力強さの獲得は、それ自身はまったく非音楽的なことではあるが、結果として音楽を作ることに導かれる。それは完全に体操的で機械的なものであるから、そのために音楽とは別に、はなれて接近すべきものである。わたしはすぐれた作品の技巧的に困難な楽句を選び出して、これを練習することによって技術訓練をすることを支持しない者である。学生は彼の知識を楽曲のいかなる表現にも適応する前に、まず作品全体としての技術の熟達を獲得すべきである。たとえばショパンの嬰ト短調の練習曲を、単なる三度音程の演奏を熟達するための練習曲として用いることは間違いである。その過程は逆にしなくてはならない。この練習曲を試みる前に学生は、まず長年の間、三度音程の問題すべてを各調子にわたって、あらゆるリズムで熟練しなくてはならない。


☆イグナーツ・ヤン・パデレフスキー
ピアノの前に座って、傑作品の美しさに弾き耽るのはたのしい。しかしそれらが指使い、ペダルの使用法、フレージング、タッチ、音響効果などの、正確な細部の組織的研究になると、これは努力である。努力以外のなにものもない。この点に関しては強調しすぎるということはない。

本式に進歩をしたい学生は、毎日の練習になんらかの一定の方法を持たねばならぬということである。進歩するためには、計画と工夫と目的を持たねばならない。悪い計画はない方がよい。


☆オシップ・ガヴリロヴィッチ
タッチこそは、ある演奏家の音楽を他人のとはまったく区別して特徴づけるものであり、演奏者の音質やダイナミックな色彩を生む手段を支配するものである。わたしは多くの権威ある人々が、音質は演奏家にではなくて、楽器の質によると信じ満足していることを知っている。しかしわたしは屏風をへだてた多くのピアニストが次々同じ楽器を演奏するのを聞き、その中にわたしの友人ハロルド・バウアーがいたとしたら、私は彼独特のタッチによって、ただちに彼を聞きあてることができることを確信する理由を持っている。事実、よく訓練された耳は、あたかも多くの人々の声の質を聞きわけるのと同様の正確さをもって、演奏のタッチによって個性を識別できるものである。

指のみで演奏されると、非常に乾いた硬い音がするものである。腕によるタッチ、すなわち肩から腕そして指先まで、完全に力を抜いた状態をわたしは演奏中ほとんどつねに用いている。わたしの用いるタッチはおのおのの指、手、および腕のタッチを総合したものである。これは数限りなき結果を演奏の上に生むもので、ただ経験のある演奏家のみが、その希望する効果をどこに適応させるか判断できるのである。

まだまだ書き写したい部分は沢山あるのですが、短い時間にてここらで限界・・・
***********************************


その他にも思い出して開いてみたページは沢山あります。例えば…

☆マーク・ハンブルクの中より…

生徒たちの集まりで、競争意識が高まり、気のよいしたしさから口がほどける時には、真に貴重な批評が必ず受け入れられるものである。しかしながらピアニストにとって、いわゆる友人の前での演奏は、ほとんど無益である。お世辞はなにものにも増して、正直な努力を破壊するだけのものである。
善意ある批評は、単に実のない称讃や、また愚かなきず探しから、容易に識別できるものである。
(中略)
演奏家にとって、もっとも欠くべからざる徳性はなにかといわれれば、わたしは「誠実さ」といいたい。もし芸術家が誠実でなければ、その人は見世物師以上に出ない。聴衆は芸術家に誠実さを期待する権利を持っている。もし芸術家が公衆の甘言に陥って、単に金儲けのために演奏するならば、長い間には必ず苦しむようになるであろう。


*****************************

今は以上。
「生徒たちの集まり」と書いてあるから、と生徒たちだけに読んで欲しい、と書き写した訳ではありません。
日頃から教師と生徒であっても、ピアニスト同士てあっても、或いは先輩後輩の関係であっても、どのような間柄でも真摯な発言をするように心掛けています。(日常の冗談混じりの雑談は別として)

最近は「飴と鞭の使い分け」が重んじられ(特に飴を重んじ)、「褒めて育てる」傾向になりましたが…。


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プロフィール

奥 千絵子

Author:奥 千絵子
★上の画像は2001年にCDにして約3枚分を収録したものを,2006年に2枚組としてリリースしたCD「樂の音に寄せて」です.『レコード芸術』2007年1月号で「特選盤」として取り上げられました.戸倉新樹教授によるライナーノートは医学生にもお薦めです.その他のCDや著書はWebsite「本館」からお入りください.このブログも「本館」のDIARYです.
★このブログの"Grüß Gott !" (文字化けの場合はGruess Gott!)は墺・南独の時間を問わない挨拶です.Website「本館」のDIARYです.出版CDや著書の詳細は「本館」のメニューからお入りください.
Website「別館」もあります. 著書「ピアノと向きあう」の説明を補うサイトです.よく頂く質問に説明を記載しています.
★上記著書については今井顕 氏によるKINOKUNIYA書評空間WEBLOG を是非ご一読くださいませ.
Auch auf Deutsch schrieb ich…
★【膠原病の記録】余りに医療のカテゴリーがが増えてしまったので目下整理中です.大変複雑な病気の経験が同じ病の方々への参考となりましたら幸いです.
「乳癌と膠原病(皮膚筋炎・多発性筋炎)」「膠原病(退院後)」 ,その他の医療の話(自分以外も含めて)は「医療・病院関係」,に取り敢えず分けました.
平成12.12.12.病院での復帰リサイタルは演奏動画入り記録です。
★恩師のことは55年間を遡り少しずつ記載するつもりです。目下のところはこれだけです.
★コメントも大歓迎です。SPAM防止上、確認後に公開しております。ご理解をお願い致します.
★このブログや大元のサイトへの感想やお問い合わせはservus2008@gmail.com宛に@を半角に直して送信願います.
【BGM】
Robert Stolzメドレー
演奏:東京カンマーコレーゲン 
室内楽アレンジ:奥 千絵子
ショパン:華麗なる大円舞曲Op.18
演奏:奥千絵子 ショパンのワルツは上の画像の2枚組CD「樂の音に寄せて」に入っております.
★Copyrights©1997-2020 Chieko Oku All rights reserved.
制作・著作:奥千絵子
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