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1999-08

益々増える薬の種類 - 1999.08.27 Fri

8月中旬の続き
まぁまぁの体調の日もあり,家族と5人で外来棟のレストランで食事をする楽しみ。しかし翌日になればその疲れか,一日中懇々と眠ってしまう。
プレドニン40mgは安静を前提とした量なので無理は禁物だそうだ。

ピアノの(留学時代の)友人たちから代わる代わる電話がある。
親身になって今後を考えていてくれるのも有難い。それぞれが自分の意見を述べてくれるのも有難い。特に生徒たちをどうしたら良いのか,この意見は全員違ってさりげない忠告もある。(結局,だれそれに預けるのは危険…といった内容なのだが

8月18日
血液検査,尿検査,蓄尿,検便。一仕事した気分

娘の具合が悪いらしい。猛暑の中,塾通いを始めた所為か?
ホームドクターのところに出向いたそうだ。特に異常はなかったらしいが,心配して結果を待っているのだから知らせてくれてもよいものを。

8月19日
最悪の日!!
病気に関する面談の日(HJ医師,F医師,TR医師)
以下,面談での説明内容;
病名は「皮膚筋炎」
病気に関する説明があった。
一生付き合う病気であること。今までのようにピアノは弾けないこと。断言された。
大人では50~60代,子供では8歳前後が一番発症し易いが,予後は悪くない,とも。
癌の発症は免疫力低下の時期が多い。(諸検査で,現在は癌は無いらしく,それでステロイドを使用するのだろう,と解釈。というのも,ステロイドは免疫力を落とす作用があるのだから。)
日焼け厳禁。引き金になって皮膚症状,手足の脱力,関節痛が起きる。
皮膚と筋肉のみならず,間質性肺炎が屡々同時に起きる,とも。
病気の波としては中等度だが過労・負荷は厳禁。治療を行っても完全に抑えられていない。今の治療では物足りない。
40mgで波が無くなり,自分の中での感覚も良く,完全抑制であれば4週間で又判断。3週間での段階では駄目。
かと言って,薬を多くすれば良いものでもない。
兎も角外出許可は無理。ピアノも当分不可能。

8月20日
不眠最悪。しかも胃の激痛。ナースコールにて薬を貰う。
父の胃癌当時を振り返る。どんな気持ちだったのだろう,と父の無念さの方が頭に浮かび,今になって気持ちを痛いほど思い知らされた。私などより余程口惜しかったろう。

朝まで熟睡したく,眠剤を変更して貰うことになった。

午後爆睡していたら,中学以来の友人Kから電話。朦朧としながら溜まった報告。
彼女は(も)乳癌の先輩でもある。
そこへ折良くHJ先生来室,私がどうして乳癌の時にS大T病院に行くようになったのか,を知るべく。余程Kに電話を交代して貰おうか,と思ったほどだ。
大学病院同士,難しく「単なる友人の紹介」では駄目だそうで,手紙一通書くにも大変だ,とか。(音大と同じ??)

目下の主治医,TR先生が8月一杯で外来になるそうだ。2ヶ月毎に外来と病棟を交代するシステムだそうで,がっかりだ。本当に頭の回転の速い女医さん。行間を読んでくださる医師,親切,丁寧,何でも耳を傾けてくださるのに。看護婦の話によるとTR先生は皮膚科の前は内科にいらしたそうで,頭の回転領域が広い,とか。

神戸のOさんから大きな大きなお見舞いが届いた。手紙も。私は何も言っていないのに全部理解してくれている内容に驚いた(他に人には話していないのだから・・)

8月21日
眠剤変更の所為か,ぐっすり眠り過ぎずっと同じ姿勢でいたのか,胸まで痛い。
念のため部屋に心電計が運ばれて記録。
飲み物が鼻に入る。喉にうまく進まない。
頼んであった寝巻代わりのあれこれ,通販から届いたそうで夫と娘が持参。
心電図やら空調の掃除やら回診やら,土曜にしては珍しい日。
相変わらず床のカーペットと小さな折りたたみ机で手紙を書いたり過ごしている。
いつになったら腰が安定するのやら・・

8月22日
時々回転性眩暈。
飲み物が鼻に行くのがどんどん悪化している。
固形物は飲み込めるが,残りの水分は鼻へ。食道が狭い??それとも食道の筋力低下??

夕飯の後居眠り一時間。入浴の予約時刻にぴったり目覚めた。体内時計はしっかりしているらしい。
その後手紙を書いていたら机で眠っており,11時の巡回で起こされた。

8月23日
恐ろしいのは,眠剤を飲んだ後で書いた手紙の内容が全く記憶にないこと!!
しっかりした文字で書いてあるのだが(勿論私の筆跡!)。※

※ 眠剤の所為との素人判断の恐ろしさであった。喉の飲み込みの悪さも,この手紙の内容が記憶から失せているのも,ステロイドの副作用の所為である,と後年分かった。

先週の木曜以来,看護婦達からピアノに関する話題が消えた。意図的な取り計らいか??

8月24日
第一内科A先生受診。
ステロイドを30mgにしてはどうか,との意見だった。※
嚥下障害の話をしてみた。薬を飲むと,薬は飲み込めるのに水が鼻から出てしまう日々や,硬焼きそばは通るが,魚は飲み込めなかった話。先生は「硬い焼きそばが通るのなら問題ないでしょう」といったことを言われたが,硬焼きそばとて所詮小麦粉を練ってあるのだから,唾液や飲み物と混ぜて噛めば,単なるドロドロした物になる。それに対して魚は繊維が長いではないか・・・嚥下力のみならず噛む力の関係か??と又素人判断を働かせてしまう。

※ 諸症状が皮膚筋炎からではなく,寧ろステロイドの副作用からきているのではないか,という考えの様であったことが後で分かった。

午後,生徒たち宛の手紙を8枚書き,夫にコンビニでコピーを頼み,夜に20通の宛名を書いた。

8月25日
案の定倦怠感。たった宛名20枚で??

生理時のただれを,2人の女医さんが病室で診察。膠原病との関連を。

この辺りの記録から筆圧が落ちている。文字の形もいびつ。

8月26日
嚥下作用が悪く,耳鼻科で写真を撮ったところ確かに喉に唾液の飲み損ないが残っている。

夜,又しても面談。
以下,その内容;
ステロイド40mgという量を,内科では落ち着いている,と捉えているが,皮膚科では波が抑えられていない,と捉える。(そりゃぁ全身真っ赤ですからねぇ・・・
ステロイドだけでは抑えられていない,との解釈で「免疫抑制剤」を加えることになった。
「アザチオプリン」商品名「イムラン」100mg(200mgの意見もあったそうだ)
副作用:骨髄抑制(白血球などの造血の障害),易感染症(ステロイドに加えて!??),脱毛,間質性肺炎・・・等々
1-2週間服用して検査をする。皮膚筋炎と副作用を調べて,問題がなければステロイドを減量していくことも出来る。

8月27日
免疫抑制剤を増やしたことで,益々感染に気を遣わねばならない。マスク必須。
病室のドアの横に,使い捨てマスクが掛けられた。病室を出る時にはこのマスクを。

ところがマスクをすると眼鏡が曇って鬱陶しい。コンタクトを入れたく,外来等のアイセンターへ。
コンタクトの業者らしき男性に,「2ヶ月間洗っていません」と念を押したのに,水道水でざっと流しただけではめた!(どんな菌やカビが付いているやら??)しかもレンズの曇りで視力検査は不可能。当然だ!!再度丁寧に洗って貰い,検査。
医師の診察の折にその事と,ステロイドと免疫抑制剤の話をしたら,感染症が心配なのでそれらの薬の服用中はコンタクトは使用すべきではない,と言われた。洗いの悪いレンズをはめたので念のために抗菌目薬を点眼してくれた。

カルシウム剤が処方されている筈なのだが,どれが何の薬か分からない。
しかも一旦処方されていたのが暫く来ない。尋ねてみたら,その薬は他の患者さんの為の利尿剤であったことが判明!!

薬をしっかり,自分でも確認するように言われた。

朝:プレドニゾロン20mg,イムラン50mg,グラケー,アルファロール,ザンタック,ウルグート,エクセラーゼ,ビタメジン,マーロックス,アスパラCA
昼:プレドニゾロン10mg,イムラン50mg,ビタメジン,エクセラーゼ
夜:プレドニゾロン10mg,ビタメジン,エクセラーゼ,グラケー,アスパラCA
就寝前:ザンタック,ウルグート,マーロックス,サイレース
(副作用の為の胃薬と骨粗鬆症用ばかりだ!!その更なる副作用は?と思ってしまう)

サイレースなど使わなくても消灯前から眠っているのに,2時間おきの巡回で起こされてしまうだけではないか!!とこれも気に入らない!!!一旦8月11日にサイレースからユーロジンになったのが,巡回で目覚めてしまう為,サイレースを夜9時と巡回で目覚めた時と1mgずつ分けて服用することになった。納得の行かない話だ。何かあったらナースコールするのだから巡回は不要!!と思う。


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相変わらず不眠・夜中の騒音 - 1999.08.20 Fri

余りに眠れない為に上旬から何か催眠剤が使われていた様だ(サイレース?)。
こんな事しか話題がない情けなさ!!!

8月9日
催眠剤を使っても2時半には目が覚めてしまう。
サポーターを腕にはめてホカロンを貼ると調子が良い。
明け方4時頃に激しい胃痛。

ところで,1997年辺りからの酷い蕁麻疹だが,ステロイド服用で治ってしまった為に原因は調べられないそうだ。

8月10日
夜は頑張って10時半頃までテレビを見て起きていたがいつ眠ったのか分からない。でも夜中の1時半には目覚めてしまった。
夜中に目覚めるのも悪くはない。
日頃逃げ回っている頭の中の思考回路があれこれ動き出し,人生の諸事を考え,具体的にどうすべきなのかを思い付いたりする。これも,必要あっての「時」?

それにしても無責任にも放置した結果となっている生徒達には申し訳ない限り。
時間さえあれば,仕事関係の方々や生徒たちに手紙を書いている。

朝,骨シンチの為の造影剤を打ったのだが,昼頃から凄まじい動悸に襲われる。余りに身体が震えて検査(じっと横になっている)に支障が出るのではないか?と思うくらいだった。

8月11日
夜,F医師,T医師。
催眠剤はユーロジンに変更。これは導入剤というよりも,夜中の覚醒に効くらしい。

8月12日
教授回診。
CPK陰性。

保険会社(5社。そのうちの2社は所得補償保険)からの書類に記入を始めた。
この記入が大変負荷のかかるもの,普通は家族が記入してくれるのでは??と思いつつ,そんなことをしていると何ヶ月かかるか分からないので兎も角記入をした。そして講義棟にコピーを取りに行き,封書にして投函。
知らず知らず負荷がかかっていたのか,病室に戻ったら身体が地震の様に波打っていた。

8月13日
前の晩にユーロジンを飲んでから手紙を書いていた為か,一日朦朧。

8月14日
本来消灯は9時なのだが,そんな時刻に眠れる訳もなく,看護婦も一人部屋なのでご自由に,と言ってくださる。
1時半頃トイレに目覚め,3時の見回りは知らず6時頃まで眠れた!!

8月中旬~
MRIの様なじっとしていなければならない検査の後は全身がこわばって車椅子が欲しい!
ベッドの上に座ると腰が余りに不安定で座っていられない。家から敷物と折りたたみ式の小さな(大きさとしてはA3くらいだろうか?)テーブルを持ってきてもらい,床に正座して書き物をすることにした。調子よい。
しかし文字を書けば腕の倦怠感。
その上,折角個室で電話もあるというのに,受話器が持てないのだ!!
たまたま取ったら最後,忍耐との闘い。出来るだけ早く切ろうとするのに遮る間も与えない相手には閉口。その後は鈍痛が続く。

夜の巡回が無ければ,眠剤など必要ないのだ!!という怒り。
2時間おきに目覚まし時計をかけているようなものだ。9時に消灯(消さないが)。11時,1時,3時・・・バッタン!とドアを開けて,懐中電灯で顔を照らす!そして看護婦によっては出て行く折にドアを手で閉めないので,そのまま自動的にバッタ~~~~~ンとけたたましい音で閉まる。足音もうるさい。廊下の床はビニールの様なへばりつく素材なのだろう,ナースシューズとの相性が良いのか悪いのか,ペッタペッタペッタ・・・深夜の魔物。
ナースステーションの近くなので,「エリーゼのために」(ナースコール)も頻回に鳴る。夜ずっと待機している看護婦は尊敬極まりないが,あの全員分の翌日の薬をハサミで一回分ずつ切り離して器に入れる作業も(感謝すべきだが)病棟全体に響き渡る。何か音が響かない方法はないのだろうか??ドアを閉めては病棟の様子が分からなくなるのだろうか?
この病棟は昭和44年に出来た一番古いものだそうで,近々解体されるらしい。(現在の規制に合わないことが多いらしい)


家族が来てくれるのも有難いが,洗濯機も乾燥機もあるのだし自分で出来る。食事も3回出る。病室の椅子に座って眠り込んでいる夫を見ると,疲れているのなら無理に来なくてよいのに,と思うばかりか,慣れない家事でさぞかし疲れているのだろうが,余りに眠っていると「疲れを見せつけに来ているのか!?」と意地悪く思いたくなるほど。
・・・ソ レ ヨ リ イ エ ヲ カ タ ヅ ケ テ ク ダ サ イ・・・

と書きつつも,今日は病院の公衆電話のところにある電話帳で,お総菜の宅配サービスの電話番号をあれこれメモを取ってしまった。今まで何も家事をしていない3人,大変だろうなぁ・・・と思うが余りに・・・
家族たちが簡単に出来る手抜き料理(寧ろ脂肪分を控える為の)を連絡帳に3ページ書いた。(手抜きのホワイトソースの作り方,手抜きの中華のとろみのつけ方,等々)冷凍食品に頼りすぎて,娘が消化器官を弱らせている様なので。

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不眠が始まった - 1999.08.08 Sun



8月6日
細切れに3-4時間(計)眠れたのみ。
生徒があれこれ連絡をくれること(私に直接であれ,自宅にであれ)は有難いことなのだが,暫し考え込んでしまう。どれだけ長くなるか分からない休みのこと。差し当たっては,コンクールを既に申し込んでしまった生徒達への対応。しかも私が代表して預かっていた受領票も渡していない。審査員のキャンセルの連絡もしていない。
1時間でよいから外出許可を出してくれれば有難いのだが,ステロイド投与が始まった為に,易感染症を理由に許可を貰えず(病院の方がどれだけ細菌が漂っているか分からないのに…)

そう言えば(話は変わるが),ここのところ酷かった「いびき」が消えた。浮腫がおそらく鼻まで圧迫していたのだろう。何度自分の「いびき」で目覚めたか分からない。すっかり治ってしまった。

筋力も回復しつつあり,エレベータがワゴンその他で一杯の折には,階段で一階まで下りて新聞を買ったり売店に寄ったりしている。

一日,休み休み手紙を5通書いた。全部生徒宛だ・・・

喉の痛みで耳鼻科受診。又あの女医だった。今回も「年齢に伴う自律神経の乱れ」みたいなことを言う。腫れぼったいのは事実だし,飲み込む時に痛いのも事実!
自分なりに「病気の一環。人間外も中も一枚皮,外の皮膚が赤ければ内部の粘膜だって荒れている筈,外の皮膚が乾いていれば粘膜も乾くだろう」と考えながら病室に戻った。

夕方HJ先生来室。
その折偶然「我々は皮膚も内臓も同じ,という考え方です」と仰った。私の解釈もまんざらでもなさそうだ。
プレドニンがゼロになることは将来的にも無いそうだ。10になったら外来でケア。40である今は論外だが,少し減ったら様子次第で外泊をしてピアノをガンガン弾いて,検査データの変化を見る,という話も出ているらしい。

夜,主治医のTR先生来室。
CPKは150位で,正常範囲に戻ったそうだ。その他,白血球が上がっているのは薬によるもの,とのこと。というのはCRPが陰性だから。あとは,腫瘍マーカーもOK。但し膵臓だけはギリギリなので,数ヶ月に1回はチェックの必要性あり,と。


8月7日
2回目にトイレに起きてからもう眠れず。2:30から起きていることになる。無理に眠ることもない。一日ヒマだ。
起床時刻(6時)前から起きて部屋を片付けた。
冷蔵庫の霜も取った。2リットルは取れたと思う。ドライヤーで霜を溶かす為に蹲踞の姿勢で40分くらい居たので,脚が変になってしまった。

8月8日
又12:30位から目覚めたまま。
よし,と電気を点けて,眠くなる為の数学の問題集を解いてみたが眠くならず。
バンテリンを塗ってマッサージし,机で指を動かしてみたが音がするので控えた。座っているだけで脚が変なのは霜取りの所為だろう。でも筆圧もかからない。
朦朧と過ぎ,これは病気に悪影響かもしれない,と電気を消して寝ることにした。

朝,35.7℃,血圧140 – 95。いつもより40以上高い。

筋肉に対して何もしなくてよいのか?QOLを考えた時,腕~指の筋や腱が固まったりフィブリノイド化したり,という懸念はないのだろうか?


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ステロイド(プレドニン)が効き始めるまで - 1999.08.05 Thu

7月30日
まだ悪性腫瘍の検査が最優先
婦人科エコー

筋肉疲労が激しい。
左腕を使うと,例えば額が痒くて掻いただけでも倦怠感と鈍痛。
シャワーを浴びたり身体を洗ったりすれば,暫く動けない。
寝返りも打てず,身体の向きを変えられない。
上を向いて本でも読みたいところだが,本どころか自分の腕が重くて支えていられない。

しかもCPKは500まで上がってしまった。
プレドニンは早い人では4日目くらいから効果が出るそうだから,服用していなければもっと高い数値になっているのかも分からない。
でも,量と病勢との釣り合いはどんななのだろう。

7月31日
夜中から少し目の周りが楽になった気がしていた。
昼頃になり,随分顔を動かすのが楽になり,笑っても「頬が邪魔」と感じることがなくなってきた。勿論まだまだ普通にはほど遠い。
座っていることも出来るようになり,手紙5通。コンクールを控えた生徒達に,何も私自身が分かっていなかった為に,レッスンを暫く休ませて頂くことになる報告だ。

負荷とそこから来る症状を調べる為に,同じ時間帯に風呂に入ることになった。
前の晩よりも倦怠感は減っている。

凄まじい目の周囲の浮腫,顔の浮腫,顔を初め全身の紅斑,嗄声だが,医師たちは何を話しているのか,「田中さん(私の本姓)はひょっとすると元々凄く美人なんじゃぁないかしら,って医局で話しているんですよ」だそうな。(び じ ん に し て く だ さ い……


8月1日
握力,右32kg, 左28kg。
浮腫は変わらず。
握力を測って腕に力を入れ過ぎた所為か,入浴のだるさは戻ってしまった。

8月2日
腕の倦怠感が随分楽になった。

8月3日
目の周りの浮腫は8割消えた気がする。

午前 脳のCT。
午後 第一内科。プレドニン40mgの間は退院出来ないそうだ。3~4週間はこの量らしい。
漸減も年単位だそうだ。
副作用も1年くらい経てば消え始める,とのこと。まだ出てもいない副作用なので,随分先は長い・・・

排便が自力で出来たのは,入院して1週間くらいだけだった。その頃の方がまだ筋肉が破壊されていなかった,ということだ。CPKも正常範囲だったのだから。

8月4日
記載しておかなかったので忘れてしまったが,筋肉痛にはモーラスを処方されている。

目の周りの浮腫は9割消えた。
まだ病名ははっきりしていない様だが,「皮膚筋炎」だけは確実らしい。

視力は万が一SLE(全身性エリテマトーデス)があれば網膜や視神経をやられる事があるそうで,脳の結果が出てから眼科に行くことになった。

首の腫れは全く苦ではなくなった。

8月5日
何週間かぶりで,薬を使わず排便出来た。
午前中久々の教授回診(教授が休診続きだった)。私の一番酷かった状態はご覧になっていない。

「午後」がいつなのやら,待ちに待って漸くMRIに呼ばれた。
30分間,ちゃぶ台の様な形の装置の下で身動きもせずじっとしていたので,その後立ち上がるのにひと苦労。しかも歩けない。病棟は遠い。手すりにつかまりながら辛うじて(3倍以上時間がかかった)病棟が近付いた。部屋に戻ったら寝られる…と頑張って戻ったら,生徒の親が相談に来ていてがっくりしてしまった(内心)。予測外のレッスンの休みを頂いてしまったのだから仕方ない




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プロフィール

奥 千絵子

Author:奥 千絵子
★上の画像は2001年にCDにして約3枚分を収録したものを,2006年に2枚組としてリリースしたCD「樂の音に寄せて」です.『レコード芸術』2007年1月号で「特選盤」として取り上げられました.戸倉新樹教授によるライナーノートは医学生にもお薦めです.その他のCDや著書はWebsite「本館」からお入りください.このブログも「本館」のDIARYです.
★このブログの"Grüß Gott !" (文字化けの場合はGruess Gott!)は墺・南独の時間を問わない挨拶です.Website「本館」のDIARYです.出版CDや著書の詳細は「本館」のメニューからお入りください.
Website「別館」もあります. 著書「ピアノと向きあう」の説明を補うサイトです.よく頂く質問に説明を記載しています.
★上記著書については今井顕 氏によるKINOKUNIYA書評空間WEBLOG を是非ご一読くださいませ.
Auch auf Deutsch schrieb ich…
★【膠原病の記録】余りに医療のカテゴリーがが増えてしまったので目下整理中です.大変複雑な病気の経験が同じ病の方々への参考となりましたら幸いです.
「乳癌と膠原病(皮膚筋炎・多発性筋炎)」「膠原病(退院後)」 ,その他の医療の話(自分以外も含めて)は「医療・病院関係」,に取り敢えず分けました.
平成12.12.12.病院での復帰リサイタルは演奏動画入り記録です。
★恩師のことは55年間を遡り少しずつ記載するつもりです。目下のところはこれだけです.
★コメントも大歓迎です。SPAM防止上、確認後に公開しております。ご理解をお願い致します.
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演奏:東京カンマーコレーゲン 
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ショパン:華麗なる大円舞曲Op.18
演奏:奥千絵子 ショパンのワルツは上の画像の2枚組CD「樂の音に寄せて」に入っております.
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