外来での摘出まで - 1998.09.30 Wed
5日
「音楽の捧げもの」とのタイトルでの大阪のザ・シンフォニーホールにてチャリティーコンサート出演。(青少年健全育成を目標とし,大阪府社会福祉協議会主催)
母が心配し,「荷物持ちに」を口実に(本音であろう!)前の晩から一緒に大阪入り。結局母の荷物も私が持つことになり,「悪いわねぇ」を連発しつつも,久々の親子の旅は楽しかった。
曲目は「英雄ポロネーズ」など有名な小品数曲。
後半はコーラスとなり,全プログラムが終わってから客席・出演者一体となってコーラスがある為,楽屋で遊びながら(ピアノで)待機。
終演後は毎度のことながら関西の親類たちに会えるのが楽しみ。ふと,これで最後かなぁ…と思ったりする。
その日の新幹線で帰京。
7日
細胞診。教授の「多分水が吸い上がってきますよ」との言葉とは裏腹に,殆ど何も(と言ってよいだろう)吸い上がって来ない!…ということは癌細胞の塊??
14日
細胞診の結果が出た。「2」(陰性)。しかし,しこりが大きく,針を刺した一部分が「2」でも全体が「2」とは限らないので,(そしておそらく,細胞診の時点で何か液体が吸い上がってくれていたら事情が違ったであろうが)外来でしこりのみ取り除くことになった。
しこりは相変わらず乳房内でよく動くタイプ。ピンポン玉というか,大きなビー玉というか,そんな感触だ。よく動くので細胞診の折,針を刺しにくかったそうだ。動く,ということは周囲の組織から離れているので「タチの良いタイプ」なのだろう。
15日
母の生徒さんたちの発表会でちょっとしたトークと演奏。苦にならず。
22日
外来での摘出。
長い髪の毛を纏め,手術用の前開きの寝巻に着替えてスタンバイ。
局所麻酔の為,教授他,医師・看護婦たちの会話が全部聞こえるのが嫌だ。何も見えずに…というのが益々。何をどうやっているのかが見えれば救われるのに。麻酔で感触が無いので尚更。
時々,「麻酔が足りないです」と聞こえる。その度に脈拍数の電子音が速くなる。「麻酔がなくなったら麻酔無しで切ったり縫ったり??」と思ってしまうではないか!
無事に摘出終了し,「血圧が上がりましたね」と言われても・・・
婦人科にせよ,どうして日本は本人に見えない様に視界を遮断するのだろう?
見せて貰ったしこりは,マロングラッセの様,と言ったらよいのか,桃の種,と言ったらよいのか・・色・形ともにそんな感じだった。
10月5日に結果が出るそうだ。
夜,傷口から大出血を起こした様で,パジャマ,シーツ,そして敷き布団まで真っ赤になっていた。
祭日明けに傷の診察。
そんなに出血したら救急で来てください,と言われたが,それだけ切ったのなら出血して当然,と疑問にも思わず。
いずれにせよ,車が渋滞すれば一時間以上かかる距離。揺れたら益々傷口が開くと思う。
それより隔日に電車で消毒に通うのが何とも・・・
帰宅して生徒たちのレッスンをしていたので,親御さんに半ば呆れられてしまった。
不思議なことに摘出後の体調は良い。夫は海外へ行ってしまった為に,日常の全部(子供達のことを含め)自分でしなくてはならない状況だったが ,何も苦になることがなかった。
- 関連記事
-
- ステロイド(プレドニン)が効き始めるまで (1999/08/05)
- 病名と,ステロイド服用開始まで (1999/07/29)
- 膠原病での入院まで (1999/07/13)
- 膠原病の疑いへ (1999/06/17)
- 1998年暮から1999年4月 (1999/04/30)
- 退院 (1998/11/30)
- 入院生活へ (1998/10/31)
- 外来での摘出まで (1998/09/30)
- 辛うじて過ぎている (1998/08/30)
- 乳癌発覚へ (1998/07/31)
- 6月(不思議な症状に襲われたまま) (1998/06/30)
- 思い立ったリサイタル (1998/05/30)
- 又しても蕁麻疹 (1998/04/28)
- 相変わらず蕁麻疹 (1998/03/30)
- 今月を振り返る(風邪と発熱と蕁麻疹) (1998/02/27)