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2020-09

Himmelmutterweg - 2008.03.15 Sat



私たちがお借りしている家へ帰る度に電車を降りる停留所が「Himmelmutterweg」。(Himmel=空,天国,神 Mutter=母 Weg=小径)
これは,この国がカトリック教国であることを考えれば,Mutterは明らかにマリア様なのですが,停留所がアナウンスされる度,私はどうしても一昨年の12月に亡くなった「母」のことを言われている様な錯覚に陥って仕方がないのです。

冬なので,綺麗に揃えて刈り取られた葡萄畑の横を長く長く登って行く道。家は反対側なの
で,今まで電車から眺めるばかりで歩いたことはなかったのですが,今朝は雲ひとつない快晴!!娘とどこかに行こうと思っていたのだけれども起きる気配なく,さりとてこういう太陽が勿体ない。
「そうだ!一度歩いてみよう!!」とHimmelmutterwegへ私ひとりで出掛けることにしました。

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(この様な道にも,ゴミを分別する大きな容器が・・・しかも一番右は「古着」用)
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青く,どこまでも青く続く空を見上げると,どこかに母が居て,私を見ていてくれる様な錯覚に。

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この錯覚は,10年くらい前に私の高校の音楽の恩師が亡くなった折,宮城県から駆けつけた恩師の父親の話の中,「私は牧師であるにも拘らず,飛行機が飛び立ち空を飛ぶ間,娘がどこかに居る様な錯覚にとらわれてなりませんでした。天国は,物質として空にある訳ではないことは重々承知なのですが」と言われたことを思い出させました。(この,亡くなられた先生は80代でしたので,現職中という父上は一体何歳でいらしたのか,尊敬の念に堪えません)

途中,来た道を振り返ると,今住んでいる方の山が見える。

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どこまでも続く道と青い空。

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母が亡くなったのは,一昨年2006年12月14日。私が11日にリサイタルをしたのですが,母は具合の悪い脚を引きずってタクシーに単独乗って,妹と携帯で連絡を取りながら来てくれました。
翌日の私の誕生日も,いつもならケーキを誘えば喜んで同席してくれるのが億劫そう・・「遅いから止めておくわ」と。
そして14日の午前中に,かかりつけの病院の真ん前で倒れたのでした。電話があったのは介護センターのケアマネからで,既に倒れて1時間半も経っていました。

秋頃より,持病の喘息とも違う息苦しさが見え,あぁ,早く仕事を全部終えて病院に付き添わねば,と思っていたことは,今となっては言い訳の他,何ものでもありません。(この辺りのことは又改めます。私の日記,「又改めます」が多過ぎて,段々何を改めるのだったか不明になってきました)
母の死因は「大動脈解離を原因とする心タンポナーデ」でした。
その病院へは,全く曲がらなくなってしまっている膝を持った脚のマッサージの為,整形外科に通っていました。その病院はメインが「救急病院」。会計を済ませ,ドアを出たところで一瞬立ち止まり,そして倒れた,と聞かされました。病院のガラス扉越しに病院職員も待合室の患者さんもその一部始終は見ていた様です。
すぐさま担架で再度運ばれ,衣類をハサミでジョキジョキ切り開いて,胸も切開し,チューブを通して心臓と心膜の間に溜まった血液を抜きながら(溜まった血液が心臓を圧迫して心停止を起こしていたので)蘇生手段を取ってくださったそうですが,立ち止まった瞬間の即死だった様です。
我が家からは自転車なら5分とかからない距離。主人の車で駆けつけたのですが,既に処置も終わり,血液もきれいに拭き取られていました。顔は,いつもと変わらず,朝起きると一番で化粧をする母の習慣の素晴らしさ,いつも皆さんに言われている通り,綺麗なおばあちゃまでした。

長く実家に一人で住み,そのことすらもが後悔極まりないのですが,その後我が家の向かいのマンションに越して来て,母は私ら家族をどれだけ頼っていたか・・・それなのに,こういう事態になってしまったこと,これらは悔いても悔いても心のやり場が無いまま今に至ります。

色々なことを存分に思い出しながら,今日はHimmelmutterwegを歩きました。


その道が終わり,左に折れるとSchafbergbadという屋外プールが!

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ここは,私が留学して最初の一年間を過ごした家から徒歩で来られる場所(つまり,更に北側の18区に住んでいた),まだ友達だった主人ともよく来ました。

こんなに立派だったかしら?滑り台なんてあったかしら??と,フェンス越しに怪しげな撮影。これが夏だったなら,警官に呼び止められたかも・・・

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その近くに教会がある・・

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これ,もしかして,今の家から停留所に長い長い坂と階段を降りる時,向こうの山の天辺に見えている建物では???ひとつだけ何か形が違うので,一体何だろう?(一応)教会かもしれない,とは思っていたのですが。

(我が家方面から撮った遠い山の風景。左の方に小さく見えます)
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(アップで)
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(今日,間近で写したもの。つまり反対側からになりますが)
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(近辺の様子)
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はぁ~~~・・・何と,山から山へ歩いてしまったことになります。
晴れていて暖かく,素晴らしい散歩道でした。

さて,どうやって帰ろうか。来た道をそのまま戻るよりも・・・と,最寄りのバス停でバスを待つことに。



さて,クイズ。下は何だと思われますか?(ポチッと)
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少し遠のき・・
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もうちょっと遠のき・・
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答えは「停留所の広告」でした。何か保険か??
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帰りは別な道にしました。
Kreuzwiesengasseって,交差した道だと思ったのですが・・
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十字架がありますね。
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どうやらウィーン市立の修道院らしい・・・
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やはりイースター前,色々な出逢いがある様です。

長々すみません!!!


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● COMMENT ●

Re: 懐かしいです。

Siskeさん
コメントを有難うございました!
35年前ですか…。写真は2008年、17区の友人宅に数ヶ月滞在していた時のものですが、1970年代半ばに18区に住んでいた頃は夏にこのプールによく行きましたので、思わず日記に書いてしまったのでした。
"Wien bleibt Wien"ですね。

懐かしいです。

突然のコメント、失礼します。
何気なく、道の名前を検索してこちらに辿りつきました。今から35年ほど前、幼少の頃、HimmelMutterWegのすぐ近くに住んでおり、大変懐かしく読ませて頂きました。ワイン畑といい、当時とまったく変わっていませんですね。坂の頂上のプールが残っていたのも驚きました。ちょっとしたタイムカプセル気分を楽しませて頂きました。ありがとうございます!

No title

有難うございます。
タヌキさんのご両親様も今は天国で見守っていらっしゃるのですね。
私の母は5~6回ウィーンに来たことがあります。妹も引き続き留学したので合計すると,です。一度目は父と一緒でした。その父は1986年に末期の胃癌で他界しております。1980年に私が長男を出産した折にも母は遠路はるばるまさに飛んできてくれたのですが,産湯は無理!怖くて…と断られ(我々姉妹の出産の折には祖母が全部してくれたそうで),今は亡きテノールの山路芳久さんの奥様が入れてご指導くださったのを懐かしく思い出します。
母がモーツァルトの貧民墓地で拾った沢山のマロニエの実からほんの数個が芽を出し,更にそのひとつが大きく育ち道路にはみ出すほど繁りましたが,その家も今は無く,沢山の想い出はずっと生きています。
「千の風」の歌詞,その様に考えてみると甚く頷けます。

No title

亡くなられたお母様は、ウィーンに何度か行かれたことはあるのでしょうか?今その写真にある突き抜けるように青い空から見守っておいでのことと思います。
私の母も2004年7月末に末期すい臓癌のため自宅で突然意識を失い入院一ヶ月後の9月に亡くなりました。そして2007年2月には父が亡くなりました。ですから今書かれてるお気持ちがなんとなくわかるような気がします。子どもとして自分の親に対する自責の念とか・・、親に関連のある言葉、事象をみて思わず涙したり等々。一昨年から、あの「千の風」が空前のヒットをしたのがわかるような気もしました。
 母は大正生まれの小児科医でしたが、若い頃原田先生という方にピアノを習い趣味で自宅で良くピアノを弾いてました。とりわけショパンが大好きでしたので、入院中はショパンのCDをいくつか持っていって流していました。意識はありませんでしたが、痛みは感じていたので音は聞こえていたと今でも思っています・・・。
やはり長くなりそうなのでこの辺でやめます。 




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プロフィール

奥 千絵子

Author:奥 千絵子
★上の画像は2001年にCDにして約3枚分を収録したものを,2006年に2枚組としてリリースしたCD「樂の音に寄せて」です.『レコード芸術』2007年1月号で「特選盤」として取り上げられました.戸倉新樹教授によるライナーノートは医学生にもお薦めです.その他のCDや著書はWebsite「本館」からお入りください.このブログも「本館」のDIARYです.
★このブログの"Grüß Gott !" (文字化けの場合はGruess Gott!)は墺・南独の時間を問わない挨拶です.Website「本館」のDIARYです.出版CDや著書の詳細は「本館」のメニューからお入りください.
Website「別館」もあります. 著書「ピアノと向きあう」の説明を補うサイトです.よく頂く質問に説明を記載しています.
★上記著書については今井顕 氏によるKINOKUNIYA書評空間WEBLOG を是非ご一読くださいませ.
Auch auf Deutsch schrieb ich…
★【膠原病の記録】余りに医療のカテゴリーがが増えてしまったので目下整理中です.大変複雑な病気の経験が同じ病の方々への参考となりましたら幸いです.
「乳癌と膠原病(皮膚筋炎・多発性筋炎)」「膠原病(退院後)」 ,その他の医療の話(自分以外も含めて)は「医療・病院関係」,に取り敢えず分けました.
平成12.12.12.病院での復帰リサイタルは演奏動画入り記録です。
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演奏:東京カンマーコレーゲン 
室内楽アレンジ:奥 千絵子
ショパン:華麗なる大円舞曲Op.18
演奏:奥千絵子 ショパンのワルツは上の画像の2枚組CD「樂の音に寄せて」に入っております.
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