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2008-06

しつこく「アカンサス」(七夕追加) - 2008.06.25 Wed





一段と生い茂りました。

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下は生い茂った訳ではなく,病院の七夕飾りです。
今年も既にそういう季節になったのですね。早いものです。
お世話になって10回目の七夕です。
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以下は26日の携帯写真。

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祈りよ,願いよ,届け!!

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介護保険・その後 - 2008.06.21 Sat



こういう事はプライバシーの暴露の面では,書くことを慎むべき,と弁えているものの,公に書かねば進展もなく無意味,と捉え,敢えて。

先日の日記の出来事の後,週3回の入浴介助のみから,週3回,入浴介助の後,車椅子での散歩や,夕飯の支度を含め,2時間ずつの援助を頂ける様になりました。
お陰さまで,少なくともその時間帯は安心して家族も過ごせます。
本当に助かります。

ただ現在の介護度は,本人が今とは全く状況だった頃に認定されたもの。夫がケアマネに質問したところ,たとえ介護度が上がっても(2ランクは上がると思っているのですが),受けられるサービスはこのままなのだそうです。
勿論「介護保険」とは家族の為にあるのではなく,本人の生活に対して存在することも重々承知。でも,家族が援助出来ない為に本人の生活が不自由だとしたら??

疑問が残りました。

(内心,政治家さん達の贅沢三昧の見直しもされずに??と・・




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腱鞘炎 その後 - 2008.06.18 Wed




4月4日に「腱鞘炎の記録」とのタイトルで日記を書き,その後も病院で頂いた意見などもどこかに書いた気がするのだが,暫く意図的に書くことを控えていた。
あちこちに,…特に病院に支障の出る内容になるかも分からないし,何よりも私自身が職を失うかも分からない


最近屡々「手はその後如何ですか?」と訊かれてしまうので,やはりここで書いておく。

結論から言えば,現在は生活にもピアノにも殆ど支障がない状態,と言ってよいだろう。

書かずにいた間の一時期は,両手のどの指も力を失った。

特に右手の親指に装具を着けてからは,物を掴むのに人差し指に負荷が移動していた為か,人差し指まで動かすと痛かった。
右手を使わない様に気を付け,左手を代理としていた為か,左親指関節まで痛めた。
そうこうするうちに,両手全部の指に力が入らなくなった。
外出も,駅の階段は辛い。しかも駅まで歩くのが億劫が故自転車を使えば,ハンドルに手を乗せてもブレーキを握ることが出来ない。
楽しみを減らすべきではない,とマイペースで人混みを避けて出歩いてはいたのだが・・

5月の下旬に入り気付いた。
いくら痛めたからとて,私の手はそんなにヤワではない これは1998年の,後になって「多発性筋炎」と推測された時の状態に酷似している,と。その上,まさか「リウマチ」ではなかろう,とも。
膠原病というのは,・・喩えてみるなら,海底に膠原病という名の大陸があり,海面上に隆起した島が,その島の地質や形状によって名が付くのに似ているのではないか,と素人ながらに思う。「全身性エリテマトーデス」「皮膚筋炎」「多発性筋炎」「リウマチ」「シェーグレン・シンドローム」「強皮症」等々・・


受けられる検査は申し出て確認。リウマチではないことが判明し,ひと安心。
ただ,多発性筋炎に於いては,私の場合,「CPK」という筋肉が破壊される時に出る酵素の値が異常圏内に上がるのは,既に寝返りも打てない状態になってからであった経験があるので,私自身は余りあてにしていない。(悪い患者だ!)

4月初め,思いの他体調は良かったことで激減させてあったステロイドだが,ここに原因があるかも分からない。と,素人判断&事後報告にて3倍に増やしてみた。
これが甚だ功を奏した様で,3日目くらいから親指以外はどんどん良くなった。
上腕の痛みも軽くなった。勿論3種類の薬(ミオナール,モービック,ボルタレン)を適宜使っての上だったが,服用してさえも支障があった症状が日に日に楽になった。
10日後くらいに,その4月4日に書いたスタート地点に,- あたかも数直線をプラスの方向へ進むが如く - 戻った。

今はボルタレンもモービックも止めた。何故なら,痛みを薬により止めることで負荷をかけ,気付かない炎症を悪化させている可能性もあるからだ。

元来膠原病は起床時に手の「こわばり」が生じ易いらしく,その通りで5月半ば頃は朝起きても,どの指を使っても窓も開けられない,牛乳パックも開けられない,片手でマグカップを持つことも出来ない,筆圧が無いので6Bの鉛筆使用,皿一枚を持つことも難しかった。
それらが見る見る回復し,今では発端の親指以外は何も問題が無い。親指とて,ピアノを弾くにはさほど支障なく,これがリサイタル前で一日に何時間も練習を強いられる状態であれば問題だろうが,せいぜい弾いても合計20~30分(生徒たちのレッスンで見本を示す程度の長さ)。いや,もっと弾こうと思えば弾けるのですが・・
日常生活も,自分で「これ以上は」を知っているので,注意深く無理はしない。

という訳で,ご心配くださった皆々さまには申し訳なく思いつつ,今頃簡略ながらご報告を申し上げます。(折しも父の命日に)

有難うございました。



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人形の不思議 - 2008.06.11 Wed




というタイトルに一応しておきますが・・・


6月9日月曜の夕方,凄まじい音がしたので吃驚し,階下に娘共々バタバタと下りて行きました。

義父が玄関の飾り用の棚を倒してしまい,その音と,上に乗っていたものがあちこちに吹っ飛び散乱した音であることが分かりました。

又インターフォンの幻聴・・・あっちにつかまり,こっちにつかまりして玄関に行こうとしたそうなのです。そのつかまったひとつがその棚だったのだろう,と推測しているのです。棚と言ってもテーブルの様な形で,しっかりつかまったなら倒れる可能性はある。それとも目が見えなくてぶつかったのか??

それは兎も角,上に飾ってあった色々が散乱し,割れてしまいました。
母が実家の玄関に飾っていた,マンションに越しても玄関に飾っていた花瓶とハープの形の時計。
それと,私がいつだったか池袋で購入したアンティーク・ドール。
アンティーク・ドールと言っても模造品ではあるのですが,顔が如何にも当時の娘の雰囲気に似ていて,娘共々気に入っていたものです。これが割れてしまい,首から先は向こうに転がり,しかも顔もいくつかに割れ,首は細かく砕け・・・
他にもヨーロッパ土産の小皿なども粉々。

私ら2人では太刀打ち出来ないので,幸い家に居て,裏庭の草刈りをしている夫を呼びました。片付けの為,まずは義父に部屋に戻ってもらうこと。

そして娘と私は一生懸命に人形の破片をかき集めました。
二階に持って行き,家にあるアロンアルファで何とかしよう,と思ったのですが吸収してくっつかない為,娘が雨の中を文具店に走り,いくつか種類を購入してきました。
帰宅するや,外は激しい雷雨に。

娘はハープの時計を修復。
私はあたかも立体パズルをするかの如き作業の人形。
頭の中に手を突っ込み(手が小さくて良かった!指だけは入った!),頭蓋骨に相当する割れた部分2カ所をセロテープで貼った(紙テープが見つからなかったので)。
顔には亀裂が何本か残ったものの遠目には分からない程度に修復。でも額には,私の力では直せない部分が残り,でもこれは前髪で隠れるので,小さな破片をどの様に埋め込むかは後日又,ということに。
最後に首を繋げたのですが,どうしても2カ所がうまく行かなかった。これも後日又,と課題に残しました。小さな(粉とも言うべき)破片は容器に入れて紛失せぬように。
2時間近くかかったでしょうか・・・
この日は,折しも私の父の誕生日。生きていれば85歳(63歳で他界)。父こそアンティーク・ドールが大好きで,こちらは本物…など思い出しながら…

さて,これで話が終わったなら,「やれやれ・・・」と毎度の単なる私の愚痴話なのですが・・

その夜,娘がちょっとした事故に遭いました。具体的なことは娘の名誉にかけて触れられませんが。
転んで額から出血。
倒れているのをタクシーの運転手が見つけて警察に知らせてくれたそうです。
念の為に救急車で病院に運ばれました。
後頭部も打撲の痕。
頭を打った時には首を固定するのだそうですが,娘は頑なに拒んだそうです。

幸い,点滴と傷の処置を受けて明け方帰宅出来ました。

余り縁起はかつがない私なのですが,この日ばかりは人形が重なってしまい・・・残した額の傷,後頭部(娘の打撲は丁度私が手を突っ込んで貼り合わせた位置!),首・・・これらを完全に直してあったなら・・・と。

娘も朦朧としながら,「人形が可哀想…」「人形が痛がっている…」と,うなされ。
余程夕方の出来事がショックだったのでしょう。
直したことも記憶から吹っ飛んでしまった様で。

人形は直しきれなかったけれども,父の最期の未完成になった作品は,顔だけしっかり仕上げてあるのです。
父が守ってくれている,とも思った出来事でした。


その父の最期の未完作品。
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(上手く撮れませんでした。遠くからズームアップしたけれど)



父の本物のアンティーク・ドールに囲まれた幼い頃の娘(父・撮影)
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(かぶっているのは,右の人形の帽子)



それにしても,こういう事があって初めて,介護保険事務所は今後を考えてくれる,という苛立たしさ。
介護度で使える分が可成り余っていることも判明。
週3回の入浴介助だけ,なんて事はあり得ません!
しかも,殆ど盲目,耳も全くと言ってよいほど聞こえない現在,介護度2はないでしょう!?
医師には「ペースメーカーで生きているだけ」と言われている人です。
家族と同居,ということで下りなかった希望のあれこれ・・・
夫は仕事に出られずキャンセル続き。誰が我が家の所得の補償をしてくれる,というのだろう

母の時も然り。
亡くなってからでは遅いわい!!!!!(後悔ばかりし,自分を責めていた私も他人を責める本音が出るようになってきました)
ケアマネの腕ひとつ,とよく聞きますが,本当に・・・

(感謝の気持ちはあっても,言葉にする事はこの際敢えて無視)



この最後の十数行ほどを訴えたいが為に我が家の暴露話になったのも情けない・・・

元来こういう人間ですので~~  






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Ein Wunder einer Puppe  - 2008.06.11 Wed


Am 9. Juni gegen Abend bin ich erschrocken über ein unerwartetes Geräusch in unserem Erdgeschoss.
Meine Tochter Maya und ich lliefen rasch hinunter.
Es wurde klar, dass mein Schwiegervater den Garderobentisch umgestoßen hatte, auf dem verschiedene Schmucksachen gestanden hatten.
Er wollte -wie immer- wegen einer Gehörhalluzination die Haustür öffnen. Sehr wahrscheinlich hatte er sich beim Gehen am Geländer und Möbeln festgegriffen und den Tisch umgeworfen.

Alles war auf den Boden verstreut und zerbrochen. Z.B. eine Vase und eine harfenförmige Uhr, die Erbstückenmeiner Mutter sind.
Auch eine antiquarische Puppe, die ich mir einst in Ikebukuro gekauft hatte und zwar keine echte Antiquität, aber damalige Maya sehr ähnlich ist und uns sehr gefällt. Der Kopf dieser Puppe ist dieses Mal abgebrochen und das Gesicht ist teilweise in zahlreiche Scherben zerbrochen,.

Da wir zwei nicht Ordnung machen konnten, holte ich meinen Mann, der im Garten mähte. Besonders um den Vater in sein Zimmer zurückzubrinegen. Dann sammelten Maya und ich sorgfälltig die Bruchstücke der Puppe.

Maya schaffte sich verschiedene Klebemittel an.
Sie reparierte die Uhr.
Ich bearbeitete die Puppe, als ob es ein kubisches Puzzle gewesen wäre.
Zuerst reparierte ich zwei Spalten Innerseite des Kopfes. Glücklicherweise sind meine Hände klein genug, den Puppenschädelbruch mit Bändern zu kleben. Das Gesicht -außer einer kleinen Wunde an der Stirn- konnte ich fast ganz zusammenkleben. Zum Schluss setzte ich den Kopf auf den Hals. Aber auch hier ging es nicht perfekt. Leider blieben zwei Löcher.
Da ich mich diesen Tag schon furchtbar angestrengt hatte, verschob ich die weitere Arbeit auf die nächsten Tage.

Das passierte zufällig der 85. Geburtstag meines Vaters, der schon in seinem 65. Lebensjahr schon starb. Er hatte echte antiquarische Puppen sehr gern…erinnerte ich mich...

Nun wäre es besser, wenn ich hier diese Geschichte beenden könnte.
Während der Nacht erlitt Maya einen Unfall. Ausführlicheres kann ich nicht erzählen. Sie fiel unterwegs, und dabei verletzte sie sich an der Stirn. Auch am Hinterkopf hatte sie Spuren, die zeigten, dass sie mit etwas geschlagen worden war.
Die Polizei erklärte, ein Taxifahrer fand sie liegend auf der Straße und rief die Polizei.
Vorsichtshaltbar wurde sie mit der Ambulanz in ein Krankenhaus gebracht.
Wenn man auf dem Kopf geschlagen wird, -sagte der Sanitäter telefonisch- , bekommt man normalerweise die Halskreuse. Aber sie lehnte stark ab geschient zu werden. Die Wunde an der Stirn war nicht so schlimm.
Im Krankenhaus bekam sie ein Tropfinfusion und die Wunde wurde desinfiziert.
Bei Tagesanbruch konnte sie nach Hause zurückkommen.

Obwohl ich normalerweise keine Art von Omen in Erwägung ziehe, konnte ich dieses Mal nicht umhin zu denken, dass die verletzte Puppe meine Tochter aus einer großen Gefahr rettete, weil die alle Stellen der Wunden mit der Puppe synchronisierten.
Maya hatte Alpträume der Puppe und sagte, „Arme Puppe!“ und „Es tut der Puppe weh!“
Auch das letzte, unvollendete Bild meines verstorbenen Vaters hätte sie verteidigen müssen, denn nur das Gesicht des Bilds war vollkommen.
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Einer von meinen Freunden sagte, dass die Puppe ein Schutzgott war. Er erklärte weiter, die Puppe versäumte sie aber 100 prozentig zu schützen, konnte sie nur 80 prozent schützen. Denn die Puppe wurde nicht total kapput, blieb noch reparierbar -folglich wurden restlichen 20% Maya zum Unheil. Wenn die Puppe existiert nicht hätte, wären Maya 100% zum Unheil geworden.
Ein anderer sagte, dass das Bild von meinem Vater sie schützte.


(↓vor ca. 23 Jahren)
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Jedenfalls war das ein rätselhaftes Ereignis.


Übrigens ärgere ich mich immer über die Pflegeversicherung.
Mein schwiegervater lebt nur durch Herzschrittmacher, ist fast blind wegen des Diabetes und hört fast nichts. Trotzdem wird ihm nur beim Baden geholfen. Denn er wohnt bei einer Familie – bei uns. Wir könnten wegen der Pflege unseres Vaters arbeitslos sein.


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その後のアカンサス - 2008.06.10 Tue



暫くカメラも向けずにいたところ,背の高さを超えて生い茂っております。

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(花を近くで)
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(葉も,通れぬほど茂り…)
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プロフィール

奥 千絵子

Author:奥 千絵子
★上の画像は2001年にCDにして約3枚分を収録したものを,2006年に2枚組としてリリースしたCD「樂の音に寄せて」です.『レコード芸術』2007年1月号で「特選盤」として取り上げられました.戸倉新樹教授によるライナーノートは医学生にもお薦めです.その他のCDや著書はWebsite「本館」からお入りください.このブログも「本館」のDIARYです.
★このブログの"Grüß Gott !" (文字化けの場合はGruess Gott!)は墺・南独の時間を問わない挨拶です.Website「本館」のDIARYです.出版CDや著書の詳細は「本館」のメニューからお入りください.
Website「別館」もあります. 著書「ピアノと向きあう」の説明を補うサイトです.よく頂く質問に説明を記載しています.
★上記著書については今井顕 氏によるKINOKUNIYA書評空間WEBLOG を是非ご一読くださいませ.
Auch auf Deutsch schrieb ich…
★【膠原病の記録】余りに医療のカテゴリーがが増えてしまったので目下整理中です.大変複雑な病気の経験が同じ病の方々への参考となりましたら幸いです.
「乳癌と膠原病(皮膚筋炎・多発性筋炎)」「膠原病(退院後)」 ,その他の医療の話(自分以外も含めて)は「医療・病院関係」,に取り敢えず分けました.
平成12.12.12.病院での復帰リサイタルは演奏動画入り記録です。
★恩師のことは55年間を遡り少しずつ記載するつもりです。目下のところはこれだけです.
★コメントも大歓迎です。SPAM防止上、確認後に公開しております。ご理解をお願い致します.
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Robert Stolzメドレー
演奏:東京カンマーコレーゲン 
室内楽アレンジ:奥 千絵子
ショパン:華麗なる大円舞曲Op.18
演奏:奥千絵子 ショパンのワルツは上の画像の2枚組CD「樂の音に寄せて」に入っております.
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制作・著作:奥千絵子
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