FC2ブログ
A D M I N

2020-04

病室のアレンジ - 2008.07.21 Mon

余り暗い入院体験ばかりアップするのも……と探していた写真,捨てる訳はないのだが…
一体どこにしまい込んだか四次元ポケットは持っていない筈!

漸く本日,9年間放置した写真が出てきました。
しかも「使い捨てカメラ」ですので画像は甚だ粗いです。
でも病室の様子をアップします。


私の皮膚状態を記録しておかなかった事を今になると後悔・・・
尤も今の様に気軽に携帯で撮れる時代でもなく(PHSすら持っておらず),デジカメときては全く見たこともなく…。
病院からも頂けないのですね、一旦病院所有となると。


当時入院していた大学病院の人気の教授(よく「おもいっきりテレビ」などにご出演)が著書にも書かれておられたことが後になって判明し、私の「病室のアレンジ」もまんざらではなかったことを知りました。


(病室デフォルト状態)
17130034_2051031600.jpg




以下は,入院してステロイド治療が始まり,一番調子が良かった頃のものです。
(見えますかね??)


★殺風景な大きな壁。何でも貼り付けていいですよ,との看護婦の言葉にて,まずは息子のデッサンをば・・
(看護婦さんによれば,「どうせこの病棟は数年後に解体するので」と。確かに使い捨てカメラで撮ってもひび割れも写っている。薄っぺらい壁です,カーテンよりはマシ,という程度で隣室の声筒抜け!)
17130034_4207822575.jpg


★茶封筒を使って状差しや雑誌入れを作り散乱せぬように,売店で買ったキラキラ光る紙を空き箱に貼って本立てにし……唯一の楽しい時間だったかもしれない。
17130034_2364854557.jpg


★雑誌入れアップ。右は描きかけ。
17130034_1202320982.jpg


(暇潰しの右のスケッチ)
17130034_3236144665.jpg


(モデル。後からTom & Jerryが加わって配置が変わってしまった)
17130034_1896562854.jpg


★五線帳も不要になったので(筆圧出ず),薬類の整理に使用。
17130034_1541745819.jpg


★これは10月(この辺りは記憶なし。でもヴィデオデッキがあるのでその頃でしょう)
17130034_1087206941.jpg


★これは10月下旬(生徒達から千羽鶴を頂きました)
17130034_2088236722.jpg


17130034_2486805640.jpg


★千羽鶴アップで
17130034_4137227692.jpg


★退院荷物(これでも半分は既に運んである)
17130034_3057034887.jpg










退院へ向けて - 1999.11.11 Thu

10月29日
朝のふらつきは起き上がるのも嫌になる程。

筋電図の検査は,脳神経内科のK助教授
その折のアドヴァイスやご説明
* 壊れた筋肉が戻るには1年かかるが,筋肉は回復力があるので必ず治る。
* 日によって良い日もあれば悪い日もあるので一喜一憂しないこと。
* 筋電図の波がもう少し大きくなると正常。決して悪くはなっていないので焦らないこと。
* 指は可成り回復。
* 腕は瞬発力はあるが持続力がない。
* 暫く手本を示す様なレッスンはしないこと。
* 左腕,左脚の7月との比較は,病気に於いては特に問題なし。
* 朝のラジオ体操はしない。あれは健康人の為に組まれたものだから。
* 頭の中のシュッシュッという音は耳のこともある。又,小脳や延髄の検査も出来る。
* 体調は天気や気圧によっても大きく波がある。
* 神経は左手首のみ調べたが,左右差は普通無く,ある場合はもっと酷く萎縮したりしている時に考えられる。
* 筋肉(筋電図)は右腕を調べた。
* 現在の状態はステロイドその他の副作用や色々なことが絡んでいる。
* 家に帰ってピアノを触って弾けなくても吃驚しないこと。

その後OT
食事をすると耳鼻科に呼ばれた。
一眠りするとPT。行きたくなかったが…。
過労の一日。
そう言えば,筋電図を受けるとCPKが上昇する,と言われた様な・・・
ゆっくり休む様に,とも言われた様な・・・

10月30日
最悪!眩暈の酷さ。
何をしてもふらつくから一日寝ているしかなかった。
午後は花の水替え,水切りなどをやっとの思いでやった。

アルコール漬けの様なふらつきは小脳?夕方の検温が必ず34℃台なのは間脳??※

※ 仕事柄(自分に於いても生徒たちに於いても),分からないことは究明し,出来ないことは「何故」と考え,それなら何をどうしたら?と順番に考えるのが当たり前になっているので,専門外のことでも納得が行かないと(分かる訳もないのに!!)どうして?なんで?の思考回路が働きすぎてしまう。いや,それ以前に幼少からその「どうして?なんで?」は日常に於いて母親泣かせだった様だ。父親は私の問いに,分かろうと分かるまいと絵や図を描いて説明してくれたものだ。幼稚園児に地球,月,太陽の位置関係などまで・・・
(素人が分かる筈もない質問ばかりで先生方は呆れられ,困られたに違いない)

10月31日
足の処置,TR先生。

午前中,荷物を纏め,片付けをし,ごく一部を(それでも大きな紙袋4つ)家族たちに先に持ち帰って貰った。
すっかり疲れて,コーラスのYさんがナースステーションまでいらしてくださったそうだが,フラフラが余りに酷くお帰り頂いてしまった。

夕方,娘より志望校の件で相談あり。
まだ高2だが選択科目などの関係だろうか。

11月1日
第一内科A先生受診
清潔第一を心がけても次々起きる感染。退院すると,満員電車で帰宅する子供達が居るので,免疫抑制剤(イムラン)を減らしたい希望を話した。

もう一人の先生と1-2mg/kgと話していらした。
イムランは半減になった。止めてしまいましょうか?とも言われたが,その勇気も無い。

余りの倦怠感でリハビリは休んだ。

11月2日
初めての外泊許可。4ヶ月ぶりの帰宅。
車の移動は,窓の外がめまぐるしくて見ていられない。視神経が追い付かないのだろうか??

ピアノの前に座ってみた時は,白と黒の積み木が並んでいる,としか見えなかった。一体これをどうするのか?…まさに痴呆状態だ。
シューベルトのOp. 90/4, 2をまず弾いてみた。その他モーツァルトあれこれ,ショパンのエチュードOp. 25/1, 2など軽いもの。
指は他人の指の様だが動くには動いた。強弱は小学校低学年並み。
鍵盤を見ていると目まぐるしくて目が回ってくる。指が覚えている曲は目をつぶって弾いた方が何倍も楽!

11月3日
12:30 – 5:30 ぐっすり眠れた。
晴れていたので洗濯を次々。
部屋の散乱ぶりを見ているとワナワナしてくるので片付けも少々。
コンクールのこと(審査?)でO先生より電話。(外泊許可のことはご存知なく偶然)
昼近くからずっと夕方まで眠っていた。
夕方,掃除機のフィルターを4ヶ月ぶりに夫に替えさせた。

仕事の合間合間の5分を使って出来る家事が,家族には慣れていないのだった。
文句は言うまい。

左上腕がピアノを弾くのに最も障害になっていた。
乳癌直後の触れても何も分からない感覚と関係あるのか?でも当時は術後退院してすぐに「英雄ポロネーズ」の左の連続オクターブも苦労は無かったのだが…。余りに長期間ピアノに触れず,筋肉が萎縮したか??

夜9時ジャスト,病院に戻った。

11月4日
教授回診
CPK19, コレステロール300未満。

流石に疲れたのか,ふくらはぎの痛み。
夜遅くにあちこちから電話がかかった。

11月5日
珍しく起き上がれない。
眠ろうとするといくらでも眠れる。手の震えも酷い。背中と胸も痛い。
外泊が影響したのか,はたまた昨晩の大量の電話で受話器を支えていた所為か??

11月6日
午前中から2度目の外泊許可。
次々電話がかかる。
天気も良く,次々洗濯。
息子を手伝わせて掃除機をかけた。
喉の痛み,嗽頻繁に。

11月7日
夜中も何度も喉の痛みと咳に悩まされ,起きては嗽。
残りの掃除をガーガーやっていても誰も起きない。10時頃夫の生徒がレッスンに来た。
洗濯と散髪(自分の)。
午後は寝ようとしたが何度も起こされ,そのまま。
ピアノは左腕の障害で弾く気が失せた。

11月8日
喉の痛み。PT休んだ。
入浴の後はレントゲン。一休みしてMRI。
喉用のイソジンを頼んであったが来ない。

11月9日
朝から37℃。ずっと34℃台だったのが……。
息子が来て荷物を持ち帰ってくれることになっていたので,一騒動で荷物を纏めた。疲労困憊。午後は37.5℃。目も痛い。

11月10日
OT, PTともに入院中最後なので受けた。

眼科受診。
結膜に石の様なものが4つあり,除去。
点眼薬が病室に届いて安心。

退院後用の薬のセットがドサッと届いた。ベッド全部使って並べ,一週間分のみ小分け袋に一日ずつ朝,昼,夜,就寝前,と入れていたところにHJ先生が見えた。
「大変ですね」と。これからは看護婦がやってくれないのだから仕方ない。一日分けるも一週間分を分けるも大差ない。「その袋,ずっと使うと良いですよ」とも。

明日の退院,息子が駄目になった。なら早く連絡くれれば娘に協力を求めたのに(最後の荷造り等々)。

11月11日
退院
朝から大掃除さながらの最終片付け。
この日を選んだのは,大学の創立記念日で診察も検査も何もないから。
偶々平成11年11月11日と相成った。
何も考えずに過ぎてしまったが,11時11分には何をしていたろう?


さぞや扱いにくい患者 - 1999.10.28 Thu


10月20日
プレドニンが減って行けば楽になる,と言われていたフラフラもちっとも治らない。寧ろ酷い日もある。リーゼだって服用を始めたのに。
それとも急激にプレドニンを減量していることと関係あるのか?と日々,何も出来ないので疑問を感じては来室くださる医師をつかまえて訊く。
TR先生がいつか「質問して頂くことが逆に我々には助かります」と仰ったことが印象的で,つい図に乗る。
イムランの服用開始と時期が重なっただけなのかもしれないが,イムランを悪者にしたくなる。

8月の脚力はどこへ?
又,あの頃は切り紙などしては葉書に貼り付け,カレンダーをコピーして手紙を書いたりして過ごせたのに。文字が書けないのは致命的。ふにゃふにゃと書いていると頭がビリビリ痺れてくるのだ。

鼻のただれがどんどん奥に進む。面疔では?

10月21日
ずっと抗生物質を塗っていた鼻のただれは明らかに面疔。ズキズキ痛むので夜中に何度もも目覚め,鼻の中を洗っては又薬を塗り直す。
こんなにあっちもこっちも化膿するのは,免疫力を薬で落としているから,と知りつつ不快。

教授回診
面疔に関して「培養しないの?」の問いに,主治医が答えないからちょっと腹立ち,私が「していません」と答えてしまった。
「瘭疽は?(培養)」には「TR先生がして下さいました」
広い処置室に患者が集められて大名行列(教授回診)があるのだが,どうして皆おとなしく言いなりになっているのか益々不思議。これからは嫌われようとも言いたい事は言う!

筋電図の予約が取れた,と喜んでいたら,急患が入り29日に延期になってしまった。

10月22日
ずっと体温は34℃台前半。
今日は喉も痛く体温は36.9℃。「平熱ですね」・・・
いつもより2.5℃高いのに平熱???36.5℃の人が39℃になったのと同じなのだが…
看護婦が杜撰なのか,医師との連携が悪いのか,「喉が痛い」と言っても喉を覗く訳でなし,先日来鼻の奥だって一度もペンライトで覗くでなし,咳が出ても聴診器を当てる訳でなし(聴診器も当てずに急にレントゲン……)。
鼻の話を来室した医師に話したら,急にペンライトで覗きながら綿棒で塗る場所をあぁでもない,こうでもない,と探す。余計痛いではないか!!「痛いところくらい自分で分かります!」と,自分で指を消毒し,指先に軟膏を取って穴にグリグリと塗ったので唖然とされた様子。
足の瘭疽然り。へらの様なもので大量に軟膏の缶から取って,患部にちょっとだけ塗り,あとは「へら」ごと捨ててしまう。「それだけあったら,医療後進国の子供が何人も救われますよ」と言ってしまったことがある。
それでいてモーラスは一日6枚では絶対に足りない。不足分は自宅からバンテリンを持ってきて貰って補っている。

益々暇な週末。ラジオを聴いては録音したり,家からのテープを聴いたり。
兎も角だるい。

10月25日
面疔の培養の結果が出た。
カリニー肺炎※を起こすのと同じ原虫だそうな。
バクトロバンという特殊な強い塗り薬が出た。一日3回,4日限り使える,というもの。
こちらが外出許可を願っている時には無視され,この様な状況の時には外泊の話が出るという矛盾。家は誰も掃除していないと思うので汚い筈,と言っているのだが。
原虫が鼻から喉,肺に入ったら???

※ カリニ肺炎は免疫不全,悪性腫瘍ならびに化学療法施行中,臓器移植を受けた患者に発症する。またステロイド薬を大量に使用された乳児や炎症性腸疾患患者に発症したとの報告もある。HIV感染者においてはCD4陽性細胞数が200/μlをきると発症率が急上昇することが知られている。(医学書院「今日の診療」より)

10月26日
朝,HJ先生が来室。いつもご多忙の合間をぬっていらして下さる。
これ幸い,とバクトロバンのことを尋ねた。
MRSAの為に開発された薬だそうだ。M.P.に書いてある様な深刻なことではないので大丈夫,とも。

10月27日
母よりいつも朝電話。大抵こちらがフラフラしている時間帯なので(それも不思議なのだが),「朝ではない方がよい」と言うと,「私はこの時間に掛けることに決めているの」との返事。あぁぁぁ…今に始まったことではないので慣れているが…
その上,聞きたくない話,妹への鬱憤話,・・・自分が正しい,と私に同意を求めるかの日々の電話。じっと我慢。毎度ながら,病院に居てまで親孝行??

10月28日
夜中の酷い咳で殆ど眠れなかった。汗もびっしょりかいた。

教授回診
イムランはやはり止められないそうだ。止めたからとてすぐに感染症に罹りにくくなる訳ではないとも。

MRIで左腕を撮った。
騒音の中で大爆睡。よほど疲れていたらしい。



相変わらず - 1999.10.19 Tue

fukigen1.jpg

10月12日
まぁまぁの調子の一日。
リハビリ往復の折,今日こそ!と分光堂(医師や医学生の為の書店)に寄って立ち読み。
内科総合誌「M.P.」(Medical Practice)の「膠原病」というものを見つけた!150ページくらいの雑誌だが全部が膠原病について。まさに私が知りたいと思っていることが全部載っている気がして購入。
つまりは色々な観点からの論文集の様なもの。セミナーや座談会の報告もあり。
本当に日頃から疑問に思っていたことが展開していく。難病と呼ばれる所以なのだった…。
多発性筋炎・皮膚筋炎についても詳しいページが沢山ある。
目下の筋力低下も「ステロイドミオパチー」として捉えられているから,ステロイド漸減に踏み切ったに違いない。8月末は走れたのだから!!!
もう少し早く診断・決断されていたなら……

10月13日
夕食後に眠ってしまうと早朝に目覚めて辛いので,食後にコーヒーを飲んで「The Sound of Music」を見ていたというのに,いつの間にか終わって巻き戻っていた。拒否反応だろうか?とすら思いたくなる。

瘭疽は入浴時,ビニール袋を輪ゴムで留めて,更にもう一枚大きめのビニール袋に足を入れて足首を輪ゴムで巻いて,更に浴槽では足の先がお湯に入らない様にしている。一体何ヶ月こんな入浴を続けるのだろう??

10月14日
8:50 OT
9:30 教授回診
11:00 瘭疽の処置
14:00 PT

毎日相変わらずで特筆することもない。
外泊許可はまだか,まだか,とせっついているが駄目の様子。

10月17日
夜,息子と電話で家の今後をあれこれ相談。私と子供2人が実家に住むのが一番ではないか?等。夫は母屋の世話もある。以下略。

10月18日
朝,瘭疽の処置はF田先生。
流石!!即断・即決・即行!気持ちの良いほどだった。
巻き爪をぐいっと引き上げて,麻酔も無しで爪の3分の1をジョキジョキと切除。まぁ,痛いの何の!!しかしその後の包帯の巻き方と言い,超絶技巧並のTempo!!

第一内科A先生受診
今週から20mgに落として外泊で様子を見る。
どんどん減らしているのは,「ステロイドミオパチー」を第一に考えているからで,それは今の世界の主流だそうだ。
又,気になっているステロイドの副作用は,ステロイドが減れば残らないそうだ。
脳内科を又受診する様にも勧められた。

主治医N先生が「外泊は息子さんや娘さんのところでも良いですよ」と仰る。

・ ・・?
・ ・・?
・ ・・?

あとで気付いたのだが,私の年齢で考えると,家を離れて独立して住んでいる子供がいる,というのが普通の考えなのかもしれない(私大医学部では…)
まだまだ扶養年数があるので,仕事復帰を!と気を揉んでいるのが医師には見えないらしい。
一人はまだ高校生である。

10月19日
各指に別れた「にぎにぎ」を試みた。
まだ止めておいた方がよい気がした。
(これもkgが色別。↓以外に赤と緑がある)
FSCN5227:2


OTは色々課題が増えつつある。
机の脚にゴムのバンドを輪にして通し,それを四方八方に腕で引っ張る。


夏から鼻の中のただれも治らない。面疔になっては…と嫌な予感。






不機嫌 - 1999.10.11 Mon

fukigen1.jpg

0276.jpg
ではないが・・・


9月30日
昨晩夕飯後に寝なかったので朝から案の定ぼーーっと覚め切らない。
文字を書くと障害になるところが上腕二頭筋だったり三頭筋だったり,前腕だったり。手首ということはあり得ない。

教授回診
手際よく手早く質問や話をなさる(最近は患者中心に話してくださる);
筋肉疲労や頭重患,筋肉を使わずにいたから,という境の判断は難しい。
握力は上腕の判断基準にはならない。
モーラスの成分は?
リハビリは先週からではなかったの?
ユーロジンは止める気無いの?
等々。
ユーロジンは神経専門の科で続ける様に言われたこと,それで補えなければβブロッカー,更にマイナートランキライザーを追加して行くことを話した。モーラスの枚数もとても足りていない話も。

リハビリ
OT(作業療法)はまず脱力から。筋力を付ける前に全部力を抜いて脳への血流を良くすることになった。
PT(理学療法)のメニューは;
エアロバイク5分
階段5段をゆっくり3往復。
両足をゴムのベルトで縛り,横になって上下・左右に20回ずつ伸ばす。ゴムのベルトも種類があり,伸縮の良いものから始める(色分けされている様だ)。
FSCN5222:2


右足第1指の瘭疽が酷くなるばかり。抗生物質の軟膏を患部に直接塗りたい由こちらから希望。イソジンゲルとリバ湿布だけでどんどん悪化しているのだから・・・
更に「クラビット」も処方されているのだけれど,それでも悪化するばかりなのは,ステロイドと免疫抑制剤に勝てず,足の爪先に来る前にどこかで使われてしまっているのでは??
マニュアルばかりの対応に,段々苛ついてきた。

10月1日
抗生物質のバラマイシン軟膏を塗り,夜中から瘭疽の痛みはどんどん良くなった。(そらごらん!!と言いたくなってしまう

10月2日
朝の瘭疽の治療。「無理矢理切って膿を出してしまったら?」と医師同士意見交換している。
普通の瘭疽なら皮膚科のマニュアルでは当然だと思うのだが,こちらは免疫力を落としに落としている身。切ってしまったら傷の治りや如何に??膿も随分透明になっていると思うのだが・・・

10月3日
瘭疽の痛みをかばいつつ階段2往復。
クラシック番組を一日ずっとラジオでやっていたのでダビング。

10月4日
11:00 OT
午後レントゲン
14:00 PT
16:20 第一内科 A先生;
7日からプレドニンは25mgになる。イムランは減らさない。
顔が丸くなってきたのも体重増加も良いこと。筋肉をつけねばならないのだから。
マイナートランキライザーでもよいのでは?
リハビリも始まって良かったですね。等

売店の往復,OTの往復,PT往復しても内科はまだだ,とのことで先に風呂に入っていたら呼ばれた。バンテリンを塗りまくったが,もう脚はこれ以上動かない。車椅子で外来棟を往復。
忙しい一日だった。寝る前から頭痛。夜中になって耐えられぬ痛みとなり,珍しくコールしてイブを貰った。

10月5日
11:00 OT
食後うたた寝30分
売店往復
14:00 PT エアロバイクの負荷を上げた。
OT室とPT室の2往復だけでも可成りのリハビリ。
部屋に戻ったら第一内科(脳)に呼ばれている,とのこと。又遠い外来棟。
マイナートランキライザー(リーゼ)も追加することになった。
筋電図を希望。
頭の中の音も又もや訴えてみたが……
3時予約の風呂に間に合った。
友人から電話。30分喋って切ったらどっと疲れが出た。

10月6日
疲労困憊。病院広すぎ!!
11:00 OT
14:00 PT
15:00 入浴

15:30 西宮の叔父(専門は心臓外科だがオールマイティ)が新幹線で来院してくれた。
F田医師より面談室で家族も一緒に今までの経過,今後の見通しなど,話があった。
親族の医者が来てくれたのは今までで一番心強いことだった。一緒に食事を,と楽しみに思っていたら,明日朝一番で回診があるので,と,そのまま帰って行った。申し訳ない限り。

夜からリーゼ追加。

10月7日
教授回診
初めて,健康時の生活パターンを話す機会となった。2時に寝て5時半起床は日常茶飯事だったこと,具体的な仕事内容。
モーラスとバンテリンの使用量,嚥下の悪さ,等も。

リーゼの所為か,気分は悪くない。洗濯機も空いていたので何往復も。
11:00 OT 今日は筋肉がほぐれているそうだ。
叔父と話せたことで全身もリラックスしたのだろうか?
13:30 貸本返却日,慌てて返した。
14:00 PT エアロバイク30Wから40Wへ。時間も長くした。
15:00 風呂に入り,その後コーヒーを入れて,娘の文化祭の催し(歌)を楽しみに・・・と思うや,中高時代の友人来室。ナースステーションでストップをかけて貰っていたのに!!
ムーンフェイスで元気に見えたのだろうか…。早く帰って欲しい,と思うほど疲れてきたが2時間も居座られてしまった!何を話したか,何も記憶になし。折角の気分良好が藁の様に萎えた。

この辺りは,何もする気力もなく,以前興味のあったテレビ番組も見る気力なく※,病棟あちこちの往復だけであとは疲れて爆睡あるのみ。
瘭疽も良くならない。

※不思議なことに,有名な演奏家のどんなに達者な演奏よりも「NHKのど自慢」の素人さんたちの心の籠もった歌には感動を覚える。心は正直だ,と改めて感じ入った。時には涙して聴き入る。

夫たちが私の為にヴィデオデッキを持ってきてくれた。
ところがヴィデオを一旦セットするや,30秒と経たないうちに眠ってしまう。

漸く文字らしい文字が書ける様になってきたので(と言っても,可成りじれったい程ののろさと形だが)毎日宛名を10通平均。中身はコピー(脳の先生に勧められた通りにしている)。
以前より改善はされたものの,真っ直ぐ歩けない場所では
フラフラヨロヨロと伝い歩き。

退院の話もたまに出てくるが,何となく突き放されているイメージ。※

※これは入院日数に限度がある為,と随分後で分かった。


家族への心配,とりわけ娘の体調(夏休みはそれでも安心していられたが),文化祭に向けて同好会仲間のちょっとした事件,のみならず学期が始まれば行事満載。
PHSを持たせて貰える様に許可を得て貰ったり,気を揉むことばかり。





副作用の対応へ - 1999.09.29 Wed

9月19日
ベッドを移動して貰い,変化した残りのスペースを使い易く工夫。この様な作業をしている時は至って普通。
頼んだパソコンのコピー,宛名11通書いて投函。

夜,N響アワーをテレビで見た。ピアノを弾きながら解説する作曲家を見ていて,私ならこの様に説明するのに…など教えたくてウズウズしてくる。

近所のママさんお仲間よりサラダなど差し入れ。食欲旺盛。胃酸も逆流せず。
HMさんからはWESTのクッキーと素敵なパジャマ。
感謝!!

三浦綾子さん夫妻の近況の取材が載っていたので,介護の雑誌を買った。
パーキンソン病や,その薬の副作用による幻覚のことが書かれてあった。

9月20日
採血。
今週中にステロイドが30mgになるかも分からない。
CT腹部,胸部。
蓄尿(寝不足だ!)
宛名11通がたたった様。
頭の痺れが取れないのでバンテリンを頭皮に塗ってマッサージを試みた。

婦長代理の「頑張ってね」が気に入らない。猛烈に腹が立つ。手術が必要の病気なら兎も角,何を頑張る??
しかも肝心な時に限って居ない。
それらを主治医に訴えたら,その位元気な方が良いでしょう,で片付けられた。

9月21日
振戦に対してβブロッカー使用(アルマール)使用が決まっていたが,結局他の先生方と連絡が取れずに今日のところは決断出来ないとのこと。

入院当時は上が90あるか無いかの血圧が,ステロイド使用により上が140平均となっている。看護婦さんたちは「標準だから平気,平気」と言うのだが,そういうことではなく,数週のうちに40も50も上昇したことが振戦その他と関係しているのではないか?と,私にとっての140はちっとも私にとって標準ではないのではないか?と言いたいのだ。

他の一人部屋にはどこもついたてがあるのに私のところだけ無い。頼んだところすぐに来た。
これでドアも窓も開け放しに出来る。風が気持ちよい。(2ヶ月経って気付くとは…)

9月22日
不調甚だしい。
明け方の寒さの所為か,朝から洗濯機を一番乗りして小銭を作りに1階の自販機を何度も往復した所為か,やっと効き始めた緩下剤の所為か,腸も筋肉で動くのだろうから関係あるのか??
昼からアルマール。
「効く」と信じて服用するように念を押された。

夜,次々医師が来室。夫が居たので,薬の間違いや催促しないと来ないこと,看護婦達の不手際や心の欠けた発言,あれこれ話して貰った。

外泊許可とは言わないが,せめて外出許可が欲しい。
感染症を案じて下りない。

9月23日
今日からステロイド30mg。
物を食べても頭の圧迫感や手の震えが来る。これは内臓の筋肉が動くのと連動??

幸いなことに,SchubertのImpromptus(ブレンデル)を聴けば,以前人前で弾いていた頃の楽しさを思い出し,私にとって人前でピアノを弾くことが何より心を分かち合う手段,と改めて思う。いくら神経を遣られても,これだけは何とかなりそうな気がする。家に5分でも良いから帰って,ピアノが弾けるか試してみたいのに。

9月24日
第二外科(乳腺)異常なし。
しかしモーラスを貼らずに外来棟を往復した為か,頭まで圧迫感。
風呂が空いていたので,よくマッサージをしてほぐし,モーラスを貼りまくり,バンテリン塗りまくり,調子が戻ってきた。

9月25日
瘭疽を診て貰う筈が忘れられてしまった。

ここのところの経験から効果があること;
腕はバンテリンを塗りながらマッサージをして,その後は冷やさない。
脚は倹約せずにモーラスを貼りまくる。
入浴は日中,それも2回。
夕食後は眠ってしまう,どうせ9時の薬で起こされるのだし。
頭は痺れる前にバンテリンを塗る。
物を噛むとこめかみも動くので,その辺りも予め塗る。

疑問:食後に特にフラフラして起きていられないのは,血液が胃に集中するから?それとも消化の為の酵素との関係?それとも噛む時に使う筋力不足??謎だらけだ。

9月26日
足の瘭疽。(←文字化けの場合は「ひょうそ」)自分でいつもテラマイシンを塗って治ってしまうのが治らない為,イソジンゲルも塗って貰ってあったのが,朝食前に膿が出た。看護婦が,日曜なので当直を呼んでくれたところ,何とTR先生だった!心安らぐ女医さん。処置も丁寧。

握力は右30,左28,吃驚された。
ピアノを弾き,子供たちを自転車の前後に乗せて走り回っていた頃は40あったものだ。

昨晩は満月が美しかったそうだ。去年S大に入院していた時,胃癌で入院しておられたT田さんとおっしゃるおばあさまが「孫が『満月がきれいよ』と夜中に電話してきたので見ていたんですよ」と穏やかにおっしゃったのを思い出した。どうしておられるだろう。

午前中,冷蔵庫の霜取り。地べたに座布団を敷いて座ってドライヤーで溶かしたが,今までの霜取りのうち一番疲れた。

9月27日
明け方胸痛。ナースコールも面倒で,モーラスを貼り,ホカロンも貼った。ぐっすり眠れた。
夜中は相変わらず3回目覚める。
食事をするとふわ~~っと眠くなってしまう。朝夕を問わず。
ずっと訴えていたことだが,3月から頭の中で「シュッシュッシュッ・・・」と鳴る音のこと,今日も念を押した。

採血,レントゲン。
やっと叶ったリハビリ,今日は予診のみ。
遠い病棟。主治医がAllegroで歩くのに必死に追いついていたのを,途中で気付いて貰えてmeno mosso(Adagioにして欲しい!)

楽譜を書くスピードと,手紙の文字の8月と9月との差を持参して見て頂いた。

KC380310001.jpg

(↑8月。何も考えず喋る速さで書けていた頃)

(↓9月。横書きで必死で書いた。ペンもインクがポタポタ落ちる様なタイプ)
KC380309002:2

リハビリと言っても作業療法。

瘭疽の治療。(←文字化けの場合は「ひょうそ」)


9月28日
ちょっと頭を動かしてもフラフラ。
ワイン一本空けたが如きフラフラ感。夜は20kgを頭に乗せているかの如き圧迫感。
昨日無理に速く歩いた所為だろうか?

9月29日
瘭疽は未だに膿が出る。
朝,脳のCT
午後2時からリハビリ(理学療法)
今日は検査程度のことで,日常生活に必要な筋力を5とすると,今は3,良くて4-とのこと。
明日からエアロバイク。
ヴィオラのH井さんが頑張って歩くトレーニングをされていた。

リハビリ室へ行く長い廊下の途中に,医学書専門店を見つけた。立ち読みをしていたら案の定頭の圧迫感で読めなくなったが,治ったら入り浸りになりそうな場所!!

まだ続く副作用のデパート - 1999.09.19 Sun



9月14日
処置室でのH田先生の声は相変わらず金属音。しかも,金属ではない何かの音(例えば壁に手が触れるなど)まで金属音になってしまった!
夕方4時頃までその症状は続いた。

頭皮と頭蓋骨の間がぶにょぶにょと,何かスポンジが入っているが如く柔らかくなっている。ステロイドによって脂肪の層でも出来た??厚さ1センチくらいありそうにぐにゃぐにゃだ。

週1回「選択食」というのがあり,二つのメニューからひとつを選んで○を付ける。その○が書けないのだ。6Bの鉛筆で辛うじて歪んだ○を書くのだが,カーボン紙の三枚重ねで,一番下まで筆圧が届いていない。
必死で○ひとつをしっかり書くだけで頭がワナワナと震えてくる。
まさか乳癌が脳に転移したのではなかろうか!?と新たな疑問に悩まされるほどの症状。何が何だか分からない。本当に筆圧が落ちているだけならまだしも,脳に何かが出来ていて運動神経を阻害しているのではなかろうか…等々。医師が何も言ってくれないだけに,一人での想像が膨らんでしまう。
そうでなくても,予後については本のグラフが頭に浮かんでしまう。
私はどれに該当するのだろう?
DSCN5204・2


9月15日
寝る前10時前にユーロジン服用。明け方4時半頃にトイレに起きるまではよく眠れた。廊下の音は相変わらずうるさかったが他人事。
量を勝手に判断してはいけないのはステロイドだけではなかったのだ。
今の身体は全て薬によって動かされている,ということだ。
手の震え,筆圧が無くなったこと,全てが催眠剤の所為だと思っていた素人の馬鹿さ加減。そしてその言いなりになってくれた看護婦と医師。有難いのだか何なのだか・・・

9月16日
教授回診

夜中から又心臓がバクバク,頭も痺れ,今日は教授回診でどの位自分で喋らせて貰えるのだろう?と思っただけで(常に主治医が全てを伝える。専門用語への通訳が必要なのだろうか?と思ってしまう)ビリビリワナワナ。
筋力低下,痺れ,振戦その他,全部一対一で喋らせて頂けた。有難かった。勿論教授の周囲には全ての医師達が群がっているのだが。
中学以来の親友が,インターネットでDM(Dermatomyositis=皮膚筋炎)のことを調べて封書で送ってくれ,それは本当に私を心配しての親切心からだったのだが,読んでいるだけでうんざりし,倒れそうに(いや,実際ベッドに倒れた)全身の震えに襲われた。ヨロヨロとした文字で,今は控えて欲しい由,葉書を一枚やっとの思いで書いた。

昼,たまたま点けたテレビの「思いっきりテレビ」で「鬱病」を扱っていた。まさに現在の私の症状ではないか!!!
間脳よりのホルモンと関係するとか…。
罹りやすい人のタイプ,症状,自分で出来る予防法などを話していた。タイプは余り当てはまらなかった(やはり,ステロイドによるものに違いない!!)。
予防法を必死でメモ書き。
1. 生活にリズム
2. 生活にゆとり(あそび,趣味)
3. 孤独にならない(せめてテレビと交流)
4. 人生の目標をしっかり持つ。何でもよい。
・ ・・・・・1は入院中だからイヤでもリズムがある。消灯,起床,清拭,食事・・
他は何も出来ない。というより4は??「ピアノは今までの様には弾けない」と,人生の目標を奪われたばかりだ!!
でも,敢えて考えれば,目下の症状をしっかり訴える,という事も目標になるのか?それしか無い!


9月17日
毎朝の処置室での診察は,今日から部屋に居てよいことになった。
殆ど眠って過ぎた。
夕方から次々先生方が来室。
病気の波から,イムランはまだ止められないこと,副作用は0.5%位しか出る可能性がないことなど。
こちらからは,再度脳神経内科の受診をしたいこと,病気そのものより目下の辛い症状を改善して欲しいことを告げた。
この病棟の下の階が「精神科病棟」で,何か重々しくドアが何重にもなっているのだが,脳神経と精神神経は違うのだろうか?私の場合,精神神経ではないのか?と疑問。

午後,生徒の一人(いつも自宅を訪ね,何かお手伝いはないでしょうか?と訊いてくださるそうだ)に手紙を書いた。勉強会のこと,和気藹々楽しく負担にならぬ様に,とお願いした。

ECHOが1時間も待たされたお陰で,待合室のNEWTON(1984年版だが)が何冊も読めて楽しかった。こういうものは読んでいてもワナワナガクガクせず。

夜,大学時代の親友より電話。職場の数名より私のことを聞いた,と心配してかけてくれたのだった。そして,可成り尾ひれ(背びれ,胸びれも)が付いて拡がっているらしく,彼女が皆に口止めをしてくれたそうだ。
昨日娘に頼んで,近況を兼ねた挨拶状をパソコンで打って貰ったのは実に時期に叶い,的を射ていたことになる。

9月18日
何種類もの胃薬が効きすぎて,空腹。常に冷蔵庫を漁りたい程で,一種類は頓服にして貰った。
ユーロジンになったら便意が全く無くなり,お腹がパンパンに張っている。膀胱まで圧迫している様で,尿意ばかり催すのに出ない。

筋肉に関しては
1. 皮膚筋炎の所為
2. 副作用の所為
3. 使わずにいて衰えた所為
の3点で考えると納得が行く。そして無理に(といっても無意識なのだ)使うと震えその他の症状が出る気がする。筋肉には神経が沿っているからか??
脳に癌が転移していることは考えないことにした。

避ける様に言われている紫外線だが,太陽高度が低くなり,ベッドの位置までしっかり差す。
夕方夫と娘に頼んで,位置を変えて貰った。


副作用のデパート・その2 - 1999.09.14 Tue

9月9日
夜中に呼吸が入らなくなった。身体もバッタンバッタンと波打つ。
肺に転移したのではないか?
ナースコール。(入院2ヶ月間でまだ2-3回目)
看護婦さんを通じてまずは乳腺科の受診をお願いしてみた。看護婦せ○さんに「転移し易いところの具合が」と「肺,骨,脳,肝臓」とスラスラ(??)言ったので,「あら,私より詳しいじゃん!!」との返答。「当然ですよ,命かかっているのですから」と反論。私としては珍しいことだった。いや,前にも1回だけあった。腰が辛くて地べたに座って,出来ることと言ったら絵を描くくらい。それを,入ってきた看護婦が「いいわねぇ,優雅で」みたいな事を言った時だった。こちらは何も出来ず,ベッドの上にも座れないからこうしている。文字が書けないから色鉛筆で絵を描いているだけ。それしか出来る事が無いから!!大変辛い状態で仕方がないから・・と,それは婦長代理に告げたのだが,婦長代理と共に後で泣きながらやってきた。そんな事で泣かれてもなぁ・・・謝られてもなぁ・・・ひとつ学習してくれたことでしょう。

9月10日
乳腺科を受診出来ることになった。
乳腺のM先生が「乳腺のT教授といったら,その道で知らない人は居ませんよ!」と説明くださったらしい。「乳腺学会の会長もしている方です」とも。
皮膚科では「有名な先生なんだそうですね~~」と・・・こういう世界は音楽だけにして欲しい!!

受診し,細かい検査はこれからになるが,8月21日のレントゲンや8月10日の骨シンチでは,そんなすぐに(今)乳癌から転移していることは考えられない,との話で安心した。

それにしても一旦しゃがんだら立ち上がれない筋力。
全身が高熱にうかされている様なのに,体温は34℃台。体温計が壊れているのでは?と別なもので測っても同じ。
ふらふらは,本当に大量のアルコールを飲んだ後の様。
これを親しい友人に話したら,「いいじゃないの,お酒代が浮いたと思っていれば」とのきつい冗談。久々にキレた。こちらは深刻なのですよ。こんな辛い状態はない。高熱であれば解熱剤もあるし,放置しても必ず下がるのだが,原因不明ときては・・・キレても文字は筆圧が無いから書けない,電話は受話器が重くて持てない・・・
何よりも電話番号を4つずつ組んで覚えられない。ひとつ見てはひとつ押し・・・そうこうするうちに電話はツーツーツー・・と切れてしまう。※

※翌年5月頃に脳外科で画像を撮ったところ,微少脳梗塞が沢山映っていた。これもステロイドの所為。辛うじて40代なのに,「65歳くらいになると,この位出ている人は沢山居ます。心配ありません。」だそうな。短期間で急に65歳の脳で考えようとしていたから頭が割れそうになったのか……と妙に納得してしまった。この白い梗塞の画像もステロイドの漸減と共に減った。

9月11日
夜の巡回を止めてもらうことにした。
眠剤が関係している気がしてならないからだ。巡回で2時間おきに目覚めなければ必要のない薬なのだから。

CPKは18。これ以上破壊する筋肉もなくなってしまった,ということ??と素人判断。

次の担当の主治医が決まり,挨拶に見えた。男性お二人。・・・片方は・・・外来で初めて事前の問診をされた先生ではないか!ちっとも大切なことを書き取ってくださらず,漢字は違う,筆順は違う……あちらは記憶になかった様だが。まだ研修医の段階なので,5年目という中堅の先生が必ず同行。

以前,入院前に購入した「膠原病を克服する」という本に,「ステロイドの主な副作用」というのが載っていた。「大きな副作用」と「小さな副作用」に分かれていて,大きな方には「胃潰瘍,感染症,精神症状,糖尿病,骨粗鬆症,骨壊死,腎機能低下」などがあり,小さな方には「ムーンフェイス,多毛,にきび,筋萎縮,紫斑,皮膚線条」とあった。この中の「精神症状」というのが以前から何も対応をしなくて良いのだろうか?と疑問だった。何故なら胃潰瘍の薬は4―5種類使い,感染症には予防の為のあれこれがなされ,骨粗鬆症には薬が出ていて・・・(糖尿は検査数値で問題がなかったが),検査出来ない「精神」・・これは患者の自覚症状で考えて貰うしかないのでは?と疑問を抱き続けていたのだ。経験が無い為に,どういう症状が「精神症状」なのか分からなかったのだが(そして皮膚科医たちも,だと思う)現在の状態は??・・・と不安と疑問が頭をもたげる。
「患者が賢くなってはいけない」と何かで読んだことがあるし聞いたこともある。しかし,「難病」とは,医師も解決策がよく分からないので「難病」なのではないか??
その本には,「リハビリも早めに開始を」と書いてあったので,医師と看護婦にせっついているのだが,きっとうるさいイヤな患者と捉えられているに違いない。

9月12日
何が何だか分からない。
日に日に苦しくなる。明け方のヒューヒューいう呼吸音,倦怠感と震え,日に日に酷い。
何か考えようとすると頭上に20kgくらいのものを乗せている様な頭重感に襲われる。もしくは硬い縄で何十にも巻き付けられている様な感じだ。
いや,考えようではなく,無意識で居ても。
今まで興味のあったテレビも新聞も何もかも興味が無くなってしまった。

ちょっと動いただけで全身がフラフラガクガクビリビリ・・・
医師にも分からない,と言う。

9月13日
膠原病専門内科A先生の受診。
今回の状態を全部聞いて頂いた。そしてご説明を得た。
1. 筋炎そのものから来るかもしれない
2. ステロイドによる筋萎縮かもしれない※
3. 使っていない為にどんどん衰えている。

酷使して起きたことは「休め」だが,そろそろリハビリをしなくてはならない。
※ステロイドミオパチーといって,ステロイドによって逆に筋肉が無くなってしまうことを言うらしい。病気によるものか,薬によるものか,判断が難しく,病気によるものであればステロイドを増やさねばならないが,ステロイドによるものであるなら減らさねばならない。減らす,と言っても副腎が働かない状態にあるので,漸減(ぜんげん:少しずつ減らすこと。これを医師も「ざんげん」と読むことがある。ギョッとする)

又,ステロイドに関してはA先生の見解では,大量(4週)→漸減(状況に応じ4~8週)→維持量。そろそろ30mgに減らしてよいのではないか。
免疫抑制剤は,併用することでステロイドを減らせるので暫くこのまま,とのこと。
(あぁ,理解して頂けた!!)
明日は脳神経内科で現在の(副作用の)状況の説明を受けられるそうだ。

9月14日
最悪!!朝の処置室で,甲高い声の先生の声が頭に響いて座っていられなくなった。
頭や首の筋肉も取れてふにゃふにゃだ!声が金属音になってしまう。耳ではなく脳?

午後,脳神経内科K助教授の受診。
現在の状態は,ステロイドそのものにもよるが,眠剤をあれこれ変更したり減らしたり,ということからきているかもしれない。眠剤は止める時は一ヶ月単位で少しずつ止めるべきものであること。まずユーロジンをしっかり寝る前に服用してみること。(それで駄目ならβブロッカーの作用を使う,それでも駄目ならマイナートランキライザーを試す,ということに段取りも決まった)
それと,整形外科でリハビリ指導をしっかり受けること。

助かった・・・心から・・・

筋肉を動かすには神経も連なっているのだから。
そろそろ又筋電図を,という話も。






副作用のデパートへ - 1999.09.09 Thu



9月4日
薬が普通に飲み込めた!と喜び,又,今日担当の看護婦のSさんが,偶然,我が家と懇意の白馬S美術館のお嬢さんと同級生であることが分かり,楽しい会話をしていた時,夫が激痛で苦しい,と電話。
すぐに息子を起こさせて来院すべく説得する。
最初の手続きや受診は車椅子を押して付き添い,後は全面的に息子に任せた。
それでも心配で,病棟と外来等(レントゲン室や高度救急救命センターまでも)を4-5往復してしまった(片道15分)。
夫は検査の結果,尿管結石だった。自宅の心配事が増えた。
それにしても,私は歩けるではないか!!と回復を喜んだが・・

9月5日
全脚,全腕の鈍痛。全身の倦怠感。
隈無くバンテリンを塗ってみるが,手の震えの何と酷いこと!
夫もさることながら,娘のその後も気懸かり。
担任のN先生に電話をして,先日のお礼と共に家庭の様子を報告。とても優しい声で,「私にも母親代わりは出来ます。お母様は安心なさって,ご自分の療養に集中なさってください」とのこと。良い先生に巡り会えて感謝。

夜に,初めて「幻聴」を体験した。

9月6日
夫の外来に付き添う。
午後,娘の部活顧問の先生に手紙(部活は軽音楽だが,顧問は藝大美術彫刻出身の先生)。

血液検査CPK30台。こんなに歩き回ってこの数値なら,もう心配要らないのではないか?


9月7日
朝より振戦が酷い。全身がバタバタする程。
股関節も痛む。
入浴でタオルを絞ったら右前腕がギクリときた。
左手中指が脈打つ痛み。瘭疽ではないか?イソジンゲルを塗って貰った。
妹に日頃から腹が立っていることを留守電に入れておいたが,その後は全身がバックンバックンと波打っていた。

夕方,母の教会のH田牧師がお見舞いに来られた。(明日胃癌の手術を受けるという教会員の方の見舞いの後,と仰った)
ヨハネ伝16章33節をお読み下さってお祈り。私も折しも妹のことが気になっていた為,私側で感じていることをお話しして,母との和解を祈らせて頂いた。急に涙が出てきた。

Johannesevangelium 16/33 : Diese habe ich zu euch geredet, damit ihr in mir Frieden habt, In der Welt habt ihr Bedrängnis. Aber habt Mut ! Ich habe die Welt besiegt.

9月8日
朝,数分の電話で受話器を支えられず両腕が震える。
リハビリを希望している話を持ち出した。というのも,8月半ば頃,指のトレーニングをしている時の方が何十倍も腕の調子が良かったからだ。勿論赤みは酷いものの,物を持ったり書いたりする筋力は充分にあったのだ。

9月9日
朝,何を勘違いしたのか,単なる尿検査なのに蓄尿と間違えてコップが溢れかえって,トイレの床を水浸しにしてしまった。とうとう認知症か??
バスタオルで雑巾がけをし,絞るも,力入らず。
股関節は脱臼しそうな痛み,というか大腿骨が折れそう,というか,その位脚がヨタヨタしている。
腕も文字を書く支えなし。
どうしてこんなに震えているのか??
ステロイドの副作用だろうか?
そして心配は乳癌への疑問。ノルバデックスを止めているので「転移する人はあっと言う間」という言葉も思い出し,乳腺科の受診をお願いしているも,紹介状がなんたらかんたら,全然進展しないのだ。本来なら,まだ毎月1-2回受診している時期なのだから。
乳癌は「肺,骨,脳,肝臓」に転移し易いということはイヤほど知っており,この症状は「肝臓」以外のどれにも関係しそうな気がする。

教授回診
どうせ私は何も喋らせて貰えないことが分かっているので,予め主治医のK先生(女医)に疑問点を伝えた。K先生は居住範囲が我が家と似ており,子供達の小学校にも昔何かの試合で出向いたことがおあり,と,学校や店の話で盛り上がったこともある先生。こういう先生の存在は心強い。何かの診察に付き添ってくださった時,普通の大学を出てからどうしても医学に進みたく親を説得された話なども伺った。(教授は,患者のレヴェルに落として話しをするな,というお考えだそうだが,些細な雑談から人間としての患者像が見える,ということは余り大切ではないのだろうか??)

そして伝えて頂いたことは;
* 乳腺の診察を受けたいこと
* リハビリを開始したいこと
* 催眠剤と振戦は無関係かどうか
* ボルタレンを頓服で服用したいこと
* 脚のふらつきは,高熱を出した時の様であること。(ワインを一本空けた時の様なふらつき,と話したら「私はアルコールを一滴も飲まないので分かりません」と言われてしまい,40℃の高熱の時の様な)と表現を変えてみた)

これらの諸症状はその後も益々悪化した。



中学時代の英語のTA先生から,プレゼントと共に,先生自身が常に励まされている,という詩をお送り下さった。

Footprints
By Margaret Fishback Powers


One night I dreamed a dream.
I was walking along the beach with my Lord.
Across the dark sky flashed scenes from my life.
For each scene,
I noticed two sets of footprints in the sand,
One belonging to me and
One to my Lord.

When the last scene of my life shot before me
I looked back at the footprints in the sand.
There was only one set of footprints.
I realized that this was at the lowest
And saddest times of my life.
This always bothered me
And I questioned the Lord
about my dilemma.

"Lord, You told me when i decided to follow You,
You would walk and talk with me all the way.
But i'm aware that during the most troublesome
Times of my life there is only one set of footprints.
I just don't understand why, when I need You most,
You leave me."

He whispered, "My precious child,
I love you and will never leave you,
never, ever, during your trials and testings.
When you say only one set of footprints,
It was then that I carried you."




嚥下障害・他 - 1999.09.03 Fri

8月28日
朝は脚が痛くてあちこちに貼りまくったモーラスだったが,夜はいとも快適。まるでワルツのステップが踏めそうなほど。

8月29日
体重は戻った。全て浮腫は取れたに違いない。

毎朝処置室で診察なり処置なり行われるのだが,処置室の隣室の寝たきりのSさん,「便器」「便器」と騒いでいる。日曜なので看護婦は居ない。私が慌ててナースステーションまで便器を取りに走ってしまった。
走った後は,何と!走れたではないか!と驚き喜んだのだが,夕方から全脚不調。
いずれにせよ,筋力が戻ってきていることは確かだ。

脂肪の消化が弱っている娘ももうじき新学期。
あれこれ体調が心配であり,脂肪分を使わずに済むお弁当の総菜を5ページにわたって連絡帳に思い付くまま又書いた。

8月30日
一日脚の鈍痛。右脚は痺れもある。
排便時の下降結腸酷い痛み。

夜,唾液を(無意識)飲むと,舌の奥が吸盤の様にぴったり喉にくっついて喉を塞いでしまう。一瞬呼吸も止まる。
診察をお願いした。

8月31日
モーラスを喉に貼って寝たら少し楽になった。
脚の痛みも楽になっていた。

耳鼻科の受診結果;
1. 飲み込む量が多いのではないか
2. 喉に何かある
3. 喉の運動
の可能性のうち,2を疑ってカメラ。飲み込んでも唾液が残っている画像が刻銘に撮れていた。

画像を見れば素人の私にも唾液不足というよりは,皮膚筋炎から来る「嚥下障害」ではないのか??と疑うのだが…


午後,こちらから依頼していた仕事の話で電話が次々かかり,計3時間は喋っていたことになる。切る訳にも行かず,終わりの方はベッドの上であぐらをかいて喋っていた。

9月1日
全身の倦怠感。
舌の奥は相変わらずくっつく!
負荷は朝と午後と1通ずつ手紙を書いただけ。

中1当時の担任,M先生より沢山のお見舞いの品が届いた。どれも楽しいものばかり!
12歳に気持ちが戻った。感謝!!

9月2日
教授回診

8月半ば辺りだったか,記録のノートを作る様に言われて書いている訳だが,記録した後で食事をすると,ヨーグルトが鼻に行くのみならず,汁も具も鼻へ行く。ハンバーグなどは細かい肉の所為か,喉へ行く。

一度良くなりかけた爪周囲炎が又悪化している。
血液は正常。
免疫抑制剤をもう一週やってみて,プレドニンの量を減らすかどうか決めるらしい。

素人の観察;
眉毛の上のむくみは,顔全体のむくみが減ったので目立つのではないか?
唾液が映っているのは,バンテリンにより,唾液が正常の量になっただけでは?
顔だが,無表情で過ぎている為(笑うことも怒ることもない生活)顔の筋肉を使うことがなく,却って血液の巡りが悪く,薬が顔まで回って来ないのではないか?
(これから百面相を試みよう)


この辺りのメモ書きは,自分で書いた文字も判読不可能なほど筆圧が無い。


9月3日
家に用事で電話したら,息子が出て,娘が学校から救急車で運ばれた,と聞いた。
夫は長野から娘の病院に向かっている由。
いつも夏休み明けは調子を崩すのだが(家で冷房のある生活から,急遽満員電車で暑さの中の登校となるので),救急車,と聞き,理由も分からず気を揉むばかりで生きた心地せず。
保健室から救急車で近くのJ大学病院に運ばれたそうだ。
私の母が即刻出向いてくれた。
保健室の先生と担任のN先生が交代で付き添って下さっていたそうで感謝極まりない。
結局酷い生理痛だったそうで拍子抜けした。
そのまま母と電車で私の実家へ帰り,おばぁちゃまに目一杯甘えている様子。
(初潮の時も入院騒ぎを起こした)

ともあれ悪い病気ではなく安心した。

夜の血圧は160になっていた。昼間に測ったなら・・・心臓バクバク,身体が脈打つほどだった(日頃は100あるか無いか,それがステロイドで140くらいに上がっているところへ)

私が入院した時は,丁度期末試験から夏休みに入る頃で,学校も短縮だったし,お弁当も必要なかったのが(乳癌で入院した時は短期だったので3週分の総菜を作って冷凍し,お弁当箱に詰めるだけにしてあったのだが),今回は長期入院で,しかも夏休み。3度の食事の支度もあって本人としては負担が多かったのだろう。



中学時代の音楽,及び中3の時に担任をして下さったNK先生が書き送ってくださった聖書の箇所。コリント人への第一の手紙 第10章 第13節

1. Korintherbrief X/13
Eine andere als eine menschliche Versuchung hat euch nicht erfaßt. Gott aber ist treu. Er wird es nicht zulassen, daß ihr über eure Kräfte versucht werdet, sondern wird mit der Versuchung auch einen Ausgang schaffen, der euch das Ertragen ermöglicht.

益々増える薬の種類 - 1999.08.27 Fri

8月中旬の続き
まぁまぁの体調の日もあり,家族と5人で外来棟のレストランで食事をする楽しみ。しかし翌日になればその疲れか,一日中懇々と眠ってしまう。
プレドニン40mgは安静を前提とした量なので無理は禁物だそうだ。

ピアノの(留学時代の)友人たちから代わる代わる電話がある。
親身になって今後を考えていてくれるのも有難い。それぞれが自分の意見を述べてくれるのも有難い。特に生徒たちをどうしたら良いのか,この意見は全員違ってさりげない忠告もある。(結局,だれそれに預けるのは危険…といった内容なのだが

8月18日
血液検査,尿検査,蓄尿,検便。一仕事した気分

娘の具合が悪いらしい。猛暑の中,塾通いを始めた所為か?
ホームドクターのところに出向いたそうだ。特に異常はなかったらしいが,心配して結果を待っているのだから知らせてくれてもよいものを。

8月19日
最悪の日!!
病気に関する面談の日(HJ医師,F医師,TR医師)
以下,面談での説明内容;
病名は「皮膚筋炎」
病気に関する説明があった。
一生付き合う病気であること。今までのようにピアノは弾けないこと。断言された。
大人では50~60代,子供では8歳前後が一番発症し易いが,予後は悪くない,とも。
癌の発症は免疫力低下の時期が多い。(諸検査で,現在は癌は無いらしく,それでステロイドを使用するのだろう,と解釈。というのも,ステロイドは免疫力を落とす作用があるのだから。)
日焼け厳禁。引き金になって皮膚症状,手足の脱力,関節痛が起きる。
皮膚と筋肉のみならず,間質性肺炎が屡々同時に起きる,とも。
病気の波としては中等度だが過労・負荷は厳禁。治療を行っても完全に抑えられていない。今の治療では物足りない。
40mgで波が無くなり,自分の中での感覚も良く,完全抑制であれば4週間で又判断。3週間での段階では駄目。
かと言って,薬を多くすれば良いものでもない。
兎も角外出許可は無理。ピアノも当分不可能。

8月20日
不眠最悪。しかも胃の激痛。ナースコールにて薬を貰う。
父の胃癌当時を振り返る。どんな気持ちだったのだろう,と父の無念さの方が頭に浮かび,今になって気持ちを痛いほど思い知らされた。私などより余程口惜しかったろう。

朝まで熟睡したく,眠剤を変更して貰うことになった。

午後爆睡していたら,中学以来の友人Kから電話。朦朧としながら溜まった報告。
彼女は(も)乳癌の先輩でもある。
そこへ折良くHJ先生来室,私がどうして乳癌の時にS大T病院に行くようになったのか,を知るべく。余程Kに電話を交代して貰おうか,と思ったほどだ。
大学病院同士,難しく「単なる友人の紹介」では駄目だそうで,手紙一通書くにも大変だ,とか。(音大と同じ??)

目下の主治医,TR先生が8月一杯で外来になるそうだ。2ヶ月毎に外来と病棟を交代するシステムだそうで,がっかりだ。本当に頭の回転の速い女医さん。行間を読んでくださる医師,親切,丁寧,何でも耳を傾けてくださるのに。看護婦の話によるとTR先生は皮膚科の前は内科にいらしたそうで,頭の回転領域が広い,とか。

神戸のOさんから大きな大きなお見舞いが届いた。手紙も。私は何も言っていないのに全部理解してくれている内容に驚いた(他に人には話していないのだから・・)

8月21日
眠剤変更の所為か,ぐっすり眠り過ぎずっと同じ姿勢でいたのか,胸まで痛い。
念のため部屋に心電計が運ばれて記録。
飲み物が鼻に入る。喉にうまく進まない。
頼んであった寝巻代わりのあれこれ,通販から届いたそうで夫と娘が持参。
心電図やら空調の掃除やら回診やら,土曜にしては珍しい日。
相変わらず床のカーペットと小さな折りたたみ机で手紙を書いたり過ごしている。
いつになったら腰が安定するのやら・・

8月22日
時々回転性眩暈。
飲み物が鼻に行くのがどんどん悪化している。
固形物は飲み込めるが,残りの水分は鼻へ。食道が狭い??それとも食道の筋力低下??

夕飯の後居眠り一時間。入浴の予約時刻にぴったり目覚めた。体内時計はしっかりしているらしい。
その後手紙を書いていたら机で眠っており,11時の巡回で起こされた。

8月23日
恐ろしいのは,眠剤を飲んだ後で書いた手紙の内容が全く記憶にないこと!!
しっかりした文字で書いてあるのだが(勿論私の筆跡!)。※

※ 眠剤の所為との素人判断の恐ろしさであった。喉の飲み込みの悪さも,この手紙の内容が記憶から失せているのも,ステロイドの副作用の所為である,と後年分かった。

先週の木曜以来,看護婦達からピアノに関する話題が消えた。意図的な取り計らいか??

8月24日
第一内科A先生受診。
ステロイドを30mgにしてはどうか,との意見だった。※
嚥下障害の話をしてみた。薬を飲むと,薬は飲み込めるのに水が鼻から出てしまう日々や,硬焼きそばは通るが,魚は飲み込めなかった話。先生は「硬い焼きそばが通るのなら問題ないでしょう」といったことを言われたが,硬焼きそばとて所詮小麦粉を練ってあるのだから,唾液や飲み物と混ぜて噛めば,単なるドロドロした物になる。それに対して魚は繊維が長いではないか・・・嚥下力のみならず噛む力の関係か??と又素人判断を働かせてしまう。

※ 諸症状が皮膚筋炎からではなく,寧ろステロイドの副作用からきているのではないか,という考えの様であったことが後で分かった。

午後,生徒たち宛の手紙を8枚書き,夫にコンビニでコピーを頼み,夜に20通の宛名を書いた。

8月25日
案の定倦怠感。たった宛名20枚で??

生理時のただれを,2人の女医さんが病室で診察。膠原病との関連を。

この辺りの記録から筆圧が落ちている。文字の形もいびつ。

8月26日
嚥下作用が悪く,耳鼻科で写真を撮ったところ確かに喉に唾液の飲み損ないが残っている。

夜,又しても面談。
以下,その内容;
ステロイド40mgという量を,内科では落ち着いている,と捉えているが,皮膚科では波が抑えられていない,と捉える。(そりゃぁ全身真っ赤ですからねぇ・・・
ステロイドだけでは抑えられていない,との解釈で「免疫抑制剤」を加えることになった。
「アザチオプリン」商品名「イムラン」100mg(200mgの意見もあったそうだ)
副作用:骨髄抑制(白血球などの造血の障害),易感染症(ステロイドに加えて!??),脱毛,間質性肺炎・・・等々
1-2週間服用して検査をする。皮膚筋炎と副作用を調べて,問題がなければステロイドを減量していくことも出来る。

8月27日
免疫抑制剤を増やしたことで,益々感染に気を遣わねばならない。マスク必須。
病室のドアの横に,使い捨てマスクが掛けられた。病室を出る時にはこのマスクを。

ところがマスクをすると眼鏡が曇って鬱陶しい。コンタクトを入れたく,外来等のアイセンターへ。
コンタクトの業者らしき男性に,「2ヶ月間洗っていません」と念を押したのに,水道水でざっと流しただけではめた!(どんな菌やカビが付いているやら??)しかもレンズの曇りで視力検査は不可能。当然だ!!再度丁寧に洗って貰い,検査。
医師の診察の折にその事と,ステロイドと免疫抑制剤の話をしたら,感染症が心配なのでそれらの薬の服用中はコンタクトは使用すべきではない,と言われた。洗いの悪いレンズをはめたので念のために抗菌目薬を点眼してくれた。

カルシウム剤が処方されている筈なのだが,どれが何の薬か分からない。
しかも一旦処方されていたのが暫く来ない。尋ねてみたら,その薬は他の患者さんの為の利尿剤であったことが判明!!

薬をしっかり,自分でも確認するように言われた。

朝:プレドニゾロン20mg,イムラン50mg,グラケー,アルファロール,ザンタック,ウルグート,エクセラーゼ,ビタメジン,マーロックス,アスパラCA
昼:プレドニゾロン10mg,イムラン50mg,ビタメジン,エクセラーゼ
夜:プレドニゾロン10mg,ビタメジン,エクセラーゼ,グラケー,アスパラCA
就寝前:ザンタック,ウルグート,マーロックス,サイレース
(副作用の為の胃薬と骨粗鬆症用ばかりだ!!その更なる副作用は?と思ってしまう)

サイレースなど使わなくても消灯前から眠っているのに,2時間おきの巡回で起こされてしまうだけではないか!!とこれも気に入らない!!!一旦8月11日にサイレースからユーロジンになったのが,巡回で目覚めてしまう為,サイレースを夜9時と巡回で目覚めた時と1mgずつ分けて服用することになった。納得の行かない話だ。何かあったらナースコールするのだから巡回は不要!!と思う。


相変わらず不眠・夜中の騒音 - 1999.08.20 Fri

余りに眠れない為に上旬から何か催眠剤が使われていた様だ(サイレース?)。
こんな事しか話題がない情けなさ!!!

8月9日
催眠剤を使っても2時半には目が覚めてしまう。
サポーターを腕にはめてホカロンを貼ると調子が良い。
明け方4時頃に激しい胃痛。

ところで,1997年辺りからの酷い蕁麻疹だが,ステロイド服用で治ってしまった為に原因は調べられないそうだ。

8月10日
夜は頑張って10時半頃までテレビを見て起きていたがいつ眠ったのか分からない。でも夜中の1時半には目覚めてしまった。
夜中に目覚めるのも悪くはない。
日頃逃げ回っている頭の中の思考回路があれこれ動き出し,人生の諸事を考え,具体的にどうすべきなのかを思い付いたりする。これも,必要あっての「時」?

それにしても無責任にも放置した結果となっている生徒達には申し訳ない限り。
時間さえあれば,仕事関係の方々や生徒たちに手紙を書いている。

朝,骨シンチの為の造影剤を打ったのだが,昼頃から凄まじい動悸に襲われる。余りに身体が震えて検査(じっと横になっている)に支障が出るのではないか?と思うくらいだった。

8月11日
夜,F医師,T医師。
催眠剤はユーロジンに変更。これは導入剤というよりも,夜中の覚醒に効くらしい。

8月12日
教授回診。
CPK陰性。

保険会社(5社。そのうちの2社は所得補償保険)からの書類に記入を始めた。
この記入が大変負荷のかかるもの,普通は家族が記入してくれるのでは??と思いつつ,そんなことをしていると何ヶ月かかるか分からないので兎も角記入をした。そして講義棟にコピーを取りに行き,封書にして投函。
知らず知らず負荷がかかっていたのか,病室に戻ったら身体が地震の様に波打っていた。

8月13日
前の晩にユーロジンを飲んでから手紙を書いていた為か,一日朦朧。

8月14日
本来消灯は9時なのだが,そんな時刻に眠れる訳もなく,看護婦も一人部屋なのでご自由に,と言ってくださる。
1時半頃トイレに目覚め,3時の見回りは知らず6時頃まで眠れた!!

8月中旬~
MRIの様なじっとしていなければならない検査の後は全身がこわばって車椅子が欲しい!
ベッドの上に座ると腰が余りに不安定で座っていられない。家から敷物と折りたたみ式の小さな(大きさとしてはA3くらいだろうか?)テーブルを持ってきてもらい,床に正座して書き物をすることにした。調子よい。
しかし文字を書けば腕の倦怠感。
その上,折角個室で電話もあるというのに,受話器が持てないのだ!!
たまたま取ったら最後,忍耐との闘い。出来るだけ早く切ろうとするのに遮る間も与えない相手には閉口。その後は鈍痛が続く。

夜の巡回が無ければ,眠剤など必要ないのだ!!という怒り。
2時間おきに目覚まし時計をかけているようなものだ。9時に消灯(消さないが)。11時,1時,3時・・・バッタン!とドアを開けて,懐中電灯で顔を照らす!そして看護婦によっては出て行く折にドアを手で閉めないので,そのまま自動的にバッタ~~~~~ンとけたたましい音で閉まる。足音もうるさい。廊下の床はビニールの様なへばりつく素材なのだろう,ナースシューズとの相性が良いのか悪いのか,ペッタペッタペッタ・・・深夜の魔物。
ナースステーションの近くなので,「エリーゼのために」(ナースコール)も頻回に鳴る。夜ずっと待機している看護婦は尊敬極まりないが,あの全員分の翌日の薬をハサミで一回分ずつ切り離して器に入れる作業も(感謝すべきだが)病棟全体に響き渡る。何か音が響かない方法はないのだろうか??ドアを閉めては病棟の様子が分からなくなるのだろうか?
この病棟は昭和44年に出来た一番古いものだそうで,近々解体されるらしい。(現在の規制に合わないことが多いらしい)


家族が来てくれるのも有難いが,洗濯機も乾燥機もあるのだし自分で出来る。食事も3回出る。病室の椅子に座って眠り込んでいる夫を見ると,疲れているのなら無理に来なくてよいのに,と思うばかりか,慣れない家事でさぞかし疲れているのだろうが,余りに眠っていると「疲れを見せつけに来ているのか!?」と意地悪く思いたくなるほど。
・・・ソ レ ヨ リ イ エ ヲ カ タ ヅ ケ テ ク ダ サ イ・・・

と書きつつも,今日は病院の公衆電話のところにある電話帳で,お総菜の宅配サービスの電話番号をあれこれメモを取ってしまった。今まで何も家事をしていない3人,大変だろうなぁ・・・と思うが余りに・・・
家族たちが簡単に出来る手抜き料理(寧ろ脂肪分を控える為の)を連絡帳に3ページ書いた。(手抜きのホワイトソースの作り方,手抜きの中華のとろみのつけ方,等々)冷凍食品に頼りすぎて,娘が消化器官を弱らせている様なので。

不眠が始まった - 1999.08.08 Sun



8月6日
細切れに3-4時間(計)眠れたのみ。
生徒があれこれ連絡をくれること(私に直接であれ,自宅にであれ)は有難いことなのだが,暫し考え込んでしまう。どれだけ長くなるか分からない休みのこと。差し当たっては,コンクールを既に申し込んでしまった生徒達への対応。しかも私が代表して預かっていた受領票も渡していない。審査員のキャンセルの連絡もしていない。
1時間でよいから外出許可を出してくれれば有難いのだが,ステロイド投与が始まった為に,易感染症を理由に許可を貰えず(病院の方がどれだけ細菌が漂っているか分からないのに…)

そう言えば(話は変わるが),ここのところ酷かった「いびき」が消えた。浮腫がおそらく鼻まで圧迫していたのだろう。何度自分の「いびき」で目覚めたか分からない。すっかり治ってしまった。

筋力も回復しつつあり,エレベータがワゴンその他で一杯の折には,階段で一階まで下りて新聞を買ったり売店に寄ったりしている。

一日,休み休み手紙を5通書いた。全部生徒宛だ・・・

喉の痛みで耳鼻科受診。又あの女医だった。今回も「年齢に伴う自律神経の乱れ」みたいなことを言う。腫れぼったいのは事実だし,飲み込む時に痛いのも事実!
自分なりに「病気の一環。人間外も中も一枚皮,外の皮膚が赤ければ内部の粘膜だって荒れている筈,外の皮膚が乾いていれば粘膜も乾くだろう」と考えながら病室に戻った。

夕方HJ先生来室。
その折偶然「我々は皮膚も内臓も同じ,という考え方です」と仰った。私の解釈もまんざらでもなさそうだ。
プレドニンがゼロになることは将来的にも無いそうだ。10になったら外来でケア。40である今は論外だが,少し減ったら様子次第で外泊をしてピアノをガンガン弾いて,検査データの変化を見る,という話も出ているらしい。

夜,主治医のTR先生来室。
CPKは150位で,正常範囲に戻ったそうだ。その他,白血球が上がっているのは薬によるもの,とのこと。というのはCRPが陰性だから。あとは,腫瘍マーカーもOK。但し膵臓だけはギリギリなので,数ヶ月に1回はチェックの必要性あり,と。


8月7日
2回目にトイレに起きてからもう眠れず。2:30から起きていることになる。無理に眠ることもない。一日ヒマだ。
起床時刻(6時)前から起きて部屋を片付けた。
冷蔵庫の霜も取った。2リットルは取れたと思う。ドライヤーで霜を溶かす為に蹲踞の姿勢で40分くらい居たので,脚が変になってしまった。

8月8日
又12:30位から目覚めたまま。
よし,と電気を点けて,眠くなる為の数学の問題集を解いてみたが眠くならず。
バンテリンを塗ってマッサージし,机で指を動かしてみたが音がするので控えた。座っているだけで脚が変なのは霜取りの所為だろう。でも筆圧もかからない。
朦朧と過ぎ,これは病気に悪影響かもしれない,と電気を消して寝ることにした。

朝,35.7℃,血圧140 – 95。いつもより40以上高い。

筋肉に対して何もしなくてよいのか?QOLを考えた時,腕~指の筋や腱が固まったりフィブリノイド化したり,という懸念はないのだろうか?


ステロイド(プレドニン)が効き始めるまで - 1999.08.05 Thu

7月30日
まだ悪性腫瘍の検査が最優先
婦人科エコー

筋肉疲労が激しい。
左腕を使うと,例えば額が痒くて掻いただけでも倦怠感と鈍痛。
シャワーを浴びたり身体を洗ったりすれば,暫く動けない。
寝返りも打てず,身体の向きを変えられない。
上を向いて本でも読みたいところだが,本どころか自分の腕が重くて支えていられない。

しかもCPKは500まで上がってしまった。
プレドニンは早い人では4日目くらいから効果が出るそうだから,服用していなければもっと高い数値になっているのかも分からない。
でも,量と病勢との釣り合いはどんななのだろう。

7月31日
夜中から少し目の周りが楽になった気がしていた。
昼頃になり,随分顔を動かすのが楽になり,笑っても「頬が邪魔」と感じることがなくなってきた。勿論まだまだ普通にはほど遠い。
座っていることも出来るようになり,手紙5通。コンクールを控えた生徒達に,何も私自身が分かっていなかった為に,レッスンを暫く休ませて頂くことになる報告だ。

負荷とそこから来る症状を調べる為に,同じ時間帯に風呂に入ることになった。
前の晩よりも倦怠感は減っている。

凄まじい目の周囲の浮腫,顔の浮腫,顔を初め全身の紅斑,嗄声だが,医師たちは何を話しているのか,「田中さん(私の本姓)はひょっとすると元々凄く美人なんじゃぁないかしら,って医局で話しているんですよ」だそうな。(び じ ん に し て く だ さ い……


8月1日
握力,右32kg, 左28kg。
浮腫は変わらず。
握力を測って腕に力を入れ過ぎた所為か,入浴のだるさは戻ってしまった。

8月2日
腕の倦怠感が随分楽になった。

8月3日
目の周りの浮腫は8割消えた気がする。

午前 脳のCT。
午後 第一内科。プレドニン40mgの間は退院出来ないそうだ。3~4週間はこの量らしい。
漸減も年単位だそうだ。
副作用も1年くらい経てば消え始める,とのこと。まだ出てもいない副作用なので,随分先は長い・・・

排便が自力で出来たのは,入院して1週間くらいだけだった。その頃の方がまだ筋肉が破壊されていなかった,ということだ。CPKも正常範囲だったのだから。

8月4日
記載しておかなかったので忘れてしまったが,筋肉痛にはモーラスを処方されている。

目の周りの浮腫は9割消えた。
まだ病名ははっきりしていない様だが,「皮膚筋炎」だけは確実らしい。

視力は万が一SLE(全身性エリテマトーデス)があれば網膜や視神経をやられる事があるそうで,脳の結果が出てから眼科に行くことになった。

首の腫れは全く苦ではなくなった。

8月5日
何週間かぶりで,薬を使わず排便出来た。
午前中久々の教授回診(教授が休診続きだった)。私の一番酷かった状態はご覧になっていない。

「午後」がいつなのやら,待ちに待って漸くMRIに呼ばれた。
30分間,ちゃぶ台の様な形の装置の下で身動きもせずじっとしていたので,その後立ち上がるのにひと苦労。しかも歩けない。病棟は遠い。手すりにつかまりながら辛うじて(3倍以上時間がかかった)病棟が近付いた。部屋に戻ったら寝られる…と頑張って戻ったら,生徒の親が相談に来ていてがっくりしてしまった(内心)。予測外のレッスンの休みを頂いてしまったのだから仕方ない




病名と,ステロイド服用開始まで - 1999.07.29 Thu

7月14日
医師2人により右太腿の筋生検と下口唇・唾液腺の細胞診。
麻酔を注射し,相変わらず緑色の覆いを掛ける。
切っているところをどうして見せてくれないのだろう。何でも人生は勉強(?)だと思うのだが。
口唇を切る時,人手不足の様で2人の医師が困っていた。私が口唇をぐい,と引っ張って押さえていることにした。

又キシロカインで蕁麻疹!!

夕方娘来院。外来棟6階で食事をすることにした。
筋肉を切った為に繋いである点滴を吊してあるポールをガラゴロ引き摺って,延々歩いた。
ちょっと遠すぎだった。娘に車椅子を押させるべきであった。

夜,コンクールを控えている生徒の一人にお詫びの電話。

7月15日
朝一番,処置室にて教授回診。又しても見せ物会。
午後シャワー,造影剤なしで胸のCT。

昼寝もたっぷり,夜も消灯前から眠っている。
夜中に痒みの薬を頼む。ニポラジンを毎日飲むことになった。

7月16日
毎朝何かに追われる夢で目覚める。
生徒がコンクールを控えているのにレッスンが無い為片手ずつ練習していなくて暗譜が曖昧,とか,私自身が入院で単位が足りない,とか・・
幸い6時に看護婦が起こしにきて,夢だった,とホッとする。

朝一番の血圧は,上が90, 下が55。

9時,筋電図(筋肉を支配している神経により筋力が衰えているのか,筋肉そのものによるものか,調べる)。

昼過ぎ,入院理由の説明。
膠原病の種類と,強さを検査する為であること,薬を使うにしても多ければよい,というものではなく,副作用もある為に,量を決める為にも事前にデータを揃える必要がある,ということだった。

7月17日
蕁麻疹が治らない為,ニポラジンは朝晩定期的に服用することになった。

7月18日
就寝時辺りから,唾液を飲むと右首が痛む。

7月19日
昼前から又首が痛い。それは決して喉ではない。
耳鼻科に回されたが,ガムを持参しなかった為2日後に延期。唾液の量を調べるらしい。
口が渇いて仕方ない。
嗄声も酷くなり,声帯を調べたが異常なし。つまりは粘膜がどこも乾いている,ということだろうか??
リンパ腺が腫れているそうだ。
その耳鼻科の医師は,「声帯は何ともない」「考え過ぎ」(私の元の声を知らずによくその様な意見が言えると思う「年齢からくる自律神経の乱れ」とも!
電話の声は親しい友人ですら分からないほどだというのに!
だから友人たちは「割り箸事件を起こした病院に入院して大丈夫??」と心配してくれるのだ(あれも耳鼻科だった)。それは正しい。

7月20日
予測外の入院となった為,コンクールを予定している生徒たちが面食らっている。何人かは友人に預けたり,母に預けたり,既に決まった。

この日,外出許可を取った。
午前中吉祥寺にて,入院に必要なあれこれ(ポット,ヘアードライヤー,タオル,etc)購入し,帰宅して自分で散髪。

午後は小学生2人を5時間かけてレッスンした。
目の上の浮腫と嗄声が一段と悪化していて親御さんに驚かれた。

夜病室に戻るや,どっと疲れが出たのか,天井がグルグル凄まじい勢いで回り出し,ナースコールも出来なかった。

7月21日
朝の顔の浮腫たるや!今までになく酷い!!
目は奥に入ってしまった。
エコーは腹部,頸部に加え,胸もお願いした。
起き上がるのに腹筋が痛い。
日に日に筋肉痛が酷くなり,特に右を向けない。ざっくばらんトイレの後が困る!風呂も背中が洗えない(日頃は,背中で手の届かないところは無い)。
唾液の検査は,何も口に入れない場合が2.1(通常2~10),ガムを噛んで量ると10(通常5~15)。やや乾き気味だがさほど酷くないそうだ。
ガリウムシンチの注射。

7月22日
教授回診及びカンファレンス。

夕方担当医より病気と治療法の今後の説明。
居合わせた夫と娘も一緒に聞いた;

夜から免疫抑制剤のDDS(シクロスポリン)の服用を始めた(1日75mg=3錠)。
原因に,ウィルス感染があるのではないか,ということらしい。DDSはハンセン氏病にも使う薬らしい(その他,水疱症,角化症などにも)。
ステロイドホルモンは使い始めたら止められない薬であり,副作用が多すぎること(糖尿,免疫抑制,潰瘍…限りなく),まだ悪性腫瘍の検査があること,目下の問題は皮膚症状のみだから,という説明。(本当にそうか??)
しかも効かない場合は倍にする薬。
それに対し,DDSは効かなかったらいつでも止められる薬だそうだ。
副作用には,貧血,血小板や白血球の減少,肝炎,腎炎,湿疹など。これらは使用開始4-5週目に出るそうだ。なので週1回採血で上記をチェックする。

この日は家族が居合わせたこともあり,病棟医より更に詳しい説明がなされた;
膠原病が自己免疫疾患であること。
目下3つの範疇にある=皮膚筋炎,全身性エリテマトーデス,シェーグレン症候群,その他,関節リウマチ,結節性動脈周囲炎
膠原病複数をオーバーラップしていること,基礎に別な疾患があることが多い,ということ。
採血上の値は,シェーグレン症候群の時に上がる値と,筋肉が壊れる時に上がる値のみが異常値。

今後の検査;
ガリウムシンチ(内臓),婦人科エコー(卵巣),骨盤内,大腸ファイバー,

自己抗体(-)
SS-A (+)
病気が高いと免疫蛋白が増える。
免疫グロブリンが消費され(上昇),補体が一緒に使われる(低下),の時に免疫反応が活発になる。
治療としては,炎症を抑えること,免疫反応を抑えること。
そしてその為には副腎皮質ホルモン(ステロイド)は両方を押さえられるが,副作用も多いので,まず免疫抑制剤を使う。全体の免疫力を弱めるので悪性腫瘍を抑える力も緩めてしまう。そういう訳で薬は弱い方から使う。DDSはサルファ剤であり抗生剤。商品名は「レクチゾール」

その他,直射日光を避ける,皮膚症状は塗り薬で抑える。

目下のところの病名は【全身性エリテマトーデス,皮膚筋炎,シェーグレン症候群のオーバーラップ症候群】


7月23日
ガリウムシンチの検査。寝ているだけの至って楽な検査。

7月24日
浮腫が今までで一番酷い。
午後,息子,娘が続いてやって来た。外来棟6階で食事。
息子は7時半まで居てくれた。
娘は腰が痛い,と私のベッドを占領し,その後夫が迎えにきて塾へ。

7月25日
最悪の浮腫!!(と毎日感じるのは,どんどん悪化している,ということではないか!!!)
右目は半分も開かない。オオカミの様な目つきになっている。
頬も口の周りも腫れぼったく,下を向くと顔中の肉が落ちそうだ!
体重測定・・・6キロ増えていたが,その中でも最低3キロは浮腫んでいるだろう,と感じた。
入院して日に日に症状が悪化し,これではスタート地点に戻るだけでも大変ではないか!と内心苛立たしい。

7月26日
腹部CT。
採血でCPK(クレアチニンフォスフォキナーゼ・筋繊維の変成疾患で血清中に出てくる酵素)が340になっていた。
入院は月単位になるだろう,と言われた。

7月27日
頸部のCT。
膠原病第一内科の診察。これからは内科と皮膚科の両方で受診することになった。
夫と娘,来院。

7月28日
大腸ファイバー。
朝6時に,言われていた通り,2リットルの下剤が来た!
又しても今までにない顔の浮腫!!額,眉間にも至る。目はすっかり奥の方に入ってしまった。
下剤で下痢をさせ,体力全部を使ってしまった気がする。
大腸ファイバーそのものは,大変技術のある先生らしく,何も苦にならず,他院では目隠しをされていたので内部の動きの感覚が苦痛だったが,テレビ画面を見せて貰えたので,説明を受けながら自分の体内の様子がよく分かった。小さなポリープを切ったり,通りにくいと,「はい,ちょっとだけ右向いて」など指図があるのも,画面を見ているのでよく理解出来た。

7月29日
DDSが全く効果がなかったので,ステロイドに切り替えることになった。
プレドニゾロン,朝20mg,昼10mg,夜10mg,一日計40mg。
それと同時に副作用に備え,胃薬,骨粗鬆症の薬,他多数。
何だか薬だけでお腹が一杯になってしまう様だ。





膠原病での入院まで - 1999.07.13 Tue

6月18日
皮膚生検した場所の消毒。

6月22日
S大T病院に電話をし,状態の報告。それまで訴えていた股関節や肘関節の痛み,首のグリグリ,紅斑等々,「あぁ,膠原病だったらあり得ますよ」とこの時になって言われた。もっと早く思い付いて貰えなかったのだろうか?
餅屋は餅屋。特別上等の餅屋でも高級な霜降り肉は買えないものなぁ……
ノルバデックスは中止することになった。
顔の生検部分抜糸。

6月24日
脚の抜糸

6月25日
ずっと続いていた嗄声だが,飲み込みも悪い。
癌の有無を調べる為に,KR大学病院耳鼻科受診。

6月26日
胃カメラ。
嚥下作用が悪いのに・・と不満だった。案の定スプレー式麻酔(キシロカイン)でむせた上,夕方より蕁麻疹だ!でも,暫く受けられない検査だと思うので,早めに済ませてよかった。

7月1日
皮膚科のカンファレンス。
十数名の医師が私の症状を次々観察して勉強するらしい。見せ物会,と称しておこう。座っていれば良いだけなので苦ではない。

爪の周りは益々赤く(爪周囲炎というらしい),ピアノを普通に弾いていて隣接する鍵盤の角に触れただけでも甚だ痛い!まるでグリッサンドの練習をした後の様に!!
これだけでもとてもピアノどころではない。

7月8日
症状の増悪が甚だしいので,入院を早めることになった。
全身の紅斑の広がり,嗄声,目の周りの浮腫,日に日に激しくなる。
13日に入院が決まった。

7月12日
S大T病院に,手術に関する報告書を貰いに出向いた。
看護婦さんたちが,余りの私の変貌ぶりに驚いた。凄まじい顔の浮腫に紅斑。
声も他人の声となっている。それらはKR大病院では比較の元が無いので分からなかった様だが・・

夜に入院中主治医になる,という女医さんから挨拶の電話があった。「よろしくお願いしま~~す」と明るい声。よろしくお願いするのはこちらなのに・・・良い先生みたいで安心した。

7月13日
KR大病院へ入院。
「検査入院」との立前で,一応3週間。「3週間はあっと言う間ですよ」と長引くことをほのめかされた。※
皮膚筋炎だとすると悪性腫瘍が又潜んでいる可能性がある為,全身の癌の検査が最優先。
早速検査。
この日はレントゲン,呼吸機能検査,心電図,これらで3時には終わってしまった。
その他,採血がO医師によりあったが,採血中に紫斑が出た。悲鳴を上げたくなるほどギュッと縛って痺れが出た位なのだが,そして「あぁ,紫斑が出易いですね」はなかろう。
採血は今まで(妊娠中の頻繁な検査を含め)100回以上受けているがそんな経験は一度もない。下手な医師より,看護婦の方がよほど上手いのだ!!
※結局4ヶ月に及ぶ入院治療となった。




膠原病の疑いへ - 1999.06.17 Thu

5月12日
前の年によく通った地元の整形外科にて関節痛を調べて貰い,不気味な紅斑も診て貰ったところ,近くの皮膚科(町医者)を紹介され,そのまま出向いた。
紅斑は太腿,顔では額,両方の頬,鼻に及んでいた。
「脂漏性皮膚炎」と診断された。
ステロイドの軟膏,顔はキンダーベート,その他の場所はアンテベートを処方された。その他,抗アレルギー薬としてニポラジンが処方された(これが,その猛烈に眠くなる薬だ!)。

5月13日
気功師より「プロポリスを塗ってみるように」と一瓶頂いた。

5月15日
スウェーデンから一時帰国の友人を囲んで食事をしたが,脚に塗ったプロポリスの何と臭いこと!!申し訳ないことをしてしまった!!

5月22日
紅斑は左膝横,右上腕にも拡がった。
皮膚科を訪ねたら,相変わらず「脂漏性皮膚炎です。間違いありません。」と言う。
病名を付けるのが医者の仕事か??治すことではなく…。
服用中の乳癌用「ノルバデックス」による薬疹かどうか,調べて貰う様に,とも。

5月24日
この辺りから,化粧品が合わないのかもしれない,と化粧を止めてみたところ一層酷くなった。※
全身の粘膜という粘膜に,ボツボツとキャビアの様な不気味な湿疹。
皮膚科で言われたことや,自覚症状を乳腺科に出向いて告げたのだが,紅斑は皮膚科に任せる,ノルバデックスでその様な湿疹が出たケースは100人に一人いるかいないか位なので違うと思う,とも。
※化粧を止めたことで紫外線の直撃を受け,増悪したらしい。

5月28日
娘を出産した病院の婦人科で子宮癌検診を受けたので,その折に,粘膜の湿疹も診て貰ったのだが,薬疹かもしれないので,乳腺科で相談してください,とのこと。

6月初め~
紅斑はどこも左右対称になって行った。脚や腕も同様。

この様な状態で,どんどん酷くなって医者をたらい回しにされるばかりでは・・・
と,埒が明かずに,近所の図書館に出向いては医学書を調べた。
約10冊くらい調べたろうか。
「膠原病ではないか??」と自分の中で推察。

というのも,本による「全身性エリテマトーデス」の皮膚症状の写真に,自分の紅斑が大変よく似ているし,「皮膚筋炎 / 多発性筋炎」の項目では「手足に力が入らなくなることで始まる」ともあり「中に癌が潜んでいることが多く,癌を取り除くと筋炎も治ってしまう」ということだ。まさに前の年の私の症状そのものズバリではないか!!!さぁ!大変だ!!!

6月5日
中学の同窓会。
指揮や伴奏,独奏などなど。楽しいお喋りのひととき。
しかし疲れた・・・しゃきっと座ることがこんなに疲れるとは・・

6月9日
KC病院のホームドクター(内科)受診。
私の紅斑を診るや,いつもにこやかな先生の表情が変わられた。
患者が病名を言うことはタブーと知りつつ,これ以上の我慢は耐えられずに,「膠原病ではないでしょうか」と言ってしまったところ,「僕も今,そう言おうと思っていたところ。大変だ,大変だ!!」と,検査のオーダー用紙に片っ端からチェックを入れられた。結果は一週間後。
まさか内科の範疇とは思っていなかったから遠回りしてしまったのだ!

6月10日
アバコスタジオでちょっとした録音。

6月12日
娘の高校の保護者会。
坂道が辛すぎです!

6月16日
検査結果。CRP(炎症反応)その他関係ありそうな数値はマイナスだったが,「これから上がることもあるし」と,大病院で診て貰うべくKR大学病院に紹介状を書いてくださった。

6月17日
KR大学病院皮膚科教授受診。
予約外なので,予約の患者さんが終わり,順番が回ってきた時は2時半頃だった。
すっかり疲れてしまった。

先立って予診室とやらの若い医師(研修医?)に呼ばれたのだが,私が書いた「問診票」の内容にも余り触れずに,いくら私が話しても書き取ってくださらない。どうでも良いことばかり記録し,しかも,漢字の書き順違う……漢字そのものも違うよ……と,あぁ,ここでも分かって貰えないかもしれない,と希望は捨て,ずっと待っていた。

しかし!
教授室に呼ばれ,その予診室での記録を元に,小馬鹿にされているが如き対応を最初は受けていたのだが(申し訳ないながら,そう思えた),私が「関係ないかも分かりませんが」と,前の年の話をおそるおそる話し出したところ,教授は身を乗り出して「何でも話してください」と仰った!
あぁ・・・漸く分かって頂ける先生に出逢った・・・
膠原病のどれかであるかはほぼ間違いなく,「皮膚筋炎(DM)」「全身性エリテマトーデス(
SLE)」「強皮症」等々を疑って,これから検査を,ということになった。
爪の周りの赤みを指摘された。全く自分では気付いていなかったのだが,殆ど全部の指先に発症している。

重い難しい病気,と図書館での本から知識は得ていたが,これで漸く治療が始まるのだ,と本当に救われた思いがし,教授があたかも神様に見えた程だ。
早速,頬と右太腿の組織を採ったのだが,その際の局所麻酔(キシロカイン)で又蕁麻疹が起きた・・
しかも,早速この様な検査があるとは思わず,駅の階段の昇降が辛い為に自転車で来てしまっていた。帰りは途中から雨が降り出し,額のガーゼは濡れるし,太腿は自転車を漕ぐ度に傷が開く気がするし・・・予測外の良い展開だったので苦痛にもならず帰宅し,消毒し直した(幸い,乳癌後の消毒一式がまだ沢山残っていた)。



1998年暮から1999年4月 - 1999.04.30 Fri


(メモ書きを集めて記録)

卯年にあたり,趣味の切り紙で500通ほどのウサギの入った切り紙で年賀状を送った。
感謝を込めて。

眉間の小さな赤みが,週単位でどんどん拡がっていく。

1999年1月末より,ちょっと大がかりな編曲。
スコア(総譜)が存在しないオペレッタ,ピアノの伴奏譜にして120ページほどの全曲を室内楽用に書き換える。フルオーケストラのCDを聴きながら,ピアノ伴奏譜には存在しない音をどんどん書き加えて行き,更にそれを室内楽(弦5部とピアノ)として相応しいそれぞれの楽器に配分し,パート譜を作る作業。春までに・・・と夫が引き受けてきた作業。何故私が一人で??と納得行かないながらも引き受けてきてしまったのだから仕方ない。夜中の2時までかかる日もある(切りの良いところまで続けないと,翌日全部最初からやり直しになる)

2月末
反対側乳房に小さいしこり多数。
頭のふらつきもあり,深く息を吸い込むと右胸~背中が痛む。
毎月1~2回気功師さんに来て頂くことに。

3月4日
夜中,どこを向いても左胸の奥全体の痛み。

3月~4月
紅斑が頬,右太腿へも広がり,筋肉まで痛み,正座が出来ない。
又,前の年と同じで階段を一階昇っただけで鈍痛と倦怠感。

紅斑は,ノルバデックスの副作用で起きることはあり得ない,と断言された。しこりも心配ないものであり,首のグリグリも乳癌と関連しているものではない,とも。(どこから来ているのかが一番知りたいところだ!!)
但し,有難いことに「編曲」はドクターストップがかかった。

紅斑用にリンデロンクリームが5本処方された。
かかりつけ医に報告をしたところ,「顔にリンデロンなんか使っちゃ駄目だよ」と言われたのは可成り後だったかも分からない。

4月17日
子供達がお世話になった「劇団若草」の50周年パーティーに息子と出向く。
「となりの芝生」や「細雪」の舞台が,つい先日の様に感じられるほど,親までタイムスリップ。子供たちを通じて,自分の知らない世界を沢山見せて頂いた結果に感謝。

5月4日の生徒達の発表会に向けてレッスンに余念がない。
乳癌で休みを貰った為,各自の弱点が戻り(最初どの様に習ったか,ということの重さを又しても感じる),基礎に立ち戻り,練習曲とバッハで練習方法や指~腕の使い方を再確認して頂く(全員)。
これは又詳しく改める。



退院 - 1998.11.30 Mon


リンパ液が5ml以下になったら退院,と言われていたのが,なかなか止まらず毎日50ml近く溜まっている。
腋窩リンパがマイナスであったことで,退院の許可が出た。
2日に退院。

しかし,この月の前半は殆ど一日おきにリンパ液を抜き,消毒をしに通院。駅まで歩いて1時間以上電車を乗り継いで行くのは,なかなかしんどいものがあった。
後半になり,やっと週1回の通院となった。

退院した翌日から掃除,その他家事をしたが,全く億劫ではなく,ピアノも試してみたところ,ショパンのエチュードはどれであれ特に苦はない。

14日
娘の保護者会に出席。
9月末,外来での手術直後に文化祭があり,あの時の娘の歌は親馬鹿ながら,この子にこの様な感性と特技があったとは…と度肝を抜かれた。そして同時に,聴けるのもこれが最後かもしれない,と残念極まりない思いだった。その日は息子も美大受験の為の予備校の芸術祭が行われており,2人の個性をじっくり味わうことが出来,幸せな一日だった。しかも電車で水道橋と立川とにまさに東奔西走であったが,特に苦痛もなく,夏の異様な症状は一体何だったのだろう?と疑問に思ったことでもあった。

さて,後半は「首のグリグリ」が数ヶ所にあり,時々痛い。手術を受けた反対の腕の肘が痛み,眉間一カ所に異様な赤みがかったものが出続けた。股関節の痛みも,ベッドから下りるのにちょっとしたコツが要るほど。
これらを病院で話しても,乳癌とは無関係の場所,と言われてしまう。
それなら,どこか関係ありそうな科の病院を紹介して欲しい。

17日
息子が,私が寝ているところにやって来て,「しし座流星群が見えるよ。どこかへ車で見に行こう!」と言い出した。気乗りもしない私を半ば強引に起こして…いつの間にこんな優しい子になったのだろう?と思った。(いや,幼い頃から優しかったではないか!二歳違いの妹の手を引いて。)
夫,娘,と共に4人で(確か運転は夫と息子が交代で)高速道路を西に走った。
見えそうな場所で車を停め,外に出て見事な流れ星を堪能した。
最終的には山梨県の,ライトも何もない真っ暗な葡萄畑に勝手に入らせて貰った。
そこではまさに我々の為に降り注いでくれる宝石の様であった。
流れ星が消える前に願い事をすると叶う,と言う。皆何を思っていたろうか。
再び車を走らせ,夜も明けて帰宅。娘はそのまま登校。


入院生活へ - 1998.10.31 Sat

5日
しこりが悪性かどうか分かることになっており,予約時間に出向いた。
22日に外来で摘出を受けたのは2人。
なかなか結果が出ない。これは検査室が同病院の本院にある為,連絡がスムーズに行かない為だろう。
呼ばれて一旦入ったが,結果がまだ,とのこと。再度待合室で待つ。この待合室というのが診察室の声が全部筒抜け!
そのうちに検査結果が出て電話連絡があった気配。教授が「そうですか。折角きれいに仕上がったのに,又切らなあかんのですか・・」と落胆した声で話している。私?それとももう一人の人?
そうこうするうち私が呼ばれた。
悪性はやはり私だった。手術の段取りなども具体的な説明があり,急遽入院手続きをしてきて下さい,という。
しこり全部が癌細胞だった為,周囲に悪性の細胞が拡散していないかどうか,一回り大きく乳房を取り,そこの細胞3点を採る。採ったらすぐに検査室で顕微鏡で覗く。その結果が出るまでは乳房は切り開いたままで待つ。その待ち時間を含め,全身麻酔で大体3時間くらい要する・・等。又,転移の可能性を知る為に腋窩リンパも10個採る,と。
夏に,この教授が執筆された乳癌の本を図書館で借りて読んであった為,特に驚くことは何も無かった。
・・・とは言え,まだ子供達も高校生。これからいよいよ経済的に大変な時。腋窩リンパ廓清で演奏不可能にならない様に,そして再発・転移が絶対ない様に,仕事道具である指の神経を失わない様に,必要あらば乳房全体を取ってしまってください,等々…余りに必死になり,あれこれ頼んでしまったことを思い出す。
同時に,後ろに立っていた夫の存在はすっかり忘れていたことも。
確か,空港から病院に直行してくれたのではなかったか??(何という妻だ!?)
手術は14日に決まった。一人部屋にすべきか迷った結果,大部屋よりは・・と,間をとって二人部屋を選んだ。


11日
初めてプロフェッショナルの「気功師」から治療して頂く。
癌細胞を消す,という。又,検査データを全てマイナスにする,とか・・・半信半疑・・

11~13日
娘のお弁当の総菜を3週間分作って冷凍庫に小分けして収納。息子は学校に食堂があるのだが,娘の学校はパンの購買はあっても,殆どが菓子パンであることを知っていたので。

腰まであった長い髪の毛を自分でばっさり切った。
術後は手が上がらない,と経験者の本で読み,この長い髪の毛のシャンプーを考えたらうんざりしてしまったからだ。いずれにせよ日常の諸場面で余計な負担となることは確実であるし,万が一抗癌剤でも使う様になれば抜けるであろうし・・・

14日
入院。
必要なものは売店で揃えた。
「明日手術です」と言われたのは青天の霹靂。
検査その他で一週間くらいはあるだろう,と勝手に思い込んでいたので,土曜には銀座まで外出許可を貰おう…など楽しみにしていたのだった。日頃買い物で銀座など,全く時間が無かったからだ。

15日
手術室へ運ばれる前,事前の注射(安定剤とか言われた気がするが,これだけで既に眠ってしまった)。既に朦朧と,何か車の付いたベッドの様なものに移動したこと,夫がギリギリに来て手を振ったこと,いくつもドアがあってエレベータにも乗ったこと,等々うっすら覚えている。
手術台に又朦朧と移動させられて,背中に針を刺した(硬膜外麻酔)こと,口に何か器具を付けたこと・・うっすらとそれだけ覚えている。次の記憶は「田中さ~ん(私の本名),田中さ~ん,終わりましたよ~~~」と呼ばれた。終わった!?切らなかったのか??と時刻を訊いたら昼を過ぎていた。3時間以上経っていたのだ。1~2分で起こされたのか?と思ったほど,先日の外来で局所麻酔による摘出とは比べものにならない位,全身麻酔は楽であることを知った。

ナースステーションの前にある広い集中治療室に移動した。
夜中から胸~腹部に酷い蕁麻疹。手術の後の痛みなど気に出来る状況ではないほど痒い!!
尤も背中に刺した針から麻酔が少しずつ流れている筈なので,それで痛みは気にならないのだろう。
それにしてもこんな酷い蕁麻疹は初めてだ!!病室にある,例の小児科より貰ってあった塗り薬を塗ってみたが治らない。※
ポララミンという抗ヒスタミン剤を処方して貰えた。

※この蕁麻疹も又,キシロカイン(硬膜外麻酔での)によるものだったらしい。手術終了と同時に刺してあった背中の部分に注入され,空になるまで入れっぱなしにするものらしい。

16日
病室に戻ってよいことになり,点滴を引き摺り,手術に必要だったあれこれを抱え,看護婦に見送られてエレベータに乗った。これが早速リハビリなのだろう。

夜,教授が来られて,手を真上にずっと挙げている様に,との指示。これをやっておかないと脇の下が「アコーディオン」状態になってしまうそうだ。

17日
同室のご婦人のけたたましい「いびき」で何度も何時間も起こされてしまう為,病室移動。
静かな中でのいびきなので,大部屋なら何も気になることはなかろう・・と大部屋に一旦移動したのだが,夫の意見で特別室に移動した(所謂一人部屋は空きが無く)。特別室と言っても,この病院は大変お安くて,一日辺りの差額ベッド代は14000円。移ってみれば有難いこと。トイレもある。まだ使ってはいけないとは言え,風呂もある。まさにビジネスホテル。
背中に刺してある硬膜麻酔終了。

18日
リハビリ推奨。
両手で出来るだけ万歳をし,左右の高さの違いを記録すべき,と。この日は5センチ。
9階の洗濯室を4往復。極力階段で。
一体どうしてしまったのだろう??脚力復活が謎である。
麻酔が無くなったら矢張り痛みはあるが,腕の感覚が全く無くなっているのが気懸かり。
午後から酷い咳。

19日
酷い咳で睡眠不足。
傷口の痛みよりも,肘~腋への無感覚と,リハビリ後の「鉄枠」にはめられたが如き苦しさが気になる。どこを触っても感覚なし。
病気の先輩である従妹や友人と話した。この手術では大抵起こる症状らしい。全身麻酔の間,呼吸は止められていることを初めて知った。

午後,子供達の幼稚園のママさん仲間でもあるY.I.さんのお見舞い。
この方からは,私の大学の先輩でもあり乳癌の経験者でもおられるI.E.さんを紹介頂き,Eさんの執筆された本も頂いた。
夜,点滴の針を抜いて貰えた。大変太く長い針だった。痛い訳だ。障害物がひとつ消えて楽になった。

20日
リハビリ室に呼ばれた。
ピアノでの腕の動きへの痺れの影響を質問。
余り無理に手を挙げている必要は無い,とも言われた。

21日
朝の消毒の折,胸に刺さっていたリンパ液を抜くための管も取れた。これで何もアクセサリーの無い身となった。
痺れと圧迫感が取れてくれれば…
そして股関節の痛み。原因不明。

皮膚科受診が叶い,2種類の蕁麻疹の薬が処方された。

まとめて22~31日
* 毎日何人もの友人,先輩,知人,仕事仲間,幼馴染み,生徒たち,親類……お見舞いに来てくださる。こんなにリラックスしてゆっくりお喋りの出来る時間があるとは…感謝すべきこと。
* 蕁麻疹の薬のお陰で咳まで止まった(喉にまで蕁麻疹が及んで気道を狭くしていたのか??)。湿疹そのものは,硬膜外麻酔を抜いた事で治まった気がする。
* 近所のY. S.さんがお総菜を自宅にまで日々届けてくださっているそうだ。感謝感激!
* 針を抜いてからも毎日注射器でリンパ液を抜く。多い日は100ccも採れる。こんなに手間がかかるのなら,ずっと管を刺してあった方が楽だった。授乳期さながらのお乳の張り方だ!切除した筈なのに。抜いた後は授乳後の如く張りが取れてホッとするほど。
* 入院してから夜中に何度も目覚める。消灯の9時など,日頃はまだ生徒を教えている時刻,仕方のないこと。起床は6時。時差ボケの如く午前中からウトウトしていると,掃除,寝具交換,清拭,消毒・・・何度も立たされて疲れてしまう。
* 30日に,腋窩リンパの結果が出て「陰性でした」とのこと。これで退院の目処が立った。
* 31日より,ホルモン剤(抗癌の)服用開始。

外来での摘出まで - 1998.09.30 Wed


5日
「音楽の捧げもの」とのタイトルでの大阪のザ・シンフォニーホールにてチャリティーコンサート出演。(青少年健全育成を目標とし,大阪府社会福祉協議会主催)
母が心配し,「荷物持ちに」を口実に(本音であろう!)前の晩から一緒に大阪入り。結局母の荷物も私が持つことになり,「悪いわねぇ」を連発しつつも,久々の親子の旅は楽しかった。
曲目は「英雄ポロネーズ」など有名な小品数曲。
後半はコーラスとなり,全プログラムが終わってから客席・出演者一体となってコーラスがある為,楽屋で遊びながら(ピアノで)待機。
終演後は毎度のことながら関西の親類たちに会えるのが楽しみ。ふと,これで最後かなぁ…と思ったりする。
その日の新幹線で帰京。

7日
細胞診。教授の「多分水が吸い上がってきますよ」との言葉とは裏腹に,殆ど何も(と言ってよいだろう)吸い上がって来ない!…ということは癌細胞の塊??

14日
細胞診の結果が出た。「2」(陰性)。しかし,しこりが大きく,針を刺した一部分が「2」でも全体が「2」とは限らないので,(そしておそらく,細胞診の時点で何か液体が吸い上がってくれていたら事情が違ったであろうが)外来でしこりのみ取り除くことになった。
しこりは相変わらず乳房内でよく動くタイプ。ピンポン玉というか,大きなビー玉というか,そんな感触だ。よく動くので細胞診の折,針を刺しにくかったそうだ。動く,ということは周囲の組織から離れているので「タチの良いタイプ」なのだろう。

15日
母の生徒さんたちの発表会でちょっとしたトークと演奏。苦にならず。

22日
外来での摘出。
長い髪の毛を纏め,手術用の前開きの寝巻に着替えてスタンバイ。
局所麻酔の為,教授他,医師・看護婦たちの会話が全部聞こえるのが嫌だ。何も見えずに…というのが益々。何をどうやっているのかが見えれば救われるのに。麻酔で感触が無いので尚更。
時々,「麻酔が足りないです」と聞こえる。その度に脈拍数の電子音が速くなる。「麻酔がなくなったら麻酔無しで切ったり縫ったり??」と思ってしまうではないか!
無事に摘出終了し,「血圧が上がりましたね」と言われても・・・
婦人科にせよ,どうして日本は本人に見えない様に視界を遮断するのだろう?
見せて貰ったしこりは,マロングラッセの様,と言ったらよいのか,桃の種,と言ったらよいのか・・色・形ともにそんな感じだった。
10月5日に結果が出るそうだ。

夜,傷口から大出血を起こした様で,パジャマ,シーツ,そして敷き布団まで真っ赤になっていた。
祭日明けに傷の診察。
そんなに出血したら救急で来てください,と言われたが,それだけ切ったのなら出血して当然,と疑問にも思わず。
いずれにせよ,車が渋滞すれば一時間以上かかる距離。揺れたら益々傷口が開くと思う。

それより隔日に電車で消毒に通うのが何とも・・・
帰宅して生徒たちのレッスンをしていたので,親御さんに半ば呆れられてしまった。

不思議なことに摘出後の体調は良い。夫は海外へ行ってしまった為に,日常の全部(子供達のことを含め)自分でしなくてはならない状況だったが ,何も苦になることがなかった。


辛うじて過ぎている - 1998.08.30 Sun

「整骨院」「整形外科」「温灸治療」に「コウケントー」が加わり,何とか毎日2時間弱の練習時間が確保出来る様になった。
ところが,時々呼吸が苦しくなる。まさか乳癌(まだ決定ではなかったものの)が肺に転移したのではあるまい!と心細くなる。※
夫が「気功」を学んだことがあり,苦しくなると「気」を入れてくれる。
「整骨院」「整形外科」「温灸治療」「コウケントー」「気功」で何とかリサイタルまでコンディション調整。
※ 翌年になり,「多発性筋炎」による「呼吸筋機能低下」だったではないか?と推察された。肺のレントゲンも撮っておらず,全てが推察。

7日
リサイタル。
これが最後の演奏になるかも分からない,と思え,間際になってCD制作の為の録音をお願いした。※
プログラム変更はしなかった。
「名曲のたのしみ」とのタイトルで;
モーツァルト:キラキラ星の主題による12の変奏曲
ベートーヴェン:ソナタ第23番「熱情」
ショパン:バラード第4番,練習曲集より「黒鍵」「革命」「エオリアンハープ」「三度」「木枯し」,ポロネーズ第6番「英雄」,アンコールは前奏曲集より「雨だれ」
ベートーヴェンやショパンは呼吸が辛く,ステージから下がる度に夫に「気功」を頼み,何とか無事に終えることが出来た。
※ 2000年12月に,この時の収録はCDとしてリリースされた。


10日
S大T病院のT教授の受診。
マンモグラフィーと超音波をメインとした検査。
癌の可能性は五分五分と言われた。
先生自らが肋骨を折っておられ,病室から車椅子での診察。そして月末には学会の為スウェーデンに行かれるとのこと。又,私は9月5日に大阪でのコンサート(ほんの20分ほどのステージだが)を控え,それが済んでから細胞診をすることになった。というのも,万が一悪いものであったなら,針で突いたことで細胞が全身に回って転移の元となるため,すぐに手術出来る状態にしておかねばならない,ということだった。
腫瘍の大きさは3×4センチ。ここまで大きくなるには8年とか10年とか・・・なので,今さら数日数週を慌てることでもない,といった印象だった。

11日
かかりつけ医に報告等々,自力で出向いたのだが(夫の仕事が無い時には,全て車で移動)駅からほんの1-2分が遠くて,脚が動かずに強引に歩いた為か,着いたとたんに動けなくなってしまった。夫の仕事が終わるまで,空いている部屋で横にならせて貰った。

17日
予約外で乳腺科へ。
5月からの不調が,どうしても何か関係しているのではないか気になり相談に出向いたのだが,今までに乳癌でその様な症状が出た人はひとりも居ない,とのこと。又,転移の可能性も無い,と一笑に付された感あり。転移の心配が無いのは有難いことなのだが,現実この苦しさ,倦怠感,筋力低下,等々を誰か何とかして欲しい。

コンクールを受ける生徒達に追われつつ,寸暇を惜しんで横になっては「コウケントー」に当たってみる。折良くこの地域にケーブル・テレビが導入され,当たりながら沢山のチャンネルを選び放題。コウケントーは何だかよく分からなかったので,12日に正しい使用法と,乳癌を前提としたカーボン番号を指導して貰った。このカーボンを間違えると効きも悪いらしい。

28日
某コンクールの審査。朝~晩,丁寧に審査してきた。全く苦痛ではなかった。


相変わらず5つの民間療法に頼って過ぎた。
9月7日の細胞診予約日が待ち遠しい。

乳癌発覚へ - 1998.07.31 Fri

1日
運動神経をやられているのではないか?(例えばパーキンソンなど)と思い始めた。
お馴染みの耳鼻科に夫が話してくれ,市ヶ谷のクリニックに紹介状を書いて頂けた。
早速それを持って夫の車で出向いた。
握力は日常生活は何とか送れる程度に回復していたが,何しろ寒い。皆がクーラーを点けているのだが,私は暖房を点けたい程。寒さのみならず特に腕から指先が酷い。家の者たちにホカロンを見つけては買い占めて貰った。
そのクリニックでは,まず握力測定。
右が17キロ・・・左25キロ。
いくら「日頃35キロ以上あります」と言っても,「女性として標準ですよ」と取り合ってくれない。
筋電図その他の検査は一切なく,血液検査でカリウムを調べる,とのこと。※
処方された2種類の薬は抗うつ剤と精神安定剤だった!!
「神経」違いだったのだ・・・
こんな筋違いの薬を飲まされてしまったら,どうなる!?!?
※CPKという大切な数値も調べていない事が後に分かった。

4日~
温灸治療に出来るだけ毎日通うことにした。
しかし,帰りの最寄り駅の何と遠いこと!! 5分で歩ける筈が15分以上かかる。途中,ウィンドウショッピングのふりをして脚を停める。
大小延べ15人のコンクール受験に備えて全力を尽くしたレッスン。朝から深夜。
合間に自分のリサイタルの曲の細切れ練習。
生徒たちは暑かろう,とクーラーを入れるが,私は冬の長袖。

18日
夫のファンクラブ発足パーティー。
リサイタルのプログラムにも入れてある,ショパンのバラード第4番を何とか弾けた。

一ヶ月でバンテリン3チューブを使った。
塗ってマッサージを(整骨院の真似で)すると少し改善したので。

30日
その塗りたくっていたバンテリンをシャワーでこすり落としていた時,胸に得体の知れない固いものに触れた。
左乳房外側。ピンポン玉大。
そうか・・・これか・・・悪さをしていたのは・・・
乳癌に違いない。
と,今までの諸症状が妙に納得出来てしまった。
深夜だったが,乳癌の先輩(中学以来の友人)に電話をし,助言を求めた。
執刀してくださる教授に手紙を書いておくから,貴女はリサイタルまで忘れて練習して!と。
その様な大きさのものは,もう今さらすぐに大きくなるものではないから大丈夫,とも。
有難かった。

31日
あちこちから勧められていた「コウケントー」なる治療具を購入。
総合可視光線(紫外線以外)による治療する機械。病気により種類の違うカーボンを電気で放電させて出る光と熱で治療する,というものらしい。


6月(不思議な症状に襲われたまま) - 1998.06.30 Tue

4日
恩師,ライグラフ氏の来日リサイタル。
演奏を聴くのは何年ぶりだろう?浜離宮へ。

10日
ライグラフ先生を囲んで,京王プラザにて食事。
この時,我々東京カンマーコレーゲンのCD(全曲シュランメル)をお渡し出来た。しかし余り興味を示してくださらなかった(当然だ。ウィーン・ホイリゲの音楽として有名なのだから。しかも所謂クラシックの名ピアニストを育成される師である)。

シュランメル表面


Tokyo Kammer Kollegen ura


リサイタルのパンフレットも渡すことが出来たが,ショパンばかりのプログラムが故,興味は示して頂けなかった(これも当然だ!)。特に「英雄ポロネーズ」は駄作,と言わんばかり。
プログラムは「名曲のたのしみ」のサブタイトルにて,最適の選曲だと思っていたのだが…

この日は楽しかったのは事実なのだが,20年ぶりのドイツ語にも疲れてしまったのも事実だった。

15日~
そろそろ練習開始。
生徒たちの合間を縫って,細切れタイムを利用,短期集中。
パンフレットに添える手紙も書き(パソコンはまだ無い),コピーし,封筒に宛名を書き,約100名の友人・知人達に送付。

22日
午後,ひたすら寒気がする。
右肘を中心に腕全体の鈍痛,そして倦怠感。
指は全く痛くもないのだが,夜になり腕の角度を変えることが出来なくなった。

23日
夜中,冷湿布が不快で明け方に剥がした。
肘を曲げているとさほど感じないのだが,動かそうとすると肘が痛む。
しかも力が全然入らない。箸もペンも持てない。洗濯ばさみは全くつまめない。ピアノどころか日常生活は殆ど不可能。
いつも何かあると飛んで行く西永福の整骨院へ行ってみたら臨時休業だった。
この整骨院は風邪でも内科的なものでも何であっても,背骨の矯正から始まり,局所のマッサージで大抵のものは治してくれる,駆け込み寺的有難い存在。
仕方なく,ボルタレンを服用してみる。痛みだけは軽減。

24日
整骨院へ再度。
悲鳴を上げそうな強烈なマッサージで,日常生活は何とかなりそうな状態にして貰えた。

25日
生徒4人,続けて7時間休みなしで指導。
手本を示す為に弾くことすら疲れ,それが全身の酷い倦怠感に変わって行った。
脚もだるくなり,自宅の階段をやっとの思いで昇降する。

26日
全力疾走後の様な全身の倦怠感。
ピアノの鍵盤で指先をトレーニングしようとしたら,指先から異常な発汗。恐ろしくなり練習を止めた。
二階にゆっくり階段を上っただけで,太腿がじわ~~~っと痛む様な倦怠感。暫くじっと我慢してその感覚が遠のくのを待つしかない。
自転車も2-3回ペダルを漕ぐとそれ以上動かせない。
ハンドルを握ることで首まで固まる。それなら徒歩で,と歩くが腕そのものが重くて,それは三角巾で吊っておきたい程。

整骨院,整形外科,温灸に通う毎日が始まった。
何しろ腕から指先まで冷たい!!
息子の綿ソックスの爪先をくり抜き,腕にはめてその上からホカロンを貼っておくと少し調子が戻り,10-15分の練習が可能になる。


思い立ったリサイタル - 1998.05.30 Sat

以前から思っていたのだが,そろそろ定期的に自主リサイタルを開催したい。

幸い年に1回くらいの割でリサイタルも依頼されて開催する機会はあり,こんな有難い話はないのだが,大抵室内楽や編曲に追われ,その狭間に数日で準備していた。自分の弾きたい曲を充分に時間をかけて準備する・・そろそろ子供達も手が離れ,そういう機会を作ってもよいのではないか,と実現することにした。
とは言え,もうホールの予約はどこも一杯。
出来ればこの夏休みあたりに…
連休明けに三鷹の風のホールを予約に(自転車で出向いたというのに)連休の振り替えで休館だった。
曲目も決めた。
そして,5月半ばに再度出向き,8月7日が取れた!
3ヶ月をとっくに切っている。
大急ぎでパンフレット印刷の手配。


又しても蕁麻疹 - 1998.04.28 Tue

11日
発表会。
私の生徒は,幼稚園生から大人(私と余り年齢差のない)まで,プロアマを問わず通ってきてくれる。
発表会となれば,どんな出来であっても褒める主義を貫いている(尤も,受験やコンクールを控えた生徒たちには,本人が自覚していようがなかろうが,反省点は促すが)。
聴きながら,一人ずつ「あとで何と話すべきか」メモを取る。
午後の開演。
この日は,眠くなることを避けるべく,服薬は避けた(持参すらせず)。
夜6時を過ぎた辺りから蕁麻疹・・・上眼瞼ときては,まるでおいわさんの様に腫れて垂れ下がってしまった!!
慌てたは幹事のお母様方。「会の後の写真撮影は延期にしましょう」とも仰ってくださる。
いえいえ,とんでもない。楽しみにしている人が一人でも居るなら(殆ど全員が楽しみにしている筈)・・幸い自宅までは車で10~15分。夫に頼んで薬(抗ヒスタミン剤)を取りに行って貰った。届くや,すぐに服用。
あぁ,良かった!夜9時,写真撮影の頃には,化粧で誤魔化せるまでに回復した!!!

15日
アレルギー検査結果
ハウスダスト:クラス2 1.55UA/ml
ダニ:クラス2 1.81UA/mg
その他は正常。
心理的なものかもしれませんね~~,と言われた。
薬は,眠くなるギリギリまで減らして貰ったところ(小児科なので水薬),「3歳児並の量です」と言われてしまった。
この量により,眠気による仕事への支障は消えた。蕁麻疹も辛うじて抑え付けられる。
しかし,一旦生徒に対して気長に構えて長時間教え,又諸相談に1時間,2時間,と付き合ううちに蕁麻疹(身体は正直かも分からない)。
しかし,この様な生活は今に始まった事ではない。私にはごくごく普通の日常である。
何か危険信号を発しているのではないか?と,ふと心配になる。

朝は子供達の弁当作りに始まる。休息なし。昼食は立ったまま。
幸い体内時計はしっかりしており,例えば午後2時まで15分間寝よう!と1時45分に横になれば,即刻深く眠り,ぴったり2時に目覚める。これは楽屋も同様。これで何とか維持出来ていたのだと思う。夕飯は30分あれば作って食べることも出来た。しかし子供達にとっては可哀想な習慣が付いてしまったであろう。
子供たちを考えて生活せよ,との信号だろうか?とすら思ってしまう蕁麻疹。

ところで,隣家の不思議。
おそらく夜明けと共に生活しておられるのであろう・・
明け方3時頃から,勝手口から庭に出入りしているらしいのだが,ドアは手で閉めずとも自動的に閉まるらしい。5-6度,凄まじい「バッターン!!」の音で目覚める。私の枕のすぐ下,2-3メートルの位置。
こちらのピアノの音もうるさかろう,と苦情も言えずに過ぎたが,これには参った。

相変わらず蕁麻疹 - 1998.03.30 Mon

有難い!
流石にアレルギー専門医!!
薬を服用している限り,蕁麻疹は出ない!!!

しかし・・・4月にピアノの生徒たちの発表会を控え,薬による眠気との闘いたるや,何と表現したらよいのだろう。

その他,眼瞼がピクピクすることは誰でもよくある事だが,そのピクピクが手,脚,腹部,…場所を問わず起きるようになった。

今月を振り返る(風邪と発熱と蕁麻疹) - 1998.02.27 Fri

3,4日
九州へ泊りがけの演奏旅行。
ずっと風邪と思しき症状が続き,かかりつけ医よりの薬では抑えられずにいた。
何よりも出向く時間もなく,「日本配置薬」という所謂昔からある「富山の薬売り」の様な自宅まで薬を届けてくれる有難い存在に頼って過ごしていた。
夜,メンバー達は会食やカラオケなどで過ごしていた様だったが,私は熱にうなされながらホテルの部屋で寝ていた。

6日
痒みを何とかして欲しい。
鼻炎と咳で朦朧とする中(おそらく発熱も続いて),他県へコーラスの指導へ。
ワルツのリズム指導を兼ねた伴奏が主。
15日に本番を控えているので,体調が…とも言えず。

15日
合唱本番。
室内楽での伴奏メンバーとして演奏。
打ち上げパーティーあり,甚だしい進歩に「良かった」「素晴らしかった」と楽しいひととき。(演奏後は褒める主義です。精一杯の努力あってこそのステージです)
帰りの車から更に酷い蕁麻疹が拡がった。
引き金は何か?何か関連していることは無いのか?と,かつての娘の長く続いた蕁麻疹を思い返して自分の場合は??と考えてみる。
家にあったコルチゾール系塗り薬で何とかしのぐ。


16日
都内の合唱団のワルツのリズム指導。
帰りに,かかりつけ医に寄り,塗り薬を処方して貰った。


20日
義父の叙勲パーティ。
義母が可哀想なほど疲れて見えた。
…と,思うや痒みが・・・


26日
パーティの為に帰国していた義姉の誕生日を家族全員で祝う。
義母のお気に入りの近所のレストラン(チェーン店。ピアノの生演奏が売り)
蕁麻疹が全身に水疱の如く広がってしまった為,一人外で寒空を仰ぎつつ待つ。


27日
子供達が幼かった頃にお世話になった小児科が「アレルギー専門医」である為,出向いて検査を受け,塗り薬及び,2種類の内服薬を処方して貰えた。やれやれ……助かった!!!

今月の体調を思い返してみる - 1997.11.25 Tue

5月から11月まで,「仕事が無い」という日が一日もなかった。

一人1回3-4時間にわたるレッスン,我ながら「この様なやり方でよいのだろうか※」と疑問を抱きつつも,本人の希望を叶えてやりたいが一心の日々。そして上達と本人たちの喜びが,何より私の喜びでもある。
多い日は朝10時から夜10時くらいまで。合間に大急ぎで食事の支度をし,子供達と会話もそぞろに階下に降りてレッスンを続ける。

その他,室内楽の演奏会多数,その為の編曲に深夜まで追われる。
コーラス指導で都内は勿論,他県に出掛けることも屡々。

首が回らなくなり右を向けなくなってしまい(これを友人たちは「借金抱えているんでしょ,早く返しなさいね」と冷やかす),生徒が通常は右のピアノで弾くのを交代して貰ったほど。

中旬から胃潰瘍と思しき症状。
ホームドクターに胃カメラをお願いする。
案の定,である。もう十年来のこと。
5-6種類の薬を処方された。
胃カメラの後で,酷い蕁麻疹を起こした。(これは後に,スプレー式局部麻酔の「キシロカイン」によるものであることが判明。それも効きを早める為に数倍と思しき量を散布。)


NEW ENTRY «  | BLOG TOP |  » OLD ENTRY

プロフィール

奥 千絵子

Author:奥 千絵子
★上の画像は2001年にCDにして約3枚分を収録したものを,2006年に2枚組としてリリースしたCD「樂の音に寄せて」です.『レコード芸術』2007年1月号で「特選盤」として取り上げられました.戸倉新樹教授によるライナーノートは医学生にもお薦めです.その他のCDや著書はWebsite「本館」からお入りください.このブログも「本館」のDIARYです.
★このブログの"Grüß Gott !" (文字化けの場合はGruess Gott!)は墺・南独の時間を問わない挨拶です.Website「本館」のDIARYです.出版CDや著書の詳細は「本館」のメニューからお入りください.
Website「別館」もあります. 著書「ピアノと向きあう」の説明を補うサイトです.よく頂く質問に説明を記載しています.
★上記著書については今井顕 氏によるKINOKUNIYA書評空間WEBLOG を是非ご一読くださいませ.
Auch auf Deutsch schrieb ich…
★【膠原病の記録】余りに医療のカテゴリーがが増えてしまったので目下整理中です.大変複雑な病気の経験が同じ病の方々への参考となりましたら幸いです.
「乳癌と膠原病(皮膚筋炎・多発性筋炎)」「膠原病(退院後)」 ,その他の医療の話(自分以外も含めて)は「医療・病院関係」,に取り敢えず分けました.
平成12.12.12.病院での復帰リサイタルは演奏動画入り記録です。
★恩師のことは55年間を遡り少しずつ記載するつもりです。目下のところはこれだけです.
★コメントも大歓迎です。SPAM防止上、確認後に公開しております。ご理解をお願い致します.
★このブログや大元のサイトへの感想やお問い合わせはservus2008@gmail.com宛に@を半角に直して送信願います.
【BGM】
Robert Stolzメドレー
演奏:東京カンマーコレーゲン 
室内楽アレンジ:奥 千絵子
ショパン:華麗なる大円舞曲Op.18
演奏:奥千絵子 ショパンのワルツは上の画像の2枚組CD「樂の音に寄せて」に入っております.
★Copyrights©1997-2020 Chieko Oku All rights reserved.
制作・著作:奥千絵子
★遙か下方に設置のカウンターは、サイトを複数回お訪ね下さいましても1日を1回とカウントし、又、私を入れない設定になっております。



最近の記事

最近のコメント

最近のトラックバック

月別アーカイブ

カテゴリー

FC2カウンター

ブログ内検索

RSSフィード

リンク

このブログをリンクに追加する