風邪のお蔭で - 2014.07.21 Mon
日曜は昼間から朦朧。
夜中からいよいよ咳が出始めた。
月曜(祝)の生徒はお休みさせて頂いた。
ベッドに横になり、一眠りする度に症状は楽になり、周囲に散乱した本を手当たり次第に開く。
その一冊は、去年70周年を迎えた、という不信心モノである私の所属する梅ヶ丘教会の記念誌。
転会して6年になる筈が、勿論(?)私の文章はない。昨年は欠席し過ぎて70周年も知らぬほどで、知った後とて締切を何度もせっつかれないと書けない性分が故。それ以前に教会員としての意識が無さすぎ!
転会する以前から大問題になっていた教会の建物に関する諸難事など、初めて詳しく知ることが出来た。
もう一冊は、寺西春雄先生著「やわらかな音楽教育」。90年代から何度読み返したか分からない一冊。
読む度に、あたかも初めて読んだが如き新鮮な感動と共感を覚える。私ごとき人間が言うのもおこがましいのだが、ピアノを教える先生方皆さん(又、親御さんたち)がこの本を読まれたなら…良いプロフェッショナルも良い音楽愛好家ももっと育つであろう。
更なる一冊は、私が生まれる前から母が所属し、中学からは私も通った、当時「阿佐ヶ谷東教会」の牧師、東神大の学長でもあられた「高崎毅牧師追憶集」。

高崎先生が亡くなられたのは私が大学を卒業した年の1973年6月。68年からの大学紛争に教会も便乗したとしか思えない紛争に巻き込まれ(こんな簡単な言葉で終わらせてはいけないのだが)、教会分裂。まさに心を痛めて亡くなられたと思う。
分裂後、母は高崎先生に連なり中村町教会に移籍した(移籍?正しい単語は分からない)。
妹は中村町で受洗をし、今もそこでCS教師やオルガニストとして奉仕させて頂いている。多忙な仕事とは分けて考えているのだろう。それとも全てが神からの使命?我が妹とは思えない働きぶり、尊敬。身体も大切に!
母は諸事情から下石神井教会に転会をし、2006年暮れに亡くなるまで教会員の皆さまと親しくさせて頂いた。
下石神井の50年記念誌もあるが、母の一筆を読んだのみ(親子だわ…が読んでの感想

思い返せば物心つく前から、母に連れられて阿佐ヶ谷東には出向いた。
中学からは日曜学校に通い、午後からはピアノのレッスンがあるというのに、練習より教会が楽しかった。正しくは練習したくないので教会に通ったのか??ともあれクリスマス会では「靴屋のマルティン」「よきサマリア人」など、毎年青年会率いる寸劇に出させてもらったことも懐かしい。
詳しくはいずれ又。
ここで一旦送信。
感謝 - 2011.12.09 Fri
いつも有難うございます。
宣伝やチケット購入のみならず、お総菜まで届けてくださるY子さん!!
そして、常に祈って下さる皆さまへも、当日お手伝いくださった方々へも、感謝の言葉も見つからないほどです。
少し落ち着いたら礼状を書きたいと思っています。
待晨堂 - 2009.08.20 Thu
用事を済ませ、いつもはバス通りを真っ直ぐ帰るのだが、今日は左折した。
この道は、かつて子供達がよく通った(劇団があり)道でもあるが、私にとっては母の想い出の店のある通りでもある。
「待晨堂 (たいしんどう)」という、聖書関係の書籍で知られた店である。
ここで、今は亡き母は聖書関係の本、クリスマスやイースターのカード等々を買い求めるのが日常だった。
脚が悪くなった母に頼まれて出向いたこともある。
母は歩けなくなってからは、介護ヘルパーさんに地図を書いて出向いて貰っていた、と思しき形跡が、遺したものから分かった。
聖書や讃美歌や奏楽の為の楽譜や聖歌集は勿論、聖書を原語で読む為のヘブライ語、ギリシャ語、ラテン語の指導書、そしてキリスト教に関するあらゆる書物が店を入ってすぐのところにある。
奥に進めば、懐かしい古書の、私も読んで貰ったことも、読んだことのもある「ベッドタイムストーリーズ」、三浦綾子氏のあらゆる小説や自伝。
その辺りまでなら、普通のキリスト教関係の書店にはあるだろう。
奥の方に進んで、初めて無限に書物が置いてあることが判明した。
余りに吃驚して、店主に「沢山あるのですね」と思わず声をかけてしまったのだが、「最初は古書店だったのですが、父が信者でキリスト教関係の本が沢山あったもので…」と店の始まったいきさつと思しき話を伺うことが出来た。
許可を得て写真を撮らせて頂いた。
しかし、今日の私の最大の収穫は、今、私が一番必要としている内容の本であった。
これはプライベートなことなので書くことが出来ないが、どこに居ても神さまは共にいらしてくださることを今日も感じた出来事だった。









30年近く昔の自分との出逢い - 2007.02.15 Thu
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昨年の11月初め,何が検索のきっかけだったか忘れてしまったが(リサイタルに関係か??),自分の名前をローマ字で検索する出来事があった。
目的のものは無かったのだけど(と思う…バタバタ且つ朦朧,記憶も途絶え),「えっ!?」と思うものに出くわした。
それは,1978年辺りに収録したと思しき私のドイツでのラジオ録音で,今頃になって放送されるらしい…
知ったのが偶然にもその放送2日前だったと思う。@WDR(ケルンの放送局)!
モノは,メンデルスゾーンのプレリュードとフーガe-moll(中学で初めて奏楽をした時に弾いた,という因縁の,且つ新鮮な想い出もある懐かしい曲)。
在独の友人知人何人かにラジオから録音して貰えるかどうかを尋ねたのだけれど,全員,ラジオは持っていないか,使ったことがないか,州が違ってキャッチ出来ないか,で駄目とのこと。
諦めたのですが,ふと,中学からの友人が,かつてケルンにドイツ語で留学していたではないか!!と思い出し,きっと彼女のドイツの友人なら・・・と思った
・・・のも甘かった!
しかし,彼女はそれからWDRに直接電話をし,メールを送り,何度も何度も掛け合ってくれて,何という感謝!!正式には30Euro+税金を払って放送局に依頼するらしいのだけど,電話で掛け合ってくれた相手の方が,全くの厚意且つ好意にて,カセットにその放送全部をコピーしてくれた,という。しかも!!!その収録の時に弾いた,他の作品までCD-Rに!(私自身,その時何を弾いたかなどすっかり忘れていたのです)
それを今日,受け取りました。
病院の後,最寄り駅のイタリアンで。しかも他の友人共々3人で食事とお喋りも楽しみました!!
久々に笑ったなぁ・・・久々にあれこれ話をしたなぁ・・・久々に本音吐いたなぁ・・・
その掛け合って下さった友人には感謝感激!!
こんな嬉しいプレゼント・・・
帰宅して早速 CD-Rに落とし乍ら聴きました。
30年前の自分との遭遇。
その番組は,えーーーっと何て訳したら良いのだろう??
(コピペしている現在、大元のドイツのサイトは消えてしまっている)
「灰の中からの不死鳥の如く」??サブタイトルは「音楽に於ける革新としての伝統」(余りに直訳過ぎて意味不明の気が…)
つまりバッハが築いたフーガの技法をロマン派の作曲家が,バロックの伝統をどの様にロマン派の精神の中で舞い上がらせたか?といった内容で,私が弾いたメンデルスゾーンが使われた様です。
メンデルスゾーンをシューマンは褒め称え,名声を上げるのに一役買った訳だけれど,どちらかと言うと「苦難にもめげず」作曲をしていた作曲家が多い中で,メンデルスゾーンは「裕福」なイメージ・・・が世の中で言われるところ。
しかし!このプレリュードとフーガに限らず,多くの作品は内面性の深さを感じる素晴らしいものだと思う。
それにしても当時の私の演奏は何とも幼なすぎ!(と,感じられるのは良いことだ!)
1978年という年は,前の年にミュンヘンのコンクール(正しくは「ドイツ放送局網ミュンヘン国際音楽コンクール」とでも訳すのか??)で入賞したことで,ドイツ各放送局にて,主にその放送局のデータに無い作品を収録する,という仕事を沢山頂いた年でした。
そのひとつがWDRだった訳で,メンデルスゾーンの他は,モーツァルトのKV279とショパンのロンドOp.1。
すっかり忘れ切っていたケルンの風景,ホテルで盗まれた資生堂の化粧品一式に代わるものを買いに出向いた百円ショップみたいなところ(1マルクショップ??)の光景まで,そして肝心のスタジオの中の様子や,ディレクターとのやり取り(装飾音がなんたら等々…私は原典版に従ったが解釈としてはどうたら…等々)まで徐々に思い出して来ました!!昨日の事は忘れているのに,あぁ!年老いた証拠!!
30年前の自分に遭遇した思いです。
そして,掛け合ってくれた友人には感謝の言葉も見つからないほどです。
それにしても,若い女性たった一人でどこでも仕事に出向いた当時を振り返ると,何ごとも無くて済み・・・よくもまぁ・・・
当時の自分を我が子の様に想い出して,何と無謀な日々を過ごしていたのだろう,とハラハラしてしまいました。