パソコンで楽譜を書く日々・等 - 2001.06.26 Tue
パソコンメールの便利さ。
しかもパソコンの不明点は、メールにて友人達に指導を仰ぎ、感謝感謝。
又、Finaleは使うほどに慣れ、鍵盤キーボードと繋げて記譜。毎週土曜に宮地楽器の講座に自分のパソコンを持って出向き、不明点を教わる形になりつつある。
今までの編曲を読み易い様に清書したり、控えているアレンジを打ったりしている。
5月29日
複数の科を待つ間と、雨が上がるのを待つ間、持参したパソコンで楽譜の手直し(臨時記号が全部♭で表示されるので、それらを直したり、字余り的に入る細かい音符・連符、スラーその他の記号などをクリックで入れる作業)。
雨が上がり、三鷹の風のホールへ予約の確認へ(10月2日にリサイタルをしたく)。
電車とバスを乗り継ぎ帰宅。バスを降りたら生憎の豪雨。パソコンが濡れない様に疾走した。
余りにFinaleに熱中した所為か、夜風呂に入っていたら、壁に楽譜がちらついて見えることに気付いた。…気の所為だろう、と思ったが確かに見える。残像は白黒反転するのではないか?そのまま黒くチラチラする。※1,2
※1 この楽譜のチラチラは、パソコンに於いて目はパソコンを凝視、楽譜はパソコンの画面上をスクロールして流れるので、残像(?)もチラチラとスクロール状態。16分音符を多く打った後には16分音符が、8分音符の三連符を多く打った後にはそれらが、という様に出る。
その後眼科で相談したが埒が明かず、どの科を受診しても「幻覚扱い」されてしまう。
実際に見えている証拠は、パソコンの距離に相当する平面ではパソコン画面の楽譜のサイズで、そして少し離れた壁を見ればパソコンの楽譜より大きく、もっと遠くを見れば更に大きく比例して見えるのだから、視神経に焼き付いて脳が連動してしまっているのではないか?と思う。
この様な類の証明出来ない(データとして)症状が常に困りもの。
※2 結局この楽譜の像は、楽譜書きを止めない限り続く。しかもそれのみならず、5-6年後には、とうとう紙の楽譜を見た後にも同じ現象が起きる様になってしまった。この場合は楽譜は固定され、自分の目がスクロール状態にて読む訳で、やはりチラチラと移動して動く。
シェーグレン症候群も持っているらしいので、体液不足と何か関係があるのでは?と思ってしまう。神経の中のしくみを知りたい。
6月7日
この辺りは倦怠感で、暇さえあれば寝てばかりいる。
6月8日
午後3時間、夜3時間生徒を教える。
夜のインターフォン、爆睡にて聞こえず。
6月9日
Finaleの講座の後

6月10日
回転性の眩暈。メリスロン12mgを2回服用。
既に家を出たであろう方々を思い、勉強会までに根性で治した。
6月11日
パソコンで「こうもり」のオルロフスキーのオケ部分を室内楽用にアレンジして打ったのだが、何を触ったのか、消失してしまい、再度打ち直し。夜中の3時になってしまった。それから風呂に入り、ピアノをさらって朝5時就寝。
6月12日
リハビリ、皮膚科、第1内科。
その後レストランでピアノも弾いた。
6月14日
リストの超絶技巧練習曲「鬼火」をさらってみる。
秋までに何とかなるかも分からない。
6月15日
骨シンチの造影剤注射→乳腺科受診「あぁ、あるねぇ」
…又か??と思う。→超音波→腫瘍センター→食事とピアノをレストランで→骨シンチ
又乳癌かも分からない、と思うとあれこれのやり残しに焦りを感じる。
生徒達にも、もっとピアノそのものも、ピアノを通じて人間としての何かも伝えねばならない、と思う。
6月16日
生徒の出来は甚だ悪く、(以下略)
6月17日
パソコンで、Robert Stolzのメドレーの清書を終わらせた。
~~この辺りはパソコンでの楽譜書きと、生徒のレッスンは1日平均に換算すると2-3時間。
6月22日
乳腺の結果。
当面は観察状態。
レストランへ行き、閉鎖のことを聞かされた。
6月24日
母校の友人達で作っていたサイトから、私の書き込みを抜粋
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投稿日時 : 2001/06/25 12:16
昨日は半年ぶりに教会へ行きました。
1年程前、近くの久我山宣教会での音楽伝道礼拝の案内に吸い寄せられる様に行ったのがきっかけ。
昨日も又、音楽伝道礼拝の案内状を頂き、娘と共に行って来ました。水野源三氏の詩によるによる讃美歌を聖歌隊員が歌いました。水野源三氏は、御存知の方も多いと思いますが、幼少の頃、赤痢の高熱から脳性麻痺を起こし、まばたき以外の全ての自由を奪われました。そして、"あいうえお"の五十音表を母親がひとつずつ指で指し、自分の望む文字が来るとまばたきをする、という風に日常の意志を伝えていたのです。そうして神を賛美する多くの詩が生まれました。信じられない様な状況の中で、感謝ばかりの言葉。涙無くしては聴く事が出来ません。うろ覚えですが、ローマ人への手紙だったか??"患難が忍耐を生み、忍耐が錬逹を生み、錬逹が希望を生み. . . ." という(違ったらご免なさい)聖句を思い出さずにはいられず、昨日は希望を沢山頂きました。
それから、この教会の牧師、中原先生は、白血病と闘い乍らの生活です。平日は長野で療養されておられます。膠原病にも罹った経験がおありだそうで、奥様の言葉を借りると "病気のデパート" だとか。にも拘わらずとっても明るくて、説教は机も椅子も使わず聖書を手に持ち立ったまま。帰り際、"お元気そうで. . . . . " とお互い言いかけて苦笑し乍ら後の言葉がすぐ出ませんでした。お互い、元気そうに見える為の日頃の努力が解ってしまうからでした。私などは先生に比べれば、とてもおこがましくて言えたものではありませんが、暇さえあれば寝て、生徒達にはさとられぬ様に症状に応じて薬に管理をさせて、何とかやりたい仕事や練習も最低限は手をつけたくて. . . . .の生活。 中原先生は全くの現役(?)の闘病生活を送り乍らの伝道、体調管理の大変さは如何ばかり、と想像に余りあります。にも拘わらず、昨日も沢山の事を教えて下さいました。この事は又、別の機会にしますけれど。エネルギーを沢山頂いて帰って来ました。
では又。
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帰宅して2人生徒のレッスン(4時間近く)
6月26日
3つの科を受診。
プレドニンが5ミリに減るかも分からない。
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