4月へ遡って記載(追記あり) - 2014.05.14 Wed
手帳のあるうちに記録。
と思えど、大したこともなく、毎日「疲れた」「うたた寝した」・・・に尽きるのだけれど。
先日は、生徒の親御さんが部屋に入るなり、「先生、お疲れですか?」と仰った。まさに!もう何ヶ月も疲れが取れない。
随分足を運んだ演奏会はカテゴリー改め…と手帳を見たら、さほどの回数ではなかった…
遡って先月、4月19日は吉祥寺へタクシーで出、リムジンバスで羽田へ。伊丹空港へ飛ぶために。
この日が体調急降下。こんな快適な筈のリムジンで酔うとは…というほどの車酔い。
疲れがどっと噴き出した感じだった。
(10人位しか乗っていないリムジン、…こんな贅沢ながら空き!もっと堂々と2席1人ずつ座ればよいのに、夫が3分の2席を占める相変わらずの座り方で、右端に小さくなって座っていた私は、益々具合が悪くなってしまった!!と、こっそり書く…)
羽田には定刻に着き、搭乗まで2時間もあり、さりとて歩く元気もない。
これ又がら空きのソファに半分横になって休んだ。お蔭で動けるようになった。
伊丹に着き、息子一家の迎え。
孫は満5歳。1年間の長さは、我々、もとい私にとっては「あ」っと言う間なのに、孫にとってはこんなにもしっかりする長さなのだ、とびっくり。「言葉が遅いのでは?」と案じた1歳当時は単なる杞憂。達者に喋り、じじばばにクイズを出してくれるというサービス精神旺盛!
空港で軽食を済ませ、レンタカーを確保し、私が(こんなにも奥系の親類が多いというのに)一度も訪ねたことのない神戸を希望した。
(立派なスタバ!…撮っただけ〜)

まずは北野異人館へ。
ところが!「え〜〜〜〜〜っ!?こんなに坂道と階段だらけ???」
という訳で、(家に帰れば何本もあるというのに)杖を途中で1本購入。やれやれ、これで歩ける、助かった!!
以下、写真を並べるだけ。






夜は中華街(屋台の)。

餃子が美味しかったが、豚まん追加。その他歩きながらの胡麻団子(だったか?)も甚だ美味。

北野だったら、次回は北野中学(今は高校?)も訪ねてみたい。父や父の兄弟出身の。
と、取り敢えずこれだけ送信・保管・・・

ここから午後に続きを。
この後、どこかに連れて行ってもらったのか、記憶の彼方。ともあれ夜は息子の家に夫と共に泊めてもらった。
久々に畳の広い部屋に布団を並べて敷いて、という贅沢。
折角勧められた風呂も入らず、眠さには勝てず即刻爆睡。
が!!
我々は家でもそうだが、旅行も大抵部屋を別にしている。特に演奏旅行の時はメンバーに呆れられようとも!
理由は、夫の鼾(いびき)の酷さ。
下は、その昔(1980年代)の私の落書き。
夫が見つけた「イビキ止め」の新聞広告。イビキで何かをキャッチして目覚める、というシロモノだったと思う。

早速電話をして購入したのに、全く効き目が無く、私の「うるさい!!」の声にそのシロモノは負けた。

・・・
・・・
その数十年後、「睡眠時無呼吸症候群」という単語が有名になり、夫も?と甚だ心配したこともあったが、鼾の合間に注意深く聴いていると、呼吸はしているようなので、単なる鼻の問題か??最近はずっと耳鼻科の世話になっている。
それはさておき、この日も凄まじかった。(息子達の部屋にまでとどろき渡ったのでは??)
隣りの私は、結局殆ど眠った気はせず、夜中に何度もスマホに入っている音楽、それも長い、出来るだけ長いアルバムを選び直してイアフォンを耳栓代わりに、そして音楽で鼾の音量を消して一夜が過ぎた。
朝になり、あ〜〜〜〜〜、疲れたなぁ・・・
だった。
朝食をご馳走になり、その後は息子の車とレンタカーの2台を連ねて能勢へ。
この後のことは、毎年同じだが、本家の教会のイースター礼拝に出席。
その後、召天者祈念式。
教会の納骨堂と、奥家の墓と。
心のこもった昼食を教会の方々、奥の親族と共にご一緒させて頂き、毎年ながら楽しいひととき。
他はプライベートの内容となるので端折る。
その後、又車を連ねて教会を後にし、・・・・記憶脱落。
車中は爆睡。どこかに着くと起き、移動すると又即刻爆睡・・・
大きなスーパー(倚音、もとい、AEON?)で孫のおもちゃを探したが、まだ発売されていない模様。
息子の当時と同じだ。寧ろ、あの5色のヒーローものが続いていることにびっくりした。
(欲しがっている、というものは予め東京にてネットで購入し、包装し直してプレゼントとして持って行ったが…)
これ以降、空港に出向く迄は息子に訊かないと記憶の彼方。認知症かも…

取り敢えず、又しても保管して送信。何とも捗らない日記!
久々にこの画面を開いたら、絵文字や文字色のアイコンが変わっていた。
しかも、上に「1日上限30件の投稿件数を100件にする方法」とリンクが張ってあるようだ

1週間に1件ですら危うい現在の私。
さて、帰京2日後に、中学の音楽の恩師を囲む会が催された。私にとっては中三の担任でもあられた。
この先生のお蔭で私は歌うことが大好きになったし、中二からは聖歌隊や礼拝の奏楽当番※など、キリスト教に直結する演奏、というものを知らず知らず教えて頂いていたことに、大人になって(おそらく留学してから)漸く気付いた。まさに「恩師」!!
西牟田和子先生とおっしゃる。
昨年米寿、来年は卒寿を迎えられるとのこと。
音楽の道に進んだ人たち数名でお囲みし、ランチを共にさせて頂いた。
数年前に「自分史 - 恵み 感謝 讃美」を出版され、友人の分と2冊頂いてきた。
貴重なご本、その日のうちに夢中で読んでしまった。
何も知らなかった中学以降の私を振り返り、まだまだ頑張らねば、と思う機会ともなった。
けれどもその日の私は座っているのがやっとで、ランチだけでお先に失礼してしまった。(そういう日が最近よくあるが、生徒のレッスンでは立ったり座ったり2台のピアノを往復したり手本を示したり、と殆どじっとしていないので、気付かない)
※徐々に記憶が繋がってくる。「奏楽」の出来る生徒、確か「ピアノを習っている生徒」が挙手し、一室に集められて、どの練習曲を弾いているか、まず生徒委員の司会でピックアップされ、後日先生が決められた。
初めての奏楽には、メンデルスゾーンの「プレリュードとフーガ Op.35」から第一番のプレリュードを弾かせて頂いたことまで繋がってきた。その後は、大抵バッハの某かの平均律や…相応しい別の作曲家か…高校時代にはリードオルガンに魅せられ、使わせてもらった。
そのメンデルスゾーンのプレリュードとフーガは、20代後半、ケルンの放送局で録音を依頼され、つい数年前にも使用されていてびっくりしてしまった。(これは長くなるので又いずれ)
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