信州行き(9) - 2019.04.15 Mon
相変わらずの備忘録です。
(4月12日)
どんどんおひさまが上って行く。
そうそう、この安曇野はNHKの朝ドラ『おひさま』で随分映ったものでした。
前の日記のどこかに載せた、小川の水車やわさび田がまさにそこで・・
今日のおひさま。


(レストラン外のベランダ)

今日こそInstagram!
と思えど、アングルなど考えるのも億劫で「撮っただけ〜〜」状態。




宿を後にする夫

以下は順不同











着いて、まずは出来ている荷物をひたすら車に積む夫。
私は可能な限り掃除。特に沢山落ちている虫の死骸たち!!いや、これから孵化する幼虫たちも居るか??
日程には限界あり、ここ迄を記録とし・・・









これ以上の作業は無理です。(しかも、2つの大きな忘れものを写真から見つけ…)
帰宅したら、今までの荷物の多大な整理が待っている訳であり・・・30年の歴史のアトリエを優先??
我々の断捨離は又してもどんどん遠のいて行く・・・
アトリエも、家具を撤去して壁を塗り替え、2階の畳を新しくしたなら、新築当時の姿に(ほぼ)戻るのでは?と思う。いや、我々からは全面的に手を離れるので、推察すべきことでも何を考えることでもありませんが。

(又しても順不同になった。タグの文字列を写真ファイルと照合する手間は省略)










以上で、信州の記録は終わりとします。
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信州行き(8) - 2019.04.13 Sat
(4月11日)
前の晩は、すっかり遅くなっての到着。
どんな景色なのかも全く分からないほどで。
瀟洒な、しかも必要なものは全て揃っているペンション。
早朝に目覚め、まずはカーテンを開け、網戸越しに外を見てみる。



朝食。
ピアノがある!
鳴らしてみた。ハンマーフェルトがモコモコになっているようだ。
調律・整音をしたなら、ここでちょっとした演奏会も出来そう。
可愛いくまさんの縫いぐるみが


美味しい春野菜の数々。(Instagramは習慣付かず、いつも食べてしまってから「あ!撮り忘れた!」と気付く。
それでも以下を記録。


アトリエに向かう。相変わらずの道順ながら、天気次第で1回として同じ風景は無い。





前の日に隣家のYさんが雪を掻いてくださったお蔭と、仰せの通りの地熱とで、難なく裏庭に車は上ることが出来た。
一晩寝ると頭は動くようになるものだ。
前日終わらせた状態の写真↓のみならず、まだまだ2階各部屋にも広いクローゼットにもキッチンにも山ほどの荷物、洗面所も風呂場も物に埋もれているが、「どうするか」と考えることが出来るようになり、ともあれ分別しながら片っ端からポリ袋に詰め込む・・・




家に持ち帰って使える物などは梱包。
段ボール箱も(Amazonなどの)今回のため捨てずにおき、緩衝材もガムテープと共に沢山持って来てある。
緩衝材にくるんで丁寧に入れ、ガムテープで封をしては中身をマッキーで上書き。
捨てるものは杉並区の分別に従って入れて、可燃ゴミの余りの多さに辟易していたところ、何と!隣家Yさんが、可燃ゴミは軒下にでも纏めて置いておけば少しずつ後日運んで下さる、と仰る。お言葉に甘えることにした。
よって普通の半透明の袋に入れ、宿に向かう時に大町市指定のゴミ袋を購入することにした。可燃ゴミの持ち帰りが無くなったので、そのスペースを「お持ち帰りの遺品」に充てることが出来るではないか!!感謝。常に「遠くの親戚より近くの他人」の有難さを痛感。
「五月人形」という大きな箱がある。開きかけたが、とても古い新聞紙に飾りがひとつずつ包んである様子。そのまま持ち帰り、東京で判断することに。作業の手は止めていられないから。
鍋釜食器の類いも、充分使える物は我が家で使っている割れかけた物や余りに酷く古い物と入れ換えるべく詰める。
火災で半分燃えたり溶けたり、開くことも出来ないようなアルバムは諦め、可燃ゴミに。きっと義父にとっては自分の歴史だったのだろうが、焦げと放水での傷み様…ページはぴったりくっついて開けない。義父の心を推し量ると筆舌に尽くせぬ。
途中で今回も娘にスマホで、杉並の「粗大ゴミ」の大きさや「不燃ゴミ」に大きさ制限があるのか、など尋ねながら。
・・・と、こんな作業を又しても黙々と夕方まで行い、疲れたね〜、疲れたよ〜・・・
軽く休憩をはさみ、もうひと踏ん張りして、車に詰む予測を立てる。
アトリエを後にする。
(順不同)






大町市指定のゴミ袋を買い、宿で頂いたすずむし荘の温泉半額券にて温泉に浸り、遅れて予約した宿の食事にありついた。
お馴染みのくまさんの縫いぐるみ。「美味しいですね」と話しかけて来そう!

Instagramはどうしても習慣付かず、半分以上食べてから「又撮り忘れた!!」の常。特に疲れていると夢中で食べてしまうから。
メニューは;

とても美味しかった。
(小学生の記録のようだ・・・)
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信州行き(7) - 2019.04.13 Sat
又しても遡っての備忘録
(4月10日)
朝一番で大学病院の予約受診。整形外科。
院内のStarbucks、車内用のサンドイッチやコーヒーをテイクアウト。
又しても信濃大町に行きだ。
前日から天気予報では大雪に見舞われると報じている。大丈夫なのだろうか。
何も好きでこんな天候の日を選んだ訳ではない。夫のスケジュールは、この日に出発するしかない。
1月も3月も富士山や日本アルプスの景色に見とれていた助手席の人。今回は4月の雪見と化した。
いつもなら富士山がくっきり大きく見える初狩も近くの雪山しか見えない。
遠くの南アルプスも中央アルプスも北アルプスもぼんやり山が見えるだけ。
途中、チェーン規制で大渋滞。抜けるのに2時間ほどかかったらしい。助手席の私は大爆睡。
(カーナビでは至るところにチェーンマークが)
















(毎度お馴染み、唯一の道)




着いた。雪は1月よりも多いではないか!!
前の晩に酷く降り、着いた時はこれでも可成り溶けていたらしい。
裏庭に車を駐める筈が、庭の坂を上れずにすったもんだ。スタッドレスタイヤなのに・・この上からチェーンを巻く??
そうだ!新しい軽くて使い易いスコップが入った靴箱、何度も開閉しているのに、持って出るのをすっかり忘れた。
仕方なく柄も折れた古い重たいスコップで雪掻きを試みる。
それでも車は上れない。
おそらくその気配に、隣家の友人Yさんが雪国のスコップ片手に出て来て、車が通る場所を作ってくださった。
しかも重たい段ボール箱2つ(中身は大きなスピーカー)も運んでくださった。
義父母たちもお世話になりっぱなしのYさん。
子供達が小学生の頃には、長い休みの時には遊びに来るもので、一緒に花火などしてくださった。
いつもながら、遠くの親戚より近くの他人を実感。

(雪にも負けずに顔を出してくれている健気な土筆たち)
前回の続きの作業をする。
作業とは名ばかり、まだまだゴミの分類だ。




天気も天気、寒い上に疲労困憊。
早々に(明るいうちに)宿に引き上げる。
途中で食事。
いろり懐石釣り人、牡蠣がとても美味しかった。
「食べる」という行為もエネルギーを要することを痛感。又改めてゆっくり食べに来たいと思った。
はぁ〜〜〜、1月よりも大変な雪だった。
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信州行き(6)-2 - 2019.04.08 Mon
(遡った備忘録)
無事に3月20日に大町から帰ったものの、出掛ける前、更にその前の演奏旅行の前から頭痛を訴えていた夫。
父親のアトリエ整理も先が見えてきて安心したのか、頭痛は酷くなった。
しかも帰京した日には、まだ明るいうちに、と積んで来た荷物を全部バックドア(という固有名詞だろうか?)から順番に下ろす。夫の仕事部屋が一番近いので、そこにどんどん積み上げる。私も荷解きを順繰りにする。
途中、車の鍵が無い、だの財布が見つからない、だの、完全に頭を使い果たした証拠(無意識にポイポイ)。外はもう真っ暗・・・
何も今日のうちにしなくても…娘婿も帰宅したら手伝うと言ってくれているのに…と思っていたら、翌朝からこの部屋でレッスンをすることになっていて…。(寧ろ、チャチャっと済ませたい性格。もう若くないぞ!!と思う)
どうもその頭痛が怪しい。ちゃんと診てもらっては?と大学病院に付き添う。以前にもこんなことがあったのを思い出したから。義母の逝去後の、しかも更に火災の後、義父の世話に追われるようになった頃。その時は、単なる頭痛と思いきや、帯状疱疹だった。私より15cm身長が高い夫の頭上は見えていなかった。勾配のある坂道で湿疹を見つけた。それも何日も経っていたので即刻入院させてもらった2003年。
そんな経験があったものだから、先ずはカルテがある筈の皮膚科へ(電子カルテ化する前の話で、生憎当時の記録は無かった

けれども湿疹が出ていない以上診断名は付けられない、と神経内科に回された。
まだ若い医師、ちゃんと名札を見せて「○○です。よろしくお願いします」と逆に挨拶してくれる医師。
説明も丁寧。
まずは帯状疱疹後神経痛を第1に疑い、トラムセットその他の処方。トラムセットで眠くなる所為か、暇さえあればうたた寝……それが良かったか、一週間経っての予約受診の頃には痛みもすっかり取れていた。
いずれにせよウィルスだったのか感染症だったのか。
その数日後から私も頭痛。髪の毛を引っ張られるような痛み。
ロキソニンを飲んで痛みが治まってから起き上がる数日。
後日、酷い眩暈にも襲われた。明け方からグルグル回転。いつも1錠飲めば治る手持ちのメリスロンを2錠飲んでも治りきらない。
折しも、近場の病院で泌尿器科の予約受診があり、そこでその話をしたところ、内科に回され、メリスロンを含む2種類の薬を処方された。これで治らなかったら耳鼻科を受診してくださいね、と念を押された。(内心、その元気があれば最初から耳鼻科に行っていますわ



きっと何か感染症の類いに違いない、と私は勝手に睨んでいる。そういう時には休息が一番の薬なのに・・・
頭痛もフラフラ感も治まらないが、薬で生活は一応出来ているので(少なくとも私はそう感じている)暫く様子を見る。
そうこうするうち、又しても信濃大町行きは近づいた。今度で、今度こそ、最後!!(の筈)
他にも親族は居るだろうに!!と甚だ機嫌の悪いわたくし




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