11月8日 シュランメルのコンサート - 2009.11.17 Tue
何だか大変バタバタと過ぎて今日になってしまった。
過去に遡って思い出しながら、一応記録。
11月8日、府中の森芸術劇場ウィーンホールに於けるコンサート。
予め打ち合わせた衣裳、私はパンツスタイルに、ということになっていたのに、3本あるどれもが前日になって見つからない!朝になって思い当たるところを探しても無い!
諦めて、「シュランメル」と「ウィーンホール」に敬意を表した形になるし、私だけディアンドル(オーストリアの民族衣装)を着させて貰うことに。
これが又・・・
古いものはいずれも入らない。
最新のは、購入時に「それ様の下着を」と言われていたのに(つまり、「ザ・サウンド・オブ・ミュージック」のマリアさんが、トラップ家にて男爵夫人だか公爵夫人だかに言いくるめられて修道院に帰る際、着替えで映った気がする…記憶違いだったらすみませんが、その類です)、いつ着るかも分からないし・・・と買わなかった。
私のスタイルは、誰が見ても着物向き(上半身がペシャンコな上になで肩、下半身は年齢に伴い…メタボ??)。
でも、これを着るぞ!!と決めた。メンバーの一人に連絡してバタバタと家を出た。
東府中からの道のりは現在の私には遠く(笑われてしまうのだが、着くや横になりたい程疲れてしまうことは見えて…)、武蔵小金井からタクシーに乗った。
家から合計40分で着いた上に、そのタクシーの運転手さんとの会話が・・・天国を垣間見た思い。
何の話からか「介護」に話題が飛び、運転手さんは、「いずれ天国で会うのだから、その時になって『あの時はあんなに痛い思いをさせられて!』と言われたくないですね。再会して互いに『有難う』と言い合える最期で居たいですね」と。あぁ、本当にその通りだ。
父や母と天国で再会した時、何て言われるだろうか?
又、近年の信じられない事件の数々、バブルが崩壊し、バブルで良い思いをした子供達が今後を支えて行くことへの懸念。戦後の混乱期を知っている我々が、もっとしっかりしないといけない、とも。
ほんの15-20分の乗車だったが、「あぁ、今日も教会を休んでしまったけれど、考えさせて頂く計画のうちにあったのだ」と心底思った。
メンバーのうちコントラバス奏者である夫は、1年前から決まっていた審査がある為に、この日は弦4部とピアノの編成で演奏。
シュランメルに関して、ピアノパートのアレンジは殆どシュランメルギターをそのまま、と言って構わないほどにしてあったのが功を奏し、この怪我の指でも何とかなった。
シュトラウスIIの2曲のワルツは、第2指を他の指に置き換えてクリア。
前半、後半40分ずつの中にトークを入れる。会場に着いてその様に時間を組んで下さっていることを知り(トークは私)・・・シュランメルについて、又、府中と姉妹都市であるヘルナルスについて語り出したら切りがないだけに、どう纏めるか焦った。
又、眼鏡で何とかする筈が、ディアンドルを着て掛けた眼鏡の何と似合わないこと!!
仕方がないので、人工類液とヒアレインを点しまくり、コンタクトレンズ。それも左で楽譜に焦点、右で客席に焦点を合わせる、という、とんでもない組み合わせで・・・
トークの時には客席の反応を見ないと内容が続かないのだ。
(面倒な年齢になったものです。誰もが通る老眼とは言え・・・)
当日のサイトはこちら。
曲目は以下だった。
♪ヨハン・シュトラウスII 南国の薔薇
♪ヨーゼフ・シュランメル ヴィンドボーナ オーストリアの真珠
♪ヨハン・シュランメル 朝の挨拶
♪ヨハン・シュランメル ウィーンの想い出
♪ヘルマン・レオポルディ ヘルナルスの小さなカフェにて
♪ヨハン・シュランメル つばめの挨拶
♪ヨハン・シュランメル ヌスドルフのワルツ
♪ヨハン・シュランメル この世の平和
♪ヨハン・シュランメル ウィーンはいつもウィーン
♪ヨハン・シュトラウスII 美しく碧きドナウ
途中、ワルツのリズムのお国柄による違いや、シュランメルの話、ウィーンも23区あって主立った区の場所や姉妹都市、曲名に出てくる地名がどんな場所か、又昨年2月に経験した偶然(日記に記しましたが)等々を挟んで、無事に終了。
用意して下さった豪華なお弁当は、ディアンドルがまったく入らなくなってしまう為、終演後に頂きました。
色気も何もない内容になってしまいました。
(取り敢えず送信。又編集します)
一昨日の日記の続きの続き - 2008.03.13 Thu
シュランメルに関わる日記を随分書いたけれど,2月24日には,絶対に何か見つかる!と思って出向いたにも拘らず見つからなかった家・・・
それが,「ほら,あそこ」と,今日はいとも簡単に教わってしまった!!!

今日は前述のKalvarienbergmarktから,シュランメルの像(夏は噴水)に寄り,そこから建物に囲まれたショッピングセンターを突き抜けて別な道路へ出たのだが,それは何と!24日に私が探し歩いたのと全く逆のコースとなっていた!!
あの時は通りの名前には自信もあったし,Musikschuleもあることだし,日曜で店はどこも閉じていたが,ショッピングセンターを突き抜けると像があるので,この辺り!!と睨んで取り敢えず帰宅したのだったが・・
今日はまさに逆コースにて・・・
Musikschuleの真向かい・・
前回,愚かな私は,オーストリアに貢献した人なのだから絶対に紅白の帯が付いたプレートがあるに違いない!と思い込んでしまっていたのだった。
おそらく玄関はこの通りには無く,例のCDブックレットに書かれてある住所から入って行くのだと思う。
今ではおそらく普通の家になっているとは思うものの,是非,それとなく入ってみよう。但し,確か入り口には各家に繋がるインターフォンが付いていた気が‥。
(本日のお仲間たち)

スギ花粉症らしい・・・ - 2008.02.24 Sun
最寄りの停留所に着く頃には鼻も気にならなくなり,流石薬の効果!!と喜んで,あちこち歩いて帰宅すべく最寄り駅で下車した。
あぁ,南天が綺麗だなぁ…とカシャリ!

この南天の横から階段と坂道が始まる。
そして……何となく鼻がムズムズ。
もしや,スギ花粉症??
と,改めていつも通っている木々を眺めると


アップで…

更にアップで…

しつこい様ですが,明らかにスギですな・・・

これが家の前を延々続くのであります。

しかも,この部屋の窓の外には,一体何本立っているか・・・

全く他人事でいた花粉症,いや,いずれは…と思っていたのだが,ステロイドも飲んでいることだし,今は大丈夫と過信していた。
帰宅するなり,見事に鼻水くしゃみが復活してしまったではないか!!!
帰国が延期になり,薬が足りなくなる(3月24日に病院の予約をしてあるのも行けないため)思い切ってステロイドを半減させたのが…数日だか一週間だか前の話。
見事に出ました

ところで,今朝は何をそんなにハシゴして来たかと言えば,ミニッヒ(しつこくてすみません)の展示が今日まで!!もう一度じっくり一枚ずつ見たかったこともあり,出向いたのだった。
ヲタク話題で申し訳ないが,「Ob blond, ob braun, ich liebe alle Frauen, mein He~~~rz ist gro~~~ss・・・

その後,シューベルト公園に寄ってみた。



ここにはシューベルトとベートーヴェンの元々の墓があり(その後,中央墓地に移された),墓石は残っている筈,と出向いたのだが・・・
本当に子供の公園になっていた

石像があったのだが,この様な形ではなかった・・・と外から写真を撮った。



こんなに暖かい日々,しかも雲ひとつない晴天が続いたなら,シューベルトの曲想はガラリと違ったものになっていたであろう。
どんよりと曇ったウィーンから殆ど一歩も出ることなく,春を夢見て,五月になると一斉に花が咲き乱れ始めるウィーンの街での作品・・・
最近,異常気象気味のシューベルトの演奏が多いのも頷けてしまった

又電車を乗り継ぎ,今度はシュランメルに関わりそうな通りへ。
某社のSchrammelのCDに,K.u.K.(※)Hof KapellemeisterからJosef Schrammel宛,直筆での手紙のコピーが載っており,その宛先の住所を訪ねて。(ただ,手紙の宛先である通りの名前はウィーンのどこにも無い。多分綴りの中「e」と記されているのは,現在「ö」と記されている道であろう,と推測して行ってみた。)
その住所には特に何も無かったが(著名人がかつて住んでいたところには,オーストリアの国旗の色の装飾がある筈),近くにMusikschuleがあり,その先は先日の区役所の裏道となる。
おそらく,この辺りに住んでいたのであろう・・
そして,シュランメルカルテットの像の前から電車に乗り,帰宅し,・・・家に着くや・・・
目下もティッシューを抱えて,鼻をかみつつ書いている・・
・・と余りに風情のない表現になったので,ここでおしまい。
※K.u.K.=Kaiserlich und Königlichの略:オーストリア帝国及びハンガリー王国
散歩 - 2008.02.23 Sat
二週間前の土曜(9日),家主一家は今年二度目のスキー旅行に出掛け,「はい,練習用の鍵!」と出がけに二階の家の鍵を渡されたのだが,翌週土曜(16日)に戻るまで全くさらわなかった。そして又それから一週間が経ってしまった。
これで「ピアニスト」を名乗れるものではない。
いや,一度は「それでは頼まれている歌伴のフィンがリングでも決めようか」と二階に上がって行ったのだが,何しろ電灯が暗い!そして眼鏡の度は合わない・・(単なる言い訳

諦めて指練習でも,と思ったのだが,鍵盤の余りの軽さと不揃い(貸して下さっていながら申し訳ない発言ですが),低音のえも言われぬピッチの狂いに放棄した。ならば調律をお願いしたら・・というのが一般的な考えなのだろうが,今までも月単位で練習出来ずに過ぎたことは数えられないほどあり,それでも何とかせねばならない時には何とかなる,という生来の怠け癖,というよりも習慣(これも言い訳

どうして練習しないの?と,とまるで教師からお小言を頂いているかの如し。
それで,留守中のあれこれ(今まで日記に書いた様なことや,疲れては爆睡していることなどを)話したところ,Minichについてはお二方とも「あの様なカリスマ性を備えた歌手は,後にも先にも存在しない」と。私もそう思う,残念だが。
家主夫妻は我々を家族の様に大切に考えていて下さり,感謝の言葉も見つからぬほど(もしや娘と孫の様に???)。
娘にはドイツ語の件,毎日,「いつでも教えてあげるから,いつでも上がっておいで」と言ってくださるのだが…結局二階に出向くことなく一日が過ぎると,翌日には「昨日も来なかった」とがっかりされる。
私には,シュランメルの本を借りてこられる様に,と貴重なウィーン市立図書館のカードを貸してくださってある。何冊でも貸し出し可能だそうで,一冊ごとにカードを通して持ち帰るシステムらしい。
とは言え……ドイツ語の本だよなぁ……
一冊だって一年かかるかも分からない,というのに

今日は,一人でこの近辺を散歩してきた。
又?と言われそうだが,Schrammelgasseという名前の通り(小道)を端から端まで。
大規模な工事現場もある。新築中だろうか・・

素晴らしい名前!!


途中左右でSchrammelgasseとRöntgengasseという道に分かれたり

再び交差したり,素晴らしい道は,片側の住所がSchrammelgasseで,反対側がRöntgengasse


しかも,遠くウィーンの街全体が見渡せる。


廃屋あり,木々が生い茂っているかと思うと,豪邸に出くわすなど。番地入りの写真は情報に差し障るであろう,と残念ながら控えておくが…。



ここ(売り家),いくらするのか,本当に電話しようかと思ってしまった。
掘建て小屋で構わないのです。

帰宅して時計を見たら,きっかり1時間の散歩でした。
何も言うまい・・ - 2008.02.13 Wed
奇遇 - 2008.02.12 Tue



昨日は18区(Währing)の区役所へ。
今日は17区(Hernals)の区役所へ。
昨日のことは書いたが,今日は・・・
朝から街に出て疲れ,帰りの電車ではぼ~~っと座っていたところ,駅名を告げるアナウンスが「Hernals」と言った様な気がして慌てて降りた。Hernalsで途中下車して買い物をしようと思っていたから。
ところが降りてみたら全然違った。東京のバスと同じで,停留所名を言ってから,その傍に何があるか,という様に説明が入るのだが,どうやらその説明の方が耳に入ったらしい。景色も慣れているし,駅名を間違えるほどドイツ語に疎い訳でもない。
降りたところは,すぐ正面にSchrammel※(後日説明)の像があり,一度降りて写真を撮ろうと思っていた場所。・・・あぁ,今日こそどうぞ,と呼ばれてしまったのかも,とおもむろにポケットからデジカメを出して撮影。



さて,「奇遇」のタイトルは,そのことだけではない。
実は,日記に書くつもりは全くなかったことなのだが・・・
日本の文化庁には,芸術家に対しての海外派遣を援助する給付金制度というものがある(手元に資料が無いので,全て正確な名称で記載出来ない)。往復の航空費用と,一日一定金額の生活費が給付される。
年齢制限が無いものもあり,それは10年くらい前には1年間,というものもあったが,今では3ヶ月となっている。
その海外派遣の申請を提出したいものだ,と何年も思いつつも実行に移せていない。
それは(この様な公開の日記に書くことの是非が問われるかもしれないが),条件の中に「健康診断書」がある。
私の場合は,膠原病という難病指定の病気があり,目下治療経過観察中。これは公費負担にて治療を受けているもので,診療費用も月々信じられない援助を公費で受けており,投薬代ときては自己負担額ゼロ。
この様な病気を持っていることを隠して書いてもらう訳にも行かない。隠して書いて貰ったとて,何かが起きた折にはどこも責任は取れない。
いずれにせよ申請したところで通る訳もない,と「駄目もと」すら逃げていた。
何をする為に?と思われるだろうが,私の場合は「Schrammel音楽」に関しての資料作りと,まだ日本で再現していないレパートリーの編曲。それらはシュランメル兄弟が生きた土地に生活し,肌でも味わいながらドイツ語の資料を探し,曲を場合によっては録音から書き取り,更に我々の室内楽編成にアレンジする・・という,夢のまた夢のそのまた夢の様な願い。
あくまでも研究をしに行く訳で,研究発表が出来るかどうか,ということも躊躇の一因でもある。
今回夫の演奏旅行へ是非ご一緒に,とのお誘いを受け,飛びついた理由のひとつには実はこのこともあった。しかし,ずっと引きずっていた体調不良は,この階段と坂道ばかりの道が当初すっかり輪をかけた。
夫が日本に帰った後も居残っているのは,娘のドイツ語のこともあるが,密かに何か出来るかもしれない・・・ということもあった。しかし「…ねばならない」を避けるべし,と言い訳をしつつ,結局1ヶ月半がのんびりと過ぎてしまっているのだが…。
話を今日のその「ぼ~~~っ」に戻す。
昨日のミニッヒの展示が区役所の中の一画だったことを思い出し,そうだ!Hernalsの区役所はどこにあるのだろう??と思った。何となくそこらを歩いてキョロキョロ上を眺めて歩いていたところ・・・
そのSchrammelnの像の斜め向こうに「Bezirksamt Hernals」(ヘルナルス区役所)と書いてある建物があるではないか!!
すぐさま飛んで行った(実際にはのろのろと歩いて,気持ちは飛んで)。
一階の守衛の様な人に事情を話したところ,二階(ドイツ語では「一階」と数える。日本で言う一階がゼロで,二階が「ひとつ目の階」という数え方だ)に行って左の部屋,と教えてくれた。
ドアを開けて入って行くと,左にシュランメル・ムジークを奏でる人々の小さな像が展示してある。





奥から親切そうなおばさん,もとい,係員が出てきてくれたので,実はこれこれこの様な訳で,何か資料を探しているのですが,と話してみたところ,奥から冊子を持ってきて見せてくれた。パラパラめくってみたところ,この区の歴史や風土や,土地が輩出した著名人に関する話が書かれてあるようだ。ほんの1センチ程度の厚さだが,ハードカバーのなかなかの冊子。
何か見つかるかもしれないですよ,と言われ値段を尋ねれば,これは配布用とのこと。流石,歴史の街のすること!!
大切に握りしめて電車に再度乗り,冊子をめくれば,シュランメルの話も載っていた。本当に何か探す糸口になれば,と思う。
更なる奇遇は,その訪ねた部屋の一角に飾り棚があり,「府中市」との文字が書かれた板(何という名称??)や,日本の風物・贈り物が置かれていたこと。
訊けば,ヘルナルス区と府中市は姉妹都市なのだ,という。
それらを,帰宅して娘に話したところ,「お父さんお母さんたち,よく府中の森で演奏したわよね」と言う。・・・・・・確かに!!しかも,唯一出版したSchrammelのみによるCDは,その府中の森芸術劇場の「ウィーンホール」というところだった。ひょっとして主人はそれを意図して,会場を選んだのか??とすぐさま国際電話(滅多にしない)をかけてみたところ,そのCDの演奏会当時は,まだ姉妹都市ではなかった,と言う。
これは…やはり導かれてしまったのだろうか???
宣伝になってしまうが,その「シュランメル讃歌」とのタイトルのCD,販売に関わっているAmazonのサイトを貼付けさせてください。画像がなく,手元のこの新しいパソコンにも入れていないのが残念。(曲目やカスタマーレビューなどをご覧頂ければ幸いです)
シュランメル讃歌はこちら
その中で演奏している「ドルンバッハの戯れ」のドルンバッハもまさに今住まわせて頂いている家のすぐ傍。

最寄り駅のすぐ傍にある記念碑。

これはもう,少しでも着手せよ,ということかも分からない。
余談ながら,よく我々が演奏する「ヘルナルスの小さなカフェにて(レオポルディ作曲)」の「ヘルナルス」,実際には「ヘァナルス」,更に早口で言うと「ハナルス」と聞こえる。タイトル訳を書き換えねばならないか??
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12. Februar 2008 -zufällige Überraschung-
Heute fuhr ich in die Stadtmitte, um die verschiedenen Sachen zu erledigen.
In der Straßenbahn auf dem Heimweg hörte ich schlummernd "Hernals".
Eilig stieg ich aus, weil ich in der Nähe der Station "Hernals" auch etwas einkaufen wollte. Aber dort war nicht Hernals, sondern wahrscheinlich hörte ich nur einen Teil der Ansage "das Amtshaus Hernals".
Das war ein Platz, wo ich schon lange einmal aussteigen und das prächtige Denkmal der Schrammeln fotografieren wollte.
" Ah, es war, als hätte das mich gerufen."
Ich nahm meine Fotoapparat aus der Tasche und konnte es endlich fotografieren, auch jeden Spieler des Quartetts.
Das war aber noch nicht alles.
Das folgende hätte ich vielleicht nicht schreiben sollen.
Es gibt in Japan Stipendien ohne Altersgrenze, die die Kurturbehörde vergibt, um dadurch Künstlern ihre Forschungen im Ausland finanziell leichter zu machen.
Ich weiß nicht genau, was man bekommen kann. Aber sicherlich werden mindestens die Flugkosten und 10000Yen pro Tag für drei Monate finanziert.
Es gibt auch längere Stipendien, aber leider mit Altersgrenze.
Obwohl ich seit langen daran denke, habe ich noch nie um ein Stipendium eingereicht.
Das Stipendium hängt von einer Bestätigung ab, die der Bewerber für körperlich und geistig gesund erklärt.
Ich habe eine Krankheit. Sie heißt Dermatomyositis, gehört zu den Kollagenkrankheiten und ist von der japanischen Regierung als hartnäckige Krankheit kategorisiert.
Dafür wird mir immer noch beiden Kosten der Untersuchungen und Medikamenten finanziell geholfen.
Deswegen habe ich immer gezögert ein Stipendium einzureichen.
Diesen Umstand darf und möchte ich nicht falsch darstellen.
Aber jedenfalls wäre diese Bewerbung wertvoll.
"Was für eine Forschung?" könnte man mich fragen.
Ich plane eine Forschung über "die Brüder Schrammel", ihre Werke, und auch Bearbeitungen für unsere Kammermusikgruppe, um den Reiz und Zauber der Schrammelmusik auch in Japan zu verbreiten.
Später will ich Bücher über die Brüder Schrammel schreiben oder vorhandene ins Japanisch übersetzen.
Zufälligerweise wohne ich jetzt im Bezirk "Hernals".
Hier in Dornbach in der Nähe der Wohnung unserer Freunde müssen die Brüder Schrammel gespielt haben.
Die Ortnamen "Dornbacher Strasse" oder "Dornbach" und "Schrammelgasse" weisen darauf hin.
Wir spielen in Japan sehr oft "Dornbacher Herz".
In der Dornbacher Strasse steht auch ein Denkmal von Schrammeln.
Ich fragte die Beamtin in Bezirksamt Hernals, ob es Forschungsmaterial gibt. Sie gab mir ein Büchlein mit dicken Umschlag.
Noch einen bewunderswerten Zufall gab es.
Im Vorzimmer des Amts standen viele Souvenirs aus Japan und eine große Tafel mit japanischen Schriften.
ich fragete die Beamtin, warum "Fuchu-shi" auf der Tafel steht. Da erfuhr ich, dass Hernals und Fuchu-shi Schwesterbezirk sind.
Im "Wiener Saal" des Theters "Fuchu no mori"(d.h. "Der Wald Fuchu" oder " Der Fuchuer Wald" ) machten wir CD-Aufnahmen von Werken der Brüder Schrammel.
Eine ganze Kette von glücklichen Zufälle
- dachte ich.