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2007-07

ウィーンでくつろぎ… - 2007.07.29 Sun

前の日記同様、日付は日本時間です。ある日記サイトでの文章と自分のコメントを繋ぎ合わせ(友人たちのコメントはおそらく彼らの情報に関わるため割愛)。
それを何年も後にアップしました。写真もその時に入れました。

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日曜三つ目は本音    2007年07月22日20:20



どうしてこのような旅になったのか…本来は二曲だけ聴いて頂く筈、後は気晴らしの筈だった。

それがケーキも一度も食べず、呑まず、外食もせず。(TさんとIさんには心から感謝です。あれがザルツブルクでの唯一のワインとご馳走と相成りました)

原因は猛暑。
そして思い残す事は無い、とも書いた。

差し障りが出る事を案じたが、やはり書こう。そしてライグラフ先生にも手紙で伝えよう。


ライグラフ夫妻は私の病気をご存知ない。
乳癌だけだと思っておられる筈。
一応、膠原病の説明はした。免疫力が異常に働く事から来る、一生付き合う難病であること。でも理解はしてもらえなかった。
5年前に独検二級(現・準一級)の面接でその話になった時、試験官に理解して貰うのに甚だ苦労し、日本人のアシスタントが更に試験官に説明してくださり、「語彙の豊かさ」として合格したようなもの。本来自国の言語であったとしても難しい。
87歳の、それも病気や障害を茶化すような方には…と諦めた。
奥様然り、Immunität(免疫)は通じなかった。
暑さも相俟って(語彙の乏しさに加え)説明も投げやりだったかもしれない。

コンサートのパンフレットは渡したが、これが日本語しか書いておらず、説明も避けた。
後援が膠原病友の会であり、病気と共存している者が同じ立場の人々に励ましと勇気を与える事が本来の趣旨であること。だからドタキャンもあり、というのが当初の企画。
けれども身体に負荷をかけすぎての準備でドタキャンとなれば、勿論本末転倒である。


何もかもが暑さから、ということにしておこう。 いや、実際そうなのだ。
ギリシャは酷暑で、オーストリアよりももっと大変な事態が起きていたらしい。

今日は幸い涼しく頭も涼しい。
やはり先生に伝えるべきであろう、と列車の中、暇に任せて手紙を書いた。勿論お礼とお詫びを真っ先に書き、ウィーン到着の報告、その後に。

狭い世界です。
意思の疎通の無さから(あの調子でしたから)何を話されるか。
想像すらしたことがなかったのですが、8月には大勢の日本人(主にかつての教え子)が先生の元に行く訳です。

余りに擦れ違いが多かった。
義父もだが、私の声はどうやら耳の遠い方々には聞き取りにくいらしい。




ウィーンではケーキ食べるぞワイン飲むぞ
まるでコンクール直前の、思い出したくないのザルツブルクの日々と同じでした。

感謝を持つからこそ、食い違いは避けたいと思う。

もうすぐウィーンだ第二の故郷
又後ほど。

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皆さまのお陰で    2007年07月23日12:49

昨日は、やっと来たよ!ウィーンに!と思ったもののどうしたことか左股関節が痛い 。
思い返すに、ザルツブルク駅で片手でトランクを押し、片方の肩には手荷物という不自然な姿勢で長い長いプラットフォームを歩いたから。旅行会社の日本人女性がスタスタと先に行ってしまうのを追い掛けるが如く歩いた為に違いない「少しゆっくり」との日本語がどうして通じなかったのだろう?。
何しろ、日本人が盗難にあったハプニングから、たかがチケットを買うだけなのに時間計算狂い、その女性も内心焦っていたに違いない。(どんな女性か、娘の去年の推測は実に的を射ていた)

と、愚痴はやめよう …

無理はせず、でもじっとしているのも勿体ない !

今年6月初め頃だったか、あるサイトで知った以前から探していた場所。
そこへ行く事に決めた。
72時間有効の交通機関のチケットを買い、U4に乗り。


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写真は載せずに過ぎ    2007年07月24日01:10
(写真を此処では入れます)

昨日着いたホテルは、何と私や夫、少し後には妹も学んだ当時のMusikhochschuleの斜め裏にある
何だか又もやタイムスリップ。
どこかに行きホテルに戻る道は、当時の通学路そのまま

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丁度昨日はHochschuleの玄関の両側に上から黒い布が垂れ、これは関係者が亡くなった時や、国の重要人物が亡くなった時に垂らす。

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誰だろうか?と少し気にしつつ、今朝通ったところ扉が開いていたので、懐かしさから中に入ってしまった。
壁に、我々が学生だった頃ピアノ科の主任教授だったSchwertmannの死亡通知。
思わず携帯でピロリロリーン
傍に居た守衛に注意された。しかし、私はここの(丁度30年前の)卒業生であり、当時の教授であった名前にびっくりした事を告げると、にこにこ顔に…


今日は幾分凌ぎ易いとは言え、アスファルトの照り返しは焼け付く様。

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(息子の出産の折、オーストリア国から頂いた多額のお祝い金で、この店↑で買い揃えました)


時間が惜しいと思いつつホテルに戻って昼寝しました。起きねば…と、Cafe OBERLAAを目指して出発。生クリームの半端じゃない特別注文の写真。

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娘へのお土産、それも小物ばかり買い、息子を始めとする諸家族にはどうしたものか ・・・


それにしても、一体いつから自転車が許されるようになったのやら・・
私が居た頃は、一方通行を守らないと怒鳴られたものだ。
そもそも自転車で走っていると、周囲から怪訝な顔をされた。当時は人口の4分の1が高齢者の街だった。

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(ausgenはausgenommenの略。「…を除く」つまり「自転車を除く」)



音楽を聴かない旅もどうか、と唯一日程が合ったシェーンブルンの「蝙蝠」を明日楽しみます。
チケットを自分で電話したが留守電ばかり。仕方なく旅行社に出向いたところ、15ユーロ手数料が掛かるという。馬鹿らしく去り、街のチケット売り場で残り僅かな中の一枚を購入。13%の手数料はかかったが、当日出向いてもチケットが無ければ無駄足となる訳で。
きっと夫の元同僚が大勢関与している筈。夫に電話したならきっと手配してくれる事も分かるのだが、今回は彼らには誰にも会わない内緒の旅行が故…

さて、ケーキで満足、支払いして出よう

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番狂わせ     2007年07月25日01:04

恵の雨、急な涼しさ、有難いこととは言え、スケジュール狂います

ところで、今回は見知らぬ所ばかりを探索。
某サイトが大いに情報を提供してくれまして、前述のミツコもさることながら、昨夜は国連都市に足を延ばしました。
しかし思い付いた時間が遅すぎ、昼間の明るさながら、着いたのは夜の9時。
地上170mだかの見晴らしの所での食事は勿論間に合わず、又、国連の中のガイドはパスポート持ってドイツ語もしくは英語のツアーだそうです。

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あ、動画も録ったっけ・・・(まさか動画まで録るとは思わず、一番安いデジカメを買ったことを悔いる)

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英語を復習するかドイツ語を習得するか、又課題と夢が膨らみました。


帰りは、街角でソーセージと胡瓜のピクルスを買い、片手に持ってホテルに戻り、使いたくなかったミニバーからワインを ・・・
冴えません。

しかも、街に何と若者が増えたこと!!
嬉しいことではありますが、余りにイメージが変わりました。

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今朝はHaus der Musikという所に行き、 コンピュータを駆使した体験をしてきました。

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(早く着き過ぎたので中庭のピアノを弾いて待った。こういうのは気持ちが良いです。ポピュラーどころを)

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これも、某サイトでの情報。
耳の仕組み、脳のシナプスへの道程など、音を捉える人間の構造。

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ウィーンで活躍した大作曲家の秘密。
ベートーベンの聴力減退も何段階にわたって体験。


極めつけは、ウィーンフィルを指揮する !!
コンピュータ画像のバーチャル。

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曲は色々あるのですがね、上手く出来ないと団員がEntsetzlich!!なんちゃらかんちゃら…ワイワイ文句を言われる。キュヒル氏は睨むし。
なまじ強弱を付けようとか、テンポ揺らそう、は駄目!数回やってカラクリが解りました
最後は”CONGRATULATION!”と画面に出てウィーンフィルから拍手。

(何やってんだか・・・)


雨が酷くなり、スーパーで買い出ししたのが大変なことになり、旅行中初タクシー。
荷物、何とか入るかな??

折角シェーンブルンへ行くので、ヒーツィングの墓地を訪ねるつもりだったのですが諦めました。
アルバン・ベルクやオットー・ワーグナーなどなど芸術家に並び、ミツコの墓もあるそうで…
この雨ではちょっと…

又の日があることを願いつつ。
そろそろFledermausに出掛けよう
(とは身内ネタですみません)

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日付では二つ目の日記。   2007年07月25日19:20

昨日の「こうもり」@シェーンブルン、第一幕の間に土砂降りとなったらしい。
休憩で外に出たら凄まじい水溜まりと夕日に照らされた建物が美しかった。
公演については又。

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今朝はチェックアウトまでのぎりぎり2時間を使い、クーデンホーフカレルギー家の墓地を見て来ました。
中央墓地並……困っていたら折よく守衛さんが戻り、地図をくれました。別な入口に移動し、入ってみたものの番号も出ておらず、諦めようかと思ったところに管理の、というか掃除のおじさんが二人来たので尋ねたら、探してくれました。

あぁ、長年の夢が叶いました!


おじさん達に感謝。
既に居なかったけど大声でお礼言ってホテルに戻り、ジャスト時間。

又後で続き書きます。

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どうしてウィーンを延泊にしなかったのか…思い出すに、ザルツブルクからドイツの街数ヶ所行くつもりだったのでザルツブルクを3泊延ばし、まぁ、ウィーンはそのままでもよいか(ツアー扱いなので)、って…
予定がすっかり当初と変わってしまったけれど、あの暑さではドイツ行くのもしんどかったかも。
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説明不足でした。
「添乗員無しのフリースタイル」という「ツアー」でありまして、元の形は「ザルツブルク・ウィーン鉄道の旅」という6泊8日のスケジュールなのです。

今回はユーロの高さに辟易でした。
2002年、ウィーンだけに娘と行った時はユーロが安かったし、季節も季節だったし、同じツアーだったのですが2人分合わせても30万円弱だった!!(飛行機+ホテル。7泊9日だったか??飛行機はJALではなくオーストリア航空使った)

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無事に帰りました    2007年07月27日00:03

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午後に成田着。
何ごとも起きずに無事に帰宅しました。
トランク開けて、中味を定位置に戻しつつ片付け・・でも定位置の無いものはどこに納めるか??頭を使う作業はしんどく中断し、パソコン開きました。

・・・初めて使った国際ローミングの携帯は、重さそのものも軽く、ボタン操作も軽やかで、とても使いやすい機種だった為、パソコンで見たら余りの日記の量に吃驚、というより呆れました。(いつもは携帯宛のメールもパソコンから打っているほど携帯は苦手なのに)

ただ、絵文字が想像していたのと随分違っていた。

その携帯は、ピアノで言うなら・・現代のスタインウェイと大昔のヤマハのアップライトの違いか、パソコンで言うなら、キーボードの凹凸の無いノート型と、打つ度にカシャカシャと指もひっかかるほどの外付けキーボードの違いくらい。
出発前日に、旅行の記録でも・・と、夫に買ってきて貰ったノートは全然使わず終い。
我ながら何と無精になったものか、と思いましたが、機種の所為の様です。慣れると携帯でも何と速く打てる様になるのだろう、と感心したのも勘違いだった。

いやはや・・暑かったです。
新聞も異常気象ばかりでしたが、気温のオーストリア過去最高記録は、1983年、Kaernten州のDellachというところの39.7℃だったそうで、それを塗り替えるか、ちょっとした話題だったのが、0.2℃及ばずだったとか・・40℃を越えるの越えないの、と騒いでいたらしい・・(体感温度は超えていたことでしょう)

アメリカよ、何とかしてください!地球は既に壊れています!!


帰りのアムステルダムからの飛行機はがら空きで、どこに座っても良い、とのこと・・・横3席を全員が使えるほど!
離陸の前から居眠りして、気付いたら「お休みの様なので、お食事をお運びしておりません。お目覚めになりましたら声をおかけください」とのメモが貼ってありました。

食べて又すぐに眠ってしまい(3席使って横になり)、気付いたらハバロフスク辺りでした・・・

取り敢えず「ただいま!」

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バルカン半島は最悪だった様です。44℃とか??
ハンガリーでは猛暑による死者が500人とか・・・どこまで本当なのか分からなくなってきました。(数字も覚えるのは「もの忘れセンター」の上に・・)

時期はいつを選んでも「外れ」となる可能性があるので仕方なかったです。

クーラー利かせて夕飯の支度するささやかな幸せを感じた今日でした。

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デジタル化  2007年07月28日01:02

帰国して、再び「食っちゃぁ寝」の日々が始まりそうです

それでも今日は、初めて使った電子機器たち(大袈裟な!)あれこれをパソコンに取り入れました。

まずは例のRolandのR-09で録音したあれこれ。
これは、自分でOS9に対応しているものをAmazonで買ったので何も問題なかったのですが。
デジカメはOSXではないと駄目、とマニュアルに書いてあったが、それでも密かに望みを抱いて円盤(インストール用のCDを私はこう呼んでいます)を試しに入れてみたけど、対応していません、と表示が出るだけ。

・・・

・・・

・・・

でも、何もインストールしなくたって、画像を見るだけだったら(つまり画像をあれこれいじくらないのなら)そのままドラッグ&ドロップでよいのでは???

と、試しにやってみたら何も問題ないではないか!!
専用コードで繋げて、フォルダ作って、ずり~~~っと纏めてポットン !!!


旅行の最後に大急ぎで訪ねた、光子・クーデンホーフ=カレルギーの墓をここにアップ。

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読み辛いですが、一番下に;
Maria Thekla Mitsu Gräfin Coudenhove geb. Aoyama
geb. in Tokio 7. Juli 1874. gest. in Wien-Mödling 27. Aug 1941
とある。
(マリア テクラ ミツ クーデンホーフ伯爵夫人 出生青山家 1874年7月7日東京に生まれ、1941年8月27日 ウィーン- メートリンクにて逝去)


 



彼女の手記を、シュミット村木眞寿美さんという方が編訳して1998年に出版しておられるのだが、これが又凄い!!
ミツコの真実を伝える為に、ドイツ側のチェコとの(当時はオーストリア・ハンガリー帝国)国境近くに4泊し、ドイツ語でタイプされた400枚と64項目の手書きエッセイを猛スピードで音読して録音をし、ミュンヘンに戻ってから書き取りをして訳したそうだ。(「クーデンホーフ光子の手記」)

その続編とも言える「ミツコと7人の子供たち」も興味深い。

コミック本もなかなかコンパクトに、若い女性に勇気を与える構成になっているが、可成りの脚色は否めない。
そもそも、骨董屋の遊び人であった父親の借金の形に身売りした、というのが真実の様だし。
コミックでは好青年のハインリヒも、写真ではまさに「紅毛で魚の目をした白い鬼(Teufel)」。



チェコ語を今から勉強するのは難しそうだから、英語でも学びなおして、ロンスペルクの館でもそのうち訪ねてみたいなぁ・・・


ハインリヒ亡き後、体調を崩したミツコだったが、健康を取り戻した後にはハンガリーの土地を売り、1908年秋にウィーンに移住したそうだ。
それがあのHiezingのMaxingstrasse12!!
本によると「二階の大きなフラット」となっているのだが、日本で言う二階なのか、向こうでいう二階なのか??

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この家で、ミツコは子育てをしたことになるのだ・・・
見上げながら感慨の深いひとときでした。




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更なる偶然   2007年07月29日00:18

前の日記のコメント欄に書いて、まだあったのですが長くなるのでこちらに改めます。

Hiezingのカレルギー家の墓を訪ねる時、余りの道の長さに途中からバスを待ったのですが・・・
そのバスの行き先が「Rosenhügel」!!
私の元マネージャで、去年の写真にもアップしたり、(私のOS9では対応していないため)妹がグーグルアースで航空写真をスクリーンショットしてくれて載せたり致しましたが、その元マネージャの住む高齢者住宅の場所です。
日本を出発する前、何週間にもわたって電話をしたのですが、全く繋がらず・・・

去年ですらパーキンソン病で車椅子の生活、しかもその様な生活から来る二次的なものだと思うのですが、記憶が曖昧だそうで、さっきの事を忘れておられた。
私達(娘と)が行った時は、介護士も看護師も「日本から魔法使いが来た!!」と吃驚するほどしっかりして、英・独・仏混じりに夕方までお喋りが止まらなくなったのですが・・・一旦沈むと限りなく・・たった今の事を忘れてしまう。しかも筋力なし。
電話をかけても受話器を握れないであろうことは(去年の様子から)想像に余りあり・・・でも、ご本人が出られなければ誰か出てくれるだろう、と思ったのだが、結局毎日繋がらないまま私は諦めてしまった。


それが、もうあと1時間後には空港へ向かう!というその時に乗り合わせたバスが「ローゼンヒューゲル行き」とは何という皮肉な巡り逢わせだろう!?

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ミツコの墓を諦めたところで、とても高齢者住宅を往復出来る時間は無かった。
あと一日!事前に延泊しなかった事を悔いた。



ところで、もうひとつの偶然は今日のこと(日記に書いた以外で)。

いつもドイツ語の授業が終わると、隣りのクラスの方も含めて昼食を一緒にするので、名前は知らないのにすっかりお馴染みになったお一人。
どこに住んでいるか、という話になったところ、高校が我が家のすぐ傍であったこと、小中が何と!阿佐ヶ谷!!それも、私の中高時代の教会仲間たちと同じ小学校、中学校の名前が・・・(馬橋とか杉森とか)
ひょっとして「阿佐ヶ谷東教会をご存知ですか?」と訊いてみたところ、その幼稚園出身だと言う。
しかも、牧師宅にはしょっちゅうお邪魔して悪さをしていた、と言う。
牧師の息子さんとずっと学校が一緒だったとか・・・
私は牧師のお嬢さんの、中高一年後輩だったのですよ!と。
70年安保に便乗して教会まで分裂した話、私はそれを口実に教会通いを当時止めてしまったこと。母と妹は牧師に付いて別な場所へ移動したこと。

・・・・・世間の狭さに吃驚でした。

関連記事

前代未聞の酷暑/ザルツブルクへ! - 2007.07.23 Mon

何年も経ってからのコピーペーストです。
まだ、「え?私がブログなんて…」という頃の日記。
2007年12月31日以前の日記は、後になって遡って記載しております。

それ迄は、インターネットに公開する、と言っても全て仲間うちの鍵のかかった書き込みサイトで…
でも、それらは消えてしまうことも分かり。公開して構わない内容はブログに移動することに(これとて消える可能性はあるのだが)。

(カテゴリを「恩師」にすべきか「オーストリア」にすべきか迷いました。複数選べたら嬉しいのだが)

携帯から某日記サイトに書き込みをし、友人たちとやり取りをしながらの旅行の記録がいくつかあります。

勿論友人達のコメントはカットし、前後関係のために必要な私のコメント部分は編集してアップします。
前の年にも旅行したというのに、記録がない為、すっかり忘れている私の頭。勿体ない!!

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凄まじい異常気象でした!ザルツブルクが40℃!!
車のボンネットで目玉焼きを作ることが出来るほど、とテレビで本当に焼いている画面を放映。


旅行中の写真は後で載せることにし・・・(と書いて、編集した翌日に加えました)

日記途中の時刻は、全て日本時間です。携帯電話の時間設定を日本時間にしたまま書いていたので。

また、携帯の機能で、1文字打つと余計な単語候補がズラズラっと出ていることに気付かぬままアップしていたようです。気付いた範囲では消しましたが・・・

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無事に着きました (日本時間)2007年07月17日07:57


これからあの空に飛ぶのだ!!とワクワクし・・・

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真夜中にやっと着きました。
汗流してホッと一息テレビ点けたら、日本の大変な画面が…
そんな時にのうのうとゴメンナサイ!

フランクフルトの乗り換えが遠くてバテて、待ち時間も長いので恩師に電話。
モーツァルテウムでこっそり練習でも、と思ったら講習でごった返して不可能だそう。
当然ご自宅に行く事に。
それは大変嬉しい事で、お喋りメインで、演奏会とは無縁の曲を二曲これから仕上げるつもりだったのです。
密かに予感していたことではありますが、「リサイタルのプログラム全部弾くのか?」
とんでもない!
取り敢えず木曜にお邪魔します。絶対二曲だけ!意志を強く出掛けます!

遊びほうけた手指で。

話していると、卒業生のお歴々が定期的にレッスンに出掛けているらしいことが窺えます。

私は絶対Erholungです!先生ご夫妻とのお喋りも含め…

と、清々しい朝。
あちこちから一斉に教会の鐘の音が・・

思わず、初めて使うデジカメにも拘わらず、動画を録ってしまった!!音も入るだろう、と。

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「レッスンもErholungのうち 」との友人の書き込みに甚く納得、深~~く頷いてしまいました。
でもライグラフ先生の場合は練習していなくても(いなければ?)容赦無し。30歳の年齢差は永遠に30歳…
寧ろ、先生ご自身も私も完全に30年前にタイムスリップするらしい…苛酷なほど(絵文字出るのかしら?)
去年は知恵熱出しました。
(自宅なら奥様が忠告、提言して下さるでしょう…そろそろ休憩、と…hoffentlich)


2006年6月に娘とザルツブルクに行きました。
ザ・サウンド・オブ・ミュージックの舞台になった場所を見たい、との娘の希望と、私自身は、かつての同門の方からの年賀状に深く頷くものあり。それは、10年ぶりに先生のレッスンを受けて大変感動した、という内容。私は、と言えば30年近いご無沙汰で…
卒業してからレッスンを受ける、しかも帰国してから渡墺してまで受ける、などということは考えだにしたことなく…寧ろ私にとっては「呆れる」に近いことだったのです。
ただ、前の年同様、お会いしたいと思っている方々には、お会い出来る時に渡墺すべき、と考えは変わり。
本当にお会い出来ずに、お礼を述べることも出来ずに、どれだけ多くのお世話になった方々が天国に行かれてしまったことか。
…悔いが甚だ残ります。

 
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モーツァルテウム夏期講習を受講されるTさんから、昨日は講習初日だったので練習室の申し込みなどでモーツァルテウムはごった返していたこと、こっそり潜り込めそうな気はする、という情報を得た。
が、先生が、かなり時間があるからいつでも来い、というのは、既にファクスの時点で「学校ではなく自宅」を意味していたことに気付く。
疲れが取れたら潜り込む計画。
いずれにせよ新しくなった建物はまだ知りません。去年はアスベスト撤去の作業中で。
私の頭にある練習場所はSchwarzstrasseの屋根裏です

今朝のニュースでオーストリアの異常気象をやっていました。車のボンネットで卵焼きが作れる、と。車内はオーブンとも。 気を付けましょう !
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17日の日記  2007年07月18日05:53

午前中、駅に行って念のため鈍行の時刻表を貰いました。

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(駅への道)

それだけで汗だく、改装されたモーツァルテウムに行ってみることに。
改装される前の校舎も1978年か1979年に出来、その現代風な建物に吃驚したものですが(記憶が繋がってきました。ミラベル庭園から出入り出来る。3~4回Klassenstundeで弾かせて頂いただけですが)、今回はそんな比ではない!(去年のモーツァルト年で収益が回ってきたかな?)

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思わず校舎一周してしまいました。

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(30年前にここの学生でした、と受付の方に懇願して撮って頂いた)


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私が1977年春から通ったのは、ミラベルを挟んで反対側の道路(Schwarzstrasse)沿いの昔ながらの校舎。

一旦ホテルに涼みに帰り、午後はザルツカンマーグート行きの観光バスに乗りました。
暑かった!
(ひとまず送信))
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当たり外れ(前の続き)  2007年07月18日10:43

人間万事塞翁が馬、と思うものの、当たり外れに一喜一憂したり、全てが神の計画、と思ったり。

前の日記の途中で眠ってしまったのだけど…

ザルツカンマーグートへの観光は、温室効果ガス…ドイツ語でイヤほど読んだTreibhauseffektgas…
クーラーも利かないほどの大型観光バスの大きな窓。自分で「気を付けよう」と書きながら迂闊でした。
又、前回が「The Sound of Music」のツアーでザルツカンマーグートが駆け巡りで終わったので、一箇所ゆっくり、と思ったら…
一覧にあるFuschlは何と!通っただけ!Mondsee然り。マリアが結婚式を挙げた等も解説無し
しかも採算性重視で、ドイツ語英語フランス語希望者を詰め込み、三カ国語で一気に説明。Prestissimo!(解説にあらず)

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何より暑い !!
こんな暑さは想定外で、クーラーも殆どの家に無いのですから…
幼児や高齢者が次々亡くなっているニュース・・信じられないことです。


それでもSt.Wolfgangでは50分の自由時間 。

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「白馬亭にて」(オペレッタのタイトルにもなっている)アイスクリームと生クリームたっぷりのWiener Eis Kaffeeを湖を見ながら満喫。(昼ご飯もこれだったのに)

♪ Im we~issen Rössl am Wo~lfgangsee … … ♪

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地方色豊かなSchild屋さんがあり(表札とか看板とか)、ふと見馴れない「Griass Di!」なるものを見つけました店の上品な女主人に尋ねたら、ウィーン訛りのGrüss Dich!を、この地方では更にこう言うのだとか。買ってしまいました。誰の部屋に下げよう??

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帰りのバスは「白馬亭」の中で"Das ganze Welt ist himmelblau"を流してくれた。
久々にシュトルツのオペレッタが見たくなりました。


それにしても疲れました。
明日は夏期講習をクーラー利いた中で見学でも…と思ってみたのですが、これまた当たり外れの代表!
Tさんのような優秀な受講者に巡り逢える保証はなく、どこの誰とも知らない人をじっとストレス溜めて座っている可能性も…しかも講師とて同様 …

明後日に備えて寝ていますか…

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日付的には3つ目の日記   2007年07月18日21:07

疲れて歩けず、かと言ってホテルでじっとしている程馬鹿げて思える事は無い。
せめて隣接するミラベルに生い茂る木々から気を貰おう、と散歩していたところ、後ろから「ここは自転車のゾーンよ!」と突進して来るオバサン。
あぁ、この街も変わってしまったのか…と嘆きつつ歩き…

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自転車!?!?
その手があった!!!
ホテルのフロントに戻って尋ねれば、勿論ありますと私のサイズを探してくれました 。

取り敢えず4時間借り、ザルツァハ川沿いや旧市街を、まるでトラップ家の子供の様に走って(このホテルのカーテンで遊び着でも作る?)、一旦遅い昼食&休憩。

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ギアチェンジ初経験。子供達を前後に乗せてママチャリを走らせていた人です。何て便利な…
これすら文明の利器と思える化石人間です。

欧米人用自転車にて既に手が震えております。筋肉痛は明日?明後日?

明日ピアノは無理でしょう…
午前中さらって午後レッスンだそうですが

列車が入ってきた
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車窓から
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M子ちゃんへの返信

疲れたよ~
ホテルに帰り着きました。
朝10時15分発各駅で48分に着き、先生の車にてご自宅へ。
ザルツブルクで練習出来ないなら夕方迄さらったらどうか?と来た。私のいやそうな表情が伝わり、取り敢えず1時迄さらう事に。土曜まで泊まりがけのつもり!?
有り得る ・・

30年ぶりの部屋!ベーゼンドルファーとスタインウェイが並び、流石にタイプライターはワープロになっていました。
1時迄さらって食事を頂戴し、奥様とも昔話あれこれ次々楽しく、先生のお馴染み駄洒落を楽しみ、シューベルト二曲も喜んで頂き充実したレッスン。


これで終わりのつもりで…コーヒーとお菓子頂き、奥様とパッチアダムスの話迄出て……
しかし先生はひたすら、私がザルツブルクで練習場所が無い事、まして、どうして日曜にウィーンなど益々練習と無縁の場所に行くのか?と気に入らないらしくて…。(ウィーンが第2の故郷、とはとても言えない)
余り奥様と話に花を咲かせているものだから、「さぁ、次は何を弾く?それとも私のショパンのレッスンをしてくれますか?」と真顔の冗談…先生は87歳にしてリサイタルにショパンを殆ど初めて入れる事になっているそう。私がゆっくりトイレに入っていたら、Fis-durのノクターンを弾いて待っておられる。
まだ終わりじゃなかったんだ…でも奥様に何か言われたに違いない奥様だって85歳位。長居したら申し訳ない。

でも弾くのを待っておられるので短いもので終わらせよう!と、何年も弾いていないリストのエチュードを弾いて…案の定、お気に召さず…。

どうしても毎日レッスンをして下さりたい気配。


去年、もう一回来たかったら電話しなさい、と言われても昔ながらの事、先生のペースに乗ったら病気再燃する事見えたが、娘は「もう一回行ったほうがいいよ。来て欲しそうだよ」と鋭かった。
幸か不幸か高熱出して連絡すら出来ず。


今年も、「さらえないのに二日間何してた?」でした。
レンタサイクルで走り回った楽しさを述べたら返事なし。ザルツカンマーグートのツアーに行った事も然り…
そう言えば、先生の家もれっきとしたザルツカンマーグートだ。
昔、生徒何十人で押しかけて湖で泳いだなぁ…

改めます。

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暑過ぎ!疲れた!  2007年07月20日06:21


異常気象。
雨一滴降るどころか、雷が鳴るどころか。

炎天下の自転車も気付かぬ落とし穴だったか…

明日金曜はもっと暑いらしい。39度とか。 前代未聞。

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ホテルのエアコンの温度設定下げたけれど変わらず。
明日は午後13:15の電車でさらいに行き、もう一人日本人がレッスン受けている間に屋根裏(昔、泊めて頂いたところだ)の猛暑になりそうな場所でさらい、もう一人の人が終わったらモーツァルトのレッスンしたい、もとい、して下さりたい(暑さで敬語も変。そもそもドイツ語で喋っているのですから)、って言われて断る元気もなく戻ったわけですが…

ちょっと街中歩いてもクラクラするのに!
断るべきでしょう。今、ザルツカンマーグートの天気調べたけどザルツブルク街中と変わりません。

いや~~、暑い(本来は日本の5月頃の気候の筈)

水曜日には、どこかザルツブルクらしいところに、Tさん及びIさんを食事にご案内したかったのですが、出歩く気力もなく、ホテルのレストランに出向いて頂き、とても申し訳なかったです。
しかも最初はミラベル側の屋外に座り、食べ始めるや蝿の襲撃 (雨や雷の前触れ、とウェイトレスさんは言ってたけど、とんでもない)
中に移動したらクーラーの真下。彼らが風邪ひかれていないか心配 。
クーラー消して貰ったら蝿が最後は中に来ました。

そうそう、明日は11時からTさんのレッスンを聴講する予定で楽しみにしている訳ですが、その前に又レンタサイクルで、と思っているところ。
その後で電車に乗って先生が車にてStrasswalchenまで迎えに来てくださる…感謝すべきことが考えただけでクラクラ …
もう一人のかたはK.I.さんの弟子、つまり先生の孫弟子で、おそらく勧められての若い学生さんでしょう…体力が違う…

又ずっとうたた寝して今しがた起き、思考回路停止、支離滅裂だなぁ…と思いながら書いています。こちらももうじき金曜日です。日本時間の頭は寝ているのかな??

汗流して来よう

帰りのStrasswalchen駅で長い長い貨物列車に出逢い、慌ててデジカメを取り出した。
日本では宅配トラックに取って代わり、貨物列車にお目にかかる機会がなくなった・・・
小さかった頃は、踏切で列車の数を数えて、翌日小学校で自慢し合ったものでしたが。

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2007年07月20日 07:12

シャワー浴びつつ、今日の奥様はやはり猛暑で疲れていらしたのではないか?と気になった。
日頃はスウェーデン式に朝と夜しか食事をなさらない、と話しつつの昼食。これ、私の為に?と申し訳なかったです。
どうしても30年前にタイムスリップしてしまうけれど、当時のご夫妻は今の私位だった訳で…
先生がいともあっけらかんと冗談おっしゃるのだが、今日、奥様が仰った「生徒は笑い転げるけど私はいらつくだけ。相手してられない!」は、きっと本音だったに違いない。
きっと私が着いた頃は休んでいらしたのでは?? と案じる。
明日が午後1時過ぎの電車で二人、というのは昼食の準備が疲れるからでは?本来私が何かすべきだったのでは?

などなど…あれこれ脳裏に。
せっかくのご好意ご親切が、このような異常気象が故、裏目に出たり徒になっては…

しかしながら口惜しい気象です。

先生は元気!今年は杖無しで階段をトントン。年間25-30回のコンサートがあるそうだ。コンチェルト含めて。
内助の功や如何に。

…………………………………………………

M子ちゃんからのコメントの中の一文、「お歳を考えると、そして貴女の体調を考えると、もしかしたらこれが最後のレッスンになる可能性が大きいよね。 しんどいでしょうが、気力で頑張って下さい。 」
とあった。
そうなんだ、きっと最後になるんだ。
すっかり忘れていました。私も最初思い付いたきっかけはそれだったのですよね。
お世話になった方々で存命の、しかも、ご年齢にも拘わらず現役でバリバリ活動している姿を見せて下さっている唯一の…

余りの異常気象(小さい子供が沢山命を落としているそうです。お年寄りのみならず)で思考力を失っていました。
M子ちゃんのの言葉にポロポロ涙が零れました。
頑張って行ってきます。

………………………………………………………

凄まじい暑さです。
ピアノを弾きに行かねば、という気持ちで何とか切り抜けています。

普通に街を観光していたら倒れています。

屋根裏は真っ暗に締め切って下さってあったので、辛うじて生きていられました。それと曲がモーツァルトのKV.331(トルコ行進曲付き)全楽章だったので体力は要らない。

でも疲れて床に大の字になったら、イビキかいて眠っていた。

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前の日記が長くなったので…   2007年07月21日10:49

もう一人の日本人、と言われていたが、駅でもそれらしき人居なかった…何と!13歳の女の子と母親に11歳の妹!分からない訳だ…
駅降りて、先生もびっくり!もっと大きな車で来るべきだった、と。


その前、午前中はモーテァルテウムの講習を聴講したのです。
これは、Tさんがどの様なレッスンを受けておられるのか?という興味もさることながら、その先生の名前をTさんから聞いた時、名前に顔が一致してしまい……何と!昔、若かりし頃、いくつかのコンクールで受験者としてご一緒した記憶が蘇ったからなのです。

これも又いずれパソコンで…


話は猛暑!!
新聞はどれも1ページ目はこれです。

いやはや…曲が曲だったので何とか過ごせました。
逆にピアノに集中する事でしのげたかも。

昔は(って昭和30年代)クーラー等無い中でリストだの体力的な膨大な曲を弾いていた訳ですから…でも連日38-9度はなかったでしょう。それに扇風機はあったし。

問題は更に…
どうしてもリサイタルの曲全部を管理…いや、お聴きくださりたいご様子。
私は門下だった時から管理されるのを避けていた。傲慢、と誤解を招くかもしれないので、これも又後日パソコンで。

問題は、「又明日来なさい」なのです。
猛暑で疲れていること(ちゃんと言いました)、荷造りもあること…

レッスン受けに日本からわざわざ飛行機で来たのだろう?と。…これには息抜き兼ねて、とは言えず…
ひたすら「信じられない猛暑で疲れた」を通したのですが、じゃあ冬の雪の中を又来るかい?と。
はい、来ます、と言ってみたら、奥様に「彼女は雪の中を来るそうだ」と伝えいる。奥様は「私達は歳だから冬迄生きているかどうか分からないのよ」と、母がよく言っていた言葉を言われてしまった……

あの暑い屋根裏で何年も弾いていない英雄ポロネーズその他を??

(半ばやけっぱちで)又明日来ます、という事に。思考力も皆無にて。
それに、先生が1920年生まれで私が1950年生まれ、ということが何故かしっかりインプットされている…二言目には「私より30若い」と言われ、車の送迎までして下さっては…
先生もあれこれ病気はなさっておられる。

レッスンの間ずっと先生の耳から補聴器のピーーー…うちのおじいちゃんのと同じ音。

………………………………………………

起きてみたものの頭痛と眩暈。
薬飲んで少し治まり朝食しっかり食べてきました。朝食だけが唯一規則的エネルギー源
そう言えば毎日頭痛で鎮痛剤飲んでいます。ロキソニン。
これだと発熱すべき体調も薬で抑えられてしまう…怖いかも

_______________________

ザルツブルク最終日    2007年07月22日02:50

午前中は頭痛薬を飲んで横になり、昨日と同じ昼過ぎの鈍行でStrasswalchenへ。

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デジカメも存在忘れているので、今日こそ使おう!車窓を、と動画試みた。 (後に編集&アップしました)
天気も良いし、動画に暑い様子が撮れたら、と思う。

いつも到着より早くいらして待って下さる先生を列車から!と思い付いたのが遅すぎ、通り過ぎて残念でした。

車の中では、珍しく私の体調を詳しく訊いて下さり、どうした風の吹きまわし??と思えば昨晩初めて私のCDを奥様から渡された、と。 (ライナーノートをお読みくださったようです)

練習も屋根裏ではなくレッスン室。
何時間さらうか訊かれ、切りのよい2時まで、って50分ででっちあげ。

コーヒータイム。
明日、昔のお弟子さんで右手を怪我で失ったピアニストのコンサートがある、と奥様がおっしゃる。
そのことを真剣に奥様が喋っていると、先生は「足を手の代わりに使えばよい」等言いつつへらへら笑っているから、奥様に本気で怒られていた(私も内心立腹)。「最近、言ってよい冗談と悪い冗談が混ざり合って…ヘトヘト…」と奥様は仰る。
叱られまくっていた。

奥様とは又昔話。
私がどんな門下の方々と一緒の頃に通っていたか、今ひとつぱっと出ない話から、色々な門下の方々の話題になり…。
奥様も生徒さんの色々な気遣いで大変だった事でしょう…と私から本音を吐きました。奥様は一を話すと十を分かって下さる。
先生のお弟子さんたちは嫉妬心の強い人が多かったそうです。
そういうことだったのでしょう。私は何もない街で(素晴らしい風景以外は)、仲間の噂話で過ごす時間はウィーンに戻って音楽会やオペラに通いたかったこと、先生がおられるのは月の三分の一にも満たないので、等々、奥様に初めて話したかもしれない。
でも、奥様は何もかもご存知だった!先生の我が儘も含め…


肝心のレッスンも今日は極力短く。ポロネーズ2曲だけ。ボロボロネーズでしたなぁ…
急いでも帰りの電車がまだまだ先だったので、今日こそ写真撮りました。


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許可得て家の中も。
(これは流石に情報漏洩……載せません……が、1箇所のみ失礼いたします)
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ここはレッスン室とは別に、大きな窓のあるサロンとなっており、窓からは湖が見える。
在学中、コンクールの前など、近所の方々を集めてサロンコンサートを企画してくださったものでした。
上は2007年。

下は1977年。
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パソコン新しくしたら動画もアップしよう…多分来年だわ…

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(先生運転での車から)


もうじき8時なのにこれからオヤツみたいな明るさ。

疲れて動きたくないが荷造りだ!
ひとまず送信。

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日付では日曜二つ目の日記    2007年07月22日17:56

無事にウィーン行きの列車に乗りました。
添乗員無しの形ながら一応はツアー扱い。移動の時だけ旅行社の人が来る。ザルツブルク空港に迎えに来た人も去年と同じ、さっきホテルに迎えに来た人も去年と同じ。
案の定、客の荷物を持つでなしどんどん歩くから飲み物買いそびれ、今車内販売を高く買いました。コーラ1本500ccが2ユーロ50セント。400円位。
ザルツブルク駅で今朝日本人の盗難が二件あった為、旅行社の人もクレジットカードを詳しく検査され、我々待つ事30分。
プロなら前日迄に買っておいて欲しい。
他にもホテルで不手際があり(チェックアウトは自分でするのだが、旅行社からBarScheinを貰っている筈だから見せてくれ、と言う。そんなもの貰っていないわい!後で係が迎えに来るから尋ねておくれ、で解決はしたものの…)、次回からはドイツ語圏に限り旅行社は使うまい
確かに団体料金で安くなっていると思うけれど。

今回はウィーン行きがもう一組居て(若いカップル)、荷物運びを手伝ってくれているので助かっています。

今日は小雨混じりの涼しさ、長袖羽織っています。
昨日がこんなだったらさぞや楽だったろうに…


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Dumme große Arbeiten, Müdigkeit, und das Schicksal von einer armen Musikantin - 2007.07.14 Sat

Voriges Jahr hatte ich den Einfall im Juni, ein Recital zu geben, denn es war ein spezielles Jahr, und zwar das 250. Geburtsjahr von W. A. Mozart und noch 150. Todesjahr von R. Schumann.
Ich reservierte einen Saal, der noch frei war, und wählte die Werke, was ich spielen wollte.
Alles war viel zu knapp.
Ich wollte und musste alles selber organisieren, weil es zu spät war, eine Agentur zu engagieren.
Flugblätter drucken und schicken, auch Karten selber drucken...Alles!
ich hatte noch ein Konzert im Oktober vor. Das war von meinem Mann, der eine Kammermusikgruppe leitet. Dabei sollte ich nur ein paar Stücke spielen.

Da hatte ich wieder einen Einfall, ich wollte bei diesen zwei Konzerten meine CDs zu verkaufen.

Ich hatte 2001 ziemlich viele Werke bei einer Plattenfirma aufgenommen. Trotzdem -wegen verschiedener Ereignisse- musste ich sie liegen lassen.
Im vorigen Sommer arbeitete ich, um sie als Doppel-CD herauszugeben. Das lief darauf hinaus, dass ich mich eine furchtbar ungeheuer riesige Arbeit zwang.

Gerade noch rechten Zeit kamen die CDs heraus, um sie in Kammermusikkonzert zu verkaufen.
ABER ! ! ! Die Firma vergaß die fertigen CDs an diesem Tag zum Saal zu bringen!
Um Gottes Willen ! ! Nein ! ! Wie hatte ich meine Körper und Geist dahingegeben ! ?

Wieder fing meine Arbeit an, nämlich schrieb ich Entschuldigungsbriefe an die Gäste, sie sich herzlich auf meine neue Doppel-CD gefreut hatten.
Das war schon November!

Wann könnte ich üben? dachte ich immer. Besonders hatte ich zwei große Stücke von R. Schumann vor. Auch musste ich einen Kommentar für das Recitalsprogramm schreiben.

Meine Mutter hatte immer große Sorge, dass meine Kollagenkrankheit -Dermatomyositis- schlechter werden würde, denn diese Krankheit hängt vom Stress ab.



Drei Tage nach dem Recital starb meine Mutter plötzlich.
Die Todesursache war eine Herztanponade durch eine akuten Aortendissektion.
Das einzig Glückliche war, dass sie gerade vor der Tür eines Krankenhauses fiel. Viele Laute sahen sie, und sofort wurde sie ins Krankenhaus getragen. Dort gab es auch eine Ambulanz.
Aber alles war zu spät...


Ich bereue immer noch, dass ich mit meiner Mutter nicht mehr Zeit verbracht habe, und ihre Symptome immer hätte beobachten können . Denn sie wohnte ganz vis-á-vis von uns.



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プロフィール

奥 千絵子

Author:奥 千絵子
★上の画像は2001年にCDにして約3枚分を収録したものを,2006年に2枚組としてリリースしたCD「樂の音に寄せて」です.『レコード芸術』2007年1月号で「特選盤」として取り上げられました.戸倉新樹教授によるライナーノートは医学生にもお薦めです.その他のCDや著書はWebsite「本館」からお入りください.このブログも「本館」のDIARYです.
★このブログの"Grüß Gott !" (文字化けの場合はGruess Gott!)は墺・南独の時間を問わない挨拶です.Website「本館」のDIARYです.出版CDや著書の詳細は「本館」のメニューからお入りください.
Website「別館」もあります. 著書「ピアノと向きあう」の説明を補うサイトです.よく頂く質問に説明を記載しています.
★上記著書については今井顕 氏によるKINOKUNIYA書評空間WEBLOG を是非ご一読くださいませ.
Auch auf Deutsch schrieb ich…
★【膠原病の記録】余りに医療のカテゴリーがが増えてしまったので目下整理中です.大変複雑な病気の経験が同じ病の方々への参考となりましたら幸いです.
「乳癌と膠原病(皮膚筋炎・多発性筋炎)」「膠原病(退院後)」 ,その他の医療の話(自分以外も含めて)は「医療・病院関係」,に取り敢えず分けました.
平成12.12.12.病院での復帰リサイタルは演奏動画入り記録です。
★恩師のことは55年間を遡り少しずつ記載するつもりです。目下のところはこれだけです.
★コメントも大歓迎です。SPAM防止上、確認後に公開しております。ご理解をお願い致します.
★このブログや大元のサイトへの感想やお問い合わせはservus2008@gmail.com宛に@を半角に直して送信願います.
【BGM】
Robert Stolzメドレー
演奏:東京カンマーコレーゲン 
室内楽アレンジ:奥 千絵子
ショパン:華麗なる大円舞曲Op.18
演奏:奥千絵子 ショパンのワルツは上の画像の2枚組CD「樂の音に寄せて」に入っております.
★Copyrights©1997-2020 Chieko Oku All rights reserved.
制作・著作:奥千絵子
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