基礎の方向の重要性 - 2013.07.31 Wed
許可を得たのでコピペします。
********************************************************
ピアノを習っていたのは幼少の頃のことで、
やれ受験勉強だ何だと言い訳に本格的にはやらなかった。
けれど母がピアニストなのでいつでも習える環境にもあり、
無論ピアノも家に何台もあるのでいつでも触ることが出来た。
中学受験の自宅学習の際は勉強部屋ではなくピアノの横で机に向かった。
母の練習する音が心地よく集中出来た。
最後に発表会に出たのは中学生で、以降はきちんと練習しなくなった。
けれど高校で軽音部に入り、弾き語りをすることになったのでピアノを借りた。
折しも母が大病で入院してしまっており、主人の居ないピアノもまんざらでもなかったのではないか。
教えてくれる人は居なかったが幼い頃の記憶もあれば、母の練習も観察してきた。
指のトレーニングから始まり、課題曲は録音して何度も自分の演奏を聞き返した。
楽譜は弾き方や注意のメモでかなりいっぱいになった。
たかだか高校の文化祭でも真剣だった。
それからもちょこちょこ弾き語りの曲を練習することはあったが、徐々に離れた。
だが生活のリズムが整い、時間も出来て、またピアノに触れたいと思うようになった。
何か弾きたい曲があるというより、単にピアノとの時間を持ちたかった。
元々握力も余り無いので、久々に鍵盤に乗った指はよろよろと心許ない。
幼稚園から使っていたトレーニング用の楽譜を開くと、母の書いてくれたメモで埋まっていた。
練習曲は10年前に一度弾いた曲にした。
身体が少し覚えていて譜読みが比較的楽だからだ。
ピアノとの対話。
努力すれば音色は裏切らない。
指先の紡ぐ心地よい音が身も心も包んでくれる。
音に集中出来るので、日常の様々な問題からも一旦距離を置ける。
趣味で演奏する音楽は最高の贅沢だと思う。
全力の遊び。
求めれば与えられるのだと、教えてくれる。
*******************************************************
以上です。
娘に「教師」としてきちんと教えたのは幼稚園年中の秋から、小1の秋まででした。物理的に、本人の眠っている深夜にならないとピアノが空かない、という事情からです。
小1の時、尊敬する井内澄子先生の公開レッスンに出させて頂き、お褒めの言葉を頂戴したことを懐かしく思い出します。(J.S.バッハのKleine PräludienよりBWV 927とBWV 935)
それは兎も角…
指の練習を30分ほどして、曲は記憶出来る長さに区切って片手ずつ譜読みをし、両手で弾き…の延長で1曲があっと言う間に仕上がり、自分の趣味としての曲を再度楽しみ始めた様子。
ゼロ地点からプラス方向にのみ向かう練習をしたので - 幼少時のほんの2年間とは言え- 少しの練習でも楽しむところまで行き着くようです。
自然消滅した小1の時点でさらっていた練習曲は、ル・クッペイのABCとラジリテを併用していたはずです。
なので、そのレベルの曲であれば、すんなり戻るらしい・・・尤も現在はクラシックを弾きませんが・・
下の動画は、2007年の「伴奏兼弾き語り」です(ライヴハウス)。
この時も「何年ぶり」の状態でしたが、楽しんでいました。
[広告] VPS
- 関連記事
-
- 何を練習するか (2014/05/15)
- 今度は教師馬鹿 (2013/12/22)
- ペダリング(又しても) (2013/11/17)
- 思うこと (2013/11/15)
- ペダリング (2013/10/27)
- 準備 (2013/10/26)
- 『大ピアニストは語る』 (2013/09/19)
- 基礎の方向の重要性 (2013/07/31)
- 33回の反復 (2013/07/26)
- スタジオパーク再放送 (2013/07/25)
- 雑談ながら (2013/07/22)
- 訴えたいほど腹の立つこと (2013/07/21)
- Mozat KV448 (2013/07/19)
- メロディ・バス・ハーモニー (2013/07/10)
- 次回勉強会 (2013/07/05)
● COMMENT ●
トラックバック
http://allegrobunchan.blog18.fc2.com/tb.php/911-76c55d05
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)