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2011-12

2011年を振り返る - 2011.12.31 Sat

一体どんな年だったろう?と思うに、まずは大震災や、異常な洪水。
人間の力の弱さを感じた年だった。いや、人間の作ったものは必ず自然の力に負けること、だろうか。
けれども復興に向けて、被災者一人一人の人間としての強さをその後感じたものだが、上に立つ東電や政治家たちはどうだろう…難しいことは重々承知ながら、残念なことが多かった。

私個人は、昨年の疲れを引き摺ったまま、体調管理もままならず、あちこちにご迷惑の掛け通しだった。

そして、何と言っても、3人の恩師に逝かれてしまったこと・・もっと早くにお会いしていれば、お話ししたいことも山積みのままで、…いや、特に堅苦しい内容でもなく、近況の雑談…悔いが残る。
2月に亡くなられたハンス・ライグラフ氏、5月には田村宏先生を新聞で、そして10月には、既に8月に松浦豊明先生が亡くなられていることをネットで知った。

戦争をくぐり抜けた方々は過酷な生活にも立ち向かい、心身共に強く、長命でいらっしゃるのだと思う。
おそらく私らの世代は、…どうだろうか…
一生をピアニストでもありたい、と思うし、プロ・アマ、どんなレベルも教えられる教師でありたい、一生をピアノと共に過ごせる楽しさをお教えしたい、とも思う。
でも、目下のこの体力と精神力で??

何から優先すべきか考える機会を与えられた気がする。


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宣伝ではありません - 2011.12.30 Fri

が、嬉しい本家(秋鹿)からの贈り物。


秋の「いとこ会」で、バタバタしていて余りゆっくり飲むことの出来なかった本家のお酒。
それも「奥鹿之助」という銘柄の「幻の酒」と言われているものです。

もう一本の「歌垣 純米吟醸」と共に大箱が届きました。


正月が楽しみだなぁ

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ところで、こんなところに何ですが…
よく、教会員は酒を呑んではならない、と仰る方もおありですが、この本家は全員クリスチャン。
何せ、この「秋鹿」のいとこ…名簿見つからず…歌垣村に教会を建てて宣教した我が祖先。一時期は村民全員が洗礼を受けた、と母より聞いておりまして。

信仰とアルコールは別でしょう・・・




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DVDが届いた! - 2011.12.27 Tue

先日の(と書いて、もう3週間も前であることに愕然)発表会の記録を、主人の友人経由で、池澤さんとおっしゃる方にお願いしてあった。

DVDにて、全体(第1部~第5部)及び、第1部と第4部のみに編集をお願いした。
年明けになるかもしれないとのことだったが、今日届き、感謝この上ないこと。
しかも、ぶっつけ本番のすったもんだの第1部も、隙間を縫って、手が鮮明に映っているではないか!
(「なんだ、私が教えたのと全然違う打鍵動作になっているではないか!」と判明するほど鮮明に

要らない、と言っていた生徒たちも欲しがるに違いない・・・

いずれにせよ、心から感謝申し上げます。


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自己満足 - 2011.12.26 Mon

今年は24日のイヴ礼拝にも、25日のクリスマス礼拝にも出席した!!などと(私にはとても珍しい、雪でも降りそうなことなので)内心威張ってみたものの、案の定ダウン・・25日は夕方から爆睡。
何のために教会に行っているのか、我ながら不明になる。

6日以来、全くピアノに手を触れていないのも気になる。
こんな毎日。

疲れよ、早く取れておくれ・・・

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メリー・クリスマス - 2011.12.24 Sat

クリスマスイヴに…


        やり直しサイト用


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娘の日記より - 2011.12.23 Fri

私は朝食を摂ってうたた寝、昼食を摂ったら又いつの間にか眠ってしまっていましたが、何やら階下でのゴトゴト、ドタンバタンという音はずっと聞こえていました。(いえ、泥棒ではありません)

夜になり事情が分かりました。
以下、娘の承諾を得たので、日記をそのままコピーペースト。


               


2011.12.23 食器棚。


我が家のある敷地には物置が3つあるのだが
うち1つは母方の祖母の遺品を集め部屋のようにしてある。
(母方の祖父は私が3歳の時に逝去。)
その中の「食器棚」をずっと貰おうと思っていたのが
話の出たのは引っ越し当初だったのに
漸く今日、我々の部屋に運び込むことが出来た。
急に部屋が色付きになったような気分がする。
嫁入り道具、とでも言うべきか。


何故食器棚、という感じだけど
大好きだった祖母の印象には「食べ物」と「飲み物」が常に付いて来る。
南荻窪にあった祖母の家には3歳までしか住んでいなかったので
それ以降は遊びに行く形だったのだが
遊びに行くなり必ずお菓子の入った棚を探しては
冷蔵庫から勝手に缶の飲み物
(当時は小さいペットボトルなんて無かったから)を取り出し
勝手知ったるなんとやら、コップに注ぐ。そんな風景。


或いは遊びに行って一人で泊まって翌朝、
大好きなサラダにトーストと紅茶。
祖母は料理上手だった。
私は紅茶が苦手なコーヒー党だったのだが
そんな朝に飲む紅茶は妙にすぅっと私の身体を通り抜ける。
紅茶の銘柄には祖母は拘りがあった。そんな風景。


脚が悪くなり実家の向かいのマンションに引っ越してからも
時々おかず等の行き来があり、
脚の悪い祖母の代わりに取りに行ったり渡しに行ったりしていた。
祖母はそれから突然亡くなってしまったが
慣れ親しんだ食器たちの入ったその食器棚は
私にとっての祖母を何処かで象徴しているような気すらしている。


そんな食器棚が食器たちと共に嫁いだ私の家にやって来た。


旦那とも親しくしてくれた祖母が笑ってる気がした。
祖母ほど料理は得意ではないけれど
これからは私の料理がその器に乗ることになる。

               


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馬鹿な話 - 2011.12.21 Wed

最近、感謝やお詫びを述べたい方々に、切り紙を貼り付けたカードをお送りしています。

その切り紙、小さな折り紙を数回たたんで切り抜き、拡げた時には山折り谷折りが明確になってしまうため、山と谷を手でも押しつつ平らにするのですが、その後国語辞典に挟んで更に平らにしています。あたかも押し花のように。
30分~1時間も経てば貼り付け可能の状態になる・・・


最近手紙もすっかりパソコン。
でも、たまには手書きにしようではないの!!
と、筋力の落ちた上腕(文字を書くには、手首から先より寧ろ上腕の筋肉を使う気がしている)のトレーニングの如く、ニョロニョロ文字を書き……それはさて置き……

パソコンを頼りすぎたために、漢字が書けない!!
小学生だって書けるような文字すら、漠然と思い出せても書いてみると違う。

その度に電子辞書そのものを探すことから始まる。
本や書類やプリント類の山積みが崩れないように探す。
電子辞書は3つも持っていて(ひとつは大独和入り、ひとつはクラウンの独和入り、もうひとつは第2外国語用のドイツ語が入っている……という違いがあるだけで、漢字を調べるには大差なし)、そのいずれの辞書も見つからない時には、「う~~~~~~~ん」と唸りつつ思い出す。思い出せない時には(恥をしのんで)「平仮名」。



昨日、ハッと気付いた。

切り紙を挟んでいる国語辞典の存在に!

紙の辞書が手もとにあるではないか!!


あ~~~、何と便利な紙の辞書。

但し悲しいかな!!ボタン1つで拡大は出来ない



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貴重なヴィデオを頂いた - 2011.12.20 Tue

あれは11月末だったろうか。
生徒たちの発表会の案内状をお送りしたお一人 - 幼稚園のママさん繋がりでもあるが、私の高校の後輩でもある方から電話を頂き、ご自身の持つ、松浦豊明先生のヴィデオを差し上げたい、とのお申し出。
私の今回の発表会の意図に通じるものがあるので、と仰る。

けれども、残念なことに分刻みで動いている日々。
拝見するならじっくり腰を据えるべきで、高慢な態度であることは重々承知ながら、現実は…目下必死で考えていることへのヒントになればよいが、そうでないこともあるわけで…※
いやいや、それ以前に結局は拝見する時間が無いのだ。

※誤解のないよう追記。
去年執筆した本の内容は膨大な量の内容で、その中からピックアップし、何とか1時間以内に凝縮する方向に工面するという、不可能なことに頭を費やしている日々。もし拝見してしまったなら、おそらく又頭が膨れ上がって収拾が付かなくなり、第1部をカットするか、或いはひと晩を第1部の内容だけで費やすことになってしまいそうだったからだ。


発表会も終わり、18日に再度お電話を頂いた。
そろそろお送りしても宜しいでしょうか?と。
何とも厚かましいわたくし(今に始まったことではない)。結局、全巻を下さるという有難いお言葉に甘えることにしてしまった。いや、可成り躊躇ったのだけれども、彼女曰く、「私が死ぬ時には、これは奥さんに差し上げるように主人に言い遺すほどですから、どうぞご遠慮なさらず」と。そうまで仰って頂いてはお断りできない。
早速、19日に届いた!何と!!VHS10本組。
バイエルに始まり、件(くだん)のチェルニー30番練習曲集、ソナチネやソナタ、ブルクミュラーなど、世間では易しい部類に扱われている曲集の数々。
1980年代に出版されたそうだが、全然存じ上げぬまま、ひたすら子育てと生徒、また自分の活動に追われていた。

テレビに繋がっている唯一のVHS再生機が壊れているため、やっと他の部屋に眠っている機器に繋げ、30番練習曲集のほんの最初だけ拝見した。
傲慢ながら、引き継いで私のライフワークとして実行に移せ、と改めて突き付けられた思いがした。

昨年の執筆中(「ピアノと向きあう」)からずっと今に至るまで、これは画像と音で示さねば意味がない、と私自身の中でDVD2-3本に収めて…、という考えだけは持ち続けているのだが、現実には難しい。如何に実行に移すか、これからいよいよ考えねば。
それこそ御心に叶うなら…ということだが…

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夫のその後のその後 - 2011.12.18 Sun

「脊柱管狭窄症」という正式名で診断されたわけではない。
漠然と「ヘルニア」だの「座骨神経痛」だのと言われる日々。

結局、近所の整形外科に於ける毎日の注射(麻酔薬)は効き目が現れないことで中止。痛み止めの飲み薬(リリカ)と血流を良くする薬(オパルモン)は続けている。

目下頼るは「気功整体」と「温灸」。


けれども先日(12日)、私がお世話になっているPTとOTでも言われた。
やはり総合病院の整形外科で、もっと詳しい検査を受けるべき、と。
しかも、私の整形外科での主治医は骨粗鬆症がご専門だと思っていたのだが、脊柱管を拡げる手術にも長けておられるとのこと。

是非検査だけでも連れて行かねば・・・車に座ることも出来ないのが問題。

年明けの演奏旅行も、私から見れば絶対に不可能だと思うのだが…
今からキャンセルは出来ない!と決め込む夫。
迷惑をお掛けする結果にだけはならぬよう祈る。

この年齢になると、過去の1年は…例えば私なら約60分の1にしかならないのだが、これからの1年は、もしもあと10年生きるのなら10分の1だが、5年しか生きられないのなら5分の1となってしまう。
1年ずつを「優先順位」を考えて(全て神様のお決めになること、と言われそうだが、御心に叶うことであれば)悔いのない年にして行きたい、と痛感する昨今。

それにしても1日ずつが何だかんだと気持ちだけ忙しい。半分以上を眠って過ごしているから余計にそう思えるのだろう。
昨日の楽しみにしていた催しにも出向けず、今日も教会を欠席。


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テンプレートを変更 - 2011.12.16 Fri

最近、変更する余力もなかったが…

クリスマスヴァージョンを探してみた。
どうやら昨日登録されたもののようです。

素晴らしい!!!
何という手の込んだもの

早速使用させて頂くことに致しました。
一番上の「通常ブログ画面」をクリックすると、通しで日記が表示されます。
「Home」をクリックすると、目次画面になります。
「All」をクリックすると、カテゴリーごとに全部表示されるようです。
このような技術をお持ちの方を尊敬します。

どうぞテンプレートもお楽しみくださいませ。
(携帯ヴァージョンはありませんでした)


お知らせまでにて。


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片付けも放棄 - 2011.12.11 Sun

昨日、結局片付けも挫折・放棄。
又しても横になれば30秒と経たぬうちに眠っているわたくし。

一昨日は、息子一家がやって来た。
関西に引っ越す前に挨拶を、と。
諸事情により、息子は関西人となる(幼少時より憧れの)。嫁さんは大学で上京するまでは関西在住。

孫は、2歳を過ぎても殆ど単語も出ずに心配してきたが、一昨日はよく喋り、ひと安心。
うちの子供達が2歳過ぎた頃と言えば、とっくに二語文を喋っていたし、興味の分野こそ違えど、よくお話していたから。
現在2歳8ヶ月の孫は、最近あっと言う間に話が通じるようになり、お喋りさん。数字も読める!!……と書くと、立派な「ばばばか」だが、その頃の息子(つまり孫のパパ)は理屈をきちんと述べることが出来ていたし、娘は貼ってあった一覧表からひらがな、かたかなは勿論、漢字もローマ字も自然に覚えてしまったので(決して比較すべきではないし、幼児期の発達こそ十人十色と思いつつも)、孫の順調な成長に心底安心した次第


それにしても、「孫は来て嬉しい、帰って嬉しい」とはよく言ったものだ。
来れば可愛さからしっかり相手をしてしまうのだが、去ればドッと疲れが出る常。


昨晩、息子一家は一旦我が家に寄って車を置き、新幹線で関西に発って行った。
息子はまだ東京での仕事が残っているので、ママと子供を送り届けて荷物をほどいたら再度上京し、我が家に滞在して残務をこなすとのこと。(やれやれ……


下は、一昨日撮った中から。

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乾杯好きは父親譲り??(但し息子は哺乳瓶で乾杯していたっけ……
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山ほどあったピッツァが消えた
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今日は又しても、全くの久々に教会・・
幼児祝福をお願いして2年以上が過ぎ、結局息子一家はそのまま去ったことになる。
是非キリスト教系の幼稚園に!とばぁばは願う・・・




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更なる続きは挫折 - 2011.12.10 Sat

発表会の話は、もっと言葉を選びつつ詳しく書こうと思っていたのですが、今日から、家の中の引っ越しの続き(6月初めに足指を骨折して以来中断していた)を何とかこなさねばならぬ事情あり、当日配布した「自己紹介及び曲目解説」の中から私の文章だけをコピーペーストして終わらせます。

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 自己紹介も今回の演奏会の意図もプログラムに簡単に記しましたので、ここでは補足的内容です。
 チェルニー(1791~1857)に関する詳細は、「ピアノと向きあう」の第76~106ページをご参照ください。
 今回チェルニーの練習曲を多く取り入れましたのは、彼がリストの師匠として技巧面で大きな影響を与えたからです。
 以下は思い付くまま全くの余談を…

《リストについて》1811~1886
 今年は「リストの年」としてTVなどでも大きく取り上げられていますので詳細は割愛します。が、正しい年代を調べるために「グローヴ」(世界で最も権威ある音楽事典)を開きましたところ、「チェルニー」で引いた場合の記載と「リスト」で引いた場合の記載で、違いがあり、これは困ったことです。
 フランツ・リストは、6歳の頃から父親の弾くピアノに耳を傾けて育ち、宗教音楽に興味を示し、又育った土地柄ジプシー音楽にも囲まれていました。並外れた創造力での作品を9歳の時に聴衆の前で演奏しています。この頃に育まれた宗教心、ジプシーのキャラクター、即興性は、生涯をかけて作品にも顕著に表れています。
 1820年代初め、リストの父親は息子をチェルニーに就かせるため、ウィーンに連れて行きました。既に演奏会を開いていた当時のリストは、「型破りの支離滅裂状態」だったそうですが、無限の才能を見出したチェルニーは、彼にバッハ、ベートーヴェン、クレメンティ、フンメルの作品を徹底的に学ばせ、天賦の才を伸ばそうとしました。リスト自身はそのやり方に耐えられなかったようですが、後には自分の現在はチェルニーのお蔭である、と事あるごとに述べて、かの「超絶技巧練習曲集」をチェルニーに献呈したほどです。
 余り知られていないのですが、この「超絶技巧練習曲集」12曲の骨組みは、リストが14歳の時に既に作られ、Op.1として日本版でも出ています。ご興味を持たれる方は、是非比較なさってください。

*よく訊かれる質問のひとつ、リストの「S」番号は、フランツ・リストの最も正統的な作品表を作成したイギリスの音楽学者、ハンフリー・サール(Humphrey Searle)の頭文字によります。彼は、ウェーベルン(Anton von Webern)門下の作曲家でもあります。

《チェルニーの練習曲集について》
 チェルニー30番練習曲の正式名は「メカニズムの練習」Op.849で、サブタイトルとして「Op.299への準備として」と書かれています。チェルニーはベートーヴェンの弟子として、師匠の作品を弾くための練習曲を書き始めました。ですからそれらは可成りの技巧が求められます。当時最先端のピアノ教師でもあり、Op.299(40番練習曲)が難しすぎる生徒は勿論、優秀であっても手の小さな子供にも弾けるように、このオクターヴが用いられていない30の練習曲集が書かれたと思われます(オクターブは、第13番最後の方で、バスを押さえて和音の後打ちを弾く2箇所があるのみ)。当時のヨーロッパの子供達でも体格は良かったでしょうから、おそらく日本で言う「幼稚園児~小学校低学年」位の手の大きさを考慮した練習と思われます。しかし大人であっても、一旦悪い指・手の癖が付いてしまった場合は、自然な手の形を取り戻すために、この位狭い音程での練習は甚だ有効です。
 「メカニズム」と書かれている通り、どの指も均等な強さと弾力性、瞬発力を持つことが求められています。ただ、プログラムにも書きましたが、粒が「音楽的に」揃った演奏というものは、1音ずつに表情の違いがある筈です。弱い指がcresc.の頂点になることも頻繁にあります。
 当時の最高峰であるベートーヴェン、シューベルト、ショパン、シューマン達のピアノ曲を演奏するために必須不可欠な指のトレーニングであると同時に、そのメカニズムを如何に自己表現に使うか、という辺りに問題があります。当然Op.299も「作品」として演奏すべきであり、Op.849は、その一回り小さな作品集です。
強い指を鍛える訳ですが、美しいピアニッシモを揃えて弾くためには、別な「指の強さ」が必要です。
 ところで、この曲集に短調の曲が1曲しかないのは、子供達を練習嫌いにせぬように明るい曲を、とのチェルニーの配慮か、はたまた増2度を要する和声的短音階が子供の手には不自然との判断か…と思い巡らせます。長調ばかりの通奏は、弾き方次第では退屈極まりないことと思います。淋しさも悲しさも怒りも存在しないのですから。
 けれども、3.11からの大惨事続きの今年にとりまして、この長調ばかりの曲集は慰めや勇気づけに繋がる気もします。
 暗さは全くありません。幼い頃の想い出、日本の美しい自然、楽しい光景、躍動感…(以下は独断と偏見)
 第1番から第8番まではC-dur(ハ長調)続きで、特に自然な朗らかさ、明るさ、温かさ、又躍進が感じられます。例えば第4番は温かい心ですっぽり包んでくれます。第5番は小躍りしているが如きリズム。第9番と第10番がF-dur(ヘ長調)。第10番のテンポは速いですが、分散されたコラールを彷彿とさせます。その後は♯、♭ともに増えて行きます。第15番は活気に溢れた子供たちの遊び、第16番は勇ましさ、第17番はサンタクロースの雪車の鈴のように(私が幼い頃は)感じられました。第18番は、ベートーヴェンの「英雄」や「皇帝」と同じEs-dur(変ホ長調)。キャラクターも似ています。第19番は楽しげなワルツ、第20番は青く澄み渡った空に赤蜻蛉が飛び回っているイメージを抱きます。その後の♯系の曲は、虫の羽音、粉雪、雪解け…唯一の短調である第26番は「焦燥感」。第28番には「団結心」のようなものを感じます。

 本音を言えば、「あと2-3曲『短調の曲』があれば、どんなにか通奏し易いだろうに・・・」

《Félix Le Couppeyについて》1811~1887
 生誕200年を迎えるFélix Le Couppeyについて、本に於いてもインターネットに於いても、余りに文献が少なすぎます。「グローブ」すら、どのアルファベットで調べても載っていません。カタカナ表記は難しいところですが、「ル・クーペ」は相応しくない気がし、今回は「ル・クッペィ」と表記します。
 ル・クッペィは、1825年(14歳)にパリ音楽院ピアノ科で1位(所謂プルミエ・プリと推測※)。1828年(17歳)和声学とピアノ伴奏でも1位。「和声学」のアシスタント、1837年にはソルフェージュの教授、1843年 和声学と伴奏法に於いてドゥルラン(Dourlen)の後継者となりました。1854-1886年 ピアノを教え、諸楽器の為の膨大な教材を作曲した人です。
 彼も又「チェルニーOp.299の準備のため」というタイトルで練習曲集を書いています。こちらはまさに、チェルニー40番練習曲集の音型を易しく反復したものや、30番練習曲に似たものも多いです。

※パリに於ける「1位」は、大勢の中の1番ではなく、合格者は全員「プルミエ・プリ」です。逆に言えば、「プルミエ・プリ」を取らなければ卒業を認められなかった、ということになります。

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これで、発表会の話は一旦終わらせます。
本来なら、主役である生徒たちの話を書きたいところですが、これは又折に触れて例として挙げさせて頂きます。

私のチェルニー30番練習曲全曲は、そのうち音源を何らかの形でアップ・・・
30曲とは言え、リピート無しですから通奏だけなら20分強。
10曲ずつ区切ってひと言を添えました。さもないと「今、何番あたりなのだろう?」となってしまいます。

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ぶっつけ本番の反省とお詫び - 2011.12.10 Sat

12月6日の発表会(又?と言われそうですが)、私の中での反省点があります。

第1部(タッチに関するミニレクチャー)では、手をアップでスクリーンに映し出すことを生徒が発案してくれました。
お一人のご主人が持つプロジェクタとスクリーンを使い、遠くからでは全く観察出来ないタッチの種類を、会場のお客様が明確に見ることが出来る、という理由。
操作はそのご主人が担当してくださる、と。
これは有難いお申し出!!

けれどもリハーサル時最後に映し出して様子を見てみたら…
何と!可成り遅れて画像に反映されてしまう。
ここで決断すれば良かったのですが・・


何とかなるだろう、と、そのまま第1部を始めてみたものの、ピアノという楽器は1秒に何十もの音を出すことすらある技巧を要する訳ですが、ゆっくり打鍵動作を示す場合でも、指先が手前に引いて打鍵している時の画像ではまだ指は停止、既に指が定位置に戻っている時には画像ではまだ指が曲がって残っている。腕の落下と跳ね返りも逆に映り…つまり腕を鍵盤に投げている時にはまだ前の動作、投げた後に跳ね返っている時には、まだ画像ではやっと投げている……昔の衛星放送の如し。
…ということの連続。
しかも最初のうちは、同時に録画をして下さっておられたそうで、スクリーンが余りにぼやけて何も見えない…途中で「録画の所為だと思うので、録画は止めましょうか?」と耳打ちしにいらした(録画もされていること、知りませんでした)。録画を止めた以降が、上記のような画像となった次第。
そんなこんな、ずっとステージで操作して下さったそのご主人には、お手を煩わせて申し訳なかったと思います。
途中画面が消えてはスイッチを入れ・・
しかも、お客様より何度か「そこにいられると困る、見えない」と舞台下から注意も受け・・・
いや、全て私の責任です。


実にややこしいステージとなってしまいました。
お客様には、躊躇いつつも何度か、前の方で直接手をご覧頂くように促しましたが…
音を聴き、スクリーンだけをご覧頂いていらした方は、きっと「???」だったことでしょう。

指導者、代表者である私の責任の他、何ものでもありません。
他の空いている日を使って、事前に試してみるべきだったのです。
予測が着かなかったことと、私の体調とで、それは不可能だったかもしれないのですが、実行するのなら、それは無理してでもすべきでした。
さもなくば、途中でスクリーンを打ち切る勇気が必要でした。

これらのこと、万が一いらして下さった方がここをお読み下さっておられる場合、深くお詫びを申し上げます。


次回へ活かせる反省点とはなりました、申し訳なかったことです。


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感謝 - 2011.12.09 Fri

リサイタル、CDリリース、本の出版・・・のみならず発表会ですら、雑事での多忙は同じ。いや、もっと大変かもしれない。自分のことだけ考えていればよい訳ではなく、寧ろ、生徒たち一人一人に合わせて考える。



いつも有難うございます。
宣伝やチケット購入のみならず、お総菜まで届けてくださるY子さん!!

そして、常に祈って下さる皆さまへも、当日お手伝いくださった方々へも、感謝の言葉も見つからないほどです。
少し落ち着いたら礼状を書きたいと思っています。


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発表会の話の続き - 2011.12.09 Fri

昼間に日記をひとつ書いて、又眠ってしまった・・・
やれやれ・・


今回のテーマ「その1」は、「基礎はやってやり過ぎることはない」をモットーに、私の本の「分かりにくい」という「18種類のタッチ(【A】~【R】)」の実演を組合せる。折しも生誕200年を迎えるフランスのLe Couppey(ル・クッペィ)の練習曲集を抜粋で使う。
まずは私が、各タッチの説明を鍵盤上で行い、該当するル・クッペィを生徒たちが演奏。更にタッチの応用として有名な曲の一部分を私が弾いて示す。
「その2」は、生誕200年のフランツ・リストの名曲の数々を第5部にて。
それに関係し、リストの師匠であるチェルニーの練習曲集や、ブルクミュラー、ショパンの練習曲をも第2部から第4部。
つまり、「練習曲の演奏とはかくあるべし」ということを強調したかった。簡単に言うなら、心を表現するためのタッチとテンポのトレーニング・・・


頭が働かないので、プログラム(本来三つ折り)の裏表を貼り付けます。

と貼り付けたのですが、どう考えても本名だらけで情報漏洩かもしれない・・・
1年近くも経って削除しました(その間、読み直す機会もないまま)


第1部は、自分でメモしてあった曲例の3分の1すら試演時間なく、それでも40分の予定が1時間を超えた。
ところが第2部以降、一人の欠席者があったとは言え、皆さんテンポが凄まじくアップして、あれよあれよという間に一曲が終わってしまう。
このまま進行したなら、当初9時半終了を覚悟していたのに8時半に終わってしまいそうで、本来無かった場所に休憩を入れたり、アナウンスをadagioでお願いしたり……。
(その逆よりはマシだ

続きは又。




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今頃ですが発表会のこと - 2011.12.09 Fri

12月6日(火)、21世紀になって2度目(!?)の生徒たちの発表会を開催した。

先月末にここに記録して以来、ブログを書く気力は勿論、パソコンを開くのも億劫になった。
書いた通り、私の体調不良から生徒たちの最後の一週間は突き放す結果となったが、どうやらそれが功を奏したようだ。全員が個性を発揮していたと思う。ミスはあっても心を演奏に反映していた。
レッスンを休みにしても、「あそこの8小節だけはもう1回レッスンしておいた方が良いだろう」とか、「3倍遅い練習を私の前でやって貰う必要がありそうだ」等々思うことは生徒全員にあり、でも「1時間以内」を約束しても、それ以上見てしまうのは私の常。だからやめた。

私の最後の1週間は、と言えば……プログラムの隅々までを確認し、業者から取り寄せた用紙にプリントアウト。また、恒例になっている「出演者のプロフィール(曲目解説を含む)」をワードに貼り付けてレイアウトを直してプリントアウト。
新たに出た、会場に連絡すべきことなどの確認。
他、無限に雑事や連絡事項はある。
何よりも、解説と試演をすることにしている第1部が、予定時間内に収まりそうもなく、でも最低限これだけは、という妥協ラインのリミットもある。これが最も難しい・・毎日夜中に夢の中で閃いてはメモ。

その合間を縫って、整骨院で身体を整えてもらった。
何十年ぶりかで美容院に行き、パーマをかけてもらった(「ボサボサパーマ」と名付けている)。

更なる合間は休息。筋力低下時は要注意。
そして最後の最後の寸暇が自分の練習。

あと一週間あったなら…は、あと一日あったなら…の状態へ。

出来るだけ出演者には負荷をかけまい、と過ごしていたが、最後にはお一人にあれこれ動いて頂く結果となってしまい、申し訳ない限り。

無事に終えた。

終えた日の夜中に目覚めて、「あぁ、この曲も例に入れなきゃ」「あの曲例の時間を計っておかねば!」「3頁に収めてみようか」「一人抜けた部分に挿絵を入れよう」・・・とメモ用紙を手に取ろうとして・・

「あれ!?発表会、終わったんだっけ??・・・・・万歳!!!」


いつもなら、発表会翌日は早速録音をダビングしたり、礼状を書いたり、と動き回っているのに…
今回の「翌日」は、まる一日眠って過ぎた。
「翌々日」も半分以上眠っていた。
目覚める度に見ている夢は同じだった。「練習しなきゃ」「曲例を選ばなくては」「レイアウト直さねば」等々・・

やっと今日は普通に起きている(おかしな表現…)

発表会そのものや、当日のことは又改めて。



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プロフィール

奥 千絵子

Author:奥 千絵子
★上の画像は2001年にCDにして約3枚分を収録したものを,2006年に2枚組としてリリースしたCD「樂の音に寄せて」です.『レコード芸術』2007年1月号で「特選盤」として取り上げられました.戸倉新樹教授によるライナーノートは医学生にもお薦めです.その他のCDや著書はWebsite「本館」からお入りください.このブログも「本館」のDIARYです.
★このブログの"Grüß Gott !" (文字化けの場合はGruess Gott!)は墺・南独の時間を問わない挨拶です.Website「本館」のDIARYです.出版CDや著書の詳細は「本館」のメニューからお入りください.
Website「別館」もあります. 著書「ピアノと向きあう」の説明を補うサイトです.よく頂く質問に説明を記載しています.
★上記著書については今井顕 氏によるKINOKUNIYA書評空間WEBLOG を是非ご一読くださいませ.
Auch auf Deutsch schrieb ich…
★【膠原病の記録】余りに医療のカテゴリーがが増えてしまったので目下整理中です.大変複雑な病気の経験が同じ病の方々への参考となりましたら幸いです.
「乳癌と膠原病(皮膚筋炎・多発性筋炎)」「膠原病(退院後)」 ,その他の医療の話(自分以外も含めて)は「医療・病院関係」,に取り敢えず分けました.
平成12.12.12.病院での復帰リサイタルは演奏動画入り記録です。
★恩師のことは55年間を遡り少しずつ記載するつもりです。目下のところはこれだけです.
★コメントも大歓迎です。SPAM防止上、確認後に公開しております。ご理解をお願い致します.
★このブログや大元のサイトへの感想やお問い合わせはservus2008@gmail.com宛に@を半角に直して送信願います.
【BGM】
Robert Stolzメドレー
演奏:東京カンマーコレーゲン 
室内楽アレンジ:奥 千絵子
ショパン:華麗なる大円舞曲Op.18
演奏:奥千絵子 ショパンのワルツは上の画像の2枚組CD「樂の音に寄せて」に入っております.
★Copyrights©1997-2020 Chieko Oku All rights reserved.
制作・著作:奥千絵子
★遙か下方に設置のカウンターは、サイトを複数回お訪ね下さいましても1日を1回とカウントし、又、私を入れない設定になっております。



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