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2020-09

母の召天十周年記念礼拝 - 2016.12.13 Tue

これも記載は12月29日の夜中


2006年12月14日の昼近く、私たちの母は亡くなった。
忘れもしない、受診・リハビリを受けた病院のドアを出て直ぐに倒れた。
大動脈解離を原因とする心タンポナーデ。

今年で丁度10年になる。
記念の年として、牧師夫妻にいらして頂き、身内だけの小さな礼拝の時を持った。
妹と私、それぞれの伴侶、我が息子と娘一家で。


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母の愛唱讃美歌と私たちの想い出の讃美歌と、孫娘の愛唱讃美歌。
牧師によるお話。


何かにつけて恨みがましく思うことの多かった私。
特にピアノ教育について。
伴侶を亡くしてからの母の教え方は、それは実に忍耐強く、優しい愛情に充ちたものでしたが、若い頃はレッスンする声が、ひとつ向こうの四つ角まで聞こえるほど、厳しい教師でありました。日本家屋で筒抜け、という家の構造の所為でもありましょうし、「飴と鞭の使い分け」が時代と共に変わったこともありましょうが・・

前の日記に書きましたが、幼くして永井進先生に師事させてもらえたことすら、ずっと恨みの種に近いものがありました。
ぶるぐ協会の催しを機に、永井先生の深い音楽性を求める教育法を思い出し、その後の勉強や留学・演奏活動に繋がるものであったこと、つまりきっかけは母の他何ものでも誰でもないことを改めて思ったことです。
今となっては感謝あるのみ。

それぞれが想い出の時を過ごしました。
他は又いずれ。



母の日のプレゼント披露 - 2016.05.13 Fri

先日、馬鹿な私が(亡き母たちに)367円のカーネーションの鉢植えを買ったことは書きましたが・・・
結局(予測通り)2−3日で枯れました。

母の日の2日前に届いた息子たちからのカーネーション。
1週間、色も形もそのまま美しく咲きほこっています。
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母の日前日には娘から届いたプレゼント。
箱の中にどうやらお菓子と花が入っているらしい・・
出してみると、花より団子の私を考えていますな
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でも母の日は花も?
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ケーキが入っていた箱も再利用出来そうで、孫娘のお宝箱にしますか・・・
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母の日の夜、何かテレビで夫から妻に感謝の花を贈る場面があって、その後夫は買い物に出たついでに一輪挿し用カーネーションをプレゼントしてくれました。生憎一輪挿しは手頃なものがなくて、何と!ペットボトルに活けるという大雑把な私

出窓を片付けることもなく掃除することもなく並べたので、写真にするとちょっとこれは・・・
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リースは壁に。
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という、遅ればせながらの「見せびらかし」でありました〜
(子供達夫婦よ、有難う


母の日 - 2015.05.12 Tue

順不同の日記。

プレゼントを有難く頂く。

母の日の前日、娘たちから私が欲しがっていた化粧品一式が届いた!でも、自分でもネットで注文したため、同日にドッペルで届いて笑ってしまった・・・有難いことに来年まであるかもしれない。
(写真を撮るのを忘れてしまった)

母の日当日、息子たちからは品の良いピンクのカーネーションの鉢植えが届いた。

教会から帰宅してからハタと、「今日は母の日だから、奏楽者は献金の間『春は軒の雨 秋は庭の露 母は涙乾く間なく 祈ると知らずや』の讃美歌を奏でていらしたのか!」と気付いた鈍い婆。

新築家屋 祝福祈願礼拝 - 2015.04.25 Sat

いわゆる「上棟式」に代わるものです。

キリスト教でも上棟式を行って頂けるのだろうか・・・娘夫婦の家ですから、私が提案や強制することは避けてきたが、話してみたところ2人とも身を乗り出すように乗り気。早速彼らは業者に尋ねたところ、増築扱いなので上棟式はしないそうだが、牧師にいらして頂き、お祈りの会を行うことは可能とのこと。
私は私で、所属している教会(と言えないほどサボっているが…)の広田牧師にお尋ねしてみた。
勿論可能であること、新築のお祈りは礼拝形式でささげるのが一般的であること、時期は施工業者と相談して決めることなど、礼拝に出席した娘を通じて直ぐお返事を頂けた。

そして今日、それが叶った訳だ。
久々に家で歌う讃美歌(孫を膝に、ピアノを弾きながら歌うことはあるが…子供達の幼い頃そうしていたように。)、皆で心をひとつに歌う讃美歌は全てが前向きになれる。
牧師のお祈りは心熱く、勿論娘一家への祈りと、工事現場お一人お一人への無事が込められていたが、私たち両親にも触れられていたことは大きな幸い、嬉しかった。聖書朗読と短いお話も、深く頷きながら一同耳を傾けた。
孫娘が飽きてしまうのではないか、と心配したが、時々独り言を言いながら我々の膝をハシゴしていた。

簡潔に纏められない。時間の許される時に又。


Halloween - 2013.10.30 Wed

今日こそ布団を干した!
長い雨や、不安定な天気で、ベランダに出しっぱなしに出来なかった数ヶ月。
しかも冬の掛け布団を出し、半年放置のものをそのまま掛けるのも…

そして(又?と言われそうですが)ちょっとのつもりでテレビの前に座り、ニュースを見た。その後点いていたのはNHKの「連続クイズホールドオン」の筈なのに、気付いたら「スタジオパーク」が終わろうとしている。
時計を見たら2時!?!?

大慌てで病院へ。
超音波エコーの予約が2時半だった。
寝惚け眼をしっかり見開き、集中力全開で走った(車が)。

今までの超音波検査室を想像して歩いていたら、病棟が途切れた!(夢の中?)
そうだった・・・建て替え工事中でしたな・・
途中から表示が現れて、何のことはない、以前心電図(ホルター)で何度かお世話になった場所でした。

買い物をして帰宅。

そうだ!「カーブス」だ!!
生活の一部にせねば、と思ったばかり。

出向いたら・・・


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そうそう、今日明日はHalloweenに因んだオレンジの出で立ちでお越し下さい、と言われたっけ…(持っていないが)

コーチの皆さまはしっかり変装していらして…
帰り際に「ブログにアップしたいのだけど」と許可を頂いて写真を撮らせて頂きました。
楽しいですよね。

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(31日写真追加)
前日のルパンは居られずに白雪姫がいらっしゃいました
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海外のお祭りの類の衣裳でご指導頂いて参りました。楽しかった!



ふと思い出したこと。
5−6年前、ウィーンに数ヶ月滞在した時、暇を持て余してほんの何回かドイツ語の講座に通いましたが、折しもFasching(カーニバル)に重なり、先生はこの姿↓のまま授業をなさった。
Frau Judith

勿論、我々生徒たちも全員変装していました。写真が無いのが残念!!!

又しても久々の調律 - 2013.08.03 Sat

遡って書きますが、7月31日は別な1台の調律。
(又しても「行事」のカテゴリ。「雑談」に入れてしまっては楽器や技術者に失礼で…)
今度のは大ごと。何年も放置したベーゼンドルファー・・・メカがおそらく「どこから手を着けてよいか分からない状態」だろう、と推察していた通りで。

技術の方は、去年の私のCD収録で(湿度管理室のない、しかも湖畔、天気の違いで全く条件が変わってしまう楽器)、注文に応じて嫌な顔ひとつせず、…どころか笑顔を絶やすこと無く苦心惨憺してくださった佐々木氏。元ベーゼンドルファーの方々により立ち上げられたB-tech所属です。

案の定、メカの修理関係で2時から約6時間を費やし、直してくださいました。
あと1−2日かけないと整音までは行き着けない状態までになっていたようで・・・
こんなに間が空いてしまったのは、執筆はまだしも、体調不良に加えて手の怪我など(数年間オクターヴ届かず)、練習から遠ざかって久しく、「酷い状態になっているなぁ」と思えど、練習しないので…の悪循環。レッスンは他の2台並んだものを使うので、つい逃げてしまう。
ただ、私はこのベーゼンドルファーで練習するのが一番勉強になり、これで曲想やその為のタッチの工夫をしないと…その後で別な楽器にて確認して仕上げる方向で何十年も過ぎていました。もう、習慣です。

これ以上練習から遠ざかっていては、多分弾かないまま人生を終えることになりそう、と痛感し(大袈裟、と言われそうですが実際、本当に…)、お願いするに至りました。

これでやっと練習する氣が起きるというものです。
暫く弾き込んで、再度お願いすることになりました。



残った問題
ピアノの蓋を開けたままにすることになりました。

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ピアノの蓋を開けるため、ピアノの上に乗っていた数々を「取り敢えず」どけた段ボール箱3つ。

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これらをどこに置くか。
1箱は、頂いた「プリザーブドフラワー」ぎっしり。
1箱は、子供達の幼い頃からの写真立てあれこれ、(定かではないのですが)12分の1サイズや16分の1サイズのヴァイオリン、その他。
もう1箱は、木製の飾り物や取り扱い注意の飾り物あれこれ・・・

ベーゼンドルファーの下は広く、(ご覧の通り)既に倉庫と化し、これ以上は無理。
南側の2台も・・・下は既にあれやこれや・・・蓋の上も考えたけれど、随時開閉するので、無理。

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(流石に近くから撮ることは躊躇われ、細部が見えぬよう遠くから)

しかも、3箱全て単なる飾り物ですから・・・
暫く頭で、他の部屋の片付けと共にパズルをします。


(それにしても何と乱雑にはみ出している楽譜たち。3.11.では1冊だに落ちなかったのが不思議。いや、それほどぎっしり、奥まで差し入れることが出来ないくらい…ということだろうか。一応アルファベット順に並んではいるのですがね…)


やっと調律 - 2013.07.24 Wed

タイトルを書いて次に「カテゴリ」欄がある。
これ以上増やしたくないので、既存の中から選ぶのだけど・・
一応年に2回、つまり冬の乾燥が終わった頃と梅雨明けとにお願いしているので「行事」を選ぶ。


なかなかいらして下さることが出来ず、昨年の秋にお願いした松尾の小谷さんにお願いした。
私の電話での説明が不足し、1台のみのつもりでいらしたようだったが、2台を、それも2台ソナタを合わせる都合上、音量も同じにして欲しいこと(弱音も強音も)をお願いした。
快く引き受けてくださり、何と!朝9時から始めて、夜の7時まで作業をしてくださった。
細かい注文にも応じて頂け、又共鳴していた素人には分からなかった音も解決。


又最近、湿度管理がうまく行かずにいたが、これはどうやら除湿器だけではなく、エアコン設定を変えすぎていた為らしい。「除湿」にしたり「冷房」にしたり…は良くない。常時「冷房」にして、それも27度位の設定を通すこと。実際には26度位になる訳で。除湿器2台は稼働させて、60%前後を保てればよい。
そのようなアドヴァイスも受けて、この夏は乗り切る。
珍しい天候不順の夏なので、毎日2台の除湿器の水を2回捨てている。ブショウモノの私も、今年のその位はいたしませんと・・・


という訳で、久々に快適な音が蘇りました。



余談
気に入ったテンプレートがあり(本来は「小説用」)、変更をするのだが、どうも読み込みが遅くて「現在アクセスが集中して…云々」で、更新後の表示が困難。
そういう訳で、テンプレートのデザインは行きつ戻りつ。


教会は - 2013.05.26 Sun

初代の牧師、植松英雄牧師(1898-1963)、召天50周年記念礼拝とのことで、大急ぎで出掛けた。
現在通っている梅ヶ丘教会(日本基督教団)について、実は何も知らないもので…知らないどころか、サボりすぎです!
記載は又追って(最近全て放置ぎみですが)・・・


話は我が家のことに逸れます。
我が奥家(つまり父方)の「いとこ会」、一昨年に開催して後、名簿作成などそのままにしてしまっている我々姉妹。
やはり名簿には生年没年を入れた方が良いかもしれない…などと思って帰宅した。
「いとこ」は父の代のいとこですが、その更に上の代の三男・奥貢が現在の能勢町(当時の歌垣村)に信仰の種を蒔き、四男の奥貫一が牧師となって歌垣教会を設立し、輪を広げました。
父方祖母(明治29年生まれ、昭和59年没)は戦時中、疎開していた本家で受洗し、それも保津川で浴衣を着て…という写真を見た記憶があります。
歌垣村の村民全員を信仰に導いた牧師、とも祖母や母から伝え聞き。
会堂も建て替え、今に至ります。私はイースター兼召天者記念礼拝しか出席出来ないのですが……
これらも後代のために、もっと文章化しておいた方がよいのではないか?とも思う昨今。
ついつい後回しになっているのですが・・・誰かがここらで致しませんと・・・
(関西人となった息子にさせますか……??

小学校のクラス会 - 2013.05.25 Sat

一昨年に続いて、今年も小学校のクラス会が開催された。

午前中生徒を済ませて大急ぎで出掛け、滑り込みセーフ。
書きたいことは山ほどあり、ちょっと頭を整理してから、です。


同じだけ年齢を重ねた集まり…いいですねぇ…

二次会に残ったほんの十名のうち、二人が甲状腺機能低下症(だったか?その類です)に罹った、と。凄い確率です。
つい先日、テレビ - 「あさイチ」だったか - で取り上げられた時、症状7つだか9つだか(何ともいい加減な記憶)全てが私にも当て嵌まり、近いうちに検査をしてもらおう、と思っていたところ偶然にも。検査項目いくつかが分かれば直ぐに診断は付くらしい。
・・まぁ、年齢の所為とは思いつつも・・(もしや原発?)




七夕飾り - 2012.07.05 Thu

七夕の季節となりました。

お世話になっている病院では、今年も七夕飾りが吹き抜けを使って見事に飾られ、患者さんたちの願いが書かれた短冊で一杯に。

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(庭の竹、どうしよう・・・明日は雨だろうか??)


京都へ(3) - 2012.04.07 Sat

(4月17日 記載…随分日が経ってしまったので、そろそろ終わらせます)


今回は間際になっての計画だったので、交通も宿も旅行社任せ。
あと一日あったらなぁ…でした。

他に嵐山で訪ねたのは…落柿舎…あとは景色を堪能し、大阪に移動する新幹線の時刻も決まっており、……という訳で詳細は以下省略。
8日に移りませんと。

あ、覚えられないから、と撮った一枚。

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淀川
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追記
母が亡くなったのは2006年12月。
翌年の召天者記念礼拝に合わせて、能勢に出向いて納骨をした訳ですが、その時の旅行記は以下。

イースター母の誕生日とに分けて出向くことになりまして・・・よろしければリンク先へどうぞ。



更に追記
ブログに登録し、書き始めたのは2007年の12月、しかも大晦日。
それより前の日付のものは遡って記載したものです。
他サイト複数での保管や、2001年5月に初めてパソコンを購入する前のものは手書きのメモから起こしたものです。




京都へ(2) - 2012.04.07 Sat

(4月14日・記載)

竹林を後にして、向かうは常寂光寺。

そろそろ孫も疲れて眠くなり、だっこ、だっこ、とぐずり始めた(バギーは常備すべきだよ、とうるさいババは思ふ)。


途中・・・

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左手に見えるもの
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よ~~く見ると・・・

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最近抜けて仕方ない。
皮膚科で処方して頂いた薬も、ヘアマニキュアが落ちてしまうので止めてしまった。
それ以前に夫を心配すべきかも。

でも、寄らなかった。


着いた!
が・・・

え~~っ、ここを登るの!?!?

と余りに(内心)吃驚して青ざめ、写真を撮り忘れてしまった。
一枚だけ他サイトから頂戴致します。(画像の先にまだまだ続きます)

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ひたすら登る。
あぁ、その昔(1970年代前半)ウィーン18区に住んでいた時は、ゴミを出しに行くにも110段の階段を昇降したし、つい数年前に3ヶ月半ほど滞在させて頂いた17区のお宅も、街に出るにはそれ以上の階段と坂道を毎日こなさなければならなかった。
もう行けないだろうね、と夫と話す。(我々より年長者のご家族が住んでおられるのに!)


最後の一踏ん張り。

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京都が見渡せる。
大文字山も。

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ここ迄で送信(未だに疲れを引き摺っており。こんなに歩いたのは何年ぶりだろう?という位)・・・

そうそう、孫は眠ったままパパママが抱っこで登り切った。「バギーは常備すべきだよ」撤回。私だって30年前は…



京都へ(1) - 2012.04.07 Sat

(4月13日記載)

そうだ、京都へ行こう!

という訳ではないのだが、4月8日は能勢の歌垣教会でのイースター礼拝・召天者記念礼拝へ出席する。
いつもの様に前日に大阪か京都に泊まる計画。「遅い桜の開花」を予測してか、生憎京都のホテルはどこもいっぱいで取れなかった。宿泊は大阪に取れたのだが、京都へ寄るために7日早朝、夫と娘と共に3人で新幹線で出発。
又しても新幹線からの富士山。方角によっては雲隠れ。

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京都で息子一家と落ち合うことになっており、以前から息子の希望していた「嵐山」を散策をする計画。
なかなか春の気候にならない今年、嵐山は寒いだろう、と我々東京組は数日前から天気予報にかじり付き、真冬の服装を引っ張り出した。
快晴だったものの本当に真冬の様!

京都で腹ごしらえをし…

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地下鉄で四条大宮へ。
(何だか一人前だなぁ…)
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そこから嵐電(らんでん・正しくは京阪嵐山線と言うのだろうか?)で終点の嵐山へ。

思い出すのは、我が亡き母・・・あれはいつだったろう?父の納骨(63歳で他界)の時だったろうか。もっと後だったろうか・・それとも私の演奏会??
ともあれ私の母と我々一家の計5人で京都に寄った。きっと母のアルバムを引っ張り出したなら詳しく書いてあるに違いないのだが…子供達はまだ幼稚園生だったと思う。
母が「太秦の撮影所が見たい」と言い出した・・・(内心、はぁ、よござんすが、何と気の若い!!)
しっかり見ました。
お蔭で、時代劇を見ると、あ、撮影所のあそこの池、あ、これは撮影所のあそこの建物!これはあの橋!と頭をよぎるようになってしまった!

すぐ話が昔に戻るのは私も年寄りの証拠。
嵐電でした。


今回は…孫が一緒。それもバギーも無しで…「歩くよ」とパパママは言う。ナントイウセイチョウブリ…


終点のホームに足湯がある!それは尻目に、渡月橋。
(人を見に来たようなものです)

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早々に切り上げ、天龍寺へ。

その中の弘源寺。
入り口横のこれ↓を見るや、「Happy Birthday to You~♪」と孫が歌い出した。

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確かに細い蝋燭が立っていますが。

ろうそく

(孫の話ばかりになるのは、大人の話も写真もブログにアップ出来ないから…)


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途中省略、竹林の道へ

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一旦送信





こっそり載せるクラス会 - 2011.06.26 Sun

6月18日に小学校卒業時のクラス会がありました。

私たちのクラスは可成り頻繁に開いていたとのことですが、今回は十数年ぶりだそうです。私は余り出ておらず…まだ2-3回目の気がします。
幹事の皆さまのご努力で、何と!! 17名も集まり・・

今月2日に足指を折り、幹事より連絡を頂いた翌日だったので、これは「行くな」ということか?
出掛けられるかどうか少々案じたのですが、全ては神様のご計画のまま。駄目なら駄目で仕方ない。
ひょっとすると、動けないのだからベッドのサイドテーブルにパソコンを乗せて、事務でもしなさい、ということかも・・・と受け止めることにした。


前の日には、念のために整形外科を受診。
先生は、ギプスと言うか副え木と言うか(Gipsschiene)を外して第5指をご覧になりながら考え込み・・

先生:「取っちゃおうか!?でもまだ2週間半だしなぁ…1ヶ月は固定していないと。でも、もっと細いものを副えようか?」
と、暫しあれこれ考えてくださる。

私:「いや、このままで構わないんですけど。どうせこのつっかけ(男物のマジックテープ式の)で行きますから」
先生:「折角の晴れ姿なのに!?靴履きたいでしょう?」(えっ!?!?)
私:「二次会、三次会まで移動するし…写真係なので動き回るんです。安全第一で是非!」
先生:「う~~~~ん・・・気の毒だなぁ・・」
私:「細い副え木にしても、靴入りませんから」
先生:「久しぶりに色々な人に会うんでしょう?う~~ん・・・」
私:「この歳になると外見気にしませんから」

・・・と、立場が逆転したようなやり取りが暫しあった後、結局今までのギプスシーネを再度、テープと包帯でグルグル巻きに固定して下さいました。
当初はジーンズで行くつもりだったのが、どうやらクラス会とはそういう姿で行くべきではないらしい…


引き受けていたカメラ係もこなすことが出来ました。
ところが!一人ずつの近況にすっかり聴き入ってしまい、気付いた時には先生のお話も終わっており、あぁ~~!!一人ずつ立って話している画像が無い!!!…常に粗忽者

でも、話に聴き入り、この空白の数十年間は一人一人が、たとえ一見不幸と思われる出来事を経験していても、それらは確実に貴重な足跡となっていること、誰もがその人ならではの与えられた人生を歩み、還暦を迎えていること。感動でした。


下のものは、100枚近く撮った中からピックアップしてワードに貼り付けたものです。
情報漏洩、この位小さければ大丈夫かしら?
クリックなさっても拡大は出来ませんので~  

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翌日は名簿と写真全部をCD-Rに落としたものを出席者に送付。
上のプリントアウトは先生及び欠席者へ。
(これが古い方のプリンタなのでのろい!!しかし鮮明に色を出してくれるので未だに愛用)
…そんなこんなの週となった。
改めて文明の利器は凄い!と感謝。家に居ながらにして、機械が働いてくれるのだから。


又集まれる時を楽しみに・・・特に再来年は卒業から半世紀!

旧友たちの人生を一瞬であれ共有し、私もまだまだ頑張らねば!と勇気を頂いて帰宅しました。

先生のことは、4月のイースターの日にバッタリお逢いしたことを書きました。

懐かしい話は沢山ありますが、いずれ又。

遅れての記録となりました。
取り敢えず送信。








雛祭り - 2011.03.03 Thu

雛祭りには大抵ちらし寿司を作るが、お雛様と一緒に食べたことはごく稀。いや、無いかもしれない。


1982年秋、娘が生まれるや、夫の母は趣味の木目込み人形で立派なお雛様を作ってくれた。
当時、私の実家に住んでいたため、1983年3月3日は実家に全員集合!(妹はまだ留学中で居なかったが)


当時2歳半の息子が雛壇のお菓子にそそられ、皆に叱られている記録
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私が撮っているので、私は写っておりませんので~。
しかもアングルが… パソコン上でアングルを整えようとしたが、右はこれで精一杯なので止めた。


漸く揃ってパシャ!!(セルフタイマーのない私のボロカメラだった)
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左から、私の母、父、夫の父、息子、私の祖母、夫の母、夫の姉の長女、そして主役である娘と娘を抱っこした夫。
(私の両親は、現在の私よりも若かった!!)



夫の父は去年夏に亡くなり、部屋の押し入れにこのお雛様をしまってあった。
片付けかたがた、娘がおじいちゃまの部屋に飾ってくれた。

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今年は娘夫婦が来て、4人でにちらし寿司を食べることになった。
お雛様の前で食事をするのは何年ぶりだろう。

お皿が小さすぎて、こんもり・・
緑のものに占領されて中が見えない。

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けれども、あっという間に・・

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夫の母の木目込み人形の腕前は、身贔屓ながら玄人跣。
ところが2002年の火災で、その殆どが焼けてしまった。

とても幸いなことに、雛人形は棟続きだった我が家の天袋にあり、難を逃れた。

おばあちゃまの何よりの形見。娘には今後も大切に毎年飾って(或いは飾りに来て)欲しい、と心から願う。




(その2) - 2010.06.23 Wed

(翌日)

朝型人間ですから、朝食のビュッフェは国の内外を問わず、いくらでも入ります。

荷物を片付け(と言っても、たった一泊)、再度能勢へ。
本当に緑の美しい季節になりました。

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礼拝よりずっと早く着いたので、又墓参り。
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礼拝説教のタイトルは「心を合わせた祈り」。
讃美歌のひとつは「静けき祈りの時はいとたのし」。
色々な意味で、考えることの多い、充実したひとときを与えられた。


父の日、ということで、婦人会のおもてなしによる「手巻き寿司」を、すっかりお客さんになって頂いてしまった。
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(上二枚、支障ありましたら削除致します)


父の二十代の頃の絵も上から出席。
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おいとまして、再度京都へ。
ほんの少々散歩。


31年半前、新婚旅行(私たちは結婚式のために帰国したのだった)で泊まった宿もあった。
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(31年半前の写真と比較しようと思ったが、アルバムを見つけられず…正しくは、アルバムのある所まで行き着けず……又後日…)



往路と同じ、名神高速道路から新名神に入り、東名に抜けて帰京。
御在所から浜名湖まで運転させて貰った。折角頃合いを見ては追い越し車線に出たり戻ってマイペースで走ったり、と楽しんでいるつもりなのに、助手席の夫はどうやら血圧が上がっていた模様。(私の内心…ん~も~~~、言われなくても私は私のペースなのよ~~!!!)
交代して、あとは夢の中
(天国で、父母祖父母は「来年からは新幹線でいらっしゃい!」と言っているに違いない…

お疲れさまでした

写真メインで(その1) - 2010.06.23 Wed

土曜早朝東京を出発。
夜中の雨、天気予報で豪雨が心配。
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幸いにも青空が!
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愛鷹から運転させて貰い、…名称忘れました…掛川の先迄。
おそらく15年ぶり、いや、それ以上か?久々のワゴン車で、久々の高速!!語彙の狭い私には「快適!」「気分爽快!!」としか言えない。


新しく出来たハイウェイらしい。伊勢湾の海すれすれ、上を通過。
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京都で一旦一般道に下り、お墓に供える花を購入。
夫が「あった!」と言うので大喜びしたところ、何と!クラフト・・・素材は色々。プリザーブドもあった。
最近の技術に吃驚!!でも、まさかこれを活ける訳にはいかない。
丁度宅配業者がトラックの中を整理していたので、声をかけて訊いたところ、今しがた通り過ぎた角(といっても建物の蔭)にあって万歳!

そして再度、最近出来たと思しき京都縦貫自動車道(私の「最近」は10年以上であっても「最近」です)から亀岡経由、能勢へ。


叔父(正しくは父の従弟)がお墓の辺りで迎えてくださっていた。
しかも1-2日前に連絡し、「伺ってよろしいですか?」にも拘わらず、お掃除までして下さってあり、本当に申し訳ないことです。

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お参りの後はご本家でお茶を頂戴し暫し歓談。又翌日お会い出来るので、早めに京都のホテルに向かった。又しても運転させてもらった・・・山道も高速もコツを思い出したかもしれない。


久々に運転した所為か、はたまた出掛ける前から疲れていた所為か、部屋に入るやバタン!ぐ~~
夫の夕飯コールにも起きられず、本来京都の街を散策して食事をしたい、は、挫折。
ホテル内にて和食を頂き(朦朧と頂くには勿体ない「たん熊」にて)、部屋に戻るや、もう半分以上眠っていた・・・



(以上、土曜の記録。色々と大笑いしたネタもあった筈が、どうしても思い出せない

見せびらかす - 2010.05.08 Sat

ぴんぽ~~~ん!!!(玄関のチャイム)



小さな、でもずっしり重い荷物が来た。
何か置物??

差出人は娘。

ん?「冷凍」??

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この左、情報隠しましたが、その下の方に「[母の日ギフト]カーネーションケーキ」と書いてある。

開けてみたところ・・・
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わ~~~い!!アイスクリームのケーキだわ


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出してみました。
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楽しみだなぁ・・・
取り敢えず冷凍庫に保管しました



年末年始 - 2010.01.10 Sun

今頃久々の日記です。
それも年末年始の。

12月30日
娘が黒豆と栗きんとんを作って届けてくれました。
私は…前述のパソコンすったもんだで年末の一日を使ったので、いえ、放置しておけば年賀状も作れない訳で…
30日、私は何をしていたろうか?記録していないので忘れてしまった。
おそらく年賀状を数種類作ったか、と。
我が家の年賀状は、差出人が夫、私、と別々のもの、連名のもの、そしてデザインも仕事用と身内(親類)では分けたり、と数種類作るのが毎年のこと。
義父の件があり、親類には元日に集合写真を撮って取り込むことにした。
最低限の足の踏み場だけ作った様な・・・

12月31日
(記憶によれば)朝一番で夫の車にて荻窪の西友とタウンセブンで買い出し。
開店より遙かにゆとりを持って出たのに満車で、ルミネに駐車。
我が家の雑煮は熊本流。細く切ったスルメイカと昆布と干し椎茸で出汁を取る。その他大きな干しエビも入る。これは今回は刺身用の大きな海老を買って、軽く焼いて焦げ目を付けて代用した。その他大根や里芋等々、食べる時に小松菜と柚の皮を椀に入れる。
家族4世代がテーブルにつける様に模様替えをしながら掃除した様な記憶が・・・これは30日だったか?思い立ってガッとやったので忘れてしまった。
一応お節の最低限を作り、小さな重箱3段重ね二組と、少し大きめの二段重ねとに盛った。

夕刻、外泊許可が出た義父を夫が相模原の方まで迎えに行った。
バルーンを付けたままの義父を車からおろして玄関まで連れて行くのも至難の業。
夫がおぶってもつかまろうとしないので、傍で支える。数メートルが何十メートルの如し。

娘の夫が仕事を終えて、二人でやって来たので義父の部屋で5人で早めの年越し蕎麦。
暮れに妹と娘が物置にあったテーブルと椅子のカビを丹念に時間をかけて拭き取ってくれ、義父の部屋に運び入れてあったのは正解だった(有難う!!)。
お蕎麦を頂いた後、娘夫婦が義父の導尿の管の世話をしてくれて助かった。卵でも医師と看護士連携プレーの有難さ。尤も元日早々研修医は仕事あり、早めに二人は去って行った。

私の長年の習慣として、年越しの瞬間だけはピアノに向かう。
流石に小学生時代の手になってしまった。弾いたのは指練習のみ。その他易しい曲を記憶を頼りに、計30分で挫折。
2010年はシューマンとショパンの生誕200年という記念の年なのだが・・・
ピアノの部屋を出たら、凄まじい異臭!!夫が義父の汚した大量のモノ(寝具、寝巻き、下着の類い)を一人で洗濯していた。
何という象徴的な年越しだろう・・・(一年の計は??だろうか・・・)


2010年1月1日
昼近くに娘がやって来た。
昼過ぎて息子一家(チビちゃんも含め)がやって来た。
娘の夫は生憎仕事(元日とは言え、いや元日だからこそ急患は多いのだろうなぁ…)。気の毒なこと。
バルーン装着のまま、耳も聞こえず目も見えない義父も、何とか介助されて二階に上がり、一緒にお屠蘇とお節で新年を祝うことが出来た。
義父と私は五黄の寅!!!
私はそろそろ弱い寅になりつつあります。この数年で本当に体力が無くなりました。気力が無いから???

新しいデジカメをやっと買ったので(とは言え、今迄のものより安かった。型が古くなると値下げをするのだそうで、それでも遥かに優れた機能!!今迄の写真は甚だ損をした気がする)集合写真や孫の写真を沢山撮った。

夕方寒くならないうちに息子一家を皆でぞろぞろと送って行った。
今度、今度、と言いつつ昨年夏の転居後初めてマンションを見てきた。

窓からの眺めも素晴らしく;

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楽器が無ければこういう生活も良いなぁ・・・と思ったことでした。

後はひたすら、娘と私は年賀状を書きました。
撮った集合写真も取り込んで新しい賀状も作ったので。

今更なのですが、私は「宛名だけは毛筆で(筆ペンですが…)」とのこだわりが捨てきれず(最初の数通はうっかりボールペンで書いて投函してしまった!)。
時代も時代、そろそろパソコンで・・・と毎年思うのだが、やはりせめて年一回の挨拶くらい相手の住所と名前だけは、と思ってしまう。


1月2日、3日
もう記憶が薄れてしまった。
娘がやって来て、介護に追われる夫の代理で年賀状の宛名書き。夫の分と義父の分。
義父宛には千通から来る。最近は減った様だがそれでもハンパではない量。
段々役割がずれて、私ら夫婦宛の返信を娘が書いて、義父宛の返信を私が書くなど、頭の中の記憶が「???」。一応チェック印は付けているものの、今年は混乱している。
導尿のバルーンの世話は専ら娘。いくらバイト料を弾んでも、心から助かった三箇日だった。
最長の3泊という外泊許可を終え、義父は夫の車で3日夕刻病院に戻って行った。


1月5日
一日早い私達夫婦の結婚記念日。又同じメンバーにて鍋をつついた。
6日から夫は演奏旅行に出てしまうので(7~17日迄全国を廻る)。
"Strauss Festival Orchester WIEN" (夫は、30年位前だろうか?創設当時からのメンバー)

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(クリックでも判読可能かどうか・・・)



以降は思い出せない。
いや、無理矢理思い出してブログに書くこともなかろう。。。

あ、年末に剥がれかけた爪を、最低限を残して切った。でないと絆創膏で留めてあってもズルズルと動いて何をするにも不快極まりなく。

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今年も宜しくお願い致します。・・・あ、これは元日に書いたのだった。
いや、何度書いても構わない。
色々な方々のお蔭で新年の1月も3分の1近くを過ぎました。有難うございます。

無事終了!! - 2009.11.26 Thu

(12月10日記載)

発表会も無事に終了。
皆さんそれぞれに大きな進歩の見られる会でした。
今後もコンスタントに(基礎を疎かにすることなく)続けて頂ければ嬉しい限りです。

発表会を開くに至ったいきさつがなかなか書けず、「ご案内」の挨拶文を代わりにここにコピーペーストで記しておきたいと思います。すっかり無精になりました。

_________________________

 前回の発表会から10年以上が過ぎてしまいました。
 いつも「発表会は?」とお尋ねを頂いておりましたが、1999年から膠原病という予定の立てられない病気が始まり、その後も火災を始めとする予測不能の事態が連続し、気付いてみますと10年以上が過ぎております。常に応援・ご助力と共にお待ち下さいました皆さまには、お礼の言葉も見つからぬほど感謝致しております。
 今年の春、ラジオ放送(※)でインタヴューの機会を頂きました。その中で私自身の中学高校時代を振り返り、ひたすら讃美歌や聖歌に熱中する日々であったことを回想することになりましたが、偶然にも今年は、それらの曲の多くを作ったハイドン没後とメンデルスゾーン生誕200年にあたる事に気付きました。合唱の機会があれば、と思ったのですがピアノ指導者としては、教えている人達に、この二人の大作曲家による作品を発表することを通じ、演奏内容を深めて貰うべき、と考えました。合唱曲も、数曲ながらピアノでのアンサンブルに編曲し、聴きにいらして下さる方々も含めて原曲にも出逢う契機になれば、と考えが発展し、ハイドンとメンデルスゾーンの作品で発表会を開く計画に至った次第です。
 その様な計画をしてみますと、どうしてもハイドンが活躍していたウィーン近郊のアイゼンシュタットをゆっくり訪問したく、そうなればメンデルスゾーンが活躍したライプツィヒも訪ねてみたい!となり、思い立ったが吉日の如く行って参りました。私がヨーロッパに住んでいた頃は、まだ東西の壁の厚さは壁そのものだけではなく、いくらウィーンという東西の出入り口に長年住んでたとは言え、東を旅行することは優先順位から外れてしまっていたのです。
 特にメンデルスゾーンは「裕福な家庭に育った御曹司」的なイメージが世に伝わっていますが、バッハのマタイ受難曲を世に知らしめ、それまでは「オルガニスト」としてのみ有名であったバッハの作曲家としての役割を大きく世に中に広げた人です。メンデルスゾーンの音楽も又、キリスト教に基づく要素が大きく占めています。 
 さて、更に調べてみましたところ、今年は18世紀に活躍したウィーン古典派の作曲家・ヴァイオリニスト、ディッタースドルフの記念の年でもあります。数少ないコントラバスの協奏曲も作曲しています。それならば、と主人の生徒達もその協奏曲を、メンデルスゾーンの小品と共に演奏致します。
 ところで、発表会から離れていた10年の歳月には、通ってくるメンバーも随分入れ替わりました。小中高校生だった人たちは大学生や社会人として多忙、大学生・院生は社会の中堅となって活躍中。決して若い方々を受け入れない訳ではなく、上記初めに述べた様な背景があったのです。プロ・アマを問わず、ピアノに情熱を持って過ごして下さっている様子を嬉しく思います。
 最近は、既に長く趣味でピアノを弾いている人たち、或いは仕事としている人たちが基礎から学び直す為に通ってくるケースが多くなっております。
 当日は私も、二台ピアノのアンサンブルや伴奏の他、数曲の小品を演奏致します。
 お誘い合わせの上ご来場頂き、お楽しみ頂けましたら幸いに存じます。
___________________________

(※)は、日本FEBC(キリスト教放送局)です。この事も又いずれ書きたいと思っております。



年末年始・うらばなし - 2009.01.03 Sat

年末はギリギリまでお節をどうしようか、と迷っていた。
長いこと作っていない。

去年はウィーンに居た。
その前の年は実母の喪中だというのに、その母が12月14日に亡くなる前にデパートに注文していたお節を食べたのだった!!
母は何でも手際の良い人で、その年も私のリサイタルが11日にあるというのに、その前から「お節を注文するけど、どれが良いかしら?」と言っていたのだった。私にとっては「お節?それよりシューマンの大曲2曲が間に合わない!!」で放置していたところ、暮になっては注文が殺到して間に合わなくなる、と何と!上旬にさっさと注文していた・・・それが判明したのは、亡くなった後で多分色々なものを整理していて、注文の控えが出て来た・・のではなかったか?…と…うっすら記憶が蘇った。
本人が亡くなり喪中であり…でも生前の意思を尊重し、敢えて断らなかった。
大晦日に届くことも分かり、母のマンション(我が家の向かい)にひとっ走り行って、我が家に届けて欲しい由、デパートの配送者宛にメモ書きして貼り付けてきたこともうっすら想い出した。
2007年はそういう訳で母の亡き正月に母の注文したお節を、天国の母と共に、と噛み締めた。

遡って、病後はお節を作った記憶が無い。義母も実母も料理店のお節を注文する様になったからだ。しかも2002年に義母が亡くなって以降は諸難事で正月どころではなかった。

今、義父が帰京しており我が家で新年を迎えるが(小声で・・・徐々に「まだら」状態・・・記憶のあるうちに是非、義母流のお節を味わって欲しいものだ、と感じた)、迷った。
夫は演奏旅行でクリスマスから中国。果たして私は根菜を切れるだろうか・・・
しかし心配は消えた!暮に4回整骨院に通ったことで、何と!!春から不自由していた包丁が握れるではないか!!30日、31日には計3回スーパーに自転車のハンドルを握って籠一杯の買い物も出来た。
蓮根も人参も牛蒡も大根も、根菜の何もかも不自由なく切れるとは・・・あぁ、思い切って整骨院に行ってみて良かった。

義母流のお節を、重箱の類、計8段詰めることが出来た。

我が家のお屠蘇セットは火災で燃えてしまったのだが、これ又、亡き母の物置から出して揃えることが出来た。
スーパーの「屠蘇散どこですか?」の問いに、店員が「それ、何ですか??」と答えて驚いたことを書いたが、どうやら知らない人も多いらしい・・・
分かり易い説明を見つけました)

一番面倒な栗きんとんは娘が作ってくれた。(親馬鹿ながら、市販のどれよりも美味しかった。市販のものは黄色く着色した餡としか思えない!)
そうだ!!それと30日の夜中には、娘が徹夜で換気扇の掃除をしてくれたのだった!!
2004年に建った家は、まるで10年以上住んだ如く、特に今年は手を理由に一切家事をしなかった為一段と凄まじくなっていた。
31日の朝起きたら、扉に貼り紙:『混ぜるな危険』で念のため窓を全部開けてあります。防寒具を着てマスクをして入ってください、と。明け方までゴトゴト音がしていたのはそれだったのだ!!
こんなぴかぴかの換気扇はいつ以来だろう?感激!(但し、液体をこぼしたタイルカーペットをどけてみたら、床が塩素系液体で濡れていた・・・ついでに床掃除も出来た、というおまけ付きに相成った)



準備万端!
大晦日は義父と娘と3人で近所の蕎麦屋に出向いた。娘に先に行って順番取りをして貰い、私は、立ち止まりながらゆっくりゆっくりの義父と共に後から。(これでは風邪をひいてしまう、と帰りは車椅子を取りに行った)

帰宅して、私は毎度十八番のうたた寝をしながら、一応「紅白」は点いていただけ。(途中2-3人記憶にあるのみ)


元旦5時前、インターフォンの音で起こされた。
義父に違いない!!又間違って押したな・・・
ところが、「誰か来てください!」の反復には、一瞬具合が悪くなったか、はたまた又火を出したか???
大慌てで降りて行ったところ・・・
「社長が来てるんですよ」
「ちょっと上げてやってください」
はぁ~~~・・・又幻聴に幻覚だ・・・
大声で説明しても
「じゃぁ電話してくれますか?」
自己流の手話混じりに大声で、今はまだ夜中であること、社長は来ていないこと(どこの社長だ???)、何とか説明して寝て貰った。

一年の計は元旦にあり…??

・・・・・って、こんなことをここに書いて良かったものか??
ま、今さらでありましょう。


元日は息子が来て、一緒に4人でお屠蘇を祝いお節を突いた。
生憎息子の家内(えらく堅苦しい表現だ!Kちゃん)は大晦日も元日も仕事。店長の辛いところだ。

その後、息子と娘は小学生の頃の様に話に花を咲かせ、懐かしい光景だった。
よく喧嘩もしていたけれど、ゲーム、アニメ、漫画のこととなると意気投合。それは今も全く変わっていない。
なかなか無くなってしまった機会。微笑ましかった。


2日は午後に帰国・夕方帰宅する夫に合わせ、息子夫婦もやって来て、6人でにぎやかに再度お屠蘇とお節を祝った。
一同健やかに進展のある1年であります様に。


3日は・・・
夫は早朝出発。横浜で演奏会をして、そのまま関西へ。

私はテレビの大学駅伝中継、ソファでお菓子をつまみ、うつらうつらしながら結局最後まで見てしまった。
まだ母屋があり義母も健在だった頃は、庭伝いに家族皆で「明けましておめでとうございます」と入って行っては、点いている駅伝に一同見入っていたものだった。子供達が小中高の頃だ。「神大」のユニフォームやゼッケンの文字を「東京神学大学」の略と思い込んで吃驚した馬鹿な私だったが…そんな馬鹿は私だけだと思うものの……今回はしっかり「神奈川大」と書かれてあった。(約10年ぶりに見たので、いつからそうなっているかは知らない)

段々馬鹿の露呈となってきたので、ここで送信



マイペース…とも行かず… - 2008.12.30 Tue

4回整骨院に通ったお陰で、頭痛と眩暈からすっかり解放された。
手も、そこで出される湿布(以前書いたが、粘土の様なものが薄い紙に包まれていて、1-2時間で乾くとギプスの様な役割もする)をするか、テーピングをするかどちらか、極力努力して、殆どの日常生活が可能になった。(私が通っているのは上記リンクの本院です)


掃除は箒(どうしても、この変換が一発目に出る)ではなくて放棄したのだが、表向きだけでも・・・
注連飾りを近所の畳屋で購入。
そして、クリスマスの飾りと付け替える私は、一体・・・
何を信じているのだろうか??と我ながら情けなく思いつつ、この様なことは祖国の慣習だし、人間の心でもある、と自分に精一杯言い訳。

目下男手が無いので、踏み台に上って精一杯上に下げた(これで盗難には遭うまい!!という狭い心 いえ、実際ガラスがあるので、マグネットのフックで付けるにはこれしか出来なかったのでした

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買い物、久々に自転車で2往復。
ひとつのスーパーで「屠蘇散をください」と言ったら、「それ何ですか?」と言われてしまった・・・
もうひとつのスーパーでは「ご自由にお取り下さい」と書いてワゴンに入っていたので、三箇日分頂いてきました



連休第3日目 - 2008.11.24 Mon

能勢へ。
墓参りを兼ね、教会にて皆さまにもご挨拶が出来ました。


偶々何かオルガニストを招いてのコンサートがある、と聞いていましたので、まずは教会に直行。
そのコンサートは10時から、と聞いていたのですが、ホテルで息子の荷物を宅配便に入れたり(本人は悪化した風邪を抱え、新婦の実家へ)、そこへ来てレンタカーのカーナビが甚だ古く、あるべき道が出ない!
予定は狂いましたが、少しでも出席出来て良かったです。
日本の歌の作詞家の話があり、出席者皆で歌ったり牧師のソロあり、充実していただけに最初から出席出来なかったことが残念でした。

ところでその中に、「赤とんぼ」がありました。
作詞の三木露風は12歳頃より俳句も始めていたそうです。
「赤とんぼ」の1~4番までの中に、その幼い頃の俳句が含まれている、とのこと。
「さて、どこにあるでしょう?」との問い。


・・・季語のあるところを必死で探しました。

答えは、4番の一番最後、「赤とんぼ 止まっているよ さおの先」とのこと。
新鮮な驚きでした。



教会のお墓にも寄りました。
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昼食会もご一緒させて頂きご馳走になってしまいました。
それから本家の墓地にて墓参り。

(私のカメラはストロボ焚くと真っ暗。焚かないと凄まじい手ぶれにて不能)
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(披露宴の最後に、両親に、と頂いたお花を供えて報告。)



娘とフィアンセは摩耶山に行く、と本家の、妙見口まで送ってくださるとのお言葉に甘え、私らは京都をめざし。

連休の京都の人混みは銀座や渋谷の様に凄まじかった。
ほんの少々歩いた人混みから上を見上げ・・・

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文の助茶屋にて一服し、車を返した後は駅構内や伊勢丹・・・これが又、凄まじい人で・・多分雨で、散策を止めた我々の様な人がどっと押し寄せたんでしょう

早く駅に着いたから、とて早い列車に変更など、とんでもありません!!!
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座るところもなく、階段に座っている人たちの真似をしようとしたところ、何と!トイレへの行列でした。
伊勢丹で、新幹線の中で食べるべく鰻丼を買い、乗って食べて、あとは爆睡あるのみ。あっと言う間に東京に着きました。


下は、摩耶山のロープウェイが強風で止まっていたので諦め、途中から撮った、と添付してきた娘からの写真。実際には宝石をちりばめた様だったそうです。
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連休第2日目 - 2008.11.23 Sun

無事に息子の結婚式及び披露宴も終わりました。

連休の真っ直中ですから色々なご予定もおありだったでしょう、体調が万全ではない方々、遠路はるばるいらして下さった方々、本当に有難うございました。
心からお礼を申し上げます。

今後は若い者達を含めまして、どうか宜しくご厚情のほど、お願い申し上げます。



ところで・・・以下は毎度の愚痴っぽい私ならではの内容に戻ります

昨晩は禁煙の客室。
シングルで街側。寝るだけですから十分。

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夫(喫煙者)が気の毒がり、ツインで瀬戸内海側の見晴らしの良い部屋と交代してくれたのですが…

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窓を開けて空気を入れ換えても、部屋に染み着いたタバコ臭さは抜けない様です。
私の身体にもタバコの臭いが染み着きそうで気持ち悪いです。

景色と広さを考慮して煙草臭さと天秤にかけると…

狭くても街側でも、臭くない部屋が良い我が儘なわたくし。

何を贅沢な事を、と、お叱りを受けそうですが…
折角換わってくれても、喫煙者には非喫煙者が理解出来ないことでしょう。
結局風邪も悪化しつつあり、風景を見ることもなく薬飲んで寝ているだけですし…。
景色見たければ、その時だけ景色を見に遊びに行けば済む事。


下の写真は、14階(だったか?)の展望カフェからの眺望。

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親切心は有難く、でもそれだけで良かったのですわ~~~
荷物一式持って来て、はい、交代、と促されても…
うぅぅぅぅぅ………臭い(特に風邪ひきの身には辛い

喫煙者は一種の中毒状態ですから、仕方ないかも分かりません。
肺胞を面積にすると、大体の小学校のグラウンド位になる、と子供が小学校の頃一緒に学びました。そのグラウンドの広さが煙草に冒されていては、 いつ発癌しても不思議はない。そしてその広さに塗られた成分を吐き出されていたら、周囲の人間はたまったもんじゃぁありません。

マスクをして寝ることに致しましょう。

*****************************************

ここからは夜。

疲れた…
藁の様に疲れた…


でも、最近のホテルの企画の素晴らしさがよく分かる、親の私が羨ましくなるような式と宴でした。


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(これは昼間の別な式。そうか…昼間だとこうなるのだ。間際になって予約出来たことが納得。寒い暗い外の時間帯ではこうならない・・・)

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(本家のお酒で鏡割り用です。豪華な演出も出来ましたし、桝酒での乾杯も出来ました)


載せたい写真が沢山あるのですが、本人が「ブログには載せるな」とのたまふ・・・
残念
でも、こっそり…本人と分からないものなら……

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しかし疲れた…
新郎の母としては、絶対に禁句である、と重々承知ながら。

疲れの原因は、風邪の他にも沢山あるのですが、大失敗のひとつは、コンタクトレンズを東京から間違って持参したこと
強、弱、遠、近、の四種類を持っており、コンタクトレンズ使用する時は左に遠用(まさに1.2見える)、右に近用(0.2)を組み合わせることでこなしているのが…強と弱を持って来てしまった!強は1.5、弱は0.7くらい(まだ老眼が進む前に作ったもの。左の1.5のお陰で、遠い新郎新婦の表情は実によく見え、それは嬉しかったのですが…)。当然カメラの液晶はおろか、楽譜も鍵盤も見えません。歌の間奏、大きく書いたにも拘わらず…
ソロは暗譜とは言え、離れた新郎新婦に向かって、(演出にて)愛嬌振りまいて弾いている時は良いのですが、一旦鍵盤を見るや……クラクラ
ユンケル二袋飲んだからとて見えるわけない。
諦めれば良いのですが、無駄に「集中しよう」という頭だけはあり、大変でした。若い頃に想像だにしなかった苦労、試行錯誤…
楽譜を見るものと、暗譜で弾くものが混ざっているプログラムをこの目でこなす事が今後の課題です。
今回のレンズの間違いは、3月から一切使っていなかった※レンズを殺菌する為に、数日前にケースを全部新しくし、分別の記入方法を変更したことが原因です。
(※シェーグレン症候群という涙液不足の為、滅多にコンタクトレンズは着用しません。どうしても鮮明に見たい、という折にだけ長くて2-3時間で、それも人工涙液と角膜保護剤を点眼しながら何とかしのぐ現状)


原因の二つ目は又しても靴!!ステージ用のキラキラ付きのサンダルなのですが、歩いているとスッポスッポ脱げる!
脱げない工面をしたらベルトが足に食い込み…裸足で歩きたい程痛かったです。ホテルの中然り、チャペルの往復然り、誘導係の後ろをひたすら追いかけて・・・一日三桁歩数しか歩かない日常の私は、その靴でホテルの中の頻繁な移動だけで、早く横になりたい……で過ぎました。
普段、マイク持ったら無限に喋りたくなる私が、娘任せとは信じられず。


原因の三つ目は手でしょうか…
バンテリンを塗りながらマッサージしたり拡張したり、あれこれピアノではないリハビリしてから漸くピアノに向かい、指練習してからなら何とかオクターブも弾ける・・・という状態だったので、無謀過ぎのアレンジだったかも分かりません。身から出た錆。
言い訳がましいのですが、じっと座っていると身体そのものも硬直してくるのですが、手の為にも、花嫁さんのお色直しの時にちょっと外に出て伸びをしようとしたら、「もう間もなくキャンドルサービスに入場されますので」とドアの前で止められてしまった・・・その後も、トイレを理由に出ようとしたら、タイミング悪く出られなかったのでした。(バンテリンも東京に忘れ・・・)


「忘れ」と言えば、東京から持って来たお土産も存在をすっからかんに忘れておりました。

出るは「疲れた…」
アルコールも、鏡割りの枡酒を一杯飲んだだけで我慢したというのに。



明日はめでたいことにレンタカー!!
夫が運転し、能勢まで墓参りです。
その前に教会で開催されるという、オルガンのチャペル・コンサートも楽しみです。






連休第1日目 - 2008.11.22 Sat

京都での「いとこ会」、無事終了。
お世話下さいました幹事の皆さま、有難うございました。


「いとこ会」発足時は、父方従兄弟従姉妹中心でしたが、今やその子供や孫、曾孫の代も参加。徐々に代も広がりつつあります。



最寄り駅が土日祭日は快速が通過してしまう為、朝7時にタクシーを呼び次の停車駅へ。東京駅までは夫と娘の3人。新幹線改札で息子と連れ合いと、そしてホームで妹と落ち合った。
私にとっては連休に出掛けるなど、生まれて初めてのことかも分からない。夫はチケットを買うのに随分苦労した様だった。(夫の教え子さん、有難うございました)

ところで、今月初めに頂いていた開催要領一式を、今朝になり家族分の枚数コピーをしていたところ、「歓迎!かくし芸などの自発的芸術劇場」なんて書いてあることに漸く気付きました。
でもピアノはない、と、従姉の一人から昨日メールに書いてあったし…

新幹線に乗って閃いた!
ア カ ペ ラ ! !

五線紙はある!(息子の披露宴で弾く曲の中の和音のメモを書いただけで、4ページ殆んど空白の)

妹、夫、娘、私の四人で出来るのではないか??


思い付いたが運のつき。
「もみじ」普通バージョンとスウィングバージョンと。
風邪薬(昼間用の眠くならないもの)を寝る前に服用した為に寝不足。「寝るからね」と断言し、貰った筈の窓際の席は書き物机に。

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巻き添えにした3人さま、お疲れさまでした。
メロディーラインは第一番は妹用に、第二番は娘向け、つまりアカペラバンド風にリードさせるアレンジにしたのでした。…ぶっつけ本番、初見大会。
聴いておられる方は楽しかったと思うことにします

今回の座長のレクチャーも面白く興味深いものでしたし、その他にも数名のミニレクチャー付き。考えてみるにこの集団、学者と芸術関係の何と多いこと!!
かくし芸、他の方々の写真は支障があるかもしれませんので、我々のもののみ。(妹のカメラで従妹が撮ってくれたそうです)

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自分で書いた楽譜が読めず、老眼鏡かけても必死で読んでいるのが私です。実際には「遠中近用」という三段階のメガネにて、楽譜最下段を読む時には楽譜を上に、楽譜最上段を読む時には楽譜を下に、と移動しないと読めない不自由さで、こうなるのです。言い訳です。

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紅葉が美しかったです。

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久々に会う親類一同と一緒にもう少しゆっくりしたかったけれど、疲労困憊…何しろ都区内の隣りの駅に出るだけでも帰宅後はうたた寝あるのみの最近の日常。
しかも、明日用に現地調達する物がまだ残っている。
息子カップルは明日に備え、先に神戸へ。こちらは3人に付き合わせて買い物を手伝って貰った。
娘は、翌日の息子たちの為に東京から駆け付けてくれるフィアンセと待ち合わせているので、それ迄夫が同伴。
よって妹と私は更に先に舞子へ移動し、駅のスーパーで夕飯を買い(何しろご馳走にてお腹は一杯のまま)ホテルに着きました。
いゃ~~~…、それにしても久々によく歩きました。

手の不自由さを口実に自転車に乗ら(れ)ない。歩きでは荷物は持てないということを更なる口実に、買い物は夫任せの数ヶ月であり(Y病院で悪化させてからの話)。
脚力の衰えもさることながら、スニーカーもしくはスリッパしか履かない生活となっている1年近くは、久々の普通の靴で足は疲れを通り越して痛み・・・


いやはや、ユンケル、ビタミン剤等、ドーピングで頑張っても駄目なものは駄目なことがよく分かりました。

納骨旅行その2 - 2007.05.26 Sat

2007年05月26日21:32

23日(水)は亡き母の誕生日。
今度こそ納骨を終えてきました。
4月の日記に可成り書きましたので端折りますが、又大阪府最北端まで出向きました。
今回は妹と我が夫と3人、日帰りで。東京駅まで夫が車を運転して(通勤ラッシュに遺骨持って…は躊躇われ)駐車場に停め(新幹線とセットにすると駐車料金一日で2千円台だそう)、京都まで新幹線。その後はレンタカー。

納骨式は前回行って頂きましたので、今回は牧師が簡単に司式。
分骨したものを実家の墓へ。
父の時はどうしたのでしたっけ、と本家に問えば、「墓泥棒に遭ったかね…」とか「ばらまいたかもな(いけばかに)」とか…ご冗談を…造り酒屋の社長と専務のやり取りです
大きな骨壷はもうお任せで、翌日この叔父達(正しくは父の従弟達)がその「生墓(いけばか)」にある我々の祖父母の間を掘って埋めて下さることに。

その後、本家が能勢の懐石料理に招待下さいました。久々におじおば4人も一緒、緑の野山や田圃、ウグイスの声に囲まれた茅葺き屋根の下で、まったりと時が流れました。
(妹の携帯写真が、「え?携帯でしょ?」という位とても鮮明に・・・)

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順不同ながら;
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この後は、秋に演奏をすることになっている浄瑠璃シアターにご案内頂き、内部も見せて頂きました。
(全て妹の携帯写真です。凄い時代になったもの…私も機種変更すべきか…)

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さて、翌日(木曜)はまだ気力あり、遺骨の去った後の場所を元に戻さねばならない・・・
修理を兼ねて預かって頂いているソファも戻ってくることだし。
遺骨や遺影の乗っていた台をどけて掃除して、写真や花は二階のリビングへ移動。
散乱物も定位置に大雑把に戻し(それでもまだ片付け途中)。

一段落の報告メールや手紙、又、お礼すべきところには贈る物の注文をあれこれ。 バタバタと過ぎました。 (母が天国で私を操っているに違いない!母は実にそのようなことを手際よく済ませる人でしたから・・・

夕方本家から報告あり、祖父と祖母の墓石の間を掘ったら白い骨壷が出てきたので(多分これが21年前の我々の父)、その隣りに母の骨壷をカバーごと埋葬して下さったたそうです。
気に掛けて下さっておられたみたいで(余りにあれこれ訊いたので…)、その「生墓」の様子を、掘った時に携帯で撮った、というものを昨日朝にメール添付で届きました。
本当にお世話をお掛けしてしまいました。


ふと気付けば、大相撲・・・もう明日千秋楽!?!?一度も見ていませんよいつの間に朝青龍3敗!?!?今日は4敗目

一時期相撲観戦にハマっていた時期もあったというのに・・・
確かケーブルテレビがこの辺りにも繋がり、BSを見られる様になったのが、私が乳癌を見つける前の「多発性筋炎」と後で分かった不調の頃。余りの倦怠感で、リビングのテレビの横に折り畳みベッドを広げて午後は専ら相撲観戦していたのでしたわ・・・1998年ですね。雅山がまだ「竹内」。序二段だか??チョット忘れましたが、髪の毛短くて強いのが現れたなぁ~~~、とひたすら感心していたものです
少し遅れて「田宮」という学生(だったかな?)。これが琴田宮になって、今の琴光喜
あの年末は琴錦が優勝したのではなかったか!?あれは感動モノでした。

何だかモンゴル勢ばかりで面白くなくなりました

何を書いているのだか分からなくなったのでオシマイ!


母の納骨旅行(1) - 2007.04.16 Mon

納骨旅行(その1)2007年04月10日15:19
昨日深夜(1時過ぎだから今日だ)無事に帰宅しました。
無事に帰っています、の報告のみ。

土曜朝8時半、夫の運転で出発。向かうは大阪府豊能郡能勢町。
途中、寄り道せざるを得なくなった話は後ほど。
夕方予定の時刻に、本家が予約してくださった宿に到着。
ぼたん鍋初体験。
美味しかったです。
脂身と赤身とが1枚の両側でくっきり分かれていて、脂身を見た時には一瞬おののきましたが、これが全然!あっさりしていて物足りないくらいでした。
熱した石の上に乗せてジュージュー音を立てて焼きながら食べる「石焼き」ってのも美味しかった。

部屋は久々の家族4人水入らず。

翌朝も和食をお腹たっぷりに納め、身支度に荷づくりし、本家のお迎えに誘導され、歌垣教会へ。
イースター礼拝兼召天者記念礼拝。
私のほんのちょっとしたピアノソロと、妹と娘のソプラノ&アルトのデュエットなぞもありまして、終わってそのまま新しく出来た納骨堂へ。

母の分骨した遺骨も納めて頂き、式も終わり、今度は本家の墓へ移動。

ところが!東京から持って行った骨壺が・・・大きすぎて入らない!!!
予測外の出来事に母も焦っているだろうなぁ・・・(一瞬Sサイズを必死で着ようとしている、L(LL)サイズの母の姿がダブった)
父の20年前の納骨の時は、墓はまだ仕上がっていなかったんですな。亡くなった翌年に石碑が出来たのだから。だから当時はきっと「お任せ」で終えたのでしょう・・・(それとも私がいよいよ「もの忘れセンター」※??)
関西と関東での骨壺の大きさの違いやら、その地方や地域での埋葬のやり方の違いもあるのでしょうが。
まぁ、入らんもんは入らん!仕方ない・・・出直します・・・
でも式だけは牧師に執り行って頂きました。よかった!一段落!!

その後、仕事の関係で帰京する息子とは京都でさようなら(その前に妹夫婦の車はどこかで見失った)。

夫と娘と3人で昨日は一日京都を散策し、夜中に帰宅した・・・と、こんな日程でありました。

今朝はずっとあちこち(葬儀屋、妹、本家、等々)と連絡取り合い、葬儀屋もサイズ(墓石の大きさを夫と息子が紙に泥で型取って記してきました)確かめに早速いくつか壺持って来てくれ、場合によっては母が最後に所属していた教会の墓地にも分骨するかな?など検討しました。
でも、本家の墓地にある実家の墓に小さく分骨した壷を入れ、一番大きな今ある骨壺は本家の生墓(「いけばか」=その昔は土葬だったのが、今は骨壺ごと土を掘って納めるらしい)に埋葬して貰うことに、ほぼ決定。


詳しい墓話ならぬバカ話は又改めます。

※「もの忘れセンター」とは、私がお世話になっている大学病院の「認知症」の科の正式名です。


___________________

納骨旅行(その2…食い意地編)2007年04月11日12:58

その1に、「途中、寄り道せざるを得なくなった話は後ほど。」
と書いた寄り道の話。

長い長い東名の旅。何か音楽でも、と家から私が持参したCDをかけて貰うことに。
CDと言ってもCD-Rにラベルを貼ったものなのです。
カーナビに付随したスロット式挿入口から入れてもらったところ、うんともすんとも稼働しなくなりました。
説明書も役に立たない。
カーナビの声が聞こえるだけで、画面は水平になったままなので何も見えないし、何を押しても反応無し。勿論CD-Rも出ない・・
いくらプロ級の運転術と方向感覚を持った夫も、予期せぬカーナビ破壊ときては(詳しい地図は持参しない習慣になった)定刻までに着けるかどうか(初めて行く、山の中の宿ですから)。
私がその様なものを入れて貰ったがばかりに…
折よく場所も豊田方向。(うちの車はトヨタ)
責任を感じる私とキレる娘をよそに、男2人は「豊田も近いし店もあるだろう、場所も場所(浜名湖)、高速降りて鰻を食おう!」と決断。
相変わらずカーナビの画面はありません。
カーナビは、目的地と大幅にずれた走行に、あーでもない、こーでもない、と親切にも音声だけ流してくれる・・・悪いねぇ・・・余りに外れると「シ~~~~ン」。

やっと見つかったトヨタの店では(何故かスズキの店ばかりありまして…)、カーナビを取り外して手を加えると保証が利かなくなるから、と言いつつ、出来るだけ外さない方向でやってみます、と時間をかけてそのCD-Rを取り出してくれる事に成功!!何人もの職人(←という言葉が相応しそう)が試行錯誤してくれまして。

CD-Rそのものは入れても大丈夫らしいのですが(入れないに越したことはないものの)、ラベルを貼ってしまうと、スロット式のものはゼロコンマ何ミリレベルでもこの様なトラブルが起きるらしいのです。
受け皿式のものは何でも大丈夫だそうです。
説明書をよく読むと、操作方法の最後の方に遠慮がちに(と思えた)ラベルやシールを貼ったCD-Rは入れない様に書いてありました。
ひとつ賢くなりました。
直して貰えて、ホント感謝!!!!!


で、その折に食べた本場浜名湖の鰻!
(以下、性能のよくない携帯カメラにて)

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(夫と私は普通の鰻重、娘はひつまぶし、息子は何と!二段重ね!!)


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↑角度が悪くて、二段重ねになっているの見えますかね??



↓その二段重ねの「ふたを開けた瞬間の感動」を何とか上手く撮ろうとしている息子。

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話は夕刻に飛びますが・・・
「ぼたん鍋」
いつも夢中で食べてから「あ、撮るの忘れた・・」なんです。
辛うじて残っている状態で気付いたけれど、肉がきれいに花びらのように円形に盛られた最初の状態からはほど遠い・・・一応アップ。

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野菜も、もっと沢山あったのですが・・

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携帯にまだ何か入っていそうですが、取り敢えずここまで。

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納骨旅行(その3…納骨!)2007年04月13日15:46

納骨、とタイトル書いてしまったのでそのまま。

気になっている墓のことなど、母の整理したアルバムを見れば判るに違いない!と、今日になってやっとアルバムを出してきました。
今回の旅行の目的は「納骨」と思い込み、実際、教会の新しく出来た納骨堂には納めさせて頂き、式まで執り行って頂いたので、それでよし!なのですが…
父の時はどうだったのだろう?遺骨はあの時どうしたのだっけ?と、狐につままれたが如く過ぎていたのです・・・

本家の墓地にある墓に関して、ちょっと違っていたことが判りました。
父が亡くなったのが1986年6月。

そして一年祭を東京で翌1987年6月に行い↓、その後9月に墓が完成した様です。

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その頃に我が家族は夫の両親の家に増築し、引っ越して、私は幼稚園児2人を追いかけ回し、生徒のレッスン、自分の演奏会の準備・・・墓に関して何もしていなかったのでしょう。(そうだ!息子のステージママもしていたっけ!?) 実際、父が亡くなった年の秋、アルバムの母の解説によると「墓の相談」で母と妹のみが本家に出向いていることも判明。実際私には記憶がありません。
当時、まだ本家の墓も無かった為に(父の叔父が伝道者で歌垣教会を開いたのですが、その妻、つまり父の叔母が長く病んでいたので切羽詰まっていたのかもしれない…私の推測です)、二つの墓を並べて建てる計画だった様です。

そして翌年に完成し、アルバムに記された母の解説によると「○○叔父と我が家の墓がやっと出来ました。建碑式、除幕式にさきがけて歌垣教会で記念祭」とありました↓。

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墓の写真のところにも「建碑式」「除幕式」と書いてありまして、決して「納骨式」とはひと言も書いてないです。
ってことは、「納骨」はお任せだったのでしょう。
↓明らかに骨壺、今回と同様に大きいです!


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私たちは関東流の納骨を、本家の墓地に関しても同じ様に捉えて出掛けてしまった、という次第。

去年の春、古い教会堂がすっぽり新しくなり、献堂式を行い、母、妹、私、娘、と3世代の女ばかり東京から出席しました。母の車椅子を押して、タクシーで移動して。
その時もでしたが、今年も、父が20代の時に描いた絵(本人は「何て下手なんだ。いずれ描き直して捧げ直さねば」とずっと気にしていたものですが)が掛かっていました。私たちは感謝ですが・・・


ついでに(?)、今回のイースター礼拝兼召天者記念礼拝の為の教会聖歌隊の練習風景(まだ全員集まらず)。


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母のアルバムを見ていたら、古い教会堂に掛かった父の一対の絵がありました。
う~~~~む・・・確かに父本人にしてみれば描き直したかったの、よく分かります。
でも、20代、学生の時??本家へ疎開中に描いたのかな??


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一応持ち帰った遺骨は、更なる「埋葬証明」を葬儀屋が近いうちに届け、入るサイズに分骨してくれるそうです。
来月の母の誕生日に再度出向くことになりました。今度は式も何もないので、新幹線+レンタカー(夫が京都か大阪から運転)にて日帰りで、妹と3人で行ってきます。
秋には演奏会がそちら方面であり(場所、知りません)、去年と今年で計5回も出向く計算。
何年も行かない時は行かないのに・・・ (明らかに御計画のうち)


____________________

納骨旅行(その4…京都へ)2007年04月16日11:50

間が空いて、もう一週間前の話になってしまったが…

納骨を済ませ、本家・親類・教会の方々に見送られ、目指すは京都。
一泊して京都見物をして、それから帰京、というスケジュール。
息子は翌朝から仕事の為、その日に新幹線にて帰京。京都駅前に夫がホテルを取ってあり(これが花見シーズンで大変だったらしい)、ホテルの駐車場に車を入れ、荷物を部屋へ運び、息子はじゃぁねぇ~~~・・
私も、その日のうちに帰京すること、チラッと頭をかすめたのだけど(果たして観光する体力が残っているのか、歩けるのか、甚だ自信なくて)、折角の機会だし、一人ではまず来ない人間ですから。

その日はもう夕暮れ時、「錦」という市場へタクシーで行き、珍しいアーケードをウィンドウショッピング。
もう歩けないよ・・・で、タクシーにて(混雑ぶりは花見の為に、運転手さんも困り果てている位の重症度)ホテルへ。食事を済ませてさっさと寝ました。もう体力限界…風呂も入らず一人で一部屋を占領し。
アルコールを飲んだ訳でもないのにフラフラと、どの様に部屋に戻り(夫と娘が送ってくれた迄は分かるのだが)、いつ寝たのか等、全く記憶にございませんです・・・

さて、朝型のわたくしめ、とは言え、ゆっくり眠っている予定が7時にけたたましく備え付けの目覚ましが・・・
前の宿泊者が止めていなかったのですな。普通お掃除する時に確認して止めませんかね??

ま、それは良いのです。折角起こしてくれたのだから起きよう・・・
ハテ??化粧品(化粧水とクリームのことです)は何処???・・
鞄を逆さにしても無い、無い、どこを探しても無い!!
Σ( ̄□ ̄;;;)!!
洗顔後にそれが無いと突っ張って、どうしようもない。顔も手も。
かと言って洗顔歯磨きすらせずに眠ってしまってそのまま、という訳にも行かず。どこかに忘れてきたのかも。
そうだ!!と思い付いた。
「ヒルドイドソフト軟膏」!!(医学書院からペースト)

********************************
【作用】 抗炎症作用,鎮痛作用,血流増加作用,紫斑消退促進作用,血液凝固抑制作用を有し,外傷や血行障害による疼痛と炎症性疾患に対し,抗炎症・鎮痛効果を発揮する.
【適応】 外傷(打撲,捻挫,挫傷)後の腫脹・血腫・腱鞘炎・筋肉痛・関節炎,血栓性静脈炎(ゲルを除いて痔核を含む),血行障害に基づく疼痛と炎症性疾患(注射後の硬結並びに疼痛),凍瘡,肥厚性瘢痕・ケロイドの治療と予防,進行性指掌角皮症,筋性斜頸(乳児期),皮脂欠乏症(ゲルを除く)
********************************
これしかない!!!(皮膚筋炎の症状で公費にて定期的に出されているのです!)
顔全体にたっぷり塗りました。。。
薬一式は常時ハンドバッグに入れているのです。外用薬も何でも。
効果あり!普通にクリーム塗ったのと何ら変わらないではないか!!!(とは言え、二度とやりたくない!乾燥は逃れたものの皮がたるんだ気がする。)

ありゃ、こんな話で長々と・・・

閑話休題。
10時半くらいにホテルを出て、夫の車&運転で金閣寺、三千院、寂光院などをゆっく~り廻ったあと、市内に戻り、八坂方面へ。


あ、面白いものを見つけましたので、それだけ。
あちこちの門や軒先に、見たことのないお手玉を繋いだ様なものがぶら下がっているのです。
何かと思ったら、「八坂庚申堂」というところの、何と申しますか、絵馬の様な存在、或いは・・・
あ、説明書あったっけ・・でも書く気力も無く、失礼ながらそのお手玉みたいなもの、正しくは「くくり猿」というもの、下記URLからどうぞ!私が説明すると大抵間違うので。

http://www.geocities.jp/yasakakousinndou/

(左から「くくり猿」をクリックしてください)

凄まじく端折りましたが、その他は又改めます。
文の助茶屋では二回もくつろがせて頂き、近辺の散策もして、日頃出不精の私には何週間分にも相当する一日となりました。

我が夫よ、お疲れ様でした&有難う!!


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プロフィール

奥 千絵子

Author:奥 千絵子
★上の画像は2001年にCDにして約3枚分を収録したものを,2006年に2枚組としてリリースしたCD「樂の音に寄せて」です.『レコード芸術』2007年1月号で「特選盤」として取り上げられました.戸倉新樹教授によるライナーノートは医学生にもお薦めです.その他のCDや著書はWebsite「本館」からお入りください.このブログも「本館」のDIARYです.
★このブログの"Grüß Gott !" (文字化けの場合はGruess Gott!)は墺・南独の時間を問わない挨拶です.Website「本館」のDIARYです.出版CDや著書の詳細は「本館」のメニューからお入りください.
Website「別館」もあります. 著書「ピアノと向きあう」の説明を補うサイトです.よく頂く質問に説明を記載しています.
★上記著書については今井顕 氏によるKINOKUNIYA書評空間WEBLOG を是非ご一読くださいませ.
Auch auf Deutsch schrieb ich…
★【膠原病の記録】余りに医療のカテゴリーがが増えてしまったので目下整理中です.大変複雑な病気の経験が同じ病の方々への参考となりましたら幸いです.
「乳癌と膠原病(皮膚筋炎・多発性筋炎)」「膠原病(退院後)」 ,その他の医療の話(自分以外も含めて)は「医療・病院関係」,に取り敢えず分けました.
平成12.12.12.病院での復帰リサイタルは演奏動画入り記録です。
★恩師のことは55年間を遡り少しずつ記載するつもりです。目下のところはこれだけです.
★コメントも大歓迎です。SPAM防止上、確認後に公開しております。ご理解をお願い致します.
★このブログや大元のサイトへの感想やお問い合わせはservus2008@gmail.com宛に@を半角に直して送信願います.
【BGM】
Robert Stolzメドレー
演奏:東京カンマーコレーゲン 
室内楽アレンジ:奥 千絵子
ショパン:華麗なる大円舞曲Op.18
演奏:奥千絵子 ショパンのワルツは上の画像の2枚組CD「樂の音に寄せて」に入っております.
★Copyrights©1997-2020 Chieko Oku All rights reserved.
制作・著作:奥千絵子
★遙か下方に設置のカウンターは、サイトを複数回お訪ね下さいましても1日を1回とカウントし、又、私を入れない設定になっております。



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