辞書
ぐりゅーす ごっと Grüß Gott !
FC2ブログ
gruess_gott2_convert_20181021090224.jpg

1999-12

1999年末 - 1999.12.31 Fri




12月24日
夕方慌てて最低限のクリスマスカードを書いて投函。
夜は息子も早めに帰宅し,家族で讃美歌を歌い,息子がお祈りをしてくれた。
子供達をヨーロッパの本物に触れさせたい。
ずっと胃痛が続いている。3種類も胃薬を飲んでいるというのに。

12月26日
一日ずっと身体の震えで起きられず。
その傍でずっとテレビを見てアハハアハハと笑って,何も声もかけてくれない娘。
夕飯まで何も食べていない。

12月27日
気功。
その後お餅を食べた。何か食べると頭が震えて痺れてくる。胃に血液が大移動??

12月28日
毎日変な夢ばかりに悩まされる。
寝覚めは快適だったのが,食事をすると頭が痺れて縛られた如くなる。以前は眠くなったものだが。どういうメカニズムなのか??

ホームドクターが散歩のついで,と立ち寄ってくださった。
ピアノをちょっとお聞かせしたら「それだけ弾けたら充分,大丈夫,大丈夫!」とニコニコしていらした。お顔を見るだけで安心する先生。
午後から皮膚科受診。

帰宅後は溜まった新聞を読んで片付け。

12月29日
明け方風邪薬。
頭は痺れたまま。午前中から又眠った。
午後,皆の居ない間にシーツなどを整理し,不要物は処分。引き出しの中の整理。
いつの間にか眠っていた。夫が帰宅して夕飯の支度をしに上がって来て目覚めた。
何かしようとすると頭が痺れてフラフラする。

12月30日
忘れた。

12月31日
夫の脚の状態を聞くだけでもう頭が痺れてしまう。
娘にベランダの掃除をさせた。
2000年問題に備えてペットボトルに水を詰めたり,バスタブに水を張ったり。
病院の先生方にのみ(6枚)年賀状を出した。切り紙を貼って。

近所のSYさんが見事なお節料理を届けてくださった。
いつも感謝!!

夜は紅白歌合戦の間ずっと眠り,年明けにイチゴを食べ,「一年の計は元旦にあり」とばかりピアノを一瞬弾いた。

関連記事

更に悪い体調 - 1999.12.23 Thu


12月8日
毎日書くことも同じながら,潰されそうな頭でひたすら片付け。(普通の判断基準では信じられない散乱とゴミとカビ)

12月9日
朝は体調が良かった。今日こそ,と1998年の収録がCD用に編集されたものを聴き始めたら又,頭の上に2-30kgのものを乗せている様な状態になってしまった。この症状はいつ治るのだろう?先日友人に「セカンドオピニオンを求めては?」と言われたが,その気力もない。

12月10日
毎日ふらつきとの闘い。

夕方珍しく,以前ピアノに通っていたK君から電話。従妹のTちゃん(彼女も元生徒)が医者の助手を始めたお知らせと,その医者から膠原病のことを詳しく聴いている,とのこと。又,コウケントーはどうしているか,あれは勝手に使わない方がよい,とのアドヴァイス。乳癌の手術直後は使っていたが,その後は止めていることを伝えた。
それと神経の話をこちらから。(メモには書いていないが,その前にも彼に尋ねた気がする)聴けば聴くほどに彼が罹った症状と酷似。彼は「精神神経科」に通ったが,その大学病院はいつも混んで5分くらいしか話を聞いてくれないので個人的にカウンセリングを受けた,とのこと。「パニック発作」という単語は以前彼から聞いて初めて知った言葉だ。
彼の場合は心理的なものが原因だったというが,私の場合は病気そのものの症状のこともあるし(膠原病でもSLEやSjSなどでは出るそうだ。DMではそういうことはない,と言われつつも,海底の膠原病プレートは繋がっているだろう…),薬の副作用もあるし,一体どうなっているのだろう?K君も脚や身体のふらつきはあったそうで,それを他人に説明しなくてはならない折,分かって貰う表現に大変困った,と言う。
まさに同じだ!!
そのことからも分かる様に,私の今のふらつきは皮膚筋炎ではなく神経だ!ただ,腕などは取れてしまった筋肉の所為で文字に影響はあるかも知れないが,それとて3割くらいでは??
電話の後よく眠った。
夜は酷い状態になった。

12月11日
押しつぶされそうな頭で過ごしている。
久々にリハビリを一通りやって,その後散歩。

12月12日
人の病気を一体何だと思っているのか!?というような周囲。医師を含め。専門外は素知らぬ顔??薬の副作用であったとしても??家族然り,おそらく私は鬱陶しい存在なのだろう。
病気そのものの所為?副作用?それとも新しい症状?この一週間特に日に日に酷い。
気功が却って良くなかったか?HT氏が「植物人間すれすれまでやった」と言っていたのはどういう意味だったのだろう?

家族に「何が食べたい?」と訊かれるだけで震える毎日。

今日は最悪だった。
「お誕生日おめでとう」と言われ,こんな状態で生き続けていることの何がめでたい!?!?といよいよ爆発した!!※
生徒数名が入れ替わりにお見舞い(お祝いだったか?)に来てくれたそうだが,会うどころではなかった。
他県から来てくれた人も居たというのに,起き上がるどころか目すら開かない。
大変申し訳なかったのだが,夫が対応してくれた。

※ この爆発を境に,娘自身が壊れたそうだ。後にそのことをインターネットに書きまくっているのを読んだ時のショックには言葉も出なかった。耐えた。全て私の責任,と。
進学校に通っていて,その後保護者会に出席出来る状態になった時,娘の友人たちの親御さん方より「○○ちゃん,可哀想なのよ」という言葉を聞いた。家族に病人が出た時にその病人は家族への加害者なのだ,と捉えていることに愕然とした。この様な若者たちが医者を目指している!?医学部に憧れるだけであることを願う。親御さん然り。医大進学率が女子校としてトップであるこの学校そのものの教育方針は決してそうではない筈なのに。箱と中味は違うのだろう。

12月13日
膠原病A先生の診察。
精神科のK教授を紹介して貰えた。
いつもA先生の受診後はホッとするのだが,この日の震えは取れなかった。

廃人になってしまいそうな数日。いや,既に廃人かも分からない。

12月14日
D君がお母様お手作りのお赤飯を届けてくださった。退院祝い。美味しかった。
レシピをお願いしたら早速お返事くださった。

他のお帰り頂いてしまった I さん,Sさんにもお礼のファクスを送った。

12月16日
精神科KY教授受診。
ごしゃごしゃの頭で喋る私の話を全部聴いてくださった。(A先生も脳神経のKH先生も,本当に有難いことだ)

つまりは頭の状態を軽くしたい,ということに行き着くだけなのだが,K教授によればリーゼは甚だ軽い薬であり,同じマイナートランキライザーで,もう少し強い「ソラナックス」という薬に変更し,発作時(!?やっぱり!?)には「デパス(0.5mg)」を1日1回を限度として頓服することになった。毎週火曜にこれから受診出来ることに話がついていた。
「こんな大きな病気を二つもやって,勿論副作用だ,病気の症状だ,ということもあるけれど,二つも大病をして4ヶ月も病院していれば(閉じこめられていれば)こういう状態になって当たり前です」とも。
「必ず良くなっていきます」「大いに爆発してください(デパスを飲めば5分で落ち着いてきますから)」
等々たっぷり1時間,じっくり耳を傾けて,アドヴァイスくださった。有難かった。
この日は受診により,自分の頭をこれ以上セーブしなくて良いのだ,考えたいことは考え,ぶつけたいことはぶつけてよいのだ,と分かり,家族に関しての不満や,子育ての後悔等々,ふにゃふにゃの文字で6ページも書き連ねてある。※

※ 2年後くらいだったか,これらの症状もすっかり治まり,漸く「膠原病友の会」の会合に出席出来た(酷い時こそ出席すべきが,理不尽なものだ…)。その日に講演をなさった先生と質疑応答の機会があり,これらのずっと腑に落ちなかった話をしたところ,「そういう時は入院中に可成り強い抗鬱剤が処方される筈です」「ステロイド精神症でしたね(交感神経緊張状態で作られる)」と仰った。やはり入院中からその様な状態だったのだ。いくら治ってしまっているとは言え,入院中からの半年~1年,余計な苦しさに,訳も分からぬままじっと,ひたすら耐えて耐え抜いていた事が口惜しく残念に思えた。同時に友の会の存在を有難く思った。
ただ,更にもっと後になり,「抗鬱剤」の恐ろしさの情報も入り,合わないタイプを使用して堂々巡りになった人の多さも知った。マイナートランキライザーのみの処方,改めて有難く思い返した。

12月17日~
調子の悪い日は「ソラナックス」も効かない。デパスで辛うじて自制心が働く。もし服用しなければ大きな「ブルータス像」(石膏)を机から床に投げ落としていたかもしれない,と思う日すらあった。
21日は諸科のハシゴ。
皮膚科では,最初に「オーバーラップ症候群」と言われていたのが,どうして「皮膚筋炎」になったのか訊いたところ,SLEは20歳くらいからの若い人の罹る病気とのこと。だから頭の症状はSLEの症状ではないとの説明。又「デパス」は使わない方がよい,との意見。(これを服用して辛うじて病院にも来られたのですけれど・・・・・と言いたかったが言う元気も出なかった)
脳神経のK助教授に精神科受診内容報告。「A先生が行かせたの?大袈裟だなぁ」と。いきさつを全部説明したところ,「薬でしっかり抑えましょう。波は必ずあるけれど,必ず治りますから」と断言くださった。
精神科でも「マイナートランキライザーでしっかり抑えましょう,必ず治りますよ」と。しかも最後だったので「何でも話してください」と全部耳を傾けてくださった。仕事内容や現実もざっくばらん話せた。この2時の予約は4時になり,薬局は滑り込みセーフとなった。
22日の眼科では「まだステロイド15mgも飲んでるの?」と言われたが,コンタクトレンズの許可が出た。使う機会は皆無ながら。その後風邪のことで皮膚科受診。入院中は文句ばかり言っていたN先生を大いに頼ってしまった。

関連記事

悪化するばかりの体調 - 1999.12.07 Tue



退院までの治療その他,病院での様子を書いたものの,実は殆どが記憶にない。
幸か不幸かノートに記してあったので,書き写しているうちに7割は思い出して来たのだが,中にはどうしても思い出せないこともあった。ところが不思議なもので書き連ねているうちに,それらも徐々に「あぁ,そんなこともあった様だ」と思い出してくる。

だから,記入しそびれたことは一切記憶にない。
例えば爪周囲炎がいつ治ったか,ということも。入院中は手の10本指とも周囲の皮膚が爪を覆い,しかもジクジクとして爪は3分の1位しか見えなくなっていた。毎日薬を塗って絆創膏をしていた事は覚えているが,いつ治ったのだったろう??

退院して数ヶ月後に「膠原病友の会」に入会した。講演会などに参加出来る様になったのは可成り先だったが,送られてくる会報は随分勉強になった。それまで謎に包まれていたかの如き症状が,「これだったのだ!!」と確信が持てる様にもなり,又,他のもっと重症の方々がどの様にして乗り切っておられるのかを知ることも出来た。


1999年11月12日
入院前は一体どんな生活をしていたのだろう?と思う。

免疫力をステロイドと免疫抑制剤で抑え,日頃なら市販の塗り薬で治ってしまう様な傷が何ヶ月も面疔として続いたり,抗生物質入りの軟膏を塗れば数日で治る程度の瘭疽が何ヶ月も治らずに爪を剥がしたり(それも麻酔なしで),退院したものの,「ドロドロ」としか表現しようのない家,そして又仕事や学校から色々な菌を運んで帰宅する家族を思うと,次は何が起きるのだろう?と思ってしまう。
それは薬で治るのでさほど深刻ではないにしても,徐々に散乱を整理し,掃除と洗濯をせねばならない。
もっと深刻なのは,相変わらずの頭重感とフラフラ感。どうしたら治るのだろう?

各部屋を整理して掃除をしようとするが,しかも「一日ひとつだけ」と構えているのだが,その「ひとつ」が結局3つ分にも4つ分にもなってしまう。体調には10個分の労働だ。

保険の書類も,1枚書くのが普段の10枚分の負担。

11月13日
連日冷凍庫の霜取り。扉から霜がはみ出さんばかり。
階段に息子がコート掛けを付けてくれた。これで皆,コートを脱いでから部屋に入れる。

11月14日
コートの虫干し。
夜,夫と息子が音楽室の大移動をし,私の寝室を作ってくれた。少しずつ,と思っていたのが今日しかなく,真夜中の2時までかかってやってくれた。これで昼夜を問わず自由に寝られるし,紫外線の心配もない。

11月15日
14時リハビリ外来の診察。今後の予定を決めた。木曜の皮膚科の後にOTを入れる,等。
夜中に起こして貰い,気になっていた退院報告の手紙の下書き。ぐしゃぐしゃの文字と文脈の下書きを,娘が夜中の2時~3時,パソコンで打ってくれた。折角の勉強時間を妨げてしまった。
何枚かコピーをし,これを又種類別に「P.S.」を加筆して,それらをコピーして送ればよい。

11月16日
P.S.を加えてコピーをし,封筒に入れ,20通のみ宛名を書き,息子に投函してきて貰った。
これだけで可成りの上腕の負荷。

11月17日
弁当作り。
漸く掃除機の中を空けた。そしてリビングの掃除。不要なマットレスの処分。座布団カバーの洗濯。カビの生えた靴の洗濯。
手紙は震えた文字しか書けないが,更に又宛名を書いた。
風呂に入り,換気扇を掃除し,夕方寝た。

11月18日
外来。大した検査もせず血液と尿のみ。
帰りに「ひゃくえもん」とOXストア。

11月19日
夫は九州へ演奏旅行。

段々書くのも億劫で,この辺りは毎日掃除,片付けばかり。これも,清潔を自分の為に守らざるを得ないからの他なにものでもない。
ゴミ出しも頑張る。しかし分別ごみは息子を強引に起こして出させた。
23日は起きてくれず,娘と計9個の不燃ごみを出した。

相変わらず震えは止まらず,頭の中の音は日に日に増える。左頬のピクピクが数日激しい。息苦しい日が多い。

いつだったか忘れたが,私専用のPHSを夫が娘と出向いて用意してくれた。寝たまま話せるし軽いので。最低限必要な電話番号を娘が入れてくれた。しかし何度訊いても使い方が分からず,かかったとしても喋る元気は全く無い。ベッドの傍に置いてあるだけのシロモノ。

11月24日
息苦しさと全身の震えは,余程救急車を呼ぼうかと思ったほどだった。
病院,薬局,ファミリーマートを往復したからか??帰宅はタクシー。

11月25日
病院内を歩くのも苦痛。
待っている間も目をつぶってもたれているしかない。
検査室,レントゲン,リハビリ室,車椅子に乗りたいほどだったが,脚の悪い母に押して貰う訳にもいかない。
リハビリはマッサージをして貰うだけにした。
昼食を食べて少し元気が出て薬局へ行けた。ところが,皮膚科の手違いで薬が半分しか出ていなかった。

11月26日
入院中より「どんな負荷をかけたらどうなったか」「どんな生活をした翌日はどんなか」を記録し,自分でコントロール出来る様にすべく言われたので書いているが,日に日に酷い。特に病院に行った翌日は最悪だ。本末転倒・・・

11月27日
朝は釘打ち(娘の部屋を整理)。夕方より気功(第一ホテルでの)。帰りは歩行困難。
弁当屋の数段の階段も上れず。
ずっと記録していないが,気功は入院中も定期的に受けていた。

11月28日
空気清浄機の中がカビで真っ黒け!部屋から部屋の通路も綿ごみだらけ。隅はカビまで。
不要物を捨てながら掃除。

この2週間,再入院になるのでは?と思うほど家事をした。それも我が身を細菌から守る為でもあるのが・・
再入院になったとて,家事をする為の一時的退院と捉えても悔いはないほど片付いた。安心して歩けるスペースも出来た。その前は物をまたぐ度に転倒しそうだったのだから。この症状は絶対皮膚筋炎ではない!中枢神経が遣られている気がする。

11月29日
折角朝の体調は良かったのに,簡易保険の受領書が無い,と私が探す羽目になること数時間。※
頭がすっかりワナワナフラフラしてしまって治らない。
退院以来のリハビリ(自宅での課題)。
※ 説明が書いていないので,何がなんだか分からずに書き写しているだけ。又,ノートの文字もぐしゃぐしゃだ。筆圧の無さは「ボールサイン」という,インクがポタポタ落ちそうに出るペンで補っていた。

11月30日
朝は娘が目が回る,と騒いでいた。
自宅でリハビリ。結局筋力が足りない為に神経との連携が悪いのでは?との解釈。

12月1日
午前中久々に手紙のコピーにP.S.コメント書いて更にコピーをして封に入れた。
リハビリ。

夫のぎっくり腰も辛かろうが,私がいくら「車は最低限に」「楽器なしの折は電車」「近所は徒歩か自転車」と言い続けても無視。おそらく80歳並みの腰。こちらは車にも乗らず荷物があろうとも時間が無かろうとも自転車と徒歩で,この病気。計算が合わないなぁ…

明日の受診で念を押すこと。
* 火曜にA先生とK先生を受診したい。
* 薬の確認。
* リーゼの効果は全く無く,フラフラと歩きにくいことこの上なし,日に日に不調が募るのを何とかして欲しい。(病気の悪化なのか,それとも神経系なのか,薬の副作用なのか,何よりも「治るのかどうか!?」)
* 入院保険の書類が出来ているかどうか
* 所得補償の書類をお願いする

12月2日
S教授の診察。身体からステロイドが出なくなっているのを測るように言われたが,ふらつきを中枢神経と結びつけて考えてはおられない。退院後の主治医HJ先生が「たまには教授の顔を見ると安心するでしょ?」と言われたが,私が思っていることに対してお答え頂けない時は…

12月3日
病院翌日は使いものにならず

12月4日
朝起きた時はまぁまぁの体調が,一旦息子のことで腹を立てるや・・・

12月5日
小学校の前のポストまで歩いてみた。

12月6日
朝,コピー機を運んだ!何しろ通路を塞いでいるので。
午後気功(いつものYHさんが都合悪く,息子さんのHTさん)

12月7日
気功の効きめは皆無。

無線タクシーで病院。K先生,HJ先生,その後リハビリ。
歩くのが辛かった。胃痛も激しく。
薬局,コンビニ,そして又タクシーで帰宅(乗り場が遠のいた)
ずっとコレステロールが400近い。CKは上下こそすれども安定。
病院から帰宅後は毎度ながら眠るのみ。




関連記事

NEW ENTRY «  | BLOG TOP |  » OLD ENTRY

プロフィール

奥 千絵子

Author:奥 千絵子
★上の画像は2001年にCDにして約3枚分を収録したものを,2006年に2枚組としてリリースしたCD「樂の音に寄せて」です.『レコード芸術』2007年1月号で「特選盤」として取り上げられました.戸倉新樹教授によるライナーノートは医学生にもお薦めです.その他のCDや著書はWebsite「本館」からお入りください.このブログも「本館」のDIARYです.
★このブログの"Grüß Gott !" (文字化けの場合はGruess Gott!)は墺・南独の時間を問わない挨拶です.Website「本館」のDIARYです.出版CDや著書の詳細は「本館」のメニューからお入りください.
Website「別館」もあります. 著書「ピアノと向きあう」の説明を補うサイトです.よく頂く質問に説明を記載しています.
★上記著書については今井顕 氏によるKINOKUNIYA書評空間WEBLOG を是非ご一読くださいませ.
Auch auf Deutsch schrieb ich…
★【膠原病の記録】余りに医療のカテゴリーがが増えてしまったので目下整理中です.大変複雑な病気の経験が同じ病の方々への参考となりましたら幸いです.
「乳癌と膠原病(皮膚筋炎・多発性筋炎)」「膠原病(退院後)」 ,その他の医療の話(自分以外も含めて)は「医療・病院関係」,に取り敢えず分けました.
平成12.12.12.病院での復帰リサイタルは演奏動画入り記録です。
★恩師のことは55年間を遡り少しずつ記載するつもりです。目下のところはこれだけです.
★コメントも大歓迎です。SPAM防止上、確認後に公開しております。ご理解をお願い致します.
★このブログや大元のサイトへの感想やお問い合わせはservus2008@gmail.com宛に@を半角に直して送信願います.
【BGM】
Robert Stolzメドレー
演奏:東京カンマーコレーゲン 
室内楽アレンジ:奥 千絵子
ショパン:華麗なる大円舞曲Op.18
演奏:奥千絵子 ショパンのワルツは上の画像の2枚組CD「樂の音に寄せて」に入っております.
★Copyrights©1997-2020 Chieko Oku All rights reserved.
制作・著作:奥千絵子
★遙か下方に設置のカウンターは、サイトを複数回お訪ね下さいましても1日を1回とカウントし、又、私を入れない設定になっております。



最近の記事

最近のコメント

最近のトラックバック

月別アーカイブ

カテゴリー

FC2カウンター

ブログ内検索

RSSフィード

リンク

このブログをリンクに追加する