膠原病での入院まで - 1999.07.13 Tue
皮膚生検した場所の消毒。
6月22日
S大T病院に電話をし,状態の報告。それまで訴えていた股関節や肘関節の痛み,首のグリグリ,紅斑等々,「あぁ,膠原病だったらあり得ますよ」とこの時になって言われた。もっと早く思い付いて貰えなかったのだろうか?
餅屋は餅屋。特別上等の餅屋でも高級な霜降り肉は買えないものなぁ……
ノルバデックスは中止することになった。
顔の生検部分抜糸。
6月24日
脚の抜糸
6月25日
ずっと続いていた嗄声だが,飲み込みも悪い。
癌の有無を調べる為に,KR大学病院耳鼻科受診。
6月26日
胃カメラ。
嚥下作用が悪いのに・・と不満だった。案の定スプレー式麻酔(キシロカイン)でむせた上,夕方より蕁麻疹だ!でも,暫く受けられない検査だと思うので,早めに済ませてよかった。
7月1日
皮膚科のカンファレンス。
十数名の医師が私の症状を次々観察して勉強するらしい。見せ物会,と称しておこう。座っていれば良いだけなので苦ではない。
爪の周りは益々赤く(爪周囲炎というらしい),ピアノを普通に弾いていて隣接する鍵盤の角に触れただけでも甚だ痛い!まるでグリッサンドの練習をした後の様に!!
これだけでもとてもピアノどころではない。
7月8日
症状の増悪が甚だしいので,入院を早めることになった。
全身の紅斑の広がり,嗄声,目の周りの浮腫,日に日に激しくなる。
13日に入院が決まった。
7月12日
S大T病院に,手術に関する報告書を貰いに出向いた。
看護婦さんたちが,余りの私の変貌ぶりに驚いた。凄まじい顔の浮腫に紅斑。
声も他人の声となっている。それらはKR大病院では比較の元が無いので分からなかった様だが・・
夜に入院中主治医になる,という女医さんから挨拶の電話があった。「よろしくお願いしま~~す」と明るい声。よろしくお願いするのはこちらなのに・・・良い先生みたいで安心した。
7月13日
KR大病院へ入院。
「検査入院」との立前で,一応3週間。「3週間はあっと言う間ですよ」と長引くことをほのめかされた。※
皮膚筋炎だとすると悪性腫瘍が又潜んでいる可能性がある為,全身の癌の検査が最優先。
早速検査。
この日はレントゲン,呼吸機能検査,心電図,これらで3時には終わってしまった。
その他,採血がO医師によりあったが,採血中に紫斑が出た。悲鳴を上げたくなるほどギュッと縛って痺れが出た位なのだが,そして「あぁ,紫斑が出易いですね」はなかろう。
採血は今まで(妊娠中の頻繁な検査を含め)100回以上受けているがそんな経験は一度もない。下手な医師より,看護婦の方がよほど上手いのだ!!
※結局4ヶ月に及ぶ入院治療となった。
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