コロナ禍は断捨離!と今度こそ決意したが… - 2020.05.25 Mon
4月7日に東京は緊急事態宣言が出され、その前の3月29日に勉強会を予定は立たないが延期にしたのは良かったと思った。電車を乗り継いで遠くから来られる生徒さんたちが多いので、宣言が出る出ないの問題でもない。
緊急事態宣言が出てから、生徒達のレッスンはほぼ休みにした。
今年は「古稀」という節目の年齢を意識し、いくつかステージ…というか「演奏の場」もしくは「10年前に出版した『ピアノと向きあう』の細かい解説を10回位に分けて講座とする」…を考えていた。でも、それすら不可能となった。そもそもホールはどこも閉鎖。
そうこうするうちにコロナでの死者が報道されるようになった。
私らだって決して他人事ではないと痛感。身内に会えないまま逝ってしまったら遺された家族は遺品整理に困るだろう、そもそも捨ててよい物ばかり(遺族にとっては)だろうし、でも、これは遺族にも見て大切にしていて欲しいという物もある。それが自分の物だけなら良いのだが、親世代の品々、祖父母世代の品々・・・
物置を三体壊さざるを得なかった2015年にも分別はし、可成り多くを処分したとは言え甚だ大雑把だった。残りは空き部屋に突っ込んだに過ぎない。去年は信濃大町のアトリエを手放すこととなり、放置しておけない数々は我が家に運び入れた。勿論何十袋という不要品も捨てたし、アトリエの隣家の方が親切にも後日焼却場へ運んでくださったのは感謝に堪えない。
それでも・・・我が家は不要品に溢れて困っている。そして将来遺された者達が更に困るに違いない。
そうは思えど、一体何人分の荷物!??私の父方祖父・祖母・父・母・義父・義母・あとは生きている私達と子供達の品々。貴重な品々、保管しておきたい品々はあっても、潔く捨てられるかといえば難しい。
何も私が片付けることはない!!
と開き直りかけた時に見た、NHKの番組。
豊田市で独り暮らしをしている89歳の女性。亡くなられたご主人が老後までを考え設計したという鉄筋コンクリート造りの平屋。24畳のリビングに加え、6畳の和室が2部屋。悠々自適の心地良い独り暮らし。
ところが高血圧など、東京に住む娘さんはとても心配し、同居を提案した。仕事もあり、東京での同居。ところが娘さんの家は15坪(だったか?)もない2DK。万が一を考え誘う娘さんと独り暮らしを続けたい母親。
そして娘さんからの提案である「お試し同居」をした上で選択する。タイムリミットも決めた。
その日を前に心は揺れ、施設で暮らす選択肢も考え、母、娘ともに過ごし方の可能性をそれぞれ調べた。
タイムリミットには「東京での同居」「最期に看取ってもらうのは他人ではなく身内」という決断になった。
そして家の整理をしている場面。
何と!アルバムの写真を片っ端から剥がしては捨てるという作業。それこそ何十冊レベルだと思う。
その場面を見て思った。
そうか!断捨離とはそこまでするのだ!!
私らのアルバムはそう沢山はないが、母が整理をしてきた分厚いアルバムは何十冊レベルだ。綺麗に分別され、これらを私が剥がして捨て、剥がして捨て、は到底出来ない。子・孫たちにも見て欲しい。父母の物のみならず祖父母の遺品も。
89歳になるまで、幸いまだ20年もあるではないか!何歳まで生きられるのかは全く知る術もないが。
「断捨離」は妥協レベルとした。
大切な物の在処をはっきりさせること。つまり整理整頓レベル。
そして、あとは後続者に任せる。
うん、それで良いではないか!何もコロナ禍に!!と焦らずとも。
※上記の番組、記載がいい加減の気がして検索したところ見つかりました。再放送だったようですが…
タイムリミット「1人暮らし 高齢の親が迎える人生の決断!」
- 関連記事
-
- 自粛の日々 (2020/06/07)
- コロナ禍は断捨離!と今度こそ決意したが… (2020/05/25)
- 今年も文明の利器に振り回される(3)- 車 - (2020/02/20)
- 又広告が出たので… (2018/06/11)
- ここ数日(写真&追記) (2017/04/10)
- 浜松 / 帰路からその後 (2017/02/12)
- 前の日記は非公開に (2016/09/21)
- 自分自身の記憶に替えて (2016/04/20)
- バタバタ過ぎるか朦朧としているか (2016/03/22)
- 備忘録 (2016/03/05)
- タイトルを付けるほどもない日々 (2016/01/30)
- いつの間にか過ぎた新年 (2016/01/20)
- ボケ婆の日々(画像追加) (2015/11/27)
- 朦朧記の続き (2015/11/21)
- 今度は爺婆の放浪記ならぬ朦朧記 (2015/11/19)