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2020-09

一度でも直接話しをしてみたかった(2) - 2008.04.29 Tue


(2)は身内の話。

ー順不同ながら訂正と注釈を,写真の下に加えます(2008年5月5日)ー
(先に書いてしまった本文も維持したくこの様になってしまいましたが,いずれ番号を整理したいと思います)



母方祖母,阿部よしゑと私は一度も話したことが無い。

祖母のことは,初めて海外に渡ってパリにてハープを学び,帰国後に教えた人,と母より聞かされていた。※2昭和の一桁という初期,子供5人を残してロシアに渡り,そこからパリに行き,ハープを学んだ。※1
私が初めて会ったのは,確か大学受験直前,もう何があってもおかしくない状態が故,病院で,であった。※7
亡くなったのは,糖尿病で不自由な身体のところに,電気炬燵の漏電からの火傷で,と聞かされているが,晩年はお弟子さんがたに実に良く接して頂き,お世話になっていた,ということだった。※8

そのお一人の田中恭子さんからメールを3月に頂いた。形見分けにて彼女が所有していたハープ,すなわち祖母がパリから持ち帰ったというエラールが,この度東京藝大の奏楽堂に納められることになった,とのお知らせであった。

それに伴い情報を集めるべく,亡き母が大切に保管していた,祖母が書いた原稿や写真などを探し出しに妹が我が家に出向いてくれ,コピーをし(目下情けないことに,コピー機もスキャナも壊れているので,コンビニへ行ってくれた),更に原稿起こしに入っている。藁半紙に鉛筆で下書きをし,万年筆で清書されて行くが,そこでも何度も手直しをしている。
ハープの歴史,種類,しくみ,又イスラエルで行われたハープ・コンクールの委員会より客員として招聘された話など・・・
私らの様なハープに全く疎い者が読んでも,内容は勿論,それらの文章の手直しの過程(時には,どこからどこに飛ぶのか判読に苦しみつつも)を経て完成して行く文章は興味深い。あたかも大作曲家の手書き譜から,最初に書いていた音から,完成した音に進む過程を読んでいる様な感じだ。

まだまだ西洋音楽の黎明期,祖母はどんな生活を送っていたのだろう。
日本で既にハープはもとより楽器を学んでいた,という話は親族からは聞いていない。
かつて故・野村光一氏の奥様(女学校で祖母と親しかったそうだ)が「よしゑさんは才女でいらしたから」と,当時の家庭,それも法律一辺倒の家庭に収まることは周囲から見ても勿体なかった,と家庭を捨てたことについては弁護してくださったことがあったが・・
色々な噂(スパイ容疑などまで)は伝わるものの,祖母の口から,どの様な生活を送っていたのか,まだ西洋音楽が日本では今の様に浸透していない,と言ってよいほどの時代にどの様に学んだのか,最初に渡ったロシアで(国を出るにあたっては「タイプライターの学習」ということだったそうだが,これは単なる書類上の口実なのだろうか?)※3,多くの著名な方々と親交を深めていたそうだが(例えば,ショーロホフ氏など,既に亡くなった叔母たちが「静かなるドン」がなんとか,と言っていたのも,私は当時は全く興味もなく※5),どの様な話題が出たのか,祖母に会って直接訊いてみたかったことが沢山ある。※4



妹が勤務先である藝大に出向き,弦楽科の教授にお会いし,その後ハープを見せて頂き,撮った写真を早速メール添付で送ってくれた。
楽器の細部は,まるでヨーロッパの教会の彫像の様だ。
映画「ビルマの竪琴」の演奏は,この楽器で祖母によりなされた。※6
(ここに載せること,承諾頂きましたので数枚披露致しますが,問題が出ました折には削除致します)

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(このハープの画像のダウンロードは禁じております)

__________________________
(追記・訂正)

※1
身内から聞かされていた,祖母阿部よしゑは5人の子供を置いてロシアに行ってしまった,という話は結果としてはそういうことにもなろうし,子供達にとってみれば(全員一桁の年齢の時に)一番悲しく寂しかったのだと思うが,祖母は自ら飛び出したのではなく,婚家(秋田市)を追われたのであった,ということを初めて知った。
代々法律家の家系で,昭和4年に亡くなった祖父(母の父親)の父親というのが甚だ厳格な人であったことは常に母から聞かされていた。
祖父は旧制中学一高帝大,と飛び級にて駆け上がり,大学1年で司法試験に合格したという期待の星だったのが,昭和4年に敗血症で急逝してしまったので,母の祖父は急遽後継ぎを次男である母の叔父にした(その叔父,つまり母たちの養父も可成りの堅物だった話しか聞いていない。しかし敬虔なクリスチャンで,預けられた母たち兄妹はお祈りをしないと食事を与えられなかったし洗礼も義務だった,と母から常々聞かされた)。
余談ながら,母の兄が更なる後継ぎとして期待され,帝大の法学部を受けさせられた(筈だった)のがどうしても独文学の夢を捨てられず,文学部を受験したので,養父から勘当を喰らったことも母から聞いていた。だが,戦争への召集令状が来た時,その堅物の養父も「好きな道に進んでくれてよかった」と号泣したそうだ。

※2
祖父が亡くなり祖母が籍を抜かされた昭和の4年という年を,祖母自ら(居場所が無くなって)飛び出した,と思い込んでいた(思い込まされていた)のだから,お弟子さんがたからの「除籍させられた」という話は驚くと共に納得した。母たち兄妹にしてみれば「捨てられた」という感覚だったのだろうが・・・あの時代に、女手ひとつで5人の子供達を養うすべもなく,子供達を育ててもらうために婚家を去らざるを得なかったのだ。

※3
籍を抜かされた後,祖母は自分自身が食べて行く為に上京し,色々な資格(そのひとつがタイプライターだった様だ)を得て国家試験に合格し,外務省に勤務,大使館勤めをしてロシアに渡り,そこで西洋音楽に触れてハープに惹かれ,パリに転勤になったのを機にMarcel Tournier氏に師事した,という経緯の様だ。Tournier氏は祖母の為にも曲を作ってくださった様で,又祖母への綿密な指導法は目下解読している原稿からもよく分かる。

※4
帰国した時(敗戦で),藝大ではハーピストの存在は薄く、ピアノ科の中にハープを弾いても良いわよ,的なハープの学習状態を,祖母はそんなに甘いものではない!!とハープ科を作ったそうだ。
ところが性格は頑固で自分の意見は曲げない(そうでなければ外務省で女性として働くなど,時代を思えば到底出来る訳もなく,海外とて然り,やって行く過程で一層頑固さに磨きがかかったのではないか?と私個人は推察してしまう),丁度海外より1952年にN響の客員として招かれたウィーンの奏者と衝突して,その座を奪われた様だ。日本ハープ協会なるものも祖母が作ったそうだが,これも同様。

※5
祖母はロシア滞在中に色々な著名人と親交があり(これも仕事柄,と納得が行った),「静かなるドン」のショーロホフ氏については,伯父叔母たち,母からも文献があることを知らされていた。

※6
唯一世に認められた,とも言える映画「ビルマの竪琴」での裏方としての演奏は,数年前にDVDを購入し,母の生前,脚が動かない慰みに何かの折にプレゼントし,私も初めて祖母の音に聴き入った。

※7
全身を包帯でぐるぐる巻きにされ,意識も無く,一言も言葉を交わせなかったことが悔やまれる。

※8
どうしても想像から抜けない,親族たちからの情報 ー堅物,頑固者,といっただけの性格ー から想像すれば,最期の時まで祖母にハープを習い,しかも日常の様々を支えてくださった,ということだけからも,そのお弟子さんたちが如何に優しい方々であったかは想像に余りある。改めて感謝の念に堪えない。心から・・・

★取り敢えずここまで送信致しますが,まだお名前を出してよいものかお訊きしていない方もあり,許可を得ましたら掲載させて頂きます。




ドイツ語はこちらです。二通分纏めてあり、直訳ではありません。




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● COMMENT ●

Re: はじめまして

アラフィマダムコミキさま

書き込みを有難うございました。

私の一昨年の4月~5月の祖母に関する日記、※印だらけで後で編集するつもりが、とうとう2年間放置となってしまいました。
そんな状態で宜しければ、どうぞお用いになってくださいませ。
今後ともよろしくお願い致します。

はじめまして

4月22日に日経に載った阿部よしゑさんの記事の感想を自分のブログに書かせて頂きました。
その際ネットで「阿部よしゑ」を検索してみてこちらのブログにたどりつきました。
あらためてお祖母さまの生涯に興味を抱きました。
ありがとうございます。
私のブログでこちらの阿部よしゑさんの部分のブログを紹介させて頂くこともあるかもしれませんがよろしいですか?
激動の時代を生き抜いて、日本の音楽界の礎を築いてきた方々には、尊敬と感動を覚えます。


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プロフィール

奥 千絵子

Author:奥 千絵子
★上の画像は2001年にCDにして約3枚分を収録したものを,2006年に2枚組としてリリースしたCD「樂の音に寄せて」です.『レコード芸術』2007年1月号で「特選盤」として取り上げられました.戸倉新樹教授によるライナーノートは医学生にもお薦めです.その他のCDや著書はWebsite「本館」からお入りください.このブログも「本館」のDIARYです.
★このブログの"Grüß Gott !" (文字化けの場合はGruess Gott!)は墺・南独の時間を問わない挨拶です.Website「本館」のDIARYです.出版CDや著書の詳細は「本館」のメニューからお入りください.
Website「別館」もあります. 著書「ピアノと向きあう」の説明を補うサイトです.よく頂く質問に説明を記載しています.
★上記著書については今井顕 氏によるKINOKUNIYA書評空間WEBLOG を是非ご一読くださいませ.
Auch auf Deutsch schrieb ich…
★【膠原病の記録】余りに医療のカテゴリーがが増えてしまったので目下整理中です.大変複雑な病気の経験が同じ病の方々への参考となりましたら幸いです.
「乳癌と膠原病(皮膚筋炎・多発性筋炎)」「膠原病(退院後)」 ,その他の医療の話(自分以外も含めて)は「医療・病院関係」,に取り敢えず分けました.
平成12.12.12.病院での復帰リサイタルは演奏動画入り記録です。
★恩師のことは55年間を遡り少しずつ記載するつもりです。目下のところはこれだけです.
★コメントも大歓迎です。SPAM防止上、確認後に公開しております。ご理解をお願い致します.
★このブログや大元のサイトへの感想やお問い合わせはservus2008@gmail.com宛に@を半角に直して送信願います.
【BGM】
Robert Stolzメドレー
演奏:東京カンマーコレーゲン 
室内楽アレンジ:奥 千絵子
ショパン:華麗なる大円舞曲Op.18
演奏:奥千絵子 ショパンのワルツは上の画像の2枚組CD「樂の音に寄せて」に入っております.
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制作・著作:奥千絵子
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