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A D M I N

2006-06

2006年のオーストリアの続きになりますが - 2006.06.20 Tue

前の日記が余りに長くなったので、ウィーン以降をこちらに取り敢えずの形で移動。
相変わらず、写真はちゃんぽんです(携帯、デジカメ、使い捨てカメラ)。

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2006年6月13日

ウィーンへ移動。
まず、すっかり夏になってしまい、冬物は不要に。
駅の隣りにあった筈の郵便局(工事のため、タクシーで移動したほど遠かった)で、トランク1つを冬物で一杯にし、先に日本に送り帰した。

ウィーンはホッとする。

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(この人混みが何であったか思い出せない)
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まだ時間もあるので、Praterに行った。

まずは大観覧車…何度乗っても。

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(Liliputbahn)
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1970年代との比較(ジェットコースター)
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得意顔の娘
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客は1人であっても稼働させてくれる。(この辺りから日本時間は日付が変わる)
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緊張解けて日本食が食べたくなり、天満屋へ。

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写真を発掘してから編集するとして、取り敢えずあるものだけをアップ(性能の悪い携帯写真を、プレビューから何とかしようと試みるも限界あり)。

(Pension Mozart)
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マクドナルドです!
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2006年6月14日

元マネージャー女史を訪ねて、Rosenhügelへ。
パーキンソン病と闘っておられる。
それに伴い、認知症も出ているのだが、私を見るや、他の居住者に向かって、朗々と私の紹介をし、ピアノ(電子キーボード)を弾くように勧め、曲目解説が始まった。。。音楽の力だろうか?
介護士さんたちも吃驚。今朝は朦朧としていたというのに・・と。
英・独・仏でお喋りも止まらない。

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夕方になり、そろそろおいとまを…
急に認知症状態になられてしまった。
介護士さんたちの話によると、そういう日常らしい。
楽しみにしていることがある時と、それが無くなった時と…
心を鬼にして、娘と帰路に着いた。


2006年6月15日

夜、Volksoper で Cárdásfürstin.
昼間は?Liechtenstein博物館でまったり・・だったか・・


2006年6月16日

バーデンへ行ったと思う。
水着を持って。
Operの前からバーデン行きの路面電車が出ているのだが、他の行き方で行ってみたく、南駅から何とかいう列車に乗ったが、着いたところは行きたかったBadenの街から甚だ遠く、歩き疲れて、娘は可哀想なほどだった。

途中で吃驚!!1975年に初めてリサイタルをした会場の、「Haus der Kunst」
前述のマネージャー女史によるもの。
余りの奇遇さに吃驚してしまった。
娘は炎天下を歩いて可哀想だったが、私にとっては「導かれてしまった?」というほど…(過去を思い出せ、と)

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1975年頃のリサイタルの折の「Haus der Kunst」とマネージャ女史
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そうそう、ここにもあります。ベートーヴェンハウスが。
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のんびりお湯に浸って、泳いで、夕方薄暗くなるまで過ごした。
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2006年6月17日

Weber没後30年のクラス会。
演奏途中から私は出席。
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左はAvo Kouyoumdjan(綴りが曖昧)。Weber門下の頃、一緒にコンクールを受け…当時私は既に25歳、Avo氏17歳。私が一位になりましたが二位の彼のリストのソナタは圧巻でした。

1970年代のWeber先生
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一旦ホテルに戻り、娘をピックアップしてホイリゲ(Beethovenhaus Mayer)

後は写真を載せるだけですみません。
可成り端折りました。後で編集に戻りますので・・・

クラス会は、荷造りがあるため一足先に失礼しました。
(写真をご覧になった方の中で支障が出ました場合には即刻削除致します。どうかご連絡をお願い致します)

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2012年5月21日追加アップ
ウィーン時代の友人A.I.氏より、一昨日のノエル・フローレス氏の訃報メールを頂いた。

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ご冥福をお祈り致します。

(こんなところに追記するのもどうか…と躊躇いつつ)
すっかり頭から去っていましたが(大慌てで卒業した身として)、私のウィーン卒業時の所属クラスはフローレス先生でした。

1975年秋からWeber教授に師事したのだが、1976年初めに40代で亡くなられてしまった。
とは言え、それ迄の僅か4ヶ月間、Weber先生のレッスンを私は週に2-3回の割で受け、しかも1回が4-5時間にわたることもあり、何年分もの指導を受けた気すらするほど … … ですから、その後はどうしてよいか何も決断出来ず、悲しみあるのみ、まさに路頭に立たされた思い。クラスを引き継がれた当時アシスタントであったフローレス氏のクラスに(学校から自動的に)属すしかありませんでした。頭の中では、前の年に「モントリオールを受けたらその後ジュリアードに行け」とのWeber先生の言葉はあったものの、色々な問題が絡み、アメリカ行きは不可能。
その年の秋にライグラフ氏にピアノを聴いて頂き、入学の許可は得ていたのですが、条件として「ウィーンを直ぐ卒業すること」と、氏は1ヶ月のうち7~10日しかザルツブルクに滞在しないため、毎日通うこともあるので「ザルツブルクに下宿をすること」でした。
(即刻卒業はしたのですが、下宿は、どこかに書いた通り、最初の2-3ヶ月だけ借りました)




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ザ・サウンド・オブ・ミュージックの旅・他 - 2006.06.13 Tue

何年も経ってからの、手帳と記憶とに頼る記載です。

しかも写真※は、当時の私の旧式な携帯電話にささやかに付いた機能。
あとは娘のデジカメから貰ったほんの少々。


※その他、2012年5月になり、漸く2006年の使い捨てカメラで撮った大量の写真を見つけたのですが、とてもスキャンしてアップ出来る量ではなく、少しだけ加えます。

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4年ぶりのオーストリア。(と言っても2002年の前は、1974年から1981年の滞在)


以前から娘が、ザルツブルクへ行ってザ・サウンド・オブ・ミュージックの舞台になった場所を見たい、と言っていた。
私は、と言えば、ライグラフ先生のクラスで学んでいた当時(1977年)ご一緒だったK.I.さんからの年賀状…「ライグラフ先生のレッスンを10年ぶりに受けてきました。感激でした」といった内容が書かれてあり、…そうか…私は30年近くご無沙汰してしまっているではないか!
私も受けに行こう、刺激を受けに!と思い立った。

けれどもレッスンを受ける、となれば、ドイツ語は不充分(すっからかんに忘れた)。

折しも先生が出版されたメトーデのDVDを日本に広める爲、かつての生徒さん方にお渡しするよう(どこからどう連絡が来たのか定かではないが)、私がお預かりすることになった。
春にゲーテのドイツ語講座、それも初級(!)総まとめのクラスを求めて電話をした。
何でも、ZDというクラスがあるそうで、それに出席すると初級レベル全体を網羅出来るとのこと。

出席して吃驚!!
ZDとは、クラスの名前ではなく”Zertifikat Deutsch”の略で、初級終了証明の試験のためのクラスだった……
毎日毎日過去問を解く。し~~~ん、と誰も答えられないと、Frau I の大声が飛んでくる。「あなた方は何のためにお金を払って出席しているの!?」とまで。
いや・・・最年長として鍛えられました。
徐々に参加者が減り(多分、別なクラスに移動したのだろう)、私の隣席は大変回転の速い青年……後で分かったのだが、私の大学の後輩であり、既に演奏活動をされている大変優秀なピアニスト、T.S.さん。
リサイタル、コンチェルト、コンクールを控えておられるのに、毎日出席し(私が挫折した夜のクラスまで!)、授業の受け方が又素晴らしい。授業中に覚えてしまう意気込み。マスターしていることと、復習が必要な箇所をしっかり色別にマークを付けていらした。
隣席同士の作業では、相手がその方で本当に良かった。無駄な時間が一切ないことは勿論、30歳若返らねばならないほどの集中力を要し、「学習する」という手順を思い出すことができた。
いや、彼は「とんでもないオバ(ァ)サンの隣りに座ってしまった」と思われたかもしれないが…

と、その話は又いずれ・・・

ともあれ、レッスンを受けるに必要なドイツ語は何とか思い出すに至ったし、少しは口が回るようにもなった(「し~~~ん」を避ける爲、誰かが答えねばならない。誰も答えないと先生は私の方をご覧になるから答えざるを得なかった…最年長者として…)。




レッスン日と曲目も電話とファクスで決定。
(「それだけか?」と言われた)

そうそう、渡墺の大切な理由のもうひとつ。
没後30年になられるWeber先生(ウィーン)のクラス会が開催される、という連絡が来たことで、渡墺は決定したのだった・・

という訳で、カテゴリを「オーストリア」にすべきか「恩師」にすべきか迷いつつ、一応「恩師」に。
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2006年6月4日、娘と共にフランクフルト経由でザルツブルク着。

タラップを降り立ったら、6月だというのに雪が降っていた。
あぁ、コートを持ってきて良かった・・・


(写真の整理も悪く、私はオンボロ携帯の「ぴろりろり~~ん」機能、娘はデジカメ。帰国して随分経ってからパソコンに落とした)


まずは直ぐ近くの教会へ。何かミサが行われていた・・・聖霊降臨祭だったか?・・(手書きのメモを探し出さねば!)
同席してから、ミラベルに娘を案内。
ザ・サウンド・オブ・ミュージック撮影当時と全く変わらぬ風景。マリアが子供達と歌いながら走り回る噴水も、像も。
写真はどこだ・・・?

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1979年頃
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もっと今回の写真があったのだが…

そこからSchwarzstrasseに抜け、かつてのモーツァルテウムの入り口。

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そしてザルツァハ川の橋を渡り、旧市街へ。
Getreidegasse(ゲトライデガッセ)へ。
モーツァルト生誕250年で、生家(Mozarts Geburtshaus)は美しく塗装され直し、賑わっていた。

写真も撮ったのだが・・・
思い出した!
私は使い捨てカメラを使っており、その写真がパソコンに入っていないのだった!!

その辺り省略。
下は、一年中売っている「イースターエッグ」の店。
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後で写真を入れて編集します。

運良く、カフェに入っている間に雷雨。
外に出た時には雨も上がっていた。

サッカーの年!
映し出される映像を見るための大スクリーンがあった。

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(その前で戯れる娘)

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2006年6月5日

Mönchsbergへエレベータで上がる。遠くアルプスも見える場所。
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(砲台に続く道・その他Hohensalzburgの中)
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マリア・トラップがシスターとして修行をしていた設定の(いや、本当にあるのだが)Stift Nonnberg(ノンベルク修道院)
古い携帯写真ですが・・

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(懺悔室)


1977年、ほんの3ヶ月ほど借りていた下宿の傍に、真っ白なSchloß Leopoldskron(レオポルツクロン城)というお屋敷がある。これが、トラップ家の正面として使われていたもの。
裏側は、全く別な場所にある、現在はモーツァルテウムだかその寮だかになっているSchloss Frohnburg(フローンブルク城)!
今は、というのは、私がザルツブルクに学んでいた頃、ここは確かCarl Orff Institutだった。カール・オルフ(カルミナ・ブラーナで有名な)が創設した。当時、レッスンが終わってウィーンへ戻る列車まで時間があり、Schloss Frohnburgを地図で調べて辿り着いたら「Carl Orff Institut」と書かれていて吃驚してしまったのだった…という記憶。

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この横のHellbrunner Alleは映画の中で、マリアさんバスから降りてギターをゆらしながら小走りに「I have confidence…」を歌いながら通る道。

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そこをもっと街と反対側に進むと、Schloss Hellbrunnとなる。

Hellbrunn(ヘルブルン)のWasserspiel(予測せぬところから水が噴き出してくる)。
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又庭園には、あの「あずまや」を一回り小さくした同じものもある。

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近辺を徒歩と路線バスでぐるりと周り、旧市街に再び戻った。

私が住んでいた近くの道。
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(これももっと撮った筈が見つからず)


夜はMarionettentheater(マリオネット劇場)でZauberflöte鑑賞。娘は食い入るように観ていたが、私は眠気との闘い・・勿体ないことだった。この劇場も又、ザ・サウンド・オブ・ミュージックの「操り人形」の場面に一役買っている。

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その他あれこれ、写真を探してから書きます。

________________________________

2006年6月5日

突然夏の気候になってきた。
パノラマツアーでザルツカンマーグートへ行くことに。
何故なら、トラップ夫妻が結婚式を挙げた教会を観なくては!!

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(湖上にうっすら見えるPfarrkirche St. Wolfgangの1977年に撮ったもの)
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(ちゃんとした写真はもっとある筈)

取り敢えず、携帯で撮ったMondsee湖畔の教会。
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(改装中)

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少し自由時間もあり。

モーツァルトの母親の生家
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レリーフは、モーツァルトの母上と姉上(Nannnerl)



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2006年6月6日

いよいよライグラフ先生のレッスン日。

ずっとピアノにも触れておらず、朝、ホテルの机で指練習。
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本来のモーツァルテウムがアスベストの撤去中のため、ZIBという大きなスーパーの上の階を借り切っている。

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借り切っている、と言っても、流石だ。

各教室には表札(?)まで付いている
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教室にはSteinweyとBösendorferが並んでおり、大学そのもの。
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(何とも図々しい。…現地調達した楽譜が丸見え)
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「又明日も来るか?」と・・・

年末のリサイタルで弾くことになっている、シューマンのCarnaval全曲。
実は依頼があってFantasieOp.17全曲も迷っていることを相談。
余りに多いのだ!他にモーツァルトもある訳で。
先生は「Fantasieは以前聴いたね?」と念を押されるが(いや、どうだったろう?・・・という30年前のいい加減な私の記憶)。

先生のDVDは、予め言われていた部数をしっかり預かりました。


_____________________________

2007年6月7日

又してもZIBへ。
娘は聴講していて「面白い」と言う。まだこの当時はドイツ語会話は殆ど出来なかったのだが、先生のひと言で私の演奏に何か姿を変えるものがある、と・・・
殆どさらっていない曲をレッスンして頂くことに、甚だ躊躇いはあるものの。

「明後日又来なさい」と・・・
あぁ、練習もしていない曲を次々と・・

______________________________

2006年6月8日

記録が無いので、不明・・・
後で他の写真を発掘して埋めます

______________________________

2006年6月9日

練習場所をZIBの中に確保し、モーツァルトのソナタをしっかり1時間練習。
先生も納得くださり、充実したレッスンを受けることが出来た。

レッスンの後、奥様もいらして、Sacherで食事。
あれ?ここはかつてÖsterreichischerhofという場所(ホテルとレストラン)ではなかったか???
30年前も、レッスンが終わると先生が連れてきてくださったものだった。当時、私がサバランを注文するので(いや、オーストリアでは此処しか置いていなかった気が…)、そんなもののどこが美味しいのか、と呆れられたことも記憶している。

奥様とは1981年以来だ。
確か、日本の生徒たちのお母さま方が(私の母も含む)、奥様にいつもお世話になっているお礼、ということでお招きした記憶が。それで、確か私の夫が車でウィーン西駅から空港へお送りしたのだ。
1歳にもならない息子も一緒だった。

これだ!!

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さて・・・レッスン・・・「日曜にも来るか?」
もう無理です。日曜、ということは自宅だし・・・(ザルツカンマーグートのMondseeに近い、もう少し小さな湖、Zellersee湖畔)
「電話しなさい」と言われて、先生ご夫妻と別れた。

娘は、「行った方がいいよ。先生、来て欲しそうだよ。」と鋭いのだが、如何せんもう身体が動かない。

結局翌日は高熱を出し、電話すら出来ずに唸っているだけ。
娘は娘で、1人で街中に出掛け、大勢の男の人に追い掛けられ、怖い思いをした、という。
惨憺たる週末となってしまった。

__________________________
2006年6月12日

ミュンヘンへ。
仙台から派遣でドイツに1年間居られる、やはりライグラフ門下のM.N.さんにお会いするため。

彼女にはいつもお世話になり、感謝の言葉も見つからないほどだ。
1977年春にモーツァルテウムに入学した時にも、手続きの部屋やレッスン室など、ご案内くださった(本来は別な、桐朋出身の新しい留学生の案内役でいらしたのに、私まで便乗してしまった)・・ご本人は確か卒業試験を控えて多忙だったと思うのに。
その年の秋には、ミュンヘンの彼女の下宿で練習をさせてくださった(コンクールのため)。
帰国後も、先生のリサイタルなどが開催される時には、纏め役をして下さり…


この日、ドイツは燃えていた!サッカーに!!

最初、雰囲気の良いビアホールで食事をしていたのだが・・・(M.N.さん)
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(丸い物は、サッカーボールに見立てた花)

娘が「サッカー観戦をしたい」と言い出し、テレビのあるビアガーデンを探して付き合ってくださった。
私たちはお喋りに花を咲かせ、娘はひたすらサッカー・・・

あぁ、他にも写真はあったのだが・・

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後ほど編集いたします。



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プロフィール

奥 千絵子

Author:奥 千絵子
★上の画像は2001年にCDにして約3枚分を収録したものを,2006年に2枚組としてリリースしたCD「樂の音に寄せて」です.『レコード芸術』2007年1月号で「特選盤」として取り上げられました.戸倉新樹教授によるライナーノートは医学生にもお薦めです.その他のCDや著書はWebsite「本館」からお入りください.このブログも「本館」のDIARYです.
★このブログの"Grüß Gott !" (文字化けの場合はGruess Gott!)は墺・南独の時間を問わない挨拶です.Website「本館」のDIARYです.出版CDや著書の詳細は「本館」のメニューからお入りください.
Website「別館」もあります. 著書「ピアノと向きあう」の説明を補うサイトです.よく頂く質問に説明を記載しています.
★上記著書については今井顕 氏によるKINOKUNIYA書評空間WEBLOG を是非ご一読くださいませ.
Auch auf Deutsch schrieb ich…
★【膠原病の記録】余りに医療のカテゴリーがが増えてしまったので目下整理中です.大変複雑な病気の経験が同じ病の方々への参考となりましたら幸いです.
「乳癌と膠原病(皮膚筋炎・多発性筋炎)」「膠原病(退院後)」 ,その他の医療の話(自分以外も含めて)は「医療・病院関係」,に取り敢えず分けました.
平成12.12.12.病院での復帰リサイタルは演奏動画入り記録です。
★恩師のことは55年間を遡り少しずつ記載するつもりです。目下のところはこれだけです.
★コメントも大歓迎です。SPAM防止上、確認後に公開しております。ご理解をお願い致します.
★このブログや大元のサイトへの感想やお問い合わせはservus2008@gmail.com宛に@を半角に直して送信願います.
【BGM】
Robert Stolzメドレー
演奏:東京カンマーコレーゲン 
室内楽アレンジ:奥 千絵子
ショパン:華麗なる大円舞曲Op.18
演奏:奥千絵子 ショパンのワルツは上の画像の2枚組CD「樂の音に寄せて」に入っております.
★Copyrights©1997-2020 Chieko Oku All rights reserved.
制作・著作:奥千絵子
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