転落 - 2002.06.30 Sun
この様に早く、歌う側として出席出来ることこそ、私の中では「あふれるよろこび」だった。
水野源三さんによる讃美歌を中心に。
さて、一緒に出席してくれた娘と帰宅すべく教会を出、下北沢にでもショッピング兼昼食に行こうか、と駅近辺で迷い、でも午後早速聖歌隊の練習があると聞いていたし、迷うこと暫し。
結局私は教会に戻り、娘は帰宅することになった。
そして練習を終えて教会員の方との帰り道、見慣れた車が…
夫だった。そして「おふくろ(夫の母)が倒れた。今、救急車で杏林に向かっている。まや(娘)が付き添っているから。」と。夫は帰りを考えて自分の車にて病院へ。
私は一旦帰宅して、義母の服用している薬(高血圧等)などを調べて自転車で杏林へ。
昼食を採っている時に、隣りに座っている義父に倒れかける様に身体が斜めになり、眩暈と吐き気を訴え、そのまま倒れてしまったそうだ。
すぐに救急車を呼んだとのこと。
救急の待合い室で何時間待ったろうか。
漸く医師が出てきて、三半規管を原因とする回転性の眩暈だろう、点滴で落ち着いたら帰宅してよい、と言われた。
折しもサッカーワールドカップの最終日。待合室でもテレビで流れ、見たい訳でもなく、他にチャンネルを変える人も居ない。
まさか、救急担当の医師たちまでテレビに釘付けではなかろうな…等ととんでもない事を考えてしまう。
それから何時間待ったろうか・・・
もう夜であった。
「もうお帰りになって良いですよ」との医師の指示にて、救急処置室に入り、義母をトイレに誘導し、吃驚してしまった。何と!立てない、歩けない・・・
日頃のシャキッとした義母を知らぬ医師・看護婦は、年齢から「これが普通」とでも思ったのだろうか??(家族が中に付き添えないことに問題を感じる)
すぐ医師に伝えた。
そして慌ただしく再検査となった。
夜9時を回って、「脳梗塞」であることが判明。
え!?私たち家族は症状が起きて30分内には病院に搬送させていたのですよ!
脳梗塞であれば、最初の3時間が勝負、という位。
こんな半日も待たされて???
即刻入院となった。
とっくに消灯時刻を過ぎた病室に、懐中電灯で案内された。
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