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2009-09

連絡に使うとは…(譜例画像追加) - 2009.09.26 Sat

「試演会兼レッスン」の様な集まりに関するものです。
(今回は、今年没後200年のハイドンと生誕200年のメンデルスゾーンの曲のみ)

以前でしたらプリントアウトをし、お一人お一人に手紙を添え、封筒に入れて宛名を書いて切手を貼り、投函していたものでしたが…

この様なネット上に、連絡も兼ねてコピーペーストにてアップ出来るのは、良いことなのか良くないことなのか・・・少なくとも私の手間は大いに削減されます。
(個人情報の部分は消します)

___________________________

2009年9月26日 配布プリントから

結局必要を感じて書くことになりました。
大急ぎで書きますので、抜け落ちている事がありましたらご指摘ください!!

- 本日の課題 –

自分で弾く場合は勿論のこと、他の人の演奏を聴く場合も、評論的耳を持ちましょう(良い点、直すべき点の両方)。人の振り見て我が振り直せ(口癖)

時代背景を考えてみましょう。


< オリジナル曲 >

【ハイドン】(1732 ローラウ~1809 ウィーン)
当時としては甚だ長生きをした作曲家です。その間に楽器の開発が進み、どんどん変遷します。

オーストリア継承戦争(カール6世に男の子が居ないまま没した為に、ハプスブルクは神聖ローマ皇帝の位を外され、オーストリアは長女マリア・テレジアが継いだ。それを不服とするプロイセン等との間に起きた戦争)勃発の1740年には、既にこの世に居た訳です。

ところで、ひょっとすると今さら訊けないかも分からない単語
エスターハージー(エステルハージー・Esterházy):当時のハンガリーの大貴族(公爵)で、ハイドンをおかかえカペルマイスターとして雇った主。
エスターハーザ(エステルハーザ):その大貴族所有のアイゼンシュタットにある宮殿(パリのベルサイユ、ウィーンのシェーンブルン宮殿の模倣とも思える)。1761~66年、ハイドンは副楽長。1766~、楽長ヴェルナーの死と、このエスターハーザの完成で、ハイドンが楽長となった。追記ながら、このエスターハーザに於いてハイドンは膨大な量の作曲をし、指揮をし、楽譜の整理・整備、楽器の補修に、はては経営係まで(つまり演奏家との契約と人事掌握)をこなしました。更に追記ながら、1790年にエステルハーザを手放されてから、ハイドンはアイゼンシュタットとウィーンを往復する様になり、1年の大半を滞在しているウィーンにて「天地創造」「四季」を成功させています。
Hob.:Hoboken(ホーボーケン)ハイドンの研究者で、膨大、且つ雑然としていた彼の全作品を整理し、番号付きの目録を約40年かけて完成させた人です。


どの様な楽器(チェンバロ、初期のピアノ)で作曲されたか。
ピアノ、と言っても、例えてみるなら今の時代にもアップライト、ヤマハのグランド、海外の著名なメーカーのフルコン等々がある様に、当時のピアノは一般家庭にはまだまだ普及していない「海外のフルコン」状態だったことでしょうし、習い事としては貴族の家庭に許される特殊な存在だったに違いありません。

1)コンチェルト D-dur Hob.XVIII/2 D-dur(1765年頃作曲)は「チェンバロ・コンチェルト」として書かれています。
鍵盤数も圧倒的に少なく、二段鍵盤で弾ける場合やストップ(音栓)数が多い場合はまだしも、一段鍵盤でストップが無い場合でも弾ける様に、オリジナルは音の数も少なく書かれています。これは場所によっては増やして構わないと思っています。

2)鍵盤楽器の為のソナタ(Hob. 順に並べます)
Hob.XVI/20 c-moll(1771)チェンバロ及びピアノフォルテの為の
Hob.XVI/27 G-dur(1776)チェンバロの為の
Hob.XVI/34 e-moll(~1784)チェンバロ及びピアノフォルテの為の
Hob.XVI/52 Es-dur(1794)ピアノフォルテの為の

圧倒的に(寧ろ、殆どが、に近い量の)長調が多い彼のソナタの筈が、何故か半分が短調になってしまいました。

作られた当時の楽器がどうあれ、現代のピアノで演奏する訳です。アーティキュレーションは自由ですが、よく考えましょう。
又、ハイドンのスタッカート記号は、所謂スタッカーティッシモ記号となっています。これは彼の単なる習慣で、スタッカート、メゾ・スタッカート、或いは音価よりは短く、と思ってください。場所により長さを判断することです。

3)鍵盤楽器の為のその他の曲
「アンダンテと変奏曲(Andante con Variazioni)」Hob.XVII/6 f-moll(1793)



【メンデルスゾーン】(1809 ハンブルク~ 1947 ライプツィヒ)

(記載は時間切れにて最低限だけに留めます。)

作品番号は、Op.72迄は生前に付けられました。

1)無言歌集
第6集までは生前に、残る2集は没後に出版されています。
いずれもライプツィヒのBreitkopf & Härtel社です。


Op.19/1, 2, 3
Op.30/3, 6(通し番号9, 12)
Op.38/6(通し番号18)
Op.62/6(通し番号30)
Op.67/4(通し番号34)
Op.102/3, 6(通し番号45, 48)
版によっては全曲にタイトルが付いている譜面がありますが、上記の中で元々タイトルが付いているものは、「狩人の歌」「ベネツィアのゴンドラリート」「デュエット」「春の歌」「紡ぎ歌」だけです。

2)Rondo brillante(ピアノとオーケストラの為の)Op. 29 Es-dur

3)Variations Sérieuses(厳格なる変奏曲←厳粛なる、と訳したいです) Op. 54 d-moll

4)3つの練習曲集Op.104より第3番 F-dur

その他、入れたかったのはfis-mollのファンタジーOp.28 や、ロンド・カプリッツィオーゾOp.14, 6つのプレリュードとフーガOp.35があります。

(後日追記:1)と3)は準備出来ずに2)と4)のみとなりました)




< アレンジもの >
(全て二台ピアノ用編曲・奥千絵子)

これを通じて学んで頂きたいのは、元が歌の曲であった場合には、歌詞の意味やイントネーションに従って表現方法やフレーズを考えることです。これはオリジナルのソロの曲を弾くことに多いに役立ちます。又、元がオーケストラの曲の場合には、現代のピアノを使うのですから、オーケストラの各楽器の音色の模倣出来、つまりタッチの工夫をして頂きたいのです。ペダリングもです。
アンサンブルに慣れる、ということは大前提で、です。今日は、この「大前提」に終わるかも分かりません。


【ハイドン】
1)シンフォニー第94番「驚愕」(1791) Hob.94より第2楽章(ドイツ語ではMit Paukenschlag= ティンパニー付き、と言います)

2)オラトリオ「四季」より:春から「Komm, holder Lenz !(来よ,優しき春!)」


【メンデルスゾーン】
1)歌曲「歌の翼に」Op.34(1834)

2)付随音楽「真夏の夜の夢」より「結婚行進曲」Op.61(1842)

その他、例の「Festgesang」や、交響曲第2番「Lobgesang」も考え中です。


____________________________

ハイドンのD-durコンチェルトの譜例を載せます。

大元のオーケストラスコアに書かれているチェンバロパート、これがオリジナル譜です。
左のページ下段からソロとして入り、右のページ第3小節目から反復があります。
殆ど同じです。

(クリック拡大でご覧ください)
Haydn+score_convert_20090928212204.jpg


下の様なピアノ用譜面も存在します。
Haydn+Konzert_convert_20090928212101.jpg

この2段目は、スコアの右ページ(つまり二度目)に該当しますが、音が多くなっていますね?
オリジナルではありません。

ただ、間違いか?と言えば、そう言い切れるものではありません。
楽譜のページ下にオリジナルの譜例も載っております(カットしてしまいましたが…)。


前にチェンバロという楽器が…という事で記載した通り、ここが2回目として少し大きな音、と言いますか派手な音を求めた場合、8フィートと16フィートの両方の弦を鳴らす設定に出来ます。
それを具体的に譜にしますと;
Haydn+Beispiel_convert_20090928221812.jpg
(Finaleで記譜)

実音はこの様になる訳です。
ただ、手が足りませんね?
それで、二つ目の譜の様な提案となる訳です。
これを鵜呑みに最初から読むことは感心しませんが、一つの例として参考にする価値はあります。



以上、チェンバロ曲を現代のピアノで弾く為の一例でした。



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鍵盤楽器の変遷・種類 - 2009.09.24 Thu

前の日記に書いた様に、我々が現在ピアノで弾いている作曲家、例えばJ.S.バッハ、モーツァルト、ハイドン、ベートーヴェン達が、どの様な鍵盤楽器を演奏し、曲を書いていたのか、ということを具体的に考えてみましょう。

鍵盤楽器として、オルガン、クラヴィコード、チェンバロ(ハープシコード)、ピアノ、の4種類を挙げてみます。

オルガンは、時代的にずば抜けて古くからある楽器です。
紀元前500年頃、水圧式オルガン、とでも言うのでしょうか、「ヒドラウリス(hydraulis)」と呼ばれるオルガンがありました。楽器の中央には水の入った水圧調整機があり、側面には2つのポンプがあり、演奏者はそのポンプを足で押し、長さは違う19本の管を水が通ることでを演奏した様です。
初期キリスト教時代になり、水ではなく、空気を「ふいご」で送る様になりました。
この「ふいご」がどの様に変遷したのかが、オルガンの歴史は関係があります。
床に大きな2つのふいごが置かれ、それを男性二人が上で跳ねて空気を送った画像が残っています。
紀元980年頃、イングランドのウィンチェスターに造られたオルガンでは、400の管と26のふいごがあり、いっぱいに風をはらんだ風凾が400の管を響かせる為、70人の男性が汗だくになってふいごを漕いだそうです。
この辺りから中世を経ても、まだオルガンにストップ(音栓)という調整装置が無く、これが出来て、それぞれ特性のある管をセットにして音色調整が出来る様になって行きます。

ライプツィヒのGrassi 楽器博物館にあった、古いオルガンを載せます。

Orgelpositiv (中世のポジティフオルガン)
写真では「ふいご」が一つ上がっていますが、二つ付いています。
現代のオルガンからは想像も付かない、原始的なものです。

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オルガンの始まり?

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チェンバロに進みましょう。
16~18世紀に栄えた鍵盤楽器です。
変遷に従って種類も沢山ありますが、共通するアクションは、ジャック(jack)という細長い木と、その上の方に付いた小さな爪(プレクトラム・plectrum)です。爪は鳥の羽の芯や革で出来ています。
鍵盤を下げると、その延長上(つまり鍵盤の奥の方。普通は見えません)に乗っているジャックが上がり、爪が弦を引っ掻き、音が鳴る訳です。
チェンバロの一種にスピネットというものがあり、これは一つの鍵盤に一つの弦です。

下は、1571年ベネツィアでB. フロリアーニにより作られたスピネットです。

1571年スピネット


次のものは、1693年フローレンツでB. クリストフォリにより作られたスピネットです。

スピネット2

チェンバロは鋭い絢爛たる音を出しますが、ピアノの様にタッチで強弱をコントロールすることが出来ません。
ですから、弦を何種類か張り、普通のピッチが8フィート、1オクターブ上を4フィート、1オクターブ下を16フィート、と弦を張り、オルガンの様にストップ(若しくは足のペダル*)により弦を組み合わせたり単独で使ったりして強弱に代わる方法を取っています。
二段鍵盤を持つチェンバロでは、一段単独で使ったり、二段を連動させる連結ストップも使えます。(*よく訊かれるので念押しの添え書きです:チェンバロの足のペダルは音を伸ばす為のものではありません。)
とは言え、現代のピアノの様な強弱は出ませんし、音色も全く違う、別な楽器です。
ストップ操作による音量変化の錯覚(という言葉は相応しくないかも分かりませんが)以外では、微妙な強弱やニュアンスが付けられる訳ではないので、強調したい音に前打音や装飾音の類を付ける訳です。又、ピアノでは強弱により付けることの出来るアーティキュレーションも、音を切る、繋げる、ということで表現します。

下は美しい絵が描かれた大型のチェンバロです。
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下のものは…説明をよく読んで来なかったので忘れてしまいました。
(どなたかお教え下さいませ)
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さて、クラヴィコードに行きましょう。
やはり16世紀頃から使われましたが、ピアノが出現する19世紀には衰退して行きました。

チェンバロとの大きな違いは、弦を叩くことです。
鍵盤の奥にT字型の金属棒(タンジェント・tangent)が付いており、鍵盤を下げるとタンジェントが押し上げられて弦を打つ、至って単純な構造です。
しかし、演奏は難しく、少し強く叩けばピッチの高い音が出、弱過ぎれば音は出ません。
又、小さな部屋には良いのですが、広い部屋には響きません。
但し、熟練すればヴィヴラートもかけられるそうですから、弾ける様になってみたいものです。

下はピンぼけながらクラヴィコードです。

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少し遠いですね。

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いよいよピアノが出現します。
と言っても突然発明された訳ではなく、多くの人たちがハンマーアクションを考えていた訳です。
著名な人は何と言っても、(上のスピネットで名前を挙げた)B. クリストフォリです。

大切な写真が見つからず、ネットから頂戴致します

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突然現代のピアノのメカニックになった訳ではなく、まだまだ長い道のりです。
音も、チェンバロと現代のピアノの中間の様なイメージです。

鍵盤楽器の音の出るしくみがありました。
触って動きを試せるものでした。写真で残念です。
それぞれ一段ずつも更に創意工夫が重ねられ、何種類ずつも存在します。
(念の為、下の方が古い時代です)

鍵盤楽器しくみの変遷



ライプツィヒと言えば、Blüthner!!(私も以前使っていたのですが、共鳴弦が張ってあることが逆に自宅では響きすぎ、手放しました。)

ブリュートナー(ライプツィヒ)


甚だ端折りました。
又編集すると思いますが、取り敢えず(いつもの台詞となりました)送信致します。
作曲家との関連は、編集する迄は、前の日記の年表も参考になさってくださいませ。

Grassi博物館(正しくは、ライプツィヒ大学の音楽楽器博物館)の写真は、一通りアップしました。説明は又これも後日・・・

http://allegrobunchan.blog18.fc2.com/blog-entry-345.html



(これらも、レジュメを兼ねます)
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楽器博物館 -その前に- - 2009.09.24 Thu

ライプツィヒの楽器博物館が、ohne Blitz(フラッシュを焚かなければ)撮影OKでした。
私のカメラでは不可能。娘のカメラで撮って貰ったので、ここにアップしようと思うのですが、その前に・・・

楽器の変遷と作曲方法は大いに関係があります。

その作曲家がどの様な時代に生き、どの様な楽器を使っていたか、特に今ではピアノ曲として扱われ、現代のグランドピアノで演奏されている曲が当時はどんなであったか、ということは知っておくべきでしょう。

勿論現代の、存分に強弱を付けることが出来、しかもペダルもあり(作曲家によっては無かったか、あっても今の様に効果はなかった)、音色も変化に富ませて弾ける楽器を使って弾く訳ですから、その効果は存分に使って弾くべきだと思います。


ウィーンでの10日の日記に、ヨハン・シュトラウスのピアノと私の1907年製のピアノが酷似していることを書きましたが、私のこのピアノも購入当初は「ハーフイングリッシュ・メカニック」と言って、現代のピアノとは打鍵のメカニズムが違っていました(1975~6年に現代のイングリッシュメカニックに入れ換えて頂きました。その話も又いずれ…)。その前のヴィーナー・メカよりは遙かに今のピアノに近いのですが…1907年製ですら、です(でも、現代のベーゼンドルファーのフルコンと鍵盤数は同じです。つまり下のAより更に4音あります)。
J. シュトラウスが晩年使っていたピアノを思う時、ブラームスも同時代に生きてシュトラウスとは親交が深かったこと、同じ様なピアノを弾いていたのではないでしょうか。

メンデルスゾーンが使っていたピアノは、鍵盤数が今より少なかったです。
この様なピアノはウィーンに今でも其処彼処にあります。
もう随分前になりますが、ウィーンの郊外には鍵盤の上がF迄しかなく、そのピアノでバッハ=ブゾーニのシャコンヌを弾いた時には上方へのパッセージで右手の鍵盤が「無い!!」でした。
言わんや、更に以前の作曲家をや。

ベートーヴェンの時代には、現代にほど近いピアノ(グランド)の形になったとは言え、鍵盤も上下共に多少少なく、ペダルも今の様に効きませんでした。しかも、これは演奏会場や偉大なる音楽家のところに存在するだけで、一般に普及するにはまだまだ・・・
(段々時代が戻っています)

と、それらを考慮した上で楽器を見るべく(ピアノのみならず、クラヴィコード、チェンバロ等々を)先立って年表を載せます。

確か、家のどこかに歴史も一緒に記された作曲家の年表があった筈、と探し出しました。
複数あった筈が一つしか見つかりません。
しかも…年代の幅が均等になっていませんし、ページによって縮尺が違います。
主立った作曲家だけ、生存年を線にて書き加えてみましたが、見えますかどうか・・・
読み取って頂きたいのは以下です。

*主立った出来事(世界史・日本史)との関係
*音楽史、理論、楽器と音楽家との関係
*同時代に生きた音楽家相互関係

(年表はクリックで拡大してご覧ください)
音楽之友社の「楽典 -音楽家を志す人のための-」をコピーして、その上に記入をさせて頂きました。

又、今年が記念の年であるハイドンとメンデルスゾーンを中心に印を付けてあります。



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書き出すと切りがないので一旦送信致します。
(レジュメを兼ねます)



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Ein Walzertraum - 2009.09.22 Tue

先日ウィーンでの"Operettts"以来、使われた1曲の大元であるOscar Straus (Straussに非ず)のオペレッタ、 "Ein Walzertraum (ワルツの夢)"が聴きたくてたまらず・・・

勿論Niki役はPeter Minichで!!そしてVolksoperのもので!!

という訳で、18日にAmazonを検索したところ、ユーズドがヒットした。
それも1890円で??!!!

20日には手元に届くという手際の良さ!
(まさに「『夢』ではないか?」と思って頬をつねってみるほど


万歳!!本当に届いた!!!

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早速パソコンに取り込み、作業をしながら聴いています、もとい、聴きながら作業をしています。
1961年の録音の様ですが、素晴らしいです。

Peter Minichの世界無しには、Volksoperは語れません



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ライプツィヒの日記を編集しました - 2009.09.21 Mon

9月5日の日記を編集しました。

(リンクしない場合は下記からお願い致します)
http://allegrobunchan.blog18.fc2.com/blog-entry-325.html

娘から画像を受け取り(前にも書いた様に、私のカメラは手ぶれ機能が無い為に、フラッシュなしでは室内が撮れないのです)、メンデルスゾーンの家の中の写真を沢山載せました。

又、その日の夜の演奏会も、甚だ貴重なプログラムだったことが分かり、書き加えました。



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月日は素早く過ぎ… - 2009.09.19 Sat

息子夫婦が孫を連れてやって来ました。
(メインの目的は、ウィーンのお土産を取りに


約一ヶ月会わなかっただけなのに、子供というのはこんなにも知恵が付くのですね。

家が違う、とキョロキョロしては泣き、じじばばの顔が見えると暫しじっと見つめ、この人知らない、と泣き・・・
所謂人見知りが始まりました。



[高画質で再生]

孫も満5ヶ月になりました




でも、すぐに慣れて、可愛い満面の笑みを浮かべる様になりました。
(写真撮りそびれた
コロンコロンと寝返りも打ち、目に着いたものをいざ取らむ、と何とかはいはいを試みる。

次に会う時は、もうはいはいしていることでしょう

(じじばばは楽しみだけれど、ママたちは嬉しい大変さ、ね?
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細部の重要性 - 2009.09.18 Fri


支障がある、と思って時間を決めて非公開にした昨日の日記を又オープンにする矛盾ですが・・・
今回の事で改めて考えさせられたのが「細部の重要性」と、その為に自分で試行錯誤をする手間を惜しまないことです。


私の実父(奥龍之介)の話を例に挙げたいと思います。
昨日書いた通り、父に絵の手ほどきを受けておけばよかった・・・と後悔する私ですが、父に「教えて」と言えば、「絵は習うものではない」が口癖でした。ですから弟子も取りませんでした。
とは言っても、何か描いて見せたなら、おそらくヒント程度のアドヴァイスはくれた事でしょう。残念でなりません。


そういう父ですから、藝大(当時の東京美術学校)入学の頃には伊原宇三郎先生に教えを受けたのでしょうが、第二次世界大戦の真っ直中からその後の混乱期は大学どころでなく、後は自分で模索し、絵の具代を稼ぐ為にも他の仕事をしつつ、自分で試行錯誤をしながら描き続けていた様です。

身贔屓ながら、下に実父の大作を載せます(著作権は遺族にあるそうですから遠慮は不要で…。但し、お使いになる場合はご一報下さい)。

全体です。

「異郷」(100号) 奥龍之介
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この絵の中の細部を載せてみましょう。
全体の中ではほんの小さな部分、これを額縁に入れてもひとつの作品となりませんか?
(それ以前に、どこに在るか探してみましょう)

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又、別な絵でも同様です。

「枯れゆくとうきび」(120号) 奥龍之介
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(以下、部分は携帯カメラです)
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どうしてこの様な画像を挙げたかと言えば、演奏でも全く同じことが言えるからです。

かつての大ピアニストであり、作曲家でもあった、ブゾーニ(Ferruccio Busoni)の文章から抜粋・引用致します(東京創元社 訳:原田光子);

「わたしは数年前にすばらしい色彩のステンド硝子の製作家として謳われていた、ある有名な芸術家に逢ったことがあった。この人は同時代の人びとからステンド硝子の製作者としては世界の第一人者と認められていて、彼の名は全欧州の芸術家仲間に喧伝されていたが、この人がわたしに語ったきわめて簡単な言葉ほどに、芸術品の細部の重要性について暗示に富む言葉を他に今ちょっと考えられない。
彼は言う。
『芸術的に真の傑作品といわれているステンドグラスが、もし過ってこなごなに破壊されたとしても、残された唯一の小さな破片をよく検討することによって、ありし日のその窓全体の偉大さを充分に評価することが可能である』
(中略)
大ピアニストの演奏とかけだしの若手のピアニストの演奏を区別するものが、細部の完璧性のいかんによる場合がしばしばある。新進のピアニストは多くの場合、いわゆる曲の中心点はうまく掴んでまとめるが、真にすぐれた芸術家のインタープリテーションに、つねにほとんど決定的な性格を与える、細かい部分の表現に、細かい心遣いを働かす人はきわめて少ない。(後略)」



細部の重要性は、私自身も大学を出る迄は師匠から習ったことはなく、試行錯誤の連続でした。
この抜粋された文章の書かれた大元の本、「大ピアニストは語る」に約250ページにわたって述べられている20人の巨匠達の文章を頼りに、日々細部のイメージを作り、演奏及び練習方法を工夫したものです。
絶版になっているのが残念です。

細部を表現するには技術、音色の種類の多さを作り出す指・手・腕の使い方により編み出されるタッチ、これらを研かねばなりません。

ピアノの部屋や階段に掛かっている父の上の大きな絵は、私にとって刺激となります。
63歳で他界したのは本当に残念なことで、長生きをして、もっと沢山の大作も描いて欲しかった、と改めて思う日々です。


(レジュメを兼ねます。プリンタを何とかしませんと・・・)
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よいのでしょうかねぇ… - 2009.09.17 Thu




先日来、「出来ない」「描けない」と椅子に座ったまま蹲っては眠ってしまっている95歳の身内。

今週になり、とうとう「描いてくださいよ」の連発。

大きな絵の上方に北アルプスがあるらしいのだが、三つある凸部分の真ん中は薄紫一色に塗ってあり、左は雪の白のみ、右はまだ輪郭も無い。
「描いてくださいよ」と何度言われても、私が油絵を描ける訳はない。


小3のクリスマスに、サンタクロースが油絵の具のセットをプレゼントしてくれた。
小4の夏休みには暇潰しで、そこらに転がっている板切れに、画家であった父(63歳で他界)の真似をしてイーゼルに向かって「落書き」をしたものだったけれど・・・
以来、油のパレットも絵筆も持ったことはないのだ。

それから半世紀が経ち・・・


こんな事なら実父に手解きを受けておくのだった…



何度も頼まれ、しかも「上手に描いてはいけない」と。
立ち寄ってくれたお弟子さんも、「油は殆ど付けずに、先生の最近っぽく擦れた感じで太い筆でザザッと色を入れれば」と言われる。

仕方ない・・・やりますか・・・



という訳で、本来時差惚けを取る為に一日空けてあった日はキャンバスに向かうことになった。といってもほんの数時間なのだが、何しろ画面上の方なもので、ずっと立っていることが大変なのだ。
陳列に間に合う為には乾く時間も考えねばならず、一気に仕上げねばならない。
ご当人は寝息を立てて寝ていらっしゃる



そして、ご当人、甚だご満悦な出来に仕上がった様です。
こんな度素人が手を加えるなど、本来とんでもない筈が・・・度素人ぶりが故に助けられた、ということでしょう。


躊躇われる筈の「お手伝い」画像ですが、筆の使い方も経験のない者、今さら、ということで・・・

真ん中の薄紫だった部分は以下の如くに;

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(赤系にして逆さにすれば、まるで心臓の図)


左の真っ白だった部分は以下の如くに;

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右の輪郭もまだだった部分は以下の如くに;

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これ以上、時間はありません。
遠くから見れば、何とか「雪山」である様には見える、うん!これでおしまい

ついでに境界が曖昧だった、その下の緑色の広い部分も分かる様にして・・




そして、「あぁ~~、助かりました」「命拾いしました」と何度も何度も言われ、そこ迄は良かったのだが・・・




翌日、生徒二人(計5時間ほど)を終えて一休みしていたところ、私の名を何度も階下から呼ぶ声が
転んだか!?何かしでかしたか!?
と焦って降りて行けば・・・


「電柱を一本描いてくださいよ」
「ホワイト一色で」「草むらから、屋根の上まで」


・・・


・・・


・・・


仕方ない。
ホワイト一色、という訳には行かないことくらい分かる(紙を貼り付けたも同じになってしまう)。
赤、白、黒、茶、緑、黄色、等々をパレットに出して、ホワイト一色は太い筆で一本何とか描き、その後は他の色を混ぜつつ一番細い筆のみで円柱に見えるべく四苦八苦。

しかもその後、「草むらまでお願いしますよ」って・・・
あ、もっと下が草むらだったのね

何だかよく分からないけれど、草も細い筆でピュッピュッと沢山描き加えておきました。

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良いんですかねぇ…度素人がこんな事してしまって…



苦情が来てからでは遅いんで、経緯を日記に書いてしまった 
(流石に、絵全体は載せられません!)


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漸く - 2009.09.15 Tue

9月1日まで遡って日記を書きました。

まるで小学生の夏休みの宿題状態です。
いや、小学生は何とかなるものです。

たった数日間の事すら、記録を付けておかなかった為、記憶から脱落・・・
一生懸命に(デジカメの日付を参考に )思い出してみました。

今月のBGMを、以前使った「美しく青きドナウ」に戻しました。
お聞き頂きながらお読み下さいましたら幸いです。

引き続き今後とも、このブログをご贔屓にお願い致します。
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帰国しました - 2009.09.12 Sat

フライトは、予定よりも1時間早く成田着。
夫と娘の夫の出迎えを受けて、無事に帰宅致しました。


振り返れば結果的に、体力を上回る盛り沢山なスケジュールをこなして来たものです…
疲れが(二人とも)出ないことを願うばかり。いえ、出るでしょうけれども諸々に支障が出ないことを・・・


次回は3年後に又行ければなぁ・・・バブルの恩恵で・・・

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ウィーン最後の夜は - 2009.09.10 Thu

今回の渡欧のそもそもは、前回手に入れた9月のVolksoperの一覧に始まりました。

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(以下、数日ダブりますが)
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上旬は、大好きな「Die Fledermaus(こうもり)」「Die lustige Witwe(メリーウィドウ)」「Vogelhändler(小鳥売り)」ばっっかり!!!!!



これを見て、見に行きたい、と思ったのは私のみならず、Volksoper大ファンの娘!!
しかも娘の夫からも強く「連れて行ってやって貰いたい」由を頼まれ…



甚だ迷った末実行した訳ですが、来てみて本当に良かったです!!

Die Fledermaus、Die lustige Witweを2回ずつ。
これは後日「遡った日記」として書きますが・・・


最後の晩は…


"operettts"


オペレッタファンにはたまらない魅力でした。
どんな内容なのか、予告映像から少し把握はしていたものの、「素晴らしい!!」「楽しい!!」「凄い!!」・・・このような乏しい語彙しか出ないのが情けない(帰国後に編集します

operetttsと「t」が3つになっているのは、3人のテノール歌手だからだそうです。
Thomas Markus、Mehrzad Montazeri、Thomas Sigwald。
普通の演目の主役をつとめるお馴染み役者(歌手)さんたちです。

ここにピアニストのChristian Koch氏が加わり、この方が何しろ芸達者。どうやら歌手としてもステージを踏んだことのある方の様ですが、 指揮者R. Bibl 氏のアシスタントもなさっていること…もう言葉を失う「芸達者」ぶり。そして素晴らしい声!
今はウィーンにてフリーで、指揮者、世界レヴェルの歌手のKorrepetitor、伴奏者及びヴォイストレーナーとして活躍中だそうです。

客席を巻き込んで一緒に歌わせてしまう!!(観客がVolksoperで歌う!という何と素晴らしい経験!!)
トイレに行く為に舞台から去った、と後になって観客に分からせるのは、ズボンの前を上げながら登場するから・・・
"Weib, weib, weib(メリーウィドウの「女・女・女」)”のマーチを3人が歌っていると、ピアノが伴奏をワルツにしたりジャズにしたり、最後は全員サングラスで今どきの…(言葉ど忘れ)兎も角それに歌手がサッと乗ってしまう。
オペレッタのメドレー風な演奏に、こちらの携帯着音(日本の様に音をあれこれ替えずに、デフォルトで使うケースが殆どで…それも電車も普通に鳴らしています)の、ミレファ#ーソ#ード#シレーミーシラド#ーミーラーー…を入れてしまう!!


ピアニストとして、ここ迄の芸達者は・・・と、甚だ参考且つ勉強にもなったのでした。


ところでこの舞台、日頃の大道具は一切なく、あるのはBlütnerのピアノ一台。
全員燕尾。

そして2時間、一回の休憩を挟んだのみで、この4人だけで一気に25曲もの耳慣れたお馴染みオペレッタからの数々を使ってパロディーを演じ、進行する・・・
(あの「ダニー・ケイの夕べ」の如く…。娘は「ドリフターズを彷彿とさせる」との表現。まさに、まさに・・・。或いはHoffnungの様かも・・・)
小道具も一切無しです。
道具となるのは、カールマン、J. シュトラウス、レハール、ツェラー、O. シュトラウス、R. シュトルツ等々からの作品だけ。替え歌になっていたり(音楽用語だけで成立させてしまうものもありました)、女声モノを歌ってしまったり、「こうもり序曲」までピアノと声だけで演奏してしまう・・・


最初から終わりまで腹を抱えて笑いっ放しのネタの連続!贅沢な時間でした。
しかも演じている内容は全くのコメディアンの筈が、声は「世界の新三大テノール」と言いたい!!ところどころ、一人ずつが通しで歌う場面もありました。

詳しくは帰国後にご報告いたしますが…。
新ディレクトァの(私にとっては未だに)ロベルト・マイヤー氏に乾杯



本日は朝から荷造り、そしてプラーターへ行き、ヨハン・シュトラウスの家を見て、17区に友人宅を訪ね(標高400メートルの徒歩。途中で挫折し、娘に土産物を持って先に行って貰い、私は後から自分のペースで歩いて何とか辿り着けた)、本来ならヘトヘトでフォルクスオパーどころではない筈が、大笑いをしたことで疲れもどこかに飛んでしまいました。
そして、振り返れば結果的に可成りのハードスケジュールだった11日間が、このoperetttsで全部疲れは去り、「楽しかった!!!」との締めくくりと相成りました。
笑いが健康に良いことの証しでもあります(??)

(取り急ぎのご報告までにて)

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帰国後に再報告しよう!とウズウズしていたのですが、これから出掛ける方がどんな内容なのか検索され、ここに行き着いてネタが全部ばれてしまっては・・楽しみも半減してしまうことに気付きました。
是非、一度ご覧下さい!絶対に!!・・・ということに留めておきます。

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その他、帰国後に判明したヨーロッパの携帯着メロデフォルトの「ノキア」・・・

MP3ファイルを聞くにはプラグインが必要です。

原曲があるそうですね。驚きました。


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9月10日(続き)&更に写真追加編集 - 2009.09.10 Thu

そして、再度シュトラウスの家へ行くことに。
(娘はジェットコースターの類に乗りたい様でしたが、それはいずれ新婚旅行の時にしてくださいね、と。)

移動するのには小さな街です。まだ時間があったので、下のカフェで昼食。
今回まだ食べていなかった「Leberknödelsuppe(レバーの団子入りスープ)」、甚だ美味しかったです。
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そして、シュトラウスの家へ。

写真を撮って良いか確認を得て(フラッシュも)、撮らせて頂きました。

まず、ピアノ!!

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盖が開いていないのが残念です。
(おそらく支柱が弱いのと、埃が入るのと、・・・と推測)
下はネットから頂きました(以前は絵葉書もあったのですが、今は置いていませんでした)。

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因みに次の3枚は、携帯写真ながら私のベーゼンドルファーです(私のピアノの方が鍵盤が多く、又譜面台の装飾は少し違いますが、他は全く同じ形です。それと、オーバーホールの折に塗装して象嵌が消え、全体も艶が出てしまいましたが・・・散乱していてスミマセン!)

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以下、許可を得たので撮ったものを載せます。
小さなものはクリックで拡大されますが、如何せん写りの悪いデジカメですみません!
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シュトラウス愛用のStehpult(立ったまま読み書きの出来る丈の高い机)。
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上のStehpultの前に立つシュトラウス。
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Leopold Horovitzによる木炭画。
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以下は、娘が撮った写真です。(← 一応著作権なるものもありましょう。娘は気にしない人ですが但し書きです。)
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(シュトラウスの像。硝子に映っているのが面白いです)
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(「こうもり」初演のポスターの入ったケースに、シュトラウスが映っている…)
K. K. Hof = Theaterの「k.k.」はkaiserlich-königlichの略で、旧オーストリア=ハンガリー帝国のk. u k. とは違い、ハンガリーを除いたオーストリアだけの事項を扱う官庁や機関に付ける略語です。(因みにu は"und" で、英語の"and"です)
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(2区の地図です。東京と同じく、ウィーンも23区あり、それぞれに名前が付いています。
2区は"Leopoldstadt"です)
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(参考までに2区全体)
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(右の方にある七差路は「Praterstern」と言って、今ではS-Bahn, U-Bahnの駅があり、プラーターに行く為に欠かせない駅となっています)


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9月10日 - 2009.09.10 Thu

荷造りを済ませて、最後の一日をどう使おうか・・・

夕方には友人宅を訪ね、その後は"operettts"という演目をVolksoperで観ることになっているので、余りハードスケジュールは出来ない。

そうだ!!ヨハン・シュトラウスの家に行こう!!

そこには、私が使っているベーゼンドルファーとほぼ同じモデルのピアノが置いてあることは知っているのだが、未だかつて一度も行っていない・・・
ヨハン・シュトラウス先生のお蔭でどれだけ演奏会をさせて頂いているか分からない身としては、是非訪ねておかねば



地下鉄にてKarlsplatzから3つ目ですから近いもんです!(ウィーンの地下鉄は一駅の間が大変短く、大体どこも東京の「新宿」と「新宿三丁目」位の距離です)


と、出向いてみたら開館は午後2時から・・・


そうだ!Praterへ行こう!!

と、次の駅へ移動。

入場料も何もありません。何かに乗る時にはチケットを買いますが。

3年前の夏、30年ぶりにここを訪れた時に、余りの発展ぶりに度肝を抜かされたものでしたが…
今回は更に、たった3年でここ迄変身するか??というほどでした。まるでディズニーランドの縮小版の様。
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大観覧車は勿論あります!!

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[高画質で再生]

昔ながらの大観覧車(Prater)




・・・が、新しい観覧車が・・・
大観覧車の何倍も速いテンポで回っている!!


[高画質で再生]



新しい大観覧車(Prater)




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まずは恒例のLiliput-Bahn
やって来ました、Mannerの宣伝しながら・・・


[高画質で再生]

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これ、石炭で走るのです。

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プラーターを一周。1970年代と少し風景は変わりましたが・・・

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[高画質で再生]

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Im Pra~ter blüh'n wie~der die Bä~ume… にご挨拶。

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画像が多いと携帯から見られなくなる様ですので一旦送信します。
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9月9日(続き) - 2009.09.09 Wed

そして向かった「病理・解剖博物館」。
Spitalgasseと、名前もそのままの道にある病院だが、旧AKH(Allgemeine Krankenhaus)の一部でもあり、今はウィーン大学のキャンパスの一部でもある。




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見えてきました!通称「Narrenturm(愚か者の塔)」!
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18世紀に建てられ、当初は精神病棟として使われていたそうだ。その円形の5階(6階?)ある建物の中の1階が今は博物館として色々な資料を展示している。

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ワクワクしてしまうのが何とも…(医学は音楽の次に興味があります)
昔ながら、病名はラテン語、説明はドイツ語で表示されている。

医学用語の語彙の方が音楽用語よりも多かったらどうしよう…

コッホの功績に始まり、身体の至るところに感染の可能性がある結核という病気の怖ろしさ!図解はもとより、冒された臓器のホルマリン漬けの標本が所狭しと並んでいる。
あらゆる性病(梅毒や淋病)も同様、部屋を次々に移動すると潰瘍や悪性腫瘍の標本あり、酷い脊柱湾曲症の実物の骸骨、通称シャム双生児の標本あり、・・・等々々・・・
(撮影厳禁が大変残念!)
義肢(腕・脚共に)の開発の過程、人工肛門の開発の過程もあった。手術に失敗した人工肛門まであった。

これは又いずれ半日かけてゆっくり見たい、と思った。


病魔の本物を限りなく見て、予防医学の大切さを感じると同時に、医師の存在の大きさを改めて感じた。

標本とは裏腹に、大学キャンパスは長閑だった。
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(大きなプリズム。世界が虹色!)


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(レストラン・カフェの名前までもが・・・Ambulanz!)


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一旦帰宅して、夜は「Die Fledermaus(こうもり)」を又心行くまで楽しんだ。


(下は、娘がぞっこん惚れ込んでいる、両オペラ座バレエ団のダンサー、Florian Hurler さん。男性のみが並んだ時の、前列3人のうち真ん中です)

[高画質で再生]

Florian Hurler (Volksoper)




それにしても、私が20代だった頃のVolksoperのバレエダンサーと比較すると(いえ、比較すべきではないのでしょうが)、今はバレエだけでもステージが成り立ってしまう素晴らしさです!!


又しても纏まらない日記と相成りました。
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9月9日 - 2009.09.09 Wed

いつも荷造りに追われている気がする。

今回の旅行は、到着時のウィーンは真夏の様らしい…ところが移動先のライプツィヒは既に昼間でも気温が10度台と出ており、しかも雨…
そして又戻ったウィーンは凌ぎ易い天候となっていたが、あらゆる天候に対処出来る様に、と詰め込んできた衣類は、ライプツィヒから戻って、不要になったものが何と多いこと!
又、昨日購入したお土産や、娘が買い込んだ、山ほどのドイツ語の漫画(日本で娘が気に入っているコミック本が、ドイツ語に訳されて沢山売られている。現代の日本文化とも言えるかも知れないほどだ)と、更に買う予定のあれこれで、これらをスーツケースに入れたら絶対に重量オーバー!

という訳で、朝はそれらを概算して大きな小包をひとつ作り、徒歩5分ほどのお馴染み郵便局から発送。
とても重くて、娘がずっと運んでくれたのだが、着いて量って吃驚!!11キロ以上・・・
あぁ、若いとは言え、近いとは言え・・・有難う


少しくつろぎ、掃除が来たのを機に出掛けた。
ケルントナーやグラーベンで、すっかり観光客となる。手に入れたかったものも購入出来た。

ふと、Hawelkaというカフェを思い出した。
おそらく今は2代目、3代目なのだろうけれど、以前記事を読んだことがある。
(その記事を今ずっと探していたのだけれど紛失した様だ。どうせドイツ語なのでネット検索しても同じなのだが・・・)
ウィーンで最も古いカフェのひとつで、よく楽譜などを買いに行くDoblingerの並びにあるのだが、未だに入ったことがない。
確か、夫妻で休みの日も殆どなく営業していて、芸術家や文豪の卵たちが常に集まり、若い芸術家には協力を惜しまなかった、といった内容だった。深夜に閉店しても、その後で翌日の仕込みに取り掛かり…ということも読んだ気がする。

漸く今になって入ってみた。
メニューというものは無くて、壁の黒板に少し書いてあるが、訊けばオーナーが暗記で全部の品をひと息に教えてくれる


下は店を1930年代に始めたHawelka氏。

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壁いっぱいに貼られた、昔からここに集ったアーティスト達のポスターの一部。

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そして店を後にし、向かうは「Pathologisch-anatomisches Bundesmuseum(病理・解剖博物館)」。
徒歩でSchottentorに出て、たった二駅だが43番に乗り、Langegasse下車。
二人とも以前から一度見てみたかった場所だ。
これも漸く実現。

(一旦送信します)





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9月8日 - 2009.09.08 Tue

特に何も予定のない一日。
行きたいところは沢山あるのだが・・・

まず、何年も思っていた、ステージでも着られるディアンドルを1着購入した。

若かりし頃(20代の頃に)購入した、ロングの、それも豪華な生地のものを何着も持っていたのだが(正しくは「持っているのだが」)。同じオーストリアの同じ「ロング」でも、地方によってデザインが違い、何種類かあった。
それらは、父が絵の題材に使う為、という大義名分にて、当時は価格よりもデザイン!という何とも贅沢な購入をしたものだった。
「ウィーンもの」の演奏会の時にはよく着たし、室内楽では共演者達にも着て頂いて舞台衣裳となった。
年月は過ぎ…数えてみれば…ウン十年が経つ訳で、私の体型も変わり、残念なことに・・・以下略。


1着持っていても良いのではないか?と、ずっと気になっていた。
そして今回購入に至った。
とは言え、1970年代の(勿論シリングだった頃)ものを円に換算し、今回購入のユーロを円に換算して比較すれば、桁数がひとつ違うのだけれども・・・

しかも!サイズの数字は変わっていない。36, 38, 40と試着して、結局38に落ち着いた。
あとは下着で補正しなさい、ということなのだろう(実際、店の人にも言われた

最近民族衣装を扱う店が減っている。以前は中心部に何軒もあったのに。
私が思っている場所に無く、娘に教わる始末。
やけに詳しい、と思ったら、2005年だったか?父親と共に出向いた折に、マントを購入していた!そうだ、そうだった・・・白い100%毛の。


次に向かうは、サイズを頼んでおいた、DelkaのThink! のコーナー。
取り寄せて貰ってあった靴を購入(これも、シーズンが過ぎたのか半額以下!!)


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地下鉄に乗るべく立っていたところ、目の前にあるコミック本の店の大きな広告が娘の目にとまり・・・(その広告はDoraemonだった)
これから出向く靴店のすぐ傍、ということで、私も見学かたがた一緒に出向いてみた。
日本語でも私には分からない漫画なのだが、ドイツ語に訳されて出版され(つまり、吹き出しの中は横書きのドイツ語)、所狭し、と置かれている!!
これはもう一種の日本文化、としか言い様がない。いや驚いたの何の!!
この図々しいオバサンは、又しても写真を撮ってよいか訊いたところ、当然の如く、"Ja, fre~ilich ! !"の答え。
(ご興味がおありでしたらクリックで拡大にてご覧くださいませ)

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娘はごっっっそり購入。
彼女のドイツ語は、沢山のこの類の漫画と、ドイツ語のテレビゲームで自然に身に付き、多分私より耳も確実だと思う


そしてDELKAへ靴を取りに行き、今回まだ一度も入っていないAïdaにてマラコフトルテを食べ、お土産や自分たちが帰国後に使いたいもの等を購入し、暫しそぞろ歩き。

考えてみれば強行軍の毎日となっている。
勝手気儘なこういう日も大切。


夕飯は娘が作ってくれた

(随分記憶から脱落している。もっと書きたいこともあった気がするのだけれど・・思い出したらいずれ又・・)



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再度ウィーンへ - 2009.09.07 Mon

昨晩何かホテルで催しがあったのか、今朝の朝食は地下のステーキハウス。
ナントカExpress(こんな調子、咄嗟に単語が出ないものはさっさと諦めて飛ばすから尚更いけない)の食堂車を真似た、アールデコ調のデザイン。
素晴らしく豪華なビュッフェも食べ納め。明日からは普通のビュッフェに戻る。

ほどなく、予約してあったタクシーの運転手が来てくれてライプツィヒの空港へ。

来た時は夜で、しかも雨で、よく見えなかったのだが、何と都会!!
が、乗るのは又してもプロペラ機。今度は直行便だけれども…

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あっという間にウィーンに着き、今度は最初からタクシー。
CATは自動券売機でも一人10ユーロだったし(本には9ユーロとなっていたのに)、Wien Mitteからはいずれにしてもタクシー。計30ユーロ近くて、荷物を持って移動することを考慮したら、数ユーロ高くともタクシーに軍配が上がる


さて、又同じ宿(つまり、私は4回目となる)。
当初は7階のみがアパートメントとして使われていたらしいのだが、今回は6階。
既に勝手知ったる我が宿、とばかり、自分たちで荷物持参で鍵を開けると・・・

まさに普通のWohnung!!
Vorzimmerから5つのドア。
部屋は2つでそれも勿体ない広さ!!!
それぞれ一部屋なのだが、両方とも・・・例えるなら、家具をそのままにしてもコンサートグランドが3台が並びそうな広さなのだ。
まさに昔住んでいた家さながら。
Kaminもあるし…

(ぽちっと拡大してご覧下さいませ
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(ガラスのヒビがちょっと残念!)

フラッシュ焚いても失敗↓
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そして、キッチンは冷蔵庫は勿論、食洗機と洗濯機、オーブンに電子レンジ付き。
コーヒーメーカーも湯沸かしポットもある。

バスルームは以前と同じなので省略。
トイレは個別。

これで・・・狭いツインの高級ホテルより遙かに安いのだから・・・


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扉のガラスのデザインが又佳い!!

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あぁ…一ヶ月くらいのんびり出来たらなぁ…
取り敢えず、食糧を買い物し、インスタントながらの夕食。


そして夜は「Die lustige Witwe(メリーウィドウ)」。

ドイツへ行く前に見た時は、新学期、もとい新年度である事(つまり充分な連繋が出来ていないであろうこと)を予測し、又こちらも時差惚けを予測し、カテゴリー4の席にしていたのだが、それは正解だった。
今回は良かった(席も)。
でも、ダニロが・・・
もっと酔い痴れて欲しい。つい、Peter Minichのイメージを抱いてしまうからいけないのだろうが)何も譜面の旋律通りに歌わなくたって・・・
6月は、ミニッヒの真似をしたのでは?という歌い方(つまり、歌詞を台詞として音程を無くし、又いつの間にかメロディに戻る、という)で、是非この歌手には頑張って欲しいもの、と思ったのだが…
今回は余りに真面目。
Hannaも何となくイメージと違う。

それでも大いに楽しめた。

娘が惚れ込んでいるダンサーが又一段と素晴らしかったし。
楽屋口で待ってサインを貰った。なかなか出て来なくて、「もう帰ってしまったのでは?」という娘に、「ダンサーはシャワー浴びたり固めた髪の毛を洗って出てくるから、遅いのだと思う」と励ました甲斐もあったものです(なんという親??)
しかも、次々出てくる歌い手さんたちに他の方々はサインや握手を求めているのに、全くそちらには目も行かずに、ひたすらF.H.さんを待つ我々って・・・


とても今日、ドイツから飛んできた、とは思えない充実した一日でした。
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Leipzig Grassi楽器博物館 - 2009.09.06 Sun

(9月24日 記載)

取り敢えず未整理ながら、楽器の種類別に写真を載せます。
全て、今は「古いスタイル」としてのみ存在するか、所謂「古楽器」として演奏されているか、という楽器です。
説明は又後日編集します。


管楽器
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打楽器
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弦楽器

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楽器工房のミニチュア

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鍵盤楽器
順不同で(しかも重複していたら)すみません。

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楽譜印刷
楽譜製作(銅板)

これで五線を削る


録音(蓄音)
スピーカー


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(後ほど整理致します)
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Leipzigへ(3) - 2009.09.06 Sun

今日はまず、東の歴史を「現代史博物館」で見ました。
時間がいくらあっても足りません。
つまりは戦争の歴史に尽きる訳で、生々しい画像・映像。これら現実にあった記録をどの様に書いてよいか分かりません。

しかもその様な内容、ドイツ語で説明を読んでも読んでも…
クロークがあり、カメラや電子辞書は勿論、パスポートの入ったバッグごと全部預けてしまうのです。紙の辞書を持参すれば持ち込み可能だったかも・・・と悔いました。


親馬鹿ながら、娘は速読が出来、大切なポイントは単語も後で出てくる…私だって真剣に読んだつもりが、記憶から消え去った数々の言葉…
(後日生き字引として教えて貰い、説明を書き加えたいと思います。全くもって恥じ入ります

日本も戦争を書き出したら本が出来てしまう程の内容だと思うのですが、ドイツは・・・益して旧東ですから、これはもう想像を絶する量でした。


その後は雨の中、シューマンがクララと知り合ったカフェで食事をしました。
ダヴィッド同盟の集まりによく使った場所の様です。
色々な音楽家の絵が飾られてあり、又、その下に記された名前は「お気に入りの座席」だったのでしょうか?クララの父上であるヴィーク先生の名前もあります。


写真は縮小してあります。クリックで拡大してご覧ください。

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あれもこれも、と思ってしまい中途半端になる事を怖れ、スケジュールは殆ど娘に任せている無精者です。

ニコライ教会は、どこへ行くにも通るのですが、祭壇にもどうぞお入りください、といったプレートがありました。遠慮なく写真も撮らせて頂きました。
この教会の話も長くなってしまうので、後ほど追記するか日記を改めるか、詳しく書きたいと思います。

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(娘が撮った画像を9月21日に受け取り、私のものより鮮明なので加えます。)
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午後はグラッシィ博物館へ行ってきました。
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中は色々な種類の展示に分かれているのですが、楽器博物館の様なところのみで時間切れでした。
(ここもフラッシュを焚かなければ撮影許可があり、私のカメラは不可能な為、娘が全部納めてくれました。後日載せたいと思います。)

なかなか面白かったです。ウィーンのそれとは違い、自分で音を出してよい階があります。

クラヴィコードやチェンバロを弾いて、当時の楽器の音が如何に小さいかを娘に示すことも出来ました。又、音を出すメカニズムが違うので強弱も出ず、それに代わる手段としてアーティキュレーションに変化を付ける事や、チェンバロも楽器によって二段鍵盤のものもあるし、16フィートの弦と8フィートの弦を同時に慣らしたり8フィートのみにしたりすることで強弱に代わる表現が出来ることなど、口ではなく弾いて示せてが良かったです。

その後、昨日のヴァイオリニストのCDは無いものか、とネットを開いたのですが見つからず、ゲヴァントハウスのCDショップに行ったら、まだ一枚も無いのだそうで、がっかりすると同時に、まだそういう若手だったのか!?!?と昨日の演奏の素晴らしさに改めて吃驚でした。

又、そのCDを求めに行ったゲヴァントハウス、本来は演奏会に入場する人だけをショップに入れるそうですが、余りに熱心に頼んだもので、客が全員会場に入ったら通路を開けてくださる、と、開演の8時まで時間を潰しました。
CDが存在しなかったとは言え、親切な係の方々に感謝。

又、冬の寒さの中、私に付き合って一緒に外で時間を潰してくれた娘にも感謝。「散歩出来たんだから良いじゃないの」と言ってくれまして・・・


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Leipzigへ(2) - 2009.09.05 Sat

宿泊したホテルの部屋や施設は勿論のこと、朝食の豪華さ!!
20年前は、この様な食品数は考えられないものだったのではないか??と眺めてしまいました。
壁崩壊から20年も経って、こんなことを思ってしまう不謹慎者です。


日本で予めネット検索して目星を付けていた、ゲヴァントハウスのコンサートのチケットをまず購入。

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その後、メンデルスゾーンハウス(最期の家)へ行き、ゆっくり見てきました。

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フラッシュを焚かなければ写真OKとのこと。私のデジカメはボロボロなのですが、少々載せます(後日、娘から貰って入れ換えたいと思います)。

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(9月21日に娘からの写真と入れ換えました。部屋はF. モシュレスの水彩画によって復元したものだそうです)
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(メンデルスゾーンの手と自分の手を比べてみた)
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(メンデルスゾーンの逝去を知らせる新聞記事その他)
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(メンデルスゾーン使用のピアノ。まだ現代のメカニックではありません)
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又、メンデルスゾーンは水彩画にも長けて、プロとして活躍すべきテクニックも持っていた様です。
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(その部屋に展示されていた作品より数点のみ)
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(下の二枚は、いくら向きを直しても戻ってしまう・・・)
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8月16日の日記で書いた、佐藤さんが調べてくださったFestgesangもオケ譜が無いものか、メンデルスゾーン博物館や楽譜店でも訊いて貰ったのですが、佐藤さん仰せの通り、ブライトコプフに貸し出し用があるだけで、閲覧も駄目だそうでした。

今回、更にメンデルスゾーンの作品を調べていたところ更に分かったことがあります。
上記Festgesangの第4曲「コラール」は讃美形式なのですが、このコラールはメンデルスゾーンの交響曲第2番とも言うべき「Lobgesang(讃歌)」の第8曲目のコラールのテーマと全く同じなのです。最初はコーラスだけのアカペラですが、歌詞も全く違い、アカペラ部分が終わると、フルオーケストラとの共演となります。

又、スコアには、このLobgesangが1840年のグーテンベルクを讃える記念式にて、それも次に述べるトーマス教会にて演奏されたことが書かれています。


聖トーマス教会は、J.S.バッハが1723年から1750年までオルガニストをしていました。
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ゴシック様式の窓のステンドグラスには、マルティン・ルター、J.S.バッハを始め、第一次世界大戦の犠牲者が描かれています。


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ところで、J.S. バッハがオルガニストとして活躍していた事もよく知られています。
当時はバッハが大作曲家であったことは、逆に知られていなかったのです。

このバッハ作曲家として有名になった事には、メンデルスゾーンが大きく関係しています。
100年も人びとから忘れ去られていたバッハ!彼の「マタイ受難曲」を、1829年にメンデルスゾーンがベルリンのジングアカデミーで復活演奏をしました。
これで、初めてバッハが再評価されたのです。
つまりは、今日迄続く偉大な作曲家として認められる機会を、メンデルスゾーンが作った訳です。

1841年、再度メンデルスゾーンの指揮で、バッハゆかりの地ライプツィヒにて、しかもバッハがオルガニストをしていた「聖トーマス教会」にて、演奏されたのです。

教会の脇には、メンデルスゾーンの像が佇んでいます。
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旧ゲヴァントハウスの前に建っていたものが1933年にナチスにより破壊され、昨年復元が完成したものだそうです。



そして聖トーマス教会に戻りますが…。
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この教会附属の合唱団では少年達を育成する「トーマス学校(Thomasschule)」があり、創設は13世紀に遡ります。バッハもカントルを務めていた時期があります。

この辺りの話は、大変長大な内容になってしまいますし、旅行の日記というレヴェルではなくなってしまう為、省略いたします。


裏のカフェ「カンドラー」には「バッハ・トルテ」という(響きがザッハートルテの様)ケーキがあり、早速食べてきました。

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その後駅ビルにて主に娘の買い物に付き合って、大都会を満喫しました。

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一旦向かいのホテルに戻って昼寝をし、夜は、ピノック指揮するゲヴァントハウスの演奏会。

メンデルスゾーン200年を記念する催しの一つです。

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曲目ですが、上の写真はご覧になれますでしょうか?
何と!!このプログラムは、メンデルスゾーンが1835年に、弱冠26歳でゲヴァントハウスの指揮者として就任した時の、まさにデビューの、そしてその後に繋がる大成功を収めた演奏会の再現だったのです!!
プログラムの冊子は売り切れて入手出来ず(!)、その事が書いてあったのかどうかも分かりませんが、後になり、メンデルスゾーンの家にあった文章を読んで知りました!!

メンデルスゾーン:序曲「静かな海と幸せな航海」
カール・マリア・フォン・ヴェーバー:アリア「何を申しましょう」(ケルビーニの オペラの中間に挿入された)
ルイ・シュポア:ヴァイオリンコンチェルト第11番
ケルビーニ:オペラ「アリ・ババ」の導入曲
ベートーヴェン:交響曲第4番


全てが素晴らしく、まさに筆舌に尽くしがたい演奏会でした。
オケの後ろの、指揮者から真っ直ぐの席を取り、指揮者を正面から見ることも出来ました。

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特にヴァイオリンのソリスト、Sebastian Breuningerの素晴らしいこと素晴らしいこと!来て良かった・・・
音色が美しいのです。
シュポーアの第11番の協奏曲でしたが、あたかも地上と天国を繋ぐが如く。
拍手喝采鳴りやまず、アンコールに弾かれたバッハの無伴奏パルティータの中の一曲も、それはそれは・・・私の乏しい語彙では表現出来ません。

写真は夜のゲヴァントハウス、下は向かいのオペラ座です。

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この日、オペラ座は舞踏会があり、ホテルから正装した男女が次々迎えの車で会場に向かっていました。


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プロフィール

奥 千絵子

Author:奥 千絵子
★上の画像は2001年にCDにして約3枚分を収録したものを,2006年に2枚組としてリリースしたCD「樂の音に寄せて」です.『レコード芸術』2007年1月号で「特選盤」として取り上げられました.戸倉新樹教授によるライナーノートは医学生にもお薦めです.その他のCDや著書はWebsite「本館」からお入りください.このブログも「本館」のDIARYです.
★このブログの"Grüß Gott !" (文字化けの場合はGruess Gott!)は墺・南独の時間を問わない挨拶です.Website「本館」のDIARYです.出版CDや著書の詳細は「本館」のメニューからお入りください.
Website「別館」もあります. 著書「ピアノと向きあう」の説明を補うサイトです.よく頂く質問に説明を記載しています.
★上記著書については今井顕 氏によるKINOKUNIYA書評空間WEBLOG を是非ご一読くださいませ.
Auch auf Deutsch schrieb ich…
★【膠原病の記録】余りに医療のカテゴリーがが増えてしまったので目下整理中です.大変複雑な病気の経験が同じ病の方々への参考となりましたら幸いです.
「乳癌と膠原病(皮膚筋炎・多発性筋炎)」「膠原病(退院後)」 ,その他の医療の話(自分以外も含めて)は「医療・病院関係」,に取り敢えず分けました.
平成12.12.12.病院での復帰リサイタルは演奏動画入り記録です。
★恩師のことは55年間を遡り少しずつ記載するつもりです。目下のところはこれだけです.
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【BGM】
Robert Stolzメドレー
演奏:東京カンマーコレーゲン 
室内楽アレンジ:奥 千絵子
ショパン:華麗なる大円舞曲Op.18
演奏:奥千絵子 ショパンのワルツは上の画像の2枚組CD「樂の音に寄せて」に入っております.
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制作・著作:奥千絵子
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