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2020-04

ハノン生誕200年を記念するレクチャーと試演 - その2 - 2019.12.05 Thu


(記載は12月5日)

9月に行った《ハノンの活用法を考える》の続きを「その2」とし、11月の3日と9日に分けて行いました。
簡単な解説というかレジュメというか、進行表を下に貼り付けます。他に皆さんの弾くプログラムに、私の解説に必要な譜例を配布・・・初めてのデスクトップ型での作業は実にじれったかった。まるで幼児がグランドピアノの譜面台を見上げているよう。今は可成り慣れたとは言え。

以下、進行表のみサムネイルで貼り付けます。

2019110309切り取り用のコピーコピーのコピー表紙 2019110309切り取り用のコピーコピーのコピー2ページ目 2019110309切り取り用のコピーコピーのコピー3ページ目 2019110309切り取り用のコピーコピーのコピー4ページ目のコピー2

前回 は殆ど私が弾きながら解説をしたので、その解説前半部分をまず皆さんに試弾して頂く。

生徒さんたちの進行プログラム

2019110309曲目・縦長のコピー 2:2

I 本番を控えた人の「ぶっつけリハーサル」1人のみ。
II 1~31番のいずれかを上記の通り、①半小節遅れのカノン(起伏も模倣) ②Moll 和声的短音階に移調 ③左右を複調(Bitonal)で弾き、響きに慣れる。
その後、音階やアルペッジョ各種
(ここ迄で2時間かかった・・・どうして??

その後
III 40番から50番までの解説と試演。選んだ譜例を参考に私が。
特に「補助動作」を伴うものは丁寧に。拙著ではタッチの種類【O】として、一見とても簡単な記載で済ませてしまったので。
譜例の配布はモノクロでプリントアウトしたのですが、下はWordに貼り付けたスマホ写真そのままを無精してアップロード。

譜例(名前を消し)のコピー1:6 譜例(名前を消し)のコピー2:6 譜例(名前を消し)のコピー3:6 譜例(名前を消し)のコピー4:6 譜例(名前を消し)のコピー5:6 譜例(名前を消し)のコピー6:6


やっと
IV 練習中の曲の披露と共に、ハノンで解決が着くものがあれば、どのように使ったかを話してもらう。

そんなで、人数の多い方のグループ(と言ってもたったの7名)は6時間かかってしまった・・・(どうして??)

続きは又後日。(譜例は1月も末になって入れました)

一旦ここで送信。



ハノン生誕200年を記念するレクチャーと試演 - 2019.09.16 Mon


去年の暮には「ハノンの発表会でもするぞ!」と意を決し、年賀状もハノンを泣きながら弾いている雌のイノシシにしたのですが・・・💦

8229846_2302226378_120large.jpg

前の日記に書いた通りで、気付けば真夏!
会場を押さえるのも(内心、億劫さが先立ち)「多分無理だわ」となり、でもお世話になったハノン先生!
何か形にしておきたい。
我が家にて、生徒達も試演し、メインは私の「ミニ・レクチャーと試演」の勉強会を行い、年内もう1〜2回行えれば…ということに落ち着きました。
急遽7月末に(8月初めか?)メールで参加者を募り、9月の8日と14日に(試行錯誤の段階ながら同じ内容の)第1回目を終えました。

レジュメは以下。
タイトルは「Charles-Louis Hanon 生誕200年を記念して ハノンの活用法を考えるレクチャーと試演」ですが、いつものように画像をピクセル数を決めて縮小するちょっとした手間すら気力は失せ、取り敢えずサムネイルをクリックすれば実物大で表示されます。すみません!!

20190922 232037 20190922 231943 20190922 232001 20190922 232024


最初は版について。表紙に写真を載せた版の中身の違いを説明。
Schott版やPeters版、その昔の(昭和33年に発行された)音楽之友社版のメリットを主に。

・・・と書いたものの、「どうぞクリックで拡大の上お読み下さい」で片付けます。

「特にショパンの作品には音階・アルペッジョの原型が盛り沢山、(練習せずとも弾ける)些細なパッセージに繋がります」ということで、ショパンの有名処12曲ほどから「音階やアルペッジョを含む些細なパッセージ」をピックアップして試演(ポロネーズ、バラードあれこれ、プレリュード、ファンタジー、ワルツ、など)。最後はコンチェルト第1番の第3楽章コーダ全部。
終わってから思い出した。それらの曲をそのテンポで弾くには、ハノンの楽譜のメトロノームは遅すぎ、勿論練習中の曲のレベルによってなのだが…といったことを添え忘れた。

スマホ撮影で粗雑なまま、年明けてアップロード(クリックで拡大なさってください)

譜例(追加も含め)2のコピー


その後、生徒達の試演。
①どの指も均等に、かつ強靱に鍛える目的で、拙著のタッチ【A】と【B】によって練習中の「バリバリ系」のハノン、及びその応用曲
②ハノンと言えども、レガーティッシモで鍵盤に指が吸い付くかの如く、且つ指〜腕の重さを使い分けるタッチ【C】〜【D】でJ.S.Bachの2声インヴェンション、2声それぞれを起伏豊かに表現する(ハノンをそのタッチと調性で弾いた後)。
スタートは5歳児、1拍遅れで表情もカノンにするハノン第1番。および練習中の曲から左右で独立した表現を要求される曲など。以降は必ず2声のインヴェンションを必ず入れて頂き、1人あたりマックス20分(希望的…)を自由に使っていただく。


休憩を挟んで、ハノンの楽譜には載っていない、更なる応用。
ハノンは1900年に逝去していますから、それ以降の時代の作品にも応用出来るべく工夫を凝らした練習が必要です。
先ずは近現代の技法を説明。
全音音階、多調、複調(Bitonal)、無調、十二音技法、三全音(Tritone:トライトーン)、教会旋法など。
指もですが、耳がそのような音に先ず慣れるべきです。
ハノンを全音音階で弾いたり、形は易しい1番を、右手C-dur、左手E-durやA-durで弾くBitonal辺りから始め、頻繁に使われるトライトーン(三全音)や、オクターヴを3つに区切った二全音ずつのアルペッジョも必要。
曲例はプリントの通り。
日本語のルビを振り忘れました

我が恩師の一人、Dr. Josef Dichler教授が作曲された"6 kleine Stücke(6つの小品)" サブタイトルは "Zur Einführung in die modern Musik(近現代音楽への導入)"
この曲集がなかなか素晴らしく出来ていて(と私が発言するのは躊躇われますが)、今回は1曲目と4曲目しか使いませんでした。

全6曲は;
1. Spiel in zwei Tonarten (Bitonal) : 右手がC-dur, 左手がE-durの調号で書かれています。
2. Kleine Rhapsodie:主に「鋭い非和声音」を使うことでの伴奏やハーモニー。
3. Zwölftonspiel : 十二音技法
4. Gavotte(途中1. Musette, 2. Musetteあり):主な技法は教会旋法
5. Bittendes Kind :
6. Thema mit drei Variationen
(流石に、細かい文字のドイツ文を簡潔に訳すことが段々億劫になり…そのうち音源でも作りますか…)


4曲目の1. Musetteは右手が「リディア旋法」、左手は音が4つしかないですが「ミクソリディア旋法」か…

譜例(追加も含め)2のコピー5 譜例(追加も含め)2のコピー6

教会旋法でハノンを試しますか・・・そのうち。

湯山昭先生は、生徒たちや我が娘(今はアラフォー近し)が子供の頃に、子供の為の作品を披露するコンサートで弾かせて下るなど、良い経験をさせて頂いたものです。奥様が「こどもの国合唱団」を主宰されていらしたので、そこでもとてもお世話になりました。
そのような当時、「バイエルは駄目」と、3巻からなる「こどもの宇宙」という、レベル的にはバイエルであっても、近現代の響きや技法に慣れるべく、素晴らしい教則本を出版なさいました。
その中から複調(Bitonal)を取り上げました。

譜例(追加も含め)2のコピー2

その繋がりでDebussyへ。映像第1集3曲目"Mouvement"の中間部、左右が位置的に混ざる分散和音、横に流すと…6声の同じメロディ、複調とも多調とも捉えられるし、縦に耳を澄ませばトライトーンが潜んでいて不思議な響き。その一番輪郭になるメロディはC-durとも取れるし、基になるイオニア旋法とも取れる…云々。 

譜例(追加も含め)2のコピー3
 

十二音技法を軽く説明し、最後はAlban Bergのソナタ、提示部のみをごく軽く「技法の説明」をしながら試演。
更に、そのDebussyの例の箇所の音型のまま、メロディを日本の童謡にして弾いたり、モーツァルトのソナタを右手と左手で違う調で試演するなど。

譜例(追加も含め)2のコピー4

「それにはハノンをどのように」となる訳です。
この課題はまだまだ続けます。その上で、何とか60番まで進めたいものです。

配布した譜例は、著作権に引っ掛かりそうですが、後から入れます。

8日は折しも台風が来るとのことで、3時間半強で端折り、14日は4時間強に押し込もうと必死。
我ながら、何でこんな小難しい内容になってしまったのだろう、最初は「楽しい内容」として組んだのに・・・

でも、大切な内容だと信じているので〜〜・・・


追加

譜例(追加も含め)2のコピー7

安室奈美恵さんの"Can You Celebrate?"をアレンジした想い出 - 2019.02.20 Wed


1990年代は、生徒たちの発表会のため、その子供の可能性に合わせてアレンジ譜を作っていた。
そのことを思い出す機会が最近あった。特に連弾。ピアノは1台か2台。4手であったり8手であったり。

その1つに、安室奈美恵さんの"Can You Celebrate?"があった。
ピアノを習い始めて間もない小学3年生。その前も学校の放課後にピアノのクラスはあったものの、片手しか使わないとのことで(だったか?)、私のところに来た。習っていた筈の右手すら指関節がグニャグニャと潰れてしまって、鍵盤を押し下げられない。左手は推して知るべし。そのためのトレーニングをして、やっと何とか鍵盤を押し下げるレベルになった辺りで発表会と相成った。
「小室ファミリー」に熱く傾倒していた小3の男子、まだ楽譜も発売になっていない「Can You Celebrate?」をテープにダビングして持って来た。
早速再生させてみると、うっわ〜〜〜!!・・・今のレベルではとても無理。
でも私と2台ピアノで連弾をしたら可能かもしれない。夢を叶えてあげようじゃぁないの!!
・・・と、その日からオケパート(電子楽器パート?)の書き取りが始まった。
他にもそのように望みを叶える生徒たちのアレンジはいくつもあり、今思うと40代は若かった!

そして上記の生徒は、殆ど歌のメロディーをユニゾンで弾くだけ。弾くだけ、と言っても一応譜面の通りに読ませる。耳コピだけでは勉強にならない(逆に、どんなに楽譜が読めても「耳コピ」も出来るべき)、という私の主義主張。それ以外の音は私が全部弾くというアレンジ。

そしてめでたく発表会では本人は勿論、私まで楽しいステージと相成った・・・

その発表会の音源です。クリックで音は鳴ると思います。
プログラムも見つからず、出て来たら年月日を書きます。

"Can You Celebrate?”(ピアノ2台4手にアレンジ)

その1990年代の鉛筆による譜面は(伴奏が走り書きなので)2001年に楽譜入力ソフト「Finale」で一応清書した。
アーティキュレーションも強弱も書き入れることなく、パソコンに保管しておこう、ということで。
お使いになりたい方は、どうぞ下記をダウンロードなさってください。ご一報頂ければ有難いです。
今頃打ち忘れに気付く:第25小節からの16分音符2個組は「スイング」です。

"Can You Celebrate"のピアノ2台4手用アレンジ譜

風変わりな教師かもしれませんがね・・・そんな時間があったら演奏活動に充てたら良いのに!と仰る方も多かったのですが、生徒の喜ぶ顔見たさで・・・

以上、想い出話でした。

上記のリンク先、スマホでは何故か終わりの(大文字にします)</i></a>が表示されなくなり、文字列が表示されるという何ともな・・・お聴きになりたい、ご覧になりたいという場合には、大変お手数ですがパソコンでアクセスをお願い致します。

多分…スマホの謎が解けました。実験!!

音源
Can You Celebrate?(ピアノ2台4手)

楽譜
Can You Celebrate?(2台4手用アレンジ譜)

これで大丈夫のようで・・・何とも正直なスマホ!!寧ろ適当でも表示されるパソコン!!




久々の勉強会 - 2017.11.21 Tue

3月以来、我が身及び身辺の諸事に追いまくられて予定も立たず、一昨日は久々の勉強会と相成った。
日頃は1〜2ヶ月に1回を心がけ、結果2〜3ヶ月に1回のこともあるが、こんなに間が空いたことはない。

特にテーマも決めず、親睦会半分、本番を控えた方、練習中の曲を披露される方、聴講のみの方、集合。
以下、名前は伏せたプログラムを載せるに留めます。

20171119勉強会表紙 20171119勉強会P2 20171119勉強会P3のコピー 20171119勉強会P4
興味のおありの方はクリックで拡大なさってください。

私にとっては、個々への指導法を改めて考え直す良い会ともなり、来年からは再びテーマを決め、毎月行おうと思っているところです。
近況を兼ね・・・


動画で説明 - 2017.09.03 Sun

Schumannの「子供の情景」に出てくる「Ritter vom Steckenpferd」、「木馬の騎士」と訳されることの多いこの「木馬」。日本で多くの人が想像しているものとは少し違う。まさにステッキの頭が馬の頭の形をしており、これに跨って子供たちが走り回る。
と口で説明しても理解不能・・・そうだ!「胡桃割り人形」に例があるではないか!!

Ritter vom Steckenpferdの説明に換えて
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関連して「Großvatertanz」(おじいさんの踊り)
シューマンとチャイコフスキーでは演奏するテンポも曲想も違う。ひょっとすると違うルーツから来ているかもしれないが、シューマンは「Papillons」の終曲冒頭から最後までこのモチーフを使っているし、「Carnaval」の終曲でも同様。よほど気に入っていたのか、当時普通に流行していたのか・・・は調べないが・・
こういう曲です、という説明に換えて。


Großvatertanzを「くるみわり人形から」
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音大出身者にも意外と知られていない上記2点でした。
って説明にもなっていませんが、「Großvatertanz」のモチーフを生徒たちに尋ねるとシューマンが作曲したと思っている人が余りに多いので……これ以上のことは調べてくださいませ。





あなどれない漢方薬の副作用 - 2017.04.17 Mon

学んだこと。
「漢方薬だから」と軽く見て服用した自戒の念を込めて。


そもそもは、処方による漢方薬。
だるい、ひどい倦怠感、疲労、気付くとうたた寝…という日々を訴え、罹患歴として乳がんと膠原病(皮膚筋炎・多発性筋炎)をあげて受診したことで(多分)処方された「十全大補湯」。
飲むと確かに、元気満々とまでは行かないにせよ日々の諸々の作業ができる。う〜〜〜ん、もっと早く飲み始めていたなら、人生もっと充実していたかも…と思った。体力以上に頑張らねばならない何か(仕事のみならず、食事などのお付き合いのための外出)を控えている時には、1日3回しっかり服用していた。すると不思議と鼻血がタラ〜〜〜、ポタ〜〜〜・・・
風邪をひいた時には、症状によってだが「麦門冬湯」を処方された。
西洋薬が嫌いな私にはとても有難いことだった(膠原病そのものによるものや、その副作用である骨粗鬆症や高脂血症で、処方されている山ほどの薬を服用しているから)。

当時は関連があるのかどうか分からなかった……頻繁に出るようになった鼻血!!
去年の春にも耳鼻科を受診して焼いてもらった。今年も又……。

十全大補湯が関係することは薄々感じていた。2週間分を処方され、薬を切らしていると出ない気がして。
去年の時点では「原因不明の」鼻血に悩まされ、いつポタリと落ちるか分からないが故に、赤系の服や色の濃い服ばかりを着たり購入したりしていたのは何だったの!?!?・・も解明がついた。服用を再開すると鼻血だけならまだしも、原因不明の頭痛に頭の中の拍動が復活したこと。脳をスキャンしてもらった方が良いのでは?とすら思っており。



特に何か薬が増えた訳ではない…と副作用など考えなかった。漢方薬も立派な「薬」なのに。
先日漸く調べた。何か重なっている成分はないかどうかを。


★処方された医療用の十全大補湯の成分。
7.5g中、つまり1日の処方量あたり、下記の割合の混合生薬の乾燥エキス5.0gを含有、つまり 1包は下記の3分の1になる。
日局オウギ 3.0g
日局ソウジュツ 3.0g
日局ケイヒ 3.0g
日局トウキ 3.0g
日局ジオウ 3.0g
日局ニンジン 3.0g
日局シャクヤク 3.0g
日局ブクリョク 3.0g
日局センキュウ 3.0g
日局カンゾウ 1.5g

★麦門冬湯も調べた。
本品2包(4.5g)中、下記の割合の麦門冬湯エキス(1/2量)3.0gを含有します。
日局バクモンドウ 5.0g
日局コウベイ 2.5g
日局ハンゲ 2.5g
日局タイソウ 1.5g
日局カンゾウ 1.0g
日局ニンジン 1.0g

★さらに、風邪のひき始めに勝手に使って来た葛根湯も調べた。
本品2包(5.0g)中、下記の割合の葛根湯エキス(2/3量)2.5gを含有します。
日局カッコン 2.68g
日局タイソウ 2.01g
日局マオウ 2.01g
日局カンゾウ 1.34g
日局ケイヒ 1.34g
日局シャクヤク 1.34g
日局ショウキョウ 1.34g

他にも、一般的に「小青竜湯」を勧められるから調べた。
★本品2包(4.5g)中、下記の割合の小青竜湯エキス(1/2量)2.5gを含有します。
日局ハンゲ 3.0g
日局カンキョウ 1.5g
日局カンゾウ 1.5g
日局ケイヒ 1.5g
日局ゴミシ 1.5g
日局サイシン 1.5g
日局シャクヤク 1.5g
日局マオウ 1.5g


う〜〜〜ん、調べたって何のことやらチンプンカンプン。カタカナは苦手です。
でも、それぞれの生薬を調べてみないとな…

先ずは「十全大補湯」の中で、鼻血に関係あるものはないかどうか。
「鼻血」はヒットしない・・・待てよ?どうして鼻血が出るのか??
血圧が上昇したからではないか??
実際のところ最高血圧110くらいが快適な私、130や135まで上昇しても「許容範囲です。年齢相応です。」と言われて腑に落ちなかった。頭の中で拍動が聞こえることすらあった。
それで鼻血はやめて「血圧上昇」を調べた。
あった!「甘草(カンゾウ)」!

そして調べていくと、「麦門冬湯」にも「小青竜湯」にも「葛根湯」にも甘草は含まれるのでした。


ここ迄ですら、時既に遅し!!
重ねて飲んでいたのですから。



調べるきっかけとなったのは、更に先日のこと。
3月末から「後鼻漏」に悩まされ(ちょっと汚いので嫌な方はスルーで)…
もしやこれって「副鼻腔炎」?それも急性の。
喉に流れて行く鼻水というか粘液、余りに大量だと仕事中は困る。
たまたま出先で見つけて立ち寄った(家に忘れた人工涙液を買うために)ドラッグストアに「ちくないん」という売薬を見つけた。成分を見たら漢方薬…この時はまだ副作用のことは調べていないから、即刻購入。
翌日から緑色の膿のような粘液が喉に流れて口からも出す。徐々に後鼻漏は改善した。あぁ、助かった、有難いこと!
ところが、3月末〜4月初めの寒暖差の激しい日々に風邪をひいた。
売薬の葛根湯に、その日の症状で麦門冬湯や小青竜湯も重ねて飲んだ。医者に行く時間も体力もないから。「これで治れば儲けもの!!」という安易な考え。

何だか分からないが復活した「鼻血」。
いよいよ私も馬鹿のままではいられない。
何か悪い腫瘍でもあるのではないか?に始まったが、待てよ!?「ちくないん」を調べるべきでは??
成分(一般名)を「辛夷清肺湯(シンイセイハイトウ)」というらしい(これは娘婿から教わり知った。勝手に服用していないで抗菌薬を服用すべき、と指摘ももらった)。

★成分と副作用を調べた。1日量を。
シンイ 1.5g
チモ 1.5g
ビャクゴウ 1.5g
オウゴン 1.5g
サンシン 0.75g
バクモンドウ 3.0g
セッコウ 3.0g
ショウマ 0.75g
ビワヨウ 0.5g

愚かな私は副鼻腔炎用と風邪用に、(麦門冬も含まれる)辛夷清肺湯と葛根湯のみならず、日によっては「何とかしなくっちゃ」と小青竜湯や麦門冬湯を服用していたことになります。医者に行く時間も惜しい、待ち時間で疲れては練習時間が減る、というもっともらしい言い訳で。
血圧上昇が副作用にあるという「甘草」をたっぷり摂取していた!!!


こんな便利なサイトに行き着きました。
【漢方薬の副作用を知る】

同じ生薬が重ならないことに注意を促し、ちゃんと「甘草」も顕著な例として挙げられていました。
葛根湯も↓
葛根湯

甘草のみならず、麻黄にも「血圧上昇」の副作用はあるのですね。
とんでもない勝手な飲み方をしていた・・・それに加えて小青竜湯や麦門冬湯など、トンデモナイ!!!


結局先週の金曜、私は耳鼻科を受診し、前日の激しい(吹き出すような)鼻血の処置をしてもらったのでした。
出血部位はキーゼルバッハながら、いくら毛細血管とて「動脈」と「静脈」がある訳で、動脈の部分から出る時には「まるで噴水のように」出ることを指摘されたのでした。その日は昼間にも2回出て、小鼻を指でグッとつまみ、それ以外は触れないようにしていたものの、血液とて固まれば「異物」と化す訳で、夜に出た時はその固い異物ごとグッと押さえたので「いたたたたた・・」と声を上げるほど痛みました。
しかも!この愚か者は、何とかしなきゃ、明日は医者に行こう!と思いつつ、「甘草」エキスをたっぷり服用して寝たのでした。

耳鼻科では、副鼻腔炎も抗菌薬でバシッと押さえなくてはいけない、と「クラビット」の処方。
娘婿にも娘にも言われていたのに・・・結局遠回りしてしまったではないか!
「老いては子に従え」を痛感。


愚かさを暴露しつつ、「漢方薬は安全」ということはないし、「生薬配合」のCMを鵜呑みにしてはいけない、ということまでにて記しておく次第です。



久々にピアノの話 - フィンガリング - - 2016.08.25 Thu

ブログを書く習慣がすっかり消えてしまった。

たまにはピアノの話でも書きますか・・・余り溜めてしまわぬうちに。


生徒たちに「その16分音符の音群(1小節に満たない)、フィンガリングを決めてみては?」と促すと、大抵楽譜にかじり付いて決めている。
うーーーん・・・ほぼ全員ですな・・・
短い音群なので、音は覚えてしまって指を見ながら決めなくては、自分にぴったりくるフィンガリングは見つからないですよ、と指摘する。

勿論チェルニーの類は変更してはならない。「イヤな指を強化する」という目的で作られているから。

全部が白鍵ならまだしも、均等に配置されている訳ではない黒鍵が1つでも入ると事情は変わる訳で。しかもほんの8つほどの音群に第1指が3−4回入る印刷されたフィンガリングを鵜呑み…。そんなに親指好き?と嫌味を言いたくなるのをグッと堪えて、鍵盤上の手を上から観察させて決めるように指示を出す日々。隣接する指の開き具合も親指の器用度も十人十色の訳で。
特に海外のピアニストの(日本人でも)手の大きな男性が記入したフィンガリングを我々が使って美しいフレーズを弾ける訳はない。
最終的には、その人に合っているであろうフィンガリングで弾いて示しつつ提案しますが・・

フィンガリングの決め方にも各自各様の分類とも言える方法がある訳ですが、これはとてもとても長くなるので又いずれ。


広告を消す為に1通 - 2016.07.28 Thu

1ヶ月更新しないと広告が出るようになるこのブログ。
そろそろ何かを…とネタは満載なれど、気付くと眠ってばかりで、広告が出るようになってもうじき2ヶ月。
ここらで何か書いておきます。

タイトル:やっとスマホが携帯として機能するようになった

購入したのは既に2年半近く前。
きっかけは2つ。当時使っていたガラケーがスライド式で、文字を打つのにバランスを保つのが難しかったこと。もう1つは、友人がiPhoneのマイクを使って声で文字入力出来るとの実験を見せてくれたこと。これは便利だわ!!・・とその時は思った。

購入はしたものの、使うのは電話の他はデジカメ代わり。あとはひたすら音楽を聴くのみ。
何故なら、メールを送受信出来ないから!
折角夫が「今から帰る。買い物ある?」と有難いメールをくれても、届くのはこちらがメール機能を使う時。ついでに着信音が鳴って知らせてくれる。夕方のメールが翌日の昼に届くという、これでは携帯の機能をなさないではないか!!
購入した店に出向いて設定を見てもらわねば、見てもらわねば、見てもらわねば・・と思えど、電車で出向くしんどさ。
そのまま丸2年が経ってしまった。

・・・

・・・

そして気付けば地元にauショップが!!
取り敢えず、遠慮がちに見てもらった。何やら設定をして、居合わせた夫にメールを1通送ってもらった。
届いた!届いた!!即刻届く携帯メールは何年ぶり??

ところが。

帰宅して、iPhoneからプロバイダ宛やwebメールをチェックしたが最後、携帯からのメールは着信出来なくなった。
やはり購入した店に出向かねば…
そう思ったのが、この前の5月だったか6月だったか…
まとまった時間が取れないと、その類の店には行けない。しかも夕方は学生さんたちでごった返し、待ち時間も病院並というか銀行並というか、番号札を取ってひたすら待つ。

仕方がないので、購入当時入手したマニュアル本を片手に、自分で設定をあれこれいじってみた。

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書いてある通りにやってみたところ、何と!同じ携帯アドレスが2つになってしまった!!
運良く(としか表現しようがない)新しく設定した方のアドレス(同じなのに!)に届くメールは開ける。ところが、最初に設定したアドレスも残っているものだから、相変わらず「サーバに接続出来ません」の類のコメントが何度も出る
私が受信するメールは、自分宛のメッセージにも届いてしまう!EメールとCメールの両方に届くということ
メッセージに届いたメールはそこから返信可能だが、Eメールとして届いたメールからは返信出来ない謎

ピアノの生徒さんお一人が、親切にもレッスンの折にあれこれiPhoneをご指導くださって、謎は殆ど解決した。
でも、その使えなくなっている(同じ)アドレスは削除できないらしい。これがある為に、「サーバに接続出来ません」とメールの数だけ出る鬱陶しさ。


・・・と、折角メールを使えるようになったので、夫に音楽会関係のURLを何度も送れど、届かないそうで…
仕方なく、やっっっと先週だったか先々週だったか、購入したauショップに出向いた。
問題満載。ひとつずつ片付けてくれた。あぁ、いつもながら有難いプロの業!!
まず、URL付きのメールは、夫の携帯が拒否する設定にしているからだそうで…(そんな機能があることも知らない)
あれこれ質問されては答え、分からないことは質問し・・

最後の「削除」の問題は、古い方にアドレス帳(単語が違うような…)が付いているため、そのまま削除しては全部消えてしまう可能性があるとのこと。一旦ネット上にアドレス全部を保管し、それを新しく出来てしまった方のアドレスに、言われるまま落とした。そして古い方の(本来機能する筈の)アドレスを削除。
この時も、夫に同伴してもらい、即刻メールの送受を試した。

パーフェクト!!
そして今に至ります。

あぁ、この数年間、メールは「パソコンのみで送受信するもの」となっていた私。
出無精この上ない。
何という遠回りをしたことか。我流は駄目(私の頭では)と改めて知った出来事でありました。
又、無精も駄目。教訓盛り沢山。
こんなですからポケモンに夢中になる心配は全く無いのですけれどね


そして、今は携帯で送受出来るようになったのだが、「慣れれば早いわよ」と言われるフリック入力なんて出来ません!
専ら使うは、購入のきっかけであった「マイク」での入力。
言語を設定しておけば、日本語のみならずドイツ語でも英語でも喋れば文字が出てくれる!何と有難い機能!!因みに全く知らないフランス語も、挨拶レベルを試しに音声入力したら、正確な綴りで出てくれた!

やっと「日の目を見るメール機能」と相成ったのでした。

(取り敢えず送信。これで広告が消えるかな?)




昨日の続き - 2016.01.31 Sun

昨日の続き

健診と予防接種を終えて帰宅し、昼食後は1時間熟睡。
3時から中学生1人のレッスンを何とか2時間半に収め、出掛ける支度をした。
小学生の生徒が受けている某コンクールの本選へ。小学生高学年の部だが早く着いたので中学年の部から聴けた。
今の世、コンクールは私の世代では考えられないほど多くのものが存在するというのに、自ら調べない私は、情けないながら存在すら知らなかった。

とても良いコンクールと感じた。この時期に全部門自由曲で応募出来るのは、音大音高の入試や学期末の実技テストを考慮しているのかもしれない。他のコンクールのリハーサルとしても応募している子供も居るのだろう。小学生中学年の部では同じ曲が散見されていたので。大人のアマチュア部門もあり(年齢制限有り・無しの両方)、このようなコンクールは大歓迎だ。レパートリーというものは、作品を人前で弾いて初めてその中に収まるということもある。

最後の審査発表での講評もとても共感を覚えるものだった。甚だ掻い摘んで言えば、小学生も高学年になったら自分の考えが演奏に反映されるべき、それ迄は教師の言いなりや真似だったかもしれないが、この年齢になったなら自分の言葉として解釈したり、時には自分がどの様に弾きたいのか発言すべき…というような内容だった。おこがましくも更に加えさせて頂けるなら、教師がいくら小手先の見栄え聴き映えを教えても、実力以上の物は消化しきれないので、本番では活きて来ない、ということにもなる。他のコンクールでもよく見受けられること。或いは、インタープリテーションではなく過剰な身体や腕の動きでのパーフォーマンスとなることも。
今回の生徒にも講評内容は当て嵌まったが、自ら弾きたいとせがんで選んだシューマンのABEGG変奏曲。弾きたかっただけあって日を追って可成りのレベルで仕上がったと思う。けれども如何せんシューマンはシューマン。要求されるオイゼビウスとフロレスタンの弾き分けは、どんなテンポであろうともコロコロと変化して出てくる訳で、大人でも弾けない人は弾けないという作曲家。技術的にも流石にピアニストだったシューマン。いくらOp.1でも難所が突然出る。
練習過程では、映画の「愛の調べ」その他のDVDを貸したり、親子で楽しんで頂いた。
以前パピヨンの時もそうだったが、シューマンはまだ真似から入ってもらう年齢。ABEGGはレッスンでは何とかそれらしくなる。けれども、私の年齢が感じることは小学生にはその時要求に応じることが出来ても人前は正直。出来ずとも当然のこと。余り曲想に集中するとミスタッチも起きる。そしてミスに気が行く。いつも「過ぎたミスは考えないこと。その場所だけに集中すること」と言っているが、そうも行かなかったのは難曲過ぎたが故。コンクールとしては充分なテクニックを持っている筈が、選曲が故に惜しいほど小さな事故散見。最後のイメージトレーニングが欠けたかもしれない。
それも良い経験となったと思う。成績としては第2位を頂けた。数年経って弾いたなら、又違う面を発揮出来る筈。
身贔屓ながら弾いている表情も良く、とても(泣くほど)緊張していたとは思えない。センスも良い。それは良い指導を受けているバレエで培われたものもありましょうし、生まれ持ったものと環境によるもの、そして本人の努力とで活かされたと思う。演奏は、良い振付と音楽を使ったフィギュアスケートのようでもあった。-----以上は親馬鹿ならぬ教師馬鹿。
今後は1に基礎、2にも基礎、3,4がなくて5にも基礎・・・とまでは言わないが、それに近く・・

他の受験者のことは触れない。


勉強会 - 2015.05.23 Sat

(記載は31日)

今回は2組に分けておこなった。もう一組は6月。

メインは、コンチェルトやオペラアリア等、原曲がオーケストラとの共演の場合、ソロパートの合間のTuttiや間奏をピアノで弾くと、甚だしょぼくれて聞こえてしまう点の改善策。つまり10本しかない指で(版にもよるが)最低限の音を正直に奏すケースの多さ。勿論本番がオーケストラで、それに備えた練習の場合は構わないのだが、発表会など「演奏会」としてオケパートをピアノで弾く場合には逆に音を増やさないと、折角ソロが華々しくオケに引き継いでもそのオケパートがショボンとしてしまう。
特にピアノコンチェルトの場合は、2台なので余計に目立つ。
今回はシューマンを扱っているのだが、いきなりそれでは難しかろう…という訳で、音の数も少ないテンポもゆったりした原曲を書き取る「ソルフェージュ」と「スコアリーディング」の両面から迫ってみた。その後シューマンのピアノコンチェルトのごくごく一部。

ピアノ教師が多いので、発表会などに活用して頂きたいと思う次第。
詳しくはいずれ「別館」サイトに記します。

2組に分けても2時から・・・6時半過ぎだか7時近くまでだか・・
皆さんお疲れと思いつつ、「やってしまえ!!」と妥協出来るところまで扱った…今後はある程度納得出来るまで続けるつもりです。

新しい和声の教科書 - 2015.05.11 Mon

藝高や藝大で使う和声の教科書が新しいものになった、それも難解な、と小耳に挟み、ネットで購入した。

パラパラ捲って、目に留まったところだけを斜め読みした段階、まだ問題を解いてみたわけでもないが、うん、これは難しい人には難しいだろう、と思った。でもこの新しい教科書を指導を受けながら学ぶなら、従来の3冊や黄色の分厚い1冊より要領良く学べるかもしれない。でも、あくまでもある程度の従来の知識あってのこと。
通奏低音を扱う楽器奏者にはうってつけの参考書と思う。

ヨーロッパより可成り遅れた(寧ろ禁じられていた時期もある)西洋の音楽教育。日本は「絶対音感」を付けることだけに躍起になり「相対音感」教育を疎かにしたので、あの繁雑なローマ数字による和声記号が必要になったのではないか?と常に思ってきた。それもドイツ古典派やロマン派の和声を考えるには便利な。近現代には通用しにくい。物によっては全く使えない。
讃美歌の四声体と共に育った人は、色々なきまり(並行5度とか並達8度などの禁止事項など)は耳と手が記憶していて、あの従来の教科書も苦ではなかったと思う。

その新しい教科書は、相対音感を持ち合わせていれば特に問題はないのではないだろうか。勿論絶対音感があることは前提で、書かれた和音が頭の中で鳴らなければ何も出来ないが。
至るところに「移調奏をおこないなさい」という課題があることに、「そうそう、こういう課題付き教科書が欲しかったのよ!!」と思った。
特に、「移調」のみならず「移旋」と「異旋」があり(教会旋法を含むから)、これは慣れるのに時間がかかりそう。


ただ、今から藝大を受験する人ならともかく…従来のローマ数字による和声記号も使い慣れてしまえば悪くもない。これから学ぶ人には回り道の気もするけれど。私自身は、この年齢になって改めて「新しい和声」を読むことは優先順位から外れている。必要に迫られる機会もないだろうし、何より老眼用の眼鏡をかけても肝心の数字が小さすぎ。
でも、「フォーレ終止」という進行、又それによる和声連結を「全調で移調奏しなさい」とか、食指が動くのも否めない。


人それぞれ、使う教材は違って構わないのではないか?
近年私のところに新しく来た生徒たちの中には(音大を出ているというのに)、「○調のカデンツを弾いて」と言って全く弾けない人も居て、そういう人たちには無縁すぎる教科書、と割り切って構わなさそう・・・・・
全くもう……大学は何を教えていたのか!?どうして卒業させたのか!?私大が故、月謝も高かったろうに



ピアノの修理 - 2014.09.25 Thu

レッスン用のピアノ2台は7月末に調律をしてもらってあった。
中身がベーゼンドルファーの部品のヤマハ、最近ばらつきが多く困っていたところ、それに関しては日を改め、鍵盤の深さを揃えたり、中の動きのばらつきなど、一日かけて行いましょう、と調律師のK谷さんから提案を頂いていた。

空気も乾燥してきたことだし時間的にも余裕が出来(ピアノの部屋の!)、連絡を取ってみたところ、偶々他の仕事を朝9時に終え(!?)、そのままいらして下さるとおっしゃる。お言葉に甘えた。24日の朝10時から夜までかけて、鍵盤の深さのばらつきを均等にし、その他常時鳴っている共鳴や問題点に片っ端から取り掛かってくださった。
けれども充分ではないから、と翌25日も3時までの仕事の後いらしてくださり、更にゼロコンマミリメートル単位で深さを揃え、共鳴も蝶番という蝶番全てを外し(長いものは1.5メートル)、その他の金属部分も含め、原因究明&修理をしてくださった。
気持ち良いほど整った。
普通なら「消耗品ですから」で片付けられてしまうであろう全てに莫大な時間をかけて(そして申し訳ないほどの謝礼で)修理をしてくださった。

このピアノ、音が気に入っているので、まだまだ使いたい。
昭和30年代のヤマハなので何と言っても木材が良かった時代!
レンナーのハンマーも、随分削ってから整音してくださったようだ。

このような技師さんとの出逢いに心から感謝!!
私もピアノを教える立場で時間を惜しまずに過ごしているが、最近3−4時間を過ぎると余りに疲れが残り……年齢と持病には勝てないが、かくありたいと改めて思った2日間だった。


今月二組目の勉強会 - 2014.06.21 Sat

(24日記載)

内容は8日に行った勉強会と同じく、「本番を控えた曲」「ワルツのペダリング」「バランス」「練習中の曲の披露」。
二組目、とはメンバーを二組に分けただけです。
今回は人数も曲数も少なかったのですが、「バランス・その1:ユニゾン」が可成り充実出来ました。
活発な発言と意見に感想、とても嬉しいことでした。
8日のプリントに4曲を増やし、合計17曲(モーツァルト、ベートーヴェン、シューベルト、シューマン、ドビュッシーなどのユニゾン部分)から約半分を使い、私が二通り乃至三通りのバランスで弾き、聞こえ方の違いを述べて頂く。そしてどれが自分の耳には心地良いか、感想を頂く。
ここでの説明は、音を伴わないことには不可能・無意味なので割愛。

今まで何気なく聞いていた演奏会や、自分の練習、今後は具体的に耳を傾けて活かせる、楽しかった、と言われたので甚だ嬉しかったです。
ただ、私自身が一番好ましく感じるものが自然に聞こえてしまうのは致し方なく…次回は読まれぬよう事前練習が必要かもしれない…

あっという間の4時間半でした。

長くなった勉強会 - 2014.06.08 Sun

毎月、と思うのが、このところ隔月になっている勉強会。
二組に分けて行うのが恒例となった。

今回は「練習中の曲の披露」をメイン。
本番を控えている人は勿論。
それに関してのレジュメに記載;
今月のメインは「人前での演奏」です。
曲を仕上げる一番の近道は、周知の通り何度でも人前で張り詰めた状態で弾くことです。特に聴衆の前に出す曲ではなくとも、1回は弾いておく。折角譜読みをして練習しても、放置すれば直ぐに忘れます。本に執拗に書いた通りですが、人前で1回弾いて漠然と記憶する。3回弾けば問題点が具体的に見えてくる。4回以上弾くとあがっても弾ける状態、聴衆の反応で音色の変化を楽しめる状態に近付きます。その他「回数」に入れずとも、家族を掴まえて「座っているだけでよいから」と、頻繁に聴いていてもらうだけでも違ってきます。


他は「ミニ・レクチャー」として、「バランス・その1:ユニゾン」
バランス・その1としたのは、今回はユニゾンで、次回は和音のバランスにするか、メロディと伴奏のバランスにするか、いずれにせよメロディとバスのバランス、輪郭の描き方に行き着くので。
詳細は、まだもう一組が月末なのでいずれ又。

そして相も変わらず昨年秋に取り掛かって、未だに扱っている「ワルツのペダリング」。
著書の譜例には12種類しか載せられなかったが、本来は20種類をも超える。いや、もっとか??
1拍目はバス音と同時に踏んでも、その小節内には「レガートペダル」「リズムペダル」「ふわっと離す」「微妙な休符」などが混在する訳で、場合の数的に数えたらどうなるか…気が遠のくので12種類でやめたのだ。

今回も二組に分けがが、何故か一組目が人数も曲数も多くなってしまった。
3時開始で終えたのが8時半・・・
皆さん、充実していた、と満足してくださるので、つい盛り沢山になるが、消化不良にならねばよいが・・
尤ももう一組は人数も曲数も少ないので、何とか夕餉時までには終わるだろう。

何を練習するか - 2014.05.15 Thu

又、話が前後する。
数日前、テレビで元メジャーリーガーの石井一久氏がインタビューに答えていた。
私の日々お馴染み「テレビの前のうたた寝」でうっすら目覚めた時に話していたことなので、何の番組だったのか、スポーツ関係なのか、それは全く知らず(いや、知りたい!)、話していた一瞬の内容だけインプットされて又眠ってしまったのだが・・・

その一瞬耳にした内容は、日本のプロ野球では午前から夜までしっかり練習スケジュールが決まっているが、アメリカでは決められた練習は昼の12時に終わり、あとは各自が考えて練習をする(という言葉だったかどうかは忘れてしまったが)とのことだった。
何故その話題となったのか、眠っていた私としては分からないのだけど。
ただ、あぁ、何の練習に於いても同じだ!と一瞬思ったことだけ覚えている。

野球だって突然プロになる訳ではなく、趣味だったり、小学生のチームだったり、高校野球、その他、それ以前の「練習」はある。最初は、コーチ・監督に強いられて決められたスケジュールをこなすだろう。その指導が正しく、一人ずつの弱点補強がなされ、そういうレベルの間も練習時間の長短に関係なく如何に充実しているか、ということにかかってくると思う。いくら長時間練習をしても、マイナス方向に進んでいてはゼロ地点に戻るだけでも、来た道の何倍もかかるわけで。
楽器演奏も同じ。
基礎段階では間違った方向や無駄な時間は避けるべきだし、正しく指導する、寧ろそれ以前のレベルで弱点補強をし、あとは楽器奏者の人数だけ練習方法は違う筈だし、常に自分で考えてメニューを作るべきだろう。

・・・と思いながら、又眠ってしまった。

先月だったか…余りに考えていない生徒たちの多さに(現在のみならず数十年遡って感じてきたこと)、「症状・原因・処方箋」というほんの一例をプリントし、更に練習メニューの例を(時間がなかったので)6つだけ書いて彼らに配った。
配ったのは良いが、何を思ったか、自分をどれかに当て嵌めなければならない、と捉えた人も少なくないのは、私の書き方が悪かったのかもしれない・・・(約8割がピアノの教師をしている訳で)忙しい合間のワンセットとも言えるものを、それぞれが考えるべし、といったほんの数例。100人居たら100通りある筈だし、その1人ずつすらも時期によって組合せを替えて行くべきだと思うので実際には1000通り、10000通り、いや、もっとか…。
我が生徒たちは世の中全体の縮図だと思ったので、サイト別館の第V章にもアップしておいた。
当初は著書の補いでサイトを作り始めたのだが、補いは無限に出てくることを痛感。

そんなこんなで、眠っていても耳は必要なことだけキャッチするらしい・・・


それ以前に私自身、練習らしい練習から離れて7年以上経つ。
3年前には両足第5趾骨折から手を捻り(=自転車の急ブレーキが足で補えずに手を捻った)、届かなくなってしまったオクターブ。それを好機と捉え、ブルクミュラー25の練習曲集とチェルニー30番練習曲集全曲をCDに収めた次第。これは子供時代からの夢や考えのひとつ、易しいブルクミュラーを美しく弾く、30番練習曲集でも必要なテンポと曲想で弾くべき、ということの実践となった。

けれどもオクターブも何とか掴めるまで回復したので、本当に本腰を入れて練習を再開しないと…あとは何歳まで何を弾けるか、という年齢との競争だからなぁ。
こういう時、本来の私は「テクニックごとに分類した練習曲をやみくもにさらう」なのだが、今は体力皆無。
私こそ新しいメニューを考えませんと!!「何を」「どのように」・・

今度は教師馬鹿 - 2013.12.22 Sun

教会の昼食会で時間切れに。
予定していることがあったので祝会途中で失礼した。
夫が今日は運転して(大きな車で)移動を手伝ってくれたので助かった。
充分次の予定にも間に合った。

予定は、生徒の1人(目下唯一、全くの初歩を5歳から教えた小学4年生)の演奏を聴くこと。
私もかつて通った某音大附属の「子供のための音楽教室」だが、今年の春から彼女はその「分室」にソルフェージュだけを習いに通い始めた。実技も年に1回「発表会」で披露する、それも大学の大教室(寧ろホール)。
曲は、モーツァルトのソナタKV330の第一楽章を選んだ。
我が生徒たちの勉強会でも2回ほどリハーサルをし、それは年齢としてそこそこ充分なのだが(美しく弾くには、本当に隠れ業満載の難曲です)、その後も私自身の本に書いたような本番前の練習方法をじっくり行い(お母さまのご協力に感謝です!)、最後のレッスンでは部屋の灯りを全部消して暗闇で弾く。音を聴くためにです。視覚なしで「聴覚」と「タッチ」だけで心や心象風景を表現する練習。あまり突っ込んで出来なかったが、こういう練習方法も時には必要、ということで。何故なら、鍵盤を見つめて弾いていると、あたかも鍵盤から音が鳴っているような錯覚に陥るから。空間に耳を向けて楽しんで弾きたい…。

私は、褒めても大抵その後で「だけどね…」と次の課題をコメントしてしまうのだが、今日の彼女は手放しで褒め言葉を惜しまない演奏をした。楽しかったそうだ。勉強会から1年分進歩した気がする。
それだけに、今後の進め方を私が悩む。コンクールを良い意味で経験出来ればよいのだが、…あと半年乃至1年は「人前で弾いて楽しい」という経験で満たすか…或いは多少の(良い意味での)競争心を植え付けるか…。それとも、経歴はまだ無いが、ミニリサイタルを開いてレパートリーを広げ、それらを「楽しかった」という経験で満たすか。

ペダリング(又しても) - 2013.11.17 Sun

勉強会
結局誰の作品を演奏するにしても「ペダリング」がネックとなる。

前回は「前期古典派」をメインにしたが終わらなかった(私の中では)。
「ピアノと向きあう」の中で、ドビュッシーの「雨の庭」を例に使い、ペダルの深さを数字化させてみたが、これは何も印象派に限ったことではない。モーツァルトの、当時は無かったにせよ(無かったからこそ)、現代のピアノで演奏するには「繋げたい」と思う2音間を、ほんの浅く短く踏むことで繋げることが出来る、また豊かに響かせたい数音の間を「遊びの深さ」を過ぎた僅かな浅さでぼかすことも出来る、バスを残すのに何気なく使う(使っているはずの)フィンガーペダルなど・・・
問題は「深さ(浅さ)」と「ふわっと上げる(寧ろペダルに押し上げられるように離す)」がメイン。フワッと上げておけば次のタクトで同時に踏む効果も生じるわけで。「底まで踏む」か「全く踏まない」かの黒か白かではない。
全て耳との連動なのだが…。


今回は舞曲に移る。それも日本人には苦手意識がある、と言われる3拍子のペダリングで始めた。
それ以前に、バイエル80番以降100番まで中から3拍子の曲をピックアップし、先ずはワルツのリズムを感じながら全員に弾いて頂く。
それとは独立して、「ピアノと向きあう」第171ページの①から⑫のペダリングを実践。
1人ずつ・・・最後に行くにつれて、音は替えてみる。

この後、本来はバイエルに戻り、テンポ表示は無視した自由な発想で「3拍子の作品」としてペダルを付けて皆さんに試演して頂く筈だった。ショパンのOp.18の本に載せた部分は扱う筈だった。
が、この時点で…何時間経っていたやら??
宿題とした。
加えて(これを書いているのは11月23日)、後日、ショパンのワルツ cis-moll Op.64/2 も宿題とした。
最初に「本番を控えている方々」の演奏は毎度お馴染みで、その中のワルツのリズムも同様。

モーツァルトのKV448がなかなか進まない。
「アンサンブル以前の事項」が多いので、まずはやはり個人レッスンだろう・・・
ということで、この日は小4のお嬢ちゃんに手伝ってもらって、第3楽章のペダリングの説明をした後、私と演奏。
全員に(一部であっても)弾いて頂く、という予定していた時間は無くなった。

ドビュッシーの「版画」や、ベートーヴェンの「ヴァルトシュタイン」第3楽章もメインの部分だけ駆け足にて。

この一週間は(も)諸事の合間をぬって譜例作成。
何気なく私が踏んでいる足を、具体的に数通りに記すのも可成り至難の業。レッスン時には行っていることだが、資料として二桁名に配布するとなると、何通りか考えるべき。趣味の違いを考慮するから。
切り貼りして裏表コピーをするなど・・
いずれにせよ音源がないと説明は難しく、勉強会を説明と試演の場に充てている。

これらは又【別館】にでも・・

2時から始めて、強引に7時には切り上げた。

やはり二組に分けないと無理があるかもしれない・・・


(11月23日・記載)


思うこと - 2013.11.15 Fri

読めない人には読めるように指導しよう。
指が動かない人には動くように協力しよう。

でも・・・これって・・・

音大を出た人、それも専門楽器の科を出た人は、在学中に大学から教わるべきことでは?いや、入学前に教わるべきことでは??
と、日々思う。
入学させた以上、教えて卒業させるべきなのでは?
出来ない人を卒業させる?
このことへの疑問が慣れっこになってしまっている怖ろしさ!今さら深く考えることもなかった怖ろしさ!!…けれども…
ピアノを始めて数年目の子供でも譜面だけなら弾けるような曲を、ピアノ科を出た人に手取り足取り何時間もかけて譜読み(音拾い)に付き合ってしまう私は、単なる過保護…
彼らは一体どれだけの大枚をはたいて私大を卒業したのだろう?それも大抵親が負担する訳で。


しかも・・・


私自身の演奏活動は何処へ行った??と感じる昨今。
いや、時間は自分で作るもの、という声も聞こえる気がするが、最近のこの倦怠感たるや…




いや、教えて欲しい、と言われれば教えますよ。
ただ、大学のあり方はこれで良いのだろうか?




私自身は、どんな生徒であっても(大人の場合には)教えているうちに「生徒自身の進歩や喜び」「演奏への興味や質問」がいつの間にか私の喜びにもなってしまっているのですが・・・それが正しいか否かは判断出来ないことです。


祈りつつ考える・・


(11月23日・勤労感謝の日、毒舌を記載)


ペダリング - 2013.10.27 Sun

勉強会。
文章では分からない「ペダリング」をテーマに。
特に古典派、それも前期古典派(ハイドンやモーツァルト)はペダルの存在しなかった楽器、あったとしても全く違う操作なので、現代のピアノで如何に調和の取れた扱い(主に繋ぎのための浅い踏み方、及び響かせたい箇所を浅く、或いは短く踏む、など)をするか。後期古典派であっても、今の楽器には程遠いフォルテピアノのペダル。勿論効果も薄いが、膝でレバーを押し上げるタイプの楽器だった頃、こまめに踏み換えることは現代のピアノとは比較にならぬほど不可能な時代。それを現代のピアノでどう扱うか、など。
つまり「歴史として無視は出来ない」けれども「現代の楽器の利点をフルに使って作曲家の意図を表現する手段」に行き着く。
難しいのはその先。
膨大な資料を作ってはみたけれど、やはり足指の観察に始まるし、まずは心を手の指でどう表現したいか…足の所為で不可能となれば勿体ない。ヴィヴラートペダルなどを使える為にも足の第1指で踏むこと、足指の付け根がガクガクしないこと。鍵盤を操作する手の指と全く同じことが言える。
資料は持ち帰って参考資料にしてもらえれば、と思うし、質問が飛び交うのが何とも嬉しい。
皆さん和気藹々とピアノを通じてのコミュニケーションも嬉しい。

2時から7時頃までかかり(休憩も取らなかった)皆さんお疲れだろうなぁ、と終わって思う。
心配性の私なので、小4のお嬢ちゃんを、立川に住む生徒さんが自宅まで送り届けてくださった。感謝。後で思えば、近いのだから私が車で送り届けることも出来たのだ(でも、疲れていて運転が怪しくては本末転倒かもなぁ…)

予定は未定の進行で、次回はモーツァルト(2台)の第3楽章をメインに考えていたけれど、時間の半分はそれを使ってのペダルの工夫にするか…と、常に皆さんの様子次第で良く言えば臨機応変、悪く言えば予定通りに進めない人。まぁ、アットホームにその都度皆さんの必要とすることを扱えばよい、という方針・・・

(10月29日・記載)

準備 - 2013.10.26 Sat

「勉強会」の準備として、前期古典派と後期古典派から、ハイドン、モーツァルト、そしてベートーヴェン。
当時の様々な楽器を考慮しつつも現代の楽器を生かして演奏する、そのための相応しいペダリングがテーマ…
繋ぎのためにほんの上からミリ単位で浅く短く踏むペダリング。音符をふわりと離す為に足もふわりと(押し上げられるように)離すペダリング。音量・響きのための深いペダルの長さ。徐々に深くしていくペダリング。その他…フィンガーペダルもだ。

譜例を作っていたら(楽譜の)ページ数にして18ページになってしまった。
鉛筆書きをしたのだが、コピーをしたら筆圧によって濃淡が出来、ボールペンで上から書き、鉛筆書きは消して再度コピー。これらを2枚ずつ並べてコピーをした大元を作り、それらを裏表コピーにして・・・いつの間にか夕方になってしまった。
他に配布プリント(レジュメとしての)もあるのに。

課題は古典派だけではない。

何もここまでしなくとも、と自分でも思う。
でも、本が誤解を招くままの存在となっては勿体ないので、と何ヶ月も前から一度やらなくては、と気にしていたことなので作成してしまう情けなさ…。

あとは明日だ・・と、24時間やっていた「Tom & Jerry」の残り少々を見て寛ぎ、今日はおしまい。

明日の生徒たちはソックス持参。足指でペダルを踏む確認、互いの観察のためにスリッパは脱いで頂く。
もう冷え冷えする季節になり、それで……


『大ピアニストは語る』 - 2013.09.19 Thu

本当に貴重な本なのです。
250ページ以上に小さな文字でびっしり記載された、「大ピアニストは語る」(原田光子訳)。
絶版になっている様ですが、ネットで検索すると、Amazonのユーズド商品や、別なオークションで求められるようです。
我が家にも「貸し出し用」として複数冊があるはず・・

これらが書かれた時代ですら・・・と思います。現代はこれだけレベルアップした時代ですので、この本に書かれていることは、特に専門に進まれる、或いは進まれた方々のみならず、アマチュアであっても可成りのレベルを目標とする場合には当然の事とすら感じます。でも、常に読み返して反芻すべき内容であることも事実です。

因みにこの本は、戦後に音楽雑誌に連載されたものを後に一冊に纏められて出版されたものです。(※訂正へ)
私の母は旧字体の漢字で書かれたものを持っていました。
そうとは知らない私は、大学時代に、当時東京創元社から新しく出版されなおされたものを、たまたま購入しました。
繰り返し繰り返し読んだ大学時代でした。
恩師たちからは特に具体的な指導を受けたことがなく、この本を読んでは(ある部分は暗記するほど)自分の練習に生かしたものでした。

翻訳者の原田光子さんは30代で亡くなられ、約3年半の間に多くの著作物を出版された方です。

※訂正
野村光一氏のあとがきに代わる「解説」から、ほんの終わりの部分を少し引用して訂正します(昭和44年1月のものです);
 今度「ミュージックライブラリー」に収められた「大ピアニストは語る」は、かつて一度雑誌「レコード音楽」に掲載されたが、それが後に一纏めにされて昭和十七年三月に出版されたものである。
 しかも、その際、これを一冊の書物に纏めることを原田さんに勧めたのがわたしだったので、さらに後年彼女の死後「創元文庫」に納められた時、その因縁から、文庫本の巻末に解説する役目を仰せつかるることになったのである。昭和二十八年七月のことであった。
 しかるに今般この書が東京創元新社の新しい音楽叢書の一冊として再発行されることになったので、また右の解説をほとんどそのまま転用することにした。まったく因縁浅からずというものである。(後略)



その本の存在を、我が生徒たちにも知らせよう、と2005年夏に行った勉強会のレジュメに、ほんの少しの抜粋を書きました。

著作権がどうなるか、ネットに披露してよいものかどうかは全く分からないのですが、是非多くの方々に知って欲しいと思う本なので、ふと思い出して、まだ9ヴァージョンだったパソコンの中を探してみました。
ありました。


2005年7月31日のレジュメより

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【過去の巨匠たちの言葉】

私が口を酸っぱくして言っても、なかなか効き目がありませんので、畏れ多くも巨匠達の言葉を借りる事に致します。
但し、ある人には当てはまっても、別な人は考慮に入れない方が良い、という一見すると相異なることの様に、全く正反対の事の様に思われる(誤解される)内容もありますので、今日は、間違いなく誰にでも読んで頂きたいほんの数箇所に留めます。
折に触れて、少しずつ紹介して行きたいと思います。

注:この書物の中で「学生」と訳されている単語は、おそらく原著では「Studierende」の様な単語、すなわち「学習者」という様に書かれているのではないか、と私は推測しています。

☆エミール・フォン・ザウアー
「テクニックについての話」(生まれつき個人差がある事もかなり書いているのではありますが、共通する部分。)
* テクニックが進んでくれば音階やアルペジオやチェルニーなどの練習曲を必要としない段階に到達する。わたしはもう何年もそれらの練習をしない。しかし何卒わたしがテクニックの練習なしでゆこうとしているのでは思わないでほしい。私は有名な傑作作品中の困難な箇所を取りだして、何度も何度も繰り返して練習している。
* 演奏会ピアニストには忍耐が必要である。指は鋼鉄のごとく強靱で、同時に柳の枝のごとき柔軟さがなければならない。わたしは力を養成する上に「クライネ・ピシュナー」と「ピシュナー練習曲」の効果を信じている。演奏の速度は力の有無より、指の自然な弾力に関係する。


☆フェルッチョ・ブゾーニ
「細部の磨きの重要性についての話」
わたしは数年前にすばらしい色彩のステンド硝子の製作家として謳われていた、ある有名な芸術家に逢ったことがあった。この人は同時代の人々からステンド硝子の製作者としては世界の第一人者として認められていて(中略)、彼は言う。「芸術的に真の傑作品といわれているステンドグラスが、もし過ってこなごなに破壊されたとしても、残された唯一の小さな破片をよく検討することによって、ありし日のその窓全体を充分に評価することが可能である」
すぐれたピアノの演奏においては、すべての細かい部分がきわめて重要である。

「音を聞くことの重要性について」
大部分の学生があまり注意を払わないことで、音楽修業上の進歩の成果がひとえにかかっている、とまで強調したい、非常に重大なことがある。それは音をよく聞くことの必要ということである。練習中の一音たりとも聞き逃すべからず。すなわち自らの演奏する音に適当した知的な分析が行えるように、耳をよく開いて聞くことである。(中略)わたしの演奏会で、わたし以上に集中してよく聞いている人は聴衆の中には一人もない。わたしはすべての音を聞き漏らすまじと努力し、演奏中のわたしの全神経は作曲家の要求とわたしの解釈の指示するところに従って、ただ一点に集中されているので、他のことは一切意識しない。またわたしは演奏を進歩させる機会のために、心を終始緊張させていなくてはならぬことを学んだ。新しい表現の美を求めているので、公開の席上での演奏中にさえ、まるで天からの啓示のごとく閃いて、ふと新しい細部表現の手法を思い付くことが可能なのである。


☆アルトゥール・ルービンシュタイン
ピアノの修業には二つの道がある。最善の道は、いうところのピアニズムを忘れて、演奏する音楽の神髄に徹し、自らの音楽の思惟の充分な表現を発見し、他人に喜びを与えようと試みることである。もう一つの手がかりは別に珍しいものではないが、ピアニスティックな諸効果——すなわち絢爛さや速度やその他——が、音楽そのものが単にその演奏者の能力を示す手段に至る点にまで集中することである。だから学習の第一歩は、まず己がなにを成就しようとしているのか確かめることが必要なのである。


☆ロベール・カサドジュ
速度と力強さの獲得は、それ自身はまったく非音楽的なことではあるが、結果として音楽を作ることに導かれる。それは完全に体操的で機械的なものであるから、そのために音楽とは別に、はなれて接近すべきものである。わたしはすぐれた作品の技巧的に困難な楽句を選び出して、これを練習することによって技術訓練をすることを支持しない者である。学生は彼の知識を楽曲のいかなる表現にも適応する前に、まず作品全体としての技術の熟達を獲得すべきである。たとえばショパンの嬰ト短調の練習曲を、単なる三度音程の演奏を熟達するための練習曲として用いることは間違いである。その過程は逆にしなくてはならない。この練習曲を試みる前に学生は、まず長年の間、三度音程の問題すべてを各調子にわたって、あらゆるリズムで熟練しなくてはならない。


☆イグナーツ・ヤン・パデレフスキー
ピアノの前に座って、傑作品の美しさに弾き耽るのはたのしい。しかしそれらが指使い、ペダルの使用法、フレージング、タッチ、音響効果などの、正確な細部の組織的研究になると、これは努力である。努力以外のなにものもない。この点に関しては強調しすぎるということはない。

本式に進歩をしたい学生は、毎日の練習になんらかの一定の方法を持たねばならぬということである。進歩するためには、計画と工夫と目的を持たねばならない。悪い計画はない方がよい。


☆オシップ・ガヴリロヴィッチ
タッチこそは、ある演奏家の音楽を他人のとはまったく区別して特徴づけるものであり、演奏者の音質やダイナミックな色彩を生む手段を支配するものである。わたしは多くの権威ある人々が、音質は演奏家にではなくて、楽器の質によると信じ満足していることを知っている。しかしわたしは屏風をへだてた多くのピアニストが次々同じ楽器を演奏するのを聞き、その中にわたしの友人ハロルド・バウアーがいたとしたら、私は彼独特のタッチによって、ただちに彼を聞きあてることができることを確信する理由を持っている。事実、よく訓練された耳は、あたかも多くの人々の声の質を聞きわけるのと同様の正確さをもって、演奏のタッチによって個性を識別できるものである。

指のみで演奏されると、非常に乾いた硬い音がするものである。腕によるタッチ、すなわち肩から腕そして指先まで、完全に力を抜いた状態をわたしは演奏中ほとんどつねに用いている。わたしの用いるタッチはおのおのの指、手、および腕のタッチを総合したものである。これは数限りなき結果を演奏の上に生むもので、ただ経験のある演奏家のみが、その希望する効果をどこに適応させるか判断できるのである。

まだまだ書き写したい部分は沢山あるのですが、短い時間にてここらで限界・・・
***********************************


その他にも思い出して開いてみたページは沢山あります。例えば…

☆マーク・ハンブルクの中より…

生徒たちの集まりで、競争意識が高まり、気のよいしたしさから口がほどける時には、真に貴重な批評が必ず受け入れられるものである。しかしながらピアニストにとって、いわゆる友人の前での演奏は、ほとんど無益である。お世辞はなにものにも増して、正直な努力を破壊するだけのものである。
善意ある批評は、単に実のない称讃や、また愚かなきず探しから、容易に識別できるものである。
(中略)
演奏家にとって、もっとも欠くべからざる徳性はなにかといわれれば、わたしは「誠実さ」といいたい。もし芸術家が誠実でなければ、その人は見世物師以上に出ない。聴衆は芸術家に誠実さを期待する権利を持っている。もし芸術家が公衆の甘言に陥って、単に金儲けのために演奏するならば、長い間には必ず苦しむようになるであろう。


*****************************

今は以上。
「生徒たちの集まり」と書いてあるから、と生徒たちだけに読んで欲しい、と書き写した訳ではありません。
日頃から教師と生徒であっても、ピアニスト同士てあっても、或いは先輩後輩の関係であっても、どのような間柄でも真摯な発言をするように心掛けています。(日常の冗談混じりの雑談は別として)

最近は「飴と鞭の使い分け」が重んじられ(特に飴を重んじ)、「褒めて育てる」傾向になりましたが…。


基礎の方向の重要性 - 2013.07.31 Wed

最近「基礎の重要性」のようなことにばかり触れていたところ、以心伝心か、娘がブログにピアノのことを書いていました。

許可を得たのでコピペします。

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ピアノを習っていたのは幼少の頃のことで、
やれ受験勉強だ何だと言い訳に本格的にはやらなかった。
けれど母がピアニストなのでいつでも習える環境にもあり、
無論ピアノも家に何台もあるのでいつでも触ることが出来た。
中学受験の自宅学習の際は勉強部屋ではなくピアノの横で机に向かった。
母の練習する音が心地よく集中出来た。


最後に発表会に出たのは中学生で、以降はきちんと練習しなくなった。
けれど高校で軽音部に入り、弾き語りをすることになったのでピアノを借りた。
折しも母が大病で入院してしまっており、主人の居ないピアノもまんざらでもなかったのではないか。
教えてくれる人は居なかったが幼い頃の記憶もあれば、母の練習も観察してきた。
指のトレーニングから始まり、課題曲は録音して何度も自分の演奏を聞き返した。
楽譜は弾き方や注意のメモでかなりいっぱいになった。
たかだか高校の文化祭でも真剣だった。


それからもちょこちょこ弾き語りの曲を練習することはあったが、徐々に離れた。
だが生活のリズムが整い、時間も出来て、またピアノに触れたいと思うようになった。
何か弾きたい曲があるというより、単にピアノとの時間を持ちたかった。
元々握力も余り無いので、久々に鍵盤に乗った指はよろよろと心許ない。
幼稚園から使っていたトレーニング用の楽譜を開くと、母の書いてくれたメモで埋まっていた。
練習曲は10年前に一度弾いた曲にした。
身体が少し覚えていて譜読みが比較的楽だからだ。


ピアノとの対話。
努力すれば音色は裏切らない。
指先の紡ぐ心地よい音が身も心も包んでくれる。
音に集中出来るので、日常の様々な問題からも一旦距離を置ける。


趣味で演奏する音楽は最高の贅沢だと思う。
全力の遊び。
求めれば与えられるのだと、教えてくれる。

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以上です。
娘に「教師」としてきちんと教えたのは幼稚園年中の秋から、小1の秋まででした。物理的に、本人の眠っている深夜にならないとピアノが空かない、という事情からです。
小1の時、尊敬する井内澄子先生の公開レッスンに出させて頂き、お褒めの言葉を頂戴したことを懐かしく思い出します。(J.S.バッハのKleine PräludienよりBWV 927とBWV 935)

それは兎も角…



指の練習を30分ほどして、曲は記憶出来る長さに区切って片手ずつ譜読みをし、両手で弾き…の延長で1曲があっと言う間に仕上がり、自分の趣味としての曲を再度楽しみ始めた様子。
ゼロ地点からプラス方向にのみ向かう練習をしたので - 幼少時のほんの2年間とは言え- 少しの練習でも楽しむところまで行き着くようです。
自然消滅した小1の時点でさらっていた練習曲は、ル・クッペイのABCとラジリテを併用していたはずです。
なので、そのレベルの曲であれば、すんなり戻るらしい・・・尤も現在はクラシックを弾きませんが・・



下の動画は、2007年の「伴奏兼弾き語り」です(ライヴハウス)。
この時も「何年ぶり」の状態でしたが、楽しんでいました。

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33回の反復 - 2013.07.26 Fri

歌舞伎役者・海老蔵氏が「あさイチ」の中で、小学生からの「どうやって短歌を暗記したらよいか」という質問に応じていた。それは「33回ともかく反復する。そうすると脳の中の海馬がカパッと開いて入って行く」ということだった。
3という数には何か不思議なものがある。

人前で演奏する前、メトロノームで3倍遅いテンポから、些細なことまでに注意を払って何度も練習することをよく私は話す。「2倍遅くでは駄目なんですか?」と訊かれること屡々。
これは経験からで、2倍でもしないよりは良いのだけど、私の場合は(生徒も含め)2倍だと本番でミスタッチを含め、集中力欠如による何かが起きる。3倍遅くから、というのは何十年もの間経験した数なので…
自分自身、練習時間が全く取れず、或いは不足し、又は曲数が練習時間の割に多かった時、3倍の時間は取れずに焦って2倍とか1.5倍とか「ゆっくりめ」で練習を済ませる。必ず失敗する(傍目には分からずとも)。たとえリズム変奏、部分練習などをふんだんにしたとしても。
「3倍遅く」なのです。脳と指先の神経伝達に関係する速度なのだろうか?自分でも不思議。経験による数字です。


そう言えば、「石の上にも三年」「三度目の正直」「三度肘を折って良医となる」「一人の文殊より三人のたくらだ 」・・・「3」なのかもなぁ、全て・・


スタジオパーク再放送 - 2013.07.25 Thu

5月23日の再放送で、尾木ママこと尾木直樹さんがゲストだった。
5月の時は何か用事をしながらだったので、今回は座ってじっくり見た(風邪をひいてから随分テレビを見ている気が…

「いい子ね」は子育てに於いて禁句であること、5月に放映された時見ながら深く頷いた。
子供は親の顔色を窺って「いい子」を演じて育ってしまうこと。尾木さんご自身の長女の子育てに於ける体験を話された。
テレビも見ない、チョコレートも食べない、というお嬢さんが大学になり、友人からテレビを譲り受け、徹夜でチョコレートを食べながらテレビを見ていた、という話。「どうしたの?」の問いに、本当は見たかった、食べたかった、でも親が顔つきで「いい子ね」と喜んでいることが分かったので我慢していた、とぽろぽろ涙をこぼしながら言ったという。

本当に頑張って努力したことに対しても、「いい子ね」ではなく「よく頑張ったね」であるべきことなどを、自分は教師として教育評論家として述べていたのに、我が子のこととなると分かっていなかったことなど、話されていた。

我が家もまさに同じだった。
息子が叱られているようなことを娘はしなかった。
しかも私は娘に対し「いい子ね」を連発して育てたように思う。
それ以前に、全く対照的な兄妹だったから、接し方は自ずと変わる。上は男の子だし、ある年齢までは「本当に危険なこと」には叩いて教えたし、妹に対して痛い思いをさせた時は、「こんなに痛いんだよ」ということを示す意味で同じことをして教えた。・・・いつまで続いたろうか?

やがて二人とも中学受験の塾通いが始まった。
まだ10歳そこそこ。上はじっとしていられないから、優れた理系的頭脳を持っていても机の前ではそれが生かされない。
下はいくらでもじっとしている。しかも、ここで親が「いい子ね」を言ってしまっていた。
娘は、じっとしていないお兄ちゃんが叱られているのをずっと見て育ってきた訳で。じっと勉強が出来、元々記憶力集中力に優れているとなれば、表向きの評価(つまり成績や偏差値)は高い。その評価を維持すべく本人は努力は惜しまない・・・
と育ったと思う。

尤も、親が促そうが何をしようが、二人ともテレビゲームは夢中。娘はお兄ちゃんが留守となればこれ幸い、無限にしていた。ゲームのしくみの分からない親(私)は、「ここではやめられないのよ、全部消えちゃうから」と言われれば単純。
心の中で「もっと情操豊かな本でも読んでくれれば・・・」と思ったが叶わなかった。

でも二人とも、それぞれが好きな本を貪り読むようになり、本当に子供は分からないもの。
息子は、私が叩いて教え始めた年齢だった頃(幼稚園年少〜年中)の息子と同じ位の年齢のやんちゃ坊主のパパになっている。

続きはいずれ又(潜む危険など)。



雑談ながら - 2013.07.22 Mon

今日の「あまちゃん」の終わりの音(テーマ音楽ではなくドラマそのものの)は、属7だとどうして曲を終えられないのか、属7で終わるとどういう感じがするのか、音感の無い人にもよく分かる有難い終わり方でした。
それと、導音でメロディが終わると?ということも。

と、取り敢えず今は以上。

訴えたいほど腹の立つこと - 2013.07.21 Sun

何ごとに於いても「ゼロ」をスタート地点とした時、進む方向は数直線に於いて「+」であるべきことは明らかなのに。
世の中、何といい加減な楽器演奏教師の多いこと!所謂「お教室」のチェーン店みたいなものです。
教える内容が10項目あったとして、5項目も数直線の「ー」方向に教えていることがある。ひどい場合は10項目とも。手の構え、指の形、鍵盤の下げ方、譜読みの際の音符の長さ・高さ、譜読みの折のテンポ、姿勢、脱力・・・等々、挙げていけば10項目では済まないのが楽器演奏への道。「楽しければよい」ではないのです。楽しければよいレベルは幼稚園や小学校が担う訳ですから。

私のところには、何十年も前から、そういう子供が来る(あ、大人もだ!)。「まっさら」なゼロの状態なら何と有難いことか・・それを何を勘違いしたか、多少弾けるようになってから来よう、と「マイナス方向への指導」を散々受けてから来る。
おそらくお月謝の金額のこともあろう。その類のところは、グループレッスンのこともあり、個人レッスンであっても30分も教えなかったりする。30分で何が教えられよう!?!?!?

本来ならお断り願いたいところだが、そのお子さんが余りに哀れで不憫で、ついお教えすることになってしまうのだが(それと紹介者がある場合には、その義理もあり)、この年齢になると辛いものがある。しかも5歳から10歳まで、ひたすらマイナス方向に進んでしまった子供が来ても…。これを矯正するのはちょっとやそっとの労力では済みません!内心「病気(膠原病)再燃したら責任取ってくださいね」とすら思う・・氣力・体力ともに限界。
5歳から7歳位なら軌道修正は比較的すんなり。あとはひたすらプラスに向かい、小学生のうちに大人顔負けの演奏をするようになったケースも多い。



20年位前に、親御さんが「先生はまるで『ピアノクリニック』ですね」と仰ったことがある。実に言い得て妙!
その時も「今後は『ゼロ地点』に居るお子さんだけに絞ろう」と思ったというのに。

いや、中には「チェーン店」であってもお子さんの吸収力・思考力・集中力も相俟ってだろうが、「そうか、この點に於いては私も見倣うべし」と思うことも稀にある。


教えるにも「検定試験」のようなものを作るべきで、「貴方はこのジャンルなら教えてよい」とか「貴方は自身がもっと指の形を整えてから教えるべき」と落とすとか・・・或いは「こういう子供が来た時に、どのように教えるか」を問う試験とか・・

ここに「私」という被害者の居ることを強調。子供は「犠牲者」だ!どうして親御さんがもうちょっと考えないのだろう?

お勉強の「塾」も然り。お客さん集めに必死な塾は「たのしくお勉強しましょう」とか「こんなに進学率が良いのです」とか、嘘八百とまでは言わないが生徒集めに必死。無料体験教室などを開いて、子供が親に「行きたい」と言うように仕向ける(=洗脳)。(全部が、とは言っていません)
もう20年以上も昔、私も母親としていくつかの塾を見学しに出向いたことがあった。
ある塾では殆どが大学生のアルバイト。社会科では「日本アルプス」の名前で「木曽山脈」と「飛騨山脈」を逆に教えていたし、算数ではお子さんがどうして分からないか考えるのがしんどいので「公式化」して、本来あるべき考える能力を奪っていた。
一方では、私自身が習い直したいな、と思うほど素晴らしい指導をしている塾もあった。
これらは「教える」立場として感じ入ることが多かった。

そんなこんな、何十年も昔、ピアノに於いてマイナスからゼロと通過してプラスに行った子供達が、願わくはピアノを仕事や子育ての傍ら「癒しの道具」として弾いていてくれることを…。

記しておきたいことは山ほどあるので(あるが?)、続きは又。


Mozat KV448 - 2013.07.19 Fri

書き始めると「あれも」「これも」・・・
中途半端な誤解は避けて頂きたいと思うもので…文章で理解して頂くことは不可能と思いつつも。

少しずつ「別館」に記しております。
目下のKV448は第9章をクリックの上、お入りください。

消えることのないよう、一応バックアップも(気付いた時には!)録りつつ

メロディ・バス・ハーモニー - 2013.07.10 Wed

新しいパソコンで(とは言え、MacOS10.7ですが)動画がアップロードが出来なくなった。
何ヶ月か前に、これは是非ブログに記録しておこう、と思い付き試したのだが。

そっか、古いパソコン(10.5)で出来たのなら、古い方でアップロードすれば良いのだ!と今頃閃き・・・


動画は2000年7月のものです。
「バスの重要性」といった内容をテーマにしたレクチャーコンサート。


先日来、別なこと記載しようと思えど、酷い咳とだみ声に加え、珍しく発熱にも悩まされ、日曜以来寝ておりまして・・・
そんなで暇は暇、とっても暇!!
が、文章を書く気力はなく、このような古いものを使う次第……お楽しみ下さい。(著作権は放棄しておりませんので、よろしくお願いします)

(ピンぼけですが)


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Vl. 小森文子 Pf. 奥 千絵子



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Vl. 小森文子 Vc. 山浦陽子


その他はその日の日記へお飛びくださいませ。

その日記への追記。
Divertimento(KV 136)の編成は、本来のバスはコントラバスで、「チェロが加わることも可能」と括弧内に書かれているのですが、敢えてチェロの音の高さとコントラバスの音の高さの違いで、どのように響きの差が出るか、ということも兼ねました。


さらに追記。
ガラガラケー、と小馬鹿にしていた私の携帯からも動画閲覧可能だった
1分ごとに自動分割され!


次回勉強会 - 2013.07.05 Fri

ピアノでモーツァルトKV 448を弾く以前のあれこれも扱うことにしよう。演奏前にするか、後にするか。

・・・と思い立って、ディヴェルティメントD-durのスコア(原典版)を用意。
CD4−5枚で、アーティキュレーションスラーや装飾音(特に前打音)、バスのバランスなどを耳で比較。
と書いてしまったが、もしや読まれている生徒さんいらしたら…嫌がるだろうなぁ…

いや、本当に大切なことであります!弾く以前のあれこれは。
(先日書いた、ハイドンとモーツァルトの違いもだが、扱いたいことは無限にある)

私が譜面に書き込んでコピーしてしまおう。これらは短時間で済ませる!

ハイドンとモーツァルトの違い - 2013.07.03 Wed

幼かりし頃、家にはレコードプレーヤーもなく、ラジオから流れてくる音楽に、母が私に「誰の作品だと思う?」とよく訊きました。全く知らない曲に於いて、です。
でもバッハは分かる(多分、ヘンデルは敢えて訊かなかったのだと思うが)。シューベルトも分かる。
最も難しかったのがハイドンとモーツァルトの違いでした。
ピアノ曲もオーケストラ曲も、全く同じに聞こえた(今でも曲を知らなければ同じに聞こえるかも演奏にも因ろうが

本日は小学4年生のお嬢ちゃん。
レッスンは、偶々ハイドンのソナタとモーツァルトの2台のためのピアノソナタ!
両方とも第1楽章、両方ともD-dur、両方ともAllegro。
どう違うか、ということを尋ねました。小4には酷な質問です。
他に曲を知らないことも承知で。
でも「導入」といいますか、「今後への意識」といいますか、やはり大切なことは扱い、環境に於いて意識してほしいので。
モーツァルトのオペラもアリアも多分知らないだろうし、ハイドンのシンフォニーや「四季」だの「天地創造」だのと言っても知らなくて当然なのだが。(ハイドンは、いつか - ピアノを始めて間もない頃の発表会で - 所謂「吃驚交響楽」をお母様と私も一緒に2台6手にアレンジして弾いたことはあるし、その時、さほど「技術的には」難しくないソナタの第3楽章も弾いたが)

大雑把に分かりそうな範囲で話す。
具体的に話す。
モーツァルトは、スコアを見ながらディヴェルティメントを聴いてもらった。
先日来、ハイドンらしさを求めすぎて、モーツァルトがハイドン化していたのです。
(次回は、ハイドンっぽいモーツァルトの演奏、モーツァルトっぽいハイドンの演奏、弾いて示してみようか・・いやいや、それ以前にオペラアリアや歌曲、オラトリオなどを扱うか…小4には難しいので、勉強会に於いて、かも)

その後、又しても家にいた夫を呼び、二台ピアノを聴いてもらった。
(言葉は違えど言っている内容は同じだったのだが・・・とっても良い、と褒めてくれていた)

彼女の今後の課題のひとつになることでしょう。大人だってプロだって難しいことは十も承知ながら。
大切なことはプロもアマも、年齢に差があっても同じです。



ハイドンもモーツァルトも現代のピアノという楽器は知らずに作曲しているわけですが、ハイドンのピアノ曲は当時の楽器そのものを頭で鳴らして作ったのではないか?モーツァルトはヴァイオリンの音が頭で鳴り、そのボウイングで常にアーティキュレーションスラーを書いていたことで現代のピアノで「名曲」という扱いになるのではないか……勝手な推測です。

ハイドンに関する画像付き文章、下記もどうぞ。
http://allegrobunchan.blog18.fc2.com/blog-entry-290.html
http://allegrobunchan.blog18.fc2.com/blog-entry-292.html


弦楽器に置き換えて考える - 2013.07.03 Wed

ピアノ弾きはどうしても「ピアノ」という楽器だけで表現しがちです。

でも、作曲家によっては弦に置き換えて考えることも必要。
つまり、ボウイングを想像してアーティキュレーションを考えたり、ペダリングを工夫したり。

今日の(もう昨日だ!)生徒でも、その辺りが一番の課題になりました。
曲はモーツァルトの「2台のピアノのためのソナタ」(目下、全員に学んで頂いております)。

問題は、第3楽章の下の部分。

8229846_1963080976_1large.jpg

ここの第2ピアノ、1小節ペダルを踏みっぱなしにしてくる生徒の多さ!(いや、著名人であっても稀にある)

詳しくはいずれ「別館」に記すつもりですが、大雑把に。

第1ピアノの左手はチェロ、第2ピアノの左手はコントラバス(音は1オクターブ低いですが、記譜では同じ高さ)。第1ピアノの右手は第1ヴァイオリン、第2ピアノの右手は第2ヴァイオリンとヴィオラ、といったように置き換えてみますと、ペダリングは明らかになります。

こうでなくてはいけない、ということはありません。よく似た雰囲気の、やはりD-durのディヴェルティメント(途中)では、先に第2ヴァイオリンが主旋律を出したりしますから。

けれどもバスに置いては・・
とてもよく響くホールならペダルを踏まずともOK。
踏む場合には、4分音符の頭で踏み(深くではなく)、休符では音が消えているようにフワッと離す。
このフワッと、というのが難しいようです。チェロ・バスの余韻を想像すればよいのですが・・
手も、しっかり押さえるのではなく、重さでフワッと短めに弾き、あとは上記のようなペダリングで助けて、寧ろバスとしての輪郭・流れで旋律線のイントネーションやフレーズを助ける
第2ピアノの右手も弦の1弓を想像するとイントネーションは明らかになります。
(「ピアノと向きあう」ではイヤほど書き…やはり音で示さないと難しい…左手であっても。第233ページの一番下の例など)


さて、そんなこんなに始まり、バスの扱いの重要性は、この楽章に限ったことではなく。
これも本に書いた通りで、ショパンですら、です。これも隠し味の章のショパンのワルツ、長さ次第で表現が変わる(第238〜240ページ辺り)。
ましてモーツァルト。


夫が家に居た!(コントラバス奏者)
これは実際に弾いてもらえば一目瞭然(目と耳で)!!

ボウイングと余韻などを中心に、又バスの起伏で上のパートの音色や起伏が豊かになることなどを。
レッスン、ちょっと充実させ過ぎたかな??もっと自力で「弦楽器」の演奏を聴いたり、室内楽をしたり、本来はすべきことで。子供ではないから。

でも、そのうち、上記の部分を弦5部に分けて弾いてもらったり(勿論優れた演奏家に、です)、目と耳とでまずは入ってもらう会など企画しようと思います。

・・・とこんな、あぁ、ヴァイオリンが弾けたなら、と思う日々。
ボウイングは楽譜を見れば、きっとこういう選択肢になるだろう、と判別はつき、それをピアノで弾くには重さのかけ方・抜き方はこうなる、と分かり、それならピアノではこういうニュアンスと音色で弾きたい、となるのですが・・・

やはり室内楽をこなすこと、弦やオケの音楽会に足を運ぶこと、に尽きます。
(このようなことをレッスンで扱うので、午後一杯を使う結果となり……長くとも半分の時間で収めたいというのが本音です



三輪陽子先生の発表会 - 2013.06.30 Sun

今年も頂いたご案内。
楽しみに伺いました。
三輪陽子先生のバレエコンサート。

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素晴らしかった!!
「教える」「自ら演ずる」という意味で、学ぶことの多い会なのです。

生徒をレッスンして慌てふためいて出たため、デジカメのSDカードが一杯になっているのに新しいカードを忘れ(何枚も買い置きはあるのに…)、2−3秒で切れてしまう。

休憩時、コンビニに走ったが、置いていない(前回もそうだったような…何て学習力のない私
不要になった写真や動画をカメラから消去し、記録して此処にアップするのだ!と思えど、ほんの少々しか録れていない。
それと、許可を頂いてから(その僅かな動画と共に)記すことにいたします。

幸せ一杯になります。
(習いたかった・・・バレエ・・・)

勉強会の余談(作品番号の略語) - 2013.06.18 Tue

先日、生徒たちの集まりをした折、レジュメに本来はモーツァルトのKV448の原典版と比較した場合の注意点に触れようと思っていたのだが、余りに長くなってしまうため…いや、いずれにせよ音で実演出来る訳で、そのスペースを別な「余談」とした。
(2回に分けたので、2回目はこれからなのだが)

最近に限ったことではないのだが、作品番号の書き方について疑問に感じること屡々あり、スペースのある限り纏めてみました。「書き方」であって「読み方」を強いるものではありません。


     《作品番号に関する略語》

★ Op. :一般的な「作品番号」の意。これはラテン語「opera〔女性名詞・幅広い仕事や労働〕」と関連があり(歌劇のオペラもここから派生)、中性名詞opusは事務、作品や著作物も意味します。ドイツ語の名詞は頭が大文字でOpus「オープス」、英語は小文字でopusと書くこともあり「オーパス」。略していますからOpの後に「.」を付けます。ドイツ語圏でopusと小文字で書くことが多いのは、ラテン語として扱っているのでは?
★ BWV:J.S.Bachの作品に付けられる作品番号への記号。日本のラジオやテレビでは「ビーダブリューヴイ」などと読むことが多いのですが、本来はドイツ語の「Bach Werke Verzeichnis(バッハ ヴェァケ フェァツァイヒニス)」の頭文字。現地では「べーヴェーファォ」も言わなくはないですが「Bach Werke Verzeichnis」と大抵省略せずに言っています。BWVで記号になっているので「.」は付けない慣習です。ジャンルごとに順番が決められ、チェンバロ曲はBWV772からです。Inventioの1曲目がこれです。
★ Hob.:ハイドンの作品番号「Hobokenverzeichnis(ホーボーケンフェァツァイヒニス)」の略で、これはハイドンの作品を約20年かけて分類したオランダの音楽学者Anthony van Hobokenから来ています。(ウィーンでは「ホボケンフェァツァイヒニス」と「ー」と書くほどは伸ばしていなかった気が…)。-verzeichnisまでを1語とした略語なので「.」を打ちます。バッハと同様の分け方で、例えばピアノソナタはXVIというグループで、1~52まであります。
★ D:シューベルトの作品番号はOpusの他にオーストリアの音楽学者Otto Erich Deutschにより年代順に整理された「Deutsch-Verzeichnis(ドイチュ-フェァツァイヒニス)」の番号があります。当初は英語で(これは彼がユダヤ人で、ケンブリッジに移住していたため、と推察)、1978年からはドイツ語での一覧が著作物として仕上がりました。時々「D.」と「.」の付いた表記を目にしますが、Deutsch自身が作品目録の序文で「自分の名前の略記ではなく、シューベルトの作品を表す記号として、省略記号であることを示す『.』を用いずに使って欲しい」と述べているので、「.」を付けてはいけませんね。この和文は、信憑性の薄い日本語のウィキベディアに書いてあったので、信頼の於ける独文による書物(のPDF)を根性で探し出しました。参照*独文では「D. でもなく、DVでもなく、Dで」とあります。前書きの18番目の注釈です。(読んだ限りでは、自分の名前の略記ではなく云々…はありません。索引の数字と区別するために、といったことは書かれていますが)
★ KV(K.):モーツァルトの作品を時代順に並べた「Köchelverzeichnis(ケッヘルフェァツァイヒニス)でLudwig von Köchelが1862年に整理を始めました。英語圏や日本では「K.(ケッヘル)」と記されることもありますが(Verzeichnisの意味が分からないことが多いため)、ドイツ語圏では「KV」で「.」を付けずに数字を記し、読みは、ケッヘルフェァツァイヒニス、と略しません。
他にもスカルラッティの「K」や「L」、ベートーヴェンの「WoO」、リストの「S」バルトークの「Sz」…等…スペース切れにて今回は省略します。

参照*18. Dem Wunsche Otto Erich Deutschs entsprechend sollten Die Nummern des Werkverzeichnisses mit einem einfachen vorangestellten „D“ zitiert werden, also z.B. D 200, nicht D. 200, auch nicht DV 200. Nummern, die in den beiden Ausgaben des Verzeichnisses voneinander abweichen, sollten durch eine Indexziffer unterschieden werden(z.B. D1=D2A, oder D1 deesr=D2 1A).
上の括弧の中の「z.B. D」の後の1や2は右上に小さく記された数字です。この欄にはそのフォントが出ないので、ややこしくなりました。

A4の半分に収めようとした文章で無理があります。手直しを、と思ったのですが挫折。また後ほど。全面的に表にすればよいのですね…(多分これはしない


追記
Op.の箇所に追記をしました。
KVについても、日本の「音楽用語辞典」の類に、「K.V.」と書いてあるものもあり、実際それは在墺中の日常で目にしていましたし、実際そのように記された当時の独文印刷物が手もとにあります。Köchel-Verzeichnisの記載も目にしたことがあります。ただ、ドイツ語の(1970年代に購入した)小さな音楽事典には「KV Nr.」と書かれてあり、その本の文中で「K.」と記されている箇所は、(おそらく)スペース節減のためにKöchel氏の名前の略語として書いてある箇所です。
という訳で、ケッヘルについては分かればよいのでは?…(と、結局いい加減なわたくし…頭の片隅で、もしや新正書法?…)

又、KVやBWVなどピリオド無しの記号と数字の間を半角空けるか否か、フォントによって大変くっついて見えることもあり、この辺りに関しては出版業者ではないので、その都度見栄えの良いように私は無視しています。すみません!!

2組に分けてみた勉強会 - 2013.05.13 Mon

個人レッスンとは別に「勉強会」と称した集まりをしていることは度々書いているような…

10人を超えると、時間がとても長くなるのみならず、弾くことを遠慮してしまう方もおられる。
又、練習中の曲の披露、特に本番を控えた方には「リハーサル」として必ず弾いてもらうのだが、私が突っ込んだコメントをする時間が無くなる。勿論、「人前で弾く」ことで奏者自身が弱点を発見し、逆に「この部分は人前で弾いたら、こんなにも心地良かった」と新たな発見をしてもらう為でもあるので、私のコメントは二の次で良いのだが、それでも折角弾いてもらうのなら「ミニ・レッスン」それも「人前でのレッスン」を通じて身に付くことは多いはず。

話が飛躍するけれど、私が小3から大学を出るまで師事した永井進先生は、プライベートでのお弟子さんは土日のみ、それも一人ずつ時間が決まっている訳ではなく、あたかもグループレッスンの如く…先生のお宅に着いた順に皆の前で弾く。私が初めて通い始めた頃は「開門」が午後1時で、待っていた生徒がゾロゾロと入って行く。だからレッスン室にぎっしり(向かいの控えの間、といってよいのか、奥さまである美恵子先生のヴァイオリンのレッスン室でもある部屋にまで)・・早く着いた生徒たち(敢えて「生徒」と呼ぶ。最近「生徒とは小学生のみ」などという意見もあるが、それは一般の学校の場合であって、習い事では何歳になっても習う側は「生徒」だと思う)は比較的時間を取って見てくださるのだが…と言っても30分位だろうか?私のようなオクターブも届かないチビは、例えばソナタのひとつの楽章など、曲そのものも5分とかからない。だから1回通してうまく弾ければ、「うん、いいね!」でおしまい。時には「この子の手は自然だろう?」と年長の方々への見本になったりして(身体も小3で120cmしかなかったので、よほど小さい子供に見られていたに違いない!!)、そんなこんな、何時間も待ったとしても5分で終わってしまうことが殆どだった。練習不足だと「ここのところ」と楽譜に何か印を書かれて、おしまい。それが小学校6年になるまで続いたと記憶している。
でも、大人(私にはそう見えた受験生など)の方々も、下見の先生から送られてきた真剣な方々、私と余り歳の差はなくても手が大きかったり…という方々は、先生の厳しさを見抜いておられた気がする。
それにしても土日それぞれに30人ずつ、などという時期もあったので、真剣に学んでいる人達は「それだけで充分にリハーサル」だったのだと思う。永井先生の「よし!」がどれだけ価値があったか、幼かった私は知るよしも無かったが。

と逸れ出すとどこまでも逸れる悪いくせ。読み直さない。書き直さない。

ともあれ、目下の私の大人の生徒たちは殆どがピアノを職としているか、たとえアマチュアであっても音大を出た方たちと同等かそれ以上のレベルの人たちなので、人前での通奏が何より勉強になることを痛感してくれている。
でも、一応謝礼も頂くので、勉強会とはいえ、今後の課題は指摘するし、褒めるに値する箇所は褒める(という心構えではいる)。

通奏以外にもテーマを決めて、例えば本で分けたタッチ、【A】【B】【C】【D】の基礎の復習や応用など・・

なのでとても長くなってしまう。それでももっと深く追究&追求して欲しく。


という訳で今回は2組に分けて行った。
いつも予め、次回の期間から駄目な日だけをメールで書き送ってもらい、集計して日時を決める。
今回は11人が出席可能。
というわけで、6人と5人に全く機械的ながら分けた。5月6日と11日とに。

結果はとても良かった。私には、だが。
何よりスペースが充分にある(参加でなくとも、飛び入り聴講のスペースも充分で)。折りたたみの椅子を出さずともソファだけで事足りる。
一人ずつの演奏にも妥協のラインまでであってもコメントしたり弾いて示したり…という時間が取れた。
その後、誰かの弾く基礎の曲から発展して、皆が次々質問をし、奏法や練習方法の示し合いが限りなく続く。

本には生憎動画は載せられない(当然だが!)。特に11日は、本に書いてある練習の仕方は勿論、具体的な脱力方法、また割り箸を使っての拡張や、隣接する2本の指を広げるための練習方法など、質問から発展して、丹念に扱うことが出来た。
また、心打たれることは(音大を出ていて、ピアノ教師をしていても)謙虚な姿勢にて自らバイエルを使って、レガートで表情豊かに弾くためのタッチや、フレーズの切れ目で自然なブレスを表現するための手の使い方など、工夫してきて(レッスンでも質問してくれるので嬉しい限り)披露してくれた人も居た。一同とても為になった筈だ。
少人数ずつに分けると、こういうことが可能になる!!

それでも6日は、休憩を挟んだので2時から始まって、確か7時か7時半までかかった。
11日は3時半からにして、休憩無しで6時半か7時には終わった。

今後も普通の勉強会はこのように行いたいと思う。但し特殊な場合、例えば、予定している2台ピアノ(モーツァルトのKV.448)はランダムで当日組み合わせを決めるので、1日に纏めたいが…。

まさに走り書き。
このままアップさせますが、後で手直しをするかもしれません。

と書いて、手直しではなく追記。
両日とも通奏は何故かショパンが多く、即興曲計3曲、エチュード(一人はOp.10/2とOp.25/11、一人はOp.10/3)、ノクターンOp.62/1、モーツァルトのヴァリエーション(Duportのメヌエットによる)、ドビュッシーのプレリュードから抜粋など。
そのショパンのエチュードOp.10/2が難しく、フィンガリングをどう使っているか、という話で皆が盛り上がってきた。大いに工夫をして意見を交わして欲しく、嬉しいことだった。
ただ、ひとつ言えるのは、その練習曲が弾けるようになることが最終目標なのか、それとももっと技術的に難しい曲を弾くための練習曲として扱うか、それによって取り組み方は当然変わる。十人十色であって構わないと思うが、リストの超絶技巧やラフマニノフの3番のコンチェルトや、手が大きくなくては弾けないような数々に挑戦するのであれば話は自ずと…
何とか掴める音を、安易に左手が空いているから、と左手で取ってしまっては技巧習得の意味で甚だ勿体ない。

小は大を兼ねない。




手書きの大切さ - 2013.05.10 Fri

昨日だったか一昨日だったか、某サイト(?)に書いたこと;

文章を書くのが億劫になり…
最近思うに、人間の脳は手書きで考えているのではないか・・と・・
2008年からのパソコンでの文章書きに明け暮れて以来、体調も悪いが頭が悪くなった。
(と、こじつけて言い訳する)

文章を書かなくなったら、鬱積晴らしすらも億劫に。
ハラフクルルココチはココチだけでなく、どんどんハラフクルル・・・

以上。

ところがたった今しがた、NHKのスタジオパーク冒頭で、ゲストの林真理子さんが、原稿は今でも手書きで書かれていること、「手で書く」ことと「感情(だったか?)の文章化」との表現の関係付けを説明をしておられた。

まさに思っていたことそのまま・・・
やはりそうだったのか、と深く頷きました。

パソコンを使い始めたころは、自己流ながら最初からブラインドタッチの練習をして(手始めは語尾の「ました」「です」「でした」「だった」「ございます」の類を何度も打ってキーの位置を指に覚え込ませた気がします)、これって単純にハノンの指練習をしているのと同じじゃないの!いつか内容(文脈や言葉選びも含め)が追いつかなくなる、つまり考えるより先に指が打ってしまう、と予測していたのですが、今や本当にその通りになっています。

Ave Maria(Burgmüller)音源 - 2013.03.28 Thu

22日の公開講座で使用した音源です。

昨年10月にリリースしたCD『名曲への序章』のブックレットに掲載した、アカペラ用の楽譜。
「アヴェ・マリアの祈り」原語(ラテン語)全文を、ブルクミュラーの「アヴェ・マリア」にはめ込んだものです。(日本語は、全てに母音が付くため、とても収まりません)

この曲を通じて「祈りの気持ち」を子供たちが抱いてくれたなら、ひいては「演奏に祈りの心が籠もってくれたなら」と載せました。
アカペラで歌って頂けたら嬉しいですが、幼い子供たちであれば、ブルクミュラーのこの曲をそのまま伴奏として弾いて頂ければ嬉しいですし、さらに難しい場合には伴奏(つまり原曲)に乗せてメロディだけ歌って頂いても構わないです。

4人による音源を別館にアップロードしました。
妹(奥千歌子)に急な依頼をしました。丁度藝大大学院生4人によるコンサートを控えているので、その練習時間に一発勝負で構わないので、と・・楽譜を添付で送り、録音してCD-Rを送付してもらったものです。(演奏会がソプラノ4人によるものでしたので、この収録は全員ソプラノです)

どうぞお聴きくださいませ。

音源は、別館 にお入り頂き、本をクリック、左のアイコン一番下の「CD 名曲への序章」をクリック、その文中にございます。


ブルクミュラーの講座 - 2013.03.22 Fri

(3月末に記載)

画像のような公開講座を開催しました。

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内容の一部を公開したいものの、勝手にアップするのも躊躇われ、今はここ迄。

雑感あれこれ - 2013.03.19 Tue

 長谷川町子さんの「サザエさんうちあけ話」という本、どこかにある筈が見当たらない。
その中に、長谷川町子さんの母上に認知症が始まった頃の逸話、かつて算数(計算だったか?)を教えてくれた母に算数を教える、といった場面が描かれていたけれど・・妙にそこだけ頭に残っているのは、「半世紀後の我が身」と当時実感したのだろう…
 そして、まだ半世紀は経っていないけれど(経ったか??)、最近息子が上京する度に色々なことを教わる。
先週も又然り。
 「最近仕事していてつくづく思う」と「『ほうれんそう』の欠如」を挙げていた。
・・・報告・連絡・相談・・・やみくもに「すればよい」というものでもなく、いつ、いかに、いかほどを、ということも多分重要なのだろう。仕事での、私の知らない世界を教わる。

 息子とは思考回路が似ていて、同じAB型だから、などと周囲は片付けるが(血液型は別な範疇だと私は思っている)、幼い頃、周囲を困らせた時には、とことん、それはそれは分かろうと分かるまいと言って聞かせていたからかもしれない。
 「体罰」も話題に挙がった。勿論理由もない体罰、生命の危険に及ぶような体罰は問題だが…。意見が一致したのは、テレビで取り沙汰されている、体育会系の部活での体罰。教師の感情での体罰は問題になるだろうが、心身共に強くさせよう、という所謂「愛の鞭」は?私の世代は普通にあった。ピアノだって灰皿やライターが飛んできたものだ。
 息子が幼かった頃、「話しても聞かない」時には「体罰」だった。特に友達に痛い思いをさせた時には、「こんなに痛いんだよ」ということを教えるために、同じことをして分からせた。それを息子が今、息子(孫)にしている、というので「歴史は繰り返す」を実感・・・その事が功を奏したのか、この頃、孫は色々なことが分かるようになってきたと言う。
 「ゆとり教育」が教師を駄目にした、ということも話題に挙がった。今頃になって「ゆとり廃止」はなかろう。

 先を見据えることの出来る人たちが政治家になって欲しいものだ。


 さて、そんなこんな、色々と考えることの多い日々の中、又しても本来「泌尿器科」に行くべき事態。病院に行く時間も惜しい。ふと思い出したのは、昨年の丁度今頃の時期に同じ症状を婦人科で済ませたこと。更に「旅行に際し、念のために処方しておく」と、もう5日分頂いた有難い抗生剤の存在!!これを使って何とか誤魔化せている。

 「取り敢えず」ばかりで誤魔化す日々は、そのうち破綻を招きそうな気がするが…。

『サザエさんうちあけ話』が出て来ました。正しくは、「しゅくだいをみてもらった人に、さんすうを、おしえようとは…」でありました。



1台4手と2台4手の違い - 2013.03.17 Sun

目下の色々な資料作成のために検索をしていたところ、シューベルト4手連弾の「幻想曲」f-moll(D940)の動画に行き着いた。
それが、何と!!ピアノ2台に分けている!!

この曲は1台で弾くように作曲されており、又、1台で弾くから効果があるのです。特にペダリング!
2台で弾いたならそれぞれがペダルを使うことが出来、又手がぶつかることもなく楽ではありますが、甚だ安直!

もし、ソロの曲で、上の方の音域と下の方の音域でペダルが分かれていたら?と考えたなら(勿論脚も足りませんが)、どんな響きになってしまうか、想像に余りあります。
2人で「手のぶつからないフィンガリング」を考え、バランスを考え、ひとつの響きを作り上げるための(時には気の遠くなるような)作業を進めることにも連弾の楽しみはあるわけで…

やはり無精をせず、セコンドは緻密にペダリングを考え、プリモとも意見を交わして(プリモを考慮し、全体の響きも想像して)決めて行くこと、これは最初の譜読みの段階で必須不可欠です。

余りに驚いたため、つい書いてしまいました。

久々に別館更新 - 2013.02.14 Thu

その都度メモをしておかないので、別館に何かを書こうとしていたのに、すぐに忘れてしまう。
去年から可成りの量が溜まっている筈が…

でも1つだけ思い出したので更新しました。3拍子の話を・・

バイエル(ピアノの教材)について - 2013.02.08 Fri

このところどうしたことか頻繁に「バイエル」について意見を問われたり「バイエルなんて使っているんですか?」と驚かれたりする機会が続く。

確か、以前ここでも書いた筈、と(有難い)ブログ内検索を使う。

ありました!!
「バイエル賛否両論」

重複するので、上のリンク先へどうぞ。
メリットのみならず、教師が補うべきことなど書いたようです。これで私が言わんとしていること全てのようですが、その後、「ピアノと向きあう」の中にも具体的に記しました。いや、ページ数の都合で少しカットしたかもしれません。・・・と開いてみたところ、第11章の「Q&A」で真っ先に書いたのでした。けれども簡潔に、です。

どの教材を使っても、教師は「その生徒」の弱点補強をすべきことは必須不可欠。ただ、バイエルは古典派のみならずロマン派に至るまでの「機能和声」を自然に耳と手で身に着けられるメリットがあること。温故知新。但しデメリットの補い方は十人十色、教師の創意工夫に行き着きます。教師は工夫する時間を惜しんではなりません。

節分の一日 - 2013.02.03 Sun

去年余り開くことの出来なかった、ピアノの生徒たちの勉強会、今年は1−2ヶ月に1回は行いたいもの、と思う昨今。

皆さんにメールを流して都合の悪い日だけ「×」で返信頂き、参加人数最多可能の日に設定する常。
2月3日(日)になった。


何かよく聞く日にちだな…と思えば、節分。
我が家は皆が「恵方巻」を楽しみにしている。もう何年も…一体いつからこういう食文化が習慣になったのかは知らないが、何でも節目はあるほど良いかも…
(義母の生前は毎年、「一陽来復」をその年の恵方にご飯を糊代わりにして貼り付けたものだった)


そんなで、朝から「優先順位」で頭が混乱。
何日も洗髪していない頭…まずは洗ってカラートリートメント(って、どうして私のブログは、普通だったら書かぬであろうことで自爆??)

それから恵方巻の具材を焼いたり煮たり・・厚さ5センチを超えるであろう厚焼き卵を焼く。人参、いんげん、干瓢(買い忘れを当日スーパー開店と共に夫に頼んだ)、干し椎茸(頂き物の贅沢なほどの肉厚)、高野豆腐、などを煮る。
あとは夜に胡瓜や田麩など入れて巻けばよい状態にしておく。


そしてここから、勉強会の準備となる。
いつも4時間、と伝えても5時間になるのは、私の進行の悪さなのだが・・・

去年までは「タッチの種類」ばかりを「基礎」として行ってきたので、今年はもう「個別のタッチ」はそれぞれのレッスンに回し、勉強会ではその応用、つまり「ル・クッペィ」の練習曲、ブルクミュラー、バッハのインヴェンション、チェルニー30番や40番。(あくまでも予定)
個々のタッチをつなぐ補助動作まで進みたい。
これらを前半にし、後半は「練習中の作品の披露」。
いずれも、皆さんで意見を交わし合ってもらいたい、というのが私の方針(方針だけで終わりがちな時もあるが)。


加えて、ふと思った。
基礎の応用の曲までは皆さんに弾いてもらっても、「その先には、こういう作業があるのだ」ということを示しておいた方がよいのではないか?と、日頃問題になっている「アーティキュレーション」を扱うことにした。但し、突然楽譜を出されても困る、と停滞するに違いない……。えい!それなら私が試演しよう。
という訳で、既に「譜読みの段階」で、「スラー」が「アーティキュレーション」を示すのか「レガート」を示すのか、それとも「フレーズ」を示すのか、読み取ることをお薦めする、という内容を、ベートーヴェンのソナタ数曲から抜粋でコピーして配り、弾きながら説明することにした。
「スタッカート」の「・」も同様。「出来るだけ短く切る」との誤解が多い。ロマン派以降はペダルで誤魔化しも利くが、あくまでも誤魔化し。長さ、切り方、抜き方を具体的に考慮してペダルも使用すべきだと思っている。
まして古典派、特にベートーヴェンともなれば…とこれも弾きながら説明を入れる。「・」の無い、スラーの切れ目の切り方も「スパッと切る」のか「ふわりと抜く」のか、等。
理論家は色々仰るが、それを鵜呑みにせず、自分はどのように音を描きたいのか、という「待てよ?」の一瞬が欲しい。
結果的に、指のみならず、肩から先の使い方は左右で全く異なることもあるし、異なることが殆ど、と言ってよいほど。これが出来るようになるには、まず考えて、その通りに片手ずつの練習をすることに始まる。

音と言葉で示すので、どうしても「勉強会」は長くなる。
でも、どうしても伝えておきたいものは省けない。

それ以前の「基礎の応用」も、皆さんの演奏を聴きながら、「こういう話はしておきたいもの」と、遡って日本のピアノ教育の歴史(と言うのは大袈裟ながら)1950年代、1960年代・・・教育者たちの努力を話すことになる。
また、1950年代から留学されて後、日本のピアノ教育の中に漸く「重力奏法」を取り入れてくださった大先輩の先生方。1960年代当時はNHKに「ピアノのおけいこ」という番組があり、私が大学生だった頃には、井内澄子先生がそれはそれは素晴らしいレッスン、電波に乗せて教えてくださったものだった。同じ大学の中にも、こっそり習いに行っていた人もあったようで、とても羨ましかったことも思い出す。その後の井上直幸先生も素晴らしかった、と記憶しているが、私は既に留学してしまったので、その後のヴィデオでしか知らない。
そんな話も挟むので、どうしても長くなる。私の中では決して「無駄話」ではなく「貴重な披露」と思っているのだが…

1本の指が独立して動くトレーニングはとても大切です。それも自然な形で。余計な力が入ることもなく。
ただ、独立しただけでは機械音!
スタートに立っただけです。

まだまだ話し足りなくとも先へ。


本日の出席者は、小学生のチビちゃん1人とアマチュアの1人を除けば、他は何らかの形で(演奏家や教師として)ピアノを職としている人達。合計12-3人。例外の2人がとても優れていることは勿論とても嬉しいし、音大を出て、積極的に新たに学び直したい、といらしてくださることは、もっと嬉しい。表情豊かな奏法を広めて欲しいから。
子育てや介護を終えて学び直してくださる方には敬意を表する。いや……私は全部中途半端だった気がするので…

2時に始めて、何だかんだと「もう7時になります」と促されるものの、何だか中途半端に終わらせた気もして、毎度ながら申し訳ない。いつも「次回は計算して進めよう」と思うのだが。

終えて、恵方巻を8本巻いて、娘夫婦と私ら夫婦で南南東を向いて食べる。
つまり娘はお兄ちゃんのデッサンのブルータス像を見ながら、私はその娘の背中を見ながら黙々と・・何だかなぁ・・
2本目は自由に食した。が、2本は満腹…私にはきつかった。
その後、娘夫婦が豆まきをしてくれて、今年の節分も無事に終わった。
皆、何よりも健康で!と思う。


と、又しても教会に行け(か)なかった・・・
このような時に決まって頭に流れる讃美歌、中学以来ずっと369番。
きっと自己流に解釈しているのだろうな、と思いつつ流れるものは流れる。



基礎はやってやり過ぎることはない - 2012.12.26 Wed

自分のことです。

2008年暮れ(だったと思う)に、ドイツ語を習うことを止めてしまった。

1981年の帰国以降初めて、2002年にウィーンを訪ねる決意をし(大袈裟!)、そのためには、万が一何かあった時、一番は膠原病関係で体調を崩した時に備えて、ドイツ語の教室へ通うことにした。
以来、1年に1ヶ月だけであっても「続ける」ということを頭に置いた。その実、同年代の方々は「忘れないようにするだけでも通わなきゃいけないのよね。折角大枚はたいて通っても数年空いたら元の木阿弥、月謝を捨てたも同様になる」と異口同音に言っておられた。

2008年暮れまでは途切れ途切れであっても、「忘れても思い出せる」という間隔をおいて何とか通い続けていたのだが・・・
以降、パソコンで日本語を打つ作業に追われる日々となり、それはそれで目的を持ったとても大切な作業だった訳だが・・・

不思議なことに、ドイツ語に通っていた時には、私の場合は常に「基礎から復習」となるので、文章を書くにも喋るにも頭の隅に文の構成を先に考える習慣が付いていたらしい。
全面的にドイツ語をやめてしまったところ、ドイツ語そのものは勿論のこと、日本語を書くにも喋るにも、話の順番や、1つの文の中での単語の順番を考えることなく喋り、書き・・・

このブログも然り。
兎も角ダ〜〜〜っと打つ。「プレビュー」で読み直す時間がある時は直す。時間がない時には放置。
何ヶ月か経って、「あれはいつだっけ」と自分のために読み直すと、何といい加減な文章!!!

脳の不思議。
違う言語であっても、構造を考えながら文章化する、という点では同じ回路を辿っているのだろう・・・

・・・と最近反省。
国語を習うのも口惜しいが、小学生のテキストでも買って、…つまり「○文字に要旨をまとめなさい」「接続詞を選びなさい」「段落の順を整えなさい」といった問題集をこなす必要性を感じるこの数年!!
それとも又ドイツ語を習うか?

DVDが届いた! - 2011.12.27 Tue

先日の(と書いて、もう3週間も前であることに愕然)発表会の記録を、主人の友人経由で、池澤さんとおっしゃる方にお願いしてあった。

DVDにて、全体(第1部~第5部)及び、第1部と第4部のみに編集をお願いした。
年明けになるかもしれないとのことだったが、今日届き、感謝この上ないこと。
しかも、ぶっつけ本番のすったもんだの第1部も、隙間を縫って、手が鮮明に映っているではないか!
(「なんだ、私が教えたのと全然違う打鍵動作になっているではないか!」と判明するほど鮮明に

要らない、と言っていた生徒たちも欲しがるに違いない・・・

いずれにせよ、心から感謝申し上げます。


更なる続きは挫折 - 2011.12.10 Sat

発表会の話は、もっと言葉を選びつつ詳しく書こうと思っていたのですが、今日から、家の中の引っ越しの続き(6月初めに足指を骨折して以来中断していた)を何とかこなさねばならぬ事情あり、当日配布した「自己紹介及び曲目解説」の中から私の文章だけをコピーペーストして終わらせます。

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 自己紹介も今回の演奏会の意図もプログラムに簡単に記しましたので、ここでは補足的内容です。
 チェルニー(1791~1857)に関する詳細は、「ピアノと向きあう」の第76~106ページをご参照ください。
 今回チェルニーの練習曲を多く取り入れましたのは、彼がリストの師匠として技巧面で大きな影響を与えたからです。
 以下は思い付くまま全くの余談を…

《リストについて》1811~1886
 今年は「リストの年」としてTVなどでも大きく取り上げられていますので詳細は割愛します。が、正しい年代を調べるために「グローヴ」(世界で最も権威ある音楽事典)を開きましたところ、「チェルニー」で引いた場合の記載と「リスト」で引いた場合の記載で、違いがあり、これは困ったことです。
 フランツ・リストは、6歳の頃から父親の弾くピアノに耳を傾けて育ち、宗教音楽に興味を示し、又育った土地柄ジプシー音楽にも囲まれていました。並外れた創造力での作品を9歳の時に聴衆の前で演奏しています。この頃に育まれた宗教心、ジプシーのキャラクター、即興性は、生涯をかけて作品にも顕著に表れています。
 1820年代初め、リストの父親は息子をチェルニーに就かせるため、ウィーンに連れて行きました。既に演奏会を開いていた当時のリストは、「型破りの支離滅裂状態」だったそうですが、無限の才能を見出したチェルニーは、彼にバッハ、ベートーヴェン、クレメンティ、フンメルの作品を徹底的に学ばせ、天賦の才を伸ばそうとしました。リスト自身はそのやり方に耐えられなかったようですが、後には自分の現在はチェルニーのお蔭である、と事あるごとに述べて、かの「超絶技巧練習曲集」をチェルニーに献呈したほどです。
 余り知られていないのですが、この「超絶技巧練習曲集」12曲の骨組みは、リストが14歳の時に既に作られ、Op.1として日本版でも出ています。ご興味を持たれる方は、是非比較なさってください。

*よく訊かれる質問のひとつ、リストの「S」番号は、フランツ・リストの最も正統的な作品表を作成したイギリスの音楽学者、ハンフリー・サール(Humphrey Searle)の頭文字によります。彼は、ウェーベルン(Anton von Webern)門下の作曲家でもあります。

《チェルニーの練習曲集について》
 チェルニー30番練習曲の正式名は「メカニズムの練習」Op.849で、サブタイトルとして「Op.299への準備として」と書かれています。チェルニーはベートーヴェンの弟子として、師匠の作品を弾くための練習曲を書き始めました。ですからそれらは可成りの技巧が求められます。当時最先端のピアノ教師でもあり、Op.299(40番練習曲)が難しすぎる生徒は勿論、優秀であっても手の小さな子供にも弾けるように、このオクターヴが用いられていない30の練習曲集が書かれたと思われます(オクターブは、第13番最後の方で、バスを押さえて和音の後打ちを弾く2箇所があるのみ)。当時のヨーロッパの子供達でも体格は良かったでしょうから、おそらく日本で言う「幼稚園児~小学校低学年」位の手の大きさを考慮した練習と思われます。しかし大人であっても、一旦悪い指・手の癖が付いてしまった場合は、自然な手の形を取り戻すために、この位狭い音程での練習は甚だ有効です。
 「メカニズム」と書かれている通り、どの指も均等な強さと弾力性、瞬発力を持つことが求められています。ただ、プログラムにも書きましたが、粒が「音楽的に」揃った演奏というものは、1音ずつに表情の違いがある筈です。弱い指がcresc.の頂点になることも頻繁にあります。
 当時の最高峰であるベートーヴェン、シューベルト、ショパン、シューマン達のピアノ曲を演奏するために必須不可欠な指のトレーニングであると同時に、そのメカニズムを如何に自己表現に使うか、という辺りに問題があります。当然Op.299も「作品」として演奏すべきであり、Op.849は、その一回り小さな作品集です。
強い指を鍛える訳ですが、美しいピアニッシモを揃えて弾くためには、別な「指の強さ」が必要です。
 ところで、この曲集に短調の曲が1曲しかないのは、子供達を練習嫌いにせぬように明るい曲を、とのチェルニーの配慮か、はたまた増2度を要する和声的短音階が子供の手には不自然との判断か…と思い巡らせます。長調ばかりの通奏は、弾き方次第では退屈極まりないことと思います。淋しさも悲しさも怒りも存在しないのですから。
 けれども、3.11からの大惨事続きの今年にとりまして、この長調ばかりの曲集は慰めや勇気づけに繋がる気もします。
 暗さは全くありません。幼い頃の想い出、日本の美しい自然、楽しい光景、躍動感…(以下は独断と偏見)
 第1番から第8番まではC-dur(ハ長調)続きで、特に自然な朗らかさ、明るさ、温かさ、又躍進が感じられます。例えば第4番は温かい心ですっぽり包んでくれます。第5番は小躍りしているが如きリズム。第9番と第10番がF-dur(ヘ長調)。第10番のテンポは速いですが、分散されたコラールを彷彿とさせます。その後は♯、♭ともに増えて行きます。第15番は活気に溢れた子供たちの遊び、第16番は勇ましさ、第17番はサンタクロースの雪車の鈴のように(私が幼い頃は)感じられました。第18番は、ベートーヴェンの「英雄」や「皇帝」と同じEs-dur(変ホ長調)。キャラクターも似ています。第19番は楽しげなワルツ、第20番は青く澄み渡った空に赤蜻蛉が飛び回っているイメージを抱きます。その後の♯系の曲は、虫の羽音、粉雪、雪解け…唯一の短調である第26番は「焦燥感」。第28番には「団結心」のようなものを感じます。

 本音を言えば、「あと2-3曲『短調の曲』があれば、どんなにか通奏し易いだろうに・・・」

《Félix Le Couppeyについて》1811~1887
 生誕200年を迎えるFélix Le Couppeyについて、本に於いてもインターネットに於いても、余りに文献が少なすぎます。「グローブ」すら、どのアルファベットで調べても載っていません。カタカナ表記は難しいところですが、「ル・クーペ」は相応しくない気がし、今回は「ル・クッペィ」と表記します。
 ル・クッペィは、1825年(14歳)にパリ音楽院ピアノ科で1位(所謂プルミエ・プリと推測※)。1828年(17歳)和声学とピアノ伴奏でも1位。「和声学」のアシスタント、1837年にはソルフェージュの教授、1843年 和声学と伴奏法に於いてドゥルラン(Dourlen)の後継者となりました。1854-1886年 ピアノを教え、諸楽器の為の膨大な教材を作曲した人です。
 彼も又「チェルニーOp.299の準備のため」というタイトルで練習曲集を書いています。こちらはまさに、チェルニー40番練習曲集の音型を易しく反復したものや、30番練習曲に似たものも多いです。

※パリに於ける「1位」は、大勢の中の1番ではなく、合格者は全員「プルミエ・プリ」です。逆に言えば、「プルミエ・プリ」を取らなければ卒業を認められなかった、ということになります。

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これで、発表会の話は一旦終わらせます。
本来なら、主役である生徒たちの話を書きたいところですが、これは又折に触れて例として挙げさせて頂きます。

私のチェルニー30番練習曲全曲は、そのうち音源を何らかの形でアップ・・・
30曲とは言え、リピート無しですから通奏だけなら20分強。
10曲ずつ区切ってひと言を添えました。さもないと「今、何番あたりなのだろう?」となってしまいます。

ぶっつけ本番の反省とお詫び - 2011.12.10 Sat

12月6日の発表会(又?と言われそうですが)、私の中での反省点があります。

第1部(タッチに関するミニレクチャー)では、手をアップでスクリーンに映し出すことを生徒が発案してくれました。
お一人のご主人が持つプロジェクタとスクリーンを使い、遠くからでは全く観察出来ないタッチの種類を、会場のお客様が明確に見ることが出来る、という理由。
操作はそのご主人が担当してくださる、と。
これは有難いお申し出!!

けれどもリハーサル時最後に映し出して様子を見てみたら…
何と!可成り遅れて画像に反映されてしまう。
ここで決断すれば良かったのですが・・


何とかなるだろう、と、そのまま第1部を始めてみたものの、ピアノという楽器は1秒に何十もの音を出すことすらある技巧を要する訳ですが、ゆっくり打鍵動作を示す場合でも、指先が手前に引いて打鍵している時の画像ではまだ指は停止、既に指が定位置に戻っている時には画像ではまだ指が曲がって残っている。腕の落下と跳ね返りも逆に映り…つまり腕を鍵盤に投げている時にはまだ前の動作、投げた後に跳ね返っている時には、まだ画像ではやっと投げている……昔の衛星放送の如し。
…ということの連続。
しかも最初のうちは、同時に録画をして下さっておられたそうで、スクリーンが余りにぼやけて何も見えない…途中で「録画の所為だと思うので、録画は止めましょうか?」と耳打ちしにいらした(録画もされていること、知りませんでした)。録画を止めた以降が、上記のような画像となった次第。
そんなこんな、ずっとステージで操作して下さったそのご主人には、お手を煩わせて申し訳なかったと思います。
途中画面が消えてはスイッチを入れ・・
しかも、お客様より何度か「そこにいられると困る、見えない」と舞台下から注意も受け・・・
いや、全て私の責任です。


実にややこしいステージとなってしまいました。
お客様には、躊躇いつつも何度か、前の方で直接手をご覧頂くように促しましたが…
音を聴き、スクリーンだけをご覧頂いていらした方は、きっと「???」だったことでしょう。

指導者、代表者である私の責任の他、何ものでもありません。
他の空いている日を使って、事前に試してみるべきだったのです。
予測が着かなかったことと、私の体調とで、それは不可能だったかもしれないのですが、実行するのなら、それは無理してでもすべきでした。
さもなくば、途中でスクリーンを打ち切る勇気が必要でした。

これらのこと、万が一いらして下さった方がここをお読み下さっておられる場合、深くお詫びを申し上げます。


次回へ活かせる反省点とはなりました、申し訳なかったことです。


発表会の話の続き - 2011.12.09 Fri

昼間に日記をひとつ書いて、又眠ってしまった・・・
やれやれ・・


今回のテーマ「その1」は、「基礎はやってやり過ぎることはない」をモットーに、私の本の「分かりにくい」という「18種類のタッチ(【A】~【R】)」の実演を組合せる。折しも生誕200年を迎えるフランスのLe Couppey(ル・クッペィ)の練習曲集を抜粋で使う。
まずは私が、各タッチの説明を鍵盤上で行い、該当するル・クッペィを生徒たちが演奏。更にタッチの応用として有名な曲の一部分を私が弾いて示す。
「その2」は、生誕200年のフランツ・リストの名曲の数々を第5部にて。
それに関係し、リストの師匠であるチェルニーの練習曲集や、ブルクミュラー、ショパンの練習曲をも第2部から第4部。
つまり、「練習曲の演奏とはかくあるべし」ということを強調したかった。簡単に言うなら、心を表現するためのタッチとテンポのトレーニング・・・


頭が働かないので、プログラム(本来三つ折り)の裏表を貼り付けます。

と貼り付けたのですが、どう考えても本名だらけで情報漏洩かもしれない・・・
1年近くも経って削除しました(その間、読み直す機会もないまま)


第1部は、自分でメモしてあった曲例の3分の1すら試演時間なく、それでも40分の予定が1時間を超えた。
ところが第2部以降、一人の欠席者があったとは言え、皆さんテンポが凄まじくアップして、あれよあれよという間に一曲が終わってしまう。
このまま進行したなら、当初9時半終了を覚悟していたのに8時半に終わってしまいそうで、本来無かった場所に休憩を入れたり、アナウンスをadagioでお願いしたり……。
(その逆よりはマシだ

続きは又。




今頃ですが発表会のこと - 2011.12.09 Fri

12月6日(火)、21世紀になって2度目(!?)の生徒たちの発表会を開催した。

先月末にここに記録して以来、ブログを書く気力は勿論、パソコンを開くのも億劫になった。
書いた通り、私の体調不良から生徒たちの最後の一週間は突き放す結果となったが、どうやらそれが功を奏したようだ。全員が個性を発揮していたと思う。ミスはあっても心を演奏に反映していた。
レッスンを休みにしても、「あそこの8小節だけはもう1回レッスンしておいた方が良いだろう」とか、「3倍遅い練習を私の前でやって貰う必要がありそうだ」等々思うことは生徒全員にあり、でも「1時間以内」を約束しても、それ以上見てしまうのは私の常。だからやめた。

私の最後の1週間は、と言えば……プログラムの隅々までを確認し、業者から取り寄せた用紙にプリントアウト。また、恒例になっている「出演者のプロフィール(曲目解説を含む)」をワードに貼り付けてレイアウトを直してプリントアウト。
新たに出た、会場に連絡すべきことなどの確認。
他、無限に雑事や連絡事項はある。
何よりも、解説と試演をすることにしている第1部が、予定時間内に収まりそうもなく、でも最低限これだけは、という妥協ラインのリミットもある。これが最も難しい・・毎日夜中に夢の中で閃いてはメモ。

その合間を縫って、整骨院で身体を整えてもらった。
何十年ぶりかで美容院に行き、パーマをかけてもらった(「ボサボサパーマ」と名付けている)。

更なる合間は休息。筋力低下時は要注意。
そして最後の最後の寸暇が自分の練習。

あと一週間あったなら…は、あと一日あったなら…の状態へ。

出来るだけ出演者には負荷をかけまい、と過ごしていたが、最後にはお一人にあれこれ動いて頂く結果となってしまい、申し訳ない限り。

無事に終えた。

終えた日の夜中に目覚めて、「あぁ、この曲も例に入れなきゃ」「あの曲例の時間を計っておかねば!」「3頁に収めてみようか」「一人抜けた部分に挿絵を入れよう」・・・とメモ用紙を手に取ろうとして・・

「あれ!?発表会、終わったんだっけ??・・・・・万歳!!!」


いつもなら、発表会翌日は早速録音をダビングしたり、礼状を書いたり、と動き回っているのに…
今回の「翌日」は、まる一日眠って過ぎた。
「翌々日」も半分以上眠っていた。
目覚める度に見ている夢は同じだった。「練習しなきゃ」「曲例を選ばなくては」「レイアウト直さねば」等々・・

やっと今日は普通に起きている(おかしな表現…)

発表会そのものや、当日のことは又改めて。



教師の役割 - 2011.11.30 Wed

特に発表会を前に思うこと。
今回に限ったことではないですし、生徒の年齢層や経験度にもよりましょう。

教師(十人十色とは思うので、私の場合です)の日常は、生徒の出す音を1音たりとも聴き逃さないことに始まります。
勿論譜読みの時期の読み間違えに始まり、仕上がってくれば、例えばメトロノーム160であれ180であれ、どんな音もバランスも輪郭も聴き逃しません。しかもDoppelgriffの速いパッセージでのバランスやニュアンスすら聴き取り、指摘します。
音色に乏しい場合は、原因を探すために、生徒の左、右、後ろ、と目まぐるしく動き、姿勢から肩~指先の観察をします。隣接したピアノで弾いて模索し、提案します。
未熟な生徒の場合には、勿論真似から入りますから見本も示します。いえ、未熟ではなくとも、自分で聴き取れていない場合には、教師が何度も弾いて違いを聴き取ってもらいます。

本にも書いた18種類のタッチのどれを使うか(複数が殆ど)、心がどのような表現を希望するか、具体的な表象を設け、タッチを選ぶべく促します。大人の場合には人生経験が豊富ですから、細かい表象はこちらからは訊きませんが、自分の環境に無いであろう事の場合には、色々なヒントを述べます。

そうして、1音たりとも無意味な音が無いように練習が出来る方向へ導きます。
弾きながら全部の音を聴き取りコントロール出来る速さ、というのが、執拗ながら「速くて(!)3倍遅いテンポ」なのです。
徐々にテンポアップし、緩急も付け、頭の半分は音楽、残り半分は具体的な動作へ。

可成り早い時期から録音をしながらの練習を促します。


これらを実践している人達は、今回のリストの作品が、実に心に訴える演奏となっているのです。
リストと言っても、さまざまなキャラクターがある訳で、それは彼の人生の波によるものです。


これらの作業とも言える練習の手伝いを、私は1音残らず聴き取ってアドヴァイスをするので、本番が近付きヴォルテージの上がった練習の手助けは、本来なら本人が一番聴き取るべきことまで私が一番聴き取り…ですから本来、この時期のレッスンというものは2時間で休息を取るべきだと思うのですが、取っておいた休憩時間まで長引き、次の人が来れば、5-6時間ぶっ通し、ということにもなり、終わってからは寝るのみ・・・

今までお教えした三桁の人数の三分の二以上が(殆どが、が正しいかもしれない)、事柄によってはマイナス方向に進んでおり、そのマイナスがどの程度のマイナス地点かにもより…ゼロ地点に到達するまでが大変なケースも多々あります。根気との勝負です。特に何十年もかけて、悪い習慣が付いてしまっている方々は、ご本人が大変なことは言うまでもありません。(小声で、…音大の先生方、ちゃんとお教えになってください!…と言いたいこと屡々です)


さて、そんなこんな。
今回は小学2年生を除くと、他は大人ばかりで、半数以上が半世紀以上を生きた方々。
言い尽くせない喜怒哀楽の人生です。
熱心にレッスンでの提案に耳を傾け、自宅でも録音で確認し、鏡を見ながらタッチの工夫をし、音を聴いての練習をされた方達のめざましい進歩!!それはもう、逆に私が癒される音楽です。1音1音が意味を持って訴えてくれるからです。
本番となりますと「あがる」という魔物あり、リハーサルを重ねる事は、子供の場合とは違って必須。
勿論本人たちが自宅でも「一発勝負」と「細かい練習」を繰り返す訳ですが。

教えるべきことは全部教えてきており、あとはご本人次第・・の時期。
集中を考えて、譜読み当時からの全部の事柄を取り入れて模索・試行錯誤で本番当日を迎えて欲しいものです。
まだレッスンに頼ろうとする態度の方も居ります。突き放す勇気も教師には必要、と最近思います。ましてピアノ教師をしている方であれば尚更。
お小さい方は仕方ありません。短期間にどんどん曲を仕上げていく時期が必要です。コンクールとなれば別でしょうが、1つの曲を余りに長く練習することは…勿論、そういう時期を作ることも甚だ重要ですが…それは教師が「今はどの時期」と考えます。

ともあれ、5-6時間、1音たりとも聞き逃さぬよう、1本の指の動きたりとも見逃さぬようにレッスンを続ければ、当然ながら私にはストレスが残り、翌日は起きられないことも。自分の練習とは訳が違います。- と書いて、最近自分の練習は1時間半が集中の限度であることを実感…これは年齢の所為か、はたまた、幼い頃一日の練習量が1時間半マックスだった「三つ子の魂」の所為か - レッスンによる疲れの所為か - (多分全部が複合)


私も「あぁ、リストが弾きたいなぁ…」と思いつつ、あの自転車事故もどき(事故と言い切って構わないかもしれない)で、フォルテでの左オクターヴが届かず。
それでもレッスンでは夢中になると「痛み」を忘れて弾きまくってしまう悪い癖・・・

事務的諸事もまだまだ残り・・・
今もそのためにパソコンを開いたというのに。


長くなりました。
取り敢えず送信(投稿?)。



ランチェスターの法則 - 2011.10.18 Tue

今日我が家に立ち寄った息子から、何の話からか忘れてしまったが、「ランチェスターの法則(Lanchester's laws)」というものを教わった。

強者と弱者の戦略方法の違いだった。

でも、後で考えてみたら、これは一人の人間の中でも使い分けられるべきことだと思った。
私の様な年齢になると、益々「思い煩うなかれ」。余生を天に任せること、神の御心のままに、という気持ちも必要だが、折に触れ、「この時この事に於いて自分は?」と法則を応用して意識することも意味があるのではないか、充実した残りの年月を過ごせるのではないか、と感じた。



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プロフィール

奥 千絵子

Author:奥 千絵子
★上の画像は2001年にCDにして約3枚分を収録したものを,2006年に2枚組としてリリースしたCD「樂の音に寄せて」です.『レコード芸術』2007年1月号で「特選盤」として取り上げられました.戸倉新樹教授によるライナーノートは医学生にもお薦めです.その他のCDや著書はWebsite「本館」からお入りください.このブログも「本館」のDIARYです.
★このブログの"Grüß Gott !" (文字化けの場合はGruess Gott!)は墺・南独の時間を問わない挨拶です.Website「本館」のDIARYです.出版CDや著書の詳細は「本館」のメニューからお入りください.
Website「別館」もあります. 著書「ピアノと向きあう」の説明を補うサイトです.よく頂く質問に説明を記載しています.
★上記著書については今井顕 氏によるKINOKUNIYA書評空間WEBLOG を是非ご一読くださいませ.
Auch auf Deutsch schrieb ich…
★【膠原病の記録】余りに医療のカテゴリーがが増えてしまったので目下整理中です.大変複雑な病気の経験が同じ病の方々への参考となりましたら幸いです.
「乳癌と膠原病(皮膚筋炎・多発性筋炎)」「膠原病(退院後)」 ,その他の医療の話(自分以外も含めて)は「医療・病院関係」,に取り敢えず分けました.
平成12.12.12.病院での復帰リサイタルは演奏動画入り記録です。
★恩師のことは55年間を遡り少しずつ記載するつもりです。目下のところはこれだけです.
★コメントも大歓迎です。SPAM防止上、確認後に公開しております。ご理解をお願い致します.
★このブログや大元のサイトへの感想やお問い合わせはservus2008@gmail.com宛に@を半角に直して送信願います.
【BGM】
Robert Stolzメドレー
演奏:東京カンマーコレーゲン 
室内楽アレンジ:奥 千絵子
ショパン:華麗なる大円舞曲Op.18
演奏:奥千絵子 ショパンのワルツは上の画像の2枚組CD「樂の音に寄せて」に入っております.
★Copyrights©1997-2020 Chieko Oku All rights reserved.
制作・著作:奥千絵子
★遙か下方に設置のカウンターは、サイトを複数回お訪ね下さいましても1日を1回とカウントし、又、私を入れない設定になっております。



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