Der Wegweiser(道しるべ)追記 - 2009.03.07 Sat
前述の「冬の旅」の歌詞を、シューベルトが「Wegen」に書き換えたのは意図的であったろう、とする点、私は否定する気にはなれません。
そもそも北ドイツに生まれ育ったWilhelm Müller※の詩です。Straßeが使われていることは、所謂北ドイツ平原ならではの単語。
勿論雪も降りましょうし寒いことには変わりはないのですが。
※Dessauに生まれ、Berlinで日本で言えば文学部に該当するであろう学部で学び、再度Dessauに戻って職に就き、最終的には宮廷顧問官を務めるも、2年後に百日咳に罹り、翌年10月には33歳の若さで心臓発作の為に亡くなっている。
そのミュラーの亡くなった秋にシューベルトはミュラーの詩で「冬の旅」を歌曲集として完成し、その翌年にシューベルトも亡くなっています。
シューベルトはオーストリア(当時の領土とは言え)から一歩も外国に出ていないことを考えると、北ドイツの風景は知らなかったのではないか?あくまでも自分の中での「冬の旅」として考えていたのではないか?
ウィーンという街は、アルプス山脈の東の外れ辺りに位置し、今でも路面電車に乗って郊外に行き、そこから徒歩で散歩を始めれば、可成り勾配の厳しい道(StraßeのみならずGasseもWegも)に出逢います。ちょっと歩けば軽く標高400mを超えます。
ヨーロッパの殆どが道の名前に数字を加えて住所としていると思うのですが、ウィーンの西、つまりウィーンの森と称する辺りにはWegと付く道の名称が一番多い場所もあります。そういう地域には墓地も多いのです。
下は昨年の暖冬だったウィーン郊外から。


下は、普通に雪が降った頃。
(1980年1月)
但し写真の場所は、なだらかな傾斜はあるものの、殆ど平地です。


シューベルトの歌曲を歌う場合には、この土地にて秋から、青空のない長い長い冬を過ごし、5月になりやっと遅い春を迎え、花々がやっと咲き乱れる時期を体感してみない事には表現出来ない部分もあるのではないか…と思うこと屡々です。
勿論理想論ではあります。歌に限らず楽器演奏に於いても。シューベルトの転調を身体の一部の様に感じるには・・・
(尤も、最近の地球温暖化現象では不可能か?)
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