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2008-01

Opernball - 2008.01.31 Thu

いよいよ舞踏会の季節となった。
しかも,オペラ座の舞踏会がテレビで放映される,という。

眠い目をこすりながら見てしまった。

今回は企画が変わり,イントロの部分がオペラ座バレエによる,フットボールをバレエにアレンジしたものだった。なかなか画期的な演出だった。

これは又いずれ。



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久々のピアノ・サロンでの講演会など - 2008.01.30 Wed

17日に主人が先に帰国するにあたり,滞在先夫妻と共に出発前日,行きつけのホイリゲに行った(何だかんだとこじつけて一緒に食べたり飲んだりしていた気がする)。
その席で,「チェロの演奏を頼まれていることがあるので,伴奏を是非」と頼まれ,頑なに拒んだのだが…何しろ12月初めから全くピアノに触れていない。
音楽家夫妻の家であるから当然ピアノはあり,演奏旅行その他,長期旅行の度に「いつでも弾いてよいから」と鍵を渡されていたのだが,一度も触らず…どころか一度も二階に行かず。そんな指で何の伴奏が出来よう?しかも今回は休養の為の渡墺。
しかし,「きっかけがないと全然弾かずじまいになるから(内心,それで構わないのですが…)」「きっと自分の為になるから」「ゆったりした曲だけにするから」等々の口説きに負けた。

その演奏する会がどういったものかも聴かされず,話す機会も逃したまま彼らは旅立ってしまった!
2日後,ピアノのある部屋に行ってみたところ,山ほどのチェロの伴奏譜が!!
無理だ!たった10日しかないではないか??と,それでも弾けそうな順に7-8曲手掛けた。

彼らが帰宅してからよく訊いてみたところ,知り合いのお宅で何か朗読があり,その合間に演奏をするので,曲数も置いて行った楽譜全部ではないことが分かった。何の朗読か,その他どんな集まりなのか,ソリストご本人も知らされていないと言う。
取り敢えず,ピアノがどんなものであるか試してみてから曲を決めよう,ということになり出向いたところ…彼女の記憶では2台のグランドピアノがあったのだが,それらは親類に譲って,あるのは何十年も触っていないと思しきアップライトのピアノ・・・かつてピアノであった,と言った方が正しい。

その後2度の調律を経て,何とか弾ける状態になっている,という。ピッチも442が精一杯だったそう。

「朗読」の合間に演奏を,ということだったのも,当日の情報で,「朗読がではなく,どうやらエゴン・シーレに関するレクチュアらしい」となり,その合間に軽い曲をチェロと共に弾く,という。
朝のうちに少し合わせ,夜,そのお宅に向かった。

美術史や美学が専門のDr.N氏が,エゴン・シーレに絵を師事したという医師の娘さん(とは言え既に85歳)に質問しながら講演を進める筈が,彼女に一旦質問するや,彼女は自分の長い人生を語り始める。話が飛躍したまま,どうしても自分の人生全部を語りたいらしく,メインであるDr.N氏がテーマに戻そうと努めるが,一度にあれもこれも話そうとするが余り,エゴン・シーレには触れず,彼女の人生談義に終わった。最初の辺りでは余りに話が飛躍したままになる為,後ろの方から「シーレ!!」などと声(ヤジ)が飛び交っていたが,そのうち皆(半分は諦めて)聴き入っていた。

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1800年代後半から1914年の大戦開始を越えた家族達の話,更に次の戦争辺りのご本人の生活の様子,私には日本で学んだ世界史や,日本で聞いて育った日本での世界大戦が,ヨーロッパの人々にとってどうであったか,ということを現地の言葉で聴くことができ,大変有意義な時間となった。
但し,その時は集中して聴いていた筈が,どんどん抜けて行ってしまっている。折角持参していたRolandで録音しておかなかったことを甚だ後悔。

演奏もチャイコフスキー2曲「センチメンタルなワルツOp.51/6」「ノクターンOp.19/4」とフォーレの「夢のあとに」だけになったが,これがなかなか素晴らしいチェロ演奏,流石Gさん!本番の情熱がこちらに乗り移り,伴奏もアップライトにしては…とても楽しく演奏出来た。
会が終わって手作りのおもてなしを受け,暫し歓談。

娘も同席し,某大の美学芸術学科卒が故,内容もドイツ語が半分以上理解出来たならおそらく興味深かったろう,いや,ひょっとすると又大学に入りたい,等と言い出すのではないか??と推察・・・
十分楽しめたそうだが,やはり余りに話が飛躍していくので,筋が掴めなかった,とのこと。


この様に,ヨーロッパでは普通に行われるという,ごく普通の家庭のサロン(25人くらい収容)にて演奏やテーマに基づいた講演に改めて魅力を感じ,私が日頃生徒達を中心に行っている似た様な催しも,今後続けて行きたい,と改めて思って帰宅した。




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モーツァルトの誕生日 - 2008.01.27 Sun

生徒のメールの中に,今日はモーツァルトの誕生日なので,モーツァルトのソナタを弾いている,と書かれてあった

・・・・・・これでは師弟関係逆ではないか
もとい,教えてくださって有難うございました。


早速二階に行き,練習ではないのだけれど,今日はモーツァルトの誕生日,モーツァルトの作品を弾かせてください,とピアノを貸して貰った。
G夫人はモーツァルトの絵をピアノの上に置いてくださった。

何しろ楽譜は一冊も持って来ていない。
それでも暗譜している曲を片っ端から弾いていたら真っ暗になってしまった・・・

その生徒のお蔭で充実した一日となった。(◯◯◯さん,有難うございました。ぺこり。)

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食べ物・買い物など その2 - 2008.01.26 Sat

快晴の朝!

奥行きが400mある,という庭で鳥が囀っている。異常気象の成せる業か??
その声に誘われて庭を散歩。

その後,Naschmarktへ娘と共に買い出しに行った。
こちらに来て,行こう行こうと思えど,思っただけで億劫で遠のいていたのだが(いや,実際,Naschmarktからこんなに遠いところに住んだのは初めてだ),欲しいものを購入すべく・・

昔と全く変わっていなかった。
変わったのは,「日本屋さん」が姿を消し,アジア全体のものを扱う店が沢山出来たこと。
買い込んだものは;
サツマイモ,大根(又しても!?),筍の缶詰,海苔,だしの素,がりの瓶詰め,「出前一丁」4種類,巻き簾,醤油(今頃やっと??),等。

凄まじい強風の中を帰宅。
朝の鳥が囀るほどの穏やかさは何処へ??


夕飯のお惣菜は,ふろふき大根と豚肉の生姜焼き。
大根を娘が美味しい,美味しい,と殆ど1本分食べてくれて嬉しかった。いや,1本と言っても日本の大根より遥かに小柄ですがね





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追記 - 2008.01.25 Fri

余りに無責任な情報を書いた気がして,ネット検索。
斜め読みしたがドイツ語なので益々無責任かもしれないが,Julius MeinlはSPARの他,Reweにも買い取られたそうだ。

名前から,てっきりsparenを捩ったのだ,と思っていたSPARも,実はオランダで設立されて,オランダ語のモットーの頭文字を取ったそうで・・・

しかも!!
確か息子が生まれる少し前に,Pam Pamという大きな体育館の様なスーパー(ハイパーマーケット,というらしい)が出来たのだが,検索によると,その場所は2つ目の店舗で,最初の店舗は19区に出来たとか。
いずれにせよPam Pamは1999年までJulius Meinlに属していた(何という貧困な国語)そうだ。


はぁ~~~・・・空白の,縁の無かった2-30年の間に,どの国も大きく動いていることを実感。


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食べ物・買い物など - 2008.01.25 Fri

1981年に帰国し,2002年に21年ぶりにウィーンを訪ね,今回は4回目となった。
前の3回はいずれも短期滞在でホテルだった為,ビュッフェスタイルの朝食で存分に食べ,昼食は省略したり昼夜兼用だったり,いずれも外食だったが,今回は自炊が出来る!!
ということで,前の日記に書いた通り,どうしても買い物に出ねばならない。

又昔話になるが…
1974年,初めて下宿をした折,向かいにJulius Meinl(ユリウス・マインル)というスーパーがあった。18区の郊外で,近くには他にスーパーが無かった為,専ら利用していた。
向かい,と言っても私の下宿は,斜面に何棟も建てられたアパートの一番上の棟。道路に面した入り口をくぐって120段以上ある外階段を往復する。郵便受けもゴミ収集の大きな容器もその道路から入ってすぐのところにあった為,いくら若いと言えども一日に何往復もするのは億劫だった。
そのJulius Meinlは12時になると昼休みになり,午後は3時にならないと開かない為,12時少し前になると練習をやめ,ゴミを持ってパタパタと階段を駆け下り,まずゴミを捨ててからスーパーに行き,買い物をする,というパターンだった。
当時,Julius Meinlは街の至るところにあるチェーン店で,値段が若干,いや,可成り高めの高級スーパーだった。

去年だったか,そのJulius Meinlを見かけず不思議に思い,尋ねてみたところ,他の店に買収され,目下残っているのはGraben(グラーベン)の本店だったところのみ,という。コーヒーだけはあちこちで扱われている様だ。
その買収したスーパーがSPARらしい(と曖昧ですみません)。
SPARは我々家族が1981年に帰国する頃にぽつりぽつりと出来始めていて,それも小さな店舗ばかりだった。テレビでCMも始まっていた頃だった。「Sparで買い物をすると,何がいくら,何がいくらで何シリング(!)sparen(倹約・貯金)出来ます」みたいなうたい文句だったと思う。
今は所謂大型スーパー「INTERSPAR」を始め,所謂街の小さなスーパーも含めて,至るところにある。
以前からJulius Meinlより可成り安価で一般的だったBILLAも沢山あるのだが,更に安く品揃えの多いSpar!!(日本でも1980年台から地方に行くとよく見かけた。ロゴもマークも同じ)

目下の住まいからは電車を乗り継ぎINTERSPARに行くことも出来るが,徒歩で電車の終点にあるSPARにも行ける。
郊外のこんなところにどうして??という品揃い・・・
まず,大根!椎茸(ShiitakePilzだそうな)!!(生憎ゴボウは無い)
もやし,ショウガ,ヤクルト!大豆蛋白で出来た真空パックのハンバーグ,・・・等々々々々々
早速豚汁が作れた。
そうそう,そのSparのすぐ隣りに寿司屋があるのだ!!
台湾人の経営で,テイクアウトも可能。電話注文しておけば用意しておいてくれるそうだ。我々は専ら買い物ついでの食事。たった8席しかないのだが,ゆっくりくつろいで食べられる。
昼にはSushi Maki Bento,7Euro!

寿司

サラダとして,我々には御節でお馴染みの紅白なますが付いているのには感激した。あ,みそ汁と大福もセット!
台湾では日頃から紅白なますをサラダとして食べているのだそう。おかみさん曰く,台湾は一時期日本の領土だったから共通している食べ物が多い,と。


そのちょっと足を伸ばしたINTERSPARは何階もあって,専門店他,レストランやマクドナルドも入っている。100円マックならぬ1EuroMacもあるが,日本ではお目にかかったことのないミニ春巻きの様なものもあった。

マックの珍しい商品


レストランではセルフサービス式の店もある。クーポン券を持参すると3.9Euroで食べられる大きなヴィーナーシュニッツェル。ジャガイモがゴロゴロ付いてくる。

Wienerschnitzelの広告


勿論ケーキとコーヒーも可。生クリーム付きで普通のコーヒーを頼んだら,これではアインシュペナーではないか!!

又しても4


昔ながらのウィーンはどこへ行った??と半分嘆きつつも,食い意地の張った私はにんまりする毎日なのだが・・・



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歩く - 2008.01.23 Wed

こちらに来て1ヶ月が経ってしまった。

到着当初はどうしようかと思った。
何がか,と言えば,お世話になるお宅は街の中心部からは遥かに外れ(と言っても東京を考えたら時間的には家から新宿並なのだが),ウィーンの森にほど近く,一番長いであろう市電の終点近く。と,ここまでは良いとして,下車した駅から徒歩10分程度が階段や坂道ばかり。
ここ1-2年,東京に居る時の私と言ったら買い物すら家の者任せ。誰も居ない時は仕方なく,徒歩で10分程度のスーパーへ自転車で行く程度。その他,何とか出掛ける機会を作ってみても,一旦帰宅すればいつの間にか熟睡している有様。
一番歩くのが,定期的に通院している病院での一日。外来棟からリハビリ棟(その移動そのものがリハビリになっている,と苦笑する)往復その他,検査の為の移動等々で万歩計も数字が多め。
通院のあった日は何も予定を入れずに,いや,入れられずに帰宅後は爆睡あるのみ。

・・・と,そういう日頃なので,最初に電車で出掛けた時は驚いた。駅までの往復の連続する階段や坂道。色々と道を開拓してみたのだが,それらは避けられないことが分かった。

通り道

(写真は全てクリックで拡大されます)

通り道2



(反対向きではこんな風景)
階段からの眺め3


階段からの眺め


夫が滞在中は買い物も頼んでいたが,これではウィーンに居る意味がないではないか!家で休んでいるだけであれば東京の自宅に居る方が何でも手の届くところに揃っている。
折角来た以上は音楽会やオペレッタ三昧もしたい。いや,それ以前に日常の買い物もしなくてはならない。特に先に帰国し,残された身としては・・・

という訳で,漸く階段・坂道にも慣れ,自力で1.5L入りのペットボトル数本や牛乳など入った買い物袋を下げ,ワンゲル部には遥かに劣るものの自分としては精一杯の「リハビリ」をしている。帰宅後は何も手つかずだが。
よく,ドイツ語の授業を終えた娘とも落ち合って昼食をし,その後あれこれ買い物をし,重い荷物は持って貰い,あぁ,今日は助かった…と感謝。


ところで最近どんどん店舗が増えているBIPAというチェーン店。昔のDorogerie(ドラッグストア)をお洒落にした感じで,若者に人気がある様だ。帰宅途中下車してシャンプーや入浴剤などを購入し,他にもきょろきょろ物色していたところ,ベビーフードやベビー用のあれこれが・・・
目に留まったのが,遥か26-7年昔,息子が生まれて使っていたあれこれ。今も存在していた。

ベビー石けん

(愛用していたベビー石鹸)


カミレンテー

(顆粒のKamillentee -ハーブティーのひとつ- これを,ミルク用の哺乳瓶とは別の瓶に溶かして入れて常に持ち歩いていた)

何と懐かしい!!
肝心の本人は何も覚えていないだろうなぁ…
これを土産にしたとて何になろう…
一度是非息子と一緒に,誕生の地を歩き回って懐かしんでみたいものだ(私が。本人は何ひとつ記憶にないらしいから)。
定職に就いてしまうと,なかなか纏まった休みが取れないのと,取れても大切なのは親よりも相方。
一緒に居られる子供のうちに沢山旅行を,と先輩ママさんに言われたものだが,そういう時期にはこちらが全く時間も何もかも許さず…

人生そんなものだ。

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als ob mit einer Zeitmaschine... - 2008.01.15 Tue




Heute abend genoßen wir -Hiroshi, Maya und ich- das Ballett "Der Nussknacker" an der Staatsoper. In der ersten Reihe einer Loge! Was für tolle Plätze ! !
Wir konnten nicht nur die Bühne sondern auch der Orchesterraum gut sehen.

Als der Vorhang aufging, gab es keinen Schneeflöckchen vom Himmel, wie ich vor 30 Jahren gewöhnt war.
Zu beiden Seiten der Bühne standen dunkelblaue Wände mit weißen Pünktchen darauf, das solle Schnee sein.
Die beiden Inszenierung will ich nicht vergleichen. Aber ich kann nicht umhin, an mich das schöne alte Bühnenbild zu erinnern.
Ich war auch erschrocken, als eine Leinwand langsam herabkam, darauf ein Computerspiel sich spiegelt, und damit die Ballettkinder auf der Bühne spielten.
So läuft die Zeit...aber...

Trotzdem war "Der Nussknacker" sehr schön und ich fühlte mich wie in der Siebzigerjahren.

Ich erinnere mich an einen Tag kurz vor Weihnachten 1975. An diesem Tag stand ich Schlange an der Kassa, um eine Karte -vermutlich für den Stehplatz- zu kriegen.
Da kam eine hochbejahrte doch elegante Dame zu mir.
"Um die Karte?" fragte sie mich. "Ja!" antwortete ich. Dann nahm sie eine Karte aus ihrer Handtasche heraus und sagte sie zu mir, "Bitte, nehmen Sie diese..." ..." Na ja, es ist zu teuer, weil ich eine arme Studentin bin.." -ich waiß nicht genau, was ich sagte.- Die Dame sagte weiter, "Ich würde Sie einladen. Geschenk! "
Ah, es war als hätte ich geträumt.
Ich saß neben der der Dame und sah den "Nussknacker" auf einem prächtigen Sitzplatz.

Manchmal denke ich daran, wie es der Dame geht, oder manchmal bereue ich, dass ich nicht um ihre Adresse fragte. Ich war überglücklich.


Als ich Mutter wurde, besonders als mein zweites Kind ein Mädchen war, dachte ich, es wäre schön, wenn die Kinder Ballett lernen könnten.
Meiner Tochter Maya wurde empfohlen, eine Ballettlehrerin -ganz in der nähe von unserem Haus- zu lernen.
Soweit es die Zeit erlaubte, war ich da in diesen Ballettkurs um ihr umzuziehen zu helfen, und beobachtete die Stunden.
Ich begeisterte mich dafür, dass Maya schon als vierjähriges Kind zusammen mit Musik von F. Chopin "Grand Plier" " Demi Plier" "Changement" "1. Position" "2.Position"...usw..übte und tanzte. Das waren nur die grundlegenden und einfach fundamentalen Übungen. Trotzdem war das eine große Freude für mich.
Besonders die Denkart der Lehrerin, die fundamentalen Übungen können nie zu viel sein, war mir sehr sympatisch. Ich lehre auch so Klavier.

Eines Tages bekam Maya Nesselsucht. Sehr wahrscheinlich deshalb, weil sie am diesen Tag Seeigel und Tintenfisch aß. Danach obwohl sie Medikamente gegen Allergie nahm, halfen sie nur wenig.
Der Arzt meinte, die Krankheit entsteht durch zu große Belastung auf die Ekzeme.
Unglücklicherweise lernte sie eben zum ersten Mal mit Spitzentanz für eine Aufführung.
Er riet, sie solle auf Ballett verzichten, bis die allergische Reaktion aufhört.
Das war sehr schade. Aber wenn sie wirklich wieder Ballett lernen wollte, würde sie selbst wieder anfangen.
Bis jetzt gab es keine Gelegenheit.
Vielleicht ist es gut so, sie ist ziemlich groß geworden...


Jetzt bin ich zwar von Thema abgeschweifelt, aber "Der Nussknacker" hat Maya auch begeistert.


Übermorgen fliegt Hiroshi nach Tokio zurück.

Es war heute ein glücklicher Tag.




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又,タイムスリップ -als ob mit einer Zeitmaschine...- - 2008.01.15 Tue

夜,Staatsoperにてバレエ「胡桃割り人形」を夫と娘と共に鑑賞。
Loge(ボックス席)の一番前にて,あぁ,今回も贅沢な・・・

ウィーンフィルの奏するオケピットも全部が見渡せ,小序曲から見入ってしまった。
が,幕が上がると,そこは脳に焼き付いていた降りしきる雪ではなく,舞台両サイドに透き通らんばかりの紺碧に白い模様。
比較する訳ではないのだが,空白の30数年の間に,振付け・演出共に随分変わったものだ。
居間の大道具もほんのり暖かさが漂っていたものだったが・・いや,私が年を取っただけ。
今回の演出はいつから続いているのだろう。子供たちへのクリスマスプレゼントが何と!!「テレビゲーム」で,ステージの上からスクリーンが降りてきて,画面にゲームの戦うシーンが現れた時には度肝を抜かれた。

それでもバレエは,見ていると20代にタイムスリップ。
いや,遥か昔の想い出話ばかり書くつもりではないのだが,どうしても脳の思考回路が繋がってしまうのだ。

独り住まいの学生だった頃,見たいオペラやバレエがあると当日の立ち見席に並んだものだった…
1975年のクリスマス頃,当然とっくに売り切れていた「胡桃割り人形」を見たく,当日売りのKassaに並びつつキャンセル待ちをしていた。
すると後ろから年配の品の良さそうな高齢の夫人がやって来て笑顔で「これを使ってください」と差し出した。チケットを見れば,Parterre(日本で言う一階平土間)の中央,しかも前の方!「いえ,私はそんな額は払えませんから」と断ろうとすると,「Geschenk(プレゼント)」という。
お言葉に甘え,その夫人と並んで観たのが,ウィーンで初めての「胡桃割り人形」だった。以来,音楽を聴くだけでもその時の嬉しかった気持ちが舞台と共にいつも浮かぶ。降りしきる雪,クリスマスツリー,暖かい大広間,愛らしいクララ,隠れてはあちこちから姿を見せるドロッセルマイヤー。勿論素晴らしいバレエそのものも。

あの時のご夫人はどうしておられるか,どうしてその時に住所や名前を訊かなかったのか,悔やまれた。余りに舞い上がってしまっていたのだろう。
ひょっとすると,お孫さんと一緒に,と用意してあったチケットだったのかもしれない。或いは???・・・


さてさて,今回のバレエを見ながら・・・あぁ,これも昔話になってしまう。
すっかり憧れとなっていた「バレリーナ」。いや,幼少より私の世代では,森下洋子さんや…お名前を失念してしまったが数名の天才バレエ少女が憧れだった。少女雑誌には彼女達の血まみれのトレーニングの様子や,滝に打たれて修行するシーンなどが「漫画」として描かれていたものだった。それでもステージ上では夢を与えてくれるバレエは魅力だった。(当時はテレビでしか見たことがなかったのだが)


子供が生まれ,二人目が女の子だった時(二人目は帰国してから生まれた),趣味でもバレエを習わせよう,と密かに思っていた。自分がやりたくても出来なかった習い事を,二人の子供達には随分させたものだった。
仕事仲間が習っているバレエ教室の師匠より,我が家から通える教室を紹介された。
迷う事なく娘を通わせて(という表現はよくないが,まだ4歳の娘に意志をと問うたところで何になろう),着替えの手伝いを含め時間のある限り付き添った。
それは私の楽しみの時間でもあった。最年少組では「1番のあんよ」「2番のあんよ」とポジションを教えてくれた。「大きいおしゃがみ(グラン・プリエ)」「小さいおしゃがみ(ドゥミ・プリエ)」(おしゃがみ=pli�)・・・でも「assembl�(アッサンブレ)」や「changement(シャンジュマン)」は訳すことなくそのままだった。
ル・シルフィードでお馴染みの,オケに編曲されたショパンのAs-durのノクターンに合わせてのバーレッスンすら,私には涙が出るほど感激の光景だった(親馬鹿甚だしい!)。
基礎はやってやり過ぎることはない,というモットーは私のピアノと共通するものがあり,当時は安心して預けられる先生だった。

あれは小3の冬だったか,本人が嫌いなイカの雲丹和えで蕁麻疹を起こし,以降薬を飲んでも,蕁麻疹が出ている時にかかる負荷全てが蕁麻疹の引き金になってしまった。その「雲丹和え」の日は私の友人の葬儀があり,バタバタと食事の支度をして出掛けてしまった為,我慢して食べたのだろう。
折悪しく,初めてトウ・シューズを履いての発表会に向けて厳しいレッスン。汗も相俟って,発表会当日も全身が真っ赤だった。楽屋で痒み止めを塗ってやり,本人はいたってケロリとしていたが,以降バレエの教室に通う度に出る酷い蕁麻疹は半年以上続いてどうしようもなく,医師からは一旦止めて抗原抗体反応が消えるのを待つ様勧められてしまった。確か小4の夏だった。
本人が本当にやりたければ,そして一人で通える年齢になれば通えるであろう,振付けと音楽が素晴らしく一致している先生も存じ上げていたし・・・

と,常に話が昔にタイムスリップしてしまうのだが・・・Staatsoperの胡桃割りに登場する子供達を見ながら思い出してしまった。

娘のバレエはその後復帰することなく過ぎてしまった。背丈もトウで立ったなら多分180~190センチになるまで成長。日本では相手になるダンサーが居なかったであろう,と,バレエを止めたことを正当化して自分を納得させている親である。
尤もその後劇団でモダンバレエを習う機会はあったのだが。

話が逸れっぱなしになってしまったが,演出がどんなに変わろうとも,大好きな「胡桃割り人形」。在墺中にもう一回は観たいと思う。

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15. Jänner 2008 -als ob mit einer Zeitmaschine...-

Heute abend genoßen wir -Hiroshi, Maya und ich- das Ballett "Der Nussknacker" an der Staatsoper. In der ersten Reihe einer Loge! Was für tolle Plätze ! !
Wir konnten nicht nur die Bühne sondern auch der Orchesterraum gut sehen.

Als der Vorhang aufging, gab es keinen Schneeflöckchen vom Himmel, wie ich vor 30 Jahren gewöhnt war.
Zu beiden Seiten der Bühne standen dunkelblaue Wände mit weißen Pünktchen darauf, das solle Schnee sein.
Die beiden Inszenierung will ich nicht vergleichen. Aber ich kann nicht umhin, an mich das schöne alte Bühnenbild zu erinnern.
Ich war auch erschrocken, als eine Leinwand langsam herabkam, darauf ein Computerspiel sich spiegelt, und damit die Ballettkinder auf der Bühne spielten.
So läuft die Zeit...aber...

Trotzdem war "Der Nussknacker" sehr schön und ich fühlte mich wie in der Siebzigerjahren.

Ich erinnere mich an einen Tag kurz vor Weihnachten 1975. An diesem Tag stand ich Schlange an der Kassa, um eine Karte -vermutlich für den Stehplatz- zu kriegen.
Da kam eine hochbejahrte doch elegante Dame zu mir.
"Um die Karte?" fragte sie mich. "Ja!" antwortete ich. Dann nahm sie eine Karte aus ihrer Handtasche heraus und sagte sie zu mir, "Bitte, nehmen Sie diese..." ..." Na ja, es ist zu teuer, weil ich eine arme Studentin bin.." -ich waiß nicht genau, was ich sagte.- Die Dame sagte weiter, "Ich würde Sie einladen. Geschenk! "
Ah, es war als hätte ich geträumt.
Ich saß neben der der Dame und sah den "Nussknacker" auf einem prächtigen Sitzplatz.

Manchmal denke ich daran, wie es der Dame geht, oder manchmal bereue ich, dass ich nicht um ihre Adresse fragte. Ich war überglücklich.


Als ich Mutter wurde, besonders als mein zweites Kind ein Mädchen war, dachte ich, es wäre schön, wenn die Kinder Ballett lernen könnten.
Meiner Tochter Maya wurde empfohlen, eine Ballettlehrerin -ganz in der nähe von unserem Haus- zu lernen.
Soweit es die Zeit erlaubte, war ich da in diesen Ballettkurs um ihr umzuziehen zu helfen, und beobachtete die Stunden.
Ich begeisterte mich dafür, dass Maya schon als vierjähriges Kind zusammen mit Musik von F. Chopin "Grand Plier" " Demi Plier" "Changement" "1. Position" "2.Position"...usw..übte und tanzte. Das waren nur die grundlegenden und einfach fundamentalen Übungen. Trotzdem war das eine große Freude für mich.
Besonders die Denkart der Lehrerin, die fundamentalen Übungen können nie zu viel sein, war mir sehr sympatisch. Ich lehre auch so Klavier.

Eines Tages bekam Maya Nesselsucht. Sehr wahrscheinlich deshalb, weil sie am diesen Tag Seeigel und Tintenfisch aß. Danach obwohl sie Medikamente gegen Allergie nahm, halfen sie nur wenig.
Der Arzt meinte, die Krankheit entsteht durch zu große Belastung auf die Ekzeme.
Unglücklicherweise lernte sie eben zum ersten Mal mit Spitzentanz für eine Aufführung.
Er riet, sie solle auf Ballett verzichten, bis die allergische Reaktion aufhört.
Das war sehr schade. Aber wenn sie wirklich wieder Ballett lernen wollte, würde sie selbst wieder anfangen.
Bis jetzt gab es keine Gelegenheit.
Vielleicht ist es gut so, sie ist ziemlich groß geworden...


Jetzt bin ich zwar von Thema abgeschweifelt, aber "Der Nussknacker" hat Maya auch begeistert.


Übermorgen fliegt Hiroshi nach Tokio zurück.

Es war heute ein glücklicher Tag.




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夕暮れのドナウ - 2008.01.14 Mon

主人が帰国してしまう前に,とV一家から誘われて,ドナウ川沿いにあるレストランにて6人で食事。

少しずつ昼間が長くなってきたとは言え,食事を終えて外に出ると空には三日月。

ドナウの上の三日月


少し散歩をした。

ドナウ2


ドナウ


その後車でカーレンベルク,レオポルズベルク経由で帰宅。
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そろそろ疲れが・・・ - 2008.01.11 Fri

昨年の疲れ,体調不良を引きずったまま日々が過ぎる。

夫が,是非一度訪ねておいた方がよい,と,朝から3人連れ立って街に出る。
その後,30年位前に夫が何年も所属していたORFの場所に,ORFショップが出来ている,というので出向き,3人であれやこれやと購入。
私は・・・・・勿論Peter Minich!!!

一旦帰宅し,爆睡の後,2度目の「こうもり」@Volksoperへ。
今回はギャラリーの真ん中,前から二列目,という全体の響きが聴こえ,しかも舞台奥まで全部見渡せる場所。何より舞台上方に掲げられた英語でのシーン解説が目線より下にある訳で,娘には有難かったようだ。前回の席は見上げて読む場所だった為,舞台を見ていると解説は視野に入らない訳で・・・

前回とは指揮者も配役の半分も違い,又少し新鮮に楽しめた。
プロンプターに向かって話しかける演出部分では,プロンプターが客席に見える様に手を振った!!大爆笑!!!

(書きかけのまま送信)
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ザルツブルク日帰り - 2008.01.10 Thu

昨日スペインから帰ってホッとしたのも束の間,まだ旅行の続きの如く今日はザルツブルクに出掛けることになった。
17日に夫は帰国する為,一日空いているのが今日しかない。
暖かかったスペインから突然真冬のザルツブルクへ!?……との心配は不要だった。

一昨年,娘の,「ザ・サウンド・オブ・ミュージックの舞台になった所を見たい」との希望を叶えるべく,出来る限りの場所は拾ったのだが,短期間の上に予定以上に諸用が増え,しかも高熱(私が)で一日無駄にしてしまい,行きそびれた場所もあり・・・
何よりも私は雪のザルツブルクに再会したく,又,街の向こうに見えるアルプスを見たくて(あぁ,これも30年ぶりだ)今回同行した。

朝8時22分ウィーン発のモーツァルト号に乗り,10時58分ザルツブルク着。
列車の途中には少し雪景色も楽しめたのだが,着いたザルツブルクの暖かいこと!!
後で聞けば,フェーン現象だったそうで,街はコート無しで歩いている人も居たのは当然だった。

im Zug


im Zug2


凍ったWallersee




着いて,まずはお馴染みミラベル庭園を突っ切る。これが,雪どころか,芝生に菫・・・
この辺りは三十数年前の通学路。冬の通学路が大好きで,わざわざ雪の日を選んでレッスンに出向いたほどだった。
勿論暖かい日もあったが,冬にこんなに花が咲いていたこと無かった・・・
昨年夏の,体感温度40℃のザルツブルク然り,余程私の日頃の行いが悪いのだろう。
・・・否,これは寧ろ地球破壊を真剣に案じねばならない。


お馴染み景色


夫が薦める,ホーエンザルツブルク城を一望出来るメンヒスベルクのエレベータに乗る。すると,あの映画の中で,マリアと子供達が「ドレミの歌」を練習しながら歩いていた場所のひとつに出る。あの歌は,街の至る所で歌いながら歩いたり走ったり,又自転車に乗ったりしていたから「あの場面」というのも難しいのだが。

珍しく雪が無い


?



私の希望するアルプスは好天のお蔭で遠くにはっきり見えた。

アルプス


(安いデジカメでズームアップ。実際にはもっと尖った輪郭)
アルプスを望遠で


一度も音楽会のチケットが取れたことがないフェストシュピールハウスの中を,
ガイドツアーで回った。

(かの映画の亡命前,最後のステージとなった場所)
亡命前のシーン



ザルツブルクは大好きな街なので,写真は学生時代のもの然り,一昨年と昨年と至るところで随分撮ったものがあり,どこかに纏めてアップ出来るとよいのだが・・・あ,これはHP本体に「写真」のコーナーを設ければよいのか・・・(いずれ,ぼちぼちと気長に致します…)

今までに観光しそびれたところを「散歩」の日。
最後はSalzburger Nockerlで締めくくった。若い頃,何度もチャレンジしたのだが,いつも最後にプシューっと潰れて成功せず・・・
残念ながら写真は撮りそびれた。店のクリスマスからの飾りには目が行ったのだが。

??



Mozartkugeln発祥の店,Fürstに立ち寄って,そのまま駅へ直行。

(夕暮れのプラットフォーム)
夕暮れの駅


又も「モーツァルト号」で戻った。
着いたウィーンは霧氷が舞って,遥かに遥かに寒かった。




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スペイン最終日 - 2008.01.09 Wed

朝,暗いうちに近くのカフェにて朝食。

(朝っぱらから生クリーム)
朝食


(ジュースはオレンジが自動的にゴロゴロ転がっていく機械。携帯画像なのですみません)
オレンジ


(カフェの壁面)
朝食4


ホテルからすぐ歩ける範囲で,観残しているところを散歩。

レイアール広場
??


???


世界遺産である「グエル邸」は生憎修復中で見えなかった。
?????


荷物を取りにホテルへ戻り,地下鉄で一駅乗り,空港へのバスに乗った。
バルセロナの空港も33年前とはすっかり様変わりし,大都会の大空港。

無事にウィーンに戻った。
V氏が車で迎えてくれた。

まるで我が家に帰ったが如く,気持ちが安らいだ。
素晴らしいものを沢山見た3人での珍道中だったが,やはり言葉を少しでも理解出来たならもっとリラックスして楽しめたのではないか。どこへ行くにも緊張が伴い・・・もう多分行く機会は無いだろうな,と思いつつも反省。
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スペイン5日目 - 2008.01.08 Tue

(写真だらけです。クリックすると大きくご覧頂けます。)

バルセロナには2階建てオープンカーのツーリストバスがある。
赤(北)ルート,青(南)ルートがあり(夏場には海岸に沿って走る緑ルートもある),いずれもどこで乗り降りしても可。1時間に何本も来るので大変便利。何日も滞在出来るなら自分で地図を見て各名所を訪ねるのが最高だが,我々の様に使えるのがたった2日間の場合は,詳しく見たい所に時間をかけ,他は,大変効率よく大都市バルセロナを一通り眺め渡す事が出来る。
いずれのルートからも外れているところは個別に訪ねればよい。

(バス二階席)
観光バス


昨日,Sagrada Familiaへはこの赤ルートを使って行った。

今日はまず,ホテルを出て徒歩ですぐの市場で朝食を済ませ,その後やはり徒歩にてカテドラルへ。

カテドラル


(黒いマリア)
黒いマリア


その後,世界文化遺産である「カタルーニャ音楽堂」へ。

(外観)
カタルーニャ音楽堂


カタルーニャ音楽堂2


カタルーニャ音楽堂3


カタルーニャ音楽堂4


10時から英語のガイドで回った。
20世紀初めに建てられた当初は,カタラン合唱団の本拠地として使われたそうだが,その後世界一流の演奏家やオーケストラがやって来て国際的一流ホールに変身していったそうだ。中心になったのはカザルス。
ガイド中,ホールでは工事の音と共に,翌日に行われるという子供の為の音楽会(世界遺産の中で聴ける子供たち,羨望!)に備えて練習しているアカペラ(所謂今どきのアカペラ)が又素晴らしい響き!!確か6人全員が口により楽器を模していた。娘も大学入学以来,ずっとこの類いのグループに参加して発表を続けているが,大学の庭ではなく,この様な世界遺産の中で演奏したなら,どれだけレヴェルアップして聞こえるだろうか・・・と又羨望。娘もガイドの説明半分,演奏に気を取られていた様だ。
と,話が本来のガイドの内容から外れてしまったが以降省略。

その後,青ルートのバスに乗り,カタルーニャ美術館を脇目に,モンジュイックの丘へ。
バスより


ここは1992年にオリンピックの会場となった所。

オリンピック3


オリンピック4


オリンピック5


バスからざっと眺め渡した後,港の上を横断するロープウェイに乗り,海岸へ。
ロープウェイの中からはバルセロナの街が一望出来た。

ロープウェイから


ロープウェイから3


ロープウェイから5


夏であったなら人々であふれかえっているであろう地中海の海岸。

砂浜


娘はあっと言う間にブーツと靴下を脱いで波と戯れていた。

砂浜2


水際


そのうち各自,綺麗な石や貝殻集めに余念無く…

貝拾い


(カモメの足跡)
鳥の足跡


ヨット



まだ訪ねたい場所が残っているので再びロープウェイにて街へ戻った。

再びロープウェイ


(コロンブスの塔・ロープウェイより)
ロープウェイよりコロンブスの塔



夜は,ホテルの向かいのリセウ劇場。
ここはヨーロッパの三大オペラ座のひとつだというので,どうしても観ておきたく,当日になってチケットを予約したが,残っていたのはまさに天井桟敷のみ。天井画は間近によく見えた。

リセウ天井2


リセウ天井3


リセウ天井4


オペラはRossiniのLa Cenerentola。珍しい演出だった。衣装も原色の奇抜なもの。
8時開演,第一幕100分。ここで30分の休憩。
挫折した。まだ第二幕,三幕とある訳だが,翌朝を考え,しかも舞台上手の前の方のみ見える席しか取れなかった為,オペラ座を観た,ということで満足することにした。

リセウ


リセウ2


リセウ3天井


*****************************

Zuerst besuchten wir die Cathedral und eines der spanischen Weltkulturerben, "Palau de la Música Catalana".
Um 10.00 begann die Führung auf Englisch.
Morgen findet ein Konzert für Kinder statt. Während der Führung übten die Musiker. Was für schöne Stimmen! !
Ich beneidete die Kinder, die in einem Weltkulturerbe Musik hören können.

Dieses Mal fuhren wir mit dem -Süd Route- Bus zu dem Hügel, wo 1992 die Olzmpiade stattfand.
Auch konnten wir mit der Schwebebahn hinauf und hinunter fahren.

Danach gingen wir an den Strand. Maya zog die Stufel aus und spielte im Wasser.
Wir suchten und sammelten schönen Steinchen und Muschelschalen.
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スペイン4日目 Barcelona -Sagrada Familia- - 2008.01.07 Mon

今回スペイン旅行を追加した理由は前に書いたが,バルセロナを選んだのも私の勝手な希望。

今を遡ること33年,ウィーンの音大に入学して4-5ヶ月目だった気がするが,当時の恩師より「バルセロナに行って来い」との通達。
日本ではコンクールをその固有名詞で呼ぶが,ヨーロッパでは開催場所で呼ぶ習慣があるらしい(例外もあると思うが)。まだまだドイツ語も買い物程度しか出来ない身として(そんな状態で,よく留学してしまったもの‥‥と今になると呆れる),「バルセロナに行く」ということは,遊びに行くことかと最初思ってしまった。
が,どうやら「マリア・カナルス国際コンクール」というコンクールが開催されるので,それに参加しろ,ということらしい…先輩達の(それも日本人の)会話から把握したのだった。
間際に申し込みをし,一次予選の曲だけさらって出掛けた。

ヨーロッパに渡る時は団体だったので,一人で飛行機に乗る,というのはワクワクし,地中海が見えて来た時には窓から金色に輝くさざ波に見入ってしまったのを思い出す。空港ではなかなか荷物が出て来なくてドキドキしたのは思い出すが,無事にホテルには到着したのだろう。その辺りは全然記憶にない。
翌朝,指定の時刻にコンクール事務局に行くが,開いていない。参加者がゾロゾロと階段に並んでいた記憶があるのだが,そのうち誰かが電話でもしてくれたのか,まだ開かないとのことで,これ又ゾロゾロと何か食べようではないか,と店を探したが午後2時にならないと開かない,とか・・・(食べ物の恨みは覚えているものだ)

・・・・・想い出話を書くつもりはなかったのだが・・・

一次予選の為の練習や,無事通過したのはよいものの,二次の曲をさらう為に(1年ぶりの曲などがワンサ)随分練習場所に足繁く通った。幸い日本人のT子さんと同じ建物だったので行動を共に出来,又,色々な留学情報を頂けて本当に有難かった。
その足繁く通った道が,どうやらSagrada Familiaに近かったらしく,四つ角を通る度,建物の隙間にあの何本もの塔(当時高くそびえていたのは4本だった気がする)が見えた。
そういうものがある事は知っていたのだが,不思議な形に心惹かれるまま訪れることもなく過ぎた。
コンクールは,コンチェルトを弾く本選には3人しか残れないので,2次で成績が良かった人にはメダルが出る。私も貰えた。そのメダルが銀色なので(本物の銀かどうか,未だに調べたことがない)「銀メダル受賞」と経歴に書くのが慣習となっている訳だが,決してオリンピックの金メダル銀メダルの「銀」ではない。コンクールによってシステムは様々だが…と,こんなことを自ら暴露するのも馬鹿な話だ。

話はSagrada Familiaだった。

近年,日本のテレビでも頻繁に報道される様になったこの聖堂。
1882年の着工,1883年よりGaudiが引き継ぎ,その後43年間を彼はこの聖堂の建築に生涯を捧げ,73歳で市電にひかれて突然逝去し,しかも彼は設計図というものを作らない主義だった為に(石膏で部品の模型を作ることで進めていたそうだ),一時期は,完成迄まだ200年かかる,と言われていたが,何とか2020年を目指して建築中という。
テレビで放映された細部を見て,実際この目で見たいと思っていた為に,今回「是非!」ということになった。

下から見上げる外観のみならず,内部の作業現場や,エレベータで塔の中を昇って,上方のステンドグラスや外部の彫刻も間近に見ることが出来た。下りは徒歩にて,空洞を見れば巻貝を象った螺旋階段を降りる。

Gaudiは,高さ170mのイエスの塔を中心に19本(記憶曖昧,寧ろ外国語力の不足。間違いはどうかご指摘ください!)の塔が立ち,外部内部には聖者のみならず人間,そして世の中に存在するあらゆる生物(螺旋状の細胞,かつて生息した生き物,……枚挙に暇がない…森羅万象)を石によりそこここに散りばめてキリスト教全ての表現を考えたそうだ。

サグラダ・ファミリア


SF内部と外観


SF


↓作業現場に,こんな絵が・・・
SF


SF3


聖堂


聖堂2


聖堂3


聖堂4


聖堂5


聖堂6


聖堂7


聖堂8


聖堂9


聖堂10



(下からは見上げていた果物の実の様なものがすぐ下に見えた)
聖堂11


(同じくステンドグラス)
聖堂12


聖堂13



(螺旋階段)
聖堂15


聖堂16


聖堂17


可成りしぼってアップしたつもりが大量になってしまったので,ここらでおしまい。

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Mit dem Besichtigungsbus fuhren wir in der Stadt herum.
Es gibt zwei Routen, und zwar eine rot und eine blau.

---Vor 33 Jahren war ich als Kandidatin beim Maria-Canals Musikbetbewerb in Barcelona.
Ich dachte immer, was für Türme das sind. Der Ort, wo ich Klavier übte, war wahrscheinlich in der Nähe von "Sagra da Familía". An jeder Straßenkreuzung sah ich die seltsamen, verwunderlichen, aber großen, geheimnisvollen und zauberhaften Türme an.
Die Türme wurden in den letzten Jahren so berühmt auch in Japan, weil man sie im Fernsehen zeigte.
Ich dachte immer daran, wieder Barcelona zu sein, um "Sagra da Familía" zu besuchen.

Dieser Wunsch wurde Wirklichkeit. Außerdem konnten wir in die Türmen mit dem Lift hinauffahren. Wie Gaudí die Struktur dachte, konnten wir überall auf den Photos und Plänen sehen und lesen.
Achtzehn Türme wurden zu Ehren Jesus Christus, der Jungfrau, der Apostel und der Evangelisten errichtet. Gaudí entwarf diesen Tempel nicht nur als einen Ausdruck der naturalistischen Architektur, sondern auch wie einen biblischen Text, der in Architektur um gesetzt wurde.

Danach fuhren wir wieder mit dem Besichtigungsbus -Route Nord- in der Stadt herum.
Nachdem wir einmal ins Hotel zurückkamen, gingen wir wieder weg, um Souveniers zu kaufen.
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スペイン旅行3日目(バルセロナへ移動) - 2008.01.06 Sun

出発まで時間あり、まだ見ていない名所を、と目抜き通りを歩く。
前日のパレードの折の散乱物の掃除をしている光景あり。
ところどころに設置されたロダンの彫刻・・・
中でも↓は「う~~む、こんなに騒ぎ立ててよいものだろうか」と考える人。

ロダン


午前中はパルマのカテドラルの中に座ってじっくり見学というか出席というか…
この様な島にも立派なカテドラルがあることにまず吃驚。
しかも観光客が多いであろうことを前提に、「ようこそいらっしゃいました」という挨拶がドイツ語や英語でもなされた。

パルマのカテドラル


パルマのカテドラル4


椰子の木に囲まれたカテドラル!しかもその向こうは地中海。

カテドラルの外



Caf�でくつろいだ後、一旦荷物を取りにホテルに戻り、バスで空港へ。
空腹に備えてサンドウィッチやソーセージ類、飲み物などを購入したが、結局誰もお腹には入らず。

飛行機はサービスでビジネスクラス。荷物は一人30キロOKだというのに、我々の持ち物と言ったら全員で24キロ。吝嗇な私としては残念無念。
でも、半世紀以上生きていて初めて「コックピット」なるものを覗けた!!
コックピット


その上、30分もかからぬ飛行時間に食事も出た。


バルセロナに着いたものの、既に真っ暗。インフォーメーションの輩は説明が面倒なのか、地下鉄の乗り方は教えてくれずに「たった一駅だから歩け」とのたもう。
荷物をガラゴロと引きずって目抜き通りを歩き、何とか辿り着いた。
疲れた!!あぁ、食糧を買い込んであってよかった・・・と3人でそれらを食べて「おやすみなさい」。

***************************
Vormittags gingen wir in die Kathedrale und konnten die Jubiläumsmesse "Drei Königenstag" erleben.
Eine so großartige Kathedrale auf einer so kleinen Insel !
Draußen gibt es viele Kokospalmen an der schönen blauen See entlang.

Nach einigen Stunden kamen wir zum Hotel um Gepäck abzuholen, dann fuhren wir zum Flughafen.
Am Abend kamen wir in Barcelona an.

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スペイン旅行2日目(マジョルカ島) - 2008.01.05 Sat

8時のバスでPalma(マヨルカの最大都市)よりValdemossaへ向かった。
ショパンが結核の転地療養に使ったという土地がどんなところだったのか、ジョルジュ・サンドと共に過ごした修道院の様子など、この目で見てみたいと長年思っていた。
ショパン滞在当時は廃墟の様なところだったそうで、又その土地としては珍しく続いた悪天候も病気の悪化を余計に助長し、滞在は2ヶ月のみに留まったらしい。

そう聞かされると、彼がヴァルデモッサにて作曲した数々の作品が、私にとっては余り好んで自らは弾こうとしない曲(勿論顰回に弾いてはいるものの)であることが妙に頷けてしまう。

(出発するバス停近辺の夜明け)
マジョルカの早朝



(Valdemossaが見えてきた)
バルデモサが見えてきた


(以下、修道院及び近辺)
バルデモサ修道院へ


修道院


ショパンの像


修道院2


修道院4


ショパンの名が


町並み


修道院の中


ショパンスケッチ


(近くのCaf�に飾られたイエス誕生)
カフェの


(そこで食べたミルフィーユ。ウィーンのミルフィーユ=クレーメシュニッテも可成りのボリュームだが、更にその3倍の大きさだった。一人で完食!胃が治らない訳だ
完食する前に



バスにて又Palmaに戻り私は爆睡。
夫と娘は、海近辺まで散策。

明日がドイツ語圏の「Heilige 3 Könige」なのだが、スペインでは前日の5日に子供たちにプレゼントを持った3人の王(博士)がやってくるそうだ。街はパレードの人・人・人・・・・・
テレビでも、王に扮した3人が船で島に到着し、街をパレードする様子が何時間にもわたり放映されていた。

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Um 8 Uhr fuhren wir mit dem Bus nach Valldamossa, wo F. Chopin mit seiner Freundin George Sand einen Winter als Kur verbrachte.

Um 8.30 Uhr öffnete der Mönch das Haus ,wo Chopin wohnte.
Ich kaufe das Buch "Ein Winter auf Mallorca" von G. Sand.
In die Stadtmitte schleuderten wir in diesen kleinen Dorf umher.
In einem Cafe bestellte ich eine Cremeschnitte. Die war viel Mal größer als eine Wiener Cremeschnitte ! ! !

Nach Palma fuhren wir mit einem 2stöckigen Autobus zurück.
Da fand eine riesige Parade von drei Königen statt. Ich blieb im Hotel und sah diese Parade im Fernsehen.
Vorher wurde ein Film über Habsburger, Sisi, Franz Josef...gezeigt. Schade, dass ich kein einziges Wort ( Spanisch ) verstand.

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スペイン旅行1日目(マジョルカ島) - 2008.01.04 Fri

ウィーンからバルセロナ経由でマヨルカへ。

マジョルカ島と言えば真っ先に浮かぶのがショパン。
しかし、文献で読んだことのある乏しい想像が覆された空港。
現代的、且つ椰子の木に囲まれた果てしなく広いバス乗り場に、まず度肝を抜かれた。


マジョルカ着


マジョルカ着2



スペイン語(しかも日本の語学番組等で使われている所謂「スペイン語」ではない「カタルーニャ語」)を全く習得していない我々3人。まず、どのバスが市内に行くのか迷う事暫し。

それでも無事にホテルの最寄り駅到着。
カトリックの国はどこもそうだろうが、1月6日に3人の王様が東方よりやって来るまでがクリスマス。目抜き通りはどこも華やかなイルミネーションに溢れていた。

マジョルカの街


マジョルカの街2


(上の写真、何かに似ている……とずっと気になっていたのだが、何と!幼い頃の夏、毎年お世話になった「蚊帳」だった。

一旦ホテルに荷物を置き、少々休み、夜は7時半から開いているというレストランへ。
ワインセラーをレストランに改造して100人収容可能というレストランにて(セリェール・サ・ブランサというらしい)まずスペインの第1食。
日本からの疲れをまだ引きずったままらしい。私はそこでこの日は終了。
夫と娘はそれからコーヒーを飲みに出掛けたそうだ。何とタフな!!


【★写真は軽くしたとは言えそのままを載せていた為画面に収まらず、本日分よりサムネイルにします。ポチッとしてご覧ください。粗いものは携帯写真です。】

***************************

Über Barselona kamen wir in Mallorca an.
Ich starrte zuerst, dass der Flughaen Mallorca so modern und groß ist.
Auch so viele Palmen am Flughafen ! ? . . . Ach, deshalb nennt man die Stadt "Palma de Mallorca!.
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Jahreswechsel - 2008.01.01 Tue

明けましておめでとうございます。

昨年は思いもかけぬところでの出逢いも多く、沢山の方々に支えられ、公私共々お世話さまになりました。
又、ご迷惑をお掛けしたまま音信不通と申しますか、筆無精のまま年が変わってしまい、厚くお礼を申し上げますと共に、深くお詫びを申し上げます。

今年も宜しくご厚情のほどお願い申し上げます。

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プロフィール

奥 千絵子

Author:奥 千絵子
★上の画像は2001年にCDにして約3枚分を収録したものを,2006年に2枚組としてリリースしたCD「樂の音に寄せて」です.『レコード芸術』2007年1月号で「特選盤」として取り上げられました.戸倉新樹教授によるライナーノートは医学生にもお薦めです.その他のCDや著書はWebsite「本館」からお入りください.このブログも「本館」のDIARYです.
★このブログの"Grüß Gott !" (文字化けの場合はGruess Gott!)は墺・南独の時間を問わない挨拶です.Website「本館」のDIARYです.出版CDや著書の詳細は「本館」のメニューからお入りください.
Website「別館」もあります. 著書「ピアノと向きあう」の説明を補うサイトです.よく頂く質問に説明を記載しています.
★上記著書については今井顕 氏によるKINOKUNIYA書評空間WEBLOG を是非ご一読くださいませ.
Auch auf Deutsch schrieb ich…
★【膠原病の記録】余りに医療のカテゴリーがが増えてしまったので目下整理中です.大変複雑な病気の経験が同じ病の方々への参考となりましたら幸いです.
「乳癌と膠原病(皮膚筋炎・多発性筋炎)」「膠原病(退院後)」 ,その他の医療の話(自分以外も含めて)は「医療・病院関係」,に取り敢えず分けました.
平成12.12.12.病院での復帰リサイタルは演奏動画入り記録です。
★恩師のことは55年間を遡り少しずつ記載するつもりです。目下のところはこれだけです.
★コメントも大歓迎です。SPAM防止上、確認後に公開しております。ご理解をお願い致します.
★このブログや大元のサイトへの感想やお問い合わせはservus2008@gmail.com宛に@を半角に直して送信願います.
【BGM】
Robert Stolzメドレー
演奏:東京カンマーコレーゲン 
室内楽アレンジ:奥 千絵子
ショパン:華麗なる大円舞曲Op.18
演奏:奥千絵子 ショパンのワルツは上の画像の2枚組CD「樂の音に寄せて」に入っております.
★Copyrights©1997-2020 Chieko Oku All rights reserved.
制作・著作:奥千絵子
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