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2016-09

日課 - 2016.09.29 Thu

2歳9ヶ月の孫娘。

夜寝る前にご挨拶に来て、時間が無くとも必ず「ばぁばのパソコン」とトコトコパソコンのある部屋に走って行く。
一時期はヘンデルのハレルヤコーラスだったのが、目下はディズニーの「ファンタジア」。
美しい花々や妖精たちの舞う姿に、時々(楽譜入力用の)鍵盤キーボードを叩く。
音色のスイッチ操作(ピアノ、オルガン、ヴィヴラフォンとかの選択…)はばぁばの役割だが、最近それらしい鍵盤の場所を叩くので、黒鍵も教えてやったところ、興味が広がった模様。・・・と相変わらずのバババカ。
その後はミッキーの魔法使いの弟子の画面に見入って真剣。ここで「おしまい」。お休みのご挨拶と相成る。




実はこの映画、私には想い出がある。
やはり2歳半くらいだったろうか。母が私を連れてこの映画に連れて行ってくれた。
日比谷公園でおにぎりを食べたことを覚えている。
母は当時、『主婦の友』だったか、購読雑誌の懸賞にこまめに応募していた。
それに当たったのが、この映画。
映画館の扉の横に、サンスターの大きな私の身長の何倍もありそうな、歯磨きのチューブが立っていた。
・・・とずっと記憶していたが、当時の私の身長・・・そんなに大きなものではなかったのかも。
映画は、余程記憶に残ったと見え、以来その映画に出て来るスクリーン一面の青い世界の夢を見たものだった。青色だけの、でも明るい青だったり紺碧だったり、広い広い世界の夢。

余談ながら、母はその他にも「魔法瓶」が当たり、我が家には当時としては珍しい、常時温かいお湯の出る、まさに魔法のポットがあった。


数日経って気付いた。あれは2歳半ではなく、4歳半だった。
敗戦から10年経って、日本ではやっと公開された訳だから。
戦時中だったアメリカは次々名作を次々公開していった。子供向けでは他にも「トムとジェリー」。
そういう文化的なゆとりのある国に、戦争で勝てると思っていた愚かな日本人。

それにしても4歳半でも何も知らなかった私に対し、約2歳半の孫娘は、妖精が出ると「ティンカーベル!!」と大喜びし、ディズニーのキャラクターが出る度に、現在の私(すら)知らない名前を呼んで喜ぶ。「魔法使いの弟子」ではミッキーを叱咤激励している。
私の4歳児時代には全くしらなかった名曲を諳んじて歌っているし・・・指揮者のストコフスキー(!!)と握手をすると大喜び。
いくら時代の違いとはいえ・・
この良い意味での平和が続くように願わざるを得ない。



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目のこと - 2016.09.22 Thu

やらねばならないことは山積みの筈が、もう何年も捗らない。

差し当たって、楽譜用のメガネを作ろう!これは必須!!
運転用は、おそらく1.2でも1.5でも見えるのだろう、問題視されたことはない。路上交差点のミラーに映る「止まれ」なんてのもはっきり見えますから!先日の天井桟敷席からも舞台は明確に見えた。近距離は、裸眼にすれば左目が度近眼なので、新聞の「都内の基準地価」なんてのもはっきり読める。右目は不正乱視酷く、こういう裸眼時は使っていないらしい。
中途半端な距離がいけない。まさに譜面台!!!
先日眼科に予約を取って、楽譜用メガネのレンズの度を新しくしてもらうべく出向いたが、作れなかった。申し訳ないほど時間をかけて下さったのだが……作ることは無駄のようだ。結局現在使用しているものとほぼ同じになるから。右目は不正乱視があるから近視の度は無関係。敢えて出来ることは左目を一段階(0.25)強くするか…(それとて左右差は広がる)
もうこれは年齢と思って、うまく自分で工夫してください・・との結論。
そうなると我が頭はどうしようもない工夫を始める。
我がピアノの部屋は(2台並んでいる側と、フルコン1台の側と、両方とも)蛍光灯が2本ずつあるが、省エネが故、譜面台側しか点けていない。この正面側も点けたら良いのではないだろうか。というのも、正面から目に光が入れば瞳孔が縮まる訳で、じわじわ進行している黒目周囲の白内障部分は使わずに済むのでは?とか、どうしても読まなければならない時には、ヒアレインでも点して弱い弱いハードコンタクトを使ったらよいのでは?とか・・とか・・とか・・自分で工夫すると、下手の考え休むに似たり状態。医者に相手にされたためしなし。


でもね・・とドシロウトは思い返す。
1980年代終わり頃、(と書いて、え!?四半世紀以上も前!!?と愕然)「ゲームボーイ」というものが流行った。勿論子供達のもの。
大人でも一旦触るや、あれはヤミツキになる。私はストーリーのあるゲームではなく、「テトリス」とか「ドクターマリオ」とか、あの類に。当時、生徒さん達のレッスンは、人によって何時から何時までと時間も曜日も決めていた。小中学生も多かったので。待たせることも聴く勉強としていたが、長くても2時間だった。ずれ込んで合間10分出来ると「ゲームボーイ」に手が…どこまでクリア出来るかチャレンジする。最高得点を出す愉しみ・・・
でも、ハードコンタクトで(当時はまだ手もとが見えたから)こんなことをしていては、レンズが眼球に擦れて危ないのではないか?と直感した。絶対に瞬きはしていない。そんな暇すら無いゲーム。
果たして目は炎症を起こし始めた。ほんの10分、15分であっても涙は出るのが追い付かず、レンズは乾いた眼球表面を上下運動に伴って擦っている訳だもの。
大学病院の眼科に出向いた。私がいくら事情を説明しても「まばたきをしないなんて、絶対にあり得ませんよ」と取り合ってもらえなかった。まだ「ドライアイ」という単語が世の中に出る前のこと。(今では信じられない!いや、当時でも!)
結局コンタクトレンズは自己判断で止めて、その間はコンタクトレンズで起きた不正乱視のまま生活。度の合う眼鏡も作れない。五線が十五線にも二十線にも見えて、加線と来ては近付いても数えられない!!!
・・・その後どうしたのだったか。何ヶ月もかけて、不正乱視の軽減を待ったことは確か。近場のおじいちゃん先生のところで、眼球に塗る軟膏をもらって塗っていたような記憶もある。角膜潰瘍と言われたような。眼鏡のレンズは、近所の眼鏡屋のお兄さんが随分手を尽くしてくださった。

その後コンタクトレンズがはめられる状態になり、かつて18歳の時にコンタクトレンズを初めて作った順天堂に出向いた。呆れられた。何に、って「こんな旧式のレンズを使っている人は今どき居ませんよ」と。昭和44年の春、大学合格で頂いたお祝いを全部つぎ込んで作ったレンズだもの。落としても根性で探し出した!!結果20年以上使い続けてきたのが災いした。旧式のレンズは分厚くて重く、眼球の真ん中ではなく、常に垂れ下がってはまっていることは私自身も知っており、これって大丈夫なのかなぁ…とも案じていた。
「円錐角膜でない限り、今はどんなに度が強くてもレンズは薄いのです」と、昭和44年当時からいらした女医さんは言われた。海外に居た身、そういうレンズで楽譜を読みまくる日々を過ごしてから仕方ない。
しかも、レンズの汚れや傷は磨いて取るので、外側の球面のカーブは決まっているから、磨く度に度が強まっていく、ということも言われた(帰国の度に出向いていたのですがね…)。

ともあれ・・・・・何てこった!!吝嗇が災い!?!?

それならば、レンズの度を下げて行けば近視も軽くなって行くのでは?と思い立った1990年頃、試しに(懇願して)0.8だけ見える(ハード)レンズを作ってください、と頼んだ。そして思った通り、そのレンズで1.5が見えるようになった。更に、又しても0.8見えれば・・と回数を重ね、可成り度の弱いレンズでも1.2~1.5が見えるようになり、当時はめでたしめでたしだった。とは言え、裸眼では左目は0.05。右目は不正乱視が残ったままながら近視そのものは約0.1まで改善した。(眼鏡の度数では、不正乱視は-2.25あった。近視は-1.25なのに。左目は近視のみで-4.75)

そんなこんなの経験もあるので、自分で考え工夫して過ごすこと、深く頷いてしまう
日々工夫!!!
パソコンも、実験的に沢山打ってみる次第
(パソコンもびっくり!時々唸るような音を出し、画面がパッと消える。・・いや、そろそろ替え時か・・)


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不機嫌 - 2016.09.21 Wed

フキゲン のコピー
(こんな飲み物がありましたっけね・・・)

今年も「特定医療費(指定難病)受給者証の更新手続き」の時期となった。

臨床調査個人票が、嫌がらせ?と思うほど(患者のみならず、多分医師にとっても)小さな文字になった。
記入依頼のために提出し、出来上がりました、と文書受付から電話をもらい、先週土曜朝一番で取りに行った。車を運転して。
受け取ったものの運転用の眼鏡を掛けたままではとても読めない小さな文字!
一旦帰宅して書類は置いて、なかなか治らない目の症状のために最寄りの眼科へ。連休を前にして、16-7人待ったろうか。これは後日又。(執拗と思われようが、自分のための記録を兼ねているので)
午後に出掛ける予定だった音楽会は時間が間に合わなくなり、諦めた。

前述の更新手続きには、他にも提出書類があり(住民票だの世帯の所得証明だの、どれが該当するのかを調べるだけでも億劫なほど選択肢があると言うのに!)、以前近所にあった出張所が無くなってしまった為に、バスで一方通行をぐるりと回ってJRの駅まで行かねばならない。そういう役所には駐車場が欲しい!!

それでも連休の谷間、仕方が無い、持って出向いて向こうで調べてもらおう…と思い、その前に臨床調査票に目を通すと(眼鏡を外して。幸い度近眼だから眼鏡さえ外せば左目で読める)、え!?これ、違うんじゃないの!?と素人の私であっても、私が罹ったので……何箇所も「???」と相成った。
入院したのは皮膚科で、紙のカルテ。それも分厚い。デジタル化した今、膠原病科では探し出せないのかも・・
目の周りの凄まじい浮腫とか(目が開かないほどの。これはヘリオトロープ疹にはならないの?)、1998年発症当時は多発性筋炎(乳癌に起因すると思しき)で皮膚筋炎ではなかったはず。皮膚筋炎の診断時は1999年(1997年と書かれてあるけれど。1997年にも酷い湿疹に苛まれたが診断はされていない)。この辺り、このままで良いのだろうか?とか、筋電図変化も「なし」になっているけれど、弱々しい波で「この辺りがもうちょっと動くと正常に近付くのだけど」と指摘されたことも記憶にある。
・・・とこんなところに書いたところで始まらない。再度確認に出向く??


う〜〜〜〜〜〜〜ん・・・・・再度書いて頂くと、提出期限に間に合わなくなるだろうし、どうせお役所が一文字ずつ確認する訳でもないだろうし、これで良いことにするか・・・・・

全く、厚労省がしょっちゅうあれこれ変更するから(書式を)大変なのだわ。患者は勿論のこと、医師だって膨大な量をこなす訳で、この時期、倒れられないと良いが……と患者が案じるほど。

もうじき終わる朝ドラの「どうしたもんじゃろの〜〜〜」状態。


取り敢えず今日提出するのは止めた。


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前の日記は非公開に - 2016.09.21 Wed

2007年2月の実際の日付けで記録してあることに気付き、今回のものは非公開に設定を直しました。
削除はしていません。
拍手を有難うございました。

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目のことだけ - 2016.09.17 Sat

自己判断で構わないものか、いずれにせよ、楽譜が瞬時に見えなくて困っているので、又しても近所の眼科に出向いた。特に右目は目蓋が重く分厚くなったような感覚というのか、怠い。霞んで目脂もある。

有難いことに目は2つあって - と先生は仰った - 左右を比べられるのです。左の目蓋を見てみましたが、これといった異常はありません。でも炎症は残っているのでしょうから…と。
目薬はデフォルトに戻す。マイティア、カリーユニ、フルメトロンだけで頑張ってみることになった。メモも下さった(余りにあれこれ勝手に試すから??)。
そして譜面台に合わせた眼鏡も作ることにして、次回は予約を取り(時間がかかる為)、目から譜面台までの距離を測り、目下使っている眼鏡を持参して出向くことになった。連休明け、最速の火曜。

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イヴリー・ギトリスの演奏会 - 2016.09.15 Thu

今年こそ聴いてきました。昨日。

ギトリスの存在は恥ずかしながら、2006年に母が亡くなった後、マンションから我が家に建てた物置に母の遺品を運んで以降のこと。CDラックから出てきた中に、何故かガムテープでプラケースが覆われたCDが出て来た(母好みではなかったのか??)。それがギトリスを初めて聴いた1枚だった。
私自身、聴くのはヴァイオリン音楽が一番好きで、勿論見つけて早速聴いた。凄い!凄い!!小品集なのだが…語彙の乏しい私には何て書いてよいか分からないほど感銘を覚えた。電車に乗ればイアフォンでiPodで聴いていた。ワクワクしてしまうほどの独特のボウイングや歌い回し。共演者の練木繁夫さんのピアノが又素晴らしい!(私が小5〜6、桐朋の音楽教室へソルフェージュだけ習いに通ったが、その時同学年にいらしたと記憶)ギトリスが自由さとどまるところを知らず、即興的にどんなにテンポを揺らそうともピッタリと合わせて行く。いや、ただ合わせるのではない。「こう弾きたいであろう」と先も見通してリードする、といった方が正しいかもしれない。
亡き父はおそらく知っていたに違いない。好んで聴いていたヴァイオリニストに違いない。もしやこのCDは父のもの?でも時代的に(大正12年生まれで63歳で他界)、当時CDの再生機は我が家にあったかしら?LP時代でも好んでSPを収集していた人ですから・・


その後も何枚か購入したり、iTunesでダウンロードしたり、購入可能なものはおそらくパソコンの中に全部持っている…と思う。

そのギトリスが今年は94歳とのこと。もっと早く生演奏に触れたかったものです。
実際、チケットを買うことには「やめた方がいいですよ」とか「がっかりするだけですよ」とのざっくばらんな意見も多く頂いたのだが・・でも聴けて良かった。

2011年の震災後には、被災地を訪れて岩崎淑さんと演奏されたことも何かで読んだ。
2013年の来日時は、我が家もバタバタとしていて演奏会は逃した。その時のDVDはある。もっと昔の、所謂Virtuoso時代のCDもDVDも手もとにある。

ともかく「ユーモア」「遊び」「心」・・・
今年は、春に来日予定だったのが入院で延期になったと何かで読んだ。あらまぁ…残念!と思っていたら、夏に今回への延期公演を知り、慌ててネットでチケットを1枚購入、一人で楽しんできた。
前半、あたかも弓の毛1本で弾いているかの如きモーツァルトとフランクのピアニッシモ。素晴らしい共演者も調律師も大変だったのでは?と思うほど。


楽しかったなぁ・・・特に後半の「当日発表」の曲々。
共演者と遊んでいましたね。

(予約購入遅れ、まさに天井桟敷と相成った)
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国語は大切にすべき。疎かにしたがために、こういう感動を的確に伝えられないもどかしさ・・・あ、的確に伝えては支障が出るから、か?頭混乱。
又追って書きたい(手直ししたい)と思います。

いずれにせよ独特の弓の使い方。94歳の方ですから、今回初めて聴かれた方は吃驚なさったに違いありません。
10年前、20年前の、あのフラジオがかった音色でビブラートもかけない色がフッと別な色に変化したり、私は大好きです。素人の方でも、好みが分かれるところが、「凄い」という証拠。
若い頃のヴィルトゥオーゾとしての演奏となると、これはもう・・・言葉を失います・・・


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1ヶ月以上続く目の不調 - 2016.09.14 Wed

8月に入った辺りから、やたら目が痛痒い。
勝手にフルメトロンとタリビットを点眼。
治らない。
おそらく原因となっているのは目の乾きだろう。涙が不足すると菌が繁殖するから。
マイティアやジクアス、ヒアレインも元来の回数を試す。
治らない。

直ぐに医者に行かなかったのは、時間が無かったこと(地元の評判の良い眼科は、患者が殺到するから待ち時間が長い)、それ以前に今年の初めだったか既に春だったか、「シェーグレン」での涙点プラグを提案されたり、長年指摘されている白内障、そろそろ私自身流石に不自由を感じ、地元のかかりつけの眼科からから膠原病科を通じて大学病院の眼科に出向いた。ところがシェーグレンも否定、白内障は失明のリスクが故に断られた。偶々その頃は目を全く酷使しておらず(つまり楽譜にかじり付く曲は弾かないし、譜読みからは解放されていたし、パソコンもメールくらい)、それ以前に病院に出向くという時間がたっぷりあった。そういうストレスも無い、調子の良い時に検査を受けても駄目なのだ、という教訓を得たのみに終わった。
別な科の医師に、この病院だったら教授クラスでなければ受診の意味が無いですよ、と言われたこと、こっそり書く…

さて今回、いくら点眼薬を何種類も持っているからとて、こんな勝手なことをしていてはいけない。8月半ばになってやっと、いつもお世話になっているとても信頼の於ける女医さんのところに出向いた。
大学病院での検査結果は伝わっているから、先生も遠慮なさるだろう、と思いつつ藁をもすがる思い、いや、藁ではない、太い綱だ!!

症状を話し、検査をあれこれ受け、使った薬をお見せした。
今回も何回か通って、いつどのように指導受けたか忘れてしまったほどだが、処方薬と言えども「防腐剤」が使われている点眼薬はいくつかある訳で、まずはマイティアだけで様子を見るように(原因を絞るのだな、との悪い習性の思考回路)、……順番は忘れるほど日が経ってしまった。治らずにタリビットとフルメトロンで様子を見るように、それでも治らず、抗アレルギー薬が出て、それでも治らず、タリビットと何かと何かと・・と言われた時、患者が言うことは憚られると思いつつも、「あの〜〜、タリビットは入院中の1999年からずっと処方されて、何かある度に使っているので耐性菌が出来てしまっていると思うのです」と我が身を守る一心から申し上げてしまった。先生も大学病院に遠慮なさっていたようで、「まだ沢山お持ちなのに、良い?変更してしまって…」と仰る。「勿論です、構いません」と答え、やっと抗菌薬が変更となった。「ベガモックス」!!
これで治るだろう・・
実際痛痒さはたったの1日で軽減、2日目には殆ど治った!問題はいつまで点すか。ちょっと纏まった時間が取れずに点し過ぎたかも、と思いつつ出向き、経過を話したところ、それではあと2日、それも4回ではなく2回だけ点して、それで止めてしまいましょう、と相成った。そしてメインはマイティア。あとはフルメトロン。ヒアレインもOK。ジクアスはムチンで涙を目の表面に貼り付ける役割なので、これも否定はされなかった筈。
ともあれ「貴女がご自分で治されたのですから」とニコニコと(決して嫌味ではなく)仰ってくださったのが有難かった。
まだ受診したいと思ったものの、自覚症状で点眼薬は選べばよいのだろう・・・
白内障進行防止用「カリーユニ」も1ヶ月ぶりに再開。

結局、譜読みをすれば目の表面がパリパリ状態。しなければ治る。新しいレパートリーを作ることは目が禁じているのだ、と勝手に判断。特に32分音符の連続に臨時記号オンパレードは一切止めた。鍵盤だけ見て弾ける練習曲だけ暫く弾こう・・・が、結局ピアノから遠のく

そうそう、痛痒さに伴って一番目が乾いたのは、オリンピックの頃だった…。特に体操の年々レベルアップする演技や卓球の目まぐるしい動きは、固唾を呑んでも瞬きは出来ない・・・いや、我が家のテレビが悪いのかも、とすら思う。日本製ではない安価なものでして・・(頭は、目下の「朝ドラ」状態??

という訳で、ともあれ譜読みは極力サボる。


テーブルの器の中にある点眼薬を並べる。
(コレクションではありません)

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プロフィール

奥 千絵子

Author:奥 千絵子
★上の画像は2001年にCDにして約3枚分を収録したものを,2006年に2枚組としてリリースしたCD「樂の音に寄せて」です.『レコード芸術』2007年1月号で「特選盤」として取り上げられました.戸倉新樹教授によるライナーノートは医学生にもお薦めです.その他のCDや著書はWebsite「本館」からお入りください.このブログも「本館」のDIARYです.
★このブログの"Grüß Gott !" (文字化けの場合はGruess Gott!)は墺・南独の時間を問わない挨拶です.Website「本館」のDIARYです.出版CDや著書の詳細は「本館」のメニューからお入りください.
Website「別館」もあります. 著書「ピアノと向きあう」の説明を補うサイトです.よく頂く質問に説明を記載しています.
★上記著書については今井顕 氏によるKINOKUNIYA書評空間WEBLOG を是非ご一読くださいませ.
Auch auf Deutsch schrieb ich…
★【膠原病の記録】余りに医療のカテゴリーがが増えてしまったので目下整理中です.大変複雑な病気の経験が同じ病の方々への参考となりましたら幸いです.
「乳癌と膠原病(皮膚筋炎・多発性筋炎)」「膠原病(退院後)」 ,その他の医療の話(自分以外も含めて)は「医療・病院関係」,に取り敢えず分けました.
平成12.12.12.病院での復帰リサイタルは演奏動画入り記録です。
★恩師のことは55年間を遡り少しずつ記載するつもりです。目下のところはこれだけです.
★コメントも大歓迎です。SPAM防止上、確認後に公開しております。ご理解をお願い致します.
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演奏:東京カンマーコレーゲン 
室内楽アレンジ:奥 千絵子
ショパン:華麗なる大円舞曲Op.18
演奏:奥千絵子 ショパンのワルツは上の画像の2枚組CD「樂の音に寄せて」に入っております.
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制作・著作:奥千絵子
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