2001年8月6日以降、2006年迄 - 2006.08.31 Thu
この辺りは、それまでの記載を止めてしまっている。丁度それ用の一覧表の用紙が切れたこともあると思う。
ごく普通の生活に近く、夏~秋は、生徒たちの大小のコンクールに備えてレッスンとリハーサル、そして審査の日々。
手帳に記してある予定しか参考にならない。
又、少し様子観察で、という胸のしこりも再発ではないと思いつつも気になり、リサイタルを開こう、と予約してあった9月13日の「風のホール」は、CDの収録に使う事にした。
万が一、キャンセルしなくてはならない事が起きた時を考慮したのだ。
病院のレストランでリクエストに応じて膨らんだ、いつでも8割程度なら弾ける状態になっていた曲の数々や、これ以上年齢を重ねては演奏不可能になるのではないか?と感じていた数々を収録しておくことにしたのだった。
一回収録して欲が出て、更に10月、11月と計3回で、CD約3枚分になりそうな曲数を片っ端から録って頂いた。
これは私の意志ではない、大きな力に動かされての事であった気がする。
本来なら編集に取り掛かる事が出来る筈の翌年2002年夏には、庭伝いに住んでいる母屋の義母が脳梗塞(診断ミスで処置が遅れた)で亡くなり、晩秋には義父が出血性胃潰瘍を起こし入院、年末には母屋が全焼する、という諸難事に見舞われてしまった。
その翌年2003年には、折角住める様に整えた焼け残りに凄まじいシロアリの被害が見つかり、建て替えるしか選択肢は無くなった。
私の実家は当時まだ存在し、母が一人で住むには広すぎる上、その母も身体が可成り不自由になっていた。1階には母の2LDLの他、亡き父の20畳アトリエもあり、応接室兼スタジオも20畳。2階には当時の我々家族全員のスペースもあったのだが、義父が其処に住む意志を持ってくれなくては一人残す訳にも行かない。
結局2003年は業者選びと設計、2004年は建築と引っ越し、私の母も向かいのマンションに引っ越し、すっかりバタバタと過ぎてしまった。
母がウィーンを訪れてくれた折、モーツァルトの貧民墓地で拾って埋めたマロニエの木も、大きく育って枝葉を広げ、季節には花を咲かせていたのが甚だ心残りだったのだが・・・

そして思い立った2006年、その3日かけた収録を2枚組のCD「樂の音に寄せて」としてリリースする運びと相成った。
ご助力下さった方々には言葉も見つからないほど感謝している。
一旦ここで区切ろう。
以降は、既に記した日記に順番も繋がると思う。
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