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2020-04

Du holde Kunst - 2017.11.27 Mon


Schubert作曲の"Du holde Kunst"(An die Musikの冒頭の歌詞)が真っ先に浮かびますが・・・

ウィーンに留学して真っ先に購入した格安のラジオ。1974年の話です。
何を喋っているのかさっぱり分からない当時。新聞のラジオ欄を見ることにしました。
眺めていると"Du holde Kunst"の文字。
点けてみると「詩の朗読と音楽」の時間のようでした。詩は分からない単語だらけでも、著名な「いにしえの詩人たち」の詩や散文。勿論音楽にも聴き入り、愛聴番組となりました。
帰国して36年が流れ、SNSで再会した友人が、先日Ö1(ラジオのÖsterreich 1)の番組をリンクして下さって(そのリンク先はウィーンフィルの演奏会のライヴだったのですが)、懐かしいÖ1に再会!!更にあちこちをクリックして色々な番組をつまみ食い……何と!!今でも当時の"Du holde Kunst"が存続していることを知り、過去一週間分の番組表から早速クリック!頭は1970年代にタイムスリップ・・・
昨日からは;
http://oe1.orf.at/player/20171126/494854


脳細胞というのは不思議なもので、意識していない場所で徐々に繋がってくるようです。
70年代当時、その"Du holde Kunst"を聴いていた時、「日本で聴いていた番組のドイツ語版みたい!」とすら感じたものでした。けれども、その日本の番組が何だったか思い出せず、存在すら忘れ去り、この年齢に至っていたのですが、今朝ふと「そうだ!串田孫一さんの番組ではなかったか!?」と突然記憶が繋がった。
又しても「便利な時代になったものです」。「串田孫一 ラジオ」で検索をしたところ、その記憶に間違いはなかった・・「串田孫一 音楽の絵本」というFM番組だったようです。詩の朗読と共に音楽が流れる。
残念なことに串田孫一さんも亡くなられて久しいことが分かり、本当に時は止まっていてくれないのですね。
最終回がヒットしました;
https://www.youtube.com/watch?v=r36QlU89CLE



話は過去の別な話に飛びます。
1998年のリサイタルを(当時の症状から、真剣に「これで最期かもしれないから」と思い)音源として保管して頂き、2000年秋には寛解を保てるようになり、「名曲のたのしみ」とのタイトルにてCDとしてリリースした。そのブックレットに、厚かましくも皮膚筋炎治療での担当教授に文章をお願いした。音楽への造詣が深いことを存じ上げていたので。
「『白鳥の歌』にならなかったリサイタル」とのタイトルで感銘深い文章を頂いた。
謝礼を…とお尋ねすると、「『An die Musik』を弾いてください」とのこと。平成12年12月12日、半世紀を生きることが出来た感謝を込め、お世話になった大学病院でトークを入れたリサイタルの場を頂戴していたので大急ぎでアレンジし、プログラムに入れて弾いた。意外なことに評判の良いアレンジだったようで、翌2001年にはその曲を含め、いずれCD化する前提で3枚分の曲数を収録した。2006年に2枚組としてリリースする運びとなったが、CDのタイトルは「名曲のたのしみ・その2」、サブタイトルを"An die Musik(樂の音に寄せて)"とした。

記憶の奥深いところで"Du holde Kunst"が繋がっていたのかもしれない。
そう言えば、テレビのない幼い頃に家族で聴いていた番組に、「名曲の楽しみ」というタイトルのものがあった気がする…

(自分の文章は校正も構成も無視で送信


名曲喫茶ミニヨンの想い出 - 2017.11.21 Tue

あれは中2か中3の頃だったと思う。
永井進先生から出された宿題、初めてのフランツ・リスト…初めてなのに「二つの伝説」。
キリスト教主義の学校に通ってバッハ、ハイドン、メンデルスゾーンなどはコーラスで頻繁に歌い馴染んでいても、リストの違う曲調の所為か、理解に四苦八苦。特に「小鳥に説教するアッシジの聖フランチェスコ」。「波を渡る…」の方は最初から旋律があるので弾き易かった。

我が家にはレコードプレイヤーというものがなかった。本当に玩具のような小さな、ドーナツ盤をかけるならOKのような類だけだったし、レコード(勿論LP盤)そのものもなかった。父の趣味のヴァイオリン曲だけ少々(いや、SP盤だったかもしれない)。
そのような日々、私の捗らない練習が、隣りの8畳ほどの父のアトリエ兼用の和室に筒抜けだったのだろう。夕飯後、父は絵を描きながら気になったに違いない。数日後、「おい、荻窪の北口にレコードを聴かせてくれる喫茶店があるぞ」と見つけてきてくれた。勿論「二つの伝説」があることを確かめた上で。

父に連れられて「音楽喫茶」なるところに初めて出向いた。我が家の方から行くと、遮断機がなかなか開かない踏切を渡ると直ぐの場所だった。当時は今のようにトラックによる運輸は少なく、一旦貨物列車が通るや、十何両、何十両と数えるほど長かった。
父が曲を注文してくれた。ほどなく聞こえてきた「二つの伝説」。こういう曲だったのか…13歳だか14歳だかの私には至福の時。
その喫茶が「ミニヨン」だった。店主の女性は優しかった。
お蔭で永井先生からはこれと言った注意もなかったと思うが、今になると、どうしてこんな難曲を突然させたのだろう?と疑問。
高校時代の宿題は、何故か夏の猛暑時に限ってリストが多かった。我が家は扇風機が一台あるだけで、必要に応じて部屋から部屋へ運んで使っていた。「メフィストワルツ」「パガニーニエチュード」「超絶技巧練習曲」…他は忘れた。汗を飛び散らせて練習。そして数日で自分なりに形を作り暗譜をし、通うは「ミニヨン」。お蔭でリストに魅せられた。涼みながら、コーヒーという飲み物はそっちのけ。

大学に入ると、上野文化会館の6階に「資料室」なるものがあることを知った。都民や通学先・勤務先が都内だと使える施設だったと思う。「LP4枚まで」「1時間に限り」聴くことが出来た。授業の空き時間や帰り道によく利用した。1つの曲を色々な演奏家によるインタープリテーションの違いを味わった。
卒業後も使うは資料室、「ミニヨン」から遠のいたままとなった。

場所が南口に移転になったことは耳にしていた。室内楽の演奏会などが行われる日もあるということも。
15年ほど前に立ち寄ってみた。その女性店主はもう引退されたとのことだった。「二つの伝説」も懐かしく尋ねてみたが、劣化が激しく聴ける状態ではないとのこと。
それから更に年月は経ち、パソコンを持つ今は、iTunesで簡単に曲を購入出来たり、無料のYouTubeもあり、便利な世の中になった。
でも、あの場所でLPをのんびりと聴いてみたいもの・・・変わってはいないだろうか??


ふと、「そうだ、パソコンで検索出来るではないか!」と気付いて検索したのが今朝。
沢山ヒットした。お店のサイトもあった!
「名曲喫茶 ミニヨン」!!

ここに「ミニヨン」の歴史や、その女店主、創業者である深沢千代子さんのことも書かれてあった。昭和36年創業というから、私が初めて出向いたのはその数年後だったのだ。
亡くなられたとのこと。

今頃になりますが、感謝と共にご冥福をお祈り申し上げます。
とても懐かしい写真をサイトから頂き、アップさせて頂きます。私が通った当時の風景。

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久々に母校を訪ねた - 2016.10.16 Sun

すっかり完治したと思しき咳。
今日は我が母校へ出向いた。

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「ハイドンとモーツァルト」とのタイトルでのコンサート。

何年か前、我が家にて生徒たちで行う「勉強会」でハイドンとモーツァルトの弾き分け方なども扱った。きっと何か新たな発見があるに違いない、と出掛けたのですが、そういう会ではなかったようで…プレトークも年表を述べているに等しい…おっと、又毒舌が。くわばらくわばら・・・

8年ぶりに祖母のハープ謁見。

休憩で帰ることにした。
久々に懐かしい(まだ遺っている当時の)キャンパスを散策。
写真は順不同。しかも古い部分しか撮っていません。

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(体育館扱いの元「体育小屋」)
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学年3つ違いの夫たちは、美校で体育の授業があったそうだ。その更なる父親たちが剣道などに使っていた道場。
思わず妹に、私の記憶が正しいか確認してしまった。私達の時代はこの煉瓦の建物で間違いない。
守衛さんに訊いたら、今は部屋を区切って美校の何かの作業場になっているらしい。


元「博物館動物園」駅。京成線。
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雨の日や、歩きたくない日は日暮里だか西日暮里だか(実にいい加減な記憶)で乗り換え、大学から数十(十数?)メートルのところのこの駅に着く、という有難い駅でしたが・・・

大学に用事があっても大抵夫の車で往復する常。
久々に上野公園の広々とした空気を目一杯吸って帰宅しました。
順不同。寧ろ重複あり…(削除や並べ替えは時間のある時にいたします)

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何か催しをやっていました。これも順不同…どこ迄も無精者。(時間のある時に並べ替え・削除します)
コモゴモ展だそうです。検索かけるとザクザクヒット。そのひとつ。重複も放置。
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あら、交番素敵になったのね。
*・゜゜・*:.。..。.:*・'(*゜▽゜*)'・*:.。. .。.:*・゜゜・*
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そんなこんな、つまらない記録ながら、私自身の備忘録化しているブログです。
時々「ブログ内検索」を利用して「あれはいつだっけ」「そんなこともあったのだっけ」と思い出している情けない頭脳で。

それにしても、冷暖房が無くとも、我々の頃は授業料が1年間で1万2千円だったのですから…藝大のみならず当時の国立(こくりつ)は一貫してこの費用。有難い存在でした。今は、何浪もすることを考えたら私大に進んだ方が賢い気がします。



上野公園の駅近く、日常に行われているらしいが、初めて見てビックリ・・
素晴らしいマリオネットのボウイングに。





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日課 - 2016.09.29 Thu

2歳9ヶ月の孫娘。

夜寝る前にご挨拶に来て、時間が無くとも必ず「ばぁばのパソコン」とトコトコパソコンのある部屋に走って行く。
一時期はヘンデルのハレルヤコーラスだったのが、目下はディズニーの「ファンタジア」。
美しい花々や妖精たちの舞う姿に、時々(楽譜入力用の)鍵盤キーボードを叩く。
音色のスイッチ操作(ピアノ、オルガン、ヴィヴラフォンとかの選択…)はばぁばの役割だが、最近それらしい鍵盤の場所を叩くので、黒鍵も教えてやったところ、興味が広がった模様。・・・と相変わらずのバババカ。
その後はミッキーの魔法使いの弟子の画面に見入って真剣。ここで「おしまい」。お休みのご挨拶と相成る。




実はこの映画、私には想い出がある。
やはり2歳半くらいだったろうか。母が私を連れてこの映画に連れて行ってくれた。
日比谷公園でおにぎりを食べたことを覚えている。
母は当時、『主婦の友』だったか、購読雑誌の懸賞にこまめに応募していた。
それに当たったのが、この映画。
映画館の扉の横に、サンスターの大きな私の身長の何倍もありそうな、歯磨きのチューブが立っていた。
・・・とずっと記憶していたが、当時の私の身長・・・そんなに大きなものではなかったのかも。
映画は、余程記憶に残ったと見え、以来その映画に出て来るスクリーン一面の青い世界の夢を見たものだった。青色だけの、でも明るい青だったり紺碧だったり、広い広い世界の夢。

余談ながら、母はその他にも「魔法瓶」が当たり、我が家には当時としては珍しい、常時温かいお湯の出る、まさに魔法のポットがあった。


数日経って気付いた。あれは2歳半ではなく、4歳半だった。
敗戦から10年経って、日本ではやっと公開された訳だから。
戦時中だったアメリカは次々名作を次々公開していった。子供向けでは他にも「トムとジェリー」。
そういう文化的なゆとりのある国に、戦争で勝てると思っていた愚かな日本人。

それにしても4歳半でも何も知らなかった私に対し、約2歳半の孫娘は、妖精が出ると「ティンカーベル!!」と大喜びし、ディズニーのキャラクターが出る度に、現在の私(すら)知らない名前を呼んで喜ぶ。「魔法使いの弟子」ではミッキーを叱咤激励している。
私の4歳児時代には全くしらなかった名曲を諳んじて歌っているし・・・指揮者のストコフスキー(!!)と握手をすると大喜び。
いくら時代の違いとはいえ・・
この良い意味での平和が続くように願わざるを得ない。



カテゴリ追加 - 2015.10.23 Fri

え?まだ増えるの?と思われそうなほど沢山のカテゴリになってしまいましたが…
今回ショパンコンクール(受けたことはありませんが)を動画で見て、懐かしい過去が蘇りました。
国際コンクールでは、決して「生徒」「指導」のキーワードは無く、単に「想い出」だけが存在します。
そんなことから、そう言えば「想い出話」のカテゴリを作れば、今後も「過去の話なら思い出せるけれど、今朝何を食べたかが思い出せない」1人の老人、ネタは満載かも・・・

そういう次第です。
お役に立つような内容ではありませんが。

国際社会で何かを掴むなら、語学、それも最低限「英・独・仏」でやり取り出来る必要性を感じました。私は出来なくて、随分損をしたと思っています。周囲に「行ってしまえば何とかなるわよ」と言われたのは、結局何とかならずに、損のみならず、迷惑をお掛けするような失敗の連続でした。
渡欧してからの学習では遅い!渡欧する可能性が無くても、出来て損することはない!

50歳を過ぎて、せめてドイツ語だけは!と奮起しましたが、とても20代のスピードは無理です。若いうちに限ります。決して学習不可能ではないのですけれども、生憎直ぐに忘れます。忘れることを悟った60代半ばの現在は放置です。

今は以上。

では又。

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プロフィール

奥 千絵子

Author:奥 千絵子
★上の画像は2001年にCDにして約3枚分を収録したものを,2006年に2枚組としてリリースしたCD「樂の音に寄せて」です.『レコード芸術』2007年1月号で「特選盤」として取り上げられました.戸倉新樹教授によるライナーノートは医学生にもお薦めです.その他のCDや著書はWebsite「本館」からお入りください.このブログも「本館」のDIARYです.
★このブログの"Grüß Gott !" (文字化けの場合はGruess Gott!)は墺・南独の時間を問わない挨拶です.Website「本館」のDIARYです.出版CDや著書の詳細は「本館」のメニューからお入りください.
Website「別館」もあります. 著書「ピアノと向きあう」の説明を補うサイトです.よく頂く質問に説明を記載しています.
★上記著書については今井顕 氏によるKINOKUNIYA書評空間WEBLOG を是非ご一読くださいませ.
Auch auf Deutsch schrieb ich…
★【膠原病の記録】余りに医療のカテゴリーがが増えてしまったので目下整理中です.大変複雑な病気の経験が同じ病の方々への参考となりましたら幸いです.
「乳癌と膠原病(皮膚筋炎・多発性筋炎)」「膠原病(退院後)」 ,その他の医療の話(自分以外も含めて)は「医療・病院関係」,に取り敢えず分けました.
平成12.12.12.病院での復帰リサイタルは演奏動画入り記録です。
★恩師のことは55年間を遡り少しずつ記載するつもりです。目下のところはこれだけです.
★コメントも大歓迎です。SPAM防止上、確認後に公開しております。ご理解をお願い致します.
★このブログや大元のサイトへの感想やお問い合わせはservus2008@gmail.com宛に@を半角に直して送信願います.
【BGM】
Robert Stolzメドレー
演奏:東京カンマーコレーゲン 
室内楽アレンジ:奥 千絵子
ショパン:華麗なる大円舞曲Op.18
演奏:奥千絵子 ショパンのワルツは上の画像の2枚組CD「樂の音に寄せて」に入っております.
★Copyrights©1997-2020 Chieko Oku All rights reserved.
制作・著作:奥千絵子
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