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2020-09

DürnsteinのStiftの色 - 2013.04.17 Wed

2008年にウン十年ぶりにWachau渓谷を訪ねた。
家主さん一家と共にゾロゾロ連れ立ってDürnsteinも訪ねたが、Stift(修道院)の余りの青さに青ざめた。
いや、こんなに鮮明なスカイブルー??

1970年代の滞在中も何かと頻繁に訪ねる機会があったが、単にくすんでいただけで、元は青ざめて、もとい、青かったのかしら?と今頃になって古い写真を調べた。


2008年3月の写真
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1978年(79年かもしれない)の写真
カメラそのものも当時のバカチョン(死語?)ではありますが…
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(私はこの色の方が違和感ありません)



もしや元の色は青系?とプレビューで青方向に色を直してみましたが、青くなるのは空だけで…
やはり現在の周囲の色と同じだったのでしょう・・・
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・・・と気になるとアルバムを引っぱり出す暇人・・


ウィーンへ出発(成田へ) - 2012.11.01 Thu

(11月4日記載)

11月1日に出発。正しくは成田に向けて出発、そこで一泊。

既に「ものわすれセンター行き」かも…(ものわすれセンターとは、私が世話になっている病院の「認知症の科」の正式名)と思うほど。決してその類を揶揄するわけではない。本当に頭が回転しない。
何をどのバッグのどのポケットに入れたのか?スーツケースに入れたのか?それならどこに?と、まだ出発する前から探し物ばかりしていた。

そして成田のホテルに着いて、帽子が見つからない。
空港からのシャトルバスだろうか?それとも空港行きのリムジンバスだろうか?はたまた家からリムジン乗り場のタクシーだろうか?
日頃、その類のものには4桁の金額しかかけない私が5桁のものを購入した…(というのも、頭髪の生えぎわの白髪を隠すため!)
う〜〜ん、このままにするのは何とも。
家から電話で読んだ無線タクシー会社に連絡をし、無線の番号(というのだろうか?ナンバープレートではなく)を告げるや、それは○○営業所が管轄なので、と電話番号を教えてくれた。
親切にも、「届いています」と。
保管しておいてくださるそうで、帰国後に取りに行くことになった。

と、こんな調子で旅が始まった。
単なる疲れすぎであることを願いつつ・・・

取り敢えずこれだけ送信。

追記 - 2012.06.14 Thu

オーストリアのドイツ語、特にウィーンではフランス語からの外来語が多く使われる。

ハプスブルク王朝との関係だと思う。
ドイツでは使われない数々…

2008年からドイツ語に全く触れない生活となった為、どうも回転が鈍い…(元々頭が悪い上に、老化??)

ドイツ語でgegenüber(向かい側)というところを、普通にvis-à-visと喋っている。
私が居た昔?いや…今もきっと言っていることでしょう…
他には、…又思い出した時に。


オーストリアの民族衣装(追加) - 2012.06.14 Thu

本サイト「別館」にアップする筈の写真…
流石に段々タグで打つ億劫さ。
ブログ画面は、一覧に入れさえすればクリックひとつで載せられるため、こちらに載せたものを相互リンクさせます。
こちらに載せるべき写真(第4章)。(反映には時間がかかることがあります…双方とも)

元々が、ブルクミュラーの話です。

オーストリアの民族衣装(Volkstrachten)がどんなであるか、と話が飛びます。
何百もの色々な種類があり、「民族衣装」と一括りには出来ない、と長い長いドイツ語の解説には載っています。

地方によっても違う。

まずはオーストリアの州と州都。

テーマはSteiermark(シュタイァーマルク)
可成りの広範囲です。

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(C)Der Grosse Polyglott "ÖSTERREICH" POLYGLOTT-VERLAG MÜNCHEN

但しこの地図は現代のもので(正しくは1974年の)厚さ3-4cmあるReiseführer - 旅行ガイドから。
問題となっている1800年代半ばは、このようではありませんね?

1815年に…(遙か昔の机での勉強で、詳しいことは書けない…おぼろげな記憶も情けないほど消えました)、ウィーン会議の後の国境線は目まぐるしく変化しましたね?
1800年前後、ナポレオン時代の神聖ローマ帝国は、戦争の結果ライン同盟を組織させられ、ドイツはオーストリア・プロシア・ラインの3部に解体し、…話が飛びすぎますか… その後、西はヴェネツィア辺りまで、その北のチロル、東はハンガリー、北はチェコ・スロバキア、…問題のブルクミュラーが25の練習曲集を作曲した頃は、ウィーンはドイツ連邦内に入っていたか?

ともあれ、今のような落ち着いた状態ではなかった訳ですが、田舎の風景はのどかで変わらなかったことと思います。
シュタイァーマルク然り。アルプスの麓。まさにザ・サウンド・オブ・ミュージックの世界です。

余り話題を広げますと収集付かず。ボロも出ます。
テーマは民族衣装でした・・・

下は、同じ本から、おおよそ現代の各地方のスタイル。

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(C)Der Grosse Polyglott "ÖSTERREICH" POLYGLOTT-VERLAG MÜNCHEN

民族衣装、と言っても、日本の和服が色々とある、浴衣すら和服のひとつであることを思えば、全く同じです。


ここから・・・ちょっと自己主張激しいか??
けれど、本物があった方が・・・と過去の写真を取り出します。

コレクションではないのですが、演奏会用、結婚式のお色直し用、父の油絵の題材、等々…どうしたことかDirndl(ディアンドゥル - 女性のオーストリアを中心とした民族衣装。ウエストをキュッと締めたタイプのスタイル)が何枚にも・・
本来、普段着用の物もありますし正装用もありますし、本当に何百種類なのだと思います。

その中から・・・
ウィーン物による演奏会の際、私の「箪笥の肥やし」を弦の方々にも着用して頂き、開催したもの。

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(私が着ているものは、この時点では高価な別珍のエプロンが付いているのですが、クリーニング店が紛失したらしい…)


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男性も同様、種類は沢山・・・
夫は今でも何着も持ち、日頃から好んで着ており、子供達はまさかオーストリアの民族衣装だとは知らずに育った…。

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こんなものを披露するのも躊躇われますが、もう35年も経てば恥も外聞も無い。

(エプロンが付かないスタイル。ザルツブルクで購入)
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勿論子供用もあり、下は30年も昔の・・・・

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と、こんな写真たちを出さずとも、1番良いのは何と言っても

The Sound of Music ! !

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子供も含め女性は全員、日常用のDirndlです!!
トラップ大佐も子供たちも、いわゆる背広と遊び着くらいの違いはあっても男性の民族衣装です。


さて、踊りがどんなであるか?という点。
このザ・サウンド・オブ・ミュージックは、もっと時代が新しい。
1800年代半ばではありません。
でもシュタイァーの踊りは出てきます。

この場面!
動画は違反になるので写真のみ。

伯爵夫人歓迎のパーティ
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ウィンナワルツがいつしか長閑な音楽になり・・

子供たちがマリアさんに、
”What are they playing?”と訊き、マリアさんが、
”It's Ländler! An Austrian folk dance.”
と答え、踊り出す、そして大佐と交代する、というあの重要場面です。

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It's Ländler! と答えている通り、レントラーの踊りです。ワルツの前身。

踊りに興味を持たれる方は、是非ステップをご覧になることをお薦め致します。

(動画を載せてみます)

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©1965- Twentieth Century Fox Film Corporation and Angyle Enterprises, Inc.


以下は余談。
父が一時期、画商に頼まれて「ヴァイオリンの少女」シリーズを次々描いておりました。
その中から、Dirndlを着た少女数枚。

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(下の2枚は、ガラスが反射して上手く撮れないので、斜めから)
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これでおしまい。


Rex - 2010.06.16 Wed

テレビは殆ど見ないのですが・・・
10年以上前は相撲ファンでした。
でも、最近はもう見る気も失せる!!

笑点だけは今でもずっと録画をしてでも見ています。



目下は・・・

Kommissar Rex ! !

ウィーンの警察犬Rexの活躍ぶり。本当に賢くて、大ファンです。
刑事のリヒャルトとのコンビぶりが又素敵で・・・

見始めたきっかけは、単にWienerisch(ウィーンの方言)とウィーンの景色(←文法的に統一されていませんね)に郷愁を感じただけだったのが、ここまでハマってしまうとは



詳細は以下より。
http://mystery.co.jp/program/rex/


ご覧になれる方は、是非!!   

AXNミステリー、我が家はケーブルテレビで見ております。
(仕事が捗ろうと捗らなかろうと、眠かろうと、テレビの前に座れば夢中で見てしまいます)
ここ数週間は、ベビーレックスに始まり、毎日放映され、今はRex2。これがもうじき終わり、来週からは週1回になるようです。Rex3として。



現在は他に日記のネタもなく……失礼致しました……

出発&到着 - 2009.06.20 Sat

昨日の朝、出発しました。

久々に長く感じたフライトでした。

夫が成田まで車で送ってくれました。
ラッシュ前に都心を抜けた方がよい、というので6時半に家を出、いとも順調に走り・・・
速かったです


チェックイン、荷物が25.7kgあり、「本来1キロ超過毎に40ユーロとなりますので、お帰りの折にはお気を付け下さい。行きは機内持ち込みが少ないので(リュックとショルダーだけ)、お通し致しますが」だそうです。
が、実際にはそのリュック、パソコンだの、間際にバタバタと入れた小物で可成り重い。

何しろ脚が思うようでない為、お土産を少々買った以外は既に疲れ、そのままゲートに直行しました。私が一番かと思ったのですが、上手がおられました。

そうこうするうち、何名かの名前が呼ばれている。
内心、何か不手際でもやったんでしょ…と小馬鹿にしていたら、1時間位経って「*****さま」と私の名前まで呼ばれました。私の本名はよくある名前なので、多分他の人でしょう、と二度も呼ばせてしまいました

「お預かりした機内荷物の中にバッテリーが発見されまして」と言う。
パソコンのバッテリーの予備なのですが、今まで指摘されたことはありません。
程なく荷物と共に係員がやって来て再度呼ばれ、搭乗口の蔭でスーツケースを全開にして、レントゲン写真の複写の様なものと共に「この辺りにある筈ですが」と。
まぁ~~~、吃驚!!こんなに細かく観察しているのね。(逆に安心ではあります
その指摘された場所に入っていたそのバッテリーを出して、裏に記載されたシリアルナンバー(だったか?)を書き写してから、「これは手荷物としてお持ち下さい」と渡され、スーツケースを閉じて再度持って行かれた。
パソコンのバッテリーって、結構重いのです。アダプタがあるので持って来なくても良かったのですが、つい習慣で・・・


漸くゲートが開き……これも初めてなのですが、搭乗券のみならず、「今回はパスポートの顔写真のページを開いてお並びください」と指示が出ました。
何かあったのでしょうかね??(平和ボケです)

そして10:55発の飛行機は、11:30になっても動かない。

そうこうするうちに、荷物の取り調べに大変時間がかかっている為、もう少しお待ちください、みたいなアナウンスが何度もありました。 こんなに時間がかかる程丹念に調べているのですね。

お詫びを聞いて、ハタ!!・・・私のスーツケース、検査の後は鍵を掛けずに持って行かれた!!
すぐに乗務員に伝えたところ、schließenしてあれば(閉じてあれば)、zugesperrtでなくても(鍵が掛かっていなくても)大丈夫、だそうな・・・
余りに度々「荷物のチェックで」「積み込みに時間がかかり」等々アナウンスされるもので、想像力豊かな私は、自分のスーツケースが飛行機に投げ込まれる瞬間、パカッと開いて中の物がバラバラ~~~っと飛び散った光景を思い浮かべてしまいましたわ~~

飛び立ったのは、確か12時を回っていたと思います。


ところで、いつも離陸して真っ先に配られる「おつまみ」の様な小袋とワインの小瓶を「ささやかな楽しみ」としていたのですが、不況の煽りか、それとも単に遅れたからなのか、省略されていました。


座席は、非常口のすぐ後ろの脚を伸ばせる場所を取って貰ってあったのですが、使えるトイレが2つしか無く、伸ばしている脚のすぐ傍で行列。
しかもすぐ右には機内食の準備などで乗務員が忙しく大声で喋っている。

落ち着かないフライトで、直行便をこんなに長く感じたのは初めてです。
いや、実際、座ってから数えた時間は長かったのですけれども。


Wien Schwechat空港には友人(夫の30数年来の同僚)が迎えに来てくれていて、本当に助かりました。
長時間座っていた為に脚はグニャグニャ。万が一に備えてリュックに入れてあった、折りたたみ式のステッキが役に立つとは!!そんな状態で、CATに乗ってWien Mitteでタクシーに乗り換えてホテルを説明して・・・気楽に考えていたのですが、不可能だったに違いありません。
着いたとしてもホテル入り口は大変分かりにくく(予め、「分かりにくい」ということを、ホテルのサイトの利用者の声、みたいなところで読んでいたので知ってはいましたが・・・ )お迎えは本当に助かりました。


ところでところで・・・
今、ベートーヴェン国際コンクールがウィーンで開催されているのですね。
決勝の日は、私はフォルクスオパーの「微笑みの国」を入れてしまったので行けませんが・・・
若い頃、ウィーンに長く居たのに一度も聴いたことがありません(多分私自身、同時期に別なコンクールに出掛けていたのでしょう)。
今日明日と二次予選だそうで、朝と午後と3人ずつ演奏する様です。
気力があれば聴きに行ってみようと思います。




この宿、ホテルとアパートメント式と両方あり、私は後者を選びました。簡単なキッチンに冷蔵庫も付いている!!私の部屋は静かで大変居心地もよろしい
が、非常口の案内図が無いのです・・・

で、朝食の後で自分でマークを確認したら、これ以上先は何も無い、行き止まりである私の部屋のドアの横に;

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え~~~っ!?!?と思って部屋を見渡すと、私の部屋の窓の横に;


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ここ、7階ですが ……まさか飛び降りる???



乗り出して見てみた。 (正しくは私の背丈では見えず、腕を一杯に伸ばしてカメラに見て貰った)

一応ハシゴがある様です。
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(中庭の向かいの方々・・・・・決してわたくしは怪しい者ではございません)





こうなっているらしい。
(偶然、緑が綺麗で今朝撮ってあった。)

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(写真の右の方に写っています。 )







暇人の日記ですみません

Wachauの一日 - 2008.03.09 Sun

何と日々の過ぎる速度!

先週末に遠足のお誘いを受けて,凄まじい暴風雨の為に延期,と言っていたというのに,もうそれから一週間が過ぎてしまった。
土曜の夜にヘルベルトが来て,明日天気が良さそうだからDürnsteinに行こう,とのお誘い。
ご家族他,この家の目下の住人は8人。2台車を連ねて9時半出発,と。

朝起きると素晴らしい快晴!!
ドナウを渡り,Tulln経由。
アレクサンドラが途中ウィーンの森でKnoblauchspinat(ニンニクの葉,と訳して良いのだろうか??)が欲しい,とスコップで掘って獲得していた・・・本当にニンニクの臭いがしました。きっと庭で育てるのでしょう。
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Kremsを過ぎてDürnstein到着。
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あぁ,ここも懐かしいなぁ・・・最後に来たのは,息子が生後10ヶ月くらいだったろうか。やはり夫のオケの仲間一家とだった。その前は…日本から誰か来られると決まって夫が車で案内し,行きつけの造り酒屋(ワインの)で試飲をして買い溜めして,そしてメルクへ向かう,というコースを辿ったものだった。
平地も葡萄畑,山の斜面も葡萄の段々畑。秋になると白ワイン,もとい,白葡萄がたわわに実る。そこに行き着くまでは寸暇を惜しむ間もなく些細な作業に追われるそうだから,感謝して味わわねば。

確かこの先にトンネルの様になった道があった,と私ごとき者の記憶も確か。そこを突き抜けて左に曲がると,確かドナウを見ながらワインを楽しめるレストラン(兼ホテル)があった筈。これだったかな??(冬期休業中)
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生憎修道院は3月半ばからオープンするそうで,中には入れなかったのだけど,中庭。
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自転車置き場が出来ていることに吃驚。
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それにしても付属の教会,こんな色だったかしら??
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崖の上にRuine Kuenringerburg(ケーンリンガー城の廃墟)がそびえている。

今から登るけれど,Chiekoはカタリーナとユライ(家のもう一人の助手・テニーザのお子さん)と待っていなさい,と。
見るからに凄まじい傾斜!

穏やかな春の日ざしをドナウに沿ってのんびり,乳母車を押す彼女と歩いていると,私まで1980年頃の自分に戻ってしまう。
偶然にも白鳥二羽がドナウに舞い降りていて,カタリーナになついて手から餌を食べていた。
動画がアップ出来ずに残念!!

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その後,車で少々仮眠。
今頃皆さん,どの辺りを歩いているやら・・とカメラを向けてみた。
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少しアップで
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更にアップで
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再びうとうとしていると一同ご帰還!

娘はしっかり先頭に付いて行ったそうだ。
脚の長さほどもある階段を登って辿り着いたらしい・・・(元気であっても私のコンパスには不可能だわな)
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(天辺よりアレクサンドラさん撮影)


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(娘,撮影)


再度車に乗り,メルクへ。
修道院はこれ又シーズンオフにて入れなかった。教会は,ガイドの時間のみ入れるらしく,ここも生憎柵の外から見ただけ。
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ここも1970年代に何度か来た。
1977年にはリサイタルを!との話が,それも熱烈な要望があったにも拘らず,当時師事していた専制君主,もとい,恩師の許しが得られず泣く泣く諦めたこともあったっけ・・・(何と素直な弟子だったことか…勿体ないことをしたものだ)

やって来ました,花粉アレルギー源。
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スズカケノキの下が駐車場。
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その後,修道院を見上げつつ(そして、いにしえの素直過ぎた自分を反省しつつ)遅いティータイム。
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既に薄暗くなっていたが,Schloss Schönbühel。
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反対側は美しい夕暮れだった。
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その後,Aggsteinにも車で急な斜面を登って行った。
崖の下はドナウ。
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金剛力士像の真似だ,とアレクサンドラとヘルベルト。(小さな写真はどうかポチッと)
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ユライも真似を・・
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娘の背後,右の出っ張りはトイレだそうで要注意・・・
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その後はドナウに沿って,ひたすらウィーンを目指す帰路。

久々にオーストリアののどかな一日を味わわせて頂いたこと,心から感謝!!

ザルツブルク日帰り - 2008.01.10 Thu

昨日スペインから帰ってホッとしたのも束の間,まだ旅行の続きの如く今日はザルツブルクに出掛けることになった。
17日に夫は帰国する為,一日空いているのが今日しかない。
暖かかったスペインから突然真冬のザルツブルクへ!?……との心配は不要だった。

一昨年,娘の,「ザ・サウンド・オブ・ミュージックの舞台になった所を見たい」との希望を叶えるべく,出来る限りの場所は拾ったのだが,短期間の上に予定以上に諸用が増え,しかも高熱(私が)で一日無駄にしてしまい,行きそびれた場所もあり・・・
何よりも私は雪のザルツブルクに再会したく,又,街の向こうに見えるアルプスを見たくて(あぁ,これも30年ぶりだ)今回同行した。

朝8時22分ウィーン発のモーツァルト号に乗り,10時58分ザルツブルク着。
列車の途中には少し雪景色も楽しめたのだが,着いたザルツブルクの暖かいこと!!
後で聞けば,フェーン現象だったそうで,街はコート無しで歩いている人も居たのは当然だった。

im Zug


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凍ったWallersee




着いて,まずはお馴染みミラベル庭園を突っ切る。これが,雪どころか,芝生に菫・・・
この辺りは三十数年前の通学路。冬の通学路が大好きで,わざわざ雪の日を選んでレッスンに出向いたほどだった。
勿論暖かい日もあったが,冬にこんなに花が咲いていたこと無かった・・・
昨年夏の,体感温度40℃のザルツブルク然り,余程私の日頃の行いが悪いのだろう。
・・・否,これは寧ろ地球破壊を真剣に案じねばならない。


お馴染み景色


夫が薦める,ホーエンザルツブルク城を一望出来るメンヒスベルクのエレベータに乗る。すると,あの映画の中で,マリアと子供達が「ドレミの歌」を練習しながら歩いていた場所のひとつに出る。あの歌は,街の至る所で歌いながら歩いたり走ったり,又自転車に乗ったりしていたから「あの場面」というのも難しいのだが。

珍しく雪が無い


?



私の希望するアルプスは好天のお蔭で遠くにはっきり見えた。

アルプス


(安いデジカメでズームアップ。実際にはもっと尖った輪郭)
アルプスを望遠で


一度も音楽会のチケットが取れたことがないフェストシュピールハウスの中を,
ガイドツアーで回った。

(かの映画の亡命前,最後のステージとなった場所)
亡命前のシーン



ザルツブルクは大好きな街なので,写真は学生時代のもの然り,一昨年と昨年と至るところで随分撮ったものがあり,どこかに纏めてアップ出来るとよいのだが・・・あ,これはHP本体に「写真」のコーナーを設ければよいのか・・・(いずれ,ぼちぼちと気長に致します…)

今までに観光しそびれたところを「散歩」の日。
最後はSalzburger Nockerlで締めくくった。若い頃,何度もチャレンジしたのだが,いつも最後にプシューっと潰れて成功せず・・・
残念ながら写真は撮りそびれた。店のクリスマスからの飾りには目が行ったのだが。

??



Mozartkugeln発祥の店,Fürstに立ち寄って,そのまま駅へ直行。

(夕暮れのプラットフォーム)
夕暮れの駅


又も「モーツァルト号」で戻った。
着いたウィーンは霧氷が舞って,遥かに遥かに寒かった。




ウィーンでくつろぎ… - 2007.07.29 Sun

前の日記同様、日付は日本時間です。ある日記サイトでの文章と自分のコメントを繋ぎ合わせ(友人たちのコメントはおそらく彼らの情報に関わるため割愛)。
それを何年も後にアップしました。写真もその時に入れました。

……………………………………………………………………

日曜三つ目は本音    2007年07月22日20:20



どうしてこのような旅になったのか…本来は二曲だけ聴いて頂く筈、後は気晴らしの筈だった。

それがケーキも一度も食べず、呑まず、外食もせず。(TさんとIさんには心から感謝です。あれがザルツブルクでの唯一のワインとご馳走と相成りました)

原因は猛暑。
そして思い残す事は無い、とも書いた。

差し障りが出る事を案じたが、やはり書こう。そしてライグラフ先生にも手紙で伝えよう。


ライグラフ夫妻は私の病気をご存知ない。
乳癌だけだと思っておられる筈。
一応、膠原病の説明はした。免疫力が異常に働く事から来る、一生付き合う難病であること。でも理解はしてもらえなかった。
5年前に独検二級(現・準一級)の面接でその話になった時、試験官に理解して貰うのに甚だ苦労し、日本人のアシスタントが更に試験官に説明してくださり、「語彙の豊かさ」として合格したようなもの。本来自国の言語であったとしても難しい。
87歳の、それも病気や障害を茶化すような方には…と諦めた。
奥様然り、Immunität(免疫)は通じなかった。
暑さも相俟って(語彙の乏しさに加え)説明も投げやりだったかもしれない。

コンサートのパンフレットは渡したが、これが日本語しか書いておらず、説明も避けた。
後援が膠原病友の会であり、病気と共存している者が同じ立場の人々に励ましと勇気を与える事が本来の趣旨であること。だからドタキャンもあり、というのが当初の企画。
けれども身体に負荷をかけすぎての準備でドタキャンとなれば、勿論本末転倒である。


何もかもが暑さから、ということにしておこう。 いや、実際そうなのだ。
ギリシャは酷暑で、オーストリアよりももっと大変な事態が起きていたらしい。

今日は幸い涼しく頭も涼しい。
やはり先生に伝えるべきであろう、と列車の中、暇に任せて手紙を書いた。勿論お礼とお詫びを真っ先に書き、ウィーン到着の報告、その後に。

狭い世界です。
意思の疎通の無さから(あの調子でしたから)何を話されるか。
想像すらしたことがなかったのですが、8月には大勢の日本人(主にかつての教え子)が先生の元に行く訳です。

余りに擦れ違いが多かった。
義父もだが、私の声はどうやら耳の遠い方々には聞き取りにくいらしい。




ウィーンではケーキ食べるぞワイン飲むぞ
まるでコンクール直前の、思い出したくないのザルツブルクの日々と同じでした。

感謝を持つからこそ、食い違いは避けたいと思う。

もうすぐウィーンだ第二の故郷
又後ほど。

_________________________

皆さまのお陰で    2007年07月23日12:49

昨日は、やっと来たよ!ウィーンに!と思ったもののどうしたことか左股関節が痛い 。
思い返すに、ザルツブルク駅で片手でトランクを押し、片方の肩には手荷物という不自然な姿勢で長い長いプラットフォームを歩いたから。旅行会社の日本人女性がスタスタと先に行ってしまうのを追い掛けるが如く歩いた為に違いない「少しゆっくり」との日本語がどうして通じなかったのだろう?。
何しろ、日本人が盗難にあったハプニングから、たかがチケットを買うだけなのに時間計算狂い、その女性も内心焦っていたに違いない。(どんな女性か、娘の去年の推測は実に的を射ていた)

と、愚痴はやめよう …

無理はせず、でもじっとしているのも勿体ない !

今年6月初め頃だったか、あるサイトで知った以前から探していた場所。
そこへ行く事に決めた。
72時間有効の交通機関のチケットを買い、U4に乗り。


_______________________________

写真は載せずに過ぎ    2007年07月24日01:10
(写真を此処では入れます)

昨日着いたホテルは、何と私や夫、少し後には妹も学んだ当時のMusikhochschuleの斜め裏にある
何だか又もやタイムスリップ。
どこかに行きホテルに戻る道は、当時の通学路そのまま

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丁度昨日はHochschuleの玄関の両側に上から黒い布が垂れ、これは関係者が亡くなった時や、国の重要人物が亡くなった時に垂らす。

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誰だろうか?と少し気にしつつ、今朝通ったところ扉が開いていたので、懐かしさから中に入ってしまった。
壁に、我々が学生だった頃ピアノ科の主任教授だったSchwertmannの死亡通知。
思わず携帯でピロリロリーン
傍に居た守衛に注意された。しかし、私はここの(丁度30年前の)卒業生であり、当時の教授であった名前にびっくりした事を告げると、にこにこ顔に…


今日は幾分凌ぎ易いとは言え、アスファルトの照り返しは焼け付く様。

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(息子の出産の折、オーストリア国から頂いた多額のお祝い金で、この店↑で買い揃えました)


時間が惜しいと思いつつホテルに戻って昼寝しました。起きねば…と、Cafe OBERLAAを目指して出発。生クリームの半端じゃない特別注文の写真。

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娘へのお土産、それも小物ばかり買い、息子を始めとする諸家族にはどうしたものか ・・・


それにしても、一体いつから自転車が許されるようになったのやら・・
私が居た頃は、一方通行を守らないと怒鳴られたものだ。
そもそも自転車で走っていると、周囲から怪訝な顔をされた。当時は人口の4分の1が高齢者の街だった。

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(ausgenはausgenommenの略。「…を除く」つまり「自転車を除く」)



音楽を聴かない旅もどうか、と唯一日程が合ったシェーンブルンの「蝙蝠」を明日楽しみます。
チケットを自分で電話したが留守電ばかり。仕方なく旅行社に出向いたところ、15ユーロ手数料が掛かるという。馬鹿らしく去り、街のチケット売り場で残り僅かな中の一枚を購入。13%の手数料はかかったが、当日出向いてもチケットが無ければ無駄足となる訳で。
きっと夫の元同僚が大勢関与している筈。夫に電話したならきっと手配してくれる事も分かるのだが、今回は彼らには誰にも会わない内緒の旅行が故…

さて、ケーキで満足、支払いして出よう

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番狂わせ     2007年07月25日01:04

恵の雨、急な涼しさ、有難いこととは言え、スケジュール狂います

ところで、今回は見知らぬ所ばかりを探索。
某サイトが大いに情報を提供してくれまして、前述のミツコもさることながら、昨夜は国連都市に足を延ばしました。
しかし思い付いた時間が遅すぎ、昼間の明るさながら、着いたのは夜の9時。
地上170mだかの見晴らしの所での食事は勿論間に合わず、又、国連の中のガイドはパスポート持ってドイツ語もしくは英語のツアーだそうです。

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あ、動画も録ったっけ・・・(まさか動画まで録るとは思わず、一番安いデジカメを買ったことを悔いる)

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英語を復習するかドイツ語を習得するか、又課題と夢が膨らみました。


帰りは、街角でソーセージと胡瓜のピクルスを買い、片手に持ってホテルに戻り、使いたくなかったミニバーからワインを ・・・
冴えません。

しかも、街に何と若者が増えたこと!!
嬉しいことではありますが、余りにイメージが変わりました。

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今朝はHaus der Musikという所に行き、 コンピュータを駆使した体験をしてきました。

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(早く着き過ぎたので中庭のピアノを弾いて待った。こういうのは気持ちが良いです。ポピュラーどころを)

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これも、某サイトでの情報。
耳の仕組み、脳のシナプスへの道程など、音を捉える人間の構造。

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ウィーンで活躍した大作曲家の秘密。
ベートーベンの聴力減退も何段階にわたって体験。


極めつけは、ウィーンフィルを指揮する !!
コンピュータ画像のバーチャル。

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曲は色々あるのですがね、上手く出来ないと団員がEntsetzlich!!なんちゃらかんちゃら…ワイワイ文句を言われる。キュヒル氏は睨むし。
なまじ強弱を付けようとか、テンポ揺らそう、は駄目!数回やってカラクリが解りました
最後は”CONGRATULATION!”と画面に出てウィーンフィルから拍手。

(何やってんだか・・・)


雨が酷くなり、スーパーで買い出ししたのが大変なことになり、旅行中初タクシー。
荷物、何とか入るかな??

折角シェーンブルンへ行くので、ヒーツィングの墓地を訪ねるつもりだったのですが諦めました。
アルバン・ベルクやオットー・ワーグナーなどなど芸術家に並び、ミツコの墓もあるそうで…
この雨ではちょっと…

又の日があることを願いつつ。
そろそろFledermausに出掛けよう
(とは身内ネタですみません)

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日付では二つ目の日記。   2007年07月25日19:20

昨日の「こうもり」@シェーンブルン、第一幕の間に土砂降りとなったらしい。
休憩で外に出たら凄まじい水溜まりと夕日に照らされた建物が美しかった。
公演については又。

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今朝はチェックアウトまでのぎりぎり2時間を使い、クーデンホーフカレルギー家の墓地を見て来ました。
中央墓地並……困っていたら折よく守衛さんが戻り、地図をくれました。別な入口に移動し、入ってみたものの番号も出ておらず、諦めようかと思ったところに管理の、というか掃除のおじさんが二人来たので尋ねたら、探してくれました。

あぁ、長年の夢が叶いました!


おじさん達に感謝。
既に居なかったけど大声でお礼言ってホテルに戻り、ジャスト時間。

又後で続き書きます。

………………………………………………

どうしてウィーンを延泊にしなかったのか…思い出すに、ザルツブルクからドイツの街数ヶ所行くつもりだったのでザルツブルクを3泊延ばし、まぁ、ウィーンはそのままでもよいか(ツアー扱いなので)、って…
予定がすっかり当初と変わってしまったけれど、あの暑さではドイツ行くのもしんどかったかも。
………………………………………………

説明不足でした。
「添乗員無しのフリースタイル」という「ツアー」でありまして、元の形は「ザルツブルク・ウィーン鉄道の旅」という6泊8日のスケジュールなのです。

今回はユーロの高さに辟易でした。
2002年、ウィーンだけに娘と行った時はユーロが安かったし、季節も季節だったし、同じツアーだったのですが2人分合わせても30万円弱だった!!(飛行機+ホテル。7泊9日だったか??飛行機はJALではなくオーストリア航空使った)

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無事に帰りました    2007年07月27日00:03

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午後に成田着。
何ごとも起きずに無事に帰宅しました。
トランク開けて、中味を定位置に戻しつつ片付け・・でも定位置の無いものはどこに納めるか??頭を使う作業はしんどく中断し、パソコン開きました。

・・・初めて使った国際ローミングの携帯は、重さそのものも軽く、ボタン操作も軽やかで、とても使いやすい機種だった為、パソコンで見たら余りの日記の量に吃驚、というより呆れました。(いつもは携帯宛のメールもパソコンから打っているほど携帯は苦手なのに)

ただ、絵文字が想像していたのと随分違っていた。

その携帯は、ピアノで言うなら・・現代のスタインウェイと大昔のヤマハのアップライトの違いか、パソコンで言うなら、キーボードの凹凸の無いノート型と、打つ度にカシャカシャと指もひっかかるほどの外付けキーボードの違いくらい。
出発前日に、旅行の記録でも・・と、夫に買ってきて貰ったノートは全然使わず終い。
我ながら何と無精になったものか、と思いましたが、機種の所為の様です。慣れると携帯でも何と速く打てる様になるのだろう、と感心したのも勘違いだった。

いやはや・・暑かったです。
新聞も異常気象ばかりでしたが、気温のオーストリア過去最高記録は、1983年、Kaernten州のDellachというところの39.7℃だったそうで、それを塗り替えるか、ちょっとした話題だったのが、0.2℃及ばずだったとか・・40℃を越えるの越えないの、と騒いでいたらしい・・(体感温度は超えていたことでしょう)

アメリカよ、何とかしてください!地球は既に壊れています!!


帰りのアムステルダムからの飛行機はがら空きで、どこに座っても良い、とのこと・・・横3席を全員が使えるほど!
離陸の前から居眠りして、気付いたら「お休みの様なので、お食事をお運びしておりません。お目覚めになりましたら声をおかけください」とのメモが貼ってありました。

食べて又すぐに眠ってしまい(3席使って横になり)、気付いたらハバロフスク辺りでした・・・

取り敢えず「ただいま!」

…………………………………………………………………

バルカン半島は最悪だった様です。44℃とか??
ハンガリーでは猛暑による死者が500人とか・・・どこまで本当なのか分からなくなってきました。(数字も覚えるのは「もの忘れセンター」の上に・・)

時期はいつを選んでも「外れ」となる可能性があるので仕方なかったです。

クーラー利かせて夕飯の支度するささやかな幸せを感じた今日でした。

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デジタル化  2007年07月28日01:02

帰国して、再び「食っちゃぁ寝」の日々が始まりそうです

それでも今日は、初めて使った電子機器たち(大袈裟な!)あれこれをパソコンに取り入れました。

まずは例のRolandのR-09で録音したあれこれ。
これは、自分でOS9に対応しているものをAmazonで買ったので何も問題なかったのですが。
デジカメはOSXではないと駄目、とマニュアルに書いてあったが、それでも密かに望みを抱いて円盤(インストール用のCDを私はこう呼んでいます)を試しに入れてみたけど、対応していません、と表示が出るだけ。

・・・

・・・

・・・

でも、何もインストールしなくたって、画像を見るだけだったら(つまり画像をあれこれいじくらないのなら)そのままドラッグ&ドロップでよいのでは???

と、試しにやってみたら何も問題ないではないか!!
専用コードで繋げて、フォルダ作って、ずり~~~っと纏めてポットン !!!


旅行の最後に大急ぎで訪ねた、光子・クーデンホーフ=カレルギーの墓をここにアップ。

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読み辛いですが、一番下に;
Maria Thekla Mitsu Gräfin Coudenhove geb. Aoyama
geb. in Tokio 7. Juli 1874. gest. in Wien-Mödling 27. Aug 1941
とある。
(マリア テクラ ミツ クーデンホーフ伯爵夫人 出生青山家 1874年7月7日東京に生まれ、1941年8月27日 ウィーン- メートリンクにて逝去)


 



彼女の手記を、シュミット村木眞寿美さんという方が編訳して1998年に出版しておられるのだが、これが又凄い!!
ミツコの真実を伝える為に、ドイツ側のチェコとの(当時はオーストリア・ハンガリー帝国)国境近くに4泊し、ドイツ語でタイプされた400枚と64項目の手書きエッセイを猛スピードで音読して録音をし、ミュンヘンに戻ってから書き取りをして訳したそうだ。(「クーデンホーフ光子の手記」)

その続編とも言える「ミツコと7人の子供たち」も興味深い。

コミック本もなかなかコンパクトに、若い女性に勇気を与える構成になっているが、可成りの脚色は否めない。
そもそも、骨董屋の遊び人であった父親の借金の形に身売りした、というのが真実の様だし。
コミックでは好青年のハインリヒも、写真ではまさに「紅毛で魚の目をした白い鬼(Teufel)」。



チェコ語を今から勉強するのは難しそうだから、英語でも学びなおして、ロンスペルクの館でもそのうち訪ねてみたいなぁ・・・


ハインリヒ亡き後、体調を崩したミツコだったが、健康を取り戻した後にはハンガリーの土地を売り、1908年秋にウィーンに移住したそうだ。
それがあのHiezingのMaxingstrasse12!!
本によると「二階の大きなフラット」となっているのだが、日本で言う二階なのか、向こうでいう二階なのか??

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この家で、ミツコは子育てをしたことになるのだ・・・
見上げながら感慨の深いひとときでした。




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更なる偶然   2007年07月29日00:18

前の日記のコメント欄に書いて、まだあったのですが長くなるのでこちらに改めます。

Hiezingのカレルギー家の墓を訪ねる時、余りの道の長さに途中からバスを待ったのですが・・・
そのバスの行き先が「Rosenhügel」!!
私の元マネージャで、去年の写真にもアップしたり、(私のOS9では対応していないため)妹がグーグルアースで航空写真をスクリーンショットしてくれて載せたり致しましたが、その元マネージャの住む高齢者住宅の場所です。
日本を出発する前、何週間にもわたって電話をしたのですが、全く繋がらず・・・

去年ですらパーキンソン病で車椅子の生活、しかもその様な生活から来る二次的なものだと思うのですが、記憶が曖昧だそうで、さっきの事を忘れておられた。
私達(娘と)が行った時は、介護士も看護師も「日本から魔法使いが来た!!」と吃驚するほどしっかりして、英・独・仏混じりに夕方までお喋りが止まらなくなったのですが・・・一旦沈むと限りなく・・たった今の事を忘れてしまう。しかも筋力なし。
電話をかけても受話器を握れないであろうことは(去年の様子から)想像に余りあり・・・でも、ご本人が出られなければ誰か出てくれるだろう、と思ったのだが、結局毎日繋がらないまま私は諦めてしまった。


それが、もうあと1時間後には空港へ向かう!というその時に乗り合わせたバスが「ローゼンヒューゲル行き」とは何という皮肉な巡り逢わせだろう!?

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ミツコの墓を諦めたところで、とても高齢者住宅を往復出来る時間は無かった。
あと一日!事前に延泊しなかった事を悔いた。



ところで、もうひとつの偶然は今日のこと(日記に書いた以外で)。

いつもドイツ語の授業が終わると、隣りのクラスの方も含めて昼食を一緒にするので、名前は知らないのにすっかりお馴染みになったお一人。
どこに住んでいるか、という話になったところ、高校が我が家のすぐ傍であったこと、小中が何と!阿佐ヶ谷!!それも、私の中高時代の教会仲間たちと同じ小学校、中学校の名前が・・・(馬橋とか杉森とか)
ひょっとして「阿佐ヶ谷東教会をご存知ですか?」と訊いてみたところ、その幼稚園出身だと言う。
しかも、牧師宅にはしょっちゅうお邪魔して悪さをしていた、と言う。
牧師の息子さんとずっと学校が一緒だったとか・・・
私は牧師のお嬢さんの、中高一年後輩だったのですよ!と。
70年安保に便乗して教会まで分裂した話、私はそれを口実に教会通いを当時止めてしまったこと。母と妹は牧師に付いて別な場所へ移動したこと。

・・・・・世間の狭さに吃驚でした。

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プロフィール

奥 千絵子

Author:奥 千絵子
★上の画像は2001年にCDにして約3枚分を収録したものを,2006年に2枚組としてリリースしたCD「樂の音に寄せて」です.『レコード芸術』2007年1月号で「特選盤」として取り上げられました.戸倉新樹教授によるライナーノートは医学生にもお薦めです.その他のCDや著書はWebsite「本館」からお入りください.このブログも「本館」のDIARYです.
★このブログの"Grüß Gott !" (文字化けの場合はGruess Gott!)は墺・南独の時間を問わない挨拶です.Website「本館」のDIARYです.出版CDや著書の詳細は「本館」のメニューからお入りください.
Website「別館」もあります. 著書「ピアノと向きあう」の説明を補うサイトです.よく頂く質問に説明を記載しています.
★上記著書については今井顕 氏によるKINOKUNIYA書評空間WEBLOG を是非ご一読くださいませ.
Auch auf Deutsch schrieb ich…
★【膠原病の記録】余りに医療のカテゴリーがが増えてしまったので目下整理中です.大変複雑な病気の経験が同じ病の方々への参考となりましたら幸いです.
「乳癌と膠原病(皮膚筋炎・多発性筋炎)」「膠原病(退院後)」 ,その他の医療の話(自分以外も含めて)は「医療・病院関係」,に取り敢えず分けました.
平成12.12.12.病院での復帰リサイタルは演奏動画入り記録です。
★恩師のことは55年間を遡り少しずつ記載するつもりです。目下のところはこれだけです.
★コメントも大歓迎です。SPAM防止上、確認後に公開しております。ご理解をお願い致します.
★このブログや大元のサイトへの感想やお問い合わせはservus2008@gmail.com宛に@を半角に直して送信願います.
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Robert Stolzメドレー
演奏:東京カンマーコレーゲン 
室内楽アレンジ:奥 千絵子
ショパン:華麗なる大円舞曲Op.18
演奏:奥千絵子 ショパンのワルツは上の画像の2枚組CD「樂の音に寄せて」に入っております.
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制作・著作:奥千絵子
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