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2020-09

信州行き(9) - 2019.04.15 Mon


相変わらずの備忘録です。

(4月12日)

どんどんおひさまが上って行く。
そうそう、この安曇野はNHKの朝ドラ『おひさま』で随分映ったものでした。
前の日記のどこかに載せた、小川の水車やわさび田がまさにそこで・・

今日のおひさま。
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(レストラン外のベランダ)
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今日こそInstagram!
と思えど、アングルなど考えるのも億劫で「撮っただけ〜〜」状態。

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宿を後にする夫
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以下は順不同
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着いて、まずは出来ている荷物をひたすら車に積む夫。
私は可能な限り掃除。特に沢山落ちている虫の死骸たち!!いや、これから孵化する幼虫たちも居るか??

日程には限界あり、ここ迄を記録とし・・・

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これ以上の作業は無理です。(しかも、2つの大きな忘れものを写真から見つけ…)
帰宅したら、今までの荷物の多大な整理が待っている訳であり・・・30年の歴史のアトリエを優先??
我々の断捨離は又してもどんどん遠のいて行く・・・

アトリエも、家具を撤去して壁を塗り替え、2階の畳を新しくしたなら、新築当時の姿に(ほぼ)戻るのでは?と思う。いや、我々からは全面的に手を離れるので、推察すべきことでも何を考えることでもありませんが。


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(又しても順不同になった。タグの文字列を写真ファイルと照合する手間は省略)
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以上で、信州の記録は終わりとします。


信州行き(8) - 2019.04.13 Sat


(4月11日)
前の晩は、すっかり遅くなっての到着。
どんな景色なのかも全く分からないほどで。

瀟洒な、しかも必要なものは全て揃っているペンション。
早朝に目覚め、まずはカーテンを開け、網戸越しに外を見てみる。

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朝食。
ピアノがある!
鳴らしてみた。ハンマーフェルトがモコモコになっているようだ。
調律・整音をしたなら、ここでちょっとした演奏会も出来そう。

可愛いくまさんの縫いぐるみが

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美味しい春野菜の数々。(Instagramは習慣付かず、いつも食べてしまってから「あ!撮り忘れた!」と気付く。
それでも以下を記録。

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アトリエに向かう。相変わらずの道順ながら、天気次第で1回として同じ風景は無い。

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前の日に隣家のYさんが雪を掻いてくださったお蔭と、仰せの通りの地熱とで、難なく裏庭に車は上ることが出来た。

一晩寝ると頭は動くようになるものだ。
前日終わらせた状態の写真↓のみならず、まだまだ2階各部屋にも広いクローゼットにもキッチンにも山ほどの荷物、洗面所も風呂場も物に埋もれているが、「どうするか」と考えることが出来るようになり、ともあれ分別しながら片っ端からポリ袋に詰め込む・・・

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家に持ち帰って使える物などは梱包。
段ボール箱も(Amazonなどの)今回のため捨てずにおき、緩衝材もガムテープと共に沢山持って来てある。
緩衝材にくるんで丁寧に入れ、ガムテープで封をしては中身をマッキーで上書き。

捨てるものは杉並区の分別に従って入れて、可燃ゴミの余りの多さに辟易していたところ、何と!隣家Yさんが、可燃ゴミは軒下にでも纏めて置いておけば少しずつ後日運んで下さる、と仰る。お言葉に甘えることにした。
よって普通の半透明の袋に入れ、宿に向かう時に大町市指定のゴミ袋を購入することにした。可燃ゴミの持ち帰りが無くなったので、そのスペースを「お持ち帰りの遺品」に充てることが出来るではないか!!感謝。常に「遠くの親戚より近くの他人」の有難さを痛感。

「五月人形」という大きな箱がある。開きかけたが、とても古い新聞紙に飾りがひとつずつ包んである様子。そのまま持ち帰り、東京で判断することに。作業の手は止めていられないから。
鍋釜食器の類いも、充分使える物は我が家で使っている割れかけた物や余りに酷く古い物と入れ換えるべく詰める。

火災で半分燃えたり溶けたり、開くことも出来ないようなアルバムは諦め、可燃ゴミに。きっと義父にとっては自分の歴史だったのだろうが、焦げと放水での傷み様…ページはぴったりくっついて開けない。義父の心を推し量ると筆舌に尽くせぬ。
途中で今回も娘にスマホで、杉並の「粗大ゴミ」の大きさや「不燃ゴミ」に大きさ制限があるのか、など尋ねながら。

・・・と、こんな作業を又しても黙々と夕方まで行い、疲れたね〜、疲れたよ〜・・・
軽く休憩をはさみ、もうひと踏ん張りして、車に詰む予測を立てる。

アトリエを後にする。

(順不同)

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大町市指定のゴミ袋を買い、宿で頂いたすずむし荘の温泉半額券にて温泉に浸り、遅れて予約した宿の食事にありついた。
お馴染みのくまさんの縫いぐるみ。「美味しいですね」と話しかけて来そう!

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Instagramはどうしても習慣付かず、半分以上食べてから「又撮り忘れた!!」の常。特に疲れていると夢中で食べてしまうから。

メニューは;
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とても美味しかった。
(小学生の記録のようだ・・・)








信州行き(7) - 2019.04.13 Sat


又しても遡っての備忘録

(4月10日)
朝一番で大学病院の予約受診。整形外科。
院内のStarbucks、車内用のサンドイッチやコーヒーをテイクアウト。
又しても信濃大町に行きだ。

前日から天気予報では大雪に見舞われると報じている。大丈夫なのだろうか。
何も好きでこんな天候の日を選んだ訳ではない。夫のスケジュールは、この日に出発するしかない。

1月も3月も富士山や日本アルプスの景色に見とれていた助手席の人。今回は4月の雪見と化した。

いつもなら富士山がくっきり大きく見える初狩も近くの雪山しか見えない。
遠くの南アルプスも中央アルプスも北アルプスもぼんやり山が見えるだけ。
途中、チェーン規制で大渋滞。抜けるのに2時間ほどかかったらしい。助手席の私は大爆睡。


(カーナビでは至るところにチェーンマークが)
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(毎度お馴染み、唯一の道)
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着いた。雪は1月よりも多いではないか!!
前の晩に酷く降り、着いた時はこれでも可成り溶けていたらしい。

裏庭に車を駐める筈が、庭の坂を上れずにすったもんだ。スタッドレスタイヤなのに・・この上からチェーンを巻く??
そうだ!新しい軽くて使い易いスコップが入った靴箱、何度も開閉しているのに、持って出るのをすっかり忘れた。
仕方なく柄も折れた古い重たいスコップで雪掻きを試みる。
それでも車は上れない。
おそらくその気配に、隣家の友人Yさんが雪国のスコップ片手に出て来て、車が通る場所を作ってくださった。
しかも重たい段ボール箱2つ(中身は大きなスピーカー)も運んでくださった。
義父母たちもお世話になりっぱなしのYさん。
子供達が小学生の頃には、長い休みの時には遊びに来るもので、一緒に花火などしてくださった。
いつもながら、遠くの親戚より近くの他人を実感。


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(雪にも負けずに顔を出してくれている健気な土筆たち)


前回の続きの作業をする。
作業とは名ばかり、まだまだゴミの分類だ。

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天気も天気、寒い上に疲労困憊。
早々に(明るいうちに)宿に引き上げる。
途中で食事。
いろり懐石釣り人、牡蠣がとても美味しかった。
「食べる」という行為もエネルギーを要することを痛感。又改めてゆっくり食べに来たいと思った。


はぁ〜〜〜、1月よりも大変な雪だった。




信州行き(6)-2 - 2019.04.08 Mon


(遡った備忘録)
無事に3月20日に大町から帰ったものの、出掛ける前、更にその前の演奏旅行の前から頭痛を訴えていた夫。
父親のアトリエ整理も先が見えてきて安心したのか、頭痛は酷くなった。

しかも帰京した日には、まだ明るいうちに、と積んで来た荷物を全部バックドア(という固有名詞だろうか?)から順番に下ろす。夫の仕事部屋が一番近いので、そこにどんどん積み上げる。私も荷解きを順繰りにする。
途中、車の鍵が無い、だの財布が見つからない、だの、完全に頭を使い果たした証拠(無意識にポイポイ)。外はもう真っ暗・・・
何も今日のうちにしなくても…娘婿も帰宅したら手伝うと言ってくれているのに…と思っていたら、翌朝からこの部屋でレッスンをすることになっていて…。(寧ろ、チャチャっと済ませたい性格。もう若くないぞ!!と思う)

どうもその頭痛が怪しい。ちゃんと診てもらっては?と大学病院に付き添う。以前にもこんなことがあったのを思い出したから。義母の逝去後の、しかも更に火災の後、義父の世話に追われるようになった頃。その時は、単なる頭痛と思いきや、帯状疱疹だった。私より15cm身長が高い夫の頭上は見えていなかった。勾配のある坂道で湿疹を見つけた。それも何日も経っていたので即刻入院させてもらった2003年。
そんな経験があったものだから、先ずはカルテがある筈の皮膚科へ(電子カルテ化する前の話で、生憎当時の記録は無かった。湿疹は無いが「帯状疱疹後神経痛」なるものの存在も知っている。
けれども湿疹が出ていない以上診断名は付けられない、と神経内科に回された。
まだ若い医師、ちゃんと名札を見せて「○○です。よろしくお願いします」と逆に挨拶してくれる医師。
説明も丁寧。
まずは帯状疱疹後神経痛を第1に疑い、トラムセットその他の処方。トラムセットで眠くなる所為か、暇さえあればうたた寝……それが良かったか、一週間経っての予約受診の頃には痛みもすっかり取れていた。

いずれにせよウィルスだったのか感染症だったのか。
その数日後から私も頭痛。髪の毛を引っ張られるような痛み。
ロキソニンを飲んで痛みが治まってから起き上がる数日。
後日、酷い眩暈にも襲われた。明け方からグルグル回転。いつも1錠飲めば治る手持ちのメリスロンを2錠飲んでも治りきらない。
折しも、近場の病院で泌尿器科の予約受診があり、そこでその話をしたところ、内科に回され、メリスロンを含む2種類の薬を処方された。これで治らなかったら耳鼻科を受診してくださいね、と念を押された。(内心、その元気があれば最初から耳鼻科に行っていますわ
きっと何か感染症の類いに違いない、と私は勝手に睨んでいる。そういう時には休息が一番の薬なのに・・・

頭痛もフラフラ感も治まらないが、薬で生活は一応出来ているので(少なくとも私はそう感じている)暫く様子を見る。
そうこうするうち、又しても信濃大町行きは近づいた。今度で、今度こそ、最後!!(の筈)

他にも親族は居るだろうに!!と甚だ機嫌の悪いわたくし



信州行き(6)-1 - 2019.03.30 Sat


(3月20日)
今日も好天。
チェックアウトの前にしっかり腹ごしらえをして頑張ります。

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レストランの窓ガラス
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相変わらず懐かしい遊具をよそ目に。
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今日の仕事は、既に梱包したものを車に積む!!ひたすら積む!!!
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兎も角積む。少しの隙間もなく。そして隙間が出来ると複数の隙間を工夫して、まだアトリエに残してあるものを突っ込む。
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以下、順不同。
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そして道の駅に寄ったりしながら帰路へ。
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順不同
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似たような風景ばかり・・・




信州行き(5) - 2019.03.29 Fri


(3月19日)
朝6時に起きてカーテンを開けたら・・・
まさか、目の前はこんな風景だったの!?


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全て、義父の絵を眺めている様。。。いや、逆か。。。このような景色により、義父の画風も育てられた?


朝ドラも見ずに開店と同時の朝食バイキングへ。
そして車に乗り込み目指すはアトリエ。

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アトリエの前の景色。昔子供達と写生などしたっけ。
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早朝からいらしてくださり、焼却場を何往復もしてくださったお若い方々に心から感謝!!
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そして、引き続き私たちは東京に持ち帰る品々の分別作業。
作業は続くよどこまでも…どこまでも…どこまでも……


本人の知らない間に載った音楽雑誌など、親はしっかり購入・保管してあったのですね…
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時々東京の娘とやり取りして、「これは何ゴミになるの?」と尋ねて教えてもらう。
「これは要る?」なども。
義母作の木目込み人形などは絶対に持ち帰って、と。
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この他にも沢山あり、まずは掃除機をかけて日光消毒だろうか・・・

食器なども丁寧に、割れぬようにティッシューや緩衝材を使って、持ち込んだ段ボール箱に入れる。
鍋釜も、(多分我々が)お祝いに頂いたBesteckのセットもあり、放置出来ない。
前回の鳩時計に続き、別な掛け時計、壁掛けの鏡、額縁・・・毛布やシーツにくるみ、・・・全て、持参した緩衝材で固定し、箱はガムテープで締め、持参したマジックインキで中身を記入。リサイクルひろばに差し上げるにしても。
押し入れ家具も「リサイクル広場行き」と「我が家行き」とに分けて、中に持ち帰るべき物を入れる。
何とまぁ・・
我々の断捨離も気になっているというのに・・

義父母の荷物は「アトリエ兼別荘」とは言え、2002年暮れに東京の家が全焼しただけに、義父は大切に使っていたに違いない。いつの間にか購入したと思しき物もあるが、30年の間、父親の「持って来てくれ」に夫は逆らえずに運んだ品々だと思う。

明日は朝一番、車に積み込む。
そして更に片付け、入るものは入れる。

昨日のように暗くならぬうちに宿に帰る。


信州行き(4)-2 - 2019.03.29 Fri


(3月18日)
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アトリエに着いて、運転してきた夫は休むこともせずに。
せっせと片付ける。
明日の朝9時だったか…業者さんと何か打ち合わせもあり、又市役所から若いお二方が運搬の手伝いにいらしてくださるとのことで、目一杯「可燃ゴミ」を作る(おかしな表現だが、大町市のゴミ焼却場に運んでくださるとのことで)。私ら二人では運搬出来ない。
*可燃ゴミを作る
*東京に持ち帰り、高井戸のリサイクル広場で引き取ってもらう物を纏める(少額であっても、捨てるよりなら杉並区に貢献)
*他は杉並区の分別に従って、「不燃ゴミ」「缶」「瓶」「プラスチックゴミ」という袋を作って、ひたすら分けて持ち帰る。

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(こんなものをアップするなど、我ながら馬鹿じゃぁなかろうか、と思うが、作業前の状態。いや、1月の作業後の状態か…)

1月に作った可燃ゴミの量が倍になった・・
黙々と作業をする二人。

暗くならぬうちに宿へ向かう筈が真っ暗。流石の夫もカーナビを使う。山道をひたすら登るから。
今回は雪の心配がないので、松本ではなく安曇野に泊まる。
宿に着いて、ぐったり。食べ物の持ち合わせは無いので、レストランでバイキング。和洋に鍋物の。

温泉に入る元気すらなく、外の景色もどうなっているのか調べる気力もなく、ベッドに倒れ込む。



信州行き(4)-1 - 2019.03.27 Wed


(3月18日)
疲れた!などと言ってはおられぬ。
4歳年上の夫が、信濃大町へ出向く前の2日間演奏旅行だったのだから。

ワゴン車の運転から20年以上離れた私は、夫の車は余りに大きく感じ、運転不可能。ワゴン車しか運転したことのなかった30代40代は軽自動車など怖くて運転出来なかったというのに。

幸い天候に恵まれ、行きは相変わらず富士山を眺め、南アルプス、中央アルプス、北アルプス、と順繰りに満喫。
今回も又アトリエの片付けですが、風景の写真だけアップしますかね。

高速に乗るや、直ぐに見えてきた富士山
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初雁
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八ヶ岳が見えてきた

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中央アルプス(違うか??)
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段々北アルプスに近づくはずが、いい加減な私の頭
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もっと良い写真があった筈が、デジカメを混ぜたら順不同になってしまったので放棄。
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アトリエへ行く途中、仁科神明宮に寄る。
義父はここの屏風絵を描いて感謝状を頂くなど、懇意にさせて頂いていたので…

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無事に義父母の心が詰まったアトリエの作業が終わるべく、この際宗教にはこだわらぬ不信心者の私はお守りを買う。
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アトリエが見えてきた
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30年前に子供達が遊んだミニ公園
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サルが走り回っている・・
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あぁ、それにしても何と気の重い到着!!
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信州行き(3) - 2019.01.23 Wed


(記載は2月3日)

午後には帰京予定。
再度アトリエに向かう。

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1日降っただけの雪なので、街では溶けてきていても、アトリエ近辺はまだまだ。

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建物についての話を工務店の方から伺う。
建てた方だから知り尽くしておられて、勿論足場を組んで大々的に調べるとなれば別だが、大体は想像していた通り、10年も誰も住んでいなければ生じるレベルの傷みらしい。これは以降全面的にお任せするとしても…

お世話になり通しの隣家でコーヒーをご馳走になった。
義父が1人になってからは、いくら毎日ヘルパーさんが来てくださるとは言え、常に気に掛けて生活してくださったのではないか、想像に余りある。
30年前は、頻繁に我が家の子供たちも出向いている。一緒に庭で花火をしたり、優しいおじちゃま、おばちゃまで…

雪と相談して、又出向く必要はありそう。

ひとまずアトリエを後にして出発。

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その昔、子供達も一緒に来たことのある白鳥湖、工事のために移転しているらしい。

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富士山を眺めつつの高速。デジカメもなくスマホで。
順不同

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田中の両親が築き上げた歴史、といっても過言ではないこと、亡くなって年月が過ぎた今なので、一人の芸術家とその家族達、支えてくださる周囲の方々や多くの団体に深い感謝を持って、しかし客観的に冷静に振り返る。私は持病をコントロールしながら東京での仕事に追われ、何もしないに等しかったから・・・



信州行き(2)- 2 - 2019.01.22 Tue


(記載は2月2日)

2011年のブログ

あれから8年。これでは本当に廃屋になる。
いや、寧ろ物が散乱しているだけで、片付けて壁にリフォームを加えたら建てた頃のようになるのだろう、とも思える。
家というのは不思議で、誰かが住んで毎日床を歩いているだけで歪みは来ない。ましてここのアトリエのように二等辺三角形、それも正三角形に近い形では、大地震が来ても歪みようもない。
(県の避難所に使って頂くことは?と思ってしまう)


今日はこの雪では動きが取れない。
それでも、「家に持ち帰るもの(私たちのアルバムまである!)」「区のリサイクルに持って行く物(引き取ってくれない場合は可燃ゴミとする)」「大町でゴミとして出すもの」に分けて、昨日に引き続き進めるところまで進めた。

雪も上がって、私はもう来ないかもしれないし、実際雪景色は最後だろう、とスマホでカシャカシャ。
せめてデジカメくらい持ってくるべきであった!!

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それにしても昨日は気が遠のくほどの2階だった。

今日は、70リットルくらいと思しき市のゴミ袋に片っ端から可燃の不要物を入れた。

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ざっと…いくつだろう…市役所から若い方がいらして、これらを1階に下ろすリレー作業の階段部分を手伝ってくださった。心底助かった!

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これら山積みのゴミ袋を焼却場へ、というのが今日の最大の仕事と思っていたが、この雪道ではとても不可能とのことで延期となった。いずれ又来ざるを得ないことだし…

又、和洋沢山の引き出しの中は空にして東京で区のリサイクルへ持参することにしたので、2階はほぼ空となった。

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次回は1階と納戸だ!

積めるだけ積んだ夫の車・・・もっと深く、写っていない部分まで積んであります・・

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松本の宿への途中で温泉へ。

夜は何か美味しいものを、と散策。

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他は撮りそびれた。
Instagramは未だに慣れない。

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(いやはや、こんなピンボケ。せめてデジカメは常に持参すべし)


信州行き(2)- 1 - 2019.01.22 Tue


(記載は2月2日)

松本ですら雪が降り出した朝、山の方はどんなだろう・・・

まずはしっかり腹ごしらえ。
何故かパンがない。ヨーグルトにシリアル類はあるのに。
ご飯は白米と炊き込みとあって、黒カレーが売りらしい。

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降り出して間もないのに、車はこんなに・・・

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いよいよアトリエが見えてきた。
うんざりだなぁ〜〜……遊びに来た訳ではないから…

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二通に分けます。


信州行き(1) - 2019.01.21 Mon


(記載は2月1日)

暮れに、夫から信濃大町のアトリエを片付けに行くから「1月は20日過ぎから空けておいて」と言われた。
よし!体調管理だ!!と眼科や、以前大学病院で主治医であった医師を訪ねたり、この1〜2年の不調を診て頂いた。解決の着くものでもないが、無理をしなければそこそこ安心して出向けるアドヴァイスを頂いた。

そして夫はと言えば、恒例の(1978年の創設時から共演している)Strauß Festival Orchester Wien(ウィーン・シュトラウスフェスティヴァル・オーケストラ)とのツアーに、正月2日から出掛けた。
タイトなスケジュールで、西宮から富山へ、その後名古屋(豊田か?)、一旦東京に戻ってオペラシティとサントリーでの演奏会、その合間に実に上手く他の仕事が入る。シンジラレナイ・・・
究極は福岡を日帰り公演し、翌日は佐倉とか。

頑張っている夫を余所に、私は気付くと大爆睡。起こしてくれる人が居ないのだもの。
でもそのお蔭か、昨年の疲れも軽減し、予定通り1月21日には信濃大町に向けて(車の助手席にて)出発。

何の為に信濃大町に行くのか、忙しい夫と眠ってばかりの私は会話する時間もなく、やっと車中で事の次第を訊いた。
アトリエの土地の借地権が切れるのだそうだ。更新してしまったらその次の更新は100歳を超える訳で・・・
又アトリエの様子を見たいと仰る方もあるそうで、出来ればこのままアトリエを何かの形で使って頂きたいのは誰しも願いは同じで。

夫の母は2002年に亡くなり、その年の暮れには母屋が全焼する火災を起こした。遺骨の前の火の点いた蝋燭を、中途半端に立て掛けてあった遺影がどうやら遺骨ともども畳の上に落としたらしい。…と消防隊の捜査で言われた。
その話は2002年付けで書いたので省略。

義父は2010年に亡くなったが、晩年の殆どを大町のアトリエで過ごした。
杉並で介護保険は受けていたが、他県では全てが100%自費。それでもヘルパーさんに毎日来て頂き、義母と過ごした窓から飛騨山脈の連なる景色を見ては絵を描き、過去の想い出に耽っていたと思う。
亡くなる前の1〜2年ほどは現在の我が家に居たり、入院したりと、結局この10年間誰も使わなくなった大町のアトリエ兼別荘。
義父の存命中、夫は時間が許す限り、注文される画材の類いを購入しては届けに出向いたり、作業を手伝っていたが、私は火災直後に焼け残ったあれこれを家族全員で2003年初めに運んで以来だった。

久々の往路から富士山の眺め。

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諏訪湖のサービスエリアで休憩。

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いよいよアルプスが見えてきた。

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かの有名な黒沢監督が映画「夢」の舞台にしたという大王わさび農場あたりを散歩。
写真は全くの順不同(後で整えますか…)

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漸くアトリエへ。

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ここから本来の目的であった作業に入る。
う〜〜〜〜〜ん・・・・・とてもアップロード出来るシロモノではない。
と書きつつ、義父の「お別れの会」から後日、アメリカ在住の義姉親子が纏めてくれ、部屋の隅に積んでおいてくれてあったことに、心から感謝して載せさせて頂く。大変だったと思う。これだけではないのだから。

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以上は2階。
問題は広い1階。ピラミッドの底面積のようなもの。
納戸の中然り。まだまだ・・・


今日忘れずにすることは、帰りにコンビニやスーパーで売っているという大町市特定のゴミ袋を買うこと!


泊まれる状態でないことは想像に余りあったので、松本に宿を取っておいた。
正解だった。でも従業員も客も外国人が多く、折角の和室なのに、ここに荷物を並べる…って…
疲れると愚痴っぽくていけないが。

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伝えるかどうか迷いつつ、自分たちで正しい場所に移動させた。

又考えて、後ほど。




白馬村へ - 2012.07.17 Tue

前の日にCDの収録を終え、可成り疲れている筈なのだが(なので?)、疲れが噴き出す前に!と…

気になっている展覧会も見たいし、2003年1月以来ご無沙汰の(家族では私だけが)信濃大町のアトリエにも行きたいし。


展覧会はこれ↓ 義父・田中春弥の油絵が1階全体に展示されている。

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幸い天気も良さそうで、朝に決断し、私は何の用意もなく車に乗り込んだ。
好きな山と空の風景が見られれば、それだけで充分。

都内を走り抜け、ちょっと素敵な歩道橋を見つけ、携帯でカシャ!
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高速に乗り
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横川で休憩
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でも釜飯は食べません。お釜を持ち帰る習性あり、家は釜だらけ・・・

山が見えてきました
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(まだ浅間山)


あとはぐっすり眠ってしまい、目覚めれば白馬村。
三枝美術館に行き、ご主人と暫しお話を。

すぐ目と鼻の先のペンションに移動し、汗を流して、夕食はイタリアンのコース。
美味しかった。珍しく写真を撮りそびれた。

早々に休んだ。

・・・って、何という日記だろう・・・
(7月19日に必死で思い出して記載)


「おひさま」のように - 2011.09.04 Sun

いや、「陽子」のようになれたら、という話では全くありません。


今月で「おひさま」もおしまい。
「ひらり」「あぐり」以来、久々に日々欠かさず見ている朝ドラ。

きっと、あの赤い屋根の家に皆で住むことになるのだろうな…などと思いつつ、ふと最近夫と話していること。


信濃大町にある、亡き義父・田中春弥のアトリエ。
どなたかが借家としてお使い頂けたら・・・という・・
というのも、このままでは廃屋と化すことは必至。
私たちも泊まりがけで行くことはまずないだろうし、既に物置になりつつあるアトリエを、何かを機会に片付けてしまいたい(置いてあるものを分別・処分したい)……さりとて全く手放してしまうことは考えられない。

……と、安曇野や長野県各地の風景がテレビに映る度に、「どうしようね…」という話になるのだ。


建てた当時の写真(1980年代)。

外観
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内部1
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内部2
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亡き義父母
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パソコンの中から探し出した。
アトリエの中から窓の外を眺めれば、正面は北アルプスなのだが、その写真は見つからない。
アルバムから探してスキャンでもしておかねば・・



とは言え、片付けて写真の姿に戻すのは素人には至難の業。
結局このまま廃屋になるのかもしれない・・・







義父命日 - 2011.08.18 Thu

夫の父・田中春弥が亡くなって1年。

当人が好きで、よく家族揃って食事をした「梅の花」へ、夜に夫と娘夫婦と4人で出向いた。

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梅の花膳、電磁プレートによる多大な電力の消費を抑制するため、懐石の湯豆腐は「特選冷豆腐」に、とのこと。

ひと品ずつ工夫を凝らしてあり味わいもあり、これからも何かにつけて利用させて頂くと思う。





一周忌 - 2011.07.16 Sat

(7月23日・記録…簡単ながら)

義父の一周忌。
本来は8月ですが、義母の命日が7月初旬。2002年に亡くなったのに殆ど何もしていない。

という訳で、二人分…というのは語弊ありますが。
隣りの県の霊園に、身近な親類が集まりました。


とても早く着いてしまい、墓石を洗いに。
景色が良く、富士山が見える筈、と携帯から。
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写らなかったので、デジカメにて…やはりぼんやり、見ようと思えば見える映像;
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墓石のデザインは、義父(田中春弥)の名前から「春」の文字を本人がデザイン化したもの。

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義父の大きな絵が掛けられた部屋にて昼食。
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義兄及び夫の挨拶
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どこかでチュンチュン鳴いている・・
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この子でした。
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帰りは葉山の日影茶屋に寄り、久々義兄一家とのくつろいだひととき。



もっと詳しく書きたいのですが、日常に追われ、あれよあれよという間に日は過ぎ、これ以上経っても…雑文と相成りました。
又、別な写真と共に編集しようと思います。


それにしても暑かった!!!
いらして下さった方々の健康を案じます。
私らも、半ば熱中症…数日立ち直れず。







田中春弥「お別れの会」 そして納骨 - 2010.10.31 Sun

言い訳ですが…自分のことだけでもギリギリ、超特急並みの日々でした。
いえ、日頃が甚だしい鈍行ですので、今年の春からは急行、夏からは特急、最後は超特急と感じたまでです

漸くそれらが一段落しました。
その件は又改めることにし、疲れも徐々に取れつつあるので、大変遅くなりましたが義父のご報告です。



考えてみれば亡くなって既に2ヶ月半近く経っています。真夏から冬のような空へ。どうしてこんなに月日は速く過ぎるのでしょう。



10月8日の「お別れの会」。

本来は司会者を立て、ご挨拶や弔電の紹介などを含めるべきなのでしょうが、本人はおそらく…数年前からはガラリと変わり…皆さまにお集り頂き、ワイワイ賑やかに同窓会の場や再会の場にして欲しかったのではないだろうか、ということを重んじ、型にはまらない会となりました。BGMは次男である夫が率いるメンバーにて。

会の様子は、池野 徹氏が実に心温まる文章を書いて下さっておられますので、そのサイトを後に貼り付けさせて頂きます。


ご出席くださいました方々には、心よりお礼を申し上げます。

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(以上は開始前)


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(以下3枚 Copyrights©池野 徹 Tohru Ikeno)
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池野 徹氏の文章は、義父の人生も含めて綴られています。是非お読みくださいませ。

___________________

以下、納骨のご報告。

10月23日、珍しく青空にも恵まれ、義父は最愛の妻のもとに。
「やっと会えたね」と言っているに違いありません。
2002年、先に逝ってしまった義母のために、デザインも全て義父が整えたものです。

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故・田中春弥「お別れの会」のお知らせ - 2010.09.04 Sat

お電話で度々お尋ねを頂戴致しますので、一応ここにも掲載させて頂きます。


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(クリックで拡大してご覧くださいませ)




10年前の記録ノートから - 2010.08.29 Sun

10年前の通院でのメモ帳が出てきた。
その中に、義父(田中春弥)の受診に付き添った折のメモもあったので、ここに書き写しておく(メモ帳はおそらく紛失するだろうから)。

偶々運ばれたのが私のお世話になっている病院だったのか、それともタクシーを呼んだのか、その辺りの記憶は定かでない。ともあれ当時、週2-3回通院していた私が付き添うのは、全く苦労ではなかった。

以下は医師の話を聞いては走り書きのメモからなので、判読不能の箇所もあるのだが・・
確か、日展の審査か何かで歩けなくなり、お弟子さんに付き添われてタクシーで帰宅したことがあった。その日からのメモだと思う。
_______________________

2000年11月3日 救急救命センター

義父の近日中の予定を述べる
11月4日 日展出品者懇親会
11月5日 慈彩会の音楽会 皇太子妃ご来席
11月7日 書の会 京王プラザ
      墨絵のオープニングパーティ
11月13~15日 大阪一水会の陳列とオープニング 新幹線で移動

(つまりは、これだけの予定をこなさねばならないので、何とかして下さい、と出向いたのだと思う)

胸部外科医師の説明;
除脈により血液が全身はもとより、脳に行かない小失神発作を起こしていたのだろう。
脈拍数は35で、これでは脳にも内臓にも行く血量が足りない。原因は心臓の電気の通り道が遮断されていること。
解決方法はペースメーカーを入れること。よく言われる携帯電話も、自分がかけるのでなければ問題ない。

病名は「房室ブロック」
ペースメーカーを絶対に入れなくてはならない部類の病気。
それについて簡単な説明がなされた。
手術は至って簡単で(=患者への負荷は少なく)、1時間位のもの。局所に薄い長さは5センチほどの電池を入れるのみ。入院は1週間。寝たまま2日間を過ごし、注意事項は一週間は手を動かさない、という位。

心臓というのは血液を溜め込んでは送りだそうとする筈が、心肥大で壁が伸びており、縮まない。
脈を速くする薬を12月まで服用し、外来でこまめにチェックすること。(変更は随時)
薬を服用して2-3日様子を見る。楽になるかどうかのチェック。飲み忘れた時には、そのままとし、まとめて飲まないこと。

11月6日午後に外来にて変化を診る。それ迄毎日3回きちんと服薬すること。
但し、辛い時は我慢せずに受診すること。

(夕方、私がお世話になっている皮膚科の教授から心臓外科の教授に紹介状)


2000年11月6日 心臓外科外来

服薬にも拘わらず房室ブロックは続いている。(脈拍数は44/min.)
脈拍が遅くても何ともなければよい。辛うじて55%の血液が肺に運ばれている状態。
ペースメーカーを入れる判断は、12月迄なら大丈夫だが、この状態で12月迄(生命が)大丈夫という保証もない。

ということで、12月4日に入院し、5日に手術を受けることとなった。

11月27日に外来で最終チェックを行う。糖尿もあるので、血液検査も含め。
アロテックという交感神経を刺激し、心臓を強くする薬をそれ迄使う。或いは一時的なペースメーカーという手段もある(この辺り、文字が乱雑過ぎて不鮮明)。


メモ帳に心臓を中心とする循環器の簡単な図と共に、説明がメモってある。(右心房・右心室・左心房・左心室・洞結節・肺動脈・大動脈等々)
脈を整える酸素を運ぶ。酸素が必要な時には脈が速くなり、洞結節が整える。その洞結節の役割をペースメーカーが代行する。電気刺激で薄い心房を交互に動く電気の通り道、心房が縮んで心室へ…洞結節で連動を調節する。
「房室ブロック」という病名は、心房から心室の電気の通り道が駄目になっており、P波が沢山ある。洞結節から「速く動け」と信号を送っても心室の波が付いて行けない。心房は溜めるだけで、送り出すのは心室。つまり心房→心室の流れがうまく行くように、つまり止まらないようにする。しかし30~40の脈拍では不可能。身体が動かないしふわっとしてしまう。酸素も脳まで届かない。
速く動け、と沢山の量を送り出そうとするので、心肥大が増悪。縮む力が弱くなり心不全を起こす。これが長く続けば破綻を来たし、肺は鬱血状態。

ペースメーカーを入れること。
心臓を切るわけに行かないから、診断は付かないが、原因は年齢、糖尿等々から来ているだろう。
血管を通じて電極を入れ、心電図が出るかどうか。何秒持つかで数をコントロールし、心臓は又縮小して行く。
(この辺りも余りの走り書き ーそれも手のひらにメモ帳を乗せてー で、自分の書いた文字が読めない部分あり。)
三分の二が電池、三分の一がコンピュータ。電極、心臓の内側を監視する。
電池の寿命があるので、これ以上小さくならないが(可成り小さかった。消しゴムを楕円形にしたような…)、7年は持つ。自力でも心臓が動けば10年持つ。
途中で電池を替える場合も、線はそのままで電池のみ替えるので心配ない。


手術の説明
左の鎖骨下に針を刺す。血管を通じて心臓まで通す。刺激の感じ易い部分にくっつける。
鎖骨の下の、大胸筋と脂肪の間を5センチほど切ってペースメーカーを埋め込む。
手術の正味は30分。その他、準備とチェックを入れて計2時間。

手術の影響
・突く刺激で不整脈が起きることもある。
・繊維状の心臓の壁を弱い力で動かす。良い場所を探してねじ込む。(5ミリ~1センチの壁が伸びきっていると突き抜ける可能性もあり、それは千人中一人の確率)。血液が漏れて心臓が動けなくなった場合は、穴を開けて血液を抜き、縫う。穴を縫うことはない。血液を抜いたことはあるが、いずれも健在で命を落としたことはない。

術後
手を動かすと抜ける可能性があるので、左手を固定して留めて安静。寝たきりではない。
二日間はベッドの上で過ごし、三日目から歩く。
その後は普通の生活に戻す。
チタンなので拒絶反応は起こさないが、傷から菌が入ることはあるので、繁殖すれば化膿する。退院後にそのようなことが起きた場合には、反対側から入れ直さなくてはならないので(発生は1%未満だが)、一週間はゆっくり抗生物質の点滴をする。
傷が完治することも計算に入れて、9日間の入院とする。

レンジも炊飯器も大丈夫。

ペースメーカーが故障することを考え、「第一級身体障害者」としての書類を、手術前に提出し、退院後に受け取る。


退院後
・手術後2ヶ月経てば、水泳でもゴルフでも何でも出来る(義父はしないが)。
・よく言われる携帯電話は、ペースメーカーの上に乗せて実験済み。メーカーが構造を替えているので心配なし。(つまり満員電車で隣りに立っていても大丈夫。)
・低超波マッサージ器だけは駄目。心臓が動いているもの、と錯覚し、ペースメーカーは止まってしまう。
・体脂肪計は電気抵抗なので大丈夫。
・病院では、電気メスとMRIは禁止。必ず告げること。
・ペースメーカー手帳は常時携帯。他の科を受診する折に必ず提示。
・定期的に受診。入れて暫くは場所や力が不安定なので、3ヶ月間は毎月、次は4ヶ月、…→暫くは半年ごと。



術後の経過が甚だよいので、11日に退院を勧められたが、12日、私がこの病院でチャリティのリサイタルを予定していたので(私自身がお世話になった感謝の意味で)、退院は13日に延期して貰い、義父もコンサートに同席した。
__________________________

以上。

ペースメーカーで迷っている方がいらしたら…と記載しました。

但し義父の場合は入れたのが86歳8ヶ月。そして亡くなったのは96歳4ヶ月。
若い方々とは違うと思います。しかも日進月歩の医学、今では又違っていることもあるでしょう。
もっと若ければバッテリーの入れ替えを勧められたに違いありません。
しかし、ペースメーカーのお蔭で充実した年月を送ることが出来ました。(火災も出しましたが・・・)
義母が亡くなった2002年以降は我が夫が二人三脚で過ごし、父親の我が儘を全部代行し、特にこの数年間は、夫が義父より先に逝ってしまうのでは?と心底案じたほど。今後暫くも疲れが徐々に出るであろうだけに、要注意です。

昨年、私の生徒たちの発表会の頃は、私がレッスンの合間に(生徒を待たせて)1日に10回も掃除の類(客用トイレ及び汚物を踏んで歩いた共有の廊下)をしていたように記憶しています。家族同居の場合には、介護保険でやって貰えるのは、週3回の入浴介助だけだからです。要介護度も高かった筈ですが・・・


天命を人為的に延ばすことに疑問を感じたことも屡々でしたが、延ばして頂き、特にこの数年は180°回転したが如き穏やかな感謝のみの義父の姿・・・それは書くべきではないので・・・いや、書くべきか・・いずれ又・・・



火葬の折には取り外すようにも注意を受けていたペースメーカーは、主(あるじ)を失い、我が家の家具の上に取り残されている。









数日分の記録 - 2010.08.18 Wed

(後で編集したいと思いますが、取り敢えずの記録)

8月13日(金)
工事の都合とかで、延々歩いてMRIを受けてきた。
3分から5分と書いてあるが、私には15分かかった。まるで物件の「駅から…」みたいだ。
しかも、この地図を見てすんなり到着出来たなら、脳の検査は不要、と思ってしまった不届き者。
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8月17日(火)
病院へ結果を訊きに行く前に、メールを書かねば、添付を仕上げねば、原稿チェックを何とかせねば・・・等々「ねば」の山積みで起きても、何も捗らず。

私のオンボロ車は流石に暑かった。窓を開けても暑い!閉めればもっと暑い!!クーラーが効く前に病院に着き、帰りもクーラーが効く前に途中のスーパーに着き、帰宅したら、買ったアイスクリームが溶けていた。

結果の画像を見せて貰ったが、2000年の微少梗塞点々・・の当時より、遙かにきれい。目立つものは私にはひとつふたつしか分からなかった。




夕方から娘夫婦を連れて、義父の入院している淵野辺病院へ見舞いに。
二人をピックアップする前に、義父の遠くないであろう万が一に備えて取り敢えずの段取りなどを夫と話す。


娘夫婦は去年4月に入籍したが、夫君の研修医という多忙な日々から、式を挙げることも出来ずに今に至る(東大病院)。式当日だけなら何とでもなるが、その前の事務雑務は到底できまい。当直続きの本当に大変な仕事だと痛感。娘は目下看護学校在籍(2006年東大文学部卒の後、暫くフリーターを経て)。二人で住める家が見つかる迄の暫くは我が家に居たが、義父の世話を実によくしてくれた。式は予定が立たないまま、この夏、たった5日間の休み(=今年唯一の休暇)が取れたとのことで、思い立ってウィーンへの遅い新婚旅行が19日から3泊5日で控えている。
おじいちゃまに会えなくなる可能性を考えて、ソレっとばかりに連れて行った。

雨がぽつぽつ降っていたのが、突然夕日が現れた。

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先日来酸素マスクの世話になっている義父。呼吸の苦しさもさることながら、痰が絡んで苦しさに輪を掛けている。ナースコールをして抜いて貰う。
この数年は、ペースメーカーで生き存えていたと思う。その心臓もペースだけは刻んでも(Schrittmacherの言葉そのまま)充分な機能は果たしていないようだ。素人判断ながら全身の隅々、及び肺に、勢いよく血液を跳ばすことが出来ていないのではないだろうか。

二人は我が家でもそうだったように、実に優しく好く接してくれ、娘は意識のない義父に語りかけ、さすり、目の周りを丹念に拭き、些細なパジャマのシワが痛かろう、と直してくれ、娘婿は薬剤を調べたり、様子を観察してくれる。

医師の話では、もういつ何があっても不思議はない状態だそうだ。
(後日娘経由で聞いたが、娘婿も検査データを見て察知したが、我々には知らせられずにいたらしい…)





8月18日
朝5時頃、夫のノックで目覚める。
「親父の呼吸が止まったと病院から電話があった。行ってくる」と・・
「私も…」と言いかけ、これはもう最期なのだ、戻って来た時を考え、スペース作りと掃除だ!と現実に頭が方向転換。暫く部屋の主が留守だった為、あたかも物置の如く・・・

夫から電話あり、到着した6時25分を死亡時刻と判定。

田中春弥・洋画家、享年96歳。
昨年辺りから体調を崩しがちで入退院を繰り返したが、生涯現役、と言ってよかろう。

まるで、孫娘に「やっと会えたね」と、安心したかのような旅立ち。
(娘に言いたそうにしていた意思は、娘にはしっかり分かったそうだ。動かない手を必死で動かしていた。目をうっすら開いて信号を送っているようだった。娘のみならず、娘婿のこともとても可愛がっていた。)

夫の親友が直ぐに葬儀社を手配してくれたそうだ。


片付けは妥協範囲で何とか進み、凄まじかった床も拭いてワックスをかけ、絵の具その他の汚れはカバー類で覆い隠した。
妹にも知らせたところ、多忙であろう中、来て手伝ってくれ、本当に助かった。間に合った。

息子には、やっと出勤途中で連絡が付き、妻と子供を連れてやって来た。
賑やかさに救われる思い。

義父は帰宅してドライアイスに囲まれる。
19日午後3時に納棺式、20日午後2時、多磨斎場(日華?)にて荼毘に付すことに決まった。
生花と弔電が次々届く。
所謂葬儀は「偲ぶ会」として、涼しくなった頃を予定(秋)。

夜、早速インターネットのニュースにて訃報が流れる。
新聞は兎も角、ネットでは住所は出さないで欲しい気がした。



よいのでしょうかねぇ… - 2009.09.17 Thu




先日来、「出来ない」「描けない」と椅子に座ったまま蹲っては眠ってしまっている95歳の身内。

今週になり、とうとう「描いてくださいよ」の連発。

大きな絵の上方に北アルプスがあるらしいのだが、三つある凸部分の真ん中は薄紫一色に塗ってあり、左は雪の白のみ、右はまだ輪郭も無い。
「描いてくださいよ」と何度言われても、私が油絵を描ける訳はない。


小3のクリスマスに、サンタクロースが油絵の具のセットをプレゼントしてくれた。
小4の夏休みには暇潰しで、そこらに転がっている板切れに、画家であった父(63歳で他界)の真似をしてイーゼルに向かって「落書き」をしたものだったけれど・・・
以来、油のパレットも絵筆も持ったことはないのだ。

それから半世紀が経ち・・・


こんな事なら実父に手解きを受けておくのだった…



何度も頼まれ、しかも「上手に描いてはいけない」と。
立ち寄ってくれたお弟子さんも、「油は殆ど付けずに、先生の最近っぽく擦れた感じで太い筆でザザッと色を入れれば」と言われる。

仕方ない・・・やりますか・・・



という訳で、本来時差惚けを取る為に一日空けてあった日はキャンバスに向かうことになった。といってもほんの数時間なのだが、何しろ画面上の方なもので、ずっと立っていることが大変なのだ。
陳列に間に合う為には乾く時間も考えねばならず、一気に仕上げねばならない。
ご当人は寝息を立てて寝ていらっしゃる



そして、ご当人、甚だご満悦な出来に仕上がった様です。
こんな度素人が手を加えるなど、本来とんでもない筈が・・・度素人ぶりが故に助けられた、ということでしょう。


躊躇われる筈の「お手伝い」画像ですが、筆の使い方も経験のない者、今さら、ということで・・・

真ん中の薄紫だった部分は以下の如くに;

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(赤系にして逆さにすれば、まるで心臓の図)


左の真っ白だった部分は以下の如くに;

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右の輪郭もまだだった部分は以下の如くに;

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これ以上、時間はありません。
遠くから見れば、何とか「雪山」である様には見える、うん!これでおしまい

ついでに境界が曖昧だった、その下の緑色の広い部分も分かる様にして・・




そして、「あぁ~~、助かりました」「命拾いしました」と何度も何度も言われ、そこ迄は良かったのだが・・・




翌日、生徒二人(計5時間ほど)を終えて一休みしていたところ、私の名を何度も階下から呼ぶ声が
転んだか!?何かしでかしたか!?
と焦って降りて行けば・・・


「電柱を一本描いてくださいよ」
「ホワイト一色で」「草むらから、屋根の上まで」


・・・


・・・


・・・


仕方ない。
ホワイト一色、という訳には行かないことくらい分かる(紙を貼り付けたも同じになってしまう)。
赤、白、黒、茶、緑、黄色、等々をパレットに出して、ホワイト一色は太い筆で一本何とか描き、その後は他の色を混ぜつつ一番細い筆のみで円柱に見えるべく四苦八苦。

しかもその後、「草むらまでお願いしますよ」って・・・
あ、もっと下が草むらだったのね

何だかよく分からないけれど、草も細い筆でピュッピュッと沢山描き加えておきました。

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良いんですかねぇ…度素人がこんな事してしまって…



苦情が来てからでは遅いんで、経緯を日記に書いてしまった 
(流石に、絵全体は載せられません!)


今年もよろしくお願い致します - 2003.01.10 Fri

(これも、中高時代の仲間うちのサイトへアップしたものをそのまま…)

今年もよろしくお願い致します。

火事その後・・・

相変わらずひたすら片付けに追われています。
昨日から解体作業が始まる、との事で、何とかそれに間に合うように、と、主人の大学の学生たちもバイトに呼び、私の生徒の親御さんまで出向いてくださり,大慌てでした。

焼ける前から何しろ「物」に埋もれるような家でした。昨年の夏に義母が亡くなった時にアメリカから義姉とその娘とが来て数週間居てくれて、使えないものを整理しては大量に捨ててくれたので(それはそれは、ゴミ収集の度に我が家一軒から出るのが一地域分では?と思うくらい)、大変助かったのです。今回は、燃え残りから義父と義母の大切なものを探し出し、全て段ボールに入れて大きなトラックで長野のアトリエに運ばれましたが、それでもまだまだあって年始一番の可燃ゴミの収集では18袋、次の不燃で10袋、次の可燃で8袋・・・でも、まだまだあるわな・・・・・。しかも、充分使えるものはバザーに出そう、とか私達が使おう、とか、とりあえずは物置にしまっておいて、落ち着いてから親類一同で考えよう、等々で結局それらの収納場所を作る作業が大変となり、結局は我が家の不要物を捨てる作業に行き着くのであります。一体いつまで続くやら・・・。
我が家は、屋根裏が使えて(屋根の一番高いところは私の身長ならまっすぐに立って歩ける)、我々の季節外れの衣服は全て収納しているのです。引き出しに入れてあったのは無事でしたが、ハンガーにかけてつるしてあった(数メートルのポールが壁に渡してある)のは案の定煙にやられてザラザラです。

ところで義兄のところに行っていた義父ですが、4日に心不全を起こして、YR病院に入院しています。しかもその前の2日には義姉が狭心症の発作でやはり救急車で運ばれたとかで、今は落ち着いているそうですが、まぁ、続くわ続くわ・・・。

そうそう、我が夫は、暮れに掃除中肋骨二本ヒビが入って、胸をしっかりベルトで固定しています。それでも演奏会(1月は例年通り、ウィーンからのアンサンブルに混じって日本中を旅行する)はこなす、とのたもうて、あの大きな楽器を弾いては「痛い、痛い」。当たり前じゃろうが!!所得補償もあるので、と、説得に苦労しましたが何とか言うことを聞いてくれ、休みを取りました。一応普通の生活は差し障りないので、ひたすら後始末です。

息子は、大学4年ですが卒業の為,目下筆記試験と制作に追われつつ、家の今後に頭を使わさせられているところ。卒業出来るのかな???娘は実によく家事をこなしてくれて助かる。

娘と言えば可哀想な事に、成人式の着物のレンタルを・・・と12月になって慌てていたの、クリスマスが済んで、「それ行け!!」と思った矢先の火事騒動で、結局間に合いませんでした。成人式で一人だけスーツだったら可哀想だ、と思いつつも仕方ありません。せめてそれ用に、と昨日は主人が付き添ってデパート巡りをして一着新調してやったところです。写真は二十歳の間に撮れば・・・

義母の桐箪笥一杯にあった高級な着物も全部灰と化してしまいました。

解体は、しっかりした業者で、ゴミの分別をしながら2週間かかるそうです。その間に、今後を考えなくてはいけません。何か良い知恵を拝借させてください!お願いします。

今年最後は火事の話(写真追加) - 2002.12.31 Tue

(中高時代の友人たちで作っていたサイトへの書き込みを、そのままこちらへコピペ。そういう訳で多少ざっくばらん過ぎますが…)



 先週金曜(27日)、午後2時から3人レッスンが入っていて、今年最後のレッスンですから課題を考えたり、と珍しくピアノに向かっていました。

 ・・・1時少し前でしたでしょうか、玄関のチャイムが鳴り、受話器を取ると何やら義父の声が…ドアを開けたら、「火事ですよーー、逃げて下さい!!」と叫び廻っています。見れば、母屋の一番道路に面した仏間からは、ぼぉぼぉと炎が既に燃え上がっている!!!さぁ大変、もう消火器やらバケツやらの段階ではない!!兎も角息子と娘を起こし(すみません・・・そんな時間に寝ていたのは、バイトやクリスマスやら忘年会やら、と昼夜反転した生活で・・・)、私はおろおろ119を、と受話器を取りましたが、その前に貴重品だ!!と持って(と言っても通帳と保険証書一式のみ)、もう一度受話器を取ったら、もう電話線は切れていました。通報は息子からも隣家からもお向かいのマンションからも通行人の方からも行ったそうです。電話をした息子は車を移動しに(何せ、仏間のすぐのところがガレージですから)外へ出たら、おじいちゃん(義父)が中に入っていったのを目撃し(おそらく気になっていた遺骨を取りに行きたかったのでしょう)、抱きかかえて外へ出し我が家の玄関のところに寝かせ、その後車を移動させたそうです。まさに危機一髪でした。もしガソリンが爆発していたら近所中に被害が及びましたから。消防車のサイレンが遠くから聞こえて来て安心しましたが、娘は降りてこない、再度二階に上がるとまだ寝ているのです。壁の隙間からは煙が入って来ているというのに・・・「逃げて!!逃げて!!」と怒鳴ったら、ねぼけていて「なぁに???」です。「焼け死ぬよ!!!」で、やっと外へ出ました。もう、庭木にも火がついていました。ラッキーな事に、今年は植木屋さんが、まるではげ山の様に切ってくれてあって、これでいつもの様であったなら、庭は山火事状態だったでしょう。
 燃え上がっている最中は、おむかいのマンションの広い入り口に非難して、家族の確認、主人は義父の薬の処方箋を持って駅の近くの薬局へ出ていましたので、電話で呼び戻しました。息子が音頭を取って消防隊や警察を動かしてくれ、帰って来た主人は、消防に、ともかく我が家はぴったり隣接し、隣接しているところが仕事場(境目が天井までの楽譜棚)なので延焼を絶対に確実に避けてもらうべく頼み込みました。ほんの数十センチの隙間と、反対側との両方からも消防士が放水してくれて、延焼は免れました。プロって凄いですね、どの分野もですけれど。

 母屋は殆ど全焼です。義父も洋画家で、奥の倉庫に入れてあった絵は無事でしたが、最近のものはアトリエのは勿論、母屋の中にあったものは燃えてしまいました。

 火災の日は、時々消防車が点検に来てくれていましたし、夜警も交代で行われていました。

 翌日の現場検証で、火元は義母の骨壺の両側の蝋燭が倒れたか引火したか、です。以前にも義父は倒して自分で消した事があった、とか。はやく電気の代用品にすればよかったのに・・・です。結局、義父が最も気にしていた骨壺は粉々。それらしきものを消防隊の方々が何時間もかけて探し集めて下さって、なんとか義父には取り繕っていますが。(結局、鎌倉霊園に一千万円からの墓を作る事になってしまって、本当は年内に納骨の筈だったのですが、義父の吐血で春に延期してしまっていたのです。仏壇も100万円近くのものが数ヶ月の命でした・・・愚痴っぽくてごめんなさい!!!)

 毎日、瓦礫の山から貴重品を探したり、使えそうな燃え残りを見つけては我が家に運び、僅かに燃え残った奥の部屋の整理をし、用途別、行き先別、等々、段ボール20箱くらいに仕分けする作業が延々続いています。夫の生徒さん達や,私の生徒の親御さんまでがスコップを持って出向いてくださり,近所のママさん仲間はお総菜を届けてくださったり,又まだ知り合って間もない、習い事での友人がはるばる遠くから「鰻の蒲焼き」を沢山「力をつけてね」と持参くださったり……と本当に皆さんの心の温かさが身に沁みます。

 今朝、倉庫の絵は全て信濃大町のアトリエにトラックで運びました。義父はそこでこれから生活する気になっています。目下は綱島の義兄のところに身を寄せていますが。
 母屋の一室を主人のレッスン室にしていた為、コントラバス二台は燃えました(保険をかけていない方の。我が家に置いてある、保険をかけてある二台は無事なのです)。私のアップライトピアノも!(こんな事なら、友人のお嬢ちゃんにさっさとプレゼントしておくのだった!!!)
本当に怖いです。一瞬にして家族の何十年の歴史が消滅してしまうのですから。まだ数日前の事ですが、何だか一年も経ってしまったかの印象です。

 義母が亡くなって半年間、主人は母屋で義父と寝起きを共にし、全て身の回りの世話をしていた事が、今思えば幸福な時だったのかもしれません。よかったです。

 我が家のライフラインも途絶え、ガス水道、テレビ、電話、等々不通となりました。応急処置でガスと水道は使える様にしてもらいました。その作業も、真っ暗になるまでかかって、いくらプロとは言え、寒い中、本当に頭の下がる思いです。そうそう、電話ですが、幸いファックスは別の電線から引いていて、ネットはファックスの回線を使って(NTTのフレッツADSL)いるので、こうして繋がるのです。感激!各自携帯電話も持っていますしね。

 阪神大震災は、町全体がこんな訳だったのでしょう?店も無いですしね。さぞかし・・・と改めて思いました。でも、我が家は今後肩身の狭い思いをする。うちだけが・・不謹慎な様ですが、震災ですとどこの家も同じ境遇 - それも天災により- 少し事情が違うかもしれない、と思ってしまいました。

 うちの隣のお宅が、自由に出入りさせてくださって(何せ水がないのでトイレに困る!作業の方々まで出入りさせて頂きました)、多忙(?)から体調も崩していた上にショックを受けた娘を寝かせてくださったり、夕飯を作って下さったり、と、本当に「近くの他人」です。尤も夜は荻窪の実家に身を寄せていましたが。

 ところで、何と!!!母屋は火災保険に入っていなかったのです!!!余りの保険料の高さに、止めてしまっていたのです。我が家は都民共済に入っておりますが別世帯、駄目もとで電話をしたところ早速昨日調査に見えました。とても親切。都民の側に立って援助を最大限にしよう、という組合なのだそうで、可能な限りの書類を作って援助することに苦労は厭わない主義だそうです。私が病気をした時も、申請すると4~5日で銀行に入金されていましたし、同じ病気を何回やっても契約を切られる事もないそうですよ。今回は登記次第で多分駄目ですが、少なくとも被害を被った分、つまり修理費等はおりるみたいです。私もよく分からずに入ってしまって残念な事をしてしまったのですが、聞けば、敷地が一緒なので、加入者が主人であっても何坪でも母屋も一緒に入れていたらしいのです(因みにうちの土地は100坪の借地です)。そうしていれば、豪邸が建つ位、確実におりた訳ですよね。残念!!皆様、お覚えおき下さいませ!!!(掛け金、とっても安いです。坪数にもよりますが数百円から数千円。)

 新年の仕事始めと共に書類を消防署に提出したり、解体作業も始まります。

 今年最後のご報告も又、何だか愚痴っぽい書き込みとなってしまって申し訳ないです。厄払い方々・・・という事で。
 
 又来年も愚痴を聞いて下さい。

 兎も角、皆様、「火」にはくれぐれも気をつけて下さい。佳き新年をお迎え下さい。我が家も、「厄」は全部火事と共に燃した気分で新年を迎えます。長い書き込みでごめんなさい!!!

火災後の写真
火災焼け跡4


火災焼け跡3


火災焼け跡2


2台のコントラバス
火災焼け跡



転落 - 2002.06.30 Sun

10:15 - 12:00、教会にて「あふれるよろこび」と称して音楽伝道礼拝。
この様に早く、歌う側として出席出来ることこそ、私の中では「あふれるよろこび」だった。
水野源三さんによる讃美歌を中心に。


さて、一緒に出席してくれた娘と帰宅すべく教会を出、下北沢にでもショッピング兼昼食に行こうか、と駅近辺で迷い、でも午後早速聖歌隊の練習があると聞いていたし、迷うこと暫し。
結局私は教会に戻り、娘は帰宅することになった。

そして練習を終えて教会員の方との帰り道、見慣れた車が…
夫だった。そして「おふくろ(夫の母)が倒れた。今、救急車で杏林に向かっている。まや(娘)が付き添っているから。」と。夫は帰りを考えて自分の車にて病院へ。
私は一旦帰宅して、義母の服用している薬(高血圧等)などを調べて自転車で杏林へ。

昼食を採っている時に、隣りに座っている義父に倒れかける様に身体が斜めになり、眩暈と吐き気を訴え、そのまま倒れてしまったそうだ。
すぐに救急車を呼んだとのこと。

救急の待合い室で何時間待ったろうか。
漸く医師が出てきて、三半規管を原因とする回転性の眩暈だろう、点滴で落ち着いたら帰宅してよい、と言われた。
折しもサッカーワールドカップの最終日。待合室でもテレビで流れ、見たい訳でもなく、他にチャンネルを変える人も居ない。

まさか、救急担当の医師たちまでテレビに釘付けではなかろうな…等ととんでもない事を考えてしまう。

それから何時間待ったろうか・・・
もう夜であった。
「もうお帰りになって良いですよ」との医師の指示にて、救急処置室に入り、義母をトイレに誘導し、吃驚してしまった。何と!立てない、歩けない・・・
日頃のシャキッとした義母を知らぬ医師・看護婦は、年齢から「これが普通」とでも思ったのだろうか??(家族が中に付き添えないことに問題を感じる)
すぐ医師に伝えた。

そして慌ただしく再検査となった。
夜9時を回って、「脳梗塞」であることが判明。

え!?私たち家族は症状が起きて30分内には病院に搬送させていたのですよ!
脳梗塞であれば、最初の3時間が勝負、という位。
こんな半日も待たされて???

即刻入院となった。
とっくに消灯時刻を過ぎた病室に、懐中電灯で案内された。




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プロフィール

奥 千絵子

Author:奥 千絵子
★上の画像は2001年にCDにして約3枚分を収録したものを,2006年に2枚組としてリリースしたCD「樂の音に寄せて」です.『レコード芸術』2007年1月号で「特選盤」として取り上げられました.戸倉新樹教授によるライナーノートは医学生にもお薦めです.その他のCDや著書はWebsite「本館」からお入りください.このブログも「本館」のDIARYです.
★このブログの"Grüß Gott !" (文字化けの場合はGruess Gott!)は墺・南独の時間を問わない挨拶です.Website「本館」のDIARYです.出版CDや著書の詳細は「本館」のメニューからお入りください.
Website「別館」もあります. 著書「ピアノと向きあう」の説明を補うサイトです.よく頂く質問に説明を記載しています.
★上記著書については今井顕 氏によるKINOKUNIYA書評空間WEBLOG を是非ご一読くださいませ.
Auch auf Deutsch schrieb ich…
★【膠原病の記録】余りに医療のカテゴリーがが増えてしまったので目下整理中です.大変複雑な病気の経験が同じ病の方々への参考となりましたら幸いです.
「乳癌と膠原病(皮膚筋炎・多発性筋炎)」「膠原病(退院後)」 ,その他の医療の話(自分以外も含めて)は「医療・病院関係」,に取り敢えず分けました.
平成12.12.12.病院での復帰リサイタルは演奏動画入り記録です。
★恩師のことは55年間を遡り少しずつ記載するつもりです。目下のところはこれだけです.
★コメントも大歓迎です。SPAM防止上、確認後に公開しております。ご理解をお願い致します.
★このブログや大元のサイトへの感想やお問い合わせはservus2008@gmail.com宛に@を半角に直して送信願います.
【BGM】
Robert Stolzメドレー
演奏:東京カンマーコレーゲン 
室内楽アレンジ:奥 千絵子
ショパン:華麗なる大円舞曲Op.18
演奏:奥千絵子 ショパンのワルツは上の画像の2枚組CD「樂の音に寄せて」に入っております.
★Copyrights©1997-2020 Chieko Oku All rights reserved.
制作・著作:奥千絵子
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