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2008-04

一度でも直接話しをしてみたかった(2) - 2008.04.29 Tue


(2)は身内の話。

ー順不同ながら訂正と注釈を,写真の下に加えます(2008年5月5日)ー
(先に書いてしまった本文も維持したくこの様になってしまいましたが,いずれ番号を整理したいと思います)



母方祖母,阿部よしゑと私は一度も話したことが無い。

祖母のことは,初めて海外に渡ってパリにてハープを学び,帰国後に教えた人,と母より聞かされていた。※2昭和の一桁という初期,子供5人を残してロシアに渡り,そこからパリに行き,ハープを学んだ。※1
私が初めて会ったのは,確か大学受験直前,もう何があってもおかしくない状態が故,病院で,であった。※7
亡くなったのは,糖尿病で不自由な身体のところに,電気炬燵の漏電からの火傷で,と聞かされているが,晩年はお弟子さんがたに実に良く接して頂き,お世話になっていた,ということだった。※8

そのお一人の田中恭子さんからメールを3月に頂いた。形見分けにて彼女が所有していたハープ,すなわち祖母がパリから持ち帰ったというエラールが,この度東京藝大の奏楽堂に納められることになった,とのお知らせであった。

それに伴い情報を集めるべく,亡き母が大切に保管していた,祖母が書いた原稿や写真などを探し出しに妹が我が家に出向いてくれ,コピーをし(目下情けないことに,コピー機もスキャナも壊れているので,コンビニへ行ってくれた),更に原稿起こしに入っている。藁半紙に鉛筆で下書きをし,万年筆で清書されて行くが,そこでも何度も手直しをしている。
ハープの歴史,種類,しくみ,又イスラエルで行われたハープ・コンクールの委員会より客員として招聘された話など・・・
私らの様なハープに全く疎い者が読んでも,内容は勿論,それらの文章の手直しの過程(時には,どこからどこに飛ぶのか判読に苦しみつつも)を経て完成して行く文章は興味深い。あたかも大作曲家の手書き譜から,最初に書いていた音から,完成した音に進む過程を読んでいる様な感じだ。

まだまだ西洋音楽の黎明期,祖母はどんな生活を送っていたのだろう。
日本で既にハープはもとより楽器を学んでいた,という話は親族からは聞いていない。
かつて故・野村光一氏の奥様(女学校で祖母と親しかったそうだ)が「よしゑさんは才女でいらしたから」と,当時の家庭,それも法律一辺倒の家庭に収まることは周囲から見ても勿体なかった,と家庭を捨てたことについては弁護してくださったことがあったが・・
色々な噂(スパイ容疑などまで)は伝わるものの,祖母の口から,どの様な生活を送っていたのか,まだ西洋音楽が日本では今の様に浸透していない,と言ってよいほどの時代にどの様に学んだのか,最初に渡ったロシアで(国を出るにあたっては「タイプライターの学習」ということだったそうだが,これは単なる書類上の口実なのだろうか?)※3,多くの著名な方々と親交を深めていたそうだが(例えば,ショーロホフ氏など,既に亡くなった叔母たちが「静かなるドン」がなんとか,と言っていたのも,私は当時は全く興味もなく※5),どの様な話題が出たのか,祖母に会って直接訊いてみたかったことが沢山ある。※4



妹が勤務先である藝大に出向き,弦楽科の教授にお会いし,その後ハープを見せて頂き,撮った写真を早速メール添付で送ってくれた。
楽器の細部は,まるでヨーロッパの教会の彫像の様だ。
映画「ビルマの竪琴」の演奏は,この楽器で祖母によりなされた。※6
(ここに載せること,承諾頂きましたので数枚披露致しますが,問題が出ました折には削除致します)

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(このハープの画像のダウンロードは禁じております)

__________________________
(追記・訂正)

※1
身内から聞かされていた,祖母阿部よしゑは5人の子供を置いてロシアに行ってしまった,という話は結果としてはそういうことにもなろうし,子供達にとってみれば(全員一桁の年齢の時に)一番悲しく寂しかったのだと思うが,祖母は自ら飛び出したのではなく,婚家(秋田市)を追われたのであった,ということを初めて知った。
代々法律家の家系で,昭和4年に亡くなった祖父(母の父親)の父親というのが甚だ厳格な人であったことは常に母から聞かされていた。
祖父は旧制中学一高帝大,と飛び級にて駆け上がり,大学1年で司法試験に合格したという期待の星だったのが,昭和4年に敗血症で急逝してしまったので,母の祖父は急遽後継ぎを次男である母の叔父にした(その叔父,つまり母たちの養父も可成りの堅物だった話しか聞いていない。しかし敬虔なクリスチャンで,預けられた母たち兄妹はお祈りをしないと食事を与えられなかったし洗礼も義務だった,と母から常々聞かされた)。
余談ながら,母の兄が更なる後継ぎとして期待され,帝大の法学部を受けさせられた(筈だった)のがどうしても独文学の夢を捨てられず,文学部を受験したので,養父から勘当を喰らったことも母から聞いていた。だが,戦争への召集令状が来た時,その堅物の養父も「好きな道に進んでくれてよかった」と号泣したそうだ。

※2
祖父が亡くなり祖母が籍を抜かされた昭和の4年という年を,祖母自ら(居場所が無くなって)飛び出した,と思い込んでいた(思い込まされていた)のだから,お弟子さんがたからの「除籍させられた」という話は驚くと共に納得した。母たち兄妹にしてみれば「捨てられた」という感覚だったのだろうが・・・あの時代に、女手ひとつで5人の子供達を養うすべもなく,子供達を育ててもらうために婚家を去らざるを得なかったのだ。

※3
籍を抜かされた後,祖母は自分自身が食べて行く為に上京し,色々な資格(そのひとつがタイプライターだった様だ)を得て国家試験に合格し,外務省に勤務,大使館勤めをしてロシアに渡り,そこで西洋音楽に触れてハープに惹かれ,パリに転勤になったのを機にMarcel Tournier氏に師事した,という経緯の様だ。Tournier氏は祖母の為にも曲を作ってくださった様で,又祖母への綿密な指導法は目下解読している原稿からもよく分かる。

※4
帰国した時(敗戦で),藝大ではハーピストの存在は薄く、ピアノ科の中にハープを弾いても良いわよ,的なハープの学習状態を,祖母はそんなに甘いものではない!!とハープ科を作ったそうだ。
ところが性格は頑固で自分の意見は曲げない(そうでなければ外務省で女性として働くなど,時代を思えば到底出来る訳もなく,海外とて然り,やって行く過程で一層頑固さに磨きがかかったのではないか?と私個人は推察してしまう),丁度海外より1952年にN響の客員として招かれたウィーンの奏者と衝突して,その座を奪われた様だ。日本ハープ協会なるものも祖母が作ったそうだが,これも同様。

※5
祖母はロシア滞在中に色々な著名人と親交があり(これも仕事柄,と納得が行った),「静かなるドン」のショーロホフ氏については,伯父叔母たち,母からも文献があることを知らされていた。

※6
唯一世に認められた,とも言える映画「ビルマの竪琴」での裏方としての演奏は,数年前にDVDを購入し,母の生前,脚が動かない慰みに何かの折にプレゼントし,私も初めて祖母の音に聴き入った。

※7
全身を包帯でぐるぐる巻きにされ,意識も無く,一言も言葉を交わせなかったことが悔やまれる。

※8
どうしても想像から抜けない,親族たちからの情報 ー堅物,頑固者,といっただけの性格ー から想像すれば,最期の時まで祖母にハープを習い,しかも日常の様々を支えてくださった,ということだけからも,そのお弟子さんたちが如何に優しい方々であったかは想像に余りある。改めて感謝の念に堪えない。心から・・・

★取り敢えずここまで送信致しますが,まだお名前を出してよいものかお訊きしていない方もあり,許可を得ましたら掲載させて頂きます。




ドイツ語はこちらです。二通分纏めてあり、直訳ではありません。




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一度でも直接話しをしてみたかった(1) - 2008.04.28 Mon




目下,まるでタイムマシンに乗って過去に戻ったが如く,ここ数ヶ月連日歌声に改めて惚れ込んでいる歌手。
偶然にも3週間ほど前,ウィーンの友人から,その歌手が現在進行性の病にあるという情報を貰った。
あれだけウィーンでも海外でも売れっ子,というよりも,カリスマ性を持って人々を魅了した人は,他にそう存在するとは思えない。

そして,かつて私の1枚目のCDリリースに於いて,病院の教授が書いて下さったライナーノートの冒頭を思い出す。(引用をお許しください)
「演奏家が聴衆に別れを告げるコンサートは,多くの人の心を惹き付けてやまないものがある。それは純粋な意味での演奏の完成度からすれば劣るかもしれない。しかし優れた演奏家が,自らの意志だけではどうにもならない肉体の衰えとの葛藤に苦しみながら続けてきた努力に,遂に終止符が打たれようとする瞬間は,人を感動させずにおかない。(以下略)」
この文章ではこの後,私自身の病気やその後の話になるので触れずにおくが,この複雑な感動を目下私もその歌手に置き換え抱いて止まない。

誰,ということは書かずにおくが(というのも,ネット検索にかかる事を恐れ),2005年に大舞台引退表明をした時の心情を思うと実に遣り切れない思いがする。と同時に年齢を,いや,年齢以上に精一杯舞台にて演じて来たのだから,残念ではあっても・・と納得しようと思う気持ちと半々だ。

当時の現地での新聞のインタヴュー記事に載っている「病にあっても微笑んでいる」との記事,終わり3分の1のみ(稚拙ながら敢えて)訳させて頂く;
本当のところはいくら彼とて,全てのことを少しでも長く維持して居たいだろう。だが反面,大立て者たる人間たちは,たとえ何の手立ても出来ずに病が進んで行く立場に置かれたとしても,「崇高である」ことに何ら変わりはない。
彼らが「そう,私はこんな立場にあります。でも働きもし遊びもします。人生は続くのです。受けた全ては享受しなくてはなりません。」と述べる限り ー彼の如くー 病気については,たとえほくそ笑んでいたとしても昼夜くよくよ悩んでいるよりは遙かに良いと言えよう。
彼は相も変わらず(wie eh und je ) 活動し,相も変わらず輝き,そして相も変わらず演じ歌っている。病との闘いに試行錯誤の毎日であろう。新たな課題,新たな勇気,しかしながら持ち前の朗らかさをもって。彼は言う,「夜な夜なワインを小さなグラスに一杯,すると,たまに症状が消えることもあるのです。」と。


その記事から3年。
一度直接お目にかかって話してみたかったもの,とつくづく思う。何度となく似た状況・症状に置かれたこともある。私の場合は決して進行性のものではなく,「注意を怠りさえしなければ」寛解状態を保っていられるのだが…。




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相変わらずパソコンに振り回され - 2008.04.27 Sun



その1
ATOK(2007)を昨年インストールしたら何か問題が生じて(何だったかは忘れてしまったのですが)数日後に出してしまったこと,そして今月再度インストールしたことも書きましたが・・・
色々な辞書が入っているので,数日前に3-4つ入れてみた。
その所為かどうか分かりませんが,文字を打っても甚だしく遅れて出る!!それはそれはじれったい程です。変換も即座に出ない!!再起動かけても駄目。
きっとあれこれ辞書を入れたからに違いない!!と不要なものを出しました。
それでも直らない…そっか,今度こそ再起動だな!と試したら元に戻りました
(私みたい……数秒でもウトウトすると,1時間眠った様に元気

その2
このブログにのみ使っていたウェブアドレスがスパム攻撃を喰らい,多分何百通と消した
ヤフーにも尋ねたのだけれど,いつもながら,
そんなこたぁ知っとるわい!!(すみません,つい……)という返信のみ。
何の解決にもならなかったので,アドレスを変更しました。
そして,それをメーラーで受信出来る様にすると・・・決まって起きる送受信不能(他のアドレスまで)。
ひとつずつ丹念に設定を確認しても駄目。
再起動をかけても駄目。
診断してOKが出ても駄目。
謎です。
自分のアドレス同士,お試しメールを交わして,そして数時間後に自然に解決が着く。・・・と,いつもこういう感じなので暫く待てば良いのでしょうが,急ぐメールを控えている時など,そうも行かずにせっかち

その3
桜も終わったし,ブログのテンプレートも変えよう,と設定変更すると,本来入っているものだけが残り,それ以外は入れ直さねばならないらしい。
最近システムも新しくなった様で,あれこれ新しく登録をし直した。
文字の大きさも自分で変更出来ることが分かった。

という訳で,久々にタグ打ちを頑張る。
最初の登録その他は娘に頼んだのだけれど(ウィーンで),帰国した今は多忙にて,「やって~~!」とも言えず・・
昨日,その話をしたら「お母さん,そこ迄出来るんだったら自分でHP作れるよ」と言われてしまった・・・
ブタもおだてりゃ木に登ってみる??
いやいや,文明の利器は利器であり,決して振り回されるべきものではない。



と,こんな話を書くのではなかった。
タイトル変更ですわ。

書こうと思っていた事は,別タイトルにて出直します。

・・・あぁ,ろくな日記にならない




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雑草畑 - 2008.04.23 Wed




我が家の裏庭,この季節になると雑草が生え放題。

私は一切何もしないのです。

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よく見ると大量のペンペン草が・・・

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昔はこれで遊んだものですが,可哀想に遊んでくれる人もなく・・

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更にポピー

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よく見るとまだまだ蕾だらけ……これからどんどん咲きますな……どうしたものか??

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これは夫が我々の母校の校章アカンサスだ,と言っております。
(いつか知らずに引っこ抜いてしまった……夫は先輩

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アカンサスは兎も角として,この裏庭,放置したらこれから大変なことになります


このスペース,自給自足するだけの広さあり・・・
でも,誰がやるか???(私はパス…勿体ないけど…)




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教えるということ(1) - 2008.04.23 Wed




私の「教える」は勿論ピアノです。
対象は様々で,趣味の小さなお子さん,趣味として弾きたい曲を弾ける様になりたい人,或いはずっと細々続けて来たけれど専門としてピアノに進むことを決めた人,幼い頃から希望していたピアノの道を希望して努力してきた受験生,音大は出たけれど基礎からタッチなどを習得し直したい人,実力相応のコンクールを受けたい人(最近は本当に沢山の種類のコンクールがあって驚きです),「この曲が弾ける様になりたい」という目標で大人になってから始めた人・・・数えられない程の状況にある人達です。そして私は,そのひとつずつの目標実現を可能にすべくお手伝いをしている訳なのですが・・・なので,どういう希望の方も大歓迎しています。

ただ,子供~青少年の場合,単純にピアノだけ上手くなれば良いか・・というと,そこが難しい。
私は,音楽を通じて他人の痛みが分かる人になって欲しいし,ピアノが発散や慰めの手段に使える様になり,将来人生に於いて何か問題にぶつかった時の助け,喜怒哀楽をピアノと共に出来る様になって頂きたい,と思っているので,コンクール入賞だけ,或いは音楽に於ける有名校進学を目指すだけ,その為には手段を選ばない,という方々への協力は苦手です。

子育てに於いての経験,数えることも出来ない程の反省点があり ーこれを言うと「私は育て損ない??」と言われてしまうのだけど,最初から結果が見えている訳でもなく,子育てこそ試行錯誤の連続でありまして…そういう意味では「子育て」も芸術ですかね??ー それらがあって今の「教え方」もある気がしています。

とは言え,ピアノを弾くには間違った奏法をしていては限界が来る訳で・・・幸い成長期までに来てくださった方々は,数直線のマイナスから容易にゼロ点にすんなり戻れ,無駄のないタッチ・技術を教えると,その後色々な事情でブランクがあっても,又弾きたい,と思った時には容易く(とは言え,最初は本人は愕然とするほど「衰え」を感じるのですが)戻ります。
大人になってからであっても,ひたすらプラス方向だけの練習をすればよいので,しかも寧ろ子供よりも人間としての脳の発達や「学習する」ことの経験があるので,ご本人が思っているよりも容易くゼロ点に戻ります。

生憎音楽的な環境が無いまま過ぎてしまった方々には,大人であれ子供であれ,表現面はまず真似から入って頂くので,ピアノ二台は必須。少し音楽に理解が出来たところで(年単位ですが),色々な弾き方を示してみて選択して貰ったり,或いは「歌詞」や「物語」を作って貰ったり(これはプライバシーに関わる年齢になれば,問い質しません)。

私が言うアドヴァイスを自分でササッとメモ書きする人も居ます。レッスンを録音して行く人も居ます。
小さいお子さんには,以前は楷書でしっかり楽譜に書き込みをしていたのですが,最近は楷書が出来ないばかりか,パソコンに頼り過ぎているため文字は苦手。小学生にすら「どういう漢字だっけ?」など逆に訊く有様・・・
「貴女って変わっている」と言われること屡々ですが,私は最初のうちは「録音する」ことを勧めています(いや,義務付けているかも)。何故なら,客観的に生徒本人の弾き方と私のアドヴァイスを自分で比較して欲しいから・・・
ただ,10年も通っていて,毎回録音に頼るのは如何なものか,最近痛感はしています。10年のお付き合いにもなれば(いや,数ヶ月のお付き合いであっても)私の個人的お喋りまで必ず入ってしまう訳で・・・それもちょっと問題??
一対一のレッスンで,ある程度人間としてのお付き合い,ピアノの存在がその人にとってどんなであるか,私の指導がその人の人生に於いてどういう位置にあるか,私自身が知りたいこともあり,自然に「お喋り」の時間も長くなること屡々・・・ピアノとは全く関係のない相談を受けることもあり,私が意見してしまって良いのかな??と思うものの,私が如きモノの拙い人生経験が役に立つなら・・と,又ピアノ以外の時間が長くなる・・


私自身については偉そうな事は言えません。
育った環境に触れますが・・・
私の育った家にはレコードプレイヤーも無く,母が午後一杯生徒を教えていた為に,練習するのは夜のほんの1~2時間だけでした。
中学からは親の目の届かない距離の学校に通った為羽目を外し,遊び放題。そして帰宅すれば往復のラッシュアワーに疲れて夜は居眠り半分・・・音が長く止んでいると母がドドドド・・・と廊下をやって来て「千絵ちゃん!!」でした。
中3の時にテープレコーダーが我が家に来て(小さな,音も悪いオープンリールでしたが),それを機会に自分の練習を再生して勉強する,という恩恵に預かれるようになりました。
高校1年の時は訳あってレッスンに通うことは止めていました。高2からは俄然目覚め,それには練習時間が足りない!!夜7時になると空くピアノ,そして昔の日本家屋ですから9時を過ぎればご近所への遠慮もあり・・・
前に書いた様に,レコードプレイヤーも無い家。聴きたい曲があると,当時荻窪の北口踏切脇にあった(今は南口にあります)「ミニヨン」という「レコード喫茶」というのですか?そこへ楽譜と共に初めて飲むコーヒー片手に巨匠の演奏に触れたものです。
その頃からは,学校の勉強は長い夏休みなど,母がピアノを使っている間に次の一学期分を自分で予習をし,理解出来ていないところは学期中に出席し,ピアノが空いている午前中,学校をサボって自宅で練習していた日もありました。もうカウントダウンの頃になって漸く,です。
大学2年になり,幸か不幸か,借地を返して欲しいとの地主よりの要請で,家を新しく建てることになり,漸くアップライトながら自分の部屋に自分専用のピアノを買って貰えた時は天にも昇る心地。
ちょっと特殊な例だったかも分かりません。なので大きな事は言えません。
でも生徒たちには恵まれた環境で,のびのびと練習して欲しい,と思ってしまいます。
生まれ持った音楽性豊かな子供は兎も角,出来るだけ偏りのない教育(いわゆる机での勉強ではなく。いえ,それも勿論大切ですが)を受けて欲しいと思います。一生を音楽に癒される為にも。

・・・とツラツラ書き始めてしまったものの,とても「日記」に書けるものではありませんでした。
語弊を招く様なことがありましたがお詫び致します。
それに大まか過ぎたので,これは「その1」として,又続きを書くことにします。


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又,動画です・・ - 2008.04.21 Mon



例の1982年の来日公演を1998年にコピーしてくださった物,薄謝協会の…クレームが来るか,通達が来るか,と思っていたのですけれど今のところ問題がない様で。

という訳で,折角ですから動画機能を又使います。
同じVHSの「王子と王女の物語」
100MBしかアップ出来ない,というその100MBがどの程度の量なのか分かりませんで,二つに分けました。途中ダブっています。
テレビの画面が横長なので,真正面から撮ったので幅広になっています。

さて,有難いことに日本語の字幕付き。
外国語を日本語の字幕にする難しさはよく問題になるところで…全くタイプの違う言語であること,しかも映像を見ながら読める量に絞る難しさ。本当に大変な仕事だと思います。
でも・・ところどころ違和感を覚えます。
「露ほども 気にしない」と書かれているところは,元は「Das sagte der Prinz und nicht ich!(それは王子が言ったのであって私ではない!)」・・ちょっと意訳し過ぎ(異訳??)では・・

改めて字幕用の訳の難しさを実感する機会にもなりました。








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動画その3 - 2008.04.18 Fri





特に何という動画でもありませんで・・・
折角使える様になった機能なので,ウィーンでいつも不思議に思っていた自販機でも載せます
通る度に「どうしてペットボトルが下を向いて入っているのだろう??どの様に落ちてくるのだろう??」と不思議に思っていたのを,丁度親子3人揃ったもので,一人がコインを入れる係,一人が読み上げる係,一人が撮す係,と役割分担したのが下の動画。

暇人,と笑ってくださいませ






それと,今年のウィーンは異常気象で,天気予報も全然当たらなかった程だったのですが,ネットの天気予報も困り果てたと見え,オーストリアは↓こんなでした





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パソコン苦戦記 - 2008.04.17 Thu





帰国してどんどん疲れが蓄積していく原因のひとつには,絶対パソコンがあると思う!!
パソコン,と言っても「パソコン作業」ではなく,飼い主に似た「パソコン本体」のお馬鹿ぶり・・

購入したのは11月半ば過ぎ。
それ迄(Macをお使いの方ならご想像頂けると思いますが),2001年からずっとOS 9の一台を使っていたのです。PowerBook G4というもので,値段を考えたら「ずっと(壊れる迄)使えることが当然」と思っていた愚かなわたくし・・・毎年ヴァージョンアップされたものが市場に出ていることも知ってはいたものの,な~に,みんな宣伝に踊らされて…と相手にもせず。
Pantherが登場した辺りからは周囲に勧められてマニュアルのみ買った形跡。Tigerが登場した時には,既にOS 9は古い,と身をもって不自由を感じていただけにちょっと心が揺れた。けれど多忙に紛れてそのままに。
しかし昨年秋からはいよいよ使えなくなった。まずInternet Explorerが一切機能せず。念の為に入れてあったMozillaも殆ど使えなくなった。Firefoxをダウンロードしろ,と画面が出ても,ヴァージョンに対応していない,と。しかも再起動する度に,何かが損傷しています,とか何とかコメントが出る様になった。その他,ダウンロード,インストールすべきものも一切OS 9には対応しなくなった・・バッテリーだけは別ルートで韓国製が買えたが。

さて,漸く仕事が少しだけ一段落し,親切な友人(いや,あらゆる面で尊敬する「先輩」と呼ぶべき!)が付き合ってくれ,吉祥寺のヨドバシにて必要最低限を揃えた。(注文も,先輩がメモを見ながらポンポンと店員に注文してくれた…私,立っているだけの人
モノは最新のLeopard!!しかもMacBook Proという少し画面の大きなもの(目の事情から)。
帰宅して早速箱を開けてブツをパソコンデスクに乗せ,ワクワクとスイッチを入れてみた・・・が・・・現れたのはTigerの画面。ここで又先輩に電話したところ,早速店に問い合わせてくれ,このブツが梱包の中のDVDでLeopardにヴァージョンアップして使うものであることが発覚した。
道理で安い訳だ!!!いや,決して私にとって安い訳ではないのだけど…しかも中国製。調べてみたら,今はもっと安くなっている様だ。
(そこに至るまですら色々ご助言くださった先輩!有難うございました。帰宅するや,ソケットの接続から電話で訊いたのですから…私の古い方は,丸いものにコードをグルグル巻いて長さを調節するシロモノだったのです…あとは押して知るべし,の質問
部品
(この豚の鼻みたいなのは何?とか電源コードを繋ぐ場所が無い,とか…今はマグネットで付くのですね

部品




さて,迷った結果,どうせまだ色々なソフトが対応していない事だし,とTigerのままで使うことにした。

と,ここ迄は良かったのだが,Tigerとは言え9.2からいきなり10.4です。
メールをどうしたものか・・・それまでのOutlook Expressは使えない。
古い方に入っていたアドレスはExcelに移動してあり,又殆どの中身はMOにバックアップは録ってあったので,まずはそれらを新しいパソコンにMO経由で移すことにした。このMOの枚数たるや・・・(古いパソコン容量は,たったの10GBでしたから)
OS9のフォルダをLeopard,もとい,Tigerのデスクトップ上に作り,MOごと片っ端からずり~~~,ぽとん!ずり~~~,ぽとん!・・・移動しては入るのを待った。
そして,それらを外付けのハードディスクに移動したのではなかったかな?と思う(何と物忘れの早い・・・)
この作業だけでも毎日時間を少しずつ割いて,数週かかった

メールは当面OfficeのEntourageを使うことにした。というのもOEと画面が殆ど同じだったから。でもアドレスブックをコピペする煩わしさ・・・
ところが何かあれこれいじってたところ,アドレスブックにExcelで作った一覧がそのまま入ったではないか!!しかもMacの「Mail」というメールソフトでは,アドレスブックが使える!!
それに気付く迄,古いパソコンからメールだけは送受していた。

・・・と,そんなことをしながら,12月はいくつか入っていた仕事を終えた。
そして出発にあたり,やはりLeopardにヴァージョンアップしておこう,と大嫌いな円盤作業(のインストールを私はこう呼んでいます)を我慢して行う。



ウィーンではブログの通り,問題なくパソコンを使い,不明点は持参した5冊の本を調べつつ,一度も苦境に立つこともなく過ぎた・・・

問題は帰国してから。

その1.メールが消える!!それも.macのアドレスに限って。
これは,古いパソコンを開けてメールを送受する時に消える事が判明。他のサーバーのものは両方で受信出来るのだが,.macのものは古い方で受信すると,新しい方の既に受信トレイに入っているものが消えてしまうことが分かった。古いパソコンは10分おきに自動受信する設定にしてあったので,メーラーを開いて古いメールに返信を書いているからいけないのだ!と,気付いてまずは自動受信設定を解除。念のため,アカウントから.macも削除した。その間,諸先輩に頂いたご意見,有難くお礼申し上げます。でも,結果的には駄目でした・・・他のアドレスがPOPであるのに.macのみIMAPである事と関係しますかね?サーバーに保管出来ないのです。もう古いパソコンは開きたくない!となった今は(しかもそのパソコンの上には年賀状や手紙類が山積み),12月まで古いパソコンに頂いたメール,及び新しいパソコンから消えてしまったメールの返信は放棄することにさせて頂きました。古いパソコンにて拝読しておりますが甚だすみません。そういう事の次第です。

その2.夫のパソコンをXにヴァージョンアップする試み。
夫のパソコンは既にXが主流になっていたにも拘わらず,9で設定してずっと使っていた。というのもその前の年に買った娘の9は,Xも入っていたのだが,うまく設定が出来ない頃のものだった様で,それを聞きかじっていたのと,Xの使用では,9を使用している家族達から教えて貰えない,と思ったのだろう・・・
去年からXにしたい,と言いつつ行動に移さないじれったさ!!とうとうヨドバシにて外付けハードディスクを買い,まず念のため中身全て(HDも含め)のバックアップを録った。そして購入時付属のマニュアル通りの作業でめでたくXが開けた!!
とは言え10.1です…(でも既に,「ドック」,そしてメールも「Mail」だったのですね~~)
ただ!!ここからが報われない諸事。
まずIEのヴァージョンアップも出来ず,Appleのサイトすら開かない。Xとはまさに名ばかり。9と同じです。幸いMozilla系の「和じら」なるものをダウンロードしてあったので,当面は9経由でWazillaを使って貰うしかありません。Xに対応していないものは9で開けるので,我慢して頂くしかなさそうです。(最初からXで使えば良かったのに!と私は思ふ

その3.私のTime Machineが機動しなくなった!!
それ迄と同じ様に,いくらHDDを繋いでTime Machineをクリックしても何も起きない。次のバックアップの時間が出るのみ。ならば,とその時刻まで待つが,その時刻になっても何も起きず,画面には次の時刻が出るだけで終わる・・・
つい最近,MacBook Proでの不具合を解消する,という「ソフトウェアアップロード」のお知らせが出ていたのだが,「これは時間がかかります」「うまく行かない場合もあります。その場合はAppleに連絡して解消してください」その他,読むのも億劫な諸々の説明付きだったので放置してあったのだ。
でも,関係あるかも・・・・と意を決して(何と大袈裟な!)アップデートのOKをクリックし,出るコメントは手書きで書き写し,スリープマークがチカチカしてバーン!と音がするまで電源ボタンを押して待ちました。思っていたほど時間もかからず,一発OKだったので安心。
そしてHDDを繋いでTime Machineをクリックせども,何も動かない。4月9日までは繋いでクリックだけすれば難なく自動的にバックアップを録ってくれていたのに・・・どうやらそのアップデートとは無関係の様です。
さ~~~,どうしたものか・・・と,「トラブルシューティング」の本をぱらぱらめくっていたら,メニューバーのタイムマシンのアイコンから「今すぐバックアップをとる」を選べることが判明(以前からそれもあったんですけどね~~~・・・)。駄目元でやってみたところ,すんなり稼働するではないですかい!!

・・・と書いてみるとたったこれだけの事なんですけどね,専門外の事で脳を酷使しましたよ,実に疲れました!!
でもね,長生きしてみるものです。知らない世界に触れるのも又楽し。(どこかで「迷惑だ!」との声が聞こえる気がしないでもないが・・・)一生アナログ人間であろう,と思っていたこの私が!!

と,こんなつまらない文章を最後まで読んで下さった方にはお礼&お詫びの言葉も見つかりません

2001年に初めてパソコンを購入したいきさつは又改めます。(これを書こうとして画面を開いたというのに




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その後(タイトルに困る日々で) - 2008.04.14 Mon




帰国以来,全く変わり映えのない退屈な日々を報告するのも躊躇われるほどで,書くことといえば「ミニッヒ」と「通院」ばかり。
自室に戻ったり,外から帰ったり,その都度CDーRにコピーしたミニッヒをスイッチオンする嬉しさ!!

・・・とは言え,他にも書きたいことは山ほどあるのですがね・・
うんざりする様な,私の新しいパソコンのお馬鹿ぶりとか(飼い主に似たらしい…),夫のパソコンをOS9(全員Macです)からOS Xに切り替える作業をしたことなども。
でも,それらは後回しにして…。

一昨日は中1以来の友人二人と新宿にて会って来ました。いつ以来やら……(去年であることは確かなのだが)
某ホテルのケーキバイキングを予定していたのですが,予約無しの客は凄まじく待つ,と二階のカフェを勧められ,そこのラストオーダーまで居座りました。
その時,「ラストオーダーになりますがご注文は?」(だったかな??「飲み物のおかわりは?」だった気も)と店員に訊かれて,友人のひとりが「そろっと行きますので」と穏やかに断った。「そろっと」???私たちコソコソしなきゃぁならないこと,何かしたかしらん??
友人曰く,ウン十年住んだ嫁ぎ先の地方では「そろそろ行きます」を「そろっと行きます」と言うのだそうな・・・
(ひとつ賢くなりました。ホント,東京しか知らない私には,土地による言葉の違いって大切ですよ。誤解を招くこともある訳で。と書きつつチョット苦しい…笑ってよじれた腹が未だに…)

さて,そして場所を変え,京料理。(ここはラストオーダー迄居たのでしたっけ??何と物覚えの悪いこと

ごちそう

(↑少し食べかけてしまってから)



昨日は,息子とその相方さんより昼食を招待され,吉祥寺の某店にて美味しい和食のコースに舌鼓。
嬉しい話もあったし・・・あ~~~!料理の写真も人物も写真撮るの忘れました。




さてさて,今日は相変わらず病院・・・
整形外科に4ヶ月ぶりに行ったことになります。
病気そのものから来る諸症状は兎も角,この手の炎症であります・・

瓶の蓋が開くと思って,思いっきり捻って・・と言うや,先生は,あぁ,ここ腫れてますね,と。
そして隣室よりパンフレットを持ってきて下さいました。

親指パンフ


パンフ2


脱臼はしていないので,時間が治してくれるであろうとのこと。ピアノも「弾かない訳に行かないでしょ?」と言われ,とてもとても「弾かなくても構わないんですけど」とは言えなかった。時間が治してくれるに任せてよいのなら,家族たちをこき使って,ぼ~~~~~っと過ごしていたいのだが,益々家の中が散乱することは見えておる  
肩は,これと関係あるかも知れないし,四十肩・五十肩の類かも分からないし,と。(やはり一ヶ月も放置しては…

と,どなたがお読みくださっておられるのかを考えることもなく,最近開けっぴろげな日常を書き過ぎている気がし,反省もしておりますよ

今日は院内コンビニではなく,近い方の普通の売店で買い物をし,薬局で山ほどの整形外科系の薬(湿布約200枚を含む)を頂いて参りました。
受診の折,「こうはつ医薬品」という単語を言われ,頭の中は「好発?」「後髪??」等々,一瞬何だか分かりませんでしたわ・・「ジェネリックって聞いたことない?」と言われ,あぁ,それならよく分かりますよ・・CMでさんざんやっていましたからね。
この4月から,医師の署名の無い処方箋を持参すると後発医薬品」が処方されることになったそうで(薬局で,大きく書かれたポスターを見て変換が分かった)。
それで先日来,薬剤師たちさんより「ジェネリックをお出ししますか?」と訊かれていたのですね~~・・
私の場合は公費負担にて自己負担額はゼロなので,「お任せします」で過ぎています。


又,馬鹿な日記になった気が・・・構わず送信・・・





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まだまだ - 2008.04.11 Fri






病院に行く度に体調を崩すのは気の所為だろうか??

昨日は朝食抜きで血液検査を受けた。これは慣れていることなので兎も角として、その後6階のカフェに出向き朝食セット。1時間ほど待って皮膚科受診。

その後、留守中に来ていた請求書を払うべく院内のローソンへ。ついでに無精をして他の買い物も済ませてしまう。雨だったので・・・
・・・でも、よく考えてみた。院内のローソンよりも我が家から最寄りのファミリーマートの方が近いのでは??
今日は脚までだるい。

前回のリハビリ、握力を測った時に思いっきり握ったのが災いしてか(何も検査で自分を良く見せることはないのに)、左手まで親指の関節が痛くなっている。右手と来ては、手が治らないのは勿論、今では上腕に激痛が走る。最初は上腕三頭筋だったのが二頭筋にも広がり、今は三角筋が痛くて肩を思うように動かせない。思わずいたたた・・・・と作業(服の着脱を含む)を止めざるを得ない。
四十肩を三十代でやったけれど、五十肩はやっていない。今頃か??…乳癌だの多発性筋炎・皮膚筋炎に隠れて過ぎたと信じていたのだが。

旅行の荷物を片付けたり、又その為にはスペースを作らねばならず、もう使わない本や冬服を収納しよう、と思っても、こんな調子なので実にじれったい!!余計に散らかるばかりで
幸いパソコン(ラップトップ)では、手首~前腕半ばまでパソコンの上にどっかり乗せ、両手の第2~5指だけで打っているので支障は全く感じない。
それならば、とドイツ語のメールをあちこちに送れば良いのだが(更なる返信も書かねばならない)、どっかり乗せた腕を持ち上げて辞書 -それも電子辞書なのに- を引く煩わしさ(スミマセン…つい本音が

幸い、来週の月曜に整形外科の予約が入っているので、じっくり相談して来よう・・・とは言え、1ヶ月経ってしまっていては・・・
まさに日頃の行いの悪さが故、ということなのだろう


病院の予約は、3月24日に夫が代理で出向いて薬を貰い、入っている各科の予約を全部延期してきてくれました。感謝(たまには




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相変わらずです - 2008.04.10 Thu




LPをCD-Rにコピーしながら、漸くピアノの上の物を片付け、蓋を開けられる状態にしました。
数ヶ月留守にするにあたり、ゴミが入り込まない様に(弾いていればゴミは入っても飛び散るので日頃は開けっ放し)蓋をして出掛けたのであります。

CD-Rへのコピーは通常、音が数秒止むと自動的にトラックが新しく表示されるのですが、LPのザーザージリジリという音が終始鳴っている為、1枚まるごとトラックひとつになってしまいます。
それは兎も角、1枚が終わっても気付かないでいるとザーザージリジリばかり入ってしまうので、部屋に籠もって片面終わることを確認し、停止させて裏返し・・・

でも、こんなこと↓をしていたので、ザーザージリジリが数分続いて入ってしまいました。

目下のパソコンのスクリーンセーバーを下の様に設定・・・




(3分パソコンを触れずにいるとこうなる設定。これは2分50秒で止めましたが、実際にはもっと色々な写真が次々15分間登場し、スリープに入ります)


その他、某身内からネットのパズルが送られて来て(モノは…当然P.M.), 誰でも自由に作れるというので、毎度お馴染みのこれを使って作るわたくし・・・

皆さまもどうぞお気に入りの写真にてお作りください。ピースのサイズも大小色々選べます。



今日は病院の予約あり、朝一番で血液検査及び皮膚科。
検査結果はまだ出ませんが、特に何もないでしょう……コレステロール以外は……


と、馬鹿丸出しの日記をお許しください







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ここ数日 - 2008.04.09 Wed




7日の病院予約は、膠原病内科の他、丁度リハビリのPT(physical therapy) とOT(occupational therapy) も入っており、両方にて腱鞘炎の話も出来ました。PTは3ヶ月毎に診察があるのです。

PTでは「ドゥケルバン腱鞘炎ですね。ここが痛いでしょう?」と。流石プロの先生です!
ただ、きっと最初はそれだけだったのでしょう。(小声で)今は他の場所も数ヶ所痛い……

捻挫にせよ腱鞘炎にせよ、私の生徒や子供たちに言って来たのと同じことを先生方から言われて…反省あるのみ。
結局最初の「安静」と「よく冷やすこと」に行き着きます。
4週間近く経ってしまっている今となっては遅いのですが。
それと、使わずに弱くなったものを「使うことで治す」、というのは一理あるそうです。ピアノをサボったことで、本来腱を保護している周りの肉が取れてしまったのなら、ピアノを弾くことで腱を囲み保護する筋肉を付けてやる、というのは良い様です。

PTで握力を測ったら、痛い方の右手は30kgあり、左手は27kg。ピアノを何ヶ月も弾いていないことを思えば上出来です。皮膚筋炎は関係なし!脚力も調べましたが、先生も驚かれるほどアップした様です。流石、あの階段と坂道・・・ 
尤も、朝起きた時には手がこわばり、ふにゃふにゃと(脚も)急に動き出すことは出来ません…(これは年齢の所為???)

そうそう、生徒や我が子たちに言っていたのは、兎も角即座に冷やす!3日間冷やして、その後は温める・・・ギックリ腰でも。
これは確か、娘が小さかった時、どこかの病院に付き添って言われて知ったことです(足のテーピングは看護婦並に慣れているかも)。
知っていることと、実行することは全く別です
もう発症して4週間近いし、すぐに冷やさなかったし(ピアノが目先に無いと無頓着です)、毎日痛い痛いと思いつつ、包丁で野菜刻んでいました。帰国間近で荷造りもせざるを得ず・・・

今となっては自覚症状でその都度判断し、自分で管理するしか無さそうです



ところで、ここのところPeter Minichばかり聴いているのは、まるでどこからか信号を送られているが如し。
昨日今日は、持っているLPをCDにコピーしました。もうちょっと持っていた様な気がしたのですが・・
尤も、4つのジャケットのうち2つは2枚組です。LPは裏表両面ありますから、可成りの量です。3つはサインがあり、1つに無いのは、サインをして頂いた翌年発売のものだから。
発売された年代順にコピーしたのですが、何と!最初の曲は奇しくも

ぐりゅーす おいひ ごっと!(Vogelhändlerより"Grüß' euch Gott!")


Minich LP


(以下、発売順&ジャケットの表・裏の順で)
Minich LP3


Minich LP4


Minich LP5


Minich LP6


Minich LP7


Minich LP8


Minich LP9


Minich LP10





(しつこいながら30年昔)
30年昔


この写真、常に家のどこかに飾ってあり、幼い頃から見ていた娘は、私のピアノの恩師の誰かだ、と思い込んでいたそうです・・・




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動画その2 - 2008.04.07 Mon

Peter Minichの素晴らしさは執拗な程書いておりますが(2月11日、2月21日、4月2日の日記辺り)、動画をアップ出来るとなれば、先日のVHSヴィデオから・・・
まだ著作権は日本薄謝協会(略してNHKと言う)にありますか?
支障がある場合はご指摘を!削除致しますので・・・

先日書いた通り、どなたかに頂いた1982年の録画を更に1998年にコピーしてくださった、というものから、通称「マキシムの歌」(ダニロ登場の歌・Da geh' ich zu Maxim)。
他の歌い手さんや、他の歌劇場と、決して比較すべきではないと思うのですが、彼は当初役者歴も長いことも一因でしょうか…才能でしょうか…「演じて」います。他の多くの歌手たちが旋律線に乗ったまま歌うところを語っています。









さて、私は悲しいかな、現実に戻って病院の予約(膠原病内科とリハビリ)に出向いて参ります。




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動画がアップ出来る様になったらしいので… - 2008.04.07 Mon

ちょっと時期が戻りますが、試しに動画をアップしてみます。
ウィーンのKalvarienbergkircheに於けるイースターの月曜夜のミサ。
最後のハレルヤコーラスの、それも最後の部分です。
うまくアップ出来ると嬉しいのですが・・・





著作権はFC2に移動してしまうのかな???
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疲労感 - 2008.04.06 Sun




段々疲れが出てきた気がする。予測していた通りだ…渡欧後は大抵このパターンが故…

先日約半年ぶりに自転車に乗った時,乗ることには違和感もなく,ごく普通に漕いで走ってきたのだが,帰宅したら妙にふくらはぎが引き攣っていた。太腿もだるい。さほどしっかりハンドルを握った覚えもないのに,手はこわばっていた。(そんな日の夜に,4ヶ月ぶりにピアノを弾いてしまった訳だが…)
我々の年齢になると翌日には影響は出ない,と言うけれど,本当にその通りで,徐々に全身に影響が出て来た。これが自転車の所為だけかどうかが分からないのがややこしい
一昨日は確か背中から肩まで4枚湿布を貼った。
帰国してからずっと,起床時に手のこわばりと脱力感あり(両手共),牛乳の既に開いているパックを開くこと,カップに注ぐこと,更に電子レンジに入れること全てに力不足を感じていたのだが……そんなものかも,と気にも留めていなかった。
昨日辺りからは全身疲労。(だから昨日はピアノの実験は控えた)
そんな折,有難い世の中は,以前だったら1-2ヶ月かかったであろう荷物3つ(捨ててもよい,と貰ったスーツケース2つを含む。全部満タン)届いた。所謂昔で言う「船便扱い」のものだが,今は「エコノミー」にて郵便や小包のPriorityを付けないだけの扱いと同じらしい。
中味は,私のものは洗濯物(!)と本 -紛失しても再度買うことが出来るもの- その他は,一応持って帰ろうかという程度のものばかり。
こんなに早く&速く,しかも開けられた形跡もなく届くのだったら,お土産用の品々,及び自宅でウィーンを味わえるあれこれを(スーパーで)買い込んで送るべきであった!!と甚だ後悔・・・
話が逸れた!それで届いた荷物を一階で開梱し,少しずつ分けて二階へ運ぶ・・・これが可成りヨタヨタと・・・

という訳で,腱鞘炎<上腕の痛みと背中の違和感を含む全身疲労 の不等式にて腱鞘炎の記録はお休み。



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時計を合わせ… - 2008.04.04 Fri




どの部屋の時計も止まっていたのは電池交換で動き出しました。電池を一体何個使ったろう

ついでながら,カレンダーと来ては…去年の11月のままが3箇所。

月日の経つのはどうしてこんなに速いのだろう??
・・・・・って,この事が最近話題になった様な・・・




思い出しました!!
1974年から一年お世話になった下宿の家主さんを訪ねた折のこと。
時の過ぎるのは何て速いんだ!!歳を取るほど速い,という話について,「どうしてだか分かるかね?」と。
それは相対的感覚で,10歳の子供にとっての1年は,自分が歩んできた長さの10分の1,20歳の人にとっての1年は自分が歩んできた長さの20分の1だけれど,50歳の人には50分の1,80歳には80分の1・・・となるそうです。いたく納得
人間は年齢に関わりなく常に「自分の過去=1」と感じている訳ですな・・・



それ以前に,うたた寝ばかりしている私は,分母が増えるのか,分子が減るのか,それとも??
いずれにせよ「1」というのは自分の過去の起きている時間ではないか???
勿体ない人生かも・・・(既にうたた寝から起き,そして,もう寝ようとしている)




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腱鞘炎の記録 - 2008.04.04 Fri





3月14日(3月中旬の金曜だった事を覚えているので)に「うずらの卵」の瓶の蓋を開けようとして右手首を強く捻ってしまったことはどこかに書いたが‥‥

その後使い慣れた湿布や「ぎっくり腰」用の飲み薬も使った事も書いたが‥‥

結局治るどころか,どんどん酷くした。
原因は -勿論私が12月からピアノを離れていることで,日頃の「普通」を遥かに下回る筋力(腱力?)となってしまっていたからの他何ものでもないのだが- その他にも条件は重なった。

バスタブの栓の開閉をするノブ(と言うのか?)が,私の手の平には大変大きく,しかも固い。つかみどころの無い様な形で。それで風呂を溜めることは控える事となった。ところが,シャワーと蛇口の切り替えが又,素晴らしく年代物と思しきもの。切り替えのつまみを強く引っ張りながらハンドルを上げる。ただ,上げ過ぎると出過ぎて,シャワーの反対側の亀裂からお湯が漏れてそこいら中水浸しになる為に遠慮がちに上げる。そうするとシャワーにならず,この丁度良い加減が甚だ難しいのだ。右利きである事と位置的な関係で,右手で引っ張らねばならない…不可能な折は両手で…するとお湯を出すハンドルを上げるための手が不足……
それなら出しっ放しで浴びればよいか,と思うが,そうも行かない。上の方々と全員の人数!朝5時から夜11時までは常時120リットル75℃のお湯が貯まるタンク,夜間電力よりは遙かに有難いのだが,何かで同時に続いて風呂を使うと,あっと言う間に水になるのだ!
ついでながら,トイレを流す為に押し下げる部分(何と言う名前なのだろう??)も凄まじく固い。
いやはや……

そうこうするうちに荷造りをせねばならなくなり,どうしても右手親指を使わずには何も出来ない。
一番痛かった頃は箸も持てず,紙一枚をつまむにも痛かった。
が,紙は兎も角,娘も私も「ご飯」というものに特にこだわりはなく,左手でフォーク,右手でスプーンの食事で事足りてしまう献立ばかり。
イースターのカードを書いた頃はヘロヘロの文字だった気がする。

さてさて,兎も角湿布をして使わないでいることにしたのだが,荷造りだけは避けられず,段々左利きの様な生活と化した。効かない飲み薬は,胃を荒らすだけなので止めた。


帰国し,荷物をほどくのも痛いので,これは徐々にしよう・・・

・・・・・ふと思った。
ピアノを弾かずに弱くなった筋なら,ピアノを弾いていたら元に戻るのではないか??と。
昨晩,4ヶ月ぶりにピアノを弾いた。正しくはピアノの曲を弾いた(1月末にチェロの伴奏で,殆ど合わせずに&さらわずに済む3曲を伴奏したのだが,これは指は殆ど動かさない曲ばかりで)。
ある程度手を開く曲で,さほど負担にはならない曲,ということで,何年も弾いていないショパンのバラード3番。流石にオクターブは痛い。そっと,強くてもmp~mf程度で弾いてみた。
私の手はオクターブがやっとの大きさ。左手は180°開いて9度が何とかつかめるのだが,右手では180°開いたところで 9°は白鍵の隅と隅をやっと触るだけなので,せいぜいpしか出ない・・と,どうしてこれでピアノの道を選んだのだろう?というサイズ。
なので,バラードの3番は可成り開きっ放しのきつい曲だと思った。
でも最後まで弾くには弾けた。途中一箇所詰まったが。

さて,今日はピアノを離れて手をあれこれ動かして(開閉して)「痛い」と思うところを揉みほぐしてみた。
その上で,同様に昨日のバラードを一回通した。昨日よりは楽にオクターブも届いた。その後,シューベルトのOp.90/2やショパンの幻想即興曲をいきなり弾き,どの程度指が動くか確認。(これはね……親指の腱鞘炎とは関係ないので,指練習をすれば動く様になることなので…)

という訳で,自己流で暫く治してみようと思う。

いざという時には整骨院もあるのだが(ギックリ腰の人が這いつくばって出向き,帰りはスタスタ歩ける,という),財布と相談すると通う訳には行かない現状でして・・

今後,時々経過のを報告いたしませう・・・素人療法の・・・






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神田川の桜・追記 - 2008.04.03 Thu



神田川の源は井の頭公園にある湧き水。

神田川2


尤も今ではポンプで地下から吸い上げているらしいのだが・・・それにしても風流。
ここは昔から「御茶の水」と呼ばれているらしい。いにしえの人々がこの水でお茶を立てて味わっていたかららしい。




さて,井の頭公園と言えばお馴染みの池。
生徒のひとりが携帯で写真を添付して送ってくれましたのでアップ。

         ↓

井の頭


井の頭






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花見かたがた - 2008.04.03 Thu




今日からは「主婦の日記」であります

数日気温が低かった所為か,それとも私を待っていてくれたのか,桜が散っていない
昨日は曇り空を窓から見て,結局夜になってしまったのだが,今日は晴れているではないか!!
夕飯の買い物かたがた神田川沿いの桜を見て来よう。

自転車で道順として,あれこれ用を足すのが先になってしまった。
スーパーで買い物をし,今日は夫と二人だけらしいので【手抜き】を決め,折しも「さくらおこわ」が広告の品。にんまり。二人分のこれを作る作業を思ったら,万歳!!

パプリカ(で正しいですか?黄色や赤の大きなピーマン)を買おうとしたら一個259円もするではないか。止めた・・・ウィーンのスーパーでは3個入(黄・橙・赤)で2ユーロ位だったことを思い返し,これはもう食卓から消えた・・・

毎日ペットボトルを持ち歩いていた習慣が抜けず,ガス入のミネラルウォーターを探したけれど無かった。もとい,財布と相談した結果無かった。しかも透明なりんごジュースと割っていたのが,これも駄目。

ところで,我が区ではこの4月からゴミ収集の方法が変わりました。
スーパーのレジ袋も有料に。
これらだけはしっかりウィーンで学習して身に付いて帰ったのですが…分別方法は違うのでした。
つまりは埋立地に埋められるものを少なくする,ということなのでしょう。プラスチックなどは燃やして良い……これ,地球温暖化の原因になりませんか?


さて,買い物を終え,お花見。
散らずに待っていてくれて有難う。
段々曇ってきてしまいましたが,充分楽しめました。


桜2


桜


桜3



自転車を片手で支えて片手で撮る無精者。
(神田川沿いの桜)
桜4



(きんかん??)
桜5



(神田川に散った桜)
桜6



(拡大)
桜7



(さかなをとらないで下さい=撮らないで下さい???)
桜8


桜9


桜10



途中から鼻水が・・・花粉ですな・・・(治ったと思っていたのは,どうやら天候の所為だった様です)

帰宅して,自分の部屋に小さな冷蔵庫があることを思い出しました。
呆れられそうですが,存在を忘れるほど荷物が散乱して隠れているのです。
しかも開けてみたら,ガス入の水だの何だの,賞味期限切れています。
別に大丈夫でしょう……我々の世代のお腹は丈夫です。

それよりも,すぐ近くの小学校(子供たちがお世話になった)の入学式,桜保っていて欲しいものです。


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まだウィーンを引き摺っておりますが - 2008.04.02 Wed




29日に私の留学時代最初に下宿させて頂いた家主の息子さん夫妻を訪ねたことは書きましたが,私のドイツ語の部分の日記を全て既に読まれて,楽しく読みました,とのこと(パソコンは操作が苦手,というご主人に,夫人がプリントアウトまでされて!!)。
マジョルカ島にてウィーンの4倍大きなCremeschnitteを食べたことを読まれ,ウィーンの老舗デーメルの大きなCremeschnitte も用意してくださってありました。「も」というのは,更にSacher Torteも!それも二種類!!普通のと,リキュールたっぷりのものと・・・何という粋な計らい!贅沢なおもてなし!!

Peter Minichの話も・・・
当時,下宿が本当に7時までしか音を出せなかったの?と。当時は下宿そのものの所為ではなく,上の階に大変小さなお子さんが二人住んでいて,7時就寝,ということだったらしいので,家主さんの意志ではなかったのです。結果,Peter Minichの大ファンとなり,それはその後もずっと私のピアノに影響を与えていると思うので,決して演奏は練習時間のみと比例する訳ではない・・・等・・

ギーゼキングのメトーデをどう思うか,としきりと訊かれ(楽譜を1曲全部目からのみ読み -楽器を使わず- 暗譜してから初めて音を出す,ということについて),指揮者は実際そういう準備をしているので大切なことだと思うけれど,ピアノはフィンガリングを決め,指が全てを覚えるので,最初に譜だけ頭で読んで頭に入れることは大切だと思うが,その後でタッチを決めたりフィンガリングを決めたり,結局私には何ページもの譜を先に目だけから記憶することは不可能…と意見を述べたり,又,或いは宗教の話…日本でよく訪ねてくる「エホバの証人」という新興宗教(という言葉は支障ありますでしょうか)は,ウィーンでもゾロゾロ女性達が「エホバの証人(そのまま"Zeugnis von Jehova")」を名乗って来るそうですが,どう思うか,とか,日本の宗教の信仰配分は?等,つくづく祖国を知らないことをいつも思い知らされ,その時だけは反省します。

ご主人は元製薬会社の社長のみならず,80歳を過ぎた現在でも甚だ広範囲の趣味・興味をお持ちで,いつぞやは日本の「根付」の模様の種類の本などを見せて下さり,すっかり知識を逆輸入したことがあります。
その他,当然ながら医学の話。利き手と言語中枢の話。出血などで傷ついた脳が,トレーニングで反対側にゆっくりとシナプスを伸ばし始めて言語中枢を作りだすこと。
しかも「人類は死ぬまでに20%しか脳を使わない。残念なことだ。全部使えたらどんなにか嬉しいのに…」って,おじさま!おじさまはどれだけ大きな脳をお持ちで!?と言いたくなるほどです。 その他昔話は山ほど,午後の4時間はまるで何日にも及ぶ様な内容となりました。楽しかった!!今回は娘も,2ヶ月のドイツ語講座(週1時間半×3回の授業ですが,家での自習や,ドイツ語のテレビゲームをするなど)の成果は大きく,話を聴き取るには何の不自由も無かった様です。



と,話が又ウィーンに飛んでしまいましたが,頭の回路が段々繋がり,我が家に確かPeter Minichの演ずる「メリーウィドウ」のVHSヴィデオがあった様な・・・と思い出してきました。
帰国してどうしても気になり探し出しました。
私は,妹から貰ったか借りたかしていた様な気がしていたのですが,記憶違いで,テープに書かれた文字の筆跡も全く判別の付かない方です。
1982年6月にVolksoperが来日した時に,NHKで放映されたものを録画し,それを1998年に更にコピーしたもの,と注釈があります。
1998年の私は,後に多発性筋炎と分かった症状が出始めた年。乳癌が見つかり手術をした年。1999年には更に皮膚筋炎を発症して長い長い入院生活を送った年。おそらくそういう事に関連してお見舞いかたがた下さったかお貸し下さったか……現実,再生する気力も体力も無く,忘れた存在になっていたのです(これを読まれ,「私が貸した」ことを思い出して下さる方がいらっしゃいましたら,お知らせくださいますでしょうか?)。
放映の1982年6月は,私は娘がお腹に居て,切迫流産を繰り返していた頃。Volksoperが1980年代には随分来日公演し,ペーター・ミニッヒも当然来日! 「ミスター・フォルクスオーパー」と呼ばれるほど大活躍されていた時期だったのですが,私は残念なことに二人の子供を追いかけている現実,仕事も最低限ながら,睡眠時間を削ってフラフラで,フォルクスオーパーどころか,あちこちに不義理を続けるばかりで過ぎていた頃です。とても趣味の世界も無く,子供を寝かしつけ,自分もぐっすり眠ってしまっていたのを「起きねば,起きねば」と何とか起きて練習していたのは30代だったから出来たこと。
子供達を自転車の前後に乗せ,幼稚園の送り迎えや,子供たちのお友達の家の送り迎え(生徒に10分間の課題を与えて,その間に自転車を走らせて迎えに行く,等),今となれば懐かしくもあり,子供達のお蔭で鍛えられたとも思い,それでも過ぎてみれば,せめてVolksoper来日を観に行く時間を無理して取る事は出来なかったのだろうか??と悔やまれます。おそらく私は,「ウィーンでの生活を思い出す」ことすら避け,ひたすら現在のみに集中しようとしていたのではないか?と回想します。



・・・・・で,又話が逸れましたが,見つけたVHSを早速再生しました。確かに音も画像も劣化はしていましたが,ミニッヒの歌と演技は充分に堪能出来,甘い歌声,様々な表現力に改めて心惹かれ,何度も戻っては再生!!
又他の役者さんたちの何とも言えない味も含め,既に「かつての佳き時代のVolksoper」になってしまったのだろうか?と思ったり…。
勿論現在も大変素晴らしいのです!!でも,どこかが……

どうしてその様な素晴らしい演技が出来るのか,という質問に対し,かつてミニッヒ自身の答えを何かで読んだことを思い出しました。「観客の為に自分を完全に開くこと。役をオーソドックスに解釈しながら自分なりに解釈し工夫出来る部分も当然ある。そこに自分の全部の性格や個性,そしてカリスマを注ぎ込み,それを観客に全て開けっぴろげにする,すると観客も自分の現実から解放され,自分たちの前にいつの間にか現実には見えにくい世界が開かれて,舞台を観ながら夢を見,遊ぶことが出来る。それがオペレッタの醍醐味」といった内容。でもこれはオペレッタだけではなく,ピアノ演奏でも同じ・・・と痛いところを突かれている気が常に・・・つまりは個性のみならずあらゆる性格,了見を広げねばならないこと,カリスマ性も持たねばならないこと・・・

とは思うものの,ミニッヒのステージは,もう全面的に「素晴らしい」「素敵!」・・・・ひたすら夢に誘われているだけになってしまったのですが‥‥

支離滅裂な,ただ長い文章になってしまいました。
まとまらないまま,ここで送信。
旅行(引っ越し?)荷物の片付けをしなくては・・・







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プロフィール

奥 千絵子

Author:奥 千絵子
★上の画像は2001年にCDにして約3枚分を収録したものを,2006年に2枚組としてリリースしたCD「樂の音に寄せて」です.『レコード芸術』2007年1月号で「特選盤」として取り上げられました.戸倉新樹教授によるライナーノートは医学生にもお薦めです.その他のCDや著書はWebsite「本館」からお入りください.このブログも「本館」のDIARYです.
★このブログの"Grüß Gott !" (文字化けの場合はGruess Gott!)は墺・南独の時間を問わない挨拶です.Website「本館」のDIARYです.出版CDや著書の詳細は「本館」のメニューからお入りください.
Website「別館」もあります. 著書「ピアノと向きあう」の説明を補うサイトです.よく頂く質問に説明を記載しています.
★上記著書については今井顕 氏によるKINOKUNIYA書評空間WEBLOG を是非ご一読くださいませ.
Auch auf Deutsch schrieb ich…
★【膠原病の記録】余りに医療のカテゴリーがが増えてしまったので目下整理中です.大変複雑な病気の経験が同じ病の方々への参考となりましたら幸いです.
「乳癌と膠原病(皮膚筋炎・多発性筋炎)」「膠原病(退院後)」 ,その他の医療の話(自分以外も含めて)は「医療・病院関係」,に取り敢えず分けました.
平成12.12.12.病院での復帰リサイタルは演奏動画入り記録です。
★恩師のことは55年間を遡り少しずつ記載するつもりです。目下のところはこれだけです.
★コメントも大歓迎です。SPAM防止上、確認後に公開しております。ご理解をお願い致します.
★このブログや大元のサイトへの感想やお問い合わせはservus2008@gmail.com宛に@を半角に直して送信願います.
【BGM】
Robert Stolzメドレー
演奏:東京カンマーコレーゲン 
室内楽アレンジ:奥 千絵子
ショパン:華麗なる大円舞曲Op.18
演奏:奥千絵子 ショパンのワルツは上の画像の2枚組CD「樂の音に寄せて」に入っております.
★Copyrights©1997-2020 Chieko Oku All rights reserved.
制作・著作:奥千絵子
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