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2009-04

前の日記への追記 - 2009.04.30 Thu

前の日記で息子の妊娠・出産の話を書く折に、確か現地の「母子手帳」があった筈だ、と探したのだが見つからなかった。黄色の大きな冊子なので目立つ筈なのだが…捨てる筈もないのだが…
送信後、当時たまに書いていた記録もどき(ドイツ語で記した)ノートが見つかったので、自分への記録も兼ねてここに書き写します。ドイツ語以前に表現力に問題がある気もするのですが…しかも、まだ新正書法など無かった頃のもの(ssは常にß、等)、敢えて当時そのままを写します。


28. Juli 1980(!)

Jetzt bin ich in der 36-ten Schwangerschaftswoche.
Nach einem Monat wird das Baby bei uns sein.
Diese neun Monate empfinde ich sehr lang.

Im zweiten Monat habe ich an einer Gruppenreise nach Greechenland und Ägypten teilgenommen, die von der Euro- Japanischen Gesellschaft organisiert wurde. Damals hatte ich noch gar nicht gewußt, daß ich Mutter würde.
Diese Reise hat ein ziemlich anstrengendes Programm gehabt. Zum Beispiel in Luxor sind wir um 2 Uhr in der Nacht ins Hotel zurückgekommen und am nächsten Tag um 4 Uhr früh - nämlich nach 2 Stunden - sind wir aufgestanden, um zum Flughafen zu fahren.
Wir sind mit Kamelen geritten, und auch in die Piramide gestiegen.

Nachdem ich von der Schwangerschaft gewußt habe, war ich so erfreulich, daß an dem Baby nichts von der Reise passieren ist.

Im 5-ten bzw. 6-ten Monat, eigentlich die gefahrlosesten Monate, habe ich eine Blutung gehabt. Zuerst 3 Tage Spitalsaufenthalt, dann wieder nach 3 Tagen Blutung gehabt und dieses Mal 6 Tage wieder Spitalsaufenthalt.
Ich bin zum Ultraschall geschickt worden. Die Plazenta war in der normalen Lage, und das Kind war in normaler Größe.
Auch die Ärzte wußten nicht, warum und woher die Blutung kommt. Ich habe Sorge gehabt, ob das Kind mißgebildet wäre, denn ich hatte im ersten Monat verschiedene Medikamente gegen Grippe genommen. Aber gleichzeitig habe ich auch gedacht, daß die Blutung von einem Gebärmutterknick gekommen ist. Sie war stark nach hinten geknickt.
Schließlich hat die Blutung drei Wochen lang gedauert.

Aber was für ein Glück, was für eine Dankbarkeit ! Zufällig hat ein praktischer Arzt in unserem Gebäude gewohnt und hat jeden Tag mir Progesteronen injekziert.
Endlich ist die Blutung ausgeblieben. Seit Mai verbringe ich eine sehr angenehme Zeit.

Während der Spitalsaufenthalte habe ich verschiedene Patienten getroffen.
Eine hat so schwere Übelkeit gehabt, daß sie nichts essen konnte, und alle Nahrungsstoffe durch Tropfen von vielen Flaschen genommen hat.
Eine Frau im 8-ten Monat hatte einen zu schwachen Gebärmutterhals, deswegen hat der Arzt ihren Muttermund zugenäht.
Eine Frau im 10-ten Monat hat schwere Gestose gehabt. Ihr ganzer Körper war voller Wasser und furchtbar geschwollen. Sie hat ausgesehen, wie mit fast 100kg Gewicht. Obwohl der Geburtstermin um 10 Tage überschritten war, sind keine Wehen aufgetreten.
Eine andere sehr junge Frau hat sehr hohen Blutdruck gehabt und sie hätte eigentlich am nächsten Tag einen Kaiserschnitt bekommen sollen.
Eines Abends hat sie die Schwester gerufen, „Ich habe Blasensprung!“.
Erschrockend! Das war keine Blasensprung , sondern eine starke Blutung. Der Arzt ist sofort gekommen und hat Herztöne abhorchen wollen, aber das Herz hat nicht mehr geschlagen. Sie wurde sofort in den Operationssaal gebracht. Das Baby war schon tot.

……und es sind noch verschiedene Frauen mit veschiedenen Problemen.
Das war ein großes Erlebnis für mich.





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個人差…纏わる想い出 - 2009.04.30 Thu

何に於いても存在する「個人差」。
先月から今月にかけて、息子夫婦の「出産」という至極当たり前の事を通じてだが、その大きさを改めて感じた。
そして自分の妊娠・出産当時まで思い出してしまった。


どの様な産院・病院で生むのか、又、大部屋か個室か、という選択肢に始まり、妊娠中の妊婦の状態、そして出産がどの様な過程を辿るのか、等々考え出したら枚挙に遑がない。


今を遡ること30年以上…
結婚する際、丁度よい機会、と夫の従兄である産婦人科医の元で「癌検診」を受けた。
癌は何も問題がなかったが、子宮後屈が酷い、という。妊娠しても流れてしまう可能性が大きい、ということだった。
演奏活動やコンクールばかりに追われていた当時の私は、さほど重く受け止めることがなかった。


ところが1980年初めに妊娠が分かった。
ウィーン4区の、妊娠判定をした医師によると、私の子宮は後屈が酷くて癒着寸前であること。つまり普通の子宮は身体の前に向かって軽く曲がっているのだが、私の場合は後ろの大腸や背骨に向かって酷く折れ曲がっている。胎児はそのままの子宮では成長出来ない訳で、軽い後屈であれば妊娠4-5ヶ月頃に子宮が徐々に前に向かって変形して出産まで漕ぎ着けるそうだ。しかしここ迄酷い後屈の場合は子宮が形を整えてくる頃に、外の膜と内側の膜と(と易しい言葉で説明くださった記憶がある)ずれて、内側の膜ごと胎児がするりと出てしまうことがある、と。所謂流産だ。
お腹の張りと出血に常に注意、そして無理をしないこと、等々注意があったと思う。

さて、その様な忠告を受けていたのだが、いとも順調な滑り出し、悪阻(つわり)も「空腹になると起きるので、何か食べれば治まってしまう」というもの。お陰であっと言う間に太った。走っても異常なし。出産後にはリサイタルも組まれていたし、コンクールも受けるつもりでいた程だった。

ところが、丁度第4-5ヶ月目と思しき春、酷いお腹の張りを感じ、病院に出向いた。
夫の友人の紹介ではなかったか、と思うのだが、Semmelweis-Frauenklinikという、産褥熱を発見したことで有名なセンメルヴァイス博士が創設した病院だった。
子宮の収縮止め(日本でもよく使われるブスコパン)の座薬を処方されて帰宅した。安静を続けていたが、収縮は止まらず、厳密には覚えていないのだが出血が始まったのだったと思う。
即入院となった。
特に何も処置はない。収縮止めの座薬を入れて安静にしているだけだった様に思う。
これには理由があり、流産には「妊婦側に原因があるもの」と「胎児側に原因があるもの」とあるそうで、胎児側に原因がある場合には無理に注射で流産を止めたりしない、という主義を通している訳だった。
私の場合、妊娠初期に酷い後屈があった訳だが、これはもう既に軽減している時期、医師には判断が付かなかったのではないだろうか。多少の後屈は残っていたものの。

この、本来なら一番安定している筈の時期に、何度か入退院を繰り返した。
初めての胎動も、この入院中に感じた。
決まって大部屋だった為、しかも広い広い部屋でカーテンの仕切りも無い。初めての入院がこうだったので、入院とはかくあるもの、と思い込んでしまった(だから日本のカーテン付きの病室は余り好きでない)。
色々な患者さん(妊婦さん)と親しくなり、皆それぞれ問題が違って、随分勉強にもなり貴重な体験ともなった。
悪阻が酷く、栄養を全て点滴で受けつつ一日中嘔吐している人、8ヶ月になる女性は子宮口が緩くて縛られてしまったし、妊娠中毒症を抱えた臨月の女性は浮腫が酷く、100kgもありそうに全身がパンパンだった。
一番驚いたのは、高血圧が酷い為翌日に帝王切開を受けることになっていた女性が「破水した!」とナースコールをしたのだが、何と!破水ではなく大出血!すぐに医師が来て胎児の心音を確かめたが、既に聞こえず、彼女は手術室に運ばれた…。間近に見た、後にも先にもない、怖ろしさの余り息を呑む様な経験だった。

結局安静にしているだけの私は、一度超音波で胎児の様子を診て貰うこととなり、AKH(総合病院)に運ばれ、胎児に異常の無いことが判明するや退院させられ、自宅でひたすらベッドに寝て過ごすことになった。本来なら安定している筈の時期、来る日も来る日も寝ているだけ。しかも寝返りを打ってすら出血が起きる。結局2-3ヶ月間をベッドで過ごしたと思う。

ところが何というラッキー、それを知った上の階に住んでおられた開業医(praktischer Arzt)が、毎日通勤前に我が家に寄って、プロゲステロンの注射を打って下さったことだ!毎日!それも、いくら支払ったらよいかを尋ねても、無事に生まれることがお礼である、と。
この注射のお陰で出血は数日で止まり、それからは本当に心地良い日々が始まった。もう夏だった。
お陰で母親学級の様なものにも出席出来、お産の呼吸法(「ラマーズ法」ということを帰国後の二人目の妊娠で知った)を練習するなど、安心して過ごすことが出来た。

ピアノを弾くとお腹がパンパンに張って来るので、そろそろか?と思っても、弾くのを止めて安静にすると治ってしまう。所謂「微弱陣痛」というものらしかった。
早くお産を、と、リストのソナタ、ラフマニノフの3番のコンチェルト、ベートーヴェンのハンマークラヴィアソナタなどなど、体力的に過激なものを弾いても、その時はお腹が張るのだが止めれば治まる、…の繰り返しだった。

出産は、予定日を10日過ぎた頃に「破水疑い」で入院し、しかも胎児が可成り成長しており、過熟児になることを怖れ、まだ陣痛らしきものは無かったのだが、翌朝9時から陣痛誘発剤を使った。
呼吸法の練習が功を奏し、又、演奏家は脱力が上手いそうで(使っている指以外は常に緩めて演奏している訳だから)、特に辛かった事は無かった様に思う。間歇の間はリラックスしていられる分、痛みがずっと続く生理痛(毎月のたうち回っていた!)より遙かに楽に思えた程だった。
最後の最後は身体が「いきみ」を発して自然に押し出してくれる訳で。
付き添っていた夫まで手伝わされ(人手不足!)、「もう頭が見えているよ」と様子を知らせてくれる。
こうして無事、ウィーンの夏時間1980年9月5日19時55分に長男が生まれた。初めての感動だった。
「指も5本ずつある」「目も見えている」すぐに確認した事を昨日の如く覚えている。
身長53cm, 体重3750g, 泣き声も大きな元気な男の子だった。


・・・と長くなってしまったが、入退院を繰り返したことも、私には良い勉強となったし、大部屋で本当に有難かった。

出産後は二人部屋で、子供も昼間は一緒。双方とも夫が来るので合計6人だ。
お乳の与え方(というよりは、授乳前後に乳児の体重を量り、何グラム出ているかを調べる)や沐浴を翌日から習い、普通に生活。その方が子宮の回復(元の大きさに戻る)が速い、と。
秤の前にゾロゾロ並んでいる時は皆、他の赤ちゃんと我が子を比較。我が家は「皆お鼻が高いなぁ…」だった。そりゃぁそうだ、日本人(アジア人)はうちの息子一人だ。(さほど劣ってはいない、とオヤバカだったが)

文脈が逸れたままになってしまったけれど、お産も十人十色(百人百色?)と思った経験だった。
その後、私の友人たちはもっと大変な思いをし、「母親を助けますか?子供を助けますか?」と判断を迫られた家族あり、妊娠中も普通にスキーに出掛けた人あり、タクシーも患者運搬車も来ずに、破水して一人で歩いて病院に行き、30分で生まれた人あり・・・

長くなったので、二人目の時の事は又別な機会に書きましょう・・・

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遡った日記 - 2009.04.29 Wed

既に記録を止めてしまっていた2001年夏辺りから2006年を一纏めに記し、これで過去に遡った日記を一段落させます。

http://allegrobunchan.blog18.fc2.com/blog-category-31.html


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どちらがどちらだか… - 2009.04.27 Mon

なかなか日記の更新もままならぬ日々ですが…

孫の写真を!

下は、生まれた翌日に新ママから添付で送られてきたものです。

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何と!新パパ(我が息子)によく似た生え際
(こんなところまで似るものか??)


下2枚は1980年、息子が生まれた翌日の写真です。
(生え際を比較する為に引っ張り出してきた)
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双方とも何としっかりした顔立ち!!
バババカにオヤバカを兼ねてきた様です・・・

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誕生しました! - 2009.04.10 Fri



本日午後4時頃、無事に孫が生まれました。
長い長いお産でした。

朝、医師の判断で「促進剤」を使用することになり、以降は順調にて。



夕方出向き、助産師さんに「大きな赤ちゃんですよ~」と言われ、中に入ったところ……


何てちっちゃい、可愛い……

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(お乳を探しているのね


よく頑張りました。
母親になったKの微笑みは、絵が描けたなら…と思わざるを得ません。


お知らせのみにて。
又いずれ書きます。


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花見? - 2009.04.06 Mon

病院の予約の日。

12時、整形外科。
13時半、膠原病内科。


いつもは無線タクシーを呼んでしまうのだが、こんな花見日和に勿体ない!!
・・・と、自転車で出ました。
近所の見事な桜に、デジカメを持って出なかったことを後悔。

そうだ!携帯で撮ればよいではないか!と、カシャ!
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(パソコンではクリックで拡大表示されます)

突き当たって左折し、三鷹台の踏切を渡り、曲がりくねった坂道を上ったり下りたり…こんなに大変な道だったかしら?と、改めて年齢を感じた。(前回自転車で走ったのは、多分義母が倒れた2002年)

病院が近付き、右に公園があるのだが、誰も花見などしていない(都心だったなら、ビニールシートで席取りしているに違いない様な美しい場所!)。
急いでいたけれど、携帯取り出してカシャ!カシャ!!
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受診は、午後になると待ち時間もそれだけ長くなり、12時の予約は14時を過ぎ、13時半の予約は16時半になり…

後になって思えば、散歩に出掛ければ良かった・・・と甚だ後悔した。

iPodで音楽を聴きながら、今日は何と!「産科学」なる本を読んでいたのだった。
医学演習講座(学文社)。昭和38年発行、と書いてある。その後増刷されなかったのかな?
息子が産まれる時に目を通した本である。
何しろ初めてのお産がウィーン!
途中、切迫流産で何度も入院した。医師の説明を聞いたり症状を訴えたりするにあたり、最低限の医学用語を知っておく必要をひしひしと感じ、手元にあったこの本で単語を覚えたのだった(数冊あり、他は、やはり自分に関係のある耳鼻科系や胃腸関係。何しろ弱かった。それで一時帰国した時に必要そうなものを揃えてあった。)。
私の時代の医師は、医学をドイツ語で学んだ時代の方々。有難いことに、単語は全て日本語、ドイツ語、英語で書かれてあるので、大助かりだった。
今日は、孫の出産も近し!とばかり、それを持ち込んで待合室で読み始めたら1980年当時を思い出し、懐かしさも加わり(出産のみならずドイツ語も)、出産したSemmelweiss-Frauenklinikの光景などを思い出し…ふと気付けば、どうしてこんな年齢の私が病院の待合室でこの様な本を広げているのか、可笑しくもなった。


が、後になって、あぁ、桜でも眺めに出るべきだった、こんなに待つなら…と後悔。

会計と薬局を済ませたら、もう日が暮れて来た。


病院近くの、行きがけに撮った公園に寄り、花を胆嚢、もとい、堪能し、その後又しても携帯を取り出してカシャリ、カシャリ、カシャリ・・・

暗くなって来たぞ!急げ、とばかり。
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病院までの道沿いに学校が沢山ある。
今日が入学式だったらしいが、桜が満開で本当によかったね
先月は「卒業式までに散るかもしれない」と予報されていただけに。







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4月の音楽 - 2009.04.02 Thu

早いもので新しい年度となりました。

なかなか日記の更新もままなりませんが、今月の音楽を「酒、女、うた」に致しました。
毎度のことながら、演奏会での普通のテープによる記録ですので、雑音その他はお許しください。

お聴きになりながら日記をお読み下さいましたら幸いです。



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プロフィール

奥 千絵子

Author:奥 千絵子
★上の画像は2001年にCDにして約3枚分を収録したものを,2006年に2枚組としてリリースしたCD「樂の音に寄せて」です.『レコード芸術』2007年1月号で「特選盤」として取り上げられました.戸倉新樹教授によるライナーノートは医学生にもお薦めです.その他のCDや著書はWebsite「本館」からお入りください.このブログも「本館」のDIARYです.
★このブログの"Grüß Gott !" (文字化けの場合はGruess Gott!)は墺・南独の時間を問わない挨拶です.Website「本館」のDIARYです.出版CDや著書の詳細は「本館」のメニューからお入りください.
Website「別館」もあります. 著書「ピアノと向きあう」の説明を補うサイトです.よく頂く質問に説明を記載しています.
★上記著書については今井顕 氏によるKINOKUNIYA書評空間WEBLOG を是非ご一読くださいませ.
Auch auf Deutsch schrieb ich…
★【膠原病の記録】余りに医療のカテゴリーがが増えてしまったので目下整理中です.大変複雑な病気の経験が同じ病の方々への参考となりましたら幸いです.
「乳癌と膠原病(皮膚筋炎・多発性筋炎)」「膠原病(退院後)」 ,その他の医療の話(自分以外も含めて)は「医療・病院関係」,に取り敢えず分けました.
平成12.12.12.病院での復帰リサイタルは演奏動画入り記録です。
★恩師のことは55年間を遡り少しずつ記載するつもりです。目下のところはこれだけです.
★コメントも大歓迎です。SPAM防止上、確認後に公開しております。ご理解をお願い致します.
★このブログや大元のサイトへの感想やお問い合わせはservus2008@gmail.com宛に@を半角に直して送信願います.
【BGM】
Robert Stolzメドレー
演奏:東京カンマーコレーゲン 
室内楽アレンジ:奥 千絵子
ショパン:華麗なる大円舞曲Op.18
演奏:奥千絵子 ショパンのワルツは上の画像の2枚組CD「樂の音に寄せて」に入っております.
★Copyrights©1997-2020 Chieko Oku All rights reserved.
制作・著作:奥千絵子
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