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2009-06

Lebewohl - 2009.06.30 Tue

多忙の中をホテルまでピックアップしてくれた友人に感謝。
「杖が又必要になった時には、ウィーンに来るのですよ」と言われ、空港ターミナル前にて別れた。
19日に私が杖をついて空港に降り立った時は本当に吃驚されたそうだが、29日、別人の様に回復して自力で広い庭を散歩出来るようになっていた私に、再び吃驚されたそうだ。



出発も鍵に悩まされ(これは遡った日付にて後で書きます)、ホテルでも一度鍵に悩まされ、・・・二度あることは三度ある。



荷物は案の定28キロを超えていた。
このまま通す訳には行かない、と。
さもありなむ、と、その折には移せる様に折りたたみの手提げを用意し、又すぐに移せる様に本類、機械類、重いものを全て分類してあったのだが…
いざ、行列の先頭から外れてスーツケース全開にし、中身を移動させる心地の悪さ。
その作業自体はすんなり行き、移し替えたものを量って貰ったところ5.5kg。引き算して何とかOKが出た。
では、鍵をかけてベルトをして・・・

はて???

鍵が・・・

記憶から消えた。
定位置(鞄の中の)に無いのだ!
もしやスーツケースに入れた???
再度スーツケースを開けて探す焦り。焦れば焦るほど見つからない。

そうだ!鈴を付けてあったではないか!と、ショルダーバッグを振ってみた。
チリンチリンと返事をしてくれた

もう、何やってんだか・・・・・



そしてめでたくチェックインも終わり、ラップトップの入った重いリュックを背負い、ショルダーを幼稚園鞄状態に掛け、その詰め替えた折りたたみ式の手提げを持ってゲートへ・・・
もう搭乗手続きが始まっていた。
あぁ、汗かいた。



次に来れるのはいつだろう?
いざ、さらば!!


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Lebewohl!





Lebewohl!2





Lebewohl!3




(おそらくBratislava南東のドナウ川ではないか…)
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出発前(写真追加) - 2009.06.30 Tue

11時迄に宿はチェックアウト、飛行機は遅くも13時迄にチェックイン、ということで11時頃に17区の友人がホテルに来て拾ってくれる、と言う。

朝食を済ませて、まだまだ時間があるので・・・
そうだ!!
夫の住んでいた家はどうなっているだろう??(やはり1974年渡墺、76年から78年迄住んでいた家)確かこのホテルの傍だと思うのだが・・・

・・・と、Margaretenstrasseに出てみる。絶対あっち・・・(方向音痴でも記憶はある)
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(ここを左折ですな…)


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(見えてきました)
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ここ!!
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部屋の窓から見えた向かいの家々。相変わらず存在していましたが、この素晴らしい「絵」は無かったです。
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(突き当たり)
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Wien bleibt Wien です…




その家には、私が4ヶ月師事したWeber教授に個人指導を受けていた40代女性が住んでいたのだった。そして師の亡き後アメリカに帰国するから…と、お別れに我々2人をお茶に招いて下さった。
部屋の間取りも、整った家具調度や交通の便、勿論家賃も、すっかり気に入って家主に紹介して貰ったのだった。(昔のことは、すぐに回路が繋がる

環境も良くて、夜になると上の家(下だったかもしれない)からアンサンブルが始まる。
仕事が終わって、多分趣味の仲間が集まって合わせているのだろう。こういう時間のゆとりが羨ましく思えた。
話は逸れるが、やはり私の恩師であるDr.Dichler教授も、「日本は我々の国の20年を遅れて追い掛けている」と仰ったことがあった。ピアノが普通の家々に普及し、親が子供にピアノを習わせて、音大に進み…という時代になったのが、丁度ウィーンでは20年先んじていた、と仰る。
そして時間の許す限り、家族や友人たちとアンサンブルを楽しむ…と。


この家に、結婚後ほんの数週間は私も住み、Karolinengasseの「夜中もさらえる家」に当座は毎日自転車で通っていたのだが、自転車そのものも、日々移動することも挫折した。
というのも、当時は自転車というものが珍しく、私が自転車で走っていると物珍しげに眺められ、しかも歩道を走ってはいけない(日本の何倍も広いのに!)、そして一方通行を守らねばならない!
今では自転車のゾーンが出来て、ここをのんびり歩いていようものなら、逆に怒鳴られる様になってしまった・・・(Wien bleibt Wien、取り消します)

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この道路に、懐かしい文字を見つけた。
Musik-Vidic……
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私の古いベーゼンドルファーを買った店と同じ名前。
売り場は道路の反対側、と。

入って訊いてみた。35年前にこの店があったかどうか。
あった、と言う。(でも、住所は違った気がするのだが)
移転したのかも分からない。
今は普通のピアノのみならず、電子ピアノ、ギター、等も置いている。時代は変わったものだ・・・Wien bleibt nicht Wien・・・

写真、「どうぞ、どうぞ」と言うので撮った。
しかも、ギターや電子ピアノはあちらです…とまで。本当に時代が変わったものです。

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(YAMAHAその他、デジタル商品が沢山並んでいました・・・)


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帰宅して、ベーゼンドルファーを確認しました。

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(拡大するとゴミまでしっかり写っていますが…

やはり移転した様です。

検索をしてみたところ、サイトに出会しました。
創業37年になるのですね。

http://www.musicvidic.com/ger/company.php?title=company





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最終日 - 2009.06.29 Mon

先日、旅行の荷物を4キロほど送ったことを書きました。
それでもまだまだスーツケースは重いです!!

朝一番で再度荷造り。冬のコートだの、もう着ることはない服、使わず終いの地図や本。又あたかもウィーンに仕入れに来ているかの如き自分の為のあれこれ、そして勿論家族へのお土産等々。
5キロ強となりましたが、こんなものでしょう、という金額で済みました。


昼から、Hernals(17区)の我らが友人宅へ招かれて、まずは庭の緑の散策。昨年3月にも既に花々が咲き出して冬から春への美しさを感じたものですが、今回は美しい緑や花々の真っ盛り。
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苺はもとより、JohannisbeerenやHimbeeren。
Brombeerenはまだ緑だったが。
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熟したものを摘んでは食べた。(ザ・サウンド・オブ・ミュージックで子供達が修道院のマリアを訪ねて行き、その後父親から追及され、嘘をついた場面を思い出してしまう。ブルーベリーにはまだ早すぎる、と指摘され、寒くて青くなってしまった…という苦肉の策等々…

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洋なしもあとひと息。
プラムや杏は終わった。


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可笑しかったのは、隣りの藤の蔓が伸びて、このお宅の玄関にある樅の木に巻き付いてしまったとか、一ヶ月前は樅の木に藤の青い花が咲いた状態になっていたそうだ。
今は樅の実と、藤の豆のサヤ状態が同居している。

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友人お手作りにて鶏肉のシュニッツェルと私の好物のじゃがいものサラダ、それと普通のサラダ。デザートはこれもお手製の、庭で取れたMarillenの沢山入ったKuchen、たっぷりのSchlagobersを乗せて!!(と書いて、Marillenはオーストリアのドイツ語。標準語ではAprikosenと言うそうですが、別なもののイメージになってしまいます。杏のことですけれど…。Schlagobersも標準語ではSchlagsahne、ホイップクリームです。Obersの方が美味しそうな響き!!
この1年半のお互いの出来事等々、お喋りは尽きず。


コーヒータイムには、階下のピアノの学生さんも来られて、暫し更なる歓談。

あっと言う間に時間が過ぎ、又送って頂いて宿に戻りました。
荷造りという大きな課題がありまして・・・



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追記 - 2009.06.29 Mon

昨日、Volksoperへ「胡桃割り人形」を見に行ったことを書きましたが…
最後なので、私としては奮発した座席を予約。正面にステージ全体を見渡せる席(ほどよく。つまり、かぶりつきで部分のみに目が行ってしまうほど前過ぎず)でした。

宿を出る時には殆ど降っていなかった雨が、電車に乗る頃から激しくなり、着いた時は折りたたみ傘で来たことを後悔する程になっていました。毎日こんな調子の天候で…

・・・とそれはさておき、開演ギリギリに飛び込んできた日本人女性3人連れが・・・
私の前の列に、ずぶ濡れのコートを着たまま、滴の垂れている傘も持って、周囲を顧みることなくズカズカと!!!
Garderobe(クローク)の係のおじさんが必死で追い掛けてきて、コートと傘を預かり、3人のうちの一人が係に付いて外に出て行きましたが・・・まぁ、驚いたの何の!ご年配とお見受けしたとは言え、その様なマナーは、「マナー」というよりも周囲への配慮があれば自ずと気付くことでしょうに・・・
私の隣りの男性は、私を同じ国の人と思ってかどうか?じっと私を見るではありませんか!恥ずかしいことでありました
60代後半と思しきそのお3人さま、とても仲がよろしいのか、頭を寄り添う様に並んで観覧。(あの~~~、後ろにいる私は、頭と頭の隙間から舞台を観ているんですけれど~~~…)
カーテンコールになるや、一人のおばさん、おっと…おばさま、立ち上がってフラッシュ焚いて堂々とカメラで撮りまくるのもどうか…と…。カーテンコールですから別に規則で禁じられている訳ではないですけれど…後ろに続く何十列の観客を思ったら、そう出来ることではありませんわ


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夜は… - 2009.06.28 Sun

Volksoperの「胡桃割り人形」を見に行きました。

後になって知ったのですが、演出その他全てがStaatsoperと同じだそうで、言われてみればなるほど、クリスマスプレゼントがテレビゲームだったり、殆ど全て(舞台道具まで)同じに見えたのは、そういう事だった様です。

見ながら感じていたことも・・・
1年半前の日記を(自分の。情けない乍ら)調べたところ、見ながら感じていたことも同じ様です。
という訳で1年半前の日記です;

http://allegrobunchan.blog18.fc2.com/blog-entry-17.html







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いよいよ徘徊…?? - 2009.06.28 Sun

滞在もあと僅かとなってしまった。

夜はVolksoperの「胡桃割り人形」を予定しており、その前には昼寝を。逆算すると何時間…
沢山ある美術館は今回は諦めた。
既に何度も行っていること、観るからにはゆっくりひとつずつ味わいたいからだ。何よりも知らず知らず館内を移動している歩数たるや…今回は脚にとって無理だろう。

急にドナウが見たくなった。
ところがどうしたことか、反対行きに乗ってしまい、慌ててSüdtiroler Platzで下車。
学生時代の生活範囲内のこの近辺。
そうだ!何も名所だけではなく、自分の過去の生活拠点を見ることも面白いかもしれない!!と思い付いた。


随分街並みも変わってしまったなぁ…と思っていたが、すぐにKarolinengasse。ここを右折して教会(St.Elisabth Kirche)に突き当たると、そこに私が一番長く住んだ家がある(24歳から28歳まで)。
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このApothekeでは、指を怪我してオキシドールを買ったことがあった。「オクシドル」と言ってみたが通じないので、H2O2と(2は小さく)紙に書いて渡したら、薬剤師さんがニコニコして「化学記号は世界共通で有難い」と言っていたことも思い出した。


さて、右折。
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教会の周りをぐるり。
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お得意さまだった文具店(Papier)
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流石に石炭・練炭の店は無くなっていた。


Karolinengasseを右折すれば突き当たりがベルベデーレ宮殿
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教会の前に、分別ゴミの容器が・・・
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Karolinengasseと垂直に交わる道路、Argentinierstrasse。これを真っ直ぐ行けばKarlskirche(カールス教会)があるし、そこへの途中、ORFがあり当時はここがオケの練習場だった。
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Elisabeth教会に入ってみることにする(生憎ミサは終わっていた)
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昔ながらの住所表示(IVは4区、その後のWiedenとは4区の正式名。ウィーン23区もそれぞれに正式名称がある。St. Elisabeth-Platzは更なる細かい住所。道路や広場名に番号が付いて住居表示となる)
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私の住んでいた建物の下の角までがBIPAに???
コスメティク(と言いますか?)用品のチェーン店です。
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ここを右折しても(この写真では左方向)ベルベデーレ宮殿に突き当たります。



さて・・・・・
この辺りで、何か怖ろしい現象が起きました。
こんな事は初めてです。
私はどこに帰ったらよいのか?どこに宿泊しているのか、全く思い出せなくなったのです。
今どこに居るのか、ここを真っ直ぐ行けばDの電車が走っていることも分かるのに、その先が…
今まで来た道を思い返してもSüdtiroler Platzまでしか思い出せないのです。さて、誰にどうやって連絡をしよう?日本?日本の誰?親?親は居ない。夫はどこにいるのだっけ?

いつから分からなくなっていたのかも分からない。
でも、Belvederegasseを歩いているうちに徐々に記憶が蘇ったので、ほんの5分10分のことなのだと思います。
もしや・・・・・・これって・・・・・・「徘徊の始まりとはこういうものなのだろうか?」と青ざめた経験でした。
(今後の私に気を付けて、異変がありましたらざっくばらん教えてください!!)

幼い頃、まだ2歳か3歳か・・・夢の中で「よく知っている場所」の風景がガラリと変わって、道が分からなくなる、怖くて怖くてあがいているうちに目覚める、という経験をしましたが、まさにそういう脳の回路が働いた様な、本当に怖ろしい出来事でした。


さて、ウィーンに来て約10日が過ぎようとしているのですが、一度も外食をしていないことに気付きました。
初めて、たまらなくWiener Schnitzelが食べたくなりました。Prinz Eugen Strasse(ベルベデーレに沿った道)迄行けば何かあるに違いない、と行ってみたところ果たしてありました!!15時までやっている店。
店主がメニューを持ってきてくれたけれど、すかさずWiener Schnitzel(Kartoffelnsalat付き)とApfelsaft gespritztを頼んだ!!
これが、今回ウィーンに来て初めての外食です。
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一体今までどんな食生活をしていたのか?と自分でも不思議なのですが…。
朝食をホテルのビュッフェで日頃の3-4倍を食べてしまう為、昼になってもお腹が一杯。(普段は、たっぷりの牛乳を温めてインスタントコーヒーを入れ、あとはミュズリくらいで終わらせてしまうので)
折角キッチン付きで、Naschmarkt(誰でも買える大きな市場)の近く、ということで、今回のアパートメント形式のホテルを予約したというのに!!
夜も疲れて、もしくは出掛けて、予め冷蔵庫に買い置きしておいたサラダ(肉類入りの)とミネラルウォーターで済ませてしまっているうちに今日になっている。何と勿体ないことを!!!

ともあれ記憶も蘇り、帰りはD番に乗り、Oper方向。

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車窓からの眺め。
かつての学校は改修工事をしている様子。
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59Aのバスに乗り換えて、2つ目、宿のすぐ傍で下車。


昼寝をして、夜のVolksoperに備えました。

ひとまず送信。





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今日は「こうもり」 - 2009.06.27 Sat

1年半ぶりに観る「Die Fledermaus(こうもり)」!

あぁ!!楽しかった!!!

一昨日のDie lustige Witwe(メリー・ウィドウ)の様な演奏だったらガックリだな…と思って出向いた。
少し早めに着いたが、そのまま客席にてぼんやりオケピットの「個人練習」が聞くともなしに聞こえてくる。

あぁ!今日は違うメンバーだ!!
何と音楽的な練習!!

一昨日も、その前のDas Land des Lächelns(微笑みの国)も、・・・書くまい、と思ったが書いてしまう。
オケがうるさいのだ。
「うるさい」というのは単に音が大きい、という事ではなく、無表情、且つ音色の変化やバランスの考慮に欠けていることを(私は)意味する。
一昨日も早く着いて、個人的な音出しが耳に入るのだが、木管(どの楽器、と書くのは敢えて控えよう)の何とメカニック的な音列・・・これは単なる練習なのだろう、と思っていたところ、幕が上がってもそんな調子。
木管のみならずオケ全体が終始そんな調子で、「フォルクスオパーもとうとう???」「いや、Festwochenが終わって、緊張が解けたのか、或いはエキストラが沢山入ったのかもしれない…」と、あれこれ推理していたのだった。(まさか、プロンプターが居ない、なんて事はあり得ないだろう、とすら・・・)

私の席からは指揮ぶりは見えないのだが、何だか「軍楽隊」を思わせる。
女性???驚いた。
・・・と、その様な状態にも拘わらず、レハールの作品も演出もなかなかどうして!永遠に愛されるオペレッタというのは、それなりに理由があるのだなぁ…



さて、今日の指揮者は普通に男性(偏見の塊でスミマセン)。
配役は1年半前に観た顔ぶれもあった。
(DirektorのRobert Meyer氏が今回はどの演目にも出演されないのが甚だ残念だ。しかも、9月からは定期会員になると5日からのステージでRobert Meyerに会えます、の様な文章が広告の画面にスクロールで出るのが・・・知っているのだ。9月の前半は、「Die Fledermaus」「Die lustige Witwe」「Der Vogelhändler」ばかりなのだ。迷ったのだ。でも仕事やその他諸事情を考慮すると9月は不可能、6月に思い立って無理を通した。仕方がない・・・)

序曲が始まるや、休憩を含めた最後までの3時間半近くが吸い込まれてしまった。
1年半前と殆ど同じ演出だが、流石流石、些細な遊びの部分がたまらない。

ダンサーは、(娘よ!ゴメン!)娘がぞっこん惚れ込んでいるダンサーが、どの演目でも其処此処にてトップを務めていた。素晴らしかった。


指揮者とは大変な役割だとつくづく思う。
スコアが読め、解釈し、振れて当然。
しかし、一番大切なのはお互いの信頼関係だと思う。ステージのソリストに如何に自由な「遊び」のゆとりを与えられるか。ソリストに最大のプラスアルファをして貰う、その仲介役にしか過ぎない。特にウィーン物では尚更。

(30年前の、K.S. Peter Minichが主役全盛だった頃との比較は止めました)



取り敢えず、オペレッタの内容に触れぬまま送信。(なかなか文脈を考えて書く時間が無く・・・)

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近くに居ながら - 2009.06.27 Sat

ナッシュ・マルクトのすぐ傍の宿に居て、夕飯はそこで買い物をして自炊する筈だったのが…
到着して一週間以上一度も出向いていないとは、何ということ
計算通りには行かないものです


今日こそ!!
しかも土曜は「蚤の市」をやっているのです。

肉や果物・野菜を通り抜け、まずは蚤の市。
(本当の骨董品から見つけ物もありますが、単なる不要品を売っている人たちの多さ!!)

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Kettenbrückengasse駅上りホームの地上が全部「蚤の市」…という訳です。
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出始めたBrombeere ! とても甘くて美味しかった!!
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シューベルトの「最期の家」 - 2009.06.26 Fri

今日は「シューベルト」です。

シューベルトの生家は、1970年代から知人友人の来訪の度に案内をしていた事で、結果随分訪ねましたが、「最期の家」がある、という事を最近知りました。
それも何と!この宿のすぐ傍ではありませんか!徒歩数分!!

金曜~日曜しか開いていない、というので早速出向きました。

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受付で「学生ですか?」と訊かれ、ひっくり返りそうに驚きました。
遙か昔の大学時代に、並びの博物館に行き、「一枚お願いします」と言った時、中学生の入場券をくれたことがありましたが(こんな事はすぐに回路が繋がる!)、それ以上に吃驚でした。

「写真を撮って良いですか?」と訊いたところ、間髪を容れず「Ja, selbstverständlich ! !(勿論OKです)」との返事!
まぁ、何と有難いこと・・・フラッシュもOK。

こうなるとオバサン根性丸出しにて、殆ど全部を(つまり何十枚と)撮らせて頂きましたが、作品や絵画のネット公開、著作権は如何なのでしょう・・・


この家で、シューベルトは最期の2ヶ月半のみを過ごした様です。
死亡診断やお知らせ、役所に届ける一覧(遺書 ー 無し 等々)、当時の墓地(ベートーヴェンと並んでWähringerに作られた)のスケッチ、又支出入の一覧、大変淋しいものでした。
他の来訪者、涙を流して観ておられました。

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展示されているものは他で書かれた曲のスケッチなども含まれていました。
ピアノソナタB-durの第1楽章もありました。

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(よく見えないので「プレビュー」で修正)
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どの作曲家であっても、出版されなかった(つまりボツにした)部分、というのが自筆譜では最も興味深いです。

(又後ほど編集します。一応自分の為に記録しておかないと日程が混乱してしまうのです。)

PS
受付で点けているラジオのポップスが甚だ耳障りでした。
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25日の続き - 2009.06.25 Thu

宿に戻って昼寝でも、と思ったが、結局眠れなかった。
それならば気になっていることを済ませよう・・・

出発の折、重量オーバーのスーツケース、「手荷物が大変少ないので、このままお通し致しますが、お帰りの折にはお気をつけください。1キロオーバーごとに40ユーロを取られますので。」と言われた。(これは一昨年、大変苦い経験あり
何とか減らさねば!と思うものの、出掛ければ本だのパンフレットだの重い荷物は増え、ちょっと買った筈のものが可成り重かったり・・・減るのは湿布薬と財布の中身くらいだ・・・

1キロ40ユーロならば、5キロで40ユーロかからない小包で送ってしまおう!

・・・という訳で、朝のうちにそれ用の箱を近くの郵便局で買ってあった。それも二箱。
取り敢えず第1便を、と、不要になった(と願う)冬のセーターその他着古したものや靴、CD、お土産の一部を箱一杯に詰めて郵便局へ持って行った。そして内容を書いたり・・・コピー機の使い方が分からず、本来別な列に並んでいた学生と思しきウィーン女性が、わざわざコピー機のところに来て教えてくれ、しかも20セントを両替してくれる親切さ!(有難うございました。勿論読んではおられない事は承知ですが…)
今朝箱を買いに出向いた折には至極機嫌の良かった係の若い女性も、夕方にもなるとお疲れのご様子。お仕事お疲れさまです
私の前の客、料金後払いの何十通もの封筒を(それが何なのかは知らないが)点検・記録という面倒な作業をしつつ、(にも拘わらず)差出人と雑談しながらでなかなか進まない。
そうこうするうちに、午前中の青空はどこへやら?凄まじい雷鳴!
傘も持たずに、いくら近いとは言え、長々と待たされて気が気ではない。係嬢に荷物と書類と預けて、傘を宿まで取りに行く許可を請うたもので益々気を悪くされた。


そんなこんな、傘も取りに行けたが、戻ってみたら凄まじい行列になっていた。
やっと私の番が来て、荷物も4キロ台。空港で膨大な超過料金を取られるよりは遙かに有難いことです。
月曜に第2便を送ろう・・・と帰宅。


夜の、楽しみにしていた公演・・・
Festwochen(音楽祭週間)が終わった所為でしょうか?それとも客席にツーリストが溢れている所為でしょうか?それとも??
評論家ではないので、触れずにおきます。
大好きな作品として充分に楽しんできました。

疲れ過ぎて朝は4時から目覚めたまま、そもそも体調不良の筈が、ユンケルを2袋飲んで、こんなに動き回ることが出来た一日となりました。(日本での何も捗らない毎日が信じられません。アイゼンシュタット行きの疲れが絶対に残る、と信じていたのでしたが
宣伝する訳ではありませんが、あれは効きます。本当に有難いものです・・・

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Phänomen Haydnその2 - 2009.06.25 Thu

6月25日

昨日は折角Eisenstadt迄出向いたにも拘わらず雷雨で、途中断念したのは返す返すも惜しかった。
今日は、ウィーンに来てから初めての晴天!!
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再度Eisenstadtに出向くことも考えたが、夜はVolksoperに行く為、少し自重して過ごさねばならない。
この様な好天は今日しかないかも分からない。こちらの新聞の天気予報では必ず「雷雨」のマークが付いている。


散歩がてら、ウィーンのHaydn-Hausを訪ねることにした。

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とは言え、晩年の1797年から1809年迄を過ごした小さな家だ。

この200年の記念の年に備えてリフォームしたのだろうか?


(入り口が至極現代的)

フラッシュ無しであれば写真を撮ってよい、とお許しが出た。(一枚を取る為に一体何枚のピンぼけを撮ったことか…)毎度お馴染み私のデジカメは(一昨年購入する迄は使い捨てカメラしか使ったことがなかったのだから)、壊すかも知れない、使わないかも知れない、と一番安いものを購入したので、どうやらボタンが硬い様だ。そっと押すことが出来ないので手ぶれするのかも分からない。
超人・ハイドン様、申し訳ありません、と言いたくなった。

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(曰く付きのデスマスクの話は、又改めて書きます)


記録出来なかったのだが、まずはハイドンの一日のスケジュールが時計と共に記されてあった。
6時半に起き、髭を剃りながら…えっと何だっけ…既に忘れてしまった。ともあれ何かをしながら既に弟子が来る。朝食を摂り…8時には仕事を始める。11時半に客を招き、2時に昼食(だったか?)。4時から8時まで仕事をし、夕飯は何と!10時。そして11時半に就寝。

昨日のオーディオガイドの中に -それが何であったか忘れたのだが- 楽観的思考の為に云々、という説明があった。それだから当時として77歳までを生き抜いて、当時の作曲家の約2倍、或いはそれ以上を生きたのかも分からない。当時のこの年齢にして、この様な生活が出来るとは・・・

この家では、かの有名な「天地創造」や「四季」も作曲している。

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時代はすれ違う、ブラームスもこの家に住んだ様だ。
(オーディオガイドからは「ハイドン変奏曲」のオーケストラヴァージョンが流れていた。大学の芸術祭の折、友人と二台ピアノで弾いたことが、たまらなく懐かしくなった)

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一通り廻って入り口に戻ったところ、Volksschule(こちらの小学校。但し4年制だったと思う)の子供達が先生に連れられてやってきていて、床に座り、先生から注意事項や説明を受けていた。
それが「・・・という時にはどうしたら良いのかな?」と考えさせる。
又、「ハイドンは何人兄妹だったの?」との問い。張り切って答える子供「12人!!」。更に先生が「何人生き延びましたか?」と問えば「6人!!」(凄い!見学に臨むにあたり、子供とは言え素晴らしい!!)更に先生は「どうしてでしょうね?」「当時は今の様に良い薬が無かったから」・・・
そのやり取りを聴きながら、あぁ、私、この子供達の後ろに着いて、もう一周したい!と思った。この先生に比べると、オーディオの如何に薄い内容か…(スミマセン)「教え方」も学びたかった、という事もある。

でも、珍しい晴天・・・

珍しく建物をすっぽり壊した光景に出くわした。
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マリアヒルファー教会の前に佇むハイドンの像に挨拶をして、ウィンドウショッピング方々散歩。

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教会内
(フラッシュ無しで、これも苦労)
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一旦帰宅。



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ハイドン記念の年 - 2009.06.24 Wed

今年はハイドン没後200年(1732-1809)

ウィーンから南に約50km、バスで1時間半弱、ブルゲンラントの州都であるアイゼンシュタット(Eisenstadt)へ、今日(24日)は行ってきた。
Phänomen Haydn(「超人・ハイドン」とでも訳したら相応しいだろうか…)として、様々な角度からの展示が至るところで行われていた。

着いて、方向音痴の私は「ペストの塔」を目印に。
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どこから訪ねようか、という位、今年は流石である。
昼過ぎの到着では遅すぎた。

本来はSchloss Esterházyから訪ねるべきだったのだろうが、バスから降りたばかりの脚が重く、近いところから訪ねることにした。
まずは「Diözesanmuseum(司教区博物館)※」、そして1766年から1778年までを過ごした「Haydn-Haus」、その後Schloss Esterházyへと足を運んだ。
(他にもいくつか訪ねたい、ハイドンにまつわる教会や博物館もあったのだが、ただでも一日では到底不可能の上に悪天候。脚は動かない。又音声ガイドも何しろドイツ語なもので、三箇所のみでも最後は耳が拒否をしていた。)


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さて、Diözesanmuseumでは当然のことながら、ハイドンの教会音楽、宗教音楽に重きを置いていた。タイトルは「gottbefohlen(神に命ぜられた、とでも訳そうか)」
これは大変重要なことだと思う。
我々ピアノ弾きは、ハイドンと言えば、まず「ソナタ」、義務教育の音楽の授業では「パパハイドン」とか?交響曲の父であることを教える。
勿論それはそうなのだけれど・・・彼の音楽の底に流れるひとつにキリスト教があることは否めない。
オラトリオ、ミサ、その他宗教曲を数え切れないほど作曲している。勿論晩年にその多くを書いたのかも分からないが、少年時代にウィーンの聖シュテファン寺院の聖歌隊員だったことを考えるとその経験は作品の根底に流れているのではないか、と思う。

話が逸れるが、私の通った中高では、聖歌隊にせよ、普通の音楽の授業にせよ、随分宗教音楽を歌わせていただいた。ハイドンのオラトリオ「天地創造」の中の曲や「四季」の中の曲に親しんだ。
更に逸れるが、今年はメンデルスゾーンの生誕200年という記念すべき年でもあり、これ又、中高時代にはメンデルスゾーンの原曲、と知らずに歌っていた讃美歌や聖歌が数え切れない程ある。(これは大変長くなるので又にします。)

歌に限らず、何の楽器を演奏するにせよ、ヨーロッパ音楽を演奏するからにはキリスト教の存在無しでは、作品の神髄に触れることは出来ないのではないか?と常々思う。ハイドンも勿論である。


次に訪ねたハイドンの住んでいた家は、
1761年から1790年までをアイゼンシュタットのエスターハージー(Esterházy)公爵の元で宮廷楽長を務めていた中の、1766年から1778年に住んでいた様だ。

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ここは7つの部屋があり、エスターハージーに仕えていた頃の住居。
火災を起こして多くのものが紛失された様だ。
其処此処に展示されているものには大作曲家の肉筆の文章もあり、時間があったならゆっくり解読してみたかった。

「Schlossへ!」と斜め読み(音声ガイドの飛ばし聴き)にて外へ出たところで足止めを喰らった!!
何たる6月!!行きのバスのラジオからはドナウの氾濫、冠水した家々のニュースが流れていたが、珍しい連日の豪雨!

(Haydn-Hausの中庭の雨)
090624の雨



(少しでも降りが落ち着くのを待って門を出たが、道路は小川状態!)
090624雨その2


デジカメの動画。実際にはもっと凄まじかった。外を歩くことはまず不可能。
1時間を無駄にした後、何とかエスターハージー城へ向かった。

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係のおじさんが「音声ガイド」の使い方を説明してくれた(前の2つでも使ったのだが)。
「全部を丁寧に聴いていると80分かかるので、飛ばす時にはここをこうやって・・・」と、親切。

もう一回一日かけて来なければ・・・と、今回の連日の豪雨を恨みたくなる。


(編集、続き、又改めます。久々の歩き過ぎと時差にて頭が……)



旅行ガイドの一枚裏表を破いて地図として持ち歩いた為、こんなになってしまった・・・
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ところで、帰宅したところ、バスタブの栓がゴムのぴったり嵌るものに新調されていました。
これで安心してゆっくりお湯に浸かれます。回り道しただけに幸せです。
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異常気象 - 2009.06.24 Wed

6月にウィーンを訪ねることが最近は多い。(とは言え、1981年に帰国してから2002年迄は一度も国外に出ていなかったのだが…)

私が留学していた頃は、6月と言えば一番過ごし易い気候の気がしたものだが・・・

2006年は、6月だというのに雪の中の着陸、その数日後から炎天下となった。
2007年は、体感温度40℃。
その様な体験から覚悟していたところ・・・間際になってウィーンの天気を調べ、荷造りの途中の衣服をガラリと入れ換えた。ずっと雨、そして気温は冬~春並み。

今回着いた日は、夕方から雷雨となった。
その後も傘は手放せないどころか、折りたたみが雨の勢いで壊れ、急遽購入した「クリムト」の絵柄の普通の傘まで骨が折れた程だ(日本でいう1000円の傘だから仕方ないか…)。

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そして冬のコートを着て外出している。

そうこうするうち、ドナウ川が氾濫!?あちこちで冠水している様だ。
個人的には全くの「思い立ったが吉日」の渡墺。天気が悪くても「無計画のなせる業」と宿に留まっていればよいのだが・・・
しかし他人事で済ませられる問題ではない。

ただでも北極の氷が溶け、それが海水として水位を上げている。地形が変わってしまうのではないか?東京湾の埋め立てにせよ、イタリアにせよ、危惧することの多さ…
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バスタブその後 - 2009.06.23 Tue

風邪でどのみち風呂は控えていましたが、今日は朝から買い物に歩いてきたので汗をかきました。何しろ真冬の服装に近い重ね着です…。でもどれか一枚を脱いでも寒い、という中途半端。
それで、風呂に入り温まりました。勿論たっぷりは溜められませんでしたが…

というのも、ふと、子供達が小学生だった頃の算数で「水道Aからは1分にナントカmlの水が桶に入ります。ところが桶には穴Bが開いている為に1分にナントカ mlの水が漏れて行きます。桶の深さをナントカcmとして、この桶が満タンになるには何分かかるでしょう。」みたいな問題が頭をよぎりまして…。
(↑これでは単純過ぎ。もっと複雑にしないと問題になりませんね。)
ずっとお湯を出しっぱなしで入れば良い!!・・・でも栓が浮力で浮いてくるから、ある程度溜まったら入ってしまって足で栓を押さえていればよいではないか!!!

という訳で、まぁ何と時間のかかったことか・・・
寝そべって右足で押さえたり左足で押さえたり、今度はうつ伏せになり、手で押さえる・・・等々。

身体全体が浸るには、水道の出も悪くて駄目でしたが、シャワーだけより余程温まりました。


Volksoperの「微笑みの国」に出掛ける前、フロントに寄って事情を更に話して出掛けました。
メモを取って、「調べてみます」と言っていた・・・

ついでに先日のドアが開けっ放しだったことも「苦情を言いますが」と前置きして話しました。

帰ってきたら、二重に締めた鍵が1回だけ回してあったから(単にドアを閉めるだけでも鍵はかかるのが)、あぁ、調べに入ってくれたのだな・・・と思い、バスルームに行ってみた・・・

・・・

・・・

・・・

何と!!部品が悪いと思ったのか、栓を持って行かれてしまった!!!
これでは溜められない状態です。

昔ながらの仕組みだから、今の若い人は現地人でも分からないのかもしれない・・・
無いよりは、壊れていてもあった方が良いのですが…寒いのにシャワーだけ???

いや、本当に今日の帰りは寒かったです。
毛皮が欲しかった(と私には思えました。)


ドナウ川が氾濫し、あちこちで冠水が起きています。


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鍵の謎は - 2009.06.22 Mon

移動した先の部屋は、大きなバスタブがあるにも拘わらず、栓が壊れていました。
昔からのよくあるタイプで(洗面台と同じ様に、あの引っ張ったり押したりして栓をする、あのつまみが回転式になったもの、という説明でお分かり頂けますでしょうか)、回転式のつまみをいくら回しても栓が動かないのです。
よく調べたら、栓が外れてしまっていました。

それを、昨朝フロントに伝えてあった為、私の居ない間に、専門の人が調べに入り、鍵を掛けたつもりになったのでしょう、ということでした。

謎は解けたものの・・・物騒です。


さて、宿の件では、友人宅が留守になるので「引っ越してきて自由に使ったらよい。ホテルは高くて勿体ない」と言ってくれるのですが・・・17区の標高約400mの場所。今の私の脚では到底街を往復することは困難です。
甚だ残念なのですが、事情を話し、泣く泣くお断りしました。
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慌ただしい日 - 2009.06.21 Sun

昨日は雨の中、宿にじっとしているのも勿体なく、ベートーヴェンコンクールを少しだけ聴いてきました。
達者に弾く若者たち。でも、リストの「超絶技巧練習曲」の様なベートーヴェンもあり、2人だけ聴いて疲れが吹き出し、帰宅しました。
いや、その所為だけではなく、不運なる悪天候で、折りたたみの傘は壊れるほどの風雨に、まず普通の傘を買ったのですが、それすらすぐに骨が折れました。
その様な中、歩きすぎたかも分かりません。
身体全体が痛くてたまりません。
しかも、何という寒さ!冬のコートを持参したのは正解でした。

11泊をバスタブ無しで過ごすのも・・・
いえ、バスタブがあったからとて、シャワーで済ましてしまう事の多い私なのですが・・・特にウィーンの留学時代 - 独り暮らしだった頃(夜間電力の小さなタンクで全てを賄っていたから、殆どシャワーだった)が連鎖するのか、この土地に居ると、特にどうしても入りたい!!という訳ではないのです。
でも、この関節痛と筋肉痛や冷えた身体は、バスタブに入ってゆっくり温まったら楽になりそう。


フロントに出向き、幸い同じ値段にてバスタブのある部屋に変更して貰うことが出来ました。しかもベッドも格段の差にマットレスが良い!ツインで広々!!
午前中は部屋の移動に何往復かして過ぎました。

今度の部屋は、火災の折の避難の地図が貼ってあり、それによると、ぐるりと廊下を回って、昨日の日記の写真の元の部屋から逃げることになる様です(もしかすると、あの部屋って、避難用のスペアだったの???


さて、寝心地に満足の行くベッドで寝るのは何日ぶり?(大袈裟!)すっかり疲れが吹き出し、午後ちょっとのつもりで眠ったが最後、テレビを点けたまま寝てしまい、時々「あぁ、消さねば」とリモコンは手元にあるのに動かない。
1時間おき位に何かと目覚めるのですが、目は開かない、起き上がれない。
そして又熟睡・・・

今日はシェーンブルンのディナーコンサートを予約してあり、18:15(日本時間の夜中1:15)には申し込みのプリントアウトを持って、シェーンブルンの事務に着かねばならない。逆算して、着替えや支度で17:00には起きよう、と思っていたのです。
ところが、一旦目覚めてもすぐに熟睡・・・日頃、時差は余り感じない人なので、全ての疲れがどっと出たのでしょう。
何と!やっと起き上がれたのが17:40。
それでも、まだまだ眠いし頭は動かない。目をつぶったまま朦朧と着替えて、それも本当は別な服にしようと思ったのだけど妥協。アクセサリーも妥協。髪の毛も梳いただけ。頭のどこかでは「慌てよう」と思っているのに身体が動きません。
旅行中のスーツケースは、出掛ける時は鍵をかける習慣なのだけど、時間無し。旅行中のパソコンも、電源を切ってアダプタも抜く習慣なのだけど、時間なし。目をつぶった。(って本当につぶっていたのかも知れない。)
やっと部屋を出たのが18:00少し前でした!!
部屋の鍵も念のため2回回しておいた。

幸い道は分かる。念のため地図はコートのポケットに入っているし。電車も1本で行けて5つ目くらい、ということも分かる。降りての道も分かる。
電車もすぐに来て、全て順調に滑り込みセーフ!!!(ウィーンは小さな街なのです・・・ナッシュマルクトの辺りからシェーンブルンまで15分で着いたのですから!徒歩も含めて)

ディナーは申し込み毎のテーブル・・つまり私は一人で淋しく。
音楽会は・・・途中爆睡。
前半がモーツァルトの歌劇からアリアだの、後半はシュトラウスやカールマンなど。何故かプログラムというものが存在しなかった・・・(私だけではなく、見回したところ、誰も持っていなかった・・・)

終わったのが22:30頃で、ホテルに戻った。

・・・

・・・

・・・

私の部屋、ドアが開いている!!!
鍵は上下にあり、下の「念のため」のが二重に出っ張って施錠される訳ですが、ドアが開いたまま出っ張ってる!!!

部屋に入ってあれこれ確認。セーフティボックスも無事。パソコンも履歴を見たけれど触った形跡なし。
その他、鍵を開けたままのスーツケースも貴重品は元々皆無だし(今回はアクセサリーもイミテーションしか持たず)、日本人がよく持つRolandも無事、パソコンアクセサリその他携帯のアダブタ類も無事。日本で使っている携帯もある。

この引っ越した部屋は、エレベータを上がると一番手前にあり、前の部屋は一番奥。その間、いくつ部屋があったか・・・7-8室は少なくともあります。誰しもこの部屋を通って自分の部屋に行く訳です。

その間、誰も何もしなかったのね・・・・・・
平和ボケの私。単なる寝ボケ?????

という訳で、シェーンブルンの話は又改めます。
何しろ眠かった。夢の中だったのか????という程。
戻ってドアが開いていたことで、漸く目が覚めた感じです。


明日にでもフロントに伝えておきましょう。

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出発&到着 - 2009.06.20 Sat

昨日の朝、出発しました。

久々に長く感じたフライトでした。

夫が成田まで車で送ってくれました。
ラッシュ前に都心を抜けた方がよい、というので6時半に家を出、いとも順調に走り・・・
速かったです


チェックイン、荷物が25.7kgあり、「本来1キロ超過毎に40ユーロとなりますので、お帰りの折にはお気を付け下さい。行きは機内持ち込みが少ないので(リュックとショルダーだけ)、お通し致しますが」だそうです。
が、実際にはそのリュック、パソコンだの、間際にバタバタと入れた小物で可成り重い。

何しろ脚が思うようでない為、お土産を少々買った以外は既に疲れ、そのままゲートに直行しました。私が一番かと思ったのですが、上手がおられました。

そうこうするうち、何名かの名前が呼ばれている。
内心、何か不手際でもやったんでしょ…と小馬鹿にしていたら、1時間位経って「*****さま」と私の名前まで呼ばれました。私の本名はよくある名前なので、多分他の人でしょう、と二度も呼ばせてしまいました

「お預かりした機内荷物の中にバッテリーが発見されまして」と言う。
パソコンのバッテリーの予備なのですが、今まで指摘されたことはありません。
程なく荷物と共に係員がやって来て再度呼ばれ、搭乗口の蔭でスーツケースを全開にして、レントゲン写真の複写の様なものと共に「この辺りにある筈ですが」と。
まぁ~~~、吃驚!!こんなに細かく観察しているのね。(逆に安心ではあります
その指摘された場所に入っていたそのバッテリーを出して、裏に記載されたシリアルナンバー(だったか?)を書き写してから、「これは手荷物としてお持ち下さい」と渡され、スーツケースを閉じて再度持って行かれた。
パソコンのバッテリーって、結構重いのです。アダプタがあるので持って来なくても良かったのですが、つい習慣で・・・


漸くゲートが開き……これも初めてなのですが、搭乗券のみならず、「今回はパスポートの顔写真のページを開いてお並びください」と指示が出ました。
何かあったのでしょうかね??(平和ボケです)

そして10:55発の飛行機は、11:30になっても動かない。

そうこうするうちに、荷物の取り調べに大変時間がかかっている為、もう少しお待ちください、みたいなアナウンスが何度もありました。 こんなに時間がかかる程丹念に調べているのですね。

お詫びを聞いて、ハタ!!・・・私のスーツケース、検査の後は鍵を掛けずに持って行かれた!!
すぐに乗務員に伝えたところ、schließenしてあれば(閉じてあれば)、zugesperrtでなくても(鍵が掛かっていなくても)大丈夫、だそうな・・・
余りに度々「荷物のチェックで」「積み込みに時間がかかり」等々アナウンスされるもので、想像力豊かな私は、自分のスーツケースが飛行機に投げ込まれる瞬間、パカッと開いて中の物がバラバラ~~~っと飛び散った光景を思い浮かべてしまいましたわ~~

飛び立ったのは、確か12時を回っていたと思います。


ところで、いつも離陸して真っ先に配られる「おつまみ」の様な小袋とワインの小瓶を「ささやかな楽しみ」としていたのですが、不況の煽りか、それとも単に遅れたからなのか、省略されていました。


座席は、非常口のすぐ後ろの脚を伸ばせる場所を取って貰ってあったのですが、使えるトイレが2つしか無く、伸ばしている脚のすぐ傍で行列。
しかもすぐ右には機内食の準備などで乗務員が忙しく大声で喋っている。

落ち着かないフライトで、直行便をこんなに長く感じたのは初めてです。
いや、実際、座ってから数えた時間は長かったのですけれども。


Wien Schwechat空港には友人(夫の30数年来の同僚)が迎えに来てくれていて、本当に助かりました。
長時間座っていた為に脚はグニャグニャ。万が一に備えてリュックに入れてあった、折りたたみ式のステッキが役に立つとは!!そんな状態で、CATに乗ってWien Mitteでタクシーに乗り換えてホテルを説明して・・・気楽に考えていたのですが、不可能だったに違いありません。
着いたとしてもホテル入り口は大変分かりにくく(予め、「分かりにくい」ということを、ホテルのサイトの利用者の声、みたいなところで読んでいたので知ってはいましたが・・・ )お迎えは本当に助かりました。


ところでところで・・・
今、ベートーヴェン国際コンクールがウィーンで開催されているのですね。
決勝の日は、私はフォルクスオパーの「微笑みの国」を入れてしまったので行けませんが・・・
若い頃、ウィーンに長く居たのに一度も聴いたことがありません(多分私自身、同時期に別なコンクールに出掛けていたのでしょう)。
今日明日と二次予選だそうで、朝と午後と3人ずつ演奏する様です。
気力があれば聴きに行ってみようと思います。




この宿、ホテルとアパートメント式と両方あり、私は後者を選びました。簡単なキッチンに冷蔵庫も付いている!!私の部屋は静かで大変居心地もよろしい
が、非常口の案内図が無いのです・・・

で、朝食の後で自分でマークを確認したら、これ以上先は何も無い、行き止まりである私の部屋のドアの横に;

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え~~~っ!?!?と思って部屋を見渡すと、私の部屋の窓の横に;


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ここ、7階ですが ……まさか飛び降りる???



乗り出して見てみた。 (正しくは私の背丈では見えず、腕を一杯に伸ばしてカメラに見て貰った)

一応ハシゴがある様です。
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(中庭の向かいの方々・・・・・決してわたくしは怪しい者ではございません)





こうなっているらしい。
(偶然、緑が綺麗で今朝撮ってあった。)

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(写真の右の方に写っています。 )







暇人の日記ですみません
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バブルの恩恵 - 2009.06.15 Mon

今日は朝一番で、予約してあった整形外科。
風邪薬(PL)がまだ効いている様で朦朧と・・・何を話してきたのか既に記憶も曖昧ですが、例によってALPが低空飛行とか何とか(骨芽細胞を作る機能低下、だったか??)、その犯人はステロイド、と、そんな内容だった様な・・・

次回の膠原病内科が日程が合わなくなった為、予約外の申し込みをしたところ、予約患者さんが全部終わってからになります、というので一旦帰宅することに。
頻繁なる経験から、多分3時は過ぎるだろう、と思い、受付嬢の「お昼は過ぎます」との言葉は鵜呑みにせず、一旦帰ってひと仕事。


そして病院に戻りました。
案の定、呼ばれたのは3時過ぎました。




タイトルから離れてしまいました。
「バブルの恩恵」でした。

今、問題になっている郵政でありますが・・・
バブルの頃(平成一桁)に加入した簡保!!
「ニューナイスプラン・生存保険金付養老保険」なるタイトルのもの。
以前どこかに書いた気もするのですが、例えば100万円を20年間かけて積み立てるとすると、満期には勿論100万円が返ってくる。それのみならず、20年の間、最初は5年目、以降3年おきに1割(この場合は10万円)が生存お祝い金が頂ける、という有難いタイプのもの。
500万なら3年ごとに50万・・・当時は一人あたりの最高額が500万だった気がします。もっと積み立てたい場合は、自分を受取人にして家族の名前で積み立てればよい、というシステムでした。この場合も一人500万まででした(全て過去形!)。
その他「疾病特約」を付けると、入院費用も出ます。これで私は10~11年前、本当に助かりました。(疾病特約だけは被保険者本人でないと受け取れません)

そして今年がその、ありがた~~~い3年毎の年なのです。
3年前には、その生存金で娘と共にザルツブルクとウィーンへ心行くまで旅をしました。
(それ迄は使うゆとりもなく、ひたすら掛け金用にそのまま通帳に入るか、日々の食費と消えるか、子どもたちの学費になるか、だった。)


今年は・・・




そうだ!!ウィーンへ行こう!!!



勿論一人で!!
急に思い立ちまして…。
ここのところずっと心身共に疲弊気味のこともあり。

飛行機は夫の知人に頼み、ホテルはネット検索にて、ナッシュマルクトから徒歩数分にある簡易キッチン付きの安宿。
全部ひっくるめてその生存祝い金の額内に充分収まる様に計算し(フォルクスオパー4回その他演奏会を含めて。それらはネットで予約完了)・・・11泊13日の旅をします。




あぁ、それにしても佳い時代だったのだなぁ・・・
当時、母屋の義母がそのニューナイスプラン・生存保険金付き(何と賢いパソコン!一度打つと記憶する!!)に沢山入っておりました。
家族全員がそれぞれ被保険者に(知らぬ間に)なっており、契約者と受取人は義母という・・
ですから3年毎に家の中が徐々にリフォームされ、最後には外壁まで新築同様に
(義母の亡くなった年の暮れに火災に遭い、母屋全体が跡形もなく崩れ落ちたのは何かを感じさせるものがあります

冗談の様な事実はさておき、平成一桁年当時、郵便局の係が義母のところに集金に来るのですが、留守だと庭伝いのこちらに来る。そして、我が家も入れ、入れ、と勧誘して行く。
とうとう入りました。当時は渋々でしたが。
同じ年齢でも男性より女性の方が月々の支払い額は安い、と言われるまま、私と娘を被保険者にして私がいくつか入った。

今になって考えると、家族全員それで入っておけばよかったなぁ、と後悔。こんな時代になるとはつゆほども思わず。
数年後に夫も息子も加入しましたが、生存祝い金など程遠い話、しかも積み立てとは名ばかり。普通の保険と同じ(つまり、何か起きた時のみ支払った額が返ってくる)というところまで落ちました。地団駄モノです


バブルは、あくまでもバブルだったのですね。



もうひとつの悔いは…
「かんぽの宿」を一度も利用しなかったことです。
安くて、美味しい料理、素晴らしい眺めに・・・・・・パンフレットを見るだけで終わってしまいました。
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プロフィール

奥 千絵子

Author:奥 千絵子
★上の画像は2001年にCDにして約3枚分を収録したものを,2006年に2枚組としてリリースしたCD「樂の音に寄せて」です.『レコード芸術』2007年1月号で「特選盤」として取り上げられました.戸倉新樹教授によるライナーノートは医学生にもお薦めです.その他のCDや著書はWebsite「本館」からお入りください.このブログも「本館」のDIARYです.
★このブログの"Grüß Gott !" (文字化けの場合はGruess Gott!)は墺・南独の時間を問わない挨拶です.Website「本館」のDIARYです.出版CDや著書の詳細は「本館」のメニューからお入りください.
Website「別館」もあります. 著書「ピアノと向きあう」の説明を補うサイトです.よく頂く質問に説明を記載しています.
★上記著書については今井顕 氏によるKINOKUNIYA書評空間WEBLOG を是非ご一読くださいませ.
Auch auf Deutsch schrieb ich…
★【膠原病の記録】余りに医療のカテゴリーがが増えてしまったので目下整理中です.大変複雑な病気の経験が同じ病の方々への参考となりましたら幸いです.
「乳癌と膠原病(皮膚筋炎・多発性筋炎)」「膠原病(退院後)」 ,その他の医療の話(自分以外も含めて)は「医療・病院関係」,に取り敢えず分けました.
平成12.12.12.病院での復帰リサイタルは演奏動画入り記録です。
★恩師のことは55年間を遡り少しずつ記載するつもりです。目下のところはこれだけです.
★コメントも大歓迎です。SPAM防止上、確認後に公開しております。ご理解をお願い致します.
★このブログや大元のサイトへの感想やお問い合わせはservus2008@gmail.com宛に@を半角に直して送信願います.
【BGM】
Robert Stolzメドレー
演奏:東京カンマーコレーゲン 
室内楽アレンジ:奥 千絵子
ショパン:華麗なる大円舞曲Op.18
演奏:奥千絵子 ショパンのワルツは上の画像の2枚組CD「樂の音に寄せて」に入っております.
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制作・著作:奥千絵子
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