最終日(後半) - 2012.11.25 Sun
5時半にGriechenbeislを予約したそうだ。
その前に、Guckiさんお薦めのBelvedereとKarlskircheのクリスマスマーケットにも足を運ぶ予定。
Adventも未だだというのに、クリスマスマーケットツアーのようだ・・・

どうせなら…と、夫がかつて住んでいた下宿を通って徒歩で行く。
(以前にもアップしたことがあるので簡略に)

ここを左折すると左にある。
通り過ぎて逆から撮る。

うねうねと、三角形になっている場所が多い。
取り敢えずWieder Hauptstraßeに出る。
夫が最初に下宿していたAnzengrubergasseや、最後に住んでいたBlechturmgasse(息子も生まれた家なので)のその後も見てみたかったのだが、そこは10年前にも行った。娘には面白くもなかろう…と方角を変えて、どうしても通りたいKarolinengasseやSt.Elisabeth Platzだけは通らせてもらう。どうせ突き当たりがBelvedereなのだし。


(写真真ん中少し右辺りの屋根が一段低くなった辺りが私の一番長く住んだ下宿)

(お世話になった文具店も健在)

(日曜で閉まってはいるが、八百屋も健在。その先の、忙しいと外食をした店も)

(通り過ぎて再度振り返る。ここのPfeffersteakが美味しかったのだ!安かったし…)

やっと本題のBelvedereであります!





これがあの庭園!?!?と・・
いや、日本の神社だってお祭りの時には迷いそうになりますが・・
Karlskircheも似たり寄ったりだろう、と通り道ではあるものの行くのは止めて、Dの電車でOper下車。
最後にしっかり観光客としてKärntner StraßeをStephansplatzに向かって歩く。


予約時間には早いが、その先のRotenturmstraßeを歩き、右折して目的地へ。




(Leberknödelsuppe)

(娘はRindgulyas)

(私はZwiebelrostbraten)

これで思い残すこともありません

そうそう、「サインの間」なのですがね・・
モーツァルトやベートーヴェン、その他多くの過去の作曲家の部分はガラスかプラスティクか、大きな板で覆われていました。けれども、何か違和感・・上から一旦拭いて筆跡をなぞったような・・
そこは写真を撮ること、控えましたが。
でも、日本人が!
子供たちがお世話になった湯山昭先生や、先日亡くなられた児玉清さん、俳優の山本耕史さんなどがあったので、そこだけ撮らせて頂き(いや、禁止はされていないと思うのだが・・)、やはり違和感。
一旦拭いて、なぞった・・いや、拭きながらなぞった?
どうしてなのでしょうか?単に汚れてきたから??


帰りはStephansのライトアップなども遠慮がちにあり・・


夜のStaatsper(って全くの観光客です


その前の建物の上。
オーストリアの国旗と月が・・(動画にすべきだったか…)

石畳、今までAlban Bergは気付きませんでした。

あとは荷造りあるのみ。
(今までの記載、後日読み直して編集します)
最終日(前半) - 2012.11.25 Sun
のんびり過ごすつもりの旅、私自身は帰国頃にきっと体力が付くに違いない、と思っていた通り、毎日よく歩いて脚力も付いた気がする。まるでリハビリ旅行の如く「頑張って」歩いた!
先日Heurigeで娘の具合が悪くなり、Guckiさん夫妻にメールを私のパソコンから打っていた。
返信が来て、Christkindlmarktのお薦めの場所が書かれてあったそうだ。
それで、今日はまずそこに、という訳で徒歩にて。
Rechte Wienzeile*から川とU4の上を渡ってLinke Wienzeileへ。
以前書いた"Theater an der Wien"がある。

大昔の学生時代、ここでロストロポーヴィチが「こうもり」を振る、というので出掛けて唖然とした記憶が…どうしてこういうことばかり蘇るのだろう?
角を曲がると

Tafelには、1803年と1804にベートーヴェンはここに住み、オペラや3番のシンフォニー、クロイツェルソナタなどの一部分がここで生まれたこと、フィデリオはここで初演されたことが書かれてある。
この辺りから3日に歩いたLehárgasseもつながる筈。
目的地は、BurggasseとSiebensterngasseの間にあるSpittelbergという場所。
Ringの1本外側の環状道路を歩けばBurggasseに出るのだが、ここで又便利な娘のiPhone登場!最短距離を見つけてくれた。調べてよかった!
その2つの道路の間に、確かにSpittelberggasseはあったが、ここのみならず平行して走っている道路数本を指すようで、土地の人ならではの、全く観光化されていないマーケットが3つの道路にあった。



(余りにリアルなsardine…チョコレートです)



(薪か石炭のストーブかな?)


腹時計に従い、昼食を摂って一旦宿に戻ることに。
そうだ!動画!
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一旦送信。
Wienzeileの「*」も放置のまま。
(つづく)
シェーンブルンのクリスマスマーケットへ - 2012.11.24 Sat
その2つの大型スーパーの間の通りを走っている10番の電車は終点がHiezing、ひとつ手前がSchönbrunn。
クリスマスマーケットの点灯式は4時だったが、5時からのアカペラも気になり、どうせ帰る方向なのだから、と出向くことにした。





ここが、あのシェーンブルン宮殿の庭園??というほど賑わっていて…

でも折角だからアカペラを聴いて行こうか…と。
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余り・・・という訳で帰宅。電車はU4で1本。Kettenbrückengasse下車だから。
明日、最後の1日をどう過ごそうか?と・・
夕食は??美味しいウィーン料理なら私はどこでも!!
という訳で、娘がiPhoneからGriechenbeislの予約を取ってくれた。文明の利器…??私にはとても使えない。(それ以前に文字が小さすぎです!

今頃やっとSacher! - 2012.11.24 Sat
敢えて食べに行きたいとも思っていなかったあれこれが、最後の最後ときては、やはり「食べねば!」という義務感に等しいものが出てきた。
娘がSachertorteを日本に送る、という。
それなら!ということもあり・・時計を見たら昼餉時。今日の昼食はSachertorteだ!!






Kärntner Strasseもそろそろクリスマスの用意(ここは多分アドヴェントからライトアップの様子、他は気が早すぎ!)


残すところあと2日!
娘の希望は、ブーツを買うこと(日本では長さが皆短いそうで…羨ましい…)と、この日から始まるSchönbrunnのクリスマスマーケット。
ブーツは値段を考慮してもしなくても、なかなか思うようなものが無い。
そういう時は・・
以前3ヶ月半もお世話になった17区のお宅の方面、43番の電車でHernalsより一駅先で降りて、10番や44番の電車で1つ目と2つ目の間にあるINTERSPAR(この店舗も色々な店が入っているのだが)の更に向かいの…名前ど忘れ…やはり色々な店舗が入っていて、何と言っても安い!!
そこだ!!
Schottentorから懐かしい電車に乗り、まずはその店舗にある靴屋!
街中と違って、本当にこの値段!?と吃驚するくらいなのだ。
一足ぴったりのものが見つかり上機嫌の娘。
いくつか店を見て、向かいのIntersparのRestaurantで休憩。

セルフサービスで、今度は2.8ユーロのセット




(これが又美味しい。ここのWienerschnitzelも可成り美味しいのだが、今回はとても…)
その靴を購入した向かいの店

(写真あれこれ、宿のネットの繋がりが遅くてなかなかファイル保存出来ない。普通1枚数秒で読み込めるところが、何分もかかるので。又後ほど整理することにして…)
Schönbrunnのクリスマスマーケットも又後で。
教科書が欲しい - 2012.11.24 Sat
前述の「Lehár-Schikaneder-Schlössl」のSchikanederを放置していますが、私たちの宿のフロントはホテル側にあり、その通りがSchikanedergasseなのです。

Schikanederは「魔笛」で有名ですし、まだ現在の両オペラ座が出来る前に公演が行われていた「Theater an der Wien」もSchikanederによって創設されました。
この「Wien」を単に「ウィーン」と訳すケースが多いのですが、本来は「Wienfluss」の略で「ウィーン川」。
「Theater an der Wien」を「ウィーン劇場」と訳しますが、本来は「ウィーン川に沿った劇場」…
宿に話を戻しますが、私たちのAppartementはそのフロントのあるSchikanedergasseと直角に交わるMühlgasseに入り口があり、中庭や中庭から更に入った建物と建物の間の通路を挟んで繋がっています。

このプレートの下に書いてあるのは、「ウィーン川の支流(寧ろ用水路の気がしますが)、支流沿いには多くのMühle(粉ひき小屋)が立っていた」といった説明(つまりは何百年も前にはこの道路には建物はなくて、用水路と水車という風景??)。
すぐ近くにはHeumühlgasseという通りもあります。
ウィーン川はDonaukanal(ドナウ運河)に流れ、つまりは何百年も前は、多分この川を使って運河まで粉を運んでいたのではないだろうか?と推測するのみ。
そういうことを調べるには、小学生(オーストリアではVolksschuleという)の教科書を見たら分かり易く書かれているのではないか?と思う。我々が小学校3年の時に「わたしたちの杉並区」、小学校4年の時に「わたしたちの東京都」を学んだように・・・神田川、多摩川、玉川兄弟など・・
・・と遙か30年以上前にもそう思った記憶が。
本屋で何やら数冊買ったことを思い出す。
でも、それはもっと大雑把なものだったような…
と思いつつ、なかなか本屋にも行けずに。ま、いっか・・・いずれ又だ・・
今回初めてのホイリゲ - 2012.11.22 Thu
丁度10年前に娘を初めてウィーンに連れてきた時は、着いた日にVotivkircheをまず見て(宿から一番近い場所、ということで)、そのまま歩いて旧市街を歩き、Figlmüllerの大きなWienerschnitzelを完食し(勿論ワイン飲んで)、翌日辺りにはHeurigeに行って食べて飲んで…思い出しては、あぁ、10年前は若かった!!と思うばかり。今回ときたら・・・
数日前にやっと、夫のORFやSFOでの同僚夫妻と連絡が取れ(エジプトにいらしていたそうだ。その前はロシア)、どこかホイリゲに、ということになった。今回初めてのホイリゲだ!
娘は数年前に新婚旅行で彼らのお宅に泊めて頂き、その時連れて行って頂いたホイリゲが良い、と希望。
ところが残念!冬期休業だそうで、他のお店に連れて行って頂いた。
ここ↓


楽しく歓談していた筈が・・・
娘がテーブルに突っ伏した。
吐き気がする、と・・直ぐに彼らに伝えてトイレに連れて行った。
下痢が続いていたところに、どうやら生理痛が重なり、弱り目に祟り目・・脱水気味だったかもしれないし・・
全部戻してしまったが、落ち着いた様子。でもこれ以上、このような人混みでの飲食は不可能。
座席に戻ると夫妻が「赤ちゃんが出来たのかと思った」と(娘にとっては辛い)冷やかし。
そうだよなぁ・・誰だって一番に思うだろう。「全く反対なんです…」と事情を話した。
外に出たら、月が美しかった。

遠いのに、宿まで車で送ってくださって助かった。
娘は可哀想だったが、体調管理の大切さを又しても反省。
それと、新婚旅行で連れてきてもらったホイリゲではなくて良かった!とつくづく思った母親だった。
限られた数日間の新婚旅行の想い出に、同じ場所での今回の辛さが重ならなくてよかった・・と・・
Gräfin Mitsu Coudenhove-Kalergi - 2012.11.21 Wed
クーデンホーフ・カレルギー光子の生涯に、娘はコミック本から興味を持った、というので、それなら!と。
ところが生憎、光子が住んでいた家は改装中。

ほんの1−2停留所先までバスに乗ると墓地がある(2007年だったかは、帰国日にチェックアウトを済ませて地図を頼りに往復出来たものだった)。
今回、お墓にはお花が飾られていた。
日本からのどなたかが?それとも??


(上の文字は「み国を来たらせたまえ」、下の文字は「み心をなさせたまえ」だろう)

(一番下に、光子の洗礼名や旧姓も書かれてある)
下調べが悪く、偶然門の脇にある掲示板でクリムトの墓があることを知った。

(前に来た時には、墓地に眠っている方々の一覧の紙を貰えたのだが、生憎守衛さんは「巡回中」との名の「昼休み」らしく、今回は貰えなかった)

お腹もすいてきたものの、歩き回るのが億劫だったので、乗り気でない娘にも付き合わせてしまったAKAKIKO、韓国料理中心になっていたのにはびっくり。
2007年に1人のんびり来た時には、夏の涼しい中庭でお刺身が美味しかったのを思い出す。
今回注文したお弁当は大きすぎ!
(野菜をふんだんに摂れたのは有難いが)

昨日に懲りて(買い物その他の荷物を持ってRathausに行ったこと)、一旦帰宅した。脚も限界。
気になっている楽譜、その他の用事を済ませに夕方から又外出したけれど。
2007年に訪ねたHiezingあれこれは、この日記をクリックなさって下の方までスクロール頂ければ、光子の住んでいた家その他(改装中ではない姿)、ご覧頂けます。
・・・と貼り付けて、自分自身が「こんなこともあったのだっけ!?」と、忘れていたことの何と多いこと!!たまには読み返さねば・・
Tafelspitzを食べた後はRathausのChristkindlmarktへ - 2012.11.20 Tue
前日の階段何往復で左ふくらはぎ、右膝、痛みで歩行じれったいながら出掛ける。
StubentorのPlachuttaへTafelspitzを食べに。
Tafelspitzは、恥ずかしながら1970年代〜80年代は大学や放送局のMenza、友人宅の手料理で食べたことはあっても、名物として店で食べたことはなかった。素晴らしく美味しかった!!!(値段も素晴らしかった)

・・・あれ?Tafelspitzそのものの写真が無い!無い!!
携帯に入っているに違いない、と後日探したけれども、やはり無い。
よほど食べることに必死だったものと思われる・・・

骨を2センチ位に切ったものも入っていて、その中のゼリー状のものを、黒パンを焼いたものに乗せて食べる。香ばしいパンにコラゲンふんだんに、健康的!!
満腹でもデザートは別腹
私はKastanienreis(モンブランのケーキの上だけ、というイメージでしょうか)

娘はMarillenpalatschinken

(順不同になっているかもしれませんが、こうして娘が無事に食事が出来ているのは、名古屋の友人がAktivkohleの存在を教えてくださったお蔭です。有難うございます)
私は楽譜を買いにDoblingerへ。その間、娘はHAWELKAでコーヒーを飲んで時間潰しをしてくれていた。
一旦荷物を置きに帰りたかったが、そのままRathhausのChristkindlmarktへ。
まだAdventも来ないのに??と思ってしまうが、お祭り大好き人間は行く。
お祭りの出店の大がかりなもの、と表現しても構わないであろう店も、片っ端から覗く。
まずはGlühweinを手に(撮り忘れた)


表札というかプレートというか、希望する文字を彫ってくれる

その動画
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このおじさんの凄いのは、薄い木の板をカッターで切った作品。
更にこれを蝋燭に巻き付ける。
どうして買わなかったのだっけ・・・後悔。

(ペコちゃんがいっぱい!と思えてしまうのは私だけ?)





この日の深夜(私のとっての)、1960年代からのウィーンの近代化に向けての映像を流していた。勿論モノクロ。
途中からだったのでよく分かっていないが、下水管の整備に始まり、「Kommissar Rex」や「第3の男」によく出てくる地下の様子が…
又、丁度1970年代初めからの地下鉄のための工事なども。
まだ学生だった頃、夫と(当時は単なる友人)StefansplatzからKarlsplatzまで「掘り起こしている地下」を歩き、偶然発掘された遺跡などを見せてくれる催しがあり、最後は経過と最終的にはこうなります、といった映画を見せてくれる、という催しがあった。
あぁ、そういう時代だったのに、今やどこもU-Bahnだらけで、U-Bahnの地図はあってもStrassenbahnやバスの地図が無い!!当時の記憶で乗るととんでもない方向に走って行ったり、途中で曲がってしまったり・・
(つづく)
Aktivkohle(活性炭)購入・夜は「Fledermaus」 - 2012.11.19 Mon
エレベータ故障・・・これは既に書いたか・・
順不同はなはだしいながら整理もせず。
名古屋在住の友人が、娘の長く続く下痢を心配し、Aktivkohle(活性炭)を勧めてくださった。
即刻Apotheke(薬局)へ。それも、沢山ありそうなマリアヒルファーへ出向いた。
最初に入った店、項目別にKassaが分かれていて、「Homöopathie」へ。
すんなり購入出来、箱の住所を見たらその店が製薬も兼ねていることが分かった。

私の昼ごはんは「パラチンケン」(今回はアイスクリーム入り、盛り沢山の生クリーム添え)

BIPAやdmであれこれ購入して帰宅。
夜はVolksoperの「こうもり」。
70€のParkettの席を図面を見て予約したのは大成功で、形ばかりの(つまり…Logeなど)80€の席よりもよく見え、しかも声がバンバン飛んできて素晴らしい席!いや、勿論演奏と演技が良いということは前提ながら。
(つづく)
ベルヴェデーレへ - 2012.11.10 Sat
Prinz Eugen Strasseを街の中心から外へ進むと、左にベルヴェデーレ宮殿(Schloss Belvedere)が続く。
プリンツ・オイゲンは17~18世紀にトルコ軍からウィーンを護った英雄。
このPrinz Eugen Strasse・・・1975年から1979年まで我が通学路で、とても懐かしい風景。
Belvedereの入り口の向かいに、我が下宿へ通じるKarolinengasseがあるのです。


と、どうしても懐かしさが先に立ち、今回の目的に話が行かない。
今回は、グスタフ・クリムトを見に行った。
上宮(Oberes Belvedere)には常に展示されているのだが…今年は生誕150年とあって説明のオーディオガイドも充実。いつもガイドはドイツ語の勉強を兼ねてドイツ語を選んでしまうのだが、2008年から全くドイツ語に触れていない我が身としては勿論「日本語」を選んだ!!
そうだ!書いておかねば!初めてSeniorenkarte(高齢者用の割引チケット)で入場した。(やれやれ…)
展示の詳細は、後日娘に代筆させる、いや、代筆してもらう・・・



「夜をテーマにした特別展」を見るためにUnteres Belvedereに移動した。
(庭園の写真をアップ)




その前に腹ごしらえをしたのだった…

その特別展示には日本の江戸時代の絵、現代の映像芸術もあった。(これも後日詳しく…日記を溜めすぎたので)
帰りの出口は庭園の下の方、反対側のRennwegに面しているので、出てからは徒歩。

プリンツ・オイゲン公の像

(「つづく」ということにして取り敢えず送信)
写真あれこれ - 2012.11.09 Fri
11月のウィーンは、朝は青空高く澄んだ「1日快晴」を思わせるような四角い空を見ても、その後曇天・雨となることが多い。でもそれは何十年も昔の話で、今はこちらも異常気象や温暖化で違っているかもしれませんが。


案の定、車内からの空(Karlsplatz近辺)

Oper近辺。東から雲が押し寄せてきた

この日は(いつだったろう?後ほど整理)確か、やっと例のFiglmüllerのSchnitzelを食べる元気も出た。
でも、十年前のようにウィーン到着した日に完食!などということはあり得ず、やはり残してしまった。


フィアカーの馬の後部に注目。最近はこのようなものを装着するので、道路が汚れないのだそう(娘・談)

クマさんと仲良くなりました

改装中のPeterskirche(ペータース教会)。夫の元職場でもある。

昔は考えられない外装。

このような店まで・・・・

以下は別な日(これも後で調べて整理しますが…)
すっかりクリスマス支度

お馴染みアングル

一度は来ます




明らかに色弱検査の真似ですな・・

別な老舗の前には。。。

Volksoperの緞帳一部

この日は「Die lustige Witwe(メリー・ウィドウ)」
最高でした!Robert Meyer氏!!

数年の間に手抜きとなったSchinkenrolle

(中身がミックスベジタブルをマヨネーズ系ドレッシングで和えただけ・・・翌朝まで胃もたれ)
という位で、送信しておきます。
又手直しすると思いますが・・
やっと1日ぐたぐた過ごす - 2012.11.09 Fri
あ、でも朝一番で、頼まれた葉書を出しに郵便局へ行き、ついでに切手を買い、その足でBILLAへ行った。
機内持ち込み用(と書いて、又単語が出ない…ガラガラと転がして運ぶ…)のバッグを買い物用のカートにして、飲み物10本ほど、差し当たっての冷凍食品、頼まれたものをいくつか購入して、ガラゴロと転がし、あぁ、これを使えば楽だわ…と宿に戻った。
朝食を毎日しっかり食べているので(食べ放題の朝食付きの宿なので)昼は不要なれど、若者の腹は不思議・・・と、かつての(娘の年齢前後の)私を思い起こせば3食どんなに食べても食べ足りないほどだったし、それでいて太ら(れ)ないほど動き回っていた。又しても「歳だ…」
不要と思えど一緒に食べては眠くなり・・今日はよく寝た。夜中に起き出してパソコン開き・・
夫の「宝の持ち腐れiPhone」を持参したはよいが、使い慣れないし、結局日常使っているauの携帯がちゃんと電波を拾って繋がっている。
いずれもパケット代が怖いのでメールは専らパソコン。
iPhoneの「使い放題」も勿論条件付きで、4週間使ったらとんでもないことになる。
娘と別行動の時の連絡用として、電話しか使わないことにしている。
と、どうでもよいことばかりでおしまい。
(写真もたまっているので、日記を、と思ったのに頭は停止)
ともあれ何とかやっています。
まだ一度もワインを飲んでいないことに気付いた…折角ウィーンに居るのに…

本末転倒、寧ろ「先達はあらまほし事なり」 - 2012.11.09 Fri
出発前の準備中から気になっていたのだけど(Eチケットにある荷物の個数のことが)、「まさかね・・・」とスルーしてしまったのだ!
慌てる乞食は本当にもらいが少なかった!というより、確認を怠り時間との闘いで荷造りをした。スーツケース1個で20キロ内に絞ろう、と。全く本末転倒!!
先日、佐藤卓史さんにお会いした折、 - 彼は年に何度も日本とヨーロッパを往復されている訳で - 「そうだ!」と尋ねてみた。スーツケースをいくつまで預けられるのか。
すると、去年の震災後あたりから、1人2個まで預けられることになった、という




あぁ、何だったのだろう…あの「入れては量って出し」・・・の反復作業は・・・
湿布のモーラスはもっと入れてきたかった。ホカロンも。アルコールのポップアップ式のティッシューもだし、旅行ガイドブックときては、オーストリア近辺の国々のものを買い揃えたのに、行く可能性のあるページだけを引っぺがしてホチキスで閉じて持参。その他数えられないほどの物を置いてきた。勿論しっかりした靴もワンピースも置いてきた。以前ウィーンのH&Mで購入した軽くて暖かい(但し丈は短い)ダウンジャケットもだ。
・・・・・親しくさせて頂いている航空会社の方に電話を、と思えど、その時間すら惜しい、という何とも本末転倒・・・
一応オーストリア航空のその方に遅すぎたがメールで尋ね、返信には;
オーストリア航空では、2011年6月より、全世界的に受託手荷物を重量制から個数制に変更いたしました。
「成田‐ヨーロッパ間」は、ビジネスクラス、エコノミークラスのお客様共に、お一人様2個までお預かりいたします。





後悔と共に、そんなに乗せて大丈夫なのだろうか?という疑問と、今までの厳しいチェックは何だったのだろう?という疑問と。
ま、過ぎたこと。仕方ない。
熱が下がった日は、軽い毛皮のコートを購入にマリアヒルファーへ。
何しろ着てきたものは、息子が32年前に生まれて、体型が少々変わった冬に購入した古い古いもの。
1年後に帰国することにほぼ決まっていたので1回の冬をしのげれば…と購入した、老いた今はとても重く感じる、着ているだけで肩凝りはするわヘトヘトになるわ…というシロモノ。又、バッグも複数持参するスペースはなく、何でもかんでも入るポケットだらけの、布地だけでも重いものを下げてきた。
日常用の軽いものを購入したけれど、その類のものなら東京の自宅にワンサとあるわけで…

でも、コートとバッグは何とかなった。
そして、その翌日には小さめのスーツケースを2つ購入した。
やれやれ・・・そんなこんな、出掛けてはドッと疲れが出て、の悪循環。
何とか動く - 2012.11.09 Fri
熱も下がった。
食欲は皆無。
明け方、どうしても娘の部屋のベッドの狭さが気になる。
朝食後にフロントに行き、そのことを話すや、鍵を渡されて「見てきて気に入れば」と。2009年も何度も希望を言ったものだった。ホテルではないから、同じ値段であっても間取りも全部違い、自分の希望は言うべきだと思う…
まして、ファミリーアパートメント(4人用)のカテゴリーでも、子供2人と大人2人ではないのだから。
早速私1人で見に行くと、住居全体も広いし、ベッドもそれぞれにツインがある。いわゆるウィーンのWohnung。
キッチンには食洗機、洗濯機、オーブン、冷凍庫、それまでの二倍はありそう。
大画面のテレビその他、それまでよりも大きな充実した家具調度もある。
娘にも見てもらい、何とか納得して大急ぎの引っ越し。
丁度チェックアウト時でフロントも忙しいので。
・・・
・・・
この日のその後の記憶は飛んでいるので又思い出した時に…。
そうそう、金庫も今度のところはあって、有難い(というほどの額を持っている訳でもないが)。
夜は私1人でVolksoperに行き、楽しみにしていた筈の「Ein Walzertraum(ワルツの夢)」・・・
大爆睡して、本当にワルツの夢となってしまった。
歩行もおぼつかなく、まだ本調子には程遠いことを実感・・・やれやれ・・・
"Sperl"!? - 2012.11.08 Thu
午後3時、お茶の約束。
まるで我々と入れ違いのような日程で帰国される前日だというのに、私の体調を考慮して2日ではなく3日に時間設定してくださった佐藤卓史さん。色々と奇遇続きの青年。今は20代ながら、将来は日本のピアノ界を担うに違いない。
自宅がここから近いことは知っていたけれど、「これから家を出ます。近いので直ぐに行けます」と電話…私の足なら10分近くかかりそうに思えるのだけど(夫がその昔、彼らの住まいとこの宿の丁度中間辺りに住んでいたことがあるので、そこから概算)、3分も経たぬうちに「今着きました」と、宿の建物の下から電話があり、引っ繰り返りそうに吃驚してしまった。
絶対に忍者のような足技を持っているに違いない

娘と3人で歩くこと数分。
"Sperl"ってご存知ですか?と言われ、聞いたことはある気はすれども行ったことはない。
いや、知らないです、と答えて案内された。
向かいの通りの名前を見たら「Lehárgasse」!

四方山話に花が咲き、3時間が経ってしまった。
話は、これまた「殆ど切れかけた蛍光灯」の私の頭。
帰宅して何時間も経って気付いた。
Lehárgasse・・・Sperl・・・
私のオペレッタ好きで選んでくださったCaféだったのでは??
レハールやカールマンが好んで集った場所、何かで読んだことはあった。
しかも、我々の居る通りの名前と・・・
ここには是非とも行きたい。
WIKIはこちら。
土曜なので - 2012.11.08 Thu
昔の人間、スーパーは午前で終わるという思い込みが消えず…
3年ぶりのウィーンの朝食(ビュッフェ)、センメルにあらゆる種類のハム・ソーセージ、チーズを挟み、満足。
店が開く時間に買い出し。
ナッシュマルクトのすぐ近くなので、そちらも散策し、フリーマーケットへ。
ちょっとした衣類を物色。娘は1枚25ユーロのスカートを2枚で35ユーロに。私は25ユーロでいいよ、というTシャツを更に18ユーロに値切った。
一旦宿に戻り、東京に忘れてきたデジカメ用のUSBケーブルを買いに、Wiedner Hauptstrasseへ。確かこの辺りにそういう品(パソコン関係)を扱っている店があったはず、と。
それよりも先ず電車のチケットを買わねば、とTabak(正しくはTabak-Trafik…タバコ屋さん。電車のチケット、新聞、雑誌、切手、その他雑貨あれこれ売っている店)にて、一番割安になる1ヶ月券を購入。
並びの文具店で必要なものを買い、更に並びのPC用品の店でケーブル購入。
デジカメを見せて、これに使えるタイプを、と。
店のお兄さんは商品のビニールを破いて、デジカメに差し込んで確かめてくれた。
で、結局そのままの状態で使い続けている。長くて収納に困るから・・・

その後、宿の向かいの、夜はバーになる店で昼食。
とは言え、私のお腹は満タンで、Kürbis-Suppe(カボチャのスープ)のみ。これが美味しかった!!

娘は流石!若さの差??しっかり食べていた。

下は半分ずつ食べたチョコムース

徐々に脳の回路がつながってきたので - 2012.11.08 Thu
2日のウィーンの空港の出口への通路、壁面全体にメリーウィドウのスコアが描かれて(?)いたことは書いた。
定刻より30分も早い到着だったらしい。
タクシーで宿に向かいチェックインした。常連なので何も書かなくてよい、と。
鍵をもらってAppartment側に向かい(道路が別)、部屋をチェック。
う〜〜ん・・・確かに4人用のファミリーアパートメントだけれど、一部屋が子供部屋。つまりベッドの幅が狭いのだ。
娘はここで充分、気に入った、と言うけれど…広い部屋で寝る私は肩身が狭い。勿論その広い部屋はリビングを兼ねているので、娘も昼間はここで過ごせるのだけど・・・
2009年の9月の滞在前半と同じリビングだが、狭い方の部屋は違っていた。
(宿のサイトからリビング兼寝室の画像を引用)

(狭い方の部屋は流石に載っていなかった)
ともあれまだ夕方5時。
近くのBILLA(という名前のスーパー)で簡単なサンドイッチ(センメルにあれこれ挟んである)やサラダ、飲み物、ヨーグルト、牛乳などを購入。
(センメルはSemmelと書き、正しい読み方はゼンメルなんだろうが、ウィーンで「ゼ」は耳にしたことない)
あとは記憶になし。
8時頃には寝てしまったような…夜中に1時間おきに目が覚めて、何と時間の過ぎるのが遅いのだろう、と思ったことくらいで。
そうそう、部屋も私はこんなに大きなベッドで寝ているのに、娘は・・・と気になって仕方なかったことも。
他は又思い出した時に。
9月10日(続き)&更に写真追加編集 - 2009.09.10 Thu
(娘はジェットコースターの類に乗りたい様でしたが、それはいずれ新婚旅行の時にしてくださいね、と。)
移動するのには小さな街です。まだ時間があったので、下のカフェで昼食。
今回まだ食べていなかった「Leberknödelsuppe(レバーの団子入りスープ)」、甚だ美味しかったです。



そして、シュトラウスの家へ。
写真を撮って良いか確認を得て(フラッシュも)、撮らせて頂きました。
まず、ピアノ!!

盖が開いていないのが残念です。
(おそらく支柱が弱いのと、埃が入るのと、・・・と推測)
下はネットから頂きました(以前は絵葉書もあったのですが、今は置いていませんでした)。

因みに次の3枚は、携帯写真ながら私のベーゼンドルファーです(私のピアノの方が鍵盤が多く、又譜面台の装飾は少し違いますが、他は全く同じ形です。それと、オーバーホールの折に塗装して象嵌が消え、全体も艶が出てしまいましたが・・・散乱していてスミマセン!)



以下、許可を得たので撮ったものを載せます。
小さなものはクリックで拡大されますが、如何せん写りの悪いデジカメですみません!

シュトラウス愛用のStehpult(立ったまま読み書きの出来る丈の高い机)。

上のStehpultの前に立つシュトラウス。






Leopold Horovitzによる木炭画。



以下は、娘が撮った写真です。(← 一応著作権なるものもありましょう。娘は気にしない人ですが但し書きです。)

(シュトラウスの像。硝子に映っているのが面白いです)


(「こうもり」初演のポスターの入ったケースに、シュトラウスが映っている…)
K. K. Hof = Theaterの「k.k.」はkaiserlich-königlichの略で、旧オーストリア=ハンガリー帝国のk. u k. とは違い、ハンガリーを除いたオーストリアだけの事項を扱う官庁や機関に付ける略語です。(因みにu は"und" で、英語の"and"です)

(2区の地図です。東京と同じく、ウィーンも23区あり、それぞれに名前が付いています。
2区は"Leopoldstadt"です)

(参考までに2区全体)

(右の方にある七差路は「Praterstern」と言って、今ではS-Bahn, U-Bahnの駅があり、プラーターに行く為に欠かせない駅となっています)

9月10日 - 2009.09.10 Thu
夕方には友人宅を訪ね、その後は"operettts"という演目をVolksoperで観ることになっているので、余りハードスケジュールは出来ない。
そうだ!!ヨハン・シュトラウスの家に行こう!!
そこには、私が使っているベーゼンドルファーとほぼ同じモデルのピアノが置いてあることは知っているのだが、未だかつて一度も行っていない・・・
ヨハン・シュトラウス先生のお蔭でどれだけ演奏会をさせて頂いているか分からない身としては、是非訪ねておかねば



地下鉄にてKarlsplatzから3つ目ですから近いもんです!(ウィーンの地下鉄は一駅の間が大変短く、大体どこも東京の「新宿」と「新宿三丁目」位の距離です)
と、出向いてみたら開館は午後2時から・・・
そうだ!Praterへ行こう!!
と、次の駅へ移動。
入場料も何もありません。何かに乗る時にはチケットを買いますが。
3年前の夏、30年ぶりにここを訪れた時に、余りの発展ぶりに度肝を抜かされたものでしたが…
今回は更に、たった3年でここ迄変身するか??というほどでした。まるでディズニーランドの縮小版の様。



大観覧車は勿論あります!!

[高画質で再生]
昔ながらの大観覧車(Prater)
・・・が、新しい観覧車が・・・
大観覧車の何倍も速いテンポで回っている!!

[高画質で再生]
新しい大観覧車(Prater)

まずは恒例のLiliput-Bahn
やって来ました、Mannerの宣伝しながら・・・
[高画質で再生]
Liliput-Bahn im Prater 1
これ、石炭で走るのです。

プラーターを一周。1970年代と少し風景は変わりましたが・・・

[高画質で再生]
Liliput-Bahn im Prater 2
Im Pra~ter blüh'n wie~der die Bä~ume…


画像が多いと携帯から見られなくなる様ですので一旦送信します。
9月9日(続き) - 2009.09.09 Wed
Spitalgasseと、名前もそのままの道にある病院だが、旧AKH(Allgemeine Krankenhaus)の一部でもあり、今はウィーン大学のキャンパスの一部でもある。

見えてきました!通称「Narrenturm(愚か者の塔)」!

18世紀に建てられ、当初は精神病棟として使われていたそうだ。その円形の5階(6階?)ある建物の中の1階が今は博物館として色々な資料を展示している。

ワクワクしてしまうのが何とも…(医学は音楽の次に興味があります)
昔ながら、病名はラテン語、説明はドイツ語で表示されている。
医学用語の語彙の方が音楽用語よりも多かったらどうしよう…
コッホの功績に始まり、身体の至るところに感染の可能性がある結核という病気の怖ろしさ!図解はもとより、冒された臓器のホルマリン漬けの標本が所狭しと並んでいる。
あらゆる性病(梅毒や淋病)も同様、部屋を次々に移動すると潰瘍や悪性腫瘍の標本あり、酷い脊柱湾曲症の実物の骸骨、通称シャム双生児の標本あり、・・・等々々・・・
(撮影厳禁が大変残念!)
義肢(腕・脚共に)の開発の過程、人工肛門の開発の過程もあった。手術に失敗した人工肛門まであった。
これは又いずれ半日かけてゆっくり見たい、と思った。
病魔の本物を限りなく見て、予防医学の大切さを感じると同時に、医師の存在の大きさを改めて感じた。
標本とは裏腹に、大学キャンパスは長閑だった。

(大きなプリズム。世界が虹色!)

(レストラン・カフェの名前までもが・・・Ambulanz!)


一旦帰宅して、夜は「Die Fledermaus(こうもり)」を又心行くまで楽しんだ。
(下は、娘がぞっこん惚れ込んでいる、両オペラ座バレエ団のダンサー、Florian Hurler さん。男性のみが並んだ時の、前列3人のうち真ん中です)
[高画質で再生]
Florian Hurler (Volksoper)
それにしても、私が20代だった頃のVolksoperのバレエダンサーと比較すると(いえ、比較すべきではないのでしょうが)、今はバレエだけでもステージが成り立ってしまう素晴らしさです!!
又しても纏まらない日記と相成りました。
9月9日 - 2009.09.09 Wed
今回の旅行は、到着時のウィーンは真夏の様らしい…ところが移動先のライプツィヒは既に昼間でも気温が10度台と出ており、しかも雨…
そして又戻ったウィーンは凌ぎ易い天候となっていたが、あらゆる天候に対処出来る様に、と詰め込んできた衣類は、ライプツィヒから戻って、不要になったものが何と多いこと!
又、昨日購入したお土産や、娘が買い込んだ、山ほどのドイツ語の漫画(日本で娘が気に入っているコミック本が、ドイツ語に訳されて沢山売られている。現代の日本文化とも言えるかも知れないほどだ)と、更に買う予定のあれこれで、これらをスーツケースに入れたら絶対に重量オーバー!
という訳で、朝はそれらを概算して大きな小包をひとつ作り、徒歩5分ほどのお馴染み郵便局から発送。
とても重くて、娘がずっと運んでくれたのだが、着いて量って吃驚!!11キロ以上・・・
あぁ、若いとは言え、近いとは言え・・・有難う

少しくつろぎ、掃除が来たのを機に出掛けた。
ケルントナーやグラーベンで、すっかり観光客となる。手に入れたかったものも購入出来た。
ふと、Hawelkaというカフェを思い出した。
おそらく今は2代目、3代目なのだろうけれど、以前記事を読んだことがある。
(その記事を今ずっと探していたのだけれど紛失した様だ。どうせドイツ語なのでネット検索しても同じなのだが・・・)
ウィーンで最も古いカフェのひとつで、よく楽譜などを買いに行くDoblingerの並びにあるのだが、未だに入ったことがない。
確か、夫妻で休みの日も殆どなく営業していて、芸術家や文豪の卵たちが常に集まり、若い芸術家には協力を惜しまなかった、といった内容だった。深夜に閉店しても、その後で翌日の仕込みに取り掛かり…ということも読んだ気がする。
漸く今になって入ってみた。
メニューというものは無くて、壁の黒板に少し書いてあるが、訊けばオーナーが暗記で全部の品をひと息に教えてくれる

下は店を1930年代に始めたHawelka氏。

壁いっぱいに貼られた、昔からここに集ったアーティスト達のポスターの一部。

そして店を後にし、向かうは「Pathologisch-anatomisches Bundesmuseum(病理・解剖博物館)」。
徒歩でSchottentorに出て、たった二駅だが43番に乗り、Langegasse下車。
二人とも以前から一度見てみたかった場所だ。
これも漸く実現。
(一旦送信します)
9月8日 - 2009.09.08 Tue
行きたいところは沢山あるのだが・・・
まず、何年も思っていた、ステージでも着られるディアンドルを1着購入した。
若かりし頃(20代の頃に)購入した、ロングの、それも豪華な生地のものを何着も持っていたのだが(正しくは「持っているのだが」)。同じオーストリアの同じ「ロング」でも、地方によってデザインが違い、何種類かあった。
それらは、父が絵の題材に使う為、という大義名分にて、当時は価格よりもデザイン!という何とも贅沢な購入をしたものだった。
「ウィーンもの」の演奏会の時にはよく着たし、室内楽では共演者達にも着て頂いて舞台衣裳となった。
年月は過ぎ…数えてみれば…ウン十年が経つ訳で、私の体型も変わり、残念なことに・・・以下略。
1着持っていても良いのではないか?と、ずっと気になっていた。
そして今回購入に至った。
とは言え、1970年代の(勿論シリングだった頃)ものを円に換算し、今回購入のユーロを円に換算して比較すれば、桁数がひとつ違うのだけれども・・・
しかも!サイズの数字は変わっていない。36, 38, 40と試着して、結局38に落ち着いた。
あとは下着で補正しなさい、ということなのだろう(実際、店の人にも言われた

最近民族衣装を扱う店が減っている。以前は中心部に何軒もあったのに。
私が思っている場所に無く、娘に教わる始末。
やけに詳しい、と思ったら、2005年だったか?父親と共に出向いた折に、マントを購入していた!そうだ、そうだった・・・白い100%毛の。
次に向かうは、サイズを頼んでおいた、DelkaのThink! のコーナー。
取り寄せて貰ってあった靴を購入(これも、シーズンが過ぎたのか半額以下!!)

地下鉄に乗るべく立っていたところ、目の前にあるコミック本の店の大きな広告が娘の目にとまり・・・(その広告はDoraemonだった)
これから出向く靴店のすぐ傍、ということで、私も見学かたがた一緒に出向いてみた。
日本語でも私には分からない漫画なのだが、ドイツ語に訳されて出版され(つまり、吹き出しの中は横書きのドイツ語)、所狭し、と置かれている!!
これはもう一種の日本文化、としか言い様がない。いや驚いたの何の!!
この図々しいオバサンは、又しても写真を撮ってよいか訊いたところ、当然の如く、"Ja, fre~ilich ! !"の答え。
(ご興味がおありでしたらクリックで拡大にてご覧くださいませ)






娘はごっっっそり購入。
彼女のドイツ語は、沢山のこの類の漫画と、ドイツ語のテレビゲームで自然に身に付き、多分私より耳も確実だと思う



そしてDELKAへ靴を取りに行き、今回まだ一度も入っていないAïdaにてマラコフトルテを食べ、お土産や自分たちが帰国後に使いたいもの等を購入し、暫しそぞろ歩き。
考えてみれば強行軍の毎日となっている。
勝手気儘なこういう日も大切。
夕飯は娘が作ってくれた

(随分記憶から脱落している。もっと書きたいこともあった気がするのだけれど・・思い出したらいずれ又・・)
再度ウィーンへ - 2009.09.07 Mon
ナントカExpress(こんな調子、咄嗟に単語が出ないものはさっさと諦めて飛ばすから尚更いけない)の食堂車を真似た、アールデコ調のデザイン。
素晴らしく豪華なビュッフェも食べ納め。明日からは普通のビュッフェに戻る。
ほどなく、予約してあったタクシーの運転手が来てくれてライプツィヒの空港へ。
来た時は夜で、しかも雨で、よく見えなかったのだが、何と都会!!
が、乗るのは又してもプロペラ機。今度は直行便だけれども…

あっという間にウィーンに着き、今度は最初からタクシー。
CATは自動券売機でも一人10ユーロだったし(本には9ユーロとなっていたのに)、Wien Mitteからはいずれにしてもタクシー。計30ユーロ近くて、荷物を持って移動することを考慮したら、数ユーロ高くともタクシーに軍配が上がる

さて、又同じ宿(つまり、私は4回目となる)。
当初は7階のみがアパートメントとして使われていたらしいのだが、今回は6階。
既に勝手知ったる我が宿、とばかり、自分たちで荷物持参で鍵を開けると・・・
まさに普通のWohnung!!
Vorzimmerから5つのドア。
部屋は2つでそれも勿体ない広さ!!!
それぞれ一部屋なのだが、両方とも・・・例えるなら、家具をそのままにしてもコンサートグランドが3台が並びそうな広さなのだ。
まさに昔住んでいた家さながら。
Kaminもあるし…
(ぽちっと拡大してご覧下さいませ







(ガラスのヒビがちょっと残念!)
フラッシュ焚いても失敗↓

そして、キッチンは冷蔵庫は勿論、食洗機と洗濯機、オーブンに電子レンジ付き。
コーヒーメーカーも湯沸かしポットもある。
バスルームは以前と同じなので省略。
トイレは個別。
これで・・・狭いツインの高級ホテルより遙かに安いのだから・・・


扉のガラスのデザインが又佳い!!



あぁ…一ヶ月くらいのんびり出来たらなぁ…
取り敢えず、食糧を買い物し、インスタントながらの夕食。
そして夜は「Die lustige Witwe(メリーウィドウ)」。
ドイツへ行く前に見た時は、新学期、もとい新年度である事(つまり充分な連繋が出来ていないであろうこと)を予測し、又こちらも時差惚けを予測し、カテゴリー4の席にしていたのだが、それは正解だった。
今回は良かった(席も)。
でも、ダニロが・・・
もっと酔い痴れて欲しい。つい、Peter Minichのイメージを抱いてしまうからいけないのだろうが)何も譜面の旋律通りに歌わなくたって・・・
6月は、ミニッヒの真似をしたのでは?という歌い方(つまり、歌詞を台詞として音程を無くし、又いつの間にかメロディに戻る、という)で、是非この歌手には頑張って欲しいもの、と思ったのだが…
今回は余りに真面目。
Hannaも何となくイメージと違う。
それでも大いに楽しめた。
娘が惚れ込んでいるダンサーが又一段と素晴らしかったし。
楽屋口で待ってサインを貰った。なかなか出て来なくて、「もう帰ってしまったのでは?」という娘に、「ダンサーはシャワー浴びたり固めた髪の毛を洗って出てくるから、遅いのだと思う」と励ました甲斐もあったものです(なんという親??)
しかも、次々出てくる歌い手さんたちに他の方々はサインや握手を求めているのに、全くそちらには目も行かずに、ひたすらF.H.さんを待つ我々って・・・
とても今日、ドイツから飛んできた、とは思えない充実した一日でした。
9月3~4日 - 2009.09.04 Fri
記録を付けておかなかったら、本当に忘れてしまいました。
3日の夜は「メリーウィドウ」を観ましたが・・・又しても爆睡してしまいました(娘のお気に入りのダンサーの活躍するシーンで突いて起こされるほど)。
4日は夜ライプツィヒに飛ぶ・・・
いよいよ娘自身も靴が欲しくなった様で、以前よく通ったDornbachのIntersparの中の靴店へ行ってみたところ(懐かしさ半分)、店舗は殆ど空っぽ。
それにしても、最後の一足が売れるまで開いているのは日本では考えられないことです。
ここ迄来たので、友人Alexandraさんを訪ねてお嬢さんの靴を借りては?という考えも出たのですが・・・
そう言えば、まだWiener Schnitzelを食べていないではないか!と、取り敢えずながらIntersparの中のレストランで注文。

美味しかったです。
この類の料理は、何も一流の店でなくとも、同じ様に美味しい

ところで、上の写真の様に、テーブルの片方に滑り止めの如き細い棒の様なものが貼り付けてあるのです。
レストラン中央の方にあるテーブルには無く、窓際のテーブルには全てある・・・

さて、どうしてでしょうか?
思うに、こうなっていれば、その側に人は座らない(椅子は置いてあるが・・・

下(床面)はこうなっています。道路が見えます。(支えが不十分な網の床。重たい人が座ったら・・・あり得る


一旦宿に戻れば、何と!以心伝心か、Alexandraさんが訪ねてくださった、とのこと。
でも、持ってきてくださったのは靴ではなく、長い傘(前回持てずに私が預けてきた)と、Mozartkugelnでした。
この後は、次の日記に繋がります。
9月2日(写真追加編集) - 2009.09.02 Wed
朝から二人とも食欲旺盛にて、食べ放題を良いことに何度もおかわり。
その後、シェーンブルンか美術館に行こう、ということになったのですが…娘はつっかけサンダルとブーツしか持っていない。しかも来る時にサンダルの底が剥がれた、と言うではないですか。まずは靴を買ったら良いのでは?とマリアヒルファーに。
結局気に入ったのはなく、私がブーツを買ってしまいました。


(下の2枚は、娘より貰った写真です)


6月に気に入った靴を買った、DELKAの支店です。その時は豪雨で、履き潰して良い、と思って持参した予備を本当に使いものにならない程履き潰して、二足とも乾かずに仕方なく購入したのでしたが…。
その靴メーカーは「Think!」といって、現地の人も「あれは素晴らしい。一切合成素材は使わず、本革のみだから呼吸をしてくれる」と言うほどで、私自身もその靴は身体の一部の如く、いくらでも歩行可能な「魔法の靴」と相成ったのです。同じものは既に存在せず、甚だ残念でした。
その後予定変更にてマリアヒルファーにて引き続き散歩&買い物となりました。

(ハイドンの頭上でハトが動かない!)
(以下、6月にもアップした様な・・・度々すみません)


貼り替え中の広告塔(娘撮影)

一旦帰宅して軽い昼食。
その後、旅の疲れを癒すべく、私は昼寝、娘は入浴。
シェーンブルンのグロリエッテのカフェへ行きました。
正門から入れば、グロリエッテまでは上り坂を延々(私の足で30分)歩かねばならないので、楽な行き方にて。(Meidling Hauptstrasseから63Aのバスで、グロリエッテに近い入り口付近まで行ける)。
同じ様にいらっしゃりたい方は、このバス停を要チェック!(娘撮影の画像から)

グロリエッテでアップルジュースで喉を潤し、勿論ケーキ。


その後は時々グロリエッテを振り返り眺めつつ、景色を楽しみつつ正門まで散歩。











そのままVolksoperに行きました。
娘は大爆笑しながら鑑賞。「こうもり」 です。
お気に入りのバレエダンサーも大活躍。
新年度最初の公演、ということで、余り良くないかも…と安い席を取ってありましたが、それなりに楽しむことが出来ました(でも、序曲が始まった時は、ビーブルさん、大丈夫??と思ってしまいましたが…)
私は予想通り、第2幕の途中から眠くて、第3幕は殆ど寝ていた・・・ ちゃんと昼寝をして来たのに(年齢には勝てない、というところでしょう


__________________
下の写真は、娘からのものです。
私が撮らなかったものや、私よりアングルが良い物を貰ったので、個別にアップします。





(雨がポツリポツリ・・・)






9月1日(写真追加編集) - 2009.09.01 Tue
ウィーンに向かって娘と共に出発。
いきさつは先にここに書いたのですが、間際まであれこれ迷っていました。
漸く行くことを決めても、どうせ行くのならば、(EU内であれば、もう1箇所航空費がかからずに飛べるのです)他の都市に行くべきか否か・・・行くのならば今年はやはりライプツィヒでしょう、メンデルスゾーン生誕200年ということで・・・
8月も末になり、やっとスケジュールを決めました。
1日ウィーンへ出発。4日ライプツィヒへ夜に飛び、5,6日のまる二日をライプツィヒを歩き回り、7日の朝にウィーンに戻る。そして11日ウィーン発、12日東京着。
オーストリア航空のSさんにはいつも間際まで迷って、ご迷惑をかけております。すみません。
さて、決まったものの、悩まされるのはいつもながら天気。
着いた頃のウィーンは真夏の如く暑いらしいのだけれども、ライプツィヒに居る間は雨、そして気温も最高17℃、最低11℃、と出ている。
又しても冬服と夏服の両方を詰めねばならないのか??・・・と、出したり入れたり・・・
2006年の6月、ザルツブルクに行った時も、飛行機を降り立ったら雪(!!)、そして数日後から徐々に炎天下となり30℃を超え、ウィーンへ移動する前に冬服を全部先に日本に送り返したものです。
今回もそれを覚悟ながら、最低限の荷物にしました。
娘も私も、それぞれ18kgは優秀!!
出発に伴い、気になっていた台風も無事に通り過ぎてくれました。
夫の車で空港に向かう車内から。



空港では、Sさんの取り計らいにて、ビジネスクラスのラウンジを使わせて頂き、暫し寛ぎました。
(乗ったらすぐに食事が出るというのに、こんなに食べてしまって良いのだろうか?と思いつつ)

11時間のフライトは、今回は長く感じました。
でも時差の関係で、その日の午後に到着出来る有難さ。
初めてCAT(City Airport Train)でWien Mitteまで出てみました。
自動券売機でチケットを買えば9ユーロ、車内で買うと10ユーロ、と最新(2009/2010)のガイドに載っていたのですが、自動券売機でも一人10ユーロでした。更にWien Mitteからはとても荷物を持って電車を乗り継ぎ、歩いて…は不可能。当然タクシーとなる訳で、労力も考えたら空港からタクシーを利用した方が賢いです。
6月と同じ宿のアパートメント着。
前回は一泊二桁額(それも可成り安い)、今回は二人なのでその金額を二倍した位のランクを選びました。取り敢えずの3泊の部屋。(ライプツィヒから戻ったら別な部屋となるのでしょう。)
なかなか良いです。


(この右の方は既に荷物を解いて散乱しているので極力入れずに撮りました)


(部屋の中に更に階段があり、上ったドアから外を見たところ、この様な風景でした。鍵は開きません)

このドアの前でゴロリと昼寝がしたい気分・・・布団は無いけれども。
いや~~、それにしても暑い!!
エアコンを入れても駄目です。屋根裏だからでしょうか・・・
さて、この宿、朝食は食べ放題のビュッフェ込み。
後はキッチンで自由にどうぞ、なのです。
一休みして、当座の食料を買い出しに行きました。
ナッシュマルクトのすぐ傍なのですが、疲れた為スーパーにて。
(その後、散歩をしたのだったか??すぐに記録しておかなかった為、忘れてしまいました。)
______________________
(9月23日写真追加)
CD-Rに落として貰った娘の撮った写真の方がアングルが良いので加えます。
宿泊先のドアからの眺めです。



Lebewohl - 2009.06.30 Tue
「杖が又必要になった時には、ウィーンに来るのですよ」と言われ、空港ターミナル前にて別れた。
19日に私が杖をついて空港に降り立った時は本当に吃驚されたそうだが、29日、別人の様に回復して自力で広い庭を散歩出来るようになっていた私に、再び吃驚されたそうだ。
出発も鍵に悩まされ(これは遡った日付にて後で書きます)、ホテルでも一度鍵に悩まされ、・・・二度あることは三度ある。
荷物は案の定28キロを超えていた。
このまま通す訳には行かない、と。
さもありなむ、と、その折には移せる様に折りたたみの手提げを用意し、又すぐに移せる様に本類、機械類、重いものを全て分類してあったのだが…
いざ、行列の先頭から外れてスーツケース全開にし、中身を移動させる心地の悪さ。
その作業自体はすんなり行き、移し替えたものを量って貰ったところ5.5kg。引き算して何とかOKが出た。
では、鍵をかけてベルトをして・・・
はて???
鍵が・・・
記憶から消えた。
定位置(鞄の中の)に無いのだ!
もしやスーツケースに入れた???
再度スーツケースを開けて探す焦り。焦れば焦るほど見つからない。
そうだ!鈴を付けてあったではないか!と、ショルダーバッグを振ってみた。
チリンチリンと返事をしてくれた

もう、何やってんだか・・・・・

そしてめでたくチェックインも終わり、ラップトップの入った重いリュックを背負い、ショルダーを幼稚園鞄状態に掛け、その詰め替えた折りたたみ式の手提げを持ってゲートへ・・・
もう搭乗手続きが始まっていた。
あぁ、汗かいた。
次に来れるのはいつだろう?
いざ、さらば!!


Lebewohl!
Lebewohl!2
Lebewohl!3
(おそらくBratislava南東のドナウ川ではないか…)

出発前(写真追加) - 2009.06.30 Tue
朝食を済ませて、まだまだ時間があるので・・・
そうだ!!
夫の住んでいた家はどうなっているだろう??(やはり1974年渡墺、76年から78年迄住んでいた家)確かこのホテルの傍だと思うのだが・・・
・・・と、Margaretenstrasseに出てみる。絶対あっち・・・(方向音痴でも記憶はある)




(ここを左折ですな…)


(見えてきました)

ここ!!

部屋の窓から見えた向かいの家々。相変わらず存在していましたが、この素晴らしい「絵」は無かったです。


(突き当たり)

Wien bleibt Wien です…

その家には、私が4ヶ月師事したWeber教授に個人指導を受けていた40代女性が住んでいたのだった。そして師の亡き後アメリカに帰国するから…と、お別れに我々2人をお茶に招いて下さった。
部屋の間取りも、整った家具調度や交通の便、勿論家賃も、すっかり気に入って家主に紹介して貰ったのだった。(昔のことは、すぐに回路が繋がる

環境も良くて、夜になると上の家(下だったかもしれない)からアンサンブルが始まる。
仕事が終わって、多分趣味の仲間が集まって合わせているのだろう。こういう時間のゆとりが羨ましく思えた。
話は逸れるが、やはり私の恩師であるDr.Dichler教授も、「日本は我々の国の20年を遅れて追い掛けている」と仰ったことがあった。ピアノが普通の家々に普及し、親が子供にピアノを習わせて、音大に進み…という時代になったのが、丁度ウィーンでは20年先んじていた、と仰る。
そして時間の許す限り、家族や友人たちとアンサンブルを楽しむ…と。
この家に、結婚後ほんの数週間は私も住み、Karolinengasseの「夜中もさらえる家」に当座は毎日自転車で通っていたのだが、自転車そのものも、日々移動することも挫折した。
というのも、当時は自転車というものが珍しく、私が自転車で走っていると物珍しげに眺められ、しかも歩道を走ってはいけない(日本の何倍も広いのに!)、そして一方通行を守らねばならない!
今では自転車のゾーンが出来て、ここをのんびり歩いていようものなら、逆に怒鳴られる様になってしまった・・・(Wien bleibt Wien、取り消します)

この道路に、懐かしい文字を見つけた。
Musik-Vidic……

私の古いベーゼンドルファーを買った店と同じ名前。
売り場は道路の反対側、と。
入って訊いてみた。35年前にこの店があったかどうか。
あった、と言う。(でも、住所は違った気がするのだが)
移転したのかも分からない。
今は普通のピアノのみならず、電子ピアノ、ギター、等も置いている。時代は変わったものだ・・・Wien bleibt nicht Wien・・・

写真、「どうぞ、どうぞ」と言うので撮った。
しかも、ギターや電子ピアノはあちらです…とまで。本当に時代が変わったものです。


(YAMAHAその他、デジタル商品が沢山並んでいました・・・)
_____________________________
帰宅して、ベーゼンドルファーを確認しました。


(拡大するとゴミまでしっかり写っていますが…


やはり移転した様です。
検索をしてみたところ、サイトに出会しました。
創業37年になるのですね。
http://www.musicvidic.com/ger/company.php?title=company
最終日 - 2009.06.29 Mon
それでもまだまだスーツケースは重いです!!
朝一番で再度荷造り。冬のコートだの、もう着ることはない服、使わず終いの地図や本。又あたかもウィーンに仕入れに来ているかの如き自分の為のあれこれ、そして勿論家族へのお土産等々。
5キロ強となりましたが、こんなものでしょう、という金額で済みました。
昼から、Hernals(17区)の我らが友人宅へ招かれて、まずは庭の緑の散策。昨年3月にも既に花々が咲き出して冬から春への美しさを感じたものですが、今回は美しい緑や花々の真っ盛り。







苺はもとより、JohannisbeerenやHimbeeren。
Brombeerenはまだ緑だったが。

熟したものを摘んでは食べた。(ザ・サウンド・オブ・ミュージックで子供達が修道院のマリアを訪ねて行き、その後父親から追及され、嘘をついた場面を思い出してしまう。ブルーベリーにはまだ早すぎる、と指摘され、寒くて青くなってしまった…という苦肉の策等々…




洋なしもあとひと息。
プラムや杏は終わった。



可笑しかったのは、隣りの藤の蔓が伸びて、このお宅の玄関にある樅の木に巻き付いてしまったとか、一ヶ月前は樅の木に藤の青い花が咲いた状態になっていたそうだ。
今は樅の実と、藤の豆のサヤ状態が同居している。

友人お手作りにて鶏肉のシュニッツェルと私の好物のじゃがいものサラダ、それと普通のサラダ。デザートはこれもお手製の、庭で取れたMarillenの沢山入ったKuchen、たっぷりのSchlagobersを乗せて!!(と書いて、Marillenはオーストリアのドイツ語。標準語ではAprikosenと言うそうですが、別なもののイメージになってしまいます。杏のことですけれど…。Schlagobersも標準語ではSchlagsahne、ホイップクリームです。Obersの方が美味しそうな響き!!

この1年半のお互いの出来事等々、お喋りは尽きず。
コーヒータイムには、階下のピアノの学生さんも来られて、暫し更なる歓談。
あっと言う間に時間が過ぎ、又送って頂いて宿に戻りました。
荷造りという大きな課題がありまして・・・



追記 - 2009.06.29 Mon
最後なので、私としては奮発した座席を予約。正面にステージ全体を見渡せる席(ほどよく。つまり、かぶりつきで部分のみに目が行ってしまうほど前過ぎず)でした。
宿を出る時には殆ど降っていなかった雨が、電車に乗る頃から激しくなり、着いた時は折りたたみ傘で来たことを後悔する程になっていました。毎日こんな調子の天候で…
・・・とそれはさておき、開演ギリギリに飛び込んできた日本人女性3人連れが・・・
私の前の列に、ずぶ濡れのコートを着たまま、滴の垂れている傘も持って、周囲を顧みることなくズカズカと!!!
Garderobe(クローク)の係のおじさんが必死で追い掛けてきて、コートと傘を預かり、3人のうちの一人が係に付いて外に出て行きましたが・・・まぁ、驚いたの何の!ご年配とお見受けしたとは言え、その様なマナーは、「マナー」というよりも周囲への配慮があれば自ずと気付くことでしょうに・・・
私の隣りの男性は、私を同じ国の人と思ってかどうか?じっと私を見るではありませんか!恥ずかしいことでありました



60代後半と思しきそのお3人さま、とても仲がよろしいのか、頭を寄り添う様に並んで観覧。(あの~~~、後ろにいる私は、頭と頭の隙間から舞台を観ているんですけれど~~~…)
カーテンコールになるや、一人のおばさん、おっと…おばさま、立ち上がってフラッシュ焚いて堂々とカメラで撮りまくるのもどうか…と…。カーテンコールですから別に規則で禁じられている訳ではないですけれど…後ろに続く何十列の観客を思ったら、そう出来ることではありませんわ

夜は… - 2009.06.28 Sun
後になって知ったのですが、演出その他全てがStaatsoperと同じだそうで、言われてみればなるほど、クリスマスプレゼントがテレビゲームだったり、殆ど全て(舞台道具まで)同じに見えたのは、そういう事だった様です。
見ながら感じていたことも・・・
1年半前の日記を(自分の。情けない乍ら)調べたところ、見ながら感じていたことも同じ様です。
という訳で1年半前の日記です;
http://allegrobunchan.blog18.fc2.com/blog-entry-17.html
いよいよ徘徊…?? - 2009.06.28 Sun
夜はVolksoperの「胡桃割り人形」を予定しており、その前には昼寝を。逆算すると何時間…
沢山ある美術館は今回は諦めた。
既に何度も行っていること、観るからにはゆっくりひとつずつ味わいたいからだ。何よりも知らず知らず館内を移動している歩数たるや…今回は脚にとって無理だろう。
急にドナウが見たくなった。
ところがどうしたことか、反対行きに乗ってしまい、慌ててSüdtiroler Platzで下車。
学生時代の生活範囲内のこの近辺。
そうだ!何も名所だけではなく、自分の過去の生活拠点を見ることも面白いかもしれない!!と思い付いた。
随分街並みも変わってしまったなぁ…と思っていたが、すぐにKarolinengasse。ここを右折して教会(St.Elisabth Kirche)に突き当たると、そこに私が一番長く住んだ家がある(24歳から28歳まで)。

このApothekeでは、指を怪我してオキシドールを買ったことがあった。「オクシドル」と言ってみたが通じないので、H2O2と(2は小さく)紙に書いて渡したら、薬剤師さんがニコニコして「化学記号は世界共通で有難い」と言っていたことも思い出した。
さて、右折。

教会の周りをぐるり。

お得意さまだった文具店(Papier)

流石に石炭・練炭の店は無くなっていた。
Karolinengasseを右折すれば突き当たりがベルベデーレ宮殿

教会の前に、分別ゴミの容器が・・・



Karolinengasseと垂直に交わる道路、Argentinierstrasse。これを真っ直ぐ行けばKarlskirche(カールス教会)があるし、そこへの途中、ORFがあり当時はここがオケの練習場だった。

Elisabeth教会に入ってみることにする(生憎ミサは終わっていた)




昔ながらの住所表示(IVは4区、その後のWiedenとは4区の正式名。ウィーン23区もそれぞれに正式名称がある。St. Elisabeth-Platzは更なる細かい住所。道路や広場名に番号が付いて住居表示となる)

私の住んでいた建物の下の角までがBIPAに???
コスメティク(と言いますか?)用品のチェーン店です。

ここを右折しても(この写真では左方向)ベルベデーレ宮殿に突き当たります。
さて・・・・・
この辺りで、何か怖ろしい現象が起きました。
こんな事は初めてです。
私はどこに帰ったらよいのか?どこに宿泊しているのか、全く思い出せなくなったのです。
今どこに居るのか、ここを真っ直ぐ行けばDの電車が走っていることも分かるのに、その先が…
今まで来た道を思い返してもSüdtiroler Platzまでしか思い出せないのです。さて、誰にどうやって連絡をしよう?日本?日本の誰?親?親は居ない。夫はどこにいるのだっけ?
いつから分からなくなっていたのかも分からない。
でも、Belvederegasseを歩いているうちに徐々に記憶が蘇ったので、ほんの5分10分のことなのだと思います。
もしや・・・・・・これって・・・・・・「徘徊の始まりとはこういうものなのだろうか?」と青ざめた経験でした。
(今後の私に気を付けて、異変がありましたらざっくばらん教えてください!!)
幼い頃、まだ2歳か3歳か・・・夢の中で「よく知っている場所」の風景がガラリと変わって、道が分からなくなる、怖くて怖くてあがいているうちに目覚める、という経験をしましたが、まさにそういう脳の回路が働いた様な、本当に怖ろしい出来事でした。
さて、ウィーンに来て約10日が過ぎようとしているのですが、一度も外食をしていないことに気付きました。
初めて、たまらなくWiener Schnitzelが食べたくなりました。Prinz Eugen Strasse(ベルベデーレに沿った道)迄行けば何かあるに違いない、と行ってみたところ果たしてありました!!15時までやっている店。
店主がメニューを持ってきてくれたけれど、すかさずWiener Schnitzel(Kartoffelnsalat付き)とApfelsaft gespritztを頼んだ!!
これが、今回ウィーンに来て初めての外食です。

一体今までどんな食生活をしていたのか?と自分でも不思議なのですが…。
朝食をホテルのビュッフェで日頃の3-4倍を食べてしまう為、昼になってもお腹が一杯。(普段は、たっぷりの牛乳を温めてインスタントコーヒーを入れ、あとはミュズリくらいで終わらせてしまうので)
折角キッチン付きで、Naschmarkt(誰でも買える大きな市場)の近く、ということで、今回のアパートメント形式のホテルを予約したというのに!!
夜も疲れて、もしくは出掛けて、予め冷蔵庫に買い置きしておいたサラダ(肉類入りの)とミネラルウォーターで済ませてしまっているうちに今日になっている。何と勿体ないことを!!!
ともあれ記憶も蘇り、帰りはD番に乗り、Oper方向。

車窓からの眺め。
かつての学校は改修工事をしている様子。


59Aのバスに乗り換えて、2つ目、宿のすぐ傍で下車。
昼寝をして、夜のVolksoperに備えました。
ひとまず送信。
近くに居ながら - 2009.06.27 Sat
25日の続き - 2009.06.25 Thu
それならば気になっていることを済ませよう・・・
出発の折、重量オーバーのスーツケース、「手荷物が大変少ないので、このままお通し致しますが、お帰りの折にはお気をつけください。1キロオーバーごとに40ユーロを取られますので。」と言われた。(これは一昨年、大変苦い経験あり

何とか減らさねば!と思うものの、出掛ければ本だのパンフレットだの重い荷物は増え、ちょっと買った筈のものが可成り重かったり・・・減るのは湿布薬と財布の中身くらいだ・・・

1キロ40ユーロならば、5キロで40ユーロかからない小包で送ってしまおう!
・・・という訳で、朝のうちにそれ用の箱を近くの郵便局で買ってあった。それも二箱。
取り敢えず第1便を、と、不要になった(と願う)冬のセーターその他着古したものや靴、CD、お土産の一部を箱一杯に詰めて郵便局へ持って行った。そして内容を書いたり・・・コピー機の使い方が分からず、本来別な列に並んでいた学生と思しきウィーン女性が、わざわざコピー機のところに来て教えてくれ、しかも20セントを両替してくれる親切さ!(有難うございました。勿論読んではおられない事は承知ですが…)
今朝箱を買いに出向いた折には至極機嫌の良かった係の若い女性も、夕方にもなるとお疲れのご様子。お仕事お疲れさまです

私の前の客、料金後払いの何十通もの封筒を(それが何なのかは知らないが)点検・記録という面倒な作業をしつつ、(にも拘わらず)差出人と雑談しながらでなかなか進まない。
そうこうするうちに、午前中の青空はどこへやら?凄まじい雷鳴!





傘も持たずに、いくら近いとは言え、長々と待たされて気が気ではない。係嬢に荷物と書類と預けて、傘を宿まで取りに行く許可を請うたもので益々気を悪くされた。
そんなこんな、傘も取りに行けたが、戻ってみたら凄まじい行列になっていた。
やっと私の番が来て、荷物も4キロ台。空港で膨大な超過料金を取られるよりは遙かに有難いことです。
月曜に第2便を送ろう・・・と帰宅。
夜の、楽しみにしていた公演・・・
Festwochen(音楽祭週間)が終わった所為でしょうか?それとも客席にツーリストが溢れている所為でしょうか?それとも??
評論家ではないので、触れずにおきます。
大好きな作品として充分に楽しんできました。
疲れ過ぎて朝は4時から目覚めたまま、そもそも体調不良の筈が、ユンケルを2袋飲んで、こんなに動き回ることが出来た一日となりました。(日本での何も捗らない毎日が信じられません。アイゼンシュタット行きの疲れが絶対に残る、と信じていたのでしたが

宣伝する訳ではありませんが、あれは効きます。本当に有難いものです・・・

異常気象 - 2009.06.24 Wed
私が留学していた頃は、6月と言えば一番過ごし易い気候の気がしたものだが・・・
2006年は、6月だというのに雪の中の着陸、その数日後から炎天下となった。
2007年は、体感温度40℃。
その様な体験から覚悟していたところ・・・間際になってウィーンの天気を調べ、荷造りの途中の衣服をガラリと入れ換えた。ずっと雨、そして気温は冬~春並み。
今回着いた日は、夕方から雷雨となった。
その後も傘は手放せないどころか、折りたたみが雨の勢いで壊れ、急遽購入した「クリムト」の絵柄の普通の傘まで骨が折れた程だ(日本でいう1000円の傘だから仕方ないか…)。

そして冬のコートを着て外出している。
そうこうするうち、ドナウ川が氾濫!?あちこちで冠水している様だ。
個人的には全くの「思い立ったが吉日」の渡墺。天気が悪くても「無計画のなせる業」と宿に留まっていればよいのだが・・・
しかし他人事で済ませられる問題ではない。
ただでも北極の氷が溶け、それが海水として水位を上げている。地形が変わってしまうのではないか?東京湾の埋め立てにせよ、イタリアにせよ、危惧することの多さ…
バスタブその後 - 2009.06.23 Tue
それで、風呂に入り温まりました。勿論たっぷりは溜められませんでしたが…
というのも、ふと、子供達が小学生だった頃の算数で「水道Aからは1分にナントカmlの水が桶に入ります。ところが桶には穴Bが開いている為に1分にナントカ mlの水が漏れて行きます。桶の深さをナントカcmとして、この桶が満タンになるには何分かかるでしょう。」みたいな問題が頭をよぎりまして…。
(↑これでは単純過ぎ。もっと複雑にしないと問題になりませんね。)
ずっとお湯を出しっぱなしで入れば良い!!・・・でも栓が浮力で浮いてくるから、ある程度溜まったら入ってしまって足で栓を押さえていればよいではないか!!!
という訳で、まぁ何と時間のかかったことか・・・
寝そべって右足で押さえたり左足で押さえたり、今度はうつ伏せになり、手で押さえる・・・等々。
身体全体が浸るには、水道の出も悪くて駄目でしたが、シャワーだけより余程温まりました。
Volksoperの「微笑みの国」に出掛ける前、フロントに寄って事情を更に話して出掛けました。
メモを取って、「調べてみます」と言っていた・・・
ついでに先日のドアが開けっ放しだったことも「苦情を言いますが」と前置きして話しました。
帰ってきたら、二重に締めた鍵が1回だけ回してあったから(単にドアを閉めるだけでも鍵はかかるのが)、あぁ、調べに入ってくれたのだな・・・と思い、バスルームに行ってみた・・・
・・・
・・・
・・・
何と!!部品が悪いと思ったのか、栓を持って行かれてしまった!!!
これでは溜められない状態です。
昔ながらの仕組みだから、今の若い人は現地人でも分からないのかもしれない・・・
無いよりは、壊れていてもあった方が良いのですが…寒いのにシャワーだけ???
いや、本当に今日の帰りは寒かったです。
毛皮が欲しかった(と私には思えました。)
ドナウ川が氾濫し、あちこちで冠水が起きています。
鍵の謎は - 2009.06.22 Mon
昔からのよくあるタイプで(洗面台と同じ様に、あの引っ張ったり押したりして栓をする、あのつまみが回転式になったもの、という説明でお分かり頂けますでしょうか)、回転式のつまみをいくら回しても栓が動かないのです。
よく調べたら、栓が外れてしまっていました。
それを、昨朝フロントに伝えてあった為、私の居ない間に、専門の人が調べに入り、鍵を掛けたつもりになったのでしょう、ということでした。
謎は解けたものの・・・物騒です。
さて、宿の件では、友人宅が留守になるので「引っ越してきて自由に使ったらよい。ホテルは高くて勿体ない」と言ってくれるのですが・・・17区の標高約400mの場所。今の私の脚では到底街を往復することは困難です。
甚だ残念なのですが、事情を話し、泣く泣くお断りしました。
慌ただしい日 - 2009.06.21 Sun
達者に弾く若者たち。でも、リストの「超絶技巧練習曲」の様なベートーヴェンもあり、2人だけ聴いて疲れが吹き出し、帰宅しました。
いや、その所為だけではなく、不運なる悪天候で、折りたたみの傘は壊れるほどの風雨に、まず普通の傘を買ったのですが、それすらすぐに骨が折れました。
その様な中、歩きすぎたかも分かりません。
身体全体が痛くてたまりません。
しかも、何という寒さ!冬のコートを持参したのは正解でした。
11泊をバスタブ無しで過ごすのも・・・
いえ、バスタブがあったからとて、シャワーで済ましてしまう事の多い私なのですが・・・特にウィーンの留学時代 - 独り暮らしだった頃(夜間電力の小さなタンクで全てを賄っていたから、殆どシャワーだった)が連鎖するのか、この土地に居ると、特にどうしても入りたい!!という訳ではないのです。
でも、この関節痛と筋肉痛や冷えた身体は、バスタブに入ってゆっくり温まったら楽になりそう。
フロントに出向き、幸い同じ値段にてバスタブのある部屋に変更して貰うことが出来ました。しかもベッドも格段の差にマットレスが良い!ツインで広々!!
午前中は部屋の移動に何往復かして過ぎました。
今度の部屋は、火災の折の避難の地図が貼ってあり、それによると、ぐるりと廊下を回って、昨日の日記の写真の元の部屋から逃げることになる様です(もしかすると、あの部屋って、避難用のスペアだったの???

さて、寝心地に満足の行くベッドで寝るのは何日ぶり?(大袈裟!)すっかり疲れが吹き出し、午後ちょっとのつもりで眠ったが最後、テレビを点けたまま寝てしまい、時々「あぁ、消さねば」とリモコンは手元にあるのに動かない。
1時間おき位に何かと目覚めるのですが、目は開かない、起き上がれない。
そして又熟睡・・・
今日はシェーンブルンのディナーコンサートを予約してあり、18:15(日本時間の夜中1:15)には申し込みのプリントアウトを持って、シェーンブルンの事務に着かねばならない。逆算して、着替えや支度で17:00には起きよう、と思っていたのです。
ところが、一旦目覚めてもすぐに熟睡・・・日頃、時差は余り感じない人なので、全ての疲れがどっと出たのでしょう。
何と!やっと起き上がれたのが17:40。
それでも、まだまだ眠いし頭は動かない。目をつぶったまま朦朧と着替えて、それも本当は別な服にしようと思ったのだけど妥協。アクセサリーも妥協。髪の毛も梳いただけ。頭のどこかでは「慌てよう」と思っているのに身体が動きません。
旅行中のスーツケースは、出掛ける時は鍵をかける習慣なのだけど、時間無し。旅行中のパソコンも、電源を切ってアダプタも抜く習慣なのだけど、時間なし。目をつぶった。(って本当につぶっていたのかも知れない。)
やっと部屋を出たのが18:00少し前でした!!
部屋の鍵も念のため2回回しておいた。
幸い道は分かる。念のため地図はコートのポケットに入っているし。電車も1本で行けて5つ目くらい、ということも分かる。降りての道も分かる。
電車もすぐに来て、全て順調に滑り込みセーフ!!!(ウィーンは小さな街なのです・・・ナッシュマルクトの辺りからシェーンブルンまで15分で着いたのですから!徒歩も含めて)
ディナーは申し込み毎のテーブル・・つまり私は一人で淋しく。
音楽会は・・・途中爆睡。
前半がモーツァルトの歌劇からアリアだの、後半はシュトラウスやカールマンなど。何故かプログラムというものが存在しなかった・・・(私だけではなく、見回したところ、誰も持っていなかった・・・)
終わったのが22:30頃で、ホテルに戻った。
・・・
・・・
・・・
私の部屋、ドアが開いている!!!
鍵は上下にあり、下の「念のため」のが二重に出っ張って施錠される訳ですが、ドアが開いたまま出っ張ってる!!!
部屋に入ってあれこれ確認。セーフティボックスも無事。パソコンも履歴を見たけれど触った形跡なし。
その他、鍵を開けたままのスーツケースも貴重品は元々皆無だし(今回はアクセサリーもイミテーションしか持たず)、日本人がよく持つRolandも無事、パソコンアクセサリその他携帯のアダブタ類も無事。日本で使っている携帯もある。
この引っ越した部屋は、エレベータを上がると一番手前にあり、前の部屋は一番奥。その間、いくつ部屋があったか・・・7-8室は少なくともあります。誰しもこの部屋を通って自分の部屋に行く訳です。
その間、誰も何もしなかったのね・・・・・・
平和ボケの私。単なる寝ボケ?????
という訳で、シェーンブルンの話は又改めます。
何しろ眠かった。夢の中だったのか????という程。
戻ってドアが開いていたことで、漸く目が覚めた感じです。
明日にでもフロントに伝えておきましょう。
動画その3 - 2008.04.18 Fri
特に何という動画でもありませんで・・・
折角使える様になった機能なので,ウィーンでいつも不思議に思っていた自販機でも載せます

通る度に「どうしてペットボトルが下を向いて入っているのだろう??どの様に落ちてくるのだろう??」と不思議に思っていたのを,丁度親子3人揃ったもので,一人がコインを入れる係,一人が読み上げる係,一人が撮す係,と役割分担したのが下の動画。
暇人,と笑ってくださいませ

それと,今年のウィーンは異常気象で,天気予報も全然当たらなかった程だったのですが,ネットの天気予報も困り果てたと見え,オーストリアは↓こんなでした

最後まで充実且つ楽しく - 2008.03.30 Sun
28日は,数日前にお誘いを受けたウィーンフィルの公開プローベへ。
留学時代一番最初に下宿した家のおばさまは亡くなられてしまったのですが,その息子さん夫妻とは2002年頃より夫人とのメールを通じ,昔の様な,いや,昔以上にお付き合いが続いております。
筆無精の私でも,便箋をクシャクシャポイ!する必要もなく,切手を探す必要もなく,靴を履き替えて投函しに行く必要もないメール!万歳!!
パソコンを使う機会を作ってくれた友人たちには感謝!(この事をずっと書こうと思っているのですが,今日も又省略。助けて頂いたあれこれは簡単に書くことが出来ず‥‥)
さて,その夫人に戻りますが・・・
教育を受けられない国の子供達の支援活動をしておられ,その関係で数年前からウィーンのあちこちに大きなポスターが貼られていました。今年の1月まで見かけましたが,写真に収めぬうちに剥がされてしまい,残念,と伝えたところ添付で送られてきました。写真そのものは数年前のメール添付を持っているのですが,街角にどの様に貼られているのか,撮り損なってしまい…

(写真の前に立っておられるのがご主人で,メールに添えられた文は「endlich einmal kleiner als ich」だそうで!)
ご主人は,元製薬会社の社長ですが,音楽に関しては私より詳しいかも分かりません。ピアノはスタインウェイ3台お持ち・・・(一台はスペインの別荘に)
さて,28日には夫人からお誘いを受けたそのウィーンフィルのコンサートが,何と!懐かしい「Swingle Singers」との共演という珍しいもの。ベリオの作品で,元々はニューヨークフィルとバーンスタインの為に作曲されたものの様です。
夫と娘も是非!と思い立ち,別口より侵入成功!娘の感激ぶりは,早速その場でCD購入と相成りました。我々の十代に演奏された数々では??(バッハやショパンをアカペラで歌う)
夜は前から予定していた「メリー・ウィドウ」を親子3人で観て参りましたが・・・以下省略。どうしてもPeter Minichの役柄としてしまう私が悪いのでありまして,時代は流れているのでありまして,決して今のVolksoperが落ちた!なんて言いません。
でも,どうしても比較してしまうのですよ。ここはこうだった・・・等々・・・
昨日のことは既に書きましたが,写真を追加。
日々行き来していた階段。


ご夫妻と共に。(何故か二人,申し合わせた様な同じ色合い


本日は朝から荷造り。
90kgにも納まらない荷物!昨日夫の同僚より「捨てても構わないスーツケース」を二つ頂き,冬物や差し当たり読まない本などをギュンギュンに詰め,夫が西駅を2度往復してくれました。2度目は娘も同行し,将来的なことを考えて覚えさせ・・・
・・という訳で,チェックイン時に預ける荷物は30kg×3個にしっかり収納。万歳!!
ここ数日の更なる詳細は帰国後に書きます。
カウントダウンの無計画 - 2008.03.29 Sat
荷物が過剰に増えたことで夫に来て貰い,更にエコノミークラスにも拘らず一人あたり30kgまでスーツケースを預ける手続きも出来たというのに,どうしてこんなに荷物が増えてしまったのだろう・・
全く入りません。原因をあれこれ考えるに;
1.ヨーロッパの真冬用衣類(コートも含む)・靴を持ち合わせていなかった為に現地調達をしたこと。
2.ドイツ語が新正書法になった為,娘には私のお下がりの参考書は一切通用しなくなっていること。新正書法になっていなくとも,言語はいずこも生き物で,私が使うにも「貴女のドイツ語は我々の祖母の世代の・・・」と言われること屢々。DUDENのあれこれを買い直した。
3.丁度クリスマスとイースターに重なり,自分たちの為にも何かと買い込んでしまった。
4.娘が東京の自宅より本(種類は伏せる)をあれこれ取り寄せた。ゲーム機器も小遣いはたいて買い込んだ,なんて書きません。
5.珍しいカード類を見つけると買わずにはいられない私。
(以下略)
という訳で,今日は夫に荷物20キロ分を,西駅の郵便局までエコノミー扱い(以前の船便。今も現実船便)にて先に郵送して来て貰った。
この家の持ち主(チェリスト)の祖母上がピアニストだったそうで,楽譜を沢山,どれでも持って行って,と全部ご親切にも出しておいて下さったのですが(壁一面分!!),どう頑張っても持ち帰れません・・・残念ながら・・・我が家は壁二面にも納まり切らずにはみ出ている現実とスーツケースのスペースを思えば・・しかも原典版は勿論ありません。選択判断の第一は,美しい表紙 -著作権も切れているであろう時期のもの- 演奏会のパンフレットにも使えそうな…ということで。譜そのものは実際我が家に全て存在する訳で,それも我が亡き母の分まで。
一通り丁寧に一冊ずつ見させて頂いた次第です
結果6-7種類だけを頂くことにしました。日本語で訳されて既に出版されているピアノのメトーデの原語版は,ドイツ語的に興味あり。又,手書きのオケパート譜などを含め。この多大な量から,これだけに絞るのにも1日を要したので,残念ながらここ迄で妥協です。
あとはDoblingerの古書店に持って行くそうですが,美しい分厚い表紙の楽譜は,きっと収集家に買われ,大切に保管されるに違いありません。
こちらで買ったダウンコートなども第二便で送るべきかどうか…二階で保管しておいて貰うか…(既に4度目のスキーに出掛けているので,無許可にて)
使い古しは出来るだけ捨てて帰ります



風邪を誤摩化しつつ,掃除も荷造りもはかどらぬまま,以前から入っていた予定だけは最優先し,明後日の出発までドタバタしそうです。
今日は午後から,私の留学時代の最初の家主さん(正しくは息子さんご一家。家主さんはもう20年ほど前に他界)のところへ行きます。
昨日もウィーンフィルにお誘い頂いてお会いしたにも拘らず。
他にも書きたい事は溜まっているのですが,荷造りの休憩かたがたこれのみに・・・

再度Liechtenstein Museumへ - 2008.03.22 Sat
(無精な日記)
Liechtenstein Museumに再度脚を運んできました。
今日は常設展のみ,たっぷり時間をかけて観てきました。
受付嬢も学芸員さんも警備の方も,皆昨夕来た二人連れ,としっかり覚えていてくださって親切。
そして,日記をどうやって書いたら良いのだろうなぁ…と,このムゼウムのサイトを開いてみたところ「ダウンロード」があるではないですかい


(著作権にひっかかることもない??作品そのものは切れているでしょうけど‥)
という訳でトップ。
(英語にもなる様です)
ダウンロードはこちらから。
この各PDFをクリックすると,各部屋の展示の説明に飛べます。
本日は,各会場の隅に置かれたこれと全く同じドイツ語版と,更に日本語訳版を持って,読みながら観覧してきました。
最初は日本語の解説のみ持って観ていたのですが,日本語ですら分からない単語が……何とも常識はずれの私…

それでドイツ語版で該当する単語を対比させ,更に独和辞典(それも電子辞書です,当然!無精者としては)を引く…すると大体がラテン語だったりギリシャ神話の登場人物だったり。一般教養の大切さ,読まねばならない本の多さを感じ,反省。…と,その時は思ったけれど,その都度こうして調べれば良いさ!と開き直り

私はこれらの中でもSaal5の411(洗礼者ヨハネ),Saal6は全部!特に630の大理石の彫像は角度を変えて屈んで見たり暫し堪能。天上の幼子と地上の幼子の愛の象徴。矢もさりげなく地面に置き忘れているのがにくい!641の聖マグダレーナ,Saal7も全て!!ルーベンスのものは時を忘れます。有名になってしまった,もとい,有名な「マリアの召天」は何百号あるのだろう??圧巻。Saal8もルーベンス中心で,このMuseumの看板にもなっている901のルーベンスの娘さんクララの像や,901の二人の息子さんの像も。Saal9の801の,鏡の前のヴィーナス・・・
結局私はポピュラーなものに惹かれてしまうのでありましょう。
音楽でもポピュラーなものほど演奏が難しいのは,それだけ力作であり,上っ面だけの安易なテクニックだけでは表現出来ないのと同じこと・・・と実感です。
それにしても,このMuseumはお薦めです。
1日あったら隅々までたっぷり鑑賞出来ますから。
個人的なことになりますが,1986年に他界した父がこのMuseumを訪ねたなら私以上に感動したことでしょう…そして,細かい解説をして貰えたでしょうに…と図々しく思った次第

父の時代は(今の藝大美術が「東京美術学校」と呼ばれた時代),油絵で入学すると真っ先に自画像を描かされたそうですが,父はルーベンスの真似をして描いたそうです・・・(父は油絵の画家でした)
ところで,とうとう風邪をひきました。
3日連続で,コートをクロークに預けて館内を歩いたからか?階段を極力避けるために,近くの停留所に停まるバスを長時間待った所為か?(それとて30段くらいは上るのですけれどね)
Karfreitag/Liechtenstein Museumへ - 2008.03.21 Fri
ここは2004年の3月にオープンした美術館で,何と言っても(私にとり)魅力的なのは,数えきれないほどのルーベンスの作品が展示されていること!!
リヒテンシュタインは10~11世紀,ヨーロッパ最古の侯爵家。

美術館に関する詳しいことは又ゆっくり書きたいと思います。
今まで2度ほど出向いたことがあり,甚だ広いと言えども美術史博物館よりは遙かにコンパクト(は語弊があるかもしれませんが)。しつこい様ですが,趣味に叶った美術品ばかりが並んでいるのが嬉しいのです。大理石やブロンズの像然り,カンバスに描かれた油絵然り・・何もかも!!
入ってすぐの広間だけでも何時間ボ~っとしていても飽きません。
天井画や壁に沿って並んだ彫刻のみならず,多分石膏を彫ったと思しき些細な部分にわたる模様が,悔しいけれど日本は追いつく訳もありません。凄い!としか言えないボキャブラリーの貧困さ。
その傍にある図書館

今は,これが又嬉しい「サムソンとデリラ」と銘打った,ルーベンス及びその周辺の画家たちによる特別展をやっており,今日は常設展と両方入場するつもりで入ったのですが,この特別展をゆっくり見ていたら2時間くらい経っていました。
ルーベンスの描く宗教画,磷付に遭ったイエスを取り巻く女性たちの涙ひとつすら,何時間でも見ていたい表現力!
目の光,頬の表情,細部を近づいて(眼鏡を外して)観察したり,遠のいて全体からその細部の存在を確認したり,贅沢な時間を過ごしました。
ただ,以前は存在した「オーディオガイド」なるものを廃止した為,壁面に掛かっている解説を読むのにこれが又時間を要する悲しさ……語学は大切だ…と実感。
それでも辛うじて,ルーベンスと,彼が影響を与えた画家たちの宗教画を堪能してきました。
そして常設展へ…時計を見たら余りゆっくりしていられない。
取り敢えず真っ先にルーベンスの部屋へ。
・・・案の定,閉館のアナウンス。
又明日行きます。
トイレの両側が鏡になっていて,こんな写真を撮っている親子をユルシタマヘ(いや,この親にしてこの子あり)



今日はKarfreitag(イースター直前の金曜)ということで,どこの教会も受難のミサをしている訳ですが,今回は全くの観光客ということにして頂き,写真を…
ここは1970年代何年間かにわたり,夫がミサで演奏させて頂いていたPeterskirche。



(開いてある聖書は,今日のKarfreitagに該当する部分。勝手にめくられない様に赤い紐で留めてありました)
カトリックへのプロテストをどう捉えるか,いつも考え込んでしまいます。
多大な費用を使っての装飾,絵画,・・・
ただ,当時無学であったろう一般市民には,これらがあってこそキリストの存在や教えが理解可能だったのではないか?実際,ずっとプロテスタントで育った私ですら,この様な「具体的」なものを目にすれば,日頃の罪やキリストの贖いへの感謝の念は生じる現実(意識が甘いから,と言われることは重々承知。とてもとても,信者の末席を汚していることすら口外も阻まれる有様)。
その後,又Grabenを歩いてウィンドウショッピング。


(上,大変有名な店なんですけどね,もう絶対買いません。ひとつには,日本で輸入禁止になったこともあるヘーゼルナッツが使われていて,お土産に買って行ったら中からにょろにょろと虫が出て来た経験。もうひとつには,絶対この値段に見て貰えないこと。1立方センチのチョコレートが5粒入って2000円なんて・・・最近毒舌気味・・・スミマセン

又,建物あちこちを何気なく見上げる。


下は,今流行の若者向けファッションのチェーン店,"H&M"の店舗のひとつ。

その後も観光客として,しっかりシュテファンスの中へ入り,動画など撮ってすみません。
その近くのBILLAで日常食品を買い,並びのこれ又最近出来たと思しきチェーン店(和食がメイン)のAKAKIKOで夕飯。
雲から顔を出し始めた満月を撮ろうとすれども,我がカメラ,まさに私の乱視状態。


娘より一枚貰いました。

春分の日の雪 - 2008.03.20 Thu
午後から雪が舞い出した。


出掛けるのも億劫になったが,いよいよウィーン滞在もカウントダウン!「疲れた」と寝てばかりいては勿体ない。
ウィーンに来た理由のひとつは休息なので構わない,と思いつつも,出掛けて帰宅してはバタン!グー…そして翌日まで疲れを引きずり(ひとつには,どこへ行くにも階段と坂道を避けられない所為だ,と言い訳)とても3ヶ月居た,とは言えない状態で今日に至っている。
ピアノも結局12月初めから全くと言って良いほど弾いていない。1月末に数日伴奏の譜読みをして,音の極力少ない3曲を選んで弾いただけだ。ピアノの前に座ることすらしていない。
(日記も数日遅れで書いている。ブログは書きたい日付に設定出来て本当に有難い

今日はアルベルティーナ美術館に出向いた。


着いただけで疲れてしまい,館内を見るも,日頃自ら見ようとしない近現代の特集は(だからこそ,こういう機会にじっくり観るべき,と頭では分かっているのだが),足が前に進まない。途中椅子に何度も座りながら,一通り「モネからピカソまで」と銘打った展示を観た。
フランスの印象派のMonet, Renoir, Degas, 更にPablo Picassoの数々,Joan Miró,Paul Klee,Marc Chagall,等々・・・猫に小判,豚に真珠の様な見方をして来た。
その後特別展であるMax Ernstのコラージュの展示も一通り観た。
好きな人が観たならば,如何に面白かろう・・・と申し訳なく思った。尤も美術館へ行く,というのは非常なエネルギーを要することだと実感。
トイレに行って,両端が鏡になっている廊下の写真など撮っている愚か者!

(トイレはいくつ映っているでしょう…なんて数えている愚か者)

その後,自然史美術館に出向いていた娘と落ち合い,遅い昼食を"Wiener Wald"にて。彼女は大変興味深く楽しんで来た様子。良かった,良かった。
Grabenで少々買い物。娘の髪の毛が殺風景なので飾りなど買ってやり,地下鉄,S-Bahn,バスを乗り継いで帰宅。
山に近いここ近辺は可成りの雪化粧。漸く時期相応の景色を見た思い。





久々に寒い日 - 2008.03.18 Tue
昨日の午後の雨も冷たかったので,漸く本来の気温に戻って来たのかもしれません。
今朝の天気予報ではザルツブルクは雪,とのこと。雪景色を見に出向こうか,と思ったものの,着く頃には解けているかもしれない,と諦めました。
そうこうしていると,ここでも雪が突然降り出し,でもアッという間に止んで解けました。
近所のスーパーまで買い物に出た時の空。

午後から娘と共に例のKalvarienbergmarkt,及びKircheへ。
食らいついているのは,屋台の「葡萄の串刺し,チョコレートかけ(何という名前だ??)

Marktのメリーゴーラウンド(私の好きな101!)

すぐ近くのaïdaから見た時計塔。正しい時刻はこの中間。まるで日本の「写真の出来上がり時刻」みたい…

例のシュランメル

その近くのショッピングセンター内の店

その後,Mariahilfer Strasseへ娘の服を買いに出向いた折の空。

これは,ふと見上げた普通の建物の彫刻

西駅の無人管理室(何ていう名称ですか??)

帰りに間違ったS-Bahnに乗ってしまった…山が見えてきた…うちの方山だもん…見たことない風景だよ…
やっと違うことに気付いて降りたものの,戻る電車は30分後でした。
ホーム目の前にあった建物に付いている室外機(メーカーが日本製)

遅くはなったものの無事に帰り着きました。
又,小雪が舞っていました。
幸せなひととき - 2008.03.17 Mon
ご主人がウィーン生まれとのこと,やはり現地の方ならでは,全く観光化されていない場所。
地図を見たら行けそうではありながら,もし天気が悪ければ交通手段なく・・と躊躇していたところ,我が借り住まいまで迎えにいらしてくださった!!
その前,道順を説明しようとすれども,日本語なのに,そして目の前に地図があるのに説明できないわたくし・・・結局ネット検索してくださったそうで,その上,二階のHerbertと電話で念押ししてくださったそうで・・
道がうねうねと入り組んでいる上に一方通行が多く,この辺りはとても私には運転出来ません。
いえ,左ハンドルに慣れていたとしても,です。お迎え,送り,と何往復もして頂いて恐縮でした。
お子さんがたの可愛いこと!!
娘にもすっかりなついて下さって嬉しかったです。
一番楽しい時期,大変だけれど一番可愛い時期かしら??
つい写真をカシャリ!!



美味しいワインとご馳走とお喋りと・・・外は雨にも拘らず,楽しいひとときに万歳




因みに,この坊ちゃん,うちの息子の幼少の頃に雰囲気も表情もそっくり!
パソコンの中を探したのですが,下の白黒しか,このパソコンでは見つからない…

家族の写真も入っていました。その当時…と思しき…

昔を思い出し,大変懐かしかった・・・こういう時期ってアタフタと過ぎてしまうのですね。楽しい想い出も蘇り幸せです。
異常気象まっただ中・その後 - 2008.03.07 Fri
最近テレビを見る機会が殆ど無く,専らラジオと新聞にネットだったのですが,昨日久々にテレビを点けたところ,まだ前のOrkan(台風というかハリケーンというのか…)「Paula」の被害もそのままなのに,先週土曜の「Emma」の攻撃が如何に酷かったか,インタビューを交えて放映されていました。死者多数(オーストリアでは4人),破壊された建造物の数々。
普通だったら3年に一回来るか来ないかのOrkanがひと冬に3度も!!
やはり環境破壊から来ているのでは?メキシコ湾流や大西洋,北極・・・日本中心の地図ではなく,大西洋中心に描いた地図を見たならば・・・アメリカよ!!と言いたい




時速140キロの暴風(こちらでは時速で表記),高速道路を時速オーバーして走っている車が突っ込んでくる様なものです。しかも車の様な小さいものではなく,空気全体が突っ込んでくるのですから!!!
余り鮮明には写らなかったのですが,新聞です。



ところで,Orkanの名前,どうして女性の名前なのでしょう??
(顰蹙を買いそうですが,「Emma」と聞く度,「閻魔大王」を連想するのは私だけ???)
そんな大嵐にもめげず,一昨日の久々の粉雪にも負けず,玄関一画の花々はどんどん咲き乱れております。




ご馳走 - 2008.03.02 Sun
前回焦がしたのを教訓に

そして友人が送ってくれた「紅鮭 菜めし」をパラパラッとふりかけて。
朝から大ご馳走でした。
有難う!


久々のテレビ - 2008.03.01 Sat
ジュゼッペ・ヴェルディの「運命の力」。
Staatsoperのオペラはつい優先順位から遠のき,決して興味がない訳ではないのだが,短期滞在の時はどうしてもVolksoperになってしまう。考えてみたら最後にここのオペラを見たのは1970年代かも分からない。「考えてみたら」というのもおかしな表現だが,1980年年明けから妊娠と度重なる切迫流産での入院・出産・子育てで,そのまま1981年10月の帰国に至ったことを計算しただけ。
という訳で,アップで映し出されても誰が誰だかさっぱり分からない,という浦島状態。
やけにモダンなセットだし,30年以上の歳月が又しても痛いほどグサリ!
全部座ってしっかり見ていた訳ではないのだが,最後の解説聞いていたら,どうやら第6番目の演出らしい。振付け・演出。舞台装置から何から何までガラリと変わった様だ。
指揮のズビン・メータが,最後の音が鳴り止んでも暫く手を上げたままだったのが印象的だった。
カーテンコールも全部見終えたら,もう12時近い。
寝ることにしよう・・・
異常気象まっただ中 - 2008.03.01 Sat
週末の天気予報は下り坂。
起きて真っ先にラジオをつけたら,オーストリアは暴風雨になり,出来るだけ外出は控えましょう,飛んでくる物に気をつけましょう・・・如き内容。
まさにその通りで,雹は激しく降る,雷は鳴る(パソコンのアダプタを抜いたほど),風は吹き荒れる

「当たらない天気予報」が珍しく当たった

明日はスーパーも休み。
日頃から多めに買い物はしておくべき,との教訓が残った


