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2008-02

春が来てしまった!?その2 - 2008.02.28 Thu

昼は娘と43番の終点で待ち合わせて昼食。
最近この一角では専ら寿司屋だったのだが,今日は快晴,そして暖かい。
ウィーン料理を食べさせてくれる店の,外に並べられたテーブルがオープン!!
今日はここにしよう!
娘は鶏のレバー,私はコルドンブルー。

ところで,昨年渡墺前から,本当に何か悪い病気かもしれない,と思うほど何も食が進まない数ヶ月,ひたすらスペインで何か食べられる様に,を目標に体調を整えていたのが嘘の様!漸くこちらの料理のメニューから楽しんで選べる様になった!!

夜になると点灯するであろう電気が庭に張り巡らしてあった。
穏やかにのんびりと時間が過ぎる。

春


春2



買い物をして帰宅。



春が1-2ヶ月早くやって来た様な,ここ,ウィーンの森に近い家。

友人であり家主である夫人が,「庭へ行ってみた?」と。
花々が咲き出しているから,と言われ,早速二人で繰り出した。「繰り出した」は大袈裟だが,片側の道路から坂の上の道路まで約500メートルはあろうか。それとも1キロくらいになるのだろうか。ちょっとした散歩。

これが何の花,これは何,・・とドイツ語で説明されて,その時は一生懸命に覚えたつもりが,日本語すら怪しいこの頃。3回反復しても次の花の名を覚えるともう忘れている・・・メモ帳を常に持参する必要性を大いに感じた(日本語のメモも!)後ほど名前を書き出してくれるとのこと。(後日書き加えます)


春5

左の白いのは「Schneeglöckchen(ユキノハナ)」,右の少し大きなのは「Schneerose(クリスマスローズ)」



春17

紫の花は「Leberblümchen(スハマソウ)」



春16



春14

Veilchen(スミレ)



春12



春11



春9

Salbei(セージ)



春8


春7


春6


春5


春4

Schneeglöckchenでない,同じ色のものはPriemel


春3

紫の花はKrokus(クロッカス)



木ではりんごの木,洋梨の木,杏の木,桜の木,これらは実がなっていないし花も咲いていないので区別つかず。

春22

胡桃の大木が昨年の大嵐で倒れてしまい,無惨な残骸が残っていた。
夏用のボートが転がっていた。

春13


春24



来た庭を振り返ると,可成りの坂なのだろう,遥か彼方に山が見える。Wilhelminenbergという山だそう。周囲全体小高い丘が沢山ある,と思いきや,大体標高4-500メートルで,名前が付いた山らしい。

春21


鳥がさえずっている。
カメラを向け,一枚望遠撮影成功。その後逃げて行ってしまった・・

春20


春23


途中フェンスがあり,その扉を開いて更に行くとあずまやがある。数年間に新しくあつらえたそうで,コーヒー一式を持って来なかったことを後悔。

春10


反対側の道路に出ると,そこから先日のSchrammelgasseはすぐだそうだ。

家に戻って,Wintergartenと称するガラス張りのテラスにてティータイム。
娘も呼んで,4人と1匹,のんびりと時が過ぎた。

春19


春18



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「チャルダッシュの女王」を観てきたが・・ - 2008.02.26 Tue

昼間はコートも不要なほど暖かで,鳥もよくさえずり,近所の子供達も公園で元気一杯。


夜,Volksoperにてオペレッタ「Csárdásfürstin(チャルダーシュの女王)」を観て来た。

話は例の花粉症になるが,アレルギーの薬に加え,この二日間は万が一に備えて風邪薬をほんの気休め程度飲んだ。普通一日3包というPLを,たった1包を朝と寝る前に分けて。
これがいつも困るのだが,入っている抗ヒスタミン剤の所為で何しろ眠くなる。アレグラだけだって(密かに「本当に眠くならないの??」と疑うほど)よく眠ってしまうのに……
楽しみにしていたオペレッタなので,風邪薬は飲まず,アレグラだけにした・・・
そして昼寝までして備えた。

・・・にも拘らず,とうとう第二幕の途中で眠ってしまった。
大好きなオペレッタのひとつ,しかも折角のシーンで
残念無念

薬の効果か,木の殆どない街中の所為か,出掛ければ鼻もくしゃみも無事です。
やれやれ・・・




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春が来てしまった!? - 2008.02.25 Mon

ウィーン中心では今日は20℃以上を記録したらしい。
2月のイメージは,暗くひたすらどんよりと,降ってくるものがあれば雪。
そして「どんより」も白さで救われる・・・

それが雲ひとつない青空で,コート無しで歩けるとは!!
買い物の荷物を持って歩けば汗ばんでくる。

昨年の夏の体感温度40℃と言い,この暖冬と言い,言葉も出ない。

門を入ったところに咲いた花は,すみれ??


スミレ3





と,写真をアップして思い出した絵。
モーツァルトの「すみれ(Das Veilchen)」の父の絵。
もう何十年も前だが,ドイツ歌曲をイメージする絵を油で描いた作品のひとつ。



奥龍之介すみれ



この異常気象には,ゲーテもモーツァルトも吃驚することだろう。


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スギ花粉症らしい・・・ - 2008.02.24 Sun

今朝「花粉症??」と書いて,その後目薬点眼し,アレグラも飲んで,街中に出た。
最寄りの停留所に着く頃には鼻も気にならなくなり,流石薬の効果!!と喜んで,あちこち歩いて帰宅すべく最寄り駅で下車した。

あぁ,南天が綺麗だなぁ…とカシャリ!

南天



この南天の横から階段と坂道が始まる。
そして……何となく鼻がムズムズ。

もしや,スギ花粉症??
と,改めていつも通っている木々を眺めると


スギ



スギ2



アップで…

スギ3



更にアップで…

スギ4



しつこい様ですが,明らかにスギですな・・・

スギ5



これが家の前を延々続くのであります。

スギ6



しかも,この部屋の窓の外には,一体何本立っているか・・・

スギ7


全く他人事でいた花粉症,いや,いずれは…と思っていたのだが,ステロイドも飲んでいることだし,今は大丈夫と過信していた。
帰宅するなり,見事に鼻水くしゃみが復活してしまったではないか!!!
帰国が延期になり,薬が足りなくなる(3月24日に病院の予約をしてあるのも行けないため)思い切ってステロイドを半減させたのが…数日だか一週間だか前の話。
見事に出ました


ところで,今朝は何をそんなにハシゴして来たかと言えば,ミニッヒ(しつこくてすみません)の展示が今日まで!!もう一度じっくり一枚ずつ見たかったこともあり,出向いたのだった。
ヲタク話題で申し訳ないが,「Ob blond, ob braun, ich liebe alle Frauen, mein He~~~rz ist gro~~~ss・・・」をミニッヒは116回歌った,とか,アイゼンシュタインを262回演じた,とか,Robert Stolzの最愛の妻Einzi(シュトルツ氏がeinzige=唯一の,の意で呼んでいた名前)がミニッヒに送った手紙文や,その他諸々時間をかけてゆっくり読みながら見て来たのだった。係のおじさんにも「やぁ,又来ると言っていたら本当に来たね」と冷やかされるほどじっくり見て来た。

その後,シューベルト公園に寄ってみた。

シューベルトパーク


シューベルトパーク2


シューベルトパーク7

ここにはシューベルトとベートーヴェンの元々の墓があり(その後,中央墓地に移された),墓石は残っている筈,と出向いたのだが・・・
本当に子供の公園になっていた多分その奥にあるのだろうが,昔何度か出向いたことはあるので止めた。
石像があったのだが,この様な形ではなかった・・・と外から写真を撮った。

シューベルトパーク6


シューベルトパーク5


シューベルト4


こんなに暖かい日々,しかも雲ひとつない晴天が続いたなら,シューベルトの曲想はガラリと違ったものになっていたであろう。
どんよりと曇ったウィーンから殆ど一歩も出ることなく,春を夢見て,五月になると一斉に花が咲き乱れ始めるウィーンの街での作品・・・
最近,異常気象気味のシューベルトの演奏が多いのも頷けてしまった

又電車を乗り継ぎ,今度はシュランメルに関わりそうな通りへ。
某社のSchrammelのCDに,K.u.K.(※)Hof KapellemeisterからJosef Schrammel宛,直筆での手紙のコピーが載っており,その宛先の住所を訪ねて。(ただ,手紙の宛先である通りの名前はウィーンのどこにも無い。多分綴りの中「e」と記されているのは,現在「ö」と記されている道であろう,と推測して行ってみた。)
その住所には特に何も無かったが(著名人がかつて住んでいたところには,オーストリアの国旗の色の装飾がある筈),近くにMusikschuleがあり,その先は先日の区役所の裏道となる。
おそらく,この辺りに住んでいたのであろう・・

そして,シュランメルカルテットの像の前から電車に乗り,帰宅し,・・・家に着くや・・・

目下もティッシューを抱えて,鼻をかみつつ書いている・・

・・と余りに風情のない表現になったので,ここでおしまい。

※K.u.K.=Kaiserlich und Königlichの略:オーストリア帝国及びハンガリー王国


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花粉症?? - 2008.02.24 Sun

今朝起きてから,くしゃみと鼻水,目の痒みが止まらない。

インフルエンザの予防接種を11月初めに受けて以来,風邪の症状が治まらないことはどこかに書いた気がするが,それとは違う。風邪でこれだけくしゃみ鼻水が出ても,目の痒みは出まい。

目薬は,シェーグレンからくる諸症状に備えて5種類持っている。
抗アレルギー剤は,眠くならないアレグラを持参している。
これらを使用して治ったら花粉症に違いない。
昨日,散歩の折に樅だか松だか杉だか(何という無知),常緑樹に花が咲いているなぁ…と,異常気象を不気味に思った矢先。
二度の外出に疲れ,夕飯後,散歩したままの服装で朝まで寝てしまったことも輪をかけたかもしれない。



ところで,これだけインフルエンザで騒いでいるウィーン。マスクをする習慣が無いそうな。少なくとも飛沫による感染は防げると思うのだが,それよりも握手による感染の方が大きいので,帰宅したら手洗いを手首まで丹念に,と・・・

そんな折,雑誌の記事に「マスクをしている人が」と大きく取り上げられていた。
今更・・

マスク2


マスク




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散歩 - 2008.02.23 Sat

又してもピアノに向かうことなしに一ヶ月近くが過ぎてしまった。

二週間前の土曜(9日),家主一家は今年二度目のスキー旅行に出掛け,「はい,練習用の鍵!」と出がけに二階の家の鍵を渡されたのだが,翌週土曜(16日)に戻るまで全くさらわなかった。そして又それから一週間が経ってしまった。
これで「ピアニスト」を名乗れるものではない。
いや,一度は「それでは頼まれている歌伴のフィンがリングでも決めようか」と二階に上がって行ったのだが,何しろ電灯が暗い!そして眼鏡の度は合わない・・(単なる言い訳
諦めて指練習でも,と思ったのだが,鍵盤の余りの軽さと不揃い(貸して下さっていながら申し訳ない発言ですが),低音のえも言われぬピッチの狂いに放棄した。ならば調律をお願いしたら・・というのが一般的な考えなのだろうが,今までも月単位で練習出来ずに過ぎたことは数えられないほどあり,それでも何とかせねばならない時には何とかなる,という生来の怠け癖,というよりも習慣(これも言い訳)。
どうして練習しないの?と,とまるで教師からお小言を頂いているかの如し。
それで,留守中のあれこれ(今まで日記に書いた様なことや,疲れては爆睡していることなどを)話したところ,Minichについてはお二方とも「あの様なカリスマ性を備えた歌手は,後にも先にも存在しない」と。私もそう思う,残念だが。

家主夫妻は我々を家族の様に大切に考えていて下さり,感謝の言葉も見つからぬほど(もしや娘と孫の様に???)。
娘にはドイツ語の件,毎日,「いつでも教えてあげるから,いつでも上がっておいで」と言ってくださるのだが…結局二階に出向くことなく一日が過ぎると,翌日には「昨日も来なかった」とがっかりされる。
私には,シュランメルの本を借りてこられる様に,と貴重なウィーン市立図書館のカードを貸してくださってある。何冊でも貸し出し可能だそうで,一冊ごとにカードを通して持ち帰るシステムらしい。
とは言え……ドイツ語の本だよなぁ……
一冊だって一年かかるかも分からない,というのに



今日は,一人でこの近辺を散歩してきた。
又?と言われそうだが,Schrammelgasseという名前の通り(小道)を端から端まで。

大規模な工事現場もある。新築中だろうか・・

Schrammelgasse散策


素晴らしい名前!!

Schrammelgasse散策2


Schrammelgasse散策14



途中左右でSchrammelgasseとRöntgengasseという道に分かれたり

Schrammelgasse散策12


再び交差したり,素晴らしい道は,片側の住所がSchrammelgasseで,反対側がRöntgengasse

Schrammelgasse散策19



しかも,遠くウィーンの街全体が見渡せる。

Schrammelgasse散策8


Schrammelgasse散策17


廃屋あり,木々が生い茂っているかと思うと,豪邸に出くわすなど。番地入りの写真は情報に差し障るであろう,と残念ながら控えておくが…。

Schrammelgasse散策5


Schrammelgasse散策4


Schrammelgasse散策3




ここ(売り家),いくらするのか,本当に電話しようかと思ってしまった。
掘建て小屋で構わないのです。

Schrammelgasse散策10


帰宅して時計を見たら,きっかり1時間の散歩でした。





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30年ぶりに「メリー・ウィドウ」を観た - 2008.02.21 Thu

メリー・ウィドウ(Die lustige Witwe)を見て来た。勿論Volksoper。

舞台セットは変わったものの,懐かしさ一杯!!

でも

・・・

・・・

・・・

しつこいようですが


・・・

・・・

・・・



ダニロはペーター・ミニッヒでなくては!!!



昔,「クリープのないコーヒーなんて」(記憶曖昧)というCMがあったが,「ミニッヒの居ないフォルクスオーパーなんて!!」は言い過ぎ重々承知ながら,私の本音はそれに近いものがある。

と,冗談はさておき,30年の空白。せめて来日公演でもミニッヒを見たかったものだ。
多忙極まりなく,国内すら,いや,区内すら不義理を続けていた1980~90年代‥‥
振り返れば「時間は作るもの」と今だから言える。


例えばあの,密やかに奏でられるヴァイオリンに乗って歌われる「王子と王女の物語」,突然自暴自棄になって「Da Geh'ich Zu Maxim!」のあの一挙一動,「ロロ,ドド,ジュジュ・・・」の甘い声,全てが私にはミニッヒに置き換えられてしまうのが何とも


Peter Minich展示会14

(↑先日の展示より)


いえ,十二分に楽しんで参りましたよ,本当に!!

このオペレッタの初演もTheater an der Wienだったが,様々なオペレッタが百年単位で上演されつつあるVolksoper。人間の声には限界があるものの,これからも若い世代へ,と,どんどん歌い継がれて行き,我々を楽しませ続けて欲しいもの,それには世界が平和であるように,と願った一瞬でした。


ニグシュの役をRobert Meyerが演じていた。年末年始に観た「Die Fledermaus」のFrosch役を演じた,ウィーンの役者・・・

と書いたが,あのDie FledermausのFrosch役で,"Herr Direktor!"と言っただけで観客が大笑いしたのは,どうやらそのRobert Meyerが昨年からVolksoperのDirektorに就任したかららしい。最近出版されたと思しき本の最初を斜め読みして判明したこと。
又詳しく・・・今はこれのみ・・

駄文,お許しください



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日記が全部一旦消えた・・・ - 2008.02.17 Sun

昨日,日本時間では17日午前3時頃に,日記が全部消えてしまった。

その数時間前,スペルミスを直した時には無事だったのに,再度(些細な「てにおは」を直すべく)管理画面を開いたところ,あるはずの一覧表が全く無くなってしまっているではないか!
日記画面を開いてみたところ,これも真っ白。

娘が問い合わせを2回送ってくれた。

試しの日記を書くこと4-5回,それも送信されず,一年書かないと出るという広告が出ていた。

さて,朝になり開いてみたところ・・・あるではないか,日記が戻ってきた!!パソコンに向かう度,試しに開いて,うん,あるある,と確認。

が,今開いたら「カテゴリー」が全部ゼロ。
又,昨日加えた「苦情を訴えねば」のカテゴリーは増えている。

これを書きながら別ウィンドウから日記欄を開いたところカテゴリー数字あり。

さっぱり訳が分からず・・・
兎も角文章のバックアップを取らねば,と思う。消えぬうちに

試しに写真も載せてみる。

マロニエ


(かつて実家に育ったマロニエ。母がウィーンのモーツァルトの貧民墓地にて拾っい,芽が出て育ったうちのひとつ。今はその実家もない)

さて,無事に送れるかどうか・・・


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日本時間今日18日約11時半付けで,FC2ブログからメールが2通来ました。
障害復旧のお知らせでした。
やはりメンテナンスではなく,別個の障害だった様です

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※他ユーザー様が確認の為アクセスが集中する為、復旧後も
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万一お気づきの点がございましたら、出来る限り詳細を添えて
サポートまでお知らせ頂ければ幸いです。


以上今後ともFC2をよろしくお願い致します。

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とのこと。

投稿及び再編集を行った記事が表示されていない場合は再度記事を投稿し直して頂きます様・・・ということは,やはりバックアップを取っておかないと不可能

まだ全部確認していないのだけれど,今回のことはネットの教訓になりました。

(娘よ,すぐに問い合わせてくれて有難う


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ヴァレンタインデー - 2008.02.14 Thu

まだSchrammelを引っ張っているが,思い立った時に!
・・・と,街の中心部にあるDoblingerへ。
ここは普通の楽譜のみならず,Antiquariat(古本)部門もあるので行ってみた。
一生懸命に探してくれたけれど生憎今日は無く,「でも必ず入るから時々寄ってみて」とのこと。
我が家には沢山あるのだが…多分出版されていると思しきものは全て…
幸い,シュランメルに関する本が一冊だけあって,しかも現代の活字!(古い本はブラック体というかゴシック体というか,アルファベットそのものを読むだけで疲れ果ててしまうものが多い)値段は決まっていないのだろうけど,10Euroで購入。私としては万々歳。
あとはLPやCDから書き取りだな,とCD売り場へ。
夫に電話をして,家にあるものを訊いた後,何枚かを購入した。これも又,出版されているものは殆ど家にあるのだが。

Doblingerは伝統をしっかり護っているのか,未だに「CD」と書かずに「Schallplatten」と書いてあるのが可笑しい。我が年齢にはSchallplattenはSPやLPを思い浮かべてしまうが,ま,確かにCDもSchall(音・響き)Platte(板・版・盤・・・)ではある

ヴァレンタインデイ4



出たついで(何しろ仮住まいは殆どウィーンの森),長く壊れているのか電池が切れているのか,止まったままの我がSwatchを見て貰いにGrabenのSwatchへ。去年の7月にアムステルダム空港で購入したので,まだ保証期間内。保証書を持っていれば無料なのに,と店員が残念がりながら電池交換。無事に動くことを5分間確認し,電池代6Euro支払って店を出た。

その後中心街を散歩した。
ヴァレンタインデーが故,もっと華やかかと思いきや,至って質素。30年前の方がショーウィンドウも派手に装飾されていた気がする。シリングがユーロになったことと関連でもあるのだろうか・・いや,30年という長さには流行や人々の興味も変わるのだろう。
そもそもヴァレンタインデーというものの発祥が,3世紀イタリアのローマ法王の元で迫害を受けていたSt.Valentinであるから(当時のローマ法王は兵士の結婚を禁止していたが,それを無視して男女の結婚式を執り行った為に処刑された),カトリック教国としてはどうなのだろうか?もっと祝って然り?或いは??

変わらなかったのは,寧ろ女性向けのプレゼントに良さそう店ばかり,スポットライトを浴びていたこと。
ヴァレンタインデーには男女を問わず,親しい人とちょっとした贈り物のやり取りをしたものだったが。

ヴァレンタインデイ


ヴァレンタインデイ2


ヴァレンタインデイ9


ヴァレンタインデイ10


ヴァレンタインデイ11


ヴァレンタインデイ12

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何も言うまい・・ - 2008.02.13 Wed

今日はスーパーのパン屋にてパンを4つ購入。
ウィンドウの中のパンの製造元を見たら,

・・・

・・・

・・・

(見えますかね?ポチッと,どうか…)

パン屋



「他にご希望は?(Sonst noch etwas Wünsch?の直訳)」と言われたので,思わず,
「写真撮らせて頂いて良いですか?」と言ってしまった
今まで何度もこの店には来ているのに,ここでパンを買ったことはなく素通りだったから,パンの名称の上に会社名が書いてあることなぞ知る訳もなく,パンの製造元の看板が大きくSchrammelと掲げられていることにも気付かなかったのでした

パン屋2



よほど取り憑かれていると思われます。

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zufällige Überraschung - 2008.02.12 Tue



Heute fuhr ich in die Stadtmitte, um die verschiedenen Sachen zu erledigen.
In der Straßenbahn auf dem Heimweg hörte ich schlummernd "Hernals".
Eilig stieg ich aus, weil ich in der Nähe der Station "Hernals" auch etwas einkaufen wollte. Aber dort war nicht Hernals, sondern wahrscheinlich hörte ich nur einen Teil der Ansage "das Amtshaus Hernals".
Das war ein Platz, wo ich schon lange einmal aussteigen und das prächtige Denkmal der Schrammeln fotografieren wollte.
" Ah, es war, als hätte das mich gerufen."
Ich nahm meine Fotoapparat aus der Tasche und konnte es endlich fotografieren, auch jeden Spieler des Quartetts.

Schrammel


Schrammel2


Schrammel3


Das war aber noch nicht alles.

Das folgende hätte ich vielleicht nicht schreiben sollen.

Es gibt in Japan Stipendien ohne Altersgrenze, die die Kurturbehörde vergibt, um dadurch Künstlern ihre Forschungen im Ausland finanziell leichter zu machen.
Ich weiß nicht genau, was man bekommen kann. Aber sicherlich werden mindestens die Flugkosten und 10000Yen pro Tag für drei Monate finanziert.
Es gibt auch längere Stipendien, aber leider mit Altersgrenze.

Obwohl ich seit langen daran denke, habe ich noch nie um ein Stipendium eingereicht.
Das Stipendium hängt von einer Bestätigung ab, die der Bewerber für körperlich und geistig gesund erklärt.
Ich habe eine Krankheit. Sie heißt Dermatomyositis, gehört zu den Kollagenkrankheiten und ist von der japanischen Regierung als hartnäckige Krankheit kategorisiert.
Dafür wird mir immer noch beiden Kosten der Untersuchungen und Medikamenten finanziell geholfen.
Deswegen habe ich immer gezögert ein Stipendium einzureichen.

Diesen Umstand darf und möchte ich nicht falsch darstellen.
Aber jedenfalls wäre diese Bewerbung wertvoll.

"Was für eine Forschung?" könnte man mich fragen.
Ich plane eine Forschung über "die Brüder Schrammel", ihre Werke, und auch Bearbeitungen für unsere Kammermusikgruppe, um den Reiz und Zauber der Schrammelmusik auch in Japan zu verbreiten.
Später will ich Bücher über die Brüder Schrammel schreiben oder vorhandene ins Japanisch übersetzen.

Zufälligerweise wohne ich jetzt im Bezirk "Hernals".
Hier in Dornbach in der Nähe der Wohnung unserer Freunde müssen die Brüder Schrammel gespielt haben.
Die Ortnamen "Dornbacher Strasse" oder "Dornbach" und "Schrammelgasse" weisen darauf hin.

Schrammel114


Schrammel12


Wir spielen in Japan sehr oft "Dornbacher Herz".
In der Dornbacher Strasse steht auch ein Denkmal von Schrammeln.

Ich fragte die Beamtin in Bezirksamt Hernals, ob es Forschungsmaterial gibt. Sie gab mir ein Büchlein mit dicken Umschlag.

Noch einen bewunderswerten Zufall gab es.
Im Vorzimmer des Amts standen viele Souvenirs aus Japan und eine große Tafel mit japanischen Schriften.
ich fragete die Beamtin, warum "Fuchu-shi" auf der Tafel steht. Da erfuhr ich, dass Hernals und Fuchu-shi Schwesterbezirk sind.
Im "Wiener Saal" des Theters "Fuchu no mori"(d.h. "Der Wald Fuchu" oder " Der Fuchuer Wald" ) machten wir CD-Aufnahmen von Werken der Brüder Schrammel.

Eine ganze Kette von glücklichen Zufälle
- dachte ich.



シュランメル表面


Tokyo Kammer Kollegen ura





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奇遇 - 2008.02.12 Tue

今朝は凄まじい霧だった。

霧3


霧2


霧


昨日は18区(Währing)の区役所へ。
今日は17区(Hernals)の区役所へ。

昨日のことは書いたが,今日は・・・

朝から街に出て疲れ,帰りの電車ではぼ~~っと座っていたところ,駅名を告げるアナウンスが「Hernals」と言った様な気がして慌てて降りた。Hernalsで途中下車して買い物をしようと思っていたから。
ところが降りてみたら全然違った。東京のバスと同じで,停留所名を言ってから,その傍に何があるか,という様に説明が入るのだが,どうやらその説明の方が耳に入ったらしい。景色も慣れているし,駅名を間違えるほどドイツ語に疎い訳でもない。

降りたところは,すぐ正面にSchrammel※(後日説明)の像があり,一度降りて写真を撮ろうと思っていた場所。・・・あぁ,今日こそどうぞ,と呼ばれてしまったのかも,とおもむろにポケットからデジカメを出して撮影。

Schrammel3


Schrammel2


Schrammel


さて,「奇遇」のタイトルは,そのことだけではない。

実は,日記に書くつもりは全くなかったことなのだが・・・

日本の文化庁には,芸術家に対しての海外派遣を援助する給付金制度というものがある(手元に資料が無いので,全て正確な名称で記載出来ない)。往復の航空費用と,一日一定金額の生活費が給付される。
年齢制限が無いものもあり,それは10年くらい前には1年間,というものもあったが,今では3ヶ月となっている。
その海外派遣の申請を提出したいものだ,と何年も思いつつも実行に移せていない。
それは(この様な公開の日記に書くことの是非が問われるかもしれないが),条件の中に「健康診断書」がある。
私の場合は,膠原病という難病指定の病気があり,目下治療経過観察中。これは公費負担にて治療を受けているもので,診療費用も月々信じられない援助を公費で受けており,投薬代ときては自己負担額ゼロ。
この様な病気を持っていることを隠して書いてもらう訳にも行かない。隠して書いて貰ったとて,何かが起きた折にはどこも責任は取れない。
いずれにせよ申請したところで通る訳もない,と「駄目もと」すら逃げていた。

何をする為に?と思われるだろうが,私の場合は「Schrammel音楽」に関しての資料作りと,まだ日本で再現していないレパートリーの編曲。それらはシュランメル兄弟が生きた土地に生活し,肌でも味わいながらドイツ語の資料を探し,曲を場合によっては録音から書き取り,更に我々の室内楽編成にアレンジする・・という,夢のまた夢のそのまた夢の様な願い。
あくまでも研究をしに行く訳で,研究発表が出来るかどうか,ということも躊躇の一因でもある。

今回夫の演奏旅行へ是非ご一緒に,とのお誘いを受け,飛びついた理由のひとつには実はこのこともあった。しかし,ずっと引きずっていた体調不良は,この階段と坂道ばかりの道が当初すっかり輪をかけた。
夫が日本に帰った後も居残っているのは,娘のドイツ語のこともあるが,密かに何か出来るかもしれない・・・ということもあった。しかし「…ねばならない」を避けるべし,と言い訳をしつつ,結局1ヶ月半がのんびりと過ぎてしまっているのだが…。


話を今日のその「ぼ~~~っ」に戻す。
昨日のミニッヒの展示が区役所の中の一画だったことを思い出し,そうだ!Hernalsの区役所はどこにあるのだろう??と思った。何となくそこらを歩いてキョロキョロ上を眺めて歩いていたところ・・・

そのSchrammelnの像の斜め向こうに「Bezirksamt Hernals」(ヘルナルス区役所)と書いてある建物があるではないか!!

すぐさま飛んで行った(実際にはのろのろと歩いて,気持ちは飛んで)。
一階の守衛の様な人に事情を話したところ,二階(ドイツ語では「一階」と数える。日本で言う一階がゼロで,二階が「ひとつ目の階」という数え方だ)に行って左の部屋,と教えてくれた。
ドアを開けて入って行くと,左にシュランメル・ムジークを奏でる人々の小さな像が展示してある。

Schrammel9


Schrammel8


Schrammel7


Schrammel5


Schrammel6


奥から親切そうなおばさん,もとい,係員が出てきてくれたので,実はこれこれこの様な訳で,何か資料を探しているのですが,と話してみたところ,奥から冊子を持ってきて見せてくれた。パラパラめくってみたところ,この区の歴史や風土や,土地が輩出した著名人に関する話が書かれてあるようだ。ほんの1センチ程度の厚さだが,ハードカバーのなかなかの冊子。
何か見つかるかもしれないですよ,と言われ値段を尋ねれば,これは配布用とのこと。流石,歴史の街のすること!!

大切に握りしめて電車に再度乗り,冊子をめくれば,シュランメルの話も載っていた。本当に何か探す糸口になれば,と思う。

更なる奇遇は,その訪ねた部屋の一角に飾り棚があり,「府中市」との文字が書かれた板(何という名称??)や,日本の風物・贈り物が置かれていたこと。
訊けば,ヘルナルス区と府中市は姉妹都市なのだ,という。

それらを,帰宅して娘に話したところ,「お父さんお母さんたち,よく府中の森で演奏したわよね」と言う。・・・・・・確かに!!しかも,唯一出版したSchrammelのみによるCDは,その府中の森芸術劇場の「ウィーンホール」というところだった。ひょっとして主人はそれを意図して,会場を選んだのか??とすぐさま国際電話(滅多にしない)をかけてみたところ,そのCDの演奏会当時は,まだ姉妹都市ではなかった,と言う。

これは…やはり導かれてしまったのだろうか???


宣伝になってしまうが,その「シュランメル讃歌」とのタイトルのCD,販売に関わっているAmazonのサイトを貼付けさせてください。画像がなく,手元のこの新しいパソコンにも入れていないのが残念。(曲目やカスタマーレビューなどをご覧頂ければ幸いです)

シュランメル讃歌はこちら

その中で演奏している「ドルンバッハの戯れ」のドルンバッハもまさに今住まわせて頂いている家のすぐ傍。

Schrammel114



最寄り駅のすぐ傍にある記念碑。

Schrammel12

これはもう,少しでも着手せよ,ということかも分からない。


余談ながら,よく我々が演奏する「ヘルナルスの小さなカフェにて(レオポルディ作曲)」の「ヘルナルス」,実際には「ヘァナルス」,更に早口で言うと「ハナルス」と聞こえる。タイトル訳を書き換えねばならないか??

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12. Februar 2008 -zufällige Überraschung-

Heute fuhr ich in die Stadtmitte, um die verschiedenen Sachen zu erledigen.
In der Straßenbahn auf dem Heimweg hörte ich schlummernd "Hernals".
Eilig stieg ich aus, weil ich in der Nähe der Station "Hernals" auch etwas einkaufen wollte. Aber dort war nicht Hernals, sondern wahrscheinlich hörte ich nur einen Teil der Ansage "das Amtshaus Hernals".
Das war ein Platz, wo ich schon lange einmal aussteigen und das prächtige Denkmal der Schrammeln fotografieren wollte.
" Ah, es war, als hätte das mich gerufen."
Ich nahm meine Fotoapparat aus der Tasche und konnte es endlich fotografieren, auch jeden Spieler des Quartetts.

Das war aber noch nicht alles.

Das folgende hätte ich vielleicht nicht schreiben sollen.

Es gibt in Japan Stipendien ohne Altersgrenze, die die Kurturbehörde vergibt, um dadurch Künstlern ihre Forschungen im Ausland finanziell leichter zu machen.
Ich weiß nicht genau, was man bekommen kann. Aber sicherlich werden mindestens die Flugkosten und 10000Yen pro Tag für drei Monate finanziert.
Es gibt auch längere Stipendien, aber leider mit Altersgrenze.

Obwohl ich seit langen daran denke, habe ich noch nie um ein Stipendium eingereicht.
Das Stipendium hängt von einer Bestätigung ab, die der Bewerber für körperlich und geistig gesund erklärt.
Ich habe eine Krankheit. Sie heißt Dermatomyositis, gehört zu den Kollagenkrankheiten und ist von der japanischen Regierung als hartnäckige Krankheit kategorisiert.
Dafür wird mir immer noch beiden Kosten der Untersuchungen und Medikamenten finanziell geholfen.
Deswegen habe ich immer gezögert ein Stipendium einzureichen.

Diesen Umstand darf und möchte ich nicht falsch darstellen.
Aber jedenfalls wäre diese Bewerbung wertvoll.

"Was für eine Forschung?" könnte man mich fragen.
Ich plane eine Forschung über "die Brüder Schrammel", ihre Werke, und auch Bearbeitungen für unsere Kammermusikgruppe, um den Reiz und Zauber der Schrammelmusik auch in Japan zu verbreiten.
Später will ich Bücher über die Brüder Schrammel schreiben oder vorhandene ins Japanisch übersetzen.

Zufälligerweise wohne ich jetzt im Bezirk "Hernals".
Hier in Dornbach in der Nähe der Wohnung unserer Freunde müssen die Brüder Schrammel gespielt haben.
Die Ortnamen "Dornbacher Strasse" oder "Dornbach" und "Schrammelgasse" weisen darauf hin.

Wir spielen in Japan sehr oft "Dornbacher Herz".
In der Dornbacher Strasse steht auch ein Denkmal von Schrammeln.

Ich fragte die Beamtin in Bezirksamt Hernals, ob es Forschungsmaterial gibt. Sie gab mir ein Büchlein mit dicken Umschlag.

Noch einen bewunderswerten Zufall gab es.
Im Vorzimmer des Amts standen viele Souvenirs aus Japan und eine große Tafel mit japanischen Schriften.
ich fragete die Beamtin, warum "Fuchu-shi" auf der Tafel steht. Da erfuhr ich, dass Hernals und Fuchu-shi Schwesterbezirk sind.
Im "Wiener Saal" des Theters "Fuchu no mori"(d.h. "Der Wald Fuchu" oder " Der Fuchuer Wald" ) machten wir CD-Aufnahmen von Werken der Brüder Schrammel.

Eine ganze Kette von glücklichen Zufälle
- dachte ich.








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Peter Minich! - 2008.02.11 Mon


Immer bringen Alexandra und Herbert uns die Liste der Ausstellungen in Wien.
Besonders für Maya, die sich eigentlich dafür interessieren sollte.
Auch dieses Mal schaute ich zuerst.

・・・Wirklich ? ?

・・・Peter Minich ! ?

In der Liste steht;
Bezirksmuseum Währing XVIII " Ein Jahr danach…Zum Geburtstag von Peter Minich"
Momentan findet die Ausstellung von Peter Minich statt! Ich muss sofort dorthingehen ! !

Mit 47Partien spielte und sang sich Peter minich im Laufe eines halben Jahrhunderts an fast 2700 Abenden in die Herzens des Publikums.
Die Rolle "Eisenstein" aus "Die Fledermaus" spielte er 262 mal.

Ich muss offen sagen, dass ich völlig von ihm begeistert war, und mich in ihn verliebt.
1974 kam ich als Klavierstudentin nach Wien und wohnte in der Gersthofer Straße, von dort konnte man im Viertelstunde zur Volksoper gehen. Es war auch günstig, dass ich in der Wohnung nur bis 7 Uhr abends Klavier üben durfte.
Wenn ich in der Volksoper ein Stück mit Peter Minich lief, ging ich dann sofort dorthin.
Ah! Es ist als ob es gestern gewesen wäre!
Eisenstein in "Die Fledermaus", Danilo in " Die lustige Witwe", Anton in "Zwei Herzen im Dreivierteltakt", Edwin in "Csárdásfürstin", Zedlau in "Wiener Blut"…usw…

In dieser Ausstellung hängen zahllose Bilder von Minich an der Wand.
Der nette Beamte im Bezirksamt erlaubte mir zu fotografieren.


Peter Minich展示会17


Peter Minich展示会19


Peter Minich展示会22


Peter Minich展示会14


Peter Minich展示会13


Peter Minich展示会12


Peter Minich展示会9



Da gab es ein Gästbuch und er bat mich etwas zu schreiben.....ich erlaubte mir, eine ganze Seite an Peter Minich zu schreiben, wie ich in der 70er Jahren von ihm begeistert war.

Der freundliche Beamte druckte ein großes Foto von Minich für mich.

Sobald ich nach Hause kam, klebte ich das Foto an die Wand.




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Peter Minich!!! - 2008.02.11 Mon

ここのV氏,新聞のDie Presseに月初め付録で折り込まれる,ウィーンの色々な催しの一覧を持ってきてくれる。特に娘に興味深いであろう,とMuseen/Ausstellungの部分(博物館・美術館・展示場など全部掲載)に,グリグリッとマークを付けてくれる。
今月も又,月初めの朝,玄関のドアの外に置いてくれてあった。

私の方が先に目を通し・・・

えっ???

Peter Minich???

Bezirksmuseum Währing XVIIIにて「Ein Jahr danach...Zum Geburtstag von Peter Minich」と書いてあるではないか!!(18区,ヴェーリングが正式な区の名前。ウィーンの区はどこも名前がある。便宜上数字を使っているが)その18区管轄のMuseumにて,ペーター・ミニッヒ80歳の誕生日,それから一年,といったタイトルで展示会がある,という。

ペーター・ミニッヒと言えば,半世紀に渡り,ウィーンのフォルクス・オーパーで活躍した人気スター。47もの配役を,延べ2700回の舞台を踏んだテノール歌手。


何を隠そう,私は彼の大ファンだった。
1974年に留学生として渡墺し,特に最初の下宿がVolksOperから15分とかからなかった場所だったことも幸いし,しかも夜は7時までしかピアノの音が出せなかったこともあり,Peter Minichが出演する出し物があれば,立ち見であろうと何見であろうと,時間の許す限り出掛けた。
あぁ,思い出してしまう・・・Fledermaus(こうもり)のEisenstein, Wiener Blut(ウィーン気質)のZedlau, Lustige Witwe(メリー・ウィドウ)のDanilo, CárdásfürstinのEdwin, Zwei Herzen im DreivierteltaktのAnton,その他配役名は忘れてしまったが,Boccaccio, Vogelhändler, ・・・声は勿論,演技,ちょっとした立ち居振る舞いまで,この展示会のお知らせ欄を見て,昨日の様に蘇ってしまった。

1981年に一児の母として帰国し,すぐに二児の母となり,日々に追われてウィーンのことは遥か昔の如く忘れてしまっていた。
2002年,久々に訪れたウィーンも数日の滞在だった為,Minichのことも大変気になりつつ,でも誰に訊いても分からないと言う。
それが・・・

ミニッヒの写真や,彼に関する色々な記録が展示されているのであろう。場所と時間を確認したところ,日曜朝10-12時,月曜朝9:30-11:30,木曜18:00-20:00,それだけ…しかも今月24日まで。
是非行かねば,と昨日行くつもりで一昨日も早く寝て,風邪気味だったので薬も飲んだのに…昨日朝起きたら喉の痛みと奥に入った咳,鼻水,……諦めた。
「明日(つまり今日)行こう!」と根性で治した。飲み薬の他,アズノールというよく効くうがい薬を,うがいはもとより鼻にまで塗って。一日よく眠った。

今日は着くや,「うわ~~~~~~~っ!!」と声を上げそうに,至るところにミニッヒの舞台写真。懐かしい!!
撮影禁止らしかったのだが,係のおじさんに我が素性を述べて尋ねてみたら,どうぞ,どうぞ,いくらでも・・・と。50枚以上撮ってしまったではないか!
・・・ここに全部載せてしまいたい位ですが,泣く泣く数枚に留めます。(クリックで拡大してください)

Peter Minich展示会17



Peter Minich展示会11



Peter Minich展示会7



Peter Minich展示会2



Peter Minich展示会15



Peter Minich展示会14



Peter Minich展示会13



Peter Minich展示会12



Peter Minich展示会22



Peter Minich展示会25



Peter Minich展示会26



Peter Minich展示会23

(上は最後のVolksOperでの衣装)

所謂「芳名録」の様なものが置いてあり,たまにミニッヒご自身ふらりと立寄り,その芳名録(というよりは,メッセージを書くノート)をご覧になり,そこに一筆書いてくださったりするとのこと。是非どうぞ,と勧められるまま,・・・厚かましくも書き連ねてしまった・・・ページが終わって,さて,中途半端になったぞ,といつもながらの無計画の文章…困っていたら,次のページにどうぞ,とめくってくれた係のおじさん,有難うございました。図々しく計1ページ以上書いてしまったではないですかぃ!!
しかも,私が書いている間に,何と!!
プリントアウトして記念にどうぞ,と・・・
(帰宅し,居る時間が一番長いキッチンに貼りました。)

Peter Minich展示会27



下は,おそらく1979年,夫が当時のORF-Symphonieorchesterで弾いていた頃の何かのラジオ録音の折だったと思う。ミニッヒが出るから,と夫が教えてくれ,すっ飛んで行きました。そして夫を拝み倒して写真を撮って貰った

PeterMinichと


持って行ったLP全部にもサインをして貰い・・・あぁ,懐かしいなぁ・・・

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11. Februar 2008 -Peter Minich-

Immer bringen Alexandra und Herbert uns die Liste der Ausstellungen in Wien.
Besonders für Maya, die sich eigentlich dafür interessieren sollte.
Auch dieses Mal schaute ich zuerst.

・・・Wirklich ? ?

・・・Peter Minich ! ?

In der Liste steht;
Bezirksmuseum Währing XVIII " Ein Jahr danach…Zum Geburtstag von Peter Minich"
Momentan findet die Ausstellung von Peter Minich statt! Ich muss sofort dorthingehen ! !

Mit 47Partien spielte und sang sich Peter minich im Laufe eines halben Jahrhunderts an fast 2700 Abenden in die Herzens des Publikums.
Die Rolle "Eisenstein" aus "Die Fledermaus" spielte er 262 mal.

Ich muss offen sagen, dass ich völlig von ihm begeistert war, und mich in ihn verliebt.
1974 kam ich als Klavierstudentin nach Wien und wohnte in der Gersthofer Straße, von dort konnte man im Viertelstunde zur Volksoper gehen. Es war auch günstig, dass ich in der Wohnung nur bis 7 Uhr abends Klavier üben durfte.
Wenn ich in der Volksoper ein Stück mit Peter Minich lief, ging ich dann sofort dorthin.
Ah! Es ist als ob es gestern gewesen wäre!
Eisenstein in "Die Fledermaus", Danilo in " Die lustige Witwe", Anton in "Zwei Herzen im Dreivierteltakt", Edwin in "Csárdásfürstin", Zedlau in "Wiener Blut"…usw…

In dieser Ausstellung hängen zahllose Bilder von Minich an der Wand.
Der nette Beamte im Bezirksamt erlaubte mir zu fotografieren.
Da gab es ein Gästbuch und er bat mich etwas zu schreiben.....ich erlaubte mir, eine ganze Seite an Peter Minich zu schreiben, wie ich in der 70er Jahren von ihm begeistert war.

Der freundliche Beamte druckte ein großes Foto von Minich für mich.

Sobald ich nach Hause kam, klebte ich das Foto an die Wand.




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今度こそ - 2008.02.09 Sat

天気予報では「快晴。気温1℃から9℃」と言っている。
先週末に行きそびれたカーレンベルクへ行こう,と家を出て,バス停に行くや・・・



又ですかい!?



土曜も最終バスが3時だなんて
諦めるのも悔しい。いつまでこの温暖な天気が続くかも分からないし,と,昔からお馴染みの,電車とバスを乗り継いで座っていれば着く,別ルートで行くことにした。
段々山を登り,ウィーンの街並が小さくなって行く。


若かりし頃(20代です)は,よく徒歩で登ったもの。
体力を付ける為,と銘打っての散歩には贅沢な風景だった。
葡萄畑を過ぎ,来た道を振り返る度に段々街が遠ざかっている。
一人無心に,或いは練習中の作品の曲想を風景から頂いたりしたものだ。

あぁ,又回想かい???と自分の体力の衰えを情けなく思いつつも,風景は殆ど変わらず我々を迎えてくれた。


(写真はクリックでどうぞ。1枚目は背景にうっすらドナウ川が見えます)

Kahlenberg5




Kahlenberg8



(余り変わらないが,もう一枚)
Kahlenberg



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載せそびれている写真 - 2008.02.07 Thu


モーツァルトクーゲル発祥の,本家本元,ザルツブルクにある Fürstのお土産用セット。

本家本元のMozartkugel
(クリックで拡大してください)

サイトもどうぞ(英語版もあります)
http://www.original-mozartkugel.com/mozartkugel/mozartkugel.htm

ドップラー効果で有名なドップラーがザルツブルクの人だとは知りませんでした


ウィーンのベビー用品(着るものから家具まで)の店,Dohnal。

Dohnal


1980年に息子用の品々,ベッドから乳母車,入浴用のセット・・・初めての子供だったので(約34歳と30歳の親馬鹿),勧められるまま奮発してここの店で買ったのですが,素晴らしい老舗だったらしい・・・
日本に持ち帰り,娘も使いました。

今でも全く変わらぬ構えで驚きました。


では又。

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失敗続き - 2008.02.06 Wed

今日も鍋を焦がした。
「も」とは2回目なので

一度は数週間前,ジャムを切らしたので珍しく作ろうとした時。
あと5分位だな,とキッチンを後にして30分くらいすっかり忘れてしまい,気付いた時には鍋は炭だった・・・換気扇では臭いが取り切れず,窓も開けたら蝶番が壊れていることが発覚。(そのまま,知らなかったことにしてそっと閉めた)
その鍋も,水を張っては洗い,の反復で今は使えている。

今日は,お粥を作っていたのだが,これ又あと10分位経ったら止めて余熱でふやかそう…が,二階に用事があり,お茶までご馳走になって戻ったら・・・書くまい。
でも,お粥の焦げ・・・香りは良い。このまま捨てるのもなぁ…と吝嗇な私には中華料理の「焦げご飯のなんたら」が思い浮かんだ。
勿論その焦げご飯とは違うものの,お粥の焦げは丁度餅を焦がした感じ。
野菜を炒めて片栗粉(正しくはジャガイモでんぷん)でとろみを付けて,そこにお焦げを入れて今日の夕飯とした。
美味しかった(本当です

鍋は,今回は比較的パリッと取れた為,さほど酷い焦げ付きにはならなかった。

それにしても・・・気を付けねば。
熱してある温度に達すると自然に消える,自宅のガス台にすっかり頼っていることが発覚。

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Faschingsschwank aus Wien - 2008.02.05 Tue

というのはシューマンの作品のタイトル(「ウィーンの謝肉祭の道化」とか「ウィーンの謝肉祭騒ぎ」などと訳されていることが多い)。

留学時代のFasching(謝肉祭)の頃,街のあちこちで顔に化粧をしたり,頭に何かかぶり物を付けたり,仮面,ちょっとした仮装をしている人たちを見かけたけれど,所謂どんちゃん騒ぎというものには出逢ったことがなかった。
これは私が単に,その時期には街に出なかっただけなのかもしれない,もしかすると何かやっているのかもしれない,と昨日は電車を乗り継いで出てみたが,Opernballとは打って変わって特に何もなく,至って静かな街。

今日になり,こちらの人に事情を訊いてみた。
一時期は大騒ぎしていたこともあった。ただ,馬鹿騒ぎで交通規制を受ける,飲んで暴れる人が出る,それらを解決する為に多くの人材を出動させねばならない,その費用が今のオーストリアには無い。推測も半分ですが,との説明だった。(チャドに人材送り過ぎたか??冗談です,すみません)
ドイツでは,各州,各都市によって色々な行事が行われているらしい。
オーストリアも州によっては記念行事もあるそうで,テレビではそれらの中継や番組が放映されていた。学校などではこの日はちょっとした仮装が許されるそうで,電車には,顔を色とりどりに化粧した子供も乗っていた。

現代ウィーンでは想像の世界に過ぎない,と分かるや,シューマンのFaschingsschwank…が弾きたくなってしまった。

今日は「ファッシングの火曜日」,クラプフェンを食べる日…あれは苦手だ。
アプリコットのジャムが入っているドーナツの様なものなのだが,特に理由はないものの好きになれない。
でも,ウィーンに来られるのも最後になるのか?と思うと,慣習には従ってみる。
スーパーで4個入って3.9Euroのシロモノを購入してみた。

・・・

・・・

・・・

美味しいではないか!!

・・・しかも,どうして美味しいのかが分かった。この4個入りのは,膨らし過ぎで所謂クラプフェンではなく,まさに小学校の揚げパンを食べているが如し。こういうクラプフェンなら歓迎。

明日は「灰の水曜日」,いよいよ四旬節。


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全く当たらない天気予報 - 2008.02.03 Sun

昨日は晴れる筈がみぞれ混じりの冷たい雨。
雪や多少の雨では傘をささないこちらの人がさしているほど。
本当はカーレンベルク辺りに行きたかったのだが,これでは不可能だ。
もし明日日曜の天気が良ければ,バスを乗り継いでKahlenbergとLeopoldsbergに行き,その後は又バスでGrinzing(=Heurigeでクイッ!)に出よう。でも駄目かもしれない・・等密かに駄目だろうなぁ,と思いつつも娘と話していた。

今日は天気予報によると曇りに雨マーク。
ところが朝からカーテン越しに太陽光線がまぶしいほどで,カーテンを開ければ雲ひとつない快晴!!!やった!!
…と朝から,溜まっていたあれこれを済ませ,風呂も入り,娘の起きるのを待ったのだが…

娘が起きて来たのは昼過ぎ,それから長風呂・・・ま,いっか・・日曜だもの。
家を出たものの,Coblenz行きのバスはもう無い(日曜に午後3時が最終だなんて想像だにしなかった。早過ぎです!!)
諦めて,お馴染みになった,というより,すっかりお得意さんになってしまった寿司屋のテイクアウトを夕飯用に注文した。待っている間のジャスミンティーの美味しかったこと!
(丁度経営しているご夫妻の食事中で悪かったかなぁ…それにしても,その食事,何だか美味しそうだった)

近辺を散歩して帰宅した。
夕方とは言え,久々に青空を満喫出来た。

散歩


散歩3


散歩4


散歩6


散歩8


散歩9


散歩10


テイクアウトは「Sushi Sashimi Set」という物も初挑戦したのだが,どの魚もとろける様に美味しかった。
(お寿司の写真は撮り忘れたのでいずれ又)



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Wien bleibt Wien?  - 2008.02.02 Sat

どうしても街に出ねばならない用事があり,路面電車を待っていた。
ずっと暖かな天候が続いていたのに,今日は久々にみぞれ混じりの寒い日。
ここの駅名が「Himmelmutterweg」というのだ。その道(Weg,どちらかというと小道)はまだ通ったことがないのだが,Himmelmutterとは,カトリック教国であるから当然「天国のマリア様」のことだと理解しつつも,一昨年暮れに亡くなった母を,電車のアナウンスが流れる度に思い出してしまう。
その母の話は又改める。

今日は珍しく,見ず知らずのお年寄りが私に話しかけてきた。
2002年に,約20年ぶりにウィーンを訪ねて以来,何度かホテルでの短期滞在の機会は
あったのだが,見知らぬ人に話しかけられる,ということが少なくなり,ウィーンも変わったものだ,と思っていたのだ。
今回の様に普通の家に長期にわって滞在するのは帰国以来のこと。短期滞在だった時は表面しか見ることが出来なかったのかもしれない,と思うことにしていた。
だが,ウィーンも変わったものだ……佳きにつけ悪しきにつけ…
昔は(という言葉遣いをする年齢になってしまった),見知らぬ子供たちがすれ違いざまに挨拶をしてくれたのに・・・お年寄りの多い国で,一体若者はどこに居るのだろう??と思う国だったのに,今は日本と変わらず多い若者,そして全員とは言わないまでも,しっくり来ない態度・・・
昔のお年寄りたちは,顔見知りでなくとも何かと声をかけてくれたものだったのに。

今日,その電車を待っていた時,多分80歳は過ぎているであろうお年寄りが,「今日もこんな天気。いやになっちゃうわねぇ。毎週末こんなおかしな天気で・・」と話しかけてきた。それで,「そうですね,先週は暴風(Orkan)が酷くて」等,ぶつぶつと互いに天気予報も当たらない,等嘆いていたのだった。

連想して,昔の日本は…と振り返る。親でなくとも,近所のおばちゃん達が普通に子供達に話しかけ,時には叱って,…はごく当たり前のことだった。
今では,ちょっと注意しようものなら,一緒に居る親に睨まれてしまう。
世界的現象??
用事を済ませて,折角出たついで,Kärntner Strasseを銀ブラの如くウィンドウショッピングした。今はどんなものが土産品に良いのだろうか,と昔からある所謂観光客用の店に入ってみたところ,小さな男の子が売り物のオルゴールで遊んでいた。店員が注意したところ,子供はサッと止めたのだけれど,母親と思しき女性は,何を思ったのか店員を睨みつけていた。


話転々。
その後,バーゲンも終わりと思しき「H & M」という,流行りの服を売るお洒落なチェーン店に入った。この店は街の至るところにあり,デザインが良くて,しかも甚だ安価!
流石に冬物は余り残っておらず,春物夏物などまで眺めていたのだが,安い訳が分かった。
本店はストックホルムにあるらしいのだが,made in の後を見ると,ブルガリア,チュニジア,トルコ,カンボジア等々。ちょっと高級そうなしっかり出来たものは中国。へぇ~~~っ!!


一旦帰宅して長々昼寝をしていたら,美術館のひとつ,アルベルティーナに出掛けていた娘からメールが来た。どこかでたまには夕飯を食べよう,ということになっていた。
さて・・・どこが良いか・・・

街に出て考えた。
30年前,よく食べた店にひとつに"Wienerwald"という鶏肉のチェーン店があった。
鶏を丸ごとだったり半分だったり,パン粉で揚げてあったりローストしてあったり。
鳥インフルエンザが流行った為か,実際店舗数が減ったのか??単に私の目に入らなかっただけだろうか?今日はたまたま目に付き,これは是非一度食べるべき!と娘を誘って入ってみた。
所謂サラダバーがあって,あぁ,時代が変わったなぁ…一番の感想。
しかも1/2のBackhendl, 当然大きなまま出てくると思いきや,何と!まさにケンタッキーフライドチキンの様な切り方!ぶつ切りにして衣(ケンタッキーと違って表面はパン粉だが)を付けて揚げてあったのには,ひっくり返りそうに吃驚した。

長い階段,坂道,今日は2往復した。昼寝を挟んだとは言え,可成りのリハビリ効果。

下は,先週末の暴風(Orkan)の「Paula」

新聞3


オーストリア至るところで凄まじい被害があった模様。
被害総額100,000,000ユーロ。
ウィーンでは350回も消防車が出動したらしい。
史上最大の風速230km(時速)を記録したところもあるそうだ。
秒速に直すと……3.6で割ると……日本に上陸する大型台風の2倍くらい??

新聞2


新聞



大変な話題も,Opernballや,シェーンブルンの動物園でのパンダ誕生の話題に消されがち。


そうそう,帰りにBonbon屋さんに寄ってチョコレートの量り売りを買った。
ウィーンでの量り売りはチョコレートに限らず,単位はDeka(1Dekagramm=10Gramm)だった。今回初めて目についたのは,どこでもデカではなくグラムで表示されていること!!
今日はその量り売りのチョコレート屋さんで訊いてみた。いつからグラム表示になったのか?と。
すると,女主人と思しき人が,「ウィーンはいつでもデカグラムですよ」と。
「グラム」と書いてあるものを,スーパーでも「デカ」にて買っている私。そろそろ「グラム」と言わねばならないか??と思っていたところ,その様に言われ,私は「デカ」を通すことにした。(ひょっとすると,ドイツ正書法の変更で,書き方だけは変えねばならなくなったのだろうか??どなたかご存知の方,お教えください。)

又もや支離滅裂な日記となりました。

追記:
しかも,私のパソコンは日本時間のままにしてある為,そのまま記録すると時差が故に翌日の日記を書いたことになってしまうことがある。この日記も4日になって気付き,訂正しました。


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プロフィール

奥 千絵子

Author:奥 千絵子
★上の画像は2001年にCDにして約3枚分を収録したものを,2006年に2枚組としてリリースしたCD「樂の音に寄せて」です.『レコード芸術』2007年1月号で「特選盤」として取り上げられました.戸倉新樹教授によるライナーノートは医学生にもお薦めです.その他のCDや著書はWebsite「本館」からお入りください.このブログも「本館」のDIARYです.
★このブログの"Grüß Gott !" (文字化けの場合はGruess Gott!)は墺・南独の時間を問わない挨拶です.Website「本館」のDIARYです.出版CDや著書の詳細は「本館」のメニューからお入りください.
Website「別館」もあります. 著書「ピアノと向きあう」の説明を補うサイトです.よく頂く質問に説明を記載しています.
★上記著書については今井顕 氏によるKINOKUNIYA書評空間WEBLOG を是非ご一読くださいませ.
Auch auf Deutsch schrieb ich…
★【膠原病の記録】余りに医療のカテゴリーがが増えてしまったので目下整理中です.大変複雑な病気の経験が同じ病の方々への参考となりましたら幸いです.
「乳癌と膠原病(皮膚筋炎・多発性筋炎)」「膠原病(退院後)」 ,その他の医療の話(自分以外も含めて)は「医療・病院関係」,に取り敢えず分けました.
平成12.12.12.病院での復帰リサイタルは演奏動画入り記録です。
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演奏:東京カンマーコレーゲン 
室内楽アレンジ:奥 千絵子
ショパン:華麗なる大円舞曲Op.18
演奏:奥千絵子 ショパンのワルツは上の画像の2枚組CD「樂の音に寄せて」に入っております.
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制作・著作:奥千絵子
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