1998年暮から1999年4月 - 1999.04.30 Fri
(メモ書きを集めて記録)
卯年にあたり,趣味の切り紙で500通ほどのウサギの入った切り紙で年賀状を送った。
感謝を込めて。
眉間の小さな赤みが,週単位でどんどん拡がっていく。
1999年1月末より,ちょっと大がかりな編曲。
スコア(総譜)が存在しないオペレッタ,ピアノの伴奏譜にして120ページほどの全曲を室内楽用に書き換える。フルオーケストラのCDを聴きながら,ピアノ伴奏譜には存在しない音をどんどん書き加えて行き,更にそれを室内楽(弦5部とピアノ)として相応しいそれぞれの楽器に配分し,パート譜を作る作業。春までに・・・と夫が引き受けてきた作業。何故私が一人で??と納得行かないながらも引き受けてきてしまったのだから仕方ない。夜中の2時までかかる日もある(切りの良いところまで続けないと,翌日全部最初からやり直しになる)
2月末
反対側乳房に小さいしこり多数。
頭のふらつきもあり,深く息を吸い込むと右胸~背中が痛む。
毎月1~2回気功師さんに来て頂くことに。
3月4日
夜中,どこを向いても左胸の奥全体の痛み。
3月~4月
紅斑が頬,右太腿へも広がり,筋肉まで痛み,正座が出来ない。
又,前の年と同じで階段を一階昇っただけで鈍痛と倦怠感。
紅斑は,ノルバデックスの副作用で起きることはあり得ない,と断言された。しこりも心配ないものであり,首のグリグリも乳癌と関連しているものではない,とも。(どこから来ているのかが一番知りたいところだ!!)
但し,有難いことに「編曲」はドクターストップがかかった。
紅斑用にリンデロンクリームが5本処方された。
かかりつけ医に報告をしたところ,「顔にリンデロンなんか使っちゃ駄目だよ」と言われたのは可成り後だったかも分からない。
4月17日
子供達がお世話になった「劇団若草」の50周年パーティーに息子と出向く。
「となりの芝生」や「細雪」の舞台が,つい先日の様に感じられるほど,親までタイムスリップ。子供たちを通じて,自分の知らない世界を沢山見せて頂いた結果に感謝。
5月4日の生徒達の発表会に向けてレッスンに余念がない。
乳癌で休みを貰った為,各自の弱点が戻り(最初どの様に習ったか,ということの重さを又しても感じる),基礎に立ち戻り,練習曲とバッハで練習方法や指~腕の使い方を再確認して頂く(全員)。
これは又詳しく改める。
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